二条駅の歴史と変化
おはようございます。作曲家で大学教員の小松正史です。
今ね、JRの二条駅のホームにいるんですけれども、
電車に乗る時間を10分くらいあるので、その間ね、ちょっと喋ってみたいなというふうに思っています。
二条駅が高架になってから、もう30年くらい経つのかな。
山陰本線というのが昔あってですね、今もあるんですけど、もうずっと地上で単線だったんですよ。
それが今から30年くらいの80年代の後半くらいですかね、1980年代、橋になってそれで複線になったんですね。
それからもう本当に当たり前の風景になってますけど、僕はちっちゃい時にですね、実はここ3ヶ月に1回かな、4ヶ月に1回くらいですね、
ちょっと目の病気があってですね、京大病院に3ヶ月か4ヶ月に1回、宮津から当時4時間近くかかったかな、電車とかディーゼルからね、それがですね、あって。
で、父親に連れられてですね、来てたんですけど、その時の二条駅ってね、本当昔の校舎だったんですよね、校舎というか建物で、
で、その建物が今は梅小路の鉄道博物館のところにね、移築されてるので、まぁもしね、昔の二条駅を見たいなと思われたら、そちらの方に行かれたらいいと思うんですけど、
まぁなんかこう、当時は当たり前になって、今は当たり前だけど、当時ね、変わった時なんかすごいめちゃくちゃ斬新やな、新しいなっていうふうに思って、
それがですね、30年ぐらい経ったらですね、もう本当にもうちょっと色褪せたりとか朽ち果てたりしてるようなコンクリートやこのホームがありますけど、
本当に時代が流れているな、変わっているなっていうのはね、ちょっと今10分ぐらいのお休みの中ですごい思ったんですよね。
で、周りはね、京都コープがあるし、これ無印良品のところで、去年これ改築されたんでしょうかね。
で、あとはマンションですね、割とでかいマンション、まぁ言ってもね、東京と比べるとすごく低いんですけど、
10階建てぐらいのマンションがね、ちらほらあったりとかして、この東側ですね、京都市科医療専門技術専門学校っていうね、
そういう専門学校があったりとか、これもすごく昔のことわかりますけど、変わりましたね、結構。
昔ね、弥生会館っていうホテルがね、ちょっとあったんですけど、今も全然そういうのなくなって、ライフっていうね、スーパーに変わってますけど、
なんかね、やっぱ変わるところがめちゃくちゃあるな、それがだんだん変わるんですよね、町づくりってね、
だんだん、だんだん、それで一の間にか新しい建物が古くなったりとかして、
で、その比較、メタ認知的に比較するっていうことがなかなかね、できないと思うんですよね、同じところにいると。
ちょっとこう、ふとした時に街並み見て、これ当たり前の風景だったかなっていう風なものじゃなくて、あれ、だいぶ変わったなとかね、
なんかちょっとこう、変化したなっていうのを、ちょっとぼっとした時とか、日常から、今日常の一角で僕は生活はしてますけど、
ちょっとこう、比較しながら見ていくと、いつも当たり前に暮らしている街もですね、すごく客観的に変わっているのがわかるような気がしますね。
街の新たな発見
それでここちょっと高い場所なので、京都は盆地じゃないですか、山々に囲まれているところがありますけど、
するとですね、東側見ると比叡山が見えるんですよ。二条駅の方もすごい見晴らしい、めちゃくちゃいいと思います。
比叡山見えますね。900メートルぐらいかな、930メートルぐらいだと思うんですけど、それが目の前に見えていますし、
北の方は北山ですね。北山の方がしっかり見えるし、西だと西山が見えるんですよ。
西山の今、高速道路が通っているような、昔はすごく柿畑とか田舎の街並みがあったんですけど、
今はだいぶ変わっちゃっていますが、そこも目の前大池通りなんですよ。大池通りが開けているんですけれども、結構クリアに見えます。
南側は特にはないかな。二条駅の建物がドーム状になっていて、これ木の作りなんですね。木造のドーム型の建物で、
これも20年以上前に作られましたけど、すごく風景に馴染んでいると思います。
当時はめちゃくちゃ斬新な建物になったなと言いながら、いつの間にか風景が同化している感じ。これが不思議ですよね。
いつの境かわからないけど、同化しているというのが不思議な感じですけどね。
そんな感じでここ結構ホームなんか行くと、日常の風景だと思うんですけど、今よく使っておられるホームで、
端っことか、橋の上のホームだとしたら見晴らしすごくいいんですよね。開けているので。
やっぱりそういうところで見ていく。ちょっと多くの人がいる場所とは違うところで、ちょっと佇んでみるというね。
そんな風にしていくと、なんか新鮮というか、別の場所に来た感じで風景を眺められるんじゃないかなというふうに思っております。
ここの音はですね、今ほのかに聞こえているように結構ね、こっちは千本通りの車の通りがあるし、今目の前は大池通りっていうような感じの通りがあるんですけど、
なんとなくザワーとはしてますよね。ザワーとしたり、あと音響信号みたいなんでね、ピヨピヨとかね、カッコーカッコーとか聞こえてますけど、
そういう人工音があったりとかして、やっぱり自然音が少ないよね。京都市内は人工物ばっかりなので、
ちなみに京都のあたり、市内って緑少ないんですよ。公園がね、多分全国有数少ないと思います。京都は。
緑のイメージがあると思うんですけど、それは自社物価が大きな面積を占めていて、御所もそうなんですけど、そういうところで緑があるぐらいで、イメージとしては緑があるんでしょうけど、
本当はね、緑がないというか、京都市内にずっと20年以上住んでて思うのは、緑が少ないというかね、積極的に山の方とかそっちに行かないと邪気がまとわられるなというような感じがしますね。
はい、ということで、二条駅からですね、ちょっと今日は短めですけれども、街の変遷。その変遷はシームレスにはいってるけれども、それは実はそうじゃなくて、いきなり建物が建ったり、いろんなことをしながらでも調和してると。
日常化してるっていうね。しかし、ちょっと離れた場所でね、日常の空間の中の駅のホームの端っことか、あと屋上とか、そんなところで自分の今住んでる街を見直していくことによって何か発見があるなというね、そんな感じのお話をしてみました。
視覚的な発見でもいいし、音の発見でもいいと思いますよ。そんな感じで、今日もふとした時にね、皆さんの空間の中で楽しんでいただければと思います。それでは失礼いたします。