主戦場への移行
ウェスナレンテ、この放送はSWC、スロースイーズクリエイターズコミュニティメンバーのマスコットがお送りします。
今日はですね、いつかは実家を離れ、あなたの主戦場へという野間さんが、昨日か一昨日とかに収録してサンドFMに対して考えたことを話したいと思います。
まずですね、まだ野間さんのこの放送を聞いていない方は、聞いていただきたいです。
これもうめちゃくちゃ刺さるというか、わかるわーというか、わかりすぎるわーって感じで、内容は聞いていただいて欲しいんですが、野間さんが両太郎さんと話をしていて、
本来SWCにいるけど、主戦場、自分がやりたいということ、100%やりたいということはSWCの中にあるわけじゃないという人が割と多いんじゃないのかなというような話でした。
そういう人たちが、いつかはそれぞれのトークンコミュニティみたいなのを作って、そこでいろいろ盛り上がって、またSWCに戻ってこれたらいいよねというような話をしてくださっていました。
僕も本当にその通りだなというふうに思っていて、ちょっと本当はそこでコメントで返そうと思ったんですが、ちょっと話があんまりまとまってないし、ちょっと長くなりそうだったので、なので収録しています。
本当わかりすぎるなぁと思って、中年危機の話もなさっていましたが、僕の父もありました。
ちょっとここで話すには重すぎるので、でも実際そういうことはあったわけじゃないけど、そういうことを考えていたということを、僕はある程度最近になって父から聞いて、僕はその時当時は全く気づいていなくて、それ自体も良くないというか、気づいてあげれなかったなと思ったんですけど、そういうことがあったそうです。
今は全くそういう状態では父はないですが、やっぱりそういう中年危機というものを持っていたというのがあって、そういう状態にならないためにもやっぱり自分のトークンコミュニティを作るというわけではないですが、やりたいことを本当にできているかとか、みんながみんなそういうふうにできるわけでは本当はないという部分は僕はあると思うというかそうだと思うんですが、
自分のトークンコミュニティを作っていくタイプですし、あとはそもそもそれを自分で作っていくタイプじゃなくて、応援していくということが好きな人もいると思うので、そういう人もいてもちろんいるんだと思います。
僕に関して言うと、ふわりちゃんの活動をしていて、今活動していると言ってもハイパー企業ラジオを毎週の予習復習漫画を作っているぐらいではあるんですが、そういう活動をしていて、僕自身それが嫌いではもちろんないんですよね。
やっててある程度楽しいというのもあるし、自分も学びがあるので、自分のためにもやっている部分も大きいです。
ただ、実際今自分が漫画を作ったり、椅子を毎日作ったりしていることの方が楽しいなというのは思っています。
だからこそそういうトークンコミュニティが作れたなというのもぼんやりとは思っていて、ただもちろんそれは今現状現実的ではない。
だからSWCでリアクションしてもらえていることに甘えている部分もあるのかなというのは思っています。
ただただ手長びっていますね。
ただ、そういうこともSWCの方は理解してくれているのかなというのも思っています。
だからどうしたらいいんだろうというのはずっと考え続けていることです。
野間さんが話されていたようにみんな素敵な物語を持っているから、
中年危機の話
本当は持っているのでそれを自分で物語を広げていくというか、
一緒にやっていく人たちをどんどん増やしていくというのをやっていけるといいよねということは僕も本当に思いますし、
その方法として世の中の風の谷のプロジェクトを応援することで、そこから広げていこうという考え方もすごい分かりました。
ただ、さっき僕はそういう自分の漫画とかSWCのトークンコミュニティ作れたらなというふうに言ったんですが、
本当はそう思っているのかなというのも実際よく分かっていない部分があって、
今からは結構まとまっていない話になるんですが、ちょっと話しますね。
僕は百姓的建築家というのをTwitterとかいくつかのプロフィールとかにも書いていて、
これ何かというと、落合陽一さんの日本最高戦略という本があるんですけど、
ご存知の方も結構多いと思いますが、結構落合さんと同い年だし、
地名とか全然違うんですが、すごい好きな考え方なので、僕は結構いろんな本を読んでいます。
ただ難しいのでちゃんと読めていない部分は多いんですが、
日本最高戦略の中で、これから重要になるのが百姓的な生き方だということを話していて、
百姓的なというのは農家というふうに、農民というふうに思うかもしれないんですが、
昔の意味では百の成り合いを成すことを目指していたということが百姓という意味で言っていて、
農家の人というのはお米も作れば家に帰ってからカイコとかで作ったりとか、
牛とかも飼ったり、楽能的なことも一緒にやったりとか、
いろんなことを一緒に、お米以外のこともやっていたという部分から百姓というふうに見当たったと思うんですけど、
実際に大塚屋さんは、堀江さんとか自分もいろんなこと、一つの肩書きでは収まらないような、
いろんなことをやっているから百姓なんだよということを話されているんですよね。
大塚屋さんだったら大学で教えつつ、メディアアートとかもしつつ、会社も経営していて毎日違うことをしていると。
こういう人がいけているんだよという話をしていて、僕も本当にそれがいいなと思っていて。
その利点というのは、いろんな仕事のポートフォリオマネジメントをしているので、
コモディティになる余地がないというふうに書いてあって、つまりは何か一つの職業だけやっていたら、
急に例えばAIとかの発展によっていきなりその自分の仕事がなくなったりとかして、
一つだけをやっているということは、すごいそれを極めるという利点もあるかもしれないけど、
そこでこういう今の時代がなかなか読めない、こういった時代において、
