グラデーション思考の紹介
ウェスティナレンテ、この放送は、SWC、スロースウィズクリエイターズ、コミュニティメンバーのマスコットがお送りします。
今日のテーマは、グラデーション思考ということについて話をしていきたいと思います。
ケンスさんが、昨日、ノートでですね、
ブログでですね、 質問、マシュマロの質問に対して答えている内容がありました。
これは、具体的にはですけど、要は、中学生が、ギタリストかな、みたいな目指している中学生の息子さんがいて、
中学行かないということを選択して、
ギターの練習をした方がいいのかどうか、みたいなことを質問している内容でした。
有料なので、具体的な内容は話ししないですけども、そういう話でした。
その時に、ケンスさんが答えたのが、
内容というのは具体的な話になるので、しないんですけど、よくその答え方としてケンスさんが
見ていると、追っている人は多分気づいているとか知っていることだと思うんですが、答え方としては、こういう答え方をするなという答え方をしていたので、
その話についてしたいと思います。 それが、AかBか悩んでいます。
僕としてはAの方がいいかなと思っているんですが、ケンスさんはどう思いますか、みたいな質問が多いんですよね。
それに対してケンスさんは、まずAかBかの二択で考えることをやめた方がいいんじゃないでしょうか、
という話をするんです。 確かにそうで、実際にAかBかって以外の答えもたくさん、本当は無数にあるはずなのに、
その極論の、二言論みたいな、
二つの対極することを、
そのことを出して、それで、 そのどちらがいいかというふうに思っちゃう人は多いんですけれども、
でも実際はそうじゃない選択肢もあるよねということをよくお話しされています。 それが本当にそうだなというふうに思っていて、
もしかしたらA70%のB30%とか、B10%のA90%みたいなとか、
なんか色々ね、今のは比率100にした時にですけど、割合っていうのがあると思うし、
そもそも今の割合もざっくりですけど、もっとグラデーションであるのかなというふうに思っていて、
そのことをグラデーション思考というのは、もしかしたらそういう言葉あるのかもしれないんですけど、
結構大事な考え方だなというふうに思うんですよね。
選択肢の多様性
一方で、結構その質問した方のように、AかBどちらがいいかっていう考え方って僕も結構するんですよね。
しちゃうんですよね、無意識に。
なんか2個に絞ってそのどっちかにしようとかって思うわけじゃないんですけど、自然と結構しちゃうなーって思っていて。
そうすると究極の二択みたいになっちゃうから、
すごく頭を悩ませて、それでどっちか選んだらもう、そっち側の道、Aをもしかしたら選んだとしたらもうBの道はもう二度と来ないわけだからみたいな変な覚悟みたいなのしちゃって。
だからその選択をするのが怖くて悩んじゃうみたいなこともあるし、一方それをこう、Aやーで決めて、AかBか決めなきゃいけないんだ俺はって言って、じゃあAにするんだって言って決意を胸に、Aに突き進むんだって決めちゃうと、いざこうやってみるとなんか案外Aじゃないかもなーみたいな時に、
でも俺はA選んだんだから、Bを絶対選んないよみたいな。
例えば僕だったら建築かな。建築は僕は、
高校の時から建築学科でやってるし、中学の時から建築家になりたいと思ってたんで、
まさにそれで高校もそういう高校行って、大学もそういうとこ行って、留学して大学院とか行ってっていう、
親にはね、大変申し訳ないですけど、そういう風にしていたわけですよね。
さらに言うと木工の学校とかにも行ってたんで、学生の期間がめっちゃ長いから、
木工の期間は家具職人になるみたいな、こういうのも思ってた時期なんでまたちょっと違うんですけど、
建築というのを長くやってきたわけですよね。
そうすると自分の中の選択肢として、建築を僕はずっとやってきたんだって。
それに自信も持ってますよね、そうなると。
そうした時に、将来というか、仕事としてずっとどういうものを続けていくかって考えた時に、
そりゃ建築でしょうっていう風になりやすいと思うんですよ。
今の話で言うと、じゃあ建築を続けるのか、それとももう建築をやめて他のことをやるのかっていう、
AとBっていうのに考えやすいし、僕自身そう思ってた時期も結構あるんですよね。
建築、何ていうのかな、中途半端な建築家という状態にもなってしまうし、
それならやめた方がいいんじゃないかとか。
でもまたここで出てくるのが、一級建築士は持っているので、
