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みなさん、こんにちは。作曲家で大学教員の小松正史です。
この放送では、音や音楽についての話題を、1日1つずつお伝えしております。
今日はですね、小松が音楽道を選んだ理由ということで、その④に来ました。
今日は、大学で就職をしましてですね、そこで本格的に音楽活動をやって、それがどのように今に至っているのかというね、
ほとんどいつに終わるのか分からないぐらいなスパンで喋ったりしているんですけれども、
今日はそんな感じで本題へとやっていきましょう。
それで大学で就職をするという、本当に稀な選択が成功しまして、
2001年4月から今の京都聖華大学という私立大学で就職して、初めて人前で喋ってお金をいただくといいますか、
いろんな業務がありますけど、そんな風になってきたんですね。
それでもう前回少しお話ししたんですけれども、授業が終わった後でたまたま僕がピアノを弾くということで、
みなさんというか学生の方が何かやってよということで演奏した後に感動の渦が沸き起こってしまってですね、
それでなんとなく佐月祭という学園祭、当時5月にあったんですけど、
アングラっぽいところに出て、これは音卸だ、魂卸だっていうのをもう夜中中弾いてですね、
仲間なんていうのか、ほんとラリって弾いてるというね、お酒は飲んでないでしょ、お酒は飲んでないんだけど、
ラリって弾いてしまったっていうのがありましたね。
これ本当に僕の気持ちというか、あんまり何か絶対これはしなくちゃならないしよっていう自分縛りがあんまないんですよね。
その都度その都度魂がふわふわふわって動いてる感じなんですけどね。
こちらのボイシーでもそうですよね。本当に苦戦の強い番組だなとは思いますけれども。
そんなこんなで人前で演奏するということをよくやるようになったんですね、それ以降。
例えば授業が終わった後とか、時には授業中に電子ピアノを持ち運び用のを入れてライブをやったりとかですね。
これ未だにそれやってるんですけど、ライブを授業中にやるということで、多分聖火大学の中では風物詩になってるんでしょうかね。
校内中をですね、黒いバッグというか、キャリングケースじゃないわ、肩に引っ掛けるような感じで移動ができるんですよね、電子ピアノ。
それであっちこっち回って、聖火大学は山際なので斜面があって坂道がめちゃくちゃ多いんですよ。
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しかも校舎が一筋縄では行かないような狭いところがあったりとか階段があったりとかしてですね、かなり急斜面を行き来しながらで、
ふうふう言いながらやってるので、また小松が何か持っているなみたいなそんな感じで、おそらく周りの人は見てると思いますし、声を実際めちゃくちゃかけられてしまいます。
今日ライブやるの?授業中で困っちゃうみたいな、そんな風な感じで回ってるのも、やっぱり聖火に行ってから人前で弾くということをですね、発表会とかだったらしてましたよ、小中高とかの大学でも山羽教室行ってましたからね。
そうじゃなくて、人前で対等と言いますか、あまりちゃんとお膳立てされたところで弾くっていう感じじゃないんですよね。そんなことをね、やり始めて定期的に弾くようになったり、弾いてるとですね、ほぼ即興なんですよ。
ただ弾いてると、あれ、この曲ちょっとメロディーが固定して弾いてみたいなとか、そういう曲がどんどん出てき始めたんですね。これアウトプットするからこそ、何か湧き出てくるものがあるっていうのがあって、これ面白いですよね。
インプットばっかりしてる時には、曲って出てこないんですよ。アウトプットしたりとか、人前で何か自分のものを吐き出すっていうか、出していくとですね、排泄していると、ちょっと汚い話ですけど、排泄、排出していると、もっとどんどん出てくるっていう風な感じになってくるんですよね。これ不思議なことにね。
このボイシーもそうですよね。人前で喋って3年以上経ちましたけど、喋れば喋るほど何か出てくるものがあるなみたいな、そんな感じでございますが。それでどんどん弾き始めてですね、研究やるつもり、研究を持続するつもりでこの大学、大学の教員になったのになぜか聖火大学に入った途端、自分の表現の部分の音、音楽っていうのがニョキニョキニョキっとね、
もう顔を出してきたっていうね、これ不思議なことですよね。多分他の大学もちょっとご縁がね、実はいくつかあったんですけど、聖火大学にね、それで進むことにしたんですけれども、他はね、国立大学の助手ですよね。これだとね、結構固いですよね。今、そこ行ってたらまず人前で弾いてないですよね。
