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アポロオフィシャル・ボッドキャスト ジョーブラグ志向
こんにちは、アポロです。
今日はですね、売り手になると見えなくなるコンテンツの本質というテーマでお話していきます。
もうすぐクリスマスですけど、お子さんがいる人はですね、クリスマスプレゼントを用意して、当日ですね、子供にプレゼントするんじゃないかなと。
まだ子供が小さい場合は、サンタさんを装って、夜中のうちにプレゼントを置いておいてですね、朝になって子供がね、そのプレゼントに気づいて箱を開けるみたいな。
そんな演出をする人もいるんじゃないかなと思うんですけども。
例えば、このプレゼントがですね、すごく大きな箱に入っていて、豪華なラッピングがされていた場合、子供はですね、すごく期待するわけですよね。
どんなすごいものをもらえるんだろうみたいな感じで、ワクワクしながら例えば箱を開けたとしますよね。
何か欲しいおもちゃ、プラモデルとかゲーム機とか入っているんじゃないかなみたいな感じで、期待して開けてみたら、中から出てきたのが百貨辞典だったみたいな感じだったら、
まあ、普通はがっかりしますよね。
おもちゃがもらえると思っていたのに、全然違うものだし、なんなら要らないものをもらったわけだから、当然嬉しいという気持ちよりも残念だという気持ちの方が勝つわけですよね。
だけど、見た目ですね、そのプレゼントが置いてあるタイミングではパッケージがすごくきれいにされていて、ものすごくですね、ワクワクするようなものになっているわけですよ。
だけど、このクリスマスプレゼントということを考えてもですね、子供が欲しいと思っているのはパッケージじゃなくて中身なんですね。
自分が欲しいものが中に入っていればパッケージはどうでもいいわけですよ。
それこそ箱とかがぐっちゃぐちゃになっていても、自分の欲しかったおもちゃが手に入ればそれでいいわけですね。
だから重要なのは何がもらえるのかということであって、それがどういった形で提供されるのかということは、極論言えばどうでもいいということなわけです。
これはコンテンツ販売でも同じで、ビジネスを習い立ての人とかをよく聞くと思うんですけど、お客さんはですね、商品が欲しいんじゃなくて結果が欲しいんですよということをよく言われるわけです。
特に無形商品に関しては、例えばデジタルコンテンツとかはそのものを欲しいという人は少ないわけですね。ほとんどいないと思います。
そうじゃなくてそのコンテンツによってもたらされる結果が欲しくてそれを買うわけです。
だから極論言えばですね、その結果さえ手に入ればコンテンツは何でもいいわけですよ。
どんな内容で、例えばどんなデザインがダサかったりとか、その中での喋りが下手くそだったりとか、たどたどしかったりとか、だったとしてもその欲しい結果さえ手に入ればそれでいいわけですよ。
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コンテンツっていうのはある意味薬みたいなものなんで、病気になった時にその病気を治すための薬みたいなものなんですね。
お客さんが問題を抱えていてその問題を解決したいと思っている。その解決策として提供するのがコンテンツなわけなので、当然効き目がなかったら意味がないというか。
だから薬として考えるのであればですね、例えば薬のパッケージがすごく洗練されていてかっこよくてオシャレだけど全然効かないみたいな薬があったら、いらないですよね。
それよりはパッケージは平凡だしダサいしみたいな感じだけどもめちゃくちゃ風邪に効くとかね、自分の病気が治るみたいなものだったらそっちのほうが欲しいと思うわけですよ。
だけどこれがですね売り手になってしまうとこういう視点で考えることができなくなる。変なところにこだわってしまったりとかして、でもそのこだわりって本当にいるんですかということですね。
例えばその売り手目線、買い手目線みたいな話をしたときに一番わかりやすいのがボリュームです。
例えばPDFレポート500ページですとかね、動画コンテンツ10時間ですみたいなことがあるわけですけど、極論言うとそんなものはいらないしむしろもっと短い方が使う側として、利用者の側としてはありがたいわけですね。
10時間の動画コンテンツ見たくないよって思っている人はほとんどだから。でもやっぱりそういう風にしないと売れないし、そういうものに価値を感じる、たくさん学べるんだっていう人を集めたい場合はやっぱりボリューム推しみたいなことも必要にはなるんですけど、ただ本来求めているものはそういうところではなくて、その先に得られる結果なわけですね。
