父との対話の始まり
はい、お疲れ様でございます。小松でございます。
えっとね、あの、ちょっと最近、実家に帰ってですね、父親と色々話したりするんですけど、
なんかね、あの、最近、昔の父の記憶とか、色んな場面があるんですけど、それをちょっとノートに書き留めたりとか、
色々、まあ、し始めてるところがありましてですね。まあ、それであの、僕はこうしてね、音声配信とか、自分の言葉をね、あの、使って、
AI使って文字化したりとかしてね、かなりブログとかも作ってるんですけど、まあ試しにですね、あの、まあ、
色んな話を本人がね、色々記憶してるみたいなので、まあちょっと喋ってみてですね、なんかこう、どんどんこう、相手がいたらね、どんどん人ってこう喋りというか、
話題が出てくるじゃないですか。で、まあそんなこともあって、たまたまこう、小松というか、僕が帰省してきてですね、それであの、父の話を聞く中で、
まあちょっと録音してみようかなというふうに思ったんですよね。で、それでまあ、あの、帰省するごとにね、あの、ちょっと話を聞きつつ、まあ将来的にはなんかこれをまとめたいなっていう話をね、
あの、しててですね、まあ本日とかどうするかわからないんだけど、まあとりあえずその音声だと、なかなかこう、
あの、まとめたりとか、そこからの編集ってかなり難しいじゃないですか。だからまあそれをね、あのテキストというか、まあそういうものを、あの、に変換して、そこからまた編集加えるとですね、まあ僕が色々日常ね、
あの日常使いで、まあ、えっと自分の言葉をね、文字をAI使ったりとか、もろもろにしてこう編集して、それでまあ書物とか、えっと色々なものにこう変換して出してるっていうところの技術をですね、ちょっと使ってみようかなっていうようなことで、まあ僕実験めちゃくちゃ好きだから、まあこれがどうなるかというかまだわからないんですけど、それでまあちょっと20分ぐらい喋ってもらったんですね。
で、まあそれを少しね、あの、まあこの、えっと実は喋りもですね、実はAIでテキスト化するためにもね、あの喋ったりしてるのでね、小松自身が。まあそこのフォーマットにね落とし込むっていうことでね、皆さんにはちょっとお付き合いいただけたらなと思って、あの今から公開しようかなというところで、まあ昔話がね、まあ第一回目ということで、まあさてどんな話が出ますやらという感じですね。
夏の生活の思い出
今ね、今ちょっと録音で、今今日は2025年の12月の10日、11日か。10日?
ちょっとね、おもろい話っていうね、今の傘の話だよね。傘の話してもらって。バンガサ。バンガサね。えっと、何かある?他に。他のもう一つ。バンガサもう一回喋ってもらってもいいですか。いやいやいやいや、もうもう。他言ったらいっぱいあってなぁ。
何したらいいかな。まあそこから直感的に次これみたいな。
バンガサはいいやん。結局どうなったか。今会いたいっていうね。そうそうそうそう。
例えば夏やったらな、暑いやん。まあクーラーもないし、まあ扇風機もあるかないかいうな時代や。
あったとしたらもう、うちは八幡やな、そういう時代にな。夏の暑いこの日をな、どうして送るかいうことがいろいろ工夫されるわ。
第一に頭に浮かぶのが、水巻きやな。細も何もないぞ、水巻きやな。
夕方に巻いておいて、日が落ちた頃にな、将棋台っていうね、こういう椅子や、長い椅子。長い椅子があるんや。
みなさんそこに座ってな、外で。中におったらもう寒くるし、暑いし。
で、将棋台の上に座って、すーっと、すーっと行くわけやな、うちはね。
で、ここで集まってくる場所があるね。大人も子どもも女性も、あれもここで集まってくんね。
男性は何人か言ったら、おっさんらは、うごうを売っとる人やな。
それから今日の作業の、稲の出来具合とか、肥料のやり方とかいう話はしておられた。
それから子どもは将棋をするのが多かったね、将棋をね。
というんで、いったときを過ごすわけやけど、いろんな話がそこで出てくるわけやな。
で、時にはスイカが出てな、種ほかちの競争するわけやな、ベベベベベで、子どもがね。
ようやくちょっと涼しになりかけたなっていうことになったら、大体9時前後、水巻きも洗濯し、