それをやっていたときにAIとかに奪われたりとか、その他にもそういう新しい技術によって代替されてしまうみたいなこともあると思うので、
百姓的建築家の概念
そういうリスクよりもいろんなことをやっていれば、例えばそこがもうAIによってもう必要なくなったとしても、
他の部分に持っていけるというか、他の部分で仕事をすることができるのでいいよという話をしていました。
だから僕はそれはいいなと思って、そういう百姓的建築家という名前というか、そういうのをつけていたんですよね。
実際今は建築の仕事もしていて、ただ僕はあえて、あえてというかいろんなことをやりたいという部分が、
百姓的な建築家という部分もあるので、あえてフルで、週ずっとやっているわけではない。
ほぼ建築の仕事しかしていないですけど、ただある程度自由に動ける時間も作っているというのもあります。
そういうのがあって、その中で、大塚さんの言っていることは本当その通りだし、それを目指しているのはいいんだけど、
この百姓的なと言っている、例えば大塚さんとか堀江さんとかもそうなんですけど、
実際百姓的に動いているけど、でもなんか軸っていうか、何か一つで有名になっているからこそ、
その百姓的な働き方をしていても問題なくできるんじゃないかなっていうのを思ったんですよね。
多分そうだと思うんです。
多分いきなり何者でもない人が百姓的な働き方をしても、その人の肩書になるような有名なものがなければ、
影響力とコミュニティの構築
やっぱりできないわけじゃないけど、なかなかこういう人たちみたいなものにはなれないということなのかなというふうに思いました。
多分百姓的に今働いていても生きていけると思うんですよ。
実際僕も百姓的に働いているかと言えば、本当に百姓的に働いている部分が大きいので、生きていけはする。
ただじゃあ有名になるかとか、何者かになるみたいなことっていうのは、
百姓になっている人でもまた違うよねっていう話を思いました。
今なんでこういう話をしているかと言うと、すごい分かりにくいかもしれないんですけど、
ずっとこのSFCからこの月間を離れてということを考えていくと、
僕がやりたいことの上にはやっぱりインクルエンス力というか、
要は例えば漫画でそういうトークンコミュニティを作ろうって考えたときに、
それを応援してくれるとか、純粋にその作品がすごいいいなって思ってくれる人が、
ある程度たくさんいないとコミュニティは回らないんですよね。
回らないじゃないですか。
つまりその作品であったりとか、その書いている作者にインクルエンス力みたいなのがないと、
そもそもそれが成り立たないと。
だからそういうものをつけるためのことをしなきゃいけないと思ってやってはいるんですが、
多分方法として、多分まだもっといろんなこともあるだろうし、
まず方法を見直せばいいだけの話なのかという問いと、
あともう一つ、そもそもそれって本当にそういうポテンシャルがあるのかという話もあると思います。
どれだけやっても、僕は才能っていうことは好きじゃないですけど、
どれだけやってもその作品が他の人たちがいいと思ってもらえるもの、
多くの人がいいと思っているものを作れない、
その人がどんだけ頑張ってもという可能性もあるので、
そういった場合は方法をどれだけ考えたとしても難しいのかもしれません。
だからそういう意味で、もし自分のそういうトークンコミュニティがあるとしたらやっぱり影響力、
インクルエンス力というか影響力がないと実際は難しいということなので、
それを成るためにいろいろ探っているというのもあると思うんですが、
というのと、ちょっと今ごちゃごちゃして話全然まとまってないんで分かりにくいですけど、
というのとその百姓的にやってきているから、
何ですかね、これを軸にしようというのがあんまりないんですよね。
それじゃダメじゃないかという感じもするんですけど、
だから中途半端になっちゃっているっていうのもすごいあるし、
だからなんかこう、じゃあ1個に絞れよっていうのもなんかその百姓的にもならないしっていう、
なんかジレンマというか、なんか言い訳なのかもしれないんですけど、
自己表現の模索
という、こう全然結論もないけど、そういう悩みがあるよっていうことを思いました。
まあとにかく今回野間さんがコスタン・レフムでそれを話してくださったことによって、
ずっと考えていることではあったんですけど、
なんかまあこれって多分自分だけじゃなくてみんなも思ってたことなんだなっていうのが、
より理解できたっていうか分かったので、そういうふうな言語化をなさってくださったことはありがとうございます。
で、じゃあまあどうするのかっていうのはあるんですけど、
ちょっとまだ僕には答えも全然わかんないし、それをぐるぐるぐるぐるしてるんですけど、
ただ一つあるのは、自分に才能があるか才能がないかみたいなことはわかんないけど、
方法を変えていろいろやってみるっていうのは一つあるんだと思います。
まあそれでもうまくいかないことのほとんどだけど、
だからまあそういう場所というか方法やり方みたいなのをもう少し探っていくっていうのは今はあるし、
でそれでもやっぱりダメならちょっと根本から考え直すとか、
まあそういうふうにやっていくしかないのかなっていうふうに思ってます。
本当にそれがやりたいとかっていうのも思っちゃうから、だから中途半端になっちゃうんだよなぁ。
いや難しいですね。
こんな感じんなぐるぐるしてるよっていう話で、ちょっと終わりにしたいと思いますが、まあそんな感じです。
ただまあこうやって今回そういうことをすごいまた改めて考えれるというか、
みんなだから同じようなこともしかしたら違う、やりたいことはみんな違うけど、
同じようなことを考えているのかもしれないし、
なんかそんなことを思ったので、
えっと今日はそんな話をしました。
全然まとまってないし、訳わかんない話になっているかもしれませんが、
最後まで聞いてくださりありがとうございます。
それではみなさん、
スロースロースロース。