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おはようございます、やすです。今日もお聞きいただきありがとうございます。
子どもの頃に染み付いてしまった苦手意識っていうのは、なかなか取れないものだなというふうに思うこの頃です。
今日、なぜその話をしようかと思いますと、今週のサポートメールのテーマが、数字が大好きになるっていうような、要は数字が苦手だという意識をなくそう的なですね、そういうテーマになっておりまして、
私はですね、数字が苦手、算数嫌い、数学嫌いっていうことで長年育ってきました。
思い起こせば、小学校の時から嫌いだったんですよね。
鶴亀算だの、旅人算だの、時計算だの、食塩水の濃度なの、あと展開図とかですね、本当ダメでしたね。
なんか展開図とかって、よくサイコロの面でこっちが正面になるのはどこですかとか、六角形とかなんとか角形のこれを対面するのがどことかあるんだと思うんですけれども、
本当に展開できなくて、わからなくてもいつも当てずっぽうでやりましたね。
もうそうした気持ちが、要はその後もずっと残ってしまって、算数から数学っていうものになっても苦手意識が取れず、固定式とかそういうのも苦手だったし、
でも高校の頃に、いわゆる受験用の勉強っていうことになって、選択しなくてもいいっていうことになったら、
もう喜んで数学を選択することをやめたので、本当にそういう意味ではですね、なんか苦手っていうのがずっと意識としてありました。
ただ、サポートメールを読んでた中で、自分の苦手意識っていうのが、結局算数が苦手とか数学が苦手っていう気持ちにあって、
その数字自体に実は罪はないというか、数字まで苦手だっていうふうにはなくてもいいのかなっていうふうに思ったんですよね。
で、算数や数学的な計算機能っていうのは、もう今やExcelだったりとか、パソコンのいろいろなものだったりとか、そうしたことでできたりするので、
自分がですね、計算しなきゃいけないというシチュエーションになることは実はあんまりないと。
ただ、その苦手意識から数字そのもの自体で考えることを経営してしまうと、確かに自分の思考の幅っていうのが広がっていかないんだろうなっていうふうに、ちょっと反省しましたね。
苦手っていうふうに、もう自分で頭の中にですね、ニコゴリのようにへばりつかせてしまっているというか、
もうそのいわゆる数字関係、私はダメなんでみたいなですね、ちょっとそういうふうに固定観念を植え付けて過ぎてたかもなというふうに反省をしているところです。
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でも正直なところ、もうそれで数字が苦手って言わないように言って、数字が得意な人からすれば絶対そう言えるよなっていうふうに、ちょっと一瞬反発心が湧いてしまったんですけど、
いやいや、ただね、ここで自分が苦手だ苦手だっていうふうに言ってしまって、思考の幅を狭めてしまうのもいけないよなと。
でも苦手だと言いながらも、数字をもとに考えていることっていうのもいろいろあると思うんですよね。
例えば、痛みの表現とかですね、整形外科とか受診して入院とかすると、全く痛みがない状態をゼロ、耐えがたい痛みを100としたら今の痛みはどのくらいですかとか、
そうやって痛みっていう表現できないものに関して、今自分がどのくらいの数値なのか、
昨日と比べてどうなのか、一昨日と比べてどうなのかみたいなことを確かに数値化するとかいうこともやったと思いますし、
コーチングとかでもですね、この気持ちを100とすると今どのくらいですかとか、
そういう数値化することによって、感情や気持ちや、数値で測れないものを表現しようとするみたいな言葉を使うと思うんですよね。
なので、そうやって使っている部分もあるよなというふうに考えて、過度の苦手意識を克服していきたいなというふうに改めて思った、そんな今日この頃でございました。
最後までお聞きいただきありがとうございます。安井でした。