蚊が出てくるとブトが来るからな、川上の方で薬をしてな、煙を。
蚊やらブトが来るように、そういう工夫をしながら、何となく9時に近くなってきたら、
それぞれ眠となるからやな、寝ましょうとなるやん。
さて、女の子が部屋の中に入って、朝寝ようと思っても、暑くて寝られへんやん。
で、当然蚊やがあんねん、蚊や。蚊や知らんやろ、知ってるか。
蚊やの中に入って寝るわけやけど、蚊やの中に入るとね、風が通れへんから暑いんや。
でも日中は遊んどるやん。1分か2分もしたらダウンするやん、で進んでやると。
夏の暑い日の夜の過ごし方がそういう昔はあったんや。
工夫なんかしとるんやけど、外に出てみなさん集まって、その日のいろんな出来事を話してな。
そしてまた明日もやりましょかっちゅんで、で1日が終わると。
そういう生活があったん、夏は。
昔の家庭の様子
あんまり面白くないけど、こういう話があったらいっぱいやん、出てくる。
今でいうところの整えというか、
今って直前までスマホとか見てるやん、こういう光を。
そうじゃなくてだんだんフェードアウトしていって、刺激が少なくなって知らん間に寝るっていう。
ほんと極めて楽っていうか、自然の設備にかなった感じ。
お金かけずにそうなってたっていうのが、何とも今と違うところだよね。
そうそうそうそう。
だからテレビとかそういったもん、類がないでしょ。
電球も電灯もな、不自由な世界のときに、
まあみなさん集まるよったら、でいろんなものを持って集まることで。
特に目立った面白さはないんやけどな。
自然な、それが自然。
それは家で実際に山田家で体験したというか、
そのあたり寝るあたりの風景というか、記憶ってあるかな。
あるね。あるね。
家はもう開けっぱなしや。
で、道路がそこの前に建ってたら、あれ開けっぱなしだから、
道路から見えるには寝とるものが。
そういったもんでな。
夜はそうだね。
夏はそんなやし。
秋はね。
虫の寝やらな。
その他いろんな虫の寝がな。
ほたろが入ってくるとかな。
まあ自然とともに生きとったようなもんやね。
人工的なもんやから、
まあなかったし、考えようもなかったけど、
そんなやら生活やね。
誰が最初に寝た?山田家では。
寝る順番とかありそう。誰がおそばに起きてるとか。
みんな寝ようか言うんで、みんなで寝るわけや。
みんなで一緒にせいのみ寝る?
大きなかやがあって。
かやの中にみんな入るわけや。
全員?
全員だとあまりそんな大きなかやないからな。
6人が?
1、2、3、4、5、6。
順番なんてわからないけど、
要するにみなさんくたぶれてみんなすぐ寝ちゃって。
同じ時間に寝て同じ時間に起きるぐらい?
そういうのは親たちはどうしても早くて起きたりするからな。
起きへんかったらかやの突っ張りがほどかれるんや。
ボサッと落ちて。
爆撃みたいな感じ?
そうそう。
かやをたとむのが大変でね。
一人ではたとまれへんね。
そんなにでかいの?
でかいのは4人、6人でよかったら大きなかやがいるんや。
かやに入るときに技術がいるね。
開けたときにかやが入ると中でブンブンやるよ。
逆効果?
だから俺は厳しかったから入るときに。
うちをもとってパタパタパタってやっといてね。
そしたらサッと入らない。
そもそもかやを組み立てるのは大変やね。
もともとかがいない状態にしておいて組み立てるしかない。
その技術はどんな感じ?
こうやってたとんだね、布団みたいに。
4つ持って。
引っ張ってね。
袋みたいにもいいな。
たたんでる状態で上に上げていくと隙間なく空間ができるって?
できるできる。
高さで言うたらこんなもんやね。
1メートルちょっと50までもいけへんやろ。
かやしてても入ってくるときはある?
やっぱり入り方が悪いんだね。
あるいはかが技術をつけたとか?
これから出たときに入ってくるとかな。
人が出るときね。
かがっていうのは匂いで入ってくるんだよ。
よしとりゃ人間がおるってね。
特に男の男性の足の臭いやつがおるやん。
あれなんか持ってこいなんやね、かやにしてみたら。
だからチースに来るわけやな。
かがの時は飲みがおった飲みが。
知らんやろ飲みなんて。
知らんでも飲みも知らんでしょ?