一級建築士持っているのに建築をやらないってどうなんだろうとか。
一級建築士って簡単に取れるものじゃないから、そこに苦労して、苦労というか大変だったわけですよね。
それで取ったのに建築をやらないってどうなんだとか、そこの悩みがずっとずっとあったんですけど。
でもそれもグラデーション思考的に考えていくと、今は結構そうなることが多いかなって僕は思うんですが、
別に建築家としてもやりながら、他の例えばAIの話とかマーケティングのこととか、
そういうことを勉強して活かしてもいいんじゃないかと思っていて。
さらに言うと、僕はそもそも家具もすごい好きだったので、家具のデザインも学んでいたので、
よく僕、友達にも聞かれたりすることがあったんですよ。
お前建築家になるのか、それとも家具デザイナーになるのかみたいな。
専門家とジェネラリストの違い
なんか僕の中でその質問ってめちゃくちゃ違和感があって、
そもそも僕が好きな建築家ってヤコブセン、アルネ・ヤコブセンっていう建築家は僕は中学校の時からすごい好きで。
それはデンマークのデザイナーで、聞いたことある方もいらっしゃいますし、
アントチェアってアリ、アントってアリですけど、有名な椅子とかセブンチェアとかイクチェアとかスワンチェアとか、
いろんなドロップチェアとか、多分僕の言葉だけではわかんないかもしれないですけど、
そういう有名なデザイナーの方がいるんですよね。
その人は建築家でもあるわけですよ。
つまりその人は集合住宅とか大きい規模の建築も設計していれば家具みたいなものをデザインしているし、
なんならテキスタイルとかそういったものまでデザインしているわけですよね。
あと食器とかそういったものとか。
つまりその人が、ヤコブセンがやっていることって生活のデザイン全般をすることをしていたわけで、
それで家具デザイナーと言われることもあるし、建築家とも言われることがあるわけですよ。
僕はその人に憧れて建築を目指した部分が大きいので、
そう考えると、まず建築家なのか、それとも家具デザイナーなのかという質問自体が僕は違うなと思っていたんですよね。
そもそも繋がっているしと思っていたので、どっちとかじゃないんだよなと思っていて。
でも僕もそうだし、いろんな人もAかBか、お前はどっちなのかどっちかに絞って突き進んで努力して頑張れよみたいなことを考えることが多いので、
だからそれがあったんですよね。
それで今だったら、僕は建築をやるのか、それとも建築じゃないこと、
今AIの発信とかしてますけど、そういうことだけをやっていくのかとかっていうふうに考えた時に、それもグラデーションあるなと思うんですよね。
AかBとかじゃなくて、百姓的一級建築士みたいな話もしてますけど、それもある種グラデーションの話だと思うんですよね。
何なら建築×〇〇みたいなことも、昔話しましたけど、そこにこそ可能性があって、
逆に言うと、それをやっている人の数が少ないからこそ可能性があって、だから僕は建築×AIとかマーケティングとかみたいなことをちょっとやっていきたいなと最近は思っているんですけど、みたいなのがあります。
だから多分そういうグラデーション思考みたいなふうな持ち方をすると、もっと可能性広がるし、
だから逆に言うと、でもグラデーションで考えていくことで、
専門家のように見られにくくて、スペシャリストっていうよりかはジェネラリストみたいな見られ方がするのかなと思います。
ただそのジェネラリストみたいなのをやっていくのが、今ケンスさんもよく話されてますけど、
やっていくっていう人にとって、とてもいい時代に今なっているよね。まさにそのスター状態までいかないですけど、無敵状態までいかないけど、
ジェネラリストとしてやっていくことが、AIを使うことによって、何らかデザイナーみたいなこともできるし、
最近のSWCの皆さんの2日前、昨日とか一昨日ぐらいにやっていたノトフさんからのアドバイスで、
AIと3Dの影響
3D、ChatGPPで作った画像を3Dにしたりとか、それを動かせるようにしたりとか、フォートナイトで使えるようにしたりとか、
ああいう活動ってまさにAIがもたらした、簡単にできるように、AIが使えることによって簡単にできるようになったからこそ、
今までだったら3Dで何かをやるなんて想像できなかった人たちが簡単にできるようになったっていうものだと思うんですよね。
だからまさにやっぱり、専門家にすると厳しいなって思う部分も確かにわからんではないですよね。
昨日も話したみたいに、僕は建築の専門家であるけど、AIめっちゃ使えばかなりの部分がこう、
