原っぱと遊園地の概要
ウェスティナレンテ、この放送は、SWC、ソロスウィズクリエイターズ、コミュニティメンバーのマスコットがお送りします。
今日のテーマは、原っぱと遊園地ということについて話をしていきたいと思います。
昨日ですね、ゆのうとるさんとのまさんが、スタンドFMで対談なさっていて、とても面白かったし、なんかワクワクする展開があったので、楽しみだ。楽しみだなというふうに思っています。
その中で、僕は建築家なので、ゆのうとるさんのパ作りとか空間作りみたいな話がとても興味があってあります。
聞いているときに思い出したというか、そこでこういうことも繋がるかもなと思ったのが、原っぱと遊園地というタイトルの本を思い出しました。
これを書いた方は青木純さんという建築家の方なんですけれども、一番有名なのは表参道のルイ・ビトンとかを設計させた方で、かといってハイブランドのものも多いんですけれども、それだけじゃなくて住宅作家としての作家としてもとても有名な方なんですよね。
その方が書いた本でも20年とかもっと前か、結構前になるんですが書いた本があって、それが原っぱと遊園地というものです。
その内容について話していくんですが、原っぱというのはまずどういったものを指しているかというと、よくドラえもんのみんなが集まっている公園をイメージしていただくと一番近いと思います。
土管が3本とか転がって重なっていて、そこに雑草が無雑草に生えているような、いわゆる空き地というか、そういったような空間のことです。
遊園地は別にディズニーでも何でもいいんですが、そういったものをイメージしていただければいいと思います。
何を指しているかというと、遊園地というのは、例えば美術館でいうところの荘厳な美術館のことを指していますね。
いかにも格式が高いような作りをした美術館って結構多いと思うんですよね。
なんとか風って、いろんななんとか風って、ヨーロッパの西洋の影響を受けた建物というのはたくさん日本にもあるんですけれども、そういったものが今でも多いですし、
現代の美術館にしても天井高がどーんと高くて、いかにもこれから美術館にあなたが入るんですこう、
気持ちを整えて、ぜひこの素晴らしい作品を見てくださいと言っているような美術館ってすごく多いんですよね。
そういう美術館を遊園地として例えたんですよ。
比喩ですけどね。つまりいかにも今からこの行動をしてくださいとか、こういうところに入ってくるんですよということを示した建物ですね。
のことを遊園地というふうに言っています。
青木さんは一方、原っぱというのはどんな空間かというと、原っぱというのは目的が決められていない空間のことですね。
その中の事例で出していたのが、小学校が廃校になって、そこで展示会とかギャラリーのように使って、
空間の変化と自由度
現代のアーティストの方たちがその空間を活かして、インスタレーションとかと言われるようなその場ならではの作品を作ったりだとか、
その場ならではではなくてもその空間の質に合うような展示を考えて作ったというのが原っぱということを言っています。
つまり目的はそもそも小学校なので、小学校というのはもともとめちゃくちゃ機能的に作られているわけですよね。
子どもたちがいかに例えば窓の大きさとかで光がどれくらい多く入った方がいいかとか、
あとは机が今だったら30人とかが多いと思うんですけど、昔とかだったら40人のクラスになるので、
その机の大きさから教室の大きさが決まっていったりだとか、そういったようにいろいろありますが機能的に決まっているわけですよね。
小学校というのはもちろん小学生たちがのびのび生活できたりだとか快適に過ごせるような機能的に空間になっていますよね。
だけどその小学校という機能を失ったわけじゃないですか。廃校になったので。
なので本当は小学生を受け入れるための空間だというふうになっていたんだけど、
そこに美術、アートの作品が入るということによって、そのもともと持っていた目的とは違う空間になったんですが、
そのことによって緩やかな自由度ももちろんありながらも、そこにより魅力的な空間、そういう空間の方がより魅力的になるんじゃないかなということを話しているんですよね。
つまりハラッパのように、ハラッパというのは土管が2,3本落ちていても、そもそもそれは別に遊具として作られたわけじゃないですよね。
滑り台だとかブランコとか、そういったものというのは遊ぶものを規定しますよね。
こういうふうに遊んでくださいというのが基本的にはあるし、それに沿った遊び方をするんですが、
土管って別に、そもそもどこかの水道で使うためにあったものを、これいらないから置いとこうみたいなことなので、機能が違うんですよね。
だけど、そういうもともと持っていた機能と違うことの方がすごい豊かで、
そうすると遊び方を規定されないから、だからじゃあ何をしようかという自由度が増して、
さらに言えば、別に真っさらなことがいいわけじゃなくて、それは土管があるから良くて、
