1. 『まず、ちゃんと聴く。』ラジオ
  2. vol.26 杉田篤史さん(後編)..
2025-03-11 32:58

vol.26 杉田篤史さん(後編)経営とハーモニーに共通する、ある感覚

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経営もハーモニーも、ゴールからの逆算ではなく、流れに委ねることでよりよきものになるーーアカペラグループINSPi(インスピ)リーダーの杉田篤史さんと櫻井さん・山田さんとの対話は、前編終わりの「他の人が出す音も自分が出している」という感覚の話から、そのまま「経営とハーモニー」のお話へ。管理された美しいハーモニーと、委ねるハーモニーの違いの話を通して見えてきた、経営とライブでのハーモニーづくり、さらに「聴くこと」に共通する感覚とは?

■お話に出てくる BROAD6のライブ情報 (2025年4月、愛知・兵庫・京都・東京)

■プロフィール

杉田篤史(すぎた・あつし)

アカペラグループINSPiリーダー。株式会社hamo-labo代表取締役CHO

1997年大阪大学でINSPi結成。2001年フジ系「ハモネプ」出演、メジャーデビュー。

2005年〜日立CMソング「この木なんの木」、2015年NHKみんなのうた「ドミソはハーモニー」、2017年コクヨテープのり「ドットライナー」テーマソングを発表。
2017年〜アカペラハーモニーをつくることでチームビルディングを学ぶ「ハモニケーション®︎ワークショップ」をスタート、三菱重工業・コクヨ・リコージャパン・東洋大学・滋賀県草津市・愛媛県西予市野村町などで実施。海外公演と現地でのワークショップ多数。


2018年〜東京荒川区の地域活性化と全国の災害支援に取り組むNPO法人TOKYO L.O.C.A.Lの理事。同年7月の西日本豪雨で被災した愛媛県西予市野村町の子どもたちと共に町の歌「のむらのうた〜がんばってみるけん 応援してやなぁ〜」を制作。1周年の追悼式でも野村小学校合唱部により歌唱された。
2019年2月株式会社hamo-labo設立。愛媛大学社会共創学部 羽鳥 准教授らとハモりと社会合意形成の関連について共同研究をすすめている。

サマリー

このエピソードでは、杉田篤史さんがハーモニーについての異なる視点を語り、合唱や音楽の美しさ、管理的なマネジメントと委ねる経営のアプローチを探求しています。また、地域社会の持続可能性や効率に対する挑戦にも触れています。杉田篤史さんとの対談では、長期的な視点での人材採用や、ライブパフォーマンスにおけるハプニングの捉え方について深く掘り下げています。個々の存在と調和を重視するアカペラの魅力やコミュニケーションの重要性も語られています。このエピソードでは、杉田篤史さんがハーモニーの文化的特性や日本特有の神社におけるムスヒの概念について説明しています。彼の音楽活動やBROAD6のツアーについても触れられています。

管理的ハーモニーと委ねるハーモニー
こんにちは、エールの山田です。この番組は、エール代表の櫻井さんの書籍、『まず、ちゃんと聴く。』の内容を中心に、聴くや伝えるについて、ざっくばらんに話しながら深めていこうというポッドキャストです。
前回に引き続きまして、杉田さんをゲストに、櫻井さんと山田の3人でお送りしたいと思います。 では、今回もよろしくお願いします。
前半、杉田さんの最後の、「他の人の音も自分の音のように」っていうことが、感覚的に分かるか分からないかという話を、櫻井さんと2人で合間でしている中で、
僕がよく探究しているようなテーマ側、企業の組織論とかマネジメントみたいなところからすると、こういうことかなっていう話をしたときに、
あまりに楽屋トークで盛り上がりそうだったので、急遽止めまして、そこから続きをやろうということで、どこに行くか分かりませんが、ちょっと頭出しとして、僕からちょっとお話をさせていただくと、
