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松尾潔のCatch Up ボビーブラウン55才の誕生日
2024-02-05 11:24

松尾潔のCatch Up ボビーブラウン55才の誕生日

音楽プロデューサー 松尾潔
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毎週月曜日のこの時間は、松尾潔のCatch Upです。
さあ、松尾さん、この時間はどんなテーマでしょうか?
はい、今日はですね、今の50代以上の方にとってはかなりお馴染みの存在かと思います。
ボビーブラウンというR&Bシンガーの方のお誕生日なんですね、今日で。
55歳、2月5日で55歳と行うので、ボビーブラウンさんのお誕生日を祝いながら、彼の音楽的な奇跡をご紹介したいなというふうに思っております。
松尾さん、同世代ですか、じゃあ?
そうですね、そうなんです。
全くそうでありまして、ボビーブラウンさんが日本で人気がバーッと爆発したのは1988年のことだったんですけどもね。
まあ、くしくも日本で言いますと昭和の終わりぐらいになりますね。
そうですね、翌年は平成元年ですもんね。
そうなんです。実際、ボビーブラウンがアメリカで人気爆発が88年で、日本では89年という見方もあるんで、そういう意味だと、平成期の始まりのスターという言い方も可能ですね。
ボビーブラウンは音楽だけじゃなくて、歌って踊って、あとファッションもかっこいいっていうので、当時ボビーブラウンを真似する人たちも日本中に出現して、
ボビオなんて言い方もあったぐらいですね。
要は、黒人カルチャーっぽいファッションを身にまとう人全般をボビオって言ってたぐらいで。
それこそクルメが生んだLLブラザーズという人たちがいますけれども、
あの人たちの人気もボビーブラウンに対する日本側からの回答っていうふうな言い方もできるかと思いますが、当時のね。
そのボビーブラウンっていう人はどういう人かと言いますと、もともとボストンの中心でありまして、
ボストンって言うと皆さん、例えばハーバード大学とかマサチューセッツ工科大学とかあるような文教地区的なイメージ。
あるいは、かつて松坂選手が活躍していたようなこと。
アメリカにおける京都みたいなイメージかもしれませんが、行かれた方はわかるかもしれませんけれども、
ボストンの南の方というのは、アフリカアメリカの人たちがたくさん住んでいて、
割とストリートカルチャーが生まれるようなタフな場所だったりもするわけですね。
そこで結成された、黒人少年ばかりのグループがニューエディションっていう人たちで、ここのメンバーだったのはボビーブラウンなんですね。
このニューエディションという人たちは、1983年にビビったんですが、大人気で、マイケル・ジャクソンが兄弟グループとして活動していたジャクソンファイブ。
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このジャクソンファイブが、マイケルのソロとしての大成功に合わせて、グループは回転休業状態になっていくわけですけど、そこの後継グループとして出てきたようなところがありまして。
実際のところ、ジャクソンファイブのカバーもやったり、レパートリングも入ってたりしたようなグループなんですが、
これは、すごい興味深いのは、ボビーブラウンを含むニューエディションをプロデュースしていたのが、モーリス・スターという、やはりアメリカ国人のプロデューサーなんですね。
もともと本人は歌手だったんですが、この人とこのニューエディションっていうのは、ギャラのことをめぐって、結局すぐ分裂しちゃうんですよ。
プロデューサーと。
このプロデューサーのモーリス・スターっていうのは、非常にしたたかな人でありまして、じゃあ次はこのニューエディションでやったことを、今度は白人少年でやってみようってことで、
ボストン中心のエリアの白人の、黒人カルチャーが好きそうな白人の男の子たちを集めて作ってデビューさせたのが、ニューキッズ・オン・ザ・ブロックなんですね。
ニューキッズ・オン・ザ・ブロックは日本でも一世を踏みましたけれども、そういったもののルーツにあたるニューエディションっていうグループの中の、男の子のグループがあると、ボーイズバンドっていう、アメリカでもイギリスでもありますけれども、