じゃあ土管でどういう風に遊びをしようかという、どういう遊びをしようかということを想像力を豊かにして遊べるものみたいなのが置いてあるということも重要だとは思うんですけれども、
そういった何かをするための空間とかというのではなくて、というのは実はそんなに豊かではなくて、
それよりも何かを決められていないもの、だけどその場所があったりとか、
何かその遊び方をさらに違う遊び方を思いつくような、誘発するような種があるような空間のことの方が魅力的だよねということを話されています。
自由なコミュニティの重要性
僕の解釈もちょっと入っているので、少し本物とは違うかもしれないですけど、本物というか本当の内容とは少しずれるかもしれないですが、
でもそういうことを目指しているんですよね。
それを実際に実践として青木さんはなさっていて、美術館だったりとか住宅でもそういう考え方を元に作られています。
だから一見すると青木さんの建築というのはすごくわかりにくいんですよね。
なんでこれこうなっているんだろうみたいなことを論理的に、もちろん解説なさっていますが、僕は理解できない部分も結構多いですね。
でもだからこそそこに自由さというか余白があって、それがすごくより心地よくて、
それによってまたその新しい空間をより楽しめるというか、そういう部分が大きいような気がしています。
さらに動線体ということも青木さんは本の中ではないですけど、もう少しアラパーという園地が出る前から話されている考え方で、
そもそも廊下とか、別に廊下じゃなくてもいいんですが、空間の中に主従関係ってありますよね。
家の中でいうところのリビングと廊下というのにはヒエラルキーみたいなものがあって、
本来はリビングはそこでくつろいだりとかする場所、廊下はただ単に通る場所ですよね。
その動線体、何も目的がない空間こその方が魅力的なんじゃないかという、さっきのアラパーにも通じるんですが、
別に単純に廊下を大きくするとかじゃなくてそういうわけじゃないんですが、そういう名前を規定したものみたいな、
そこでやることが決まっている。
例えば寝室ってそこの平面図に書いたらそこは寝る場所っていう風になりますけど、
そうじゃなくてもっと許容できるような、どんな場として使ってもいいよみたいなことを表現したりとかしている場所があります。
ちょっと説明がわかりにくいかな。
そういう感じのことも話されていて。
とにかくちょっと戻りますと、原っぱと遊園地みたいな考え方があって、僕はそれがすごい素敵だなというふうにずっと思っています。
さらに言うと、これも前、両太郎さんが伊藤さんの日記というか毎日書いているブログの話でなさっていたときにもそのことを僕は思ったんですよね。
伊藤さんと青木純さんの対談もなさっているのが、多分昔ののでまだ残っていると思うんで。
伊藤さんのその話にも通じるんですよね。
後編の話を伊藤さんがしていたときに、これも原っぱと遊園地って結構通じるなと思ったんですよね。
いつかそのことをノートとかまとめようと自分の中でも思っていたんですけど、
どういう話をしていたかというのを忘れちゃったし、どの記事だったかというのもちょっと忘れちゃったんで、
あれなんですが、その話とも通じるんですよ。
伊藤さんの考え方ともすごい共感する部分がある青木さんの話だと思います。
だからそういう、なんて言うんでしょうね、
作られた、昨日も両太郎さんの話の中で作られすぎた世界観というのはある種生き苦しいというか、
自由度がないからそういう部分があるかもしれないという話みたいなことをなさっていたので、
それは通じるなと思いました。
遊園地を目指しているのではなくて、原っぱを目指しているんですということだと思うという解釈もできるかなというふうに思ったんですよね。
確かにそう、それは実は僕結構いろんなところに通じると思っていて、
建築だけの話じゃなくて、空間的なそういったもの以外にも、
コミュニティに対しても僕は結構通じるなというふうに思っているんですよね。
例えば遊び方を規定するような、いろんなコミュニティでNFTをやっている時から上手だなと思っている人というのは、
基本的に多いなと思うのは、種の出し方が面白いですよね。
遊び方を規定した遊具をこうですというふうに言うんじゃなくて、
割と遊び方が自由なものを提案させていて、
建築さんとかもそうだと思うんですよね。
この間建築スピークでも話されてたかなと思いましたけれども、
長く遊べる、マリモとかもそうですけど、大きくなるという、
汚くなる、水を変えないと汚くなるという変化をすることによって、
原っぱと遊園地の違い
NFTって本来一番わかりやすかったのは、投資とか投機的な目的で購入される方もいたんですが、
それって盛り上がった時はお金が高くなりますけど、盛り下がっちゃうとやっぱりどうしても低くなりますよね。
つまりそういうものとして、例えばNFTとして一枚の絵としたら、
そういう風になりかねないというか、なっても当然あり得るし、
それが一般的普通だよねというのがあると思います。
が、マリモみたいにずっと大きくなるとかっていうのがあることによって、