僕、組織論とかをすごくやってきている中で、マネジメントって一般的に経営で言われるものって、基本的に人が、物事が管理できる、予測できて管理できて、計画したら逆算してそこに行くよねって世界観でやってるよねっていう風なのが、割とマジョリティというか主流派だなと思ってるんですね。
で、一方でそれって本当なんだっけっていうのを、2017年ぐらいから僕、仲間たちと一緒に、もっと自然の説理に沿うような経営の仕方でできるんじゃないかなっていうことを考えると、それって逆算じゃなくて、今起こったことの次に何が起こるんだっけっていうことを、
バックキャストじゃなくてフォアキャスト的に考えるだったりとか、あるがままに委ねて次起こったことに適応していくような形で、より良い経営ってできるんじゃないのかなっていう、対比ができるんじゃないかなっていう時の、その時の旧来というか、管理的なマネジメントと委ねる系のマネジメントの違いと、僕は感覚近いようなことをおっしゃってる気がするんですよねっていうことをお話ししてるんですね。
ということで、杉田さんがオッケーで話したいってその後おっしゃっていただいたので、その続きからぜひお伺いできればと思うんですけど。
もうめっちゃ面白い話っていうか、僕もめっちゃ関心あるところなんですよ。
ちょっとこれ合唱をやっていた方にとっては、ちょっと気に触るような話になってしまうかもしれないんですが、いわゆる合唱コンクールで優勝するような学校の合唱っていうのは、僕はすごく管理された、マネジメントされたハーモニーだなぁと思うんです。
もちろん整っているし、美しいし、完璧を目指す素晴らしさっていうのがそこにあって、そこはそういう美はあると思うんですね。
一方で、これは音楽的な趣味として、僕はもうちょっと違うハーモニーが好きで、どちらかというと、ゴスペルですね。
本当にアメリカの教会で、日曜日にドレス、その日の毎週日曜日に着るドレスを綺麗に着飾ってきた、黒人のおばあちゃんとかが、もうみんなが全身全霊で歌う。
それが合わさった時の響きの方に、僕はやっぱりハーモニーの感動を覚える、そういう音楽的趣味なんですよ。
それでいうと、そういったゴスペル的なハーモニーっていうのは、まさにあるがまま、自分のありのままの音をみんなが、
臆せずに出し合える場で、その時にそのありのままの音が重なった響きが、人の心を動かす豊かなハーモニーだと僕は感じていて、
自分としてはそういうハーモニーを奏でる場が、身の回りに増えていったらいいなという思いでやっています。
ここはあれですよね。杉田さんもちょっとおっしゃってた、好みの問題というか、どちらの美しさが自分にとってより好みか、みたいなことにすごく根付いているような話に、僕には聴こえたんですけど。
「いつか生まれる調和点をみんなで楽しく待とうよ」
そうですね。あとは、どっちに自分がいたいのか。管理された完璧な美を目指す場に、自分がそこに属して自分の能力を発揮したいのか。
そういう場が適した性格だったり、キャラクターの人はもちろんいると思うんですよ。
どっちかというと、僕は昔から多分、いわゆる多動タイプの子どもでじっとしてられなくて、
教室でも最後のあと何分で遊べるかな、みたいなずっとソワソワしながら、ずっと座っているのも苦手というような人間だったので、
やっぱりどうしても管理されている、コントロールされているということに対して、我慢できないようなストレスがあって、
そういう性格の人にとっては、僕はありのままが出せる場で、その人の能力が発揮されるんじゃないかと思うので、
どっちだけになるっていうことも必要ないと思ってて、ただ、どっちかというと、日本の社会って言ったらちょっと主語が大きいですけど、
何か管理して成果を出そうとする場の方が多いような気がしていて、
なので、実は僕、このハモラボのコンセプトブックっていうのをコロナ禍の時に作ったんですけど、
そこのタイトルが、ありのままが響き合う、ハモラボ。
このハモラボのロゴを表紙にしてるんですけど、このロゴは実は当時住んでいた神奈川の逗子の風景をロゴにしてるんですね。