まあそんなこんなで、最初に出会った電子オルガンの先生が良かったことと、あとは聖火大学に入ったことによって表現を人前でやっちゃって、自分もクリエイティブできてるんだっていうか、これなんかね、自分では見つけられなかったんですよね。
で、人前で晒されて何かこう、人から引っ張られるようにして、自分のことをね、あの、まず客観的に見ていく中で、あ、これ人前で演奏することがこれ得意なんだなっていう風になってきたんですね。好きではないんですよ。これ未だに言えるんですけど、好きではないけど得意なんだなっていうね、そういうことって皆さんなくないですか。好きだけど自分。
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あの、そういう場合と得意だけど好きじゃないっていうね、好きだけど得意ではなかったりね、得意だけど好きじゃないっていうね、なんか人ってそういうあのちょっとあの天の弱なところがありますよね。
まあ、それでまあ人前で弾いて決して好きではないけどやっちゃってると、なんかクリティクリエイティブのあの日が灯ってですね。それであの自分の曲がね、いくつかまあ固まったものが出てきたので、その入りたての2001年のね、あの次の2002年の3月頃でしたかね。
2月か3月なんですけど、あの単語半島であの自分の実家で帰るときがあってですね、これレコーディング試しにしてみようかなーって思ったんですよ。まあこれあの録音する技術もね、ある程度僕はありますし、それでピアノさえあればできるっていうことをまあ多分直感で思ったんでしょうね。
ただ実家にはね、あのピアノがないんですよね。ピアノないことはないんだけど、ちょっとアップライトをあの当時あの電子ロガンをもう買い替えちゃってピアノの中古を持ってたんですよ。でそのピアノがですね、まあちょっと録音に耐えられるものじゃないなと思って、まあそれであのまあいいスタジオ、いいピアノがあるところを探していたんですよね。
ですると、まあちょっと出会ったんですよ。その知り合い、隣の岩滝町とよさの町の中の岩滝町ってとこがあるんですけど、そこであの、あの私優のね、あの個人で持っておられるホールがありまして、でそこにピアノ、グランドピアノがね、ボストンのピアノですね。
あのそれがあって、可愛いの楽器の形式の一つですね、ボストン。でそこで、まあちょっと頼んでですね、ちょっとダメ元なんだけど、ちょっとレコーディング始めてしたいので、ちょっと使ってもらっていいですかっていう風にちょっと頼んだら、買い得いただいたんですよね。
でそれで、まあ足しげくですね、通って、まあ夜じゃないと周りがね、ちょっと道路があるのでうるさいので、まあ静かな時をね見計らって、夜10時頃から深夜の2、3時頃ぐらいでしょうかね、もう1週間ぐらいをめどにですね、自分のちょっと固まってきた曲と即興音をね、録音して、それで後で聞いてみるとですね、
これなんかアルバムできんじゃねって思ったんですよね。これ聞いてですね、あれ、こんなに良かったかなみたいな。これあのうのぼれてるとかそうじゃないんですよ。録音した時に多くのピアニストとかね、演奏家っていうのは、もうこれダメだっていう場合と、あれこれいけんじゃねっていう場合の2つがあって、僕は後者ですね。
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下手で下手でどうしようもないなって常に僕思ってるんですけど、録音するとね、なんか聞けるんですよね。これ不思議なことなんですがね。まあそれで後で聞いてみて、これはアルバムにしようかな。これ12曲あるからいけんじゃねって思って、ちょっとちょきちょきっと編集してですね。
あと当時はマスタリングとかミックスマスタリングはね、知り合いにお任せしたのでね、すご腕の知り合いなんですけど、それでできたのがファーストアルバムのザ・シーンなんですよ。ここでちょっと種明かしするとですね、ザ・シーンは一番最後に弾いた即興が一番最初に持ってきてですね、それから順番にこの曲が良い、この曲がダメっていう風に選んでいくとですね、
たぶん50曲ぐらい弾いたかな。その中の12曲を並べただけのアルバムなんですよ。でもね、不思議なことに採用曲を聞き直してみるとですね、すごいなんか一つのストーリーになってんだよね。ストーリーで展開して、それで起承転結があって、これで聞けるなっていうような。