だから僕も過去にいくつもコンテンツを買ったことありますけど、例えば動画としてのクオリティはめちゃくちゃ高いと。編集も上手だし、おそらくスクリプトもちゃんと作り込まれていて、すごくそのパッと見のね、表面的な価値っていうのはすごく高い動画コンテンツがあるんですね。
だけど中で話していることが非常にありきたりで一般的で、全然価値を感じないようなわけですね。ってなるとやっぱりちょっとこっちも不満というかね、なんか全然ためにならなかったなみたいな、時間の無駄だったなみたいなことになるわけですね。
だから僕たちは決して、例えばこのコンテンツ編集がすごいオシャレだからとか、なんかすごいね、スクリプトが作り込まれていて綺麗な喋り方をしているからとか、撮影環境が良くてカメラの画質がめちゃくちゃいいからとかね、そういう理由でコンテンツを買うことってまあないじゃないですか。
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そんなことよりは、まあね、手っ取りバイクの自分が今抱えている問題を解決してくれるものを欲しいと思うんですね。だからそれが売り手と買い手の乖離みたいなもの。売り手視点になるとそういう視点で物事を考えられなくなってしまうわけですね。
いらないこだわりみたいなもの。そのこだわりって本当に必要なんですかってことですね。
例えばさっきの薬の例で言うならば、この薬はね、弊社の例えば研究部門が10年以上研究して、何度も何度も実験を重ねて作った薬ですと。だけどもう全然効かないみたいな。
だったら、そのこだわりいらんよってなるわけじゃないですか。うちのラーメン屋はね、スープにこだわってます。天使がね、ネルマンも欲しいんで、スープを開発してこのラーメン作りましたって言われたけども、全然ラーメンが美味しくないみたいな。
ってなったら、そのこだわりいいからってなるわけじゃないですか。こだわりなくても美味しいラーメンの方がいいと思うわけですね。
だけどコンテンツになると、そういう本来求められていないようなところに非常にこだわってしまったりとかして。
もちろんそれがないよりはあった方がいい。
ベタザナシングって考え方ですけど、別にそこを求められているわけではないんですね。
だから本来求められているっていうのは、相手が欲しがっている結果を相手にもたらすことができるってことなんで。
簡潔にわかりやすく伝えてあげて、相手がそれを学んで実行してうまくいったってなればですね。
正直、例えばカメラね。スマホで撮影してるとか、マイクも安いマイク使ってるとかね。でもいいわけですよ。
喋りもあんまりうまくないしみたいな。見た目もそんなね、なんかイケメンでも美女でもないしみたいな。
だけど欲しい結果は手に入る。だったらそれでいいわけです。
なので、必要以上にですね、売り手視点になって、いらないこだわりではないんですけど、
本来求められていないようなところにこだわってしまうと、さっきのラーメンみたいなことになるわけですね。
だったらおいしいラーメン提供してよって。
自分はこの店においしいラーメン食べたくて来たのに、ラーメンはまずいけど店主はやたらこだわってるみたいなことだったら、そこにズレが生じてきてしまうので。
本来このコンテンツっていうものはですね、何を求めてお客さんがお金を払うのかってことをしっかりと考えていく必要があって。
なのでやっぱり売り手視点になってしまうと、そういう変なこだわりとかね、っていうものが出てしまって、
でもそれって別にあってもなくてもどっちでもいいとかね。
むしろさっきのボリュームとかっていうところで言うならば、多すぎることが逆に相手にとって負担になったりとかするわけですね。
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PDF 500ページだったら、そんなに読まなきゃいけないんだったら読みたくないとかね。
読んだけどものすごい時間かかったとか。
であれば、もっと簡潔にまとめてあげるほうがよかったりとかするんで。
なので、本来求められているものは何なのかってことをしっかりと考えて。
どんなに洗練されたコンテンツが作れても、中身のない薄っぺらいコンテンツで、全然相手の問題が解決しないのであれば、
それはやっぱり価値としては低くなってしまうんじゃないかなと。
表面的な見た目の価値としては高く思えるかもしれないけども、
でも本来相手が欲しいと思っている結果をもたらすことができないわけなので。
どちらがコンテンツとして価値が高いのかってことを考えて。
そして買う側が何を求めているのか。
そういったこだわりを本当に欲しいと思っているのかってことも、ちゃんと考えながらコンテンツを作っていかないと、
やっぱり浮いて目線、回転目線みたいなところのズレが生じてきてしまうということなので、
気をつける必要があるかなと思います。