つまり、最初このまっすぐな五線があるロゴを最初考えてたんですけど、デザイナーと相談して、
ハモラボが目指すハーモニーってまっすぐが整った五線ではなくて、この逗子の山だったり海の波だったり、
この砂浜だったりが曲線を描いている中で、でもこの自然って別に、それぞれがそれぞれにありのままに生きていて、
時々波に岩が削れたりとかぶつかったりもするけど、でも穏やかなまた日があったりで、
どこが正解でどこが不正解って、自然って何もジャッジメントしてないじゃないですか。
そんな中で、いつか生まれる均衡点を、調和点をみんなで楽しく待とうよっていうのが、
僕はそういうハーモニーの世界を自分の周りで起こしたいというか、自分がそういう場にいたいなっていう気持ちでやってますね。
経営と違って、本番がそこにあるじゃないですか
これお二人に僕から聴きたいんですけど、一方でそれしてると、時間がかかったりとか、
均衡点が見つからないままなくなっていったりとか、目指してる何かなしたいことができなかったりみたいなことが起きるってことが想像できちゃうじゃないですか。
これももはや未来を想像してるからあれなんですけど、その辺の話と、
例えば、アカペラグループで言ったら、舞台に立って最後は表現を皆さんの前でお金をいただいてしたりするわけじゃないですかっていう、
この辺のアウトプットとその辺との、この辺ってどうしたらいいんですかっていう相談を杉田さんと山田さんに。
山田さんからどうですか。
僕すごい経営っぽい話でいくと、前回も今回も話を伺っていて、やっぱりアカペラとか、あとスポーツとかもそうなんですけど、
本番が明確にあるものと経営って結構違うなってよく思うんですよね。その瞬間の勝負みたいなことって経営って櫻井さんも言ってましたけど、あんまないじゃないですか。
継続的な営みで、経営で言うと、時間軸長く待てる場合って、いつかは均衡するよねっていうことを待てるような経営の仕方をするんだって結構できるんだと思ってて、
例えばエールもそうですけど、外部から出資をいただいて、いつまでにこれぐらい成長したいですっていう前提で経営するときには、やっぱり時間軸結構ちゃんとセットした方がステークホルダーとみんなで幸せになれるよねっていう経営と、
やっぱり自己資本で長い時間をかけて経営しますっていうときって、均衡点先になってもいいみたいなのって、本番がない中だから時間軸伸ばせばできるっていうのかなって思ったんですね。
っていうのが櫻井さんの問いに対する僕の印象だったんですけど、逆になので杉田さんに僕も聴いてみたかったのは、本番そこにあるじゃないですかっていうのって、全然違うものな気がするんですよね。
そうですね。やっぱりお金をいただいてそのライブに来ていただいた方に満足してもらう、また来たいなと思っていただくっていうのが、それはもう絶対に果たさないといけないプロとしての最低ラインというか。
なので、もちろんその限られた2時間の中での、その日できるベストのパフォーマンスを目指すっていうのはもう全くその通りで、だからこそそのときにやっぱり、
例えば、MCでメンバーがすごいテンション上がって、ずっと話題を長く続けていても、やっぱりちょっと全体的にお客さんがだれてしまうんじゃないかって判断したらストップしたりとか、演奏じゃなくてMCの話で申し訳ないんですけど。
例えばそういった判断ももちろんします。だから短期的な考え方と長期的な考え方で考えてるかなと思うんですよ。
っていうと、期限が決まってたり、ここまでに成果を出さないといけないってものがあるときの判断と、ただやっぱりグループでも20何年もやってて、我々メンバーとしては一致してるのはもう生涯このグループを続けていこうよっていう
そういう思いでやってるので、そういうロングスパンで考えると、なんかこう。
そこはロングスパンなんですね。なるほどなー。
ちょっと自分は何か違うなと思っても、他のメンバーが出してきたものに対して、じゃあやってみようよっていう判断もできる。
なるほどなー。