ちょっとね、バッド・ボーイって言われてる、ヤンチャーな男の子の枠が一個あるんですね、グループの中で。ボビーはまさにそこにいたんですね。で、それを昔から見て、かっこいいわねと思って見てたのがホイットニーヒューストンでありまして、これはボビーブラウンが後にソロスターになって、
ホイットニーヒューストンはボビーより年上なんですけれども、デビューはボビーのが先なんで、ちょっと年上ながらにも若くてヤンチャーなボビーブラウンに憧れもあったみたいで、後に二人はスーパースター同士の結婚をしてね、これは日本でも話題になりましたけれども。
で、ボビーブラウンはその、さっきもお話ししました、ニューエディションっていうのデビューした後に早々にグループから脱退するんですね。もう3年後にはソロデビュー、86年にソロデビューするんですが、88年に出した2枚目のアルバム、Don't Be Cruelっていうので大爆発しまして、それで世界中にボビーをブームっていうのが沸き起こるわけなんですが、
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ごめんなさい。
大丈夫ですか。
大丈夫です。で、その時のボビーブラウンの音楽を手掛けていたプロデューサーっていうのが、テディーライリーっていう人と、あとベイビーフェス、エディ&ベイビーフェスこういった人たちで、この人たちが作った音楽を、当時ニュージャックスイングっていう。
ジャックっていうのは、あちらにおける少年の一般的な呼び方ですね。男の子ジャック、女の子ジルって言い方しますけど、いわば若い男の子たちのスイングっていう、新世代のダンス音楽、その機種としてボビーブラウンが注目されて、ただそのニュージャックスイングブーム、そしてボビーブラウンブームっていうのもそんなには長く続きませんで、
90年代の前半ぐらいには、そのブームも継いだ感じがあり、どちらかというとその後はホイットニーヒューストンと結婚して、スーパースターホイットニーに依存している悪い旦那みたいな、
そういう、ホイットニーがどんどん死生活が乱れていくのは、ボビーブラウンと結婚したせいだ、みたいな、そういう文脈が出来上がってしまうんですね。
結局二人はその後セパレートしてしまうんですけれども、そしてホイットニーヒューストンが非常に悲惨な最後を遂げてしまったということで、ボビーブラウンの悪いイメージがどんどん強固になっていくんですが、
必ずしもそういったことだけが理由ではなかったというのは、ホイットニー自身の崩裂な人生というのも後にされていきますが、もったいそのボビーブラウンですけれども、一度は離れたニューエディションに復帰してみたりとか、
ニューエディションの他のメンバーもそれぞれソロ活動ですとか、別ユニットで成功を収めてまして、ある種再結成、リユニオンっていうのは、アフリカンアメリカンのカルチャーにおける大きなイベントになってまして、
彼らの電気ドラマがテレビで作られたりですとか、去年から再結成ツアーで非常に大きな規模でアメリカを回ったりしてますし、そういう意味では多分日本でボビーブラウンというと、昔流行ってたねっていうイメージの方多いと思うんですが、今もショービズの第一線で活躍していらっしゃるということはここで強調しておきたいですね。
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今歌って踊る人っていうと、例えばブルーノマーズなんていう人はなくても、ブルーノマーズの楽曲、とりわけフィネスっていう曲なんかもボビーブラウンへのオマージュとかも言われてますし、今改めてこのタイミングでボビーブラウンを聴いてみるっていうのも悪くないんじゃないかなと思って今日ご紹介いたしました。
はい。それが日本のポップスにも影響を与えましたもんね、その後90年代。
そうですね。
それこそSMAPの頑張りましょうなんていうのが、ニュージャックスイングへの日本からの最も優れた回答の一つかと思いますね。
はい。ということで今回はボビーブラウンの特集、松尾さんに解説してもらいました。音楽プロデューサーの松尾清さんでした。
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