長いスパンで物を見ているからこそ、そういう風に楽しめるような仕掛けをなさっていて、
スロースもそうですよね。それこそメタマスコットみたいな感じで、
誰もが衣装を作れることによってずっと遊べるという、長く遊び続けるみたいなものなので、
しかも大事なのが、マリモに関しては水をやるっていうことなので、決まっている遊び方ではある。
ただ一方で、不確定要素も入れていると思うんですよね。
どのくらい大きくなるんだろうっていうのがわからなかったりだとか、
あとどれくらい汚れていくんだろうとかっていうのもわからないし、
水をやるやらないという選択肢によってどうなっていくかということが変わっていくので、
そういった意味では遊園地のように遊び方を規定しているというものではなくて、
割と原っぱに近いような、そういった遊び方が一つに規定、固定されないような優遇、
優遇とまでいかないかな、そういった種を出されているんだと思うんですよね。
スロースもそうですね、わかりやすいですよね。
ただ単に着せ替えができるというだけだったら、もしかしたらバリエーションで、数で限られてしまうんですけども、
そこでコミュニティのメンバーとか、そういったスロースが好きな人が実際に作ったりとか、
することができるということによって、無限に可能性があるというか楽しみ方があるわけですよね。
そういった意味では本当に決められた優遇ではなくて、
それも原っぱのような使い方を規定しないような遊びを提供してくださっているんだと思うんですよね。
だからそういうのにも通じるし、コミュニティの中でもそういった試作を出すときに、
別に遊び方を規定する。ある種、投資とか投機とかというのも一つの遊び方を規定しているものですよね。
有印地的な試作であって、
それはもうお金を、そこでいかにリターンというか多くしてお金を稼ぐかという遊び方が一つだけなので、
だけどトークンの本来って結構原っぱな部分も大きいと思うんですよね。
ちょっと無理くりな部分もあるかもしれないですけど、今話しているのは。
いろんな意味を含むじゃないですか。
トークンを配るということは、ありがとうという感謝の意味のトークンもあれば、
頑張ったねという勇気を称えるトークンもあればという。
あとは、普通に応援したいよという気持ちでトークンをあげることもあるしという。
トークンというのを一つトークンにとっても、いろんな意味を含まれるわけなので、
ある種遊び方が、ルールが一つに決まっていないようなものにも近いかなという意味では、
割と原っぱ的な、そういった遊び方なのかなというふうな気もしています。
ですがやっぱり投資統計というものを入ると、
そこには確実に遊園地的な規定するもの、遊び方になってしまうから、
それが入り混じっている、だからトークンのコミュニティが難しいというのは、
ある種原っぱと遊園地が入り混じっているからこそ難しいみたいなふうな捉え方もできるかもしれないです。
コミュニティの役割
ちょっと無理矢理かもしれないけど。
でもそういうふうに考えると面白いなと思っていて、
ある種作り込まれすぎたものというのは、やっぱりそこには不自由さを僕も感じるし、
建築家の人って、この間ユフさんがディズニーランドちょっと苦手だって話をされていましたけど、
建築家の人はディズニーランド嫌いな人多いですね。
なぜかというとあれもフェイクなんですよ、ほとんど。
わかると思いますけど、例えば岩みたいな感じだけど実際は岩じゃないし、
FRPとかそういった強化されたプラスチックなんでね。
そういう意味である種作られた世界であるので、
そこでフェイクの素材を使っているというのもありますけど、
そこでね、だからやっぱりあれを受け入れられないっていう人も多いんですよね。
実際そういうふうに言われてますが、僕はディズニーが好きでね。
今度は家族でディズニーに行くんですけどね。
ディズニーランドとディズニーシート、あとファンタジースプリンクスか。
行くんですけどね、また。
僕はね、純粋にそういうのを楽しむっていう感じでね、建築的な目線で。
建築の人は基本的に建築の目線で常に見るので、
見ちゃう部分もあるんですけど、それで覚めちゃうみたいな斜めな人が多いんですけども。
そこはね、そうじゃなくて全力で楽しむことを優先して、
そうそう、僕は言いますけどね。
だから一概に遊園地って全部ダメだよねっていうわけでは僕もないと思うんですけど。
でも切り替えてどういうことなのかということは、
メタ認知にも近いですけど、考えながらそこに接していくというか、
そういう場所にいる、オンオフじゃないけど、それを楽しむ時もあってもいいし。
でもやっぱり基本的には原っぱの方が魅力的だよねと思って、
行動するのもいいなというふうに思っています。
はい、今日は建築の話を絡めて場作りとかそういったことを話したくて、
ちょっとわかりやすく伝えられてたかちょっとわかんないですけども、
原っぱと遊園地という話をしてきました。
今日も最後まで聞いてくださりありがとうございます。
それでは皆さん、スロースロースロース。