で、ちょっと思うのは、なんかこれもやっぱり世の中が効率化であったり、無駄を省くとか、明確に線引きをして、
そっちの方向にすごく、そういう方向の判断が正しいとされつつあるような気がしていて、ずっとそこに自分は違和感があって、
そんな中で今出会ったのが、実は愛媛県西予市野村町の暮らしだったんですよ。
やっぱり都市部とは違う、ある意味非効率的と言われるような、
とりあえず月に1回町会で組って、近所の集まりがあって、集会場に集まると。
毎月27日の夜7時に、各家から1人はそこに行くと。
別に話すことなかったら5分ぐらいで終わるみたいな。
残る人は残る人で1000円ずつ出して、スーパーでお惣菜とか買ってきて、そこで飲み会するみたいな。
多分、都市部のビジネスマン的な考え方で言うと、
なんかそれ非効率じゃないとか、無駄じゃないみたいな、判断されるようなこともやっぱり継続していて、
それはやっぱりその会があることによって、地域の安否確認、高齢の方の安否確認だったり、
非常時だったり災害時に顔が知ってる、どこに誰が何人住んでる、どこの部屋で寝てるまでやっぱり、
なんとなくイメージできるとすぐ助けられたり、それは消防団の役割としてもそうだし、
効率非効率でいろんなものをカットしていくと、
本来の人間らしく生活してきたものがなくなっていって、
果たしてそういう社会に今後なっていって、自分は自分の子どもたち、未来が楽しく過ごせるのかなっていう疑問があって、
なので、長期的な目線で考えるっていうのも、一つ必要なんじゃないかなっていうのは、自分自身感じているところですね。
ここに長期、なるほどね……長期の視点を。
1つルールを決めたら、予定外のハプニングが楽しくなった
さっきの長期の話を伺ってて、この間知人の影を3代目で継いでる経営者の、同世代ぐらいなんですけど、方と話しててすごい面白かったのが、
何だったら自分があと50年経営してるかもしれないんだっていう前提で人を採用するときに、もうその人が将来どう生きたいかにしか興味がないんだって話をされてて、
今何をしたいかとか何ができるかとかじゃなくて、もう何なら50年やるかもしれない、自分が30年後も一緒に働きたい人かどうかっていうので、
どういう生き方をしたいかっていう人にしか興味がないんだと。っていう採用の仕方しかしてないみたいなことを言われてて。
僕スタートアップとかにもそれなりに身を置いていると、その時間軸で人を採るとかって絶対発想に浮かばないじゃないですか。
さっきの時間軸長く取って、それこそ、将来このグループでって話が本当なんか素敵だなと思ったんですけど、その時間軸持ってるからなされる対話の仕方とか、ある種聴き方の深さみたいなものってあるんだなっていうのが、
置かれてる前提の中での人との関わりってすごい違うんだなっていうのをさっきの話ですごい感じて。
なんかそれ、櫻井さんが本で表現していることの中にそういう表現ではされてないけれども、なんかそのより深いところを聴きに行くみたいなことって、
結構その想定する付き合い方みたいなことに結構影響されるんだなっていうのは個人的にすごい印象的でした。
ちょっと話が少しずれちゃうんですけど、さっき櫻井さんのお話をお伺いしていて、
ステージ上でメンバーが自分の想定の範囲を大幅に超えるような表現をし始めた時とかって、どう対処してるのかなっていう。
そこにイノベーションの種があったりとか、そこに何か想像得ないような面白さや感動があったりする可能性があるんだけど、そこに何かついていくのか、
何かどうするのかみたいなことってどうされてるのかなって。それこそ経営だとちょっと時間あるんで、
それなになにどうしたどうしたみたいな、何それしてんのみたいな、教えて教えてってなるんですけど、
瞬間でそれが起きた時ってどういうふうに対処されるのかなって。
それね、僕がむしろ瞬間的に思いついてやっちゃって。
自分がやる側だったんですね。
なるほど。
他のメンバーが対処してる側です。
そうなんですね。
そうなんですよ。一応リーダーという肩書きで名乗ってるんですけど、そういうタイプのリーダーのようで、本当に恐縮なんですけど。