そんな感じになったので、これはいいなということで、アルバムまで作ってしまったというね、そんな感じで進んでみました。ちなみにこのザ・シーンというアルバム、こちらにリンク貼っておきますので、よかったらですね、見ていただければと思います。
出来上がったのがですね、ザ・シーンというアルバムで。ジャケットデザインはですね、写真を使いました。僕が沖縄のフィールドワークにね、当時2001年の時に大学教員1年目でぶち破りされたんですよ、教務課の人から。
小松先生、ちょっと学生20人連れて10日間ぐらい沖縄大学に引率して行ってくれませんかね、みたいなね。え?って思ったんですけど、僕は大学院でかなりしっかりとね、研究してたの。研究というかね、ものすごく社会人みたいに仕事的にやってたので、ちょっと解放感があるかなと思って、沖縄のね、引率。
これ沖縄本島だったんですけどね、鳩間島じゃなくて。そこに学生と一緒に行って、引率なんでね、教員1人と20人ってすごいですよね、学生。今思えばすごいヤバいなと思うんですけど。
当時ね、ちょっと言い忘れましたけれども、鳩間島に行った時に三振をね、購入して持ってたんですよ。で、ある程度僕三振を引けるんですけれども、それを持っていてですね、夜中に引きまくるわ、歌いまくるわっていう風な、これ危ないですよね、今思えば。
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沖縄の那覇の繁華街のところにある宿泊所だけど、夜にね、もう屋上で引きまくるって、これもう泣くなりヤバいんじゃないかなっていう。それで、まあまあ音がめなかったんですけど、周りがあまり民家とかなかったところなんで、もう歌いまくっちゃったみたいなね、すごいなっていう。
そんな遊び的なことを大学の教員になった当時はやりましたね、これね。これ何なんでしょうね、この破壊法官というか。楽しかったなあ、めちゃくちゃもう。なんかこの音楽道が自分の思い出話に変わっていってるという。離脱してないんですか、皆さん。離脱ね。いや、いいんだ、離脱。僕はもうね、楽しいばっかりなんですけどね。すいませんね、本当にね、ここまで。
いや、たくさん僕のあの、えーっと、聞いていただいてね、あの、本当に熱心に聞いてる方が本当すごく多くて、割合で言うと本当ありがたいなと思うんですけどね。まあ話が添えてしまいましたけども。まあその沖縄に行って、えー、まあ、えー、解放官にね、こう、あの、こう浸って、浸った頃のあたりの、まあそんな大学教員の話ではあるんですけど。
まあ、そこでも常にですね、僕はフィールドワークを、あの、かなり重視して、あの、学生に教えたりとかですね、録音したり。まあ、その当時、あの、なんかNHKだったかな、あの、インターネット博覧会っていう、これ別名インパクって当時言ってたんですけど、それがあってですね、何かまたNHKさんから、あの、小松の方に、あの、依頼が来たんですよ。
というのは僕は、あの、ねこまつ河原版っていう、あの、ホームページを当時、HTMLの形式なんですけど、毎日ね、発信してたんですよね。えー、ねこまつから一言って感じで、だいたい500字から800字ぐらいの、まあ、あの、自分の思いをですね、わーっと書いてたという。もうこれ何かというとこう、ねえ、ほぼ日の真似ですよ。僕ほんとほぼ日に僕助けられましたからね。
大学院生の頃ね、割と仕事とかやっぱりすごく大変だった頃ね、心の癒しは糸井さんのほぼ日だったですよね。まあ、その影響で毎日僕はまあ、もうこう、あの、更新しまくってですね、糸井さんからもすごく、あの、えー、まあ、賞賛いただいたんですけどね。ありがたいことにね、本当に。まあ、そんなこんなでやってたところがあって、まあ、その関係で多分ね、NHKさんが来たんだと思います。依頼が。発信しないと来ないですから、絶対そういうのはね。
で、それでインターネット博覧会でちょっと小松ゼミやってほしいって言われて、何したかというと、音のフィールドワークなんですよ。音のフィールドワークって、今日の音の学生が探しまくってですね、今日の音を録音して、それでその写真と音とですね、当時本当に例明期ですよね。インターネットのまだまだ。
それで発信というか、そのページを作ってくださって、コンテンツを作ってね、みんなでこう発信したっていうのがね、ありまして、そういう音活動をゼミでやってたんですよ。今で言う音のデジタルコンテンツのアーカイブ化っていうことなんだけど、これね、その当時からもずっとやってましたからね。