なんていうんだろうな、かなりの部分のお仕事をしていることを、今ですらAIで結構補えるとかそのまま担えるか、できちゃってしまうので、
そういう恐怖感みたいなのはなくはないですけど、それよりも逆に言うと僕が今できないようなプログラミングみたいなことだったりだとか、
動画的なものだったりだとか、3Dでもできないことが僕はいっぱいあったので、そういったことだとかっていうのを
全般的にスペシャリストではなくてジェネラシスト的にでもある程度のクオリティを作れるよっていうことによって、
それを掛け算的に組み合わせていくと、新しい何かができるみたいなことがあり得るんじゃないかなと思っています。
なのでグラデーション思考みたいな、AかBかで自分の中でどっちかというのを決めるのではなくて、
その間にある選択肢、無数にあるこの選択肢を選んでいってもいいし、さらに僕が大事だと思うのは、
それもまた研修生さんよく話されてますけど、モチベーションで動かない方がいいみたいな話もされていて、その理由とかの中で
案外好きかなと思ってたけどやってみたらそうでもないなって思うこともあるっていうのがあって、
それ僕もよくあるなと思うので、それは実際やってみないと分からないよねっていうのがあるから、
それでやってみて、もしあんまり好きじゃないし、この活動を続けても意味ないとまでいかないけど、
どうなんだろうなと思う時は、企業でいうピポットではないですけど、
そこで転換していって違うことをやっていってみたいのでもいいのかなというふうに思います。
それもまた研修生さんがおっしゃってましたけど、研修生さんおっしゃってたら何回言うんだ。
例えばツイッターのアカウントで、今まではNFTの発信をずっと続けてたのに、
急にある日からAIの発信になったりとか、AIの漫画を書くようになったりとか、僕とかもそうですけど、
あとは違うコミュニティに移ったりとか、僕もそうだし、そういう部分あるんですけど、
そうするとアカウント変えた方がいいのかなとか、今までいいと思ってた人が
なんでこの人っていうふうに違和感を持っちゃうのかなっていう質問をされる方がいたんですけど、
それに対して研修生さんは、いやそのことを気にする人ってもうほぼいないですよ。
それで何かがあるわけではない。というか人のことなんてそもそもそんなに見てない。
フォローしてるっていうのを自分で考えるとすごいわかりやすいですけどね。
フォローって別にそんなに重くなくてもするじゃないですか。
この人なんかいい感じの投稿してるから、フォローしとけば情報とか入れることできるからフォローしようみたいな。
まあそのぐらいの思ってフォローする人とかもたくさんいるし、
僕絵とかそういう動画とかを作るアニメーターみたいな人とかだったら見てて楽しいからとかってそんな
大した理由がないですよね。フォローする理由なんて。
なのに一方で自分をフォローしてくださっている人に対しては結構重く感じちゃうみたいなところがあって。
だからそんなの気にしない、そういうことをそんな気にしなくてそのまま続けていいんじゃないですか。
で方向転換してもいいんじゃないですかって話をしてるんだと思うんですよね。
だからガンガン変わって、この人は変わる人だって思われても僕は全然いいと思うし。
そうそう。だからさっきの話戻りますけど、グラデーション思考で大事なのは
別にまずそのAかBかで決めないことで、その間にあるもので、
まあじゃあ仮にCとしますけど、Cという判断をしたとしてそのままそれを進めてたとしても途中でDになってもいいって思うんですよね。
ということをそれもすればグラデーションで変わる、移り行くというか、移ろい行くというかなんて言うんでしょうね。
そういう変わっていくもので判断していくでいいんじゃないかなと思います。
見る人によってはそれが中途半端に捉えられちゃったりとか、やり方によっては中途半端なこともたくさん出てくると思うし、
そういうふうに見られるとも思うんですが、それで手探りで探していって、そこでいいなと思うことをやり進めていくことの方が僕は逆に可能性あるんじゃないかな。
逆にってわかんないですけど、可能性あるんじゃないかなということを思いました。
グラデーション思考って誰が言った言葉なのかわかんないけど、なんかグラデーション思考だなって思ったので、グラデーション思考ということを言いました。
はい、よくそうですね。
そういうことを昨日思ったので、今日話をしてみました。
最後まで聞いてくださりありがとうございます。
それでは皆さん、スロースロースロース!