やっぱね、ライブって、本当にこれも作り手とか聴き手の趣味の世界だと思うんですけど、
僕は完璧な演奏、それこそそれ、CDと一緒やんみたいな派で、
なんかその日にしかない荒っぽさとか、それこそ音のズレとかアラとか、
なんかこうもがいてる姿とか、でも立て直したぞすげーみたいな、
そういったところにやっぱライブ感を感じて、やっぱライブっていいなと思える派なんですよ。
だから決まった通りに、決められた通りに完璧にやれたらよし今日うまくいったぞっていう風にはあんま思わなくて、
なんかちょっとこう、事件を起こしたくなってしまって、予定にないことを。
起こしたくなる。
予定ないことをやっちゃったりするんですよ。
それはもう本当に僕のキャラクターで多動の子どもの頃からずっとそうだったんで。
で、そんな時にやっぱ昔はそれでまたメンバーと揉めて、
何してくれてるんだみたいなことで、後で怒られたりとかしてたんですけど、
もうなんかだんだん途中から、とはいえ他のメンバーもやっぱ失敗もあるし、
ミスもそうですよね。事件ですよね。意図せずに起こした。
でもそれも事件で。で、そういったことは絶対にライブであり得るとしたら、
その時にどうやってグループとして対処しようかっていう時に話し合ったのは、
あえて一個、このライブで何か仕掛けるのをオッケーみたいにしたんですよ。
なるほど。ルール化したってことですね。
そうですね。ちょっと何か一個誰か仕掛けようぜって。
で、それをみんなで面白がって乗っかろうぜっていうのをルール化したら、
そこから逆に何かが起こった時にみんながニヤッと笑って、
それを僕ら自身ハッピーな時間に変えられたんですよ。
失敗したり予定ないことが起こった時に、それをアンハッピーで起こるんではなくて、
お、来たねーみたいな。よっしゃーみたいな感じでみんながちょっとテンション上がる。
それを見てるお客さんもなんとなく盛り上がってくれてる気がして。
なるほど。
面白いな。
前にこのポッドキャストに出ていただいたソニック・ガーデンの倉貫さんが、
この間どこかで喋ってたんですけど、
あれ、エンジニアでアジャイル開発ってのをずっとやられていて、
ウォーターフォールっていわゆるガチプラン決めてその通りやりますみたいなのと、
アジャイルって作りながらどんどん作り足していこうってことっていった時に、
ウォーターフォールやってた時って変化が基本嫌なものだった。
計画をブレさせる要因だからっていうんだけど、
アジャイルになってから、良い想定外も悪い想定外もあるけど、
なんかハプニングに対して前向きに変化を受け止めるようになったって話を、
ウォーターフォールとアジャイルの違いでされてたんですよねっていうのと、
なんかすごい同じ話をされてるなって。
何か想定外が不幸な計画外じゃなくて、
悪い方にも行くかもしれないけどいい方にも行くかもしれないっていう、
可能性みたいなものと捉えるっていう話がすごい同じことだなって思いました。
答えは相手と自分の間にあるというイメージ
ハーモニーってどういう状態かっていう最初の話とだんだん繋がるんですけど、
結局何かがあった時に、
それを失敗した人を責めるとかっていうのって、
結局その自分とその人が別のやっぱり場に、
別の場にいるから自分の立場を守ればそれでOK。
間違った人は失敗した人で責められてる。
でも、バンドなんですよね。
バンドっていうのはやっぱり、
ハーモニーを作るっていうのは結局、
なんでそのハーモニーを作ってると幸せかっていうと、
自分と他の他者の間がだんだん溶けていって、
あたかも一つの生命体みたいになった感覚になれると、
すごく幸せな気持ちに満たされるんですよ。
その感じが僕はハーモニーがすごく、
すごくハモった時って本当まさにそうで、
自分の声から全員分の声が出てるような感じになって、
そういう場が僕は増えたらいいし、
そういう場にずっと居続けたいし、
自分の家族だったり自分の好きな人たちが、
そういう場に居てほしいなと思うので、