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本当に小松ゼミのストックはですね、計り知れないですよ、今日の音のたくさんね。いずれまたね、食らわしてしようかなと思うんですが、そんな感じで僕のピアノ演奏と研究っていうのは、まだまだセパレートっていうのがお分かりいただけますでしょうかね。まだまだね、交差してないんですよね。
それで音楽は音楽で、どんどんどんどんね、今度は自分でね、思い切ってやっぱりピアノだったらいいなということでね、グランドピアノをね、自分の初人級とかいろいろかき集めて購入して、それを自宅のピアノ室に置いてですね、今度はそれで録音しましたね。
自分で録音全部するんですよ、やっぱりね。マイク立てて、それで自分で調整して演奏するっていうことをやって、作ったのがおそらくですけど、初期のコヨミューターとかですね、マヒナ。マヒナの方が2004年だな。コヨミューターが2005年っていう感じで、あとライフっていうね、2009年のもう本当にもうミディオンセラーぐらい聴かれてるようなね、リフレクションっていう曲があるんですよ。
ものすごい僕の中で一番ね、聴かれてるんですよ。何億になってると思いますよ。お金じゃなくて回数ですよ。多く持ってないのでね、そこまで。そんな風な感じでね、海外から僕のことを評価してくださってて、日本の中では全然評価ないんですけどね、あいにくなんですがね。
それはね、愚痴やさっておきまして、海外からのそういうところの賞賛もいただく原点を、その先ほどの雑誌院からのね、家で7ピアトルで録音して、その延長で作ったライフっていうCDがやっぱすごいそれ、僕今何聴いてもいいなと思うね、自分でそういうCDですけど、そういうところを作ったりとかしてですね。
まあ、結局何が言いたいかというと、まだまだこう研究と表現というのはセパレートのままということなんですね。で、それからですね、僕は京都タワー登るのが好きで、本当に多かったら月1回とか2週間に1回ぐらい登ってたんですね、当時ね。
で、そこでちょっとね、感じたのは、京都タワーの中って風景は綺麗なんだけど、音最悪やんって思うんですよ。足音はあるし、狭い空間の中でね、ビニール床なのでカツカツっていうね、ハイヒールの音は特にうるさいですし、人声はね、人混みはあるし、通り汗とかね、あの通り歌、京都の通り歌っていうのがチープなスピーカーで流されてるとか、
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あとアーケードゲーム機があって、わーっと音がね、ゴジラみたいな音が鳴ったりとかして、ここはゲームセンターの場所なのかーっていうね、そこまで思ったんだけど。それでまあ、僕はもうちょっと直したほうがいいんじゃないっていうね、そういう提案を、
で、それを実際に京都タワーのね、あのスタッフさんにお渡しして伝えてもらったんですよ。で、そのスタッフさんの方がね、そのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの方がね、あのスタッフさんの
たんですよね。するとですね、1年後ぐらいにね、電話がかかってきたんですよ。京都タワーですけどっていうね。
で、何なんですかっていう話になると、以前あの京都タワーの音のデザイン書かれましたよね。それやってほしいんですよって言われて、おーこれ何この幸運とか思って、自分の好きな場所でデザインまずできるってすごいじゃないですか。
しかも音のデザインって言った時に、僕はあのアーケードゲーム機を撤去とか、あとあの床を変えるとかいうことは伝えてて、でもまあ音楽までは意外と考えてなかったんですよね。
ただですね、その話を聞いた途端、あれ、僕曲作れるやんと思ったんですよ。曲作ってですよ。その曲をタワー用の曲として納品したらですよ。
そうしたら自分の普段お家で弾いたりね、人前で弾いたり、大学で弾いてるような曲がですね、ひょっとして何かこう演出として使えるんじゃないかなっていう、そのなんかね直感がまいったんですよね。
それでデザインっていう話を聞いた時に、じゃあ音を音楽作曲してみようかな。その空間のために作曲しようかなと思ったんですよね。
これも直感で、人から言われてデザインしてみたらって言われて、じゃあやりましょうかねっていう僕の癖ですかね。自分で何か考えるっていうよりも何か言われたきっかけで動くっていうタイプなのね。
ということで京都タワー展望室のためのね、ピアノ音楽という環境音楽の話にね、だんだん差し掛かってくるというところで今日はここまでにいたしましょうか。