何かが起こったとしても、
それはもう自分の一部が起こしたことだから、
責めてもしょうがないっていうか、
受け入れ当然だし、また次に向かうっていう、
そういう世界を作ってきたなと思って。
今すごい最後の質問、もう時間きちゃったんですけど、
最後の質問で、今すごいなるほどって思ったんですけど、
これ僕本に1回書いたんですけど、
編集者からちょっと、
それは一般の方には分かりづらいんで、
やめましょうって言って消したパートがあって、
これが今言われたことで、
本当聴いていて、自分のジャッジなく、
その人が見えているもの、聴いているもの、感じているものを、
そのまま感じようとしている世界に入っていくと、
何か一緒になる感じがあるんです。
すごい瞑想的な感覚っていうか、
聴くってすごい瞑想的だなって思うんですけど、
何かそのと同じような話をされてるんだろうな、
でも聴くっていう話だと相手が主体で、
こっちがちょっと聴くっていう側なんだけども一体になる。
聴かれてる側もそうなんだけど、
もうちょっと双方向的な営みだなっていうアカペラって思った時に、
何かそのいわゆるハモってる状態、
一つになっている状態に向かうために、
何か意識しているというか、
意識的にやり始めてもう無意識になっていることも含めて、
何かこう行為としてなのか、あり方としてなのか、
そのハモる状態に向けて杉田さん自身がやられていることって、
どういうことがあるのかなっていうのを最後ちょっとお伺いしてみたいなって。
櫻井さんは聴くは一方的っておっしゃられたけど、
やっぱ本読んでると聴くっていうことが主体性。
そうですね、わりと能動的な行為。
そこはやっぱり同じだと思うんですよ、アカペラハーモニー作る時と。
結局どうやったら一つの生命体のような状態になれるかっていうと、
本当に最初の話に戻るんですけど、
相手の音も自分が出してる。
もうちょっと別の言い方をすると、
どこを選ぶのか。
経営判断でも音のどこの部分を狙うのかっていう判断をする時に、
その時の答えを探すじゃないですか。
答えをどこに見つけるかというと、自分の中でもなく、
相手でもなく、自分と相手の間に答えがあるっていうイメージで、
そこを探す。
意識してるのは、そういう感じですね。
なるほどな。
僕らが選ぶ次の答えは、
自分でも…
相手でもない。
相手でもない間にあるんだっていう意識で探していく。
とね、すごく結局やっぱね、自分が楽になるんですよね。
山田さんこれなんか、
よく組織の話をする時に、場の話とか、
社の話とかを山田さんよくされると思うんですけど、
みたいな感覚にすごい近いなと思って。
聴くも多分、なんか僕の中では近い感覚があって、
なんかその人の人生なんだけど、その人の人生じゃないっていうか、
なんかこう全体の中のその人の一部に、
一生みたいな感じで感覚が入ってくるんですけど、
なんか山田さんがよくその辺話される話とちょっと近いかなと思ったんですけど。
共に「場」や「間」をつくるという感覚
そうですね、このポッドキャストの本流じゃない話になるので、
簡潔にしますが、
やっぱりその日本人的っていう大変雑多な表現ですけど、
個人がすごい強い個としているっていうよりかは、
共に一緒に場とか間とかを作る、
みたいな感覚がやっぱり多めに持ってるんだろうなと、
この文化はって思った時に、
例えば僕ら今日3人いて、
そこの誰かが、杉田さんの出した案みたいなのが出れば、
なんか3人で話してたら決まったんですよね、みたいな感じとかってあるじゃないですかって、
多分なんかうんうんって言える感じあると思うんですけど、
それは要は誰が決めたの?みたいな感じにならないっていうのは、
間で持てるっていう感じは、結構文化的に特性はありそうだなって思っていて、
なんかその辺に通じるものはありそうだなっていうのが、
最後の話を伺ってて感じたところでしたね。
これちなみにアメリカのアカペラグループは、
もうちょっと場というよりは個の集合体に近い、
みたいなのあるんですか?
やっぱり西洋と東洋でのハーモニーの捉え方っていうのは、
違うんじゃないかなと思いますね。
いわゆるグレゴリオ聖歌とか、
の完璧なハーモニーをやっぱり美として作って、
クラシックとかのいわゆる名曲も、
その完璧の美を目指している。
なるほど、なるほど、なるほど。
一方でおっしゃる通り、やっぱ日本ってなんかちょっと違うなって僕も思ってて、
その辺を今後研究していきたいと思ってるんですけど、
ざっくり言うとやっぱ神社とかで、
やっぱりお祭りがあって本当に雑多で、
でもあれがその日本的なハーモニーで、
そうですよね。
ちょっとこれ長くなるんですけど、
産霊(ムスヒ)という神社のキーワードで、
産まれる霊、精霊の霊とかいてムスヒって言うんですけど、
つまり生命が起こりやすい状況、
生命が生まれやすい状況を作るっていうのが神社が、
場として目指しているところのようで、
やっぱりなんか日本的なハーモニーってなんかそういう感じなんじゃないかなっていう、
ずれも共有しあえて、
受け入れ合える、
八百万の神は自然に宿るっていうのはやっぱそういうところで、
みたいな、最後の最後で。
BROAD6のライブツアーが4月にあります
この話だけであと2時間ぐらい僕らできる大好きなやつなんですけどね。
そうですね。
途中から櫻井さんと僕もニヤニヤしてしまったのはちょっと話したくなってしまってたんですけど。
またいずれかの機会でぜひ。
残念ながらちょっと一旦そろそろいいお時間なので、
最後に杉田さんの前半後半を付き合いいただいて、
どんなご印象ご感想でしたかって一言お伺いしてもいいですか。
なんか櫻井さんとは本当久しぶりですし、
オンライン上の今会話ですし、
本当は実際会いたいなと思ってたんですけど、
ただでもこういうオンライン上でも、
山田さんは初めましてですけど、
なんかすでにいい場がここに生まれてる気がして、
やっぱりハーモニーを語り合える仲間にまた今日も出会えたなという心地です。
本当にありがとうございました。
ありがとうございます。櫻井さんなんかいかがでしたか。
いや楽しかったです。
なんか最後にこう前半からの流れが繋がっていく感じが、
すごい今日話したハーモニーの話をここでなんかこう、
体感してたような感じがすごく楽しいなというふうに思ってました。
ありがとうございます。
杉田さん最後によろしければなんか聴いてる方にご紹介、
ご案内したいことがあればぜひ言っていただければと思うんですけど。
本業といいますかライブ活動は続けておりますんで、
近々ですとこれねインスピじゃなくて、
インスピと同じハモネプでデビューしたラグフェアの、
中のジャズコーラスが好きな6名が集まって、
BROAD6(ブロードシックス)というグループをやってます。
そのBROAD6でツアーを4月にやるんですが、
今のところお知らせできるのは東京公演のみなんですが、
4月19日土曜日場所はコットンクラブですね。
丸の内で行います。
よろしければSNSとかで見ていただいて遊びに来てください。
ありがとうございます。
今日のハーモニーの話がリアルに体感していただけるという場ですね。
そうですね。
ではそんなところで前半後半を付けいただきまして、
これぐらいで今回のことは終わりたいと思います。
杉田さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。また会いましょう。
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