いやこのね特集、僕あたりですよこれ。人が聞かなくっても僕いい。めっちゃ楽しいもんやっててという。
いやいやほんとね、あのライフヒストリー、音音楽についてのライフヒストリーをね、ずーっと喋れることをしてなかったよね。この3年間。
これを聞かれたあなためっちゃ幸運とか、そう上から見せるんですいませんね。すごくね、いいですよね。あのこのこの時期だからこそ、この頑張って毎日配信してる。
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でも聞いてくださる方はめちゃくちゃ嬉しい。ただ伸びないバズらない。バズるつもりないからこんなねあの音声メディアね、バズらないですよ。
でもだんだん自利品していってると僕思うんです。あの皆さんが悪いというわけじゃないですよ。全体の株価の全体の指数が上がったり下がったりという意味のね、あの構造だと思うんですけどね。
全くそれと関係ないけどまぁまぁイメージはそうだよ。そういうのをね、あの思った時に、いやいや自分でいいものを温めていったらどう?みたいなね。まだまだこうね、あのえっとすごくえっと新しいね、あの会社作ってるみたいなことは未だに思うんですけどね。
まぁそんな感じで今回も新しい新鮮な気持ちでやってるというこのえっとコーナーね。たくさんの人に聞いてくださったら嬉しいんですけど今で僕もねたくさんの方にボイシー聞いてくださってね、去っていただいた、去ってしまった方もいらっしゃいます。僕わかりますそれは。いいです全然。
でも残った方とか新しく来てくださった方にね、今だからこそこう新鮮な気持ちでやっていくっていうね。そういう気持ちでやっててすごく僕はね、僕はこのあのコーナーというかねこの特集何気なく始めたけど、いや僕これ節目だなと思うんですよね。これ節目じゃないですか。このこのコーナーというかね。ねえうなずいてるそこのそこのあなたうなずいてるよね。
そんな感じでね。まぁちょっとねあのなんかちょっとねちっこい感じになっておりますけれどもね。明日はまたいよいよ京都タワーのねデザインの話からしましょうかね。だんだんこれね。明日多分あの研究と表現がクロスするっていうね。思いもしない方向に僕の人生が行くっていうそんなところになるかなと思います。ということでここからはいつものお知らせでございます。
まず1つ目えっと漢方学2がねリリース第来週の5月15日になりました。ありがたいことにね。買ってくださっている方本当に嬉しいです。あの材料費というか製作費がめちゃくちゃかかったところがあるのでね。
まあ僕それ本当にありがたいことでそのあたりもあの良い具合にあのどうにかねこうサポートいただけてることを今年今回はあるんですけどね。ちょっとオブラートになってまだ何のこっちゃって思いますけどね。でもそこをまあいただくとまた次のあのもしできるとしたらのCDのプレスに回せるかもしれないよっていうそうそんな感じでね。
ほそぼそとやってるのでね。投票のつもりで投票というかね応援のつもりでね。ちょっとあの買ってくださったら嬉しいなというね。まあ聞けますけどね。アマゾンの何だろうあのアマゾンなんとかとかプレイとかね。グーグルなんとかとかね。わかんないあのそういうあのディストリビューターからの音楽配信ではただで聞けるんだけど買ってくださったら全然違うというね。まあいらっしゃれるかもしれない。今日のでも最後これ1234チャップ。
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聞かれる方ってすごく少ないんですよ。実は本当に2分の1、3分の2ぐらいは聞かれるかな。3分の1は離脱もされてますからね。ここまで聞かれた方は小松の子長ったらしいなっていうね。なんか最近長いよねみたいなふうに思われると思うんですけど。まあでもここまで聞いてくださってる方ほとんど買ってもらってると思うのですいません。もう釈迦に説法みたいなことを言って申し訳ございませんけどこちらに念のためチャプターにリンク貼っておきます。
はいよろしくお願いいたします。そして2つ目なんですけど、地元の稲町の場所で小松のピアノ演奏と音の物語の朗読会やりたいと思います。これ入場無料でございます。
午後3時から稲町の触れ合いホールで行いますので、こちらに画像で詳しいことをお伝えしておりますので、よろしかったらクリックしてご覧いただけましたら幸いでございます。それでは今日も長々と聞いていただきましてありがとうございました。今日も良い音の一日をお過ごしください。