飲みも知らんでも飲みもおったんや。
それも夜の戦いや。
天花粉につながってな。
こんな小さい缶があってな。
で穴が開いとんや。
その中にねあれ、殺虫剤みたいな粉が入っとんや。
ぽこぽこぽこぽこやったらパーって。
ぽこぽこぽこぽこやってな。
それ巻き散らしてな。
そしておっぱらってから寝るんや。
不思議と今から思ってみたら怖い薬やねあれ。
DDT言うてな、殺虫剤や。
今もう作られへん。
作ったらいかんねんけど。
そういうの布団のまわりにパッパッパッて。
そういうの飲みがあって飲みが。
不潔やったもんだなやっぱりな。
そういう類の話あったらいくらでも出てくるわ。
大垢まえりの話やら。
それからお宮さんに月に一回お掃除があって。
そこで子供らがほうきやなんか持ってきて。
落ち葉をはいたり。
ちょっとしたふく掃除したりしてな。
そのあと何かするか言ったら
かんけりしたり折りほっこしたりな。
いろんな遊びをするわけやな。
それが終わるとね、ひろようじんって言って。
標識を持ってずーっとひと回りしてくんや。
ひろようじんですから気をつけなさいよって言って。
そういう行事は子供たちの行事があったわけや。
みんなでな。
ホタルがバーっと飛び交うときなんかはね。
木の葉っぱのついたようなもんでな。
とってな。
そういうのをとったり
浪いだりしながら
いろいろ
やったりと。
たくさん話題が出てくるってことだよね。
出てくるね。人が集まったら出てくるね。
ひとりで物を買い取ったらそんなにね
新しいいろんな物が出てこへんや。
ところが人が集まると
あそこの
家は
こういう行事が生まれたときの話があるや。
こんな話も聞いたことあるよ。
お母ちゃんが
子供たちにみんなな
お風呂に入れてくれるんや。
お風呂に。
小さい子供だったね。
昔大手に子供がいたでしょ。
6人無視にもいたや。
お父様はどうするか言ったら
11月頃からね
3月か4月頃まで
出稼ぎに出るわけや。
行く先は酒屋さんであったり
鑑定屋さんであったり
それぞれバラバラで行くんやけど
半途近くね
父親いない家庭なんや。
子供とお母さんと
年寄りがいたら別にしてもらう。
そんな中で生活しとって
お母さんが
いつも
お風呂の火になったら
真っ赤けになっているわけや。
追加は入れないんでしょうね。
子供を。
1人終わったら2人目3人目
お母さんが
真っ赤けになって
なんでうちの
お母さん若いなって
不思議があってね。
話を聞いてみたら
子供たちのお風呂入れに時間がかかっていると。
でかすぎるのが
一つの風紀なんや。
お爺さんがいないからな。
父親がいないというのはな。
生活所を持ったら
現金収入がないもんだから
うちが工事を
小さい赤ちゃんを産むと
それがうまく売れたら
ちょっとした収入になるやん。
だから耕地面積が少ないから
稲もな
そんなに良ければ
収入も取れへんやん。
収入を言ったら
冬の間働きに出て
春帰ってくると
お土産持って
帰ってくるわけやん。
というようなことも
聞いたこともあるし
まあちょっと
メモしたらちょっと分からんね。
なんとなんとなんと
戦争と疎開の思い出
行事やったらこんなことがあったと思う。
まあ今日はとりあえずそんな感じ。
たくさんありそうやね。
魚取りはしとれへんからな。
ないね。魚取りの話は。
まあね。
海が近い遠いがあるから。
魚取りはないね。
悪いことしてあんまりいいんやったら
戦時中の話はいっぱいあるけどな。
疎開って知ってる?
まあ聞いたことあるけどね。
子供らが
小学校の
低学年くらいまで
例えば大阪に住んでる
人が
子供がいるでしょ。
いつ爆弾落とされ
分からへんからいいな。
田舎に送るわけや
疎開って
それを受け入れ先があるんやね。
ここの正寺の
お寺はね
向こうの里浜に
お寺があって
そこで守護優に預かっとってたね。
そういう
1年生とか
幼稚園くらいの生徒もな。
そこで教育しとったわけやな。
紙芝居やなんかいろいろな。
というのが
私がね
高生小学校の
2年のときに修正になったんやけど
2年の1学期のときに
疎開の生とか
女子クラスに入ってきたんや。
この子は大阪のどこどこ出身でやな。
今日から一緒に勉強してくれと。
という
疎開あるんだけどな。
村の
辞儀のものはな
弁当持っていくでしょ。
で、弁当のおかず
言ったらたくあんか
味噌かな。
それから昆布。
木々の象徴
塩昆布。
弁当に詰めたわけや。
それをまあ食べるわけやけどな。
大きな大きい弁当。
疎開から来てる連中はな
弁当があれへんのや。
あれへんでしょ。
何しとるか言ったらな。
食べた人が
例えば
つけ物をポロンと落とすやろ。
食べて取ってくるんだよ。
というね。
みじめな今から思ったら
そんな生活でよう耐えて
生きとったなと思うね。
で、お父ちゃんもお母ちゃんも
俺へんしな
誰も話す間もないところで武装で出てきて
腹減ったやな。
腹減った間に泣いとっても知られへんけど
ほんで待ってるわけや。
何が落ちへんかな。
つけ物をポロンと
そんな
そういうね。戦争に
頼りがいっぱいあるね。
なんか重口深いよね。
こういうのはね
思い出話でもないし
作り話でもないけどな。
そこから
ちょっとこう
発展をさせてな。
まず戦争とは
どういうもんやということになってくるからな。
そこからちょっと概念的というか
体力的というかね。
そういう
しさ深いところへと
行くような感じよね。
いいね。
その奥深いところに
大きな大きなな
樫の木が
樫の木
大きな木
樫の木はな
古いから
何百年も生きとるわけや。
自分は
染めたって言うけど
周囲の
僕たちはね
枯れたりなんかして
だんだんだんだん萩山になってきてるけど
樫の木はな
生きとるわけや。
友達も
何にもなくなるわやの
木がなくなるから
空のな
雲に向かって
おい雲さんよ
私その雲に乗せてどこどこ連れてくれやのか
雲が知らない顔して
消えていってしまったや。
またまた左側見ると
風がそよそよ吹いてきたや。
おい風君
私を風に乗せてくれて
どこか面白い所連れてくれんやろ
かなーって言っても
風も知らない顔して消えていってしまったや。
だから山の上の
大きな大きな寂しい一本の木なや。
そうなるとどうなると思う?
何か変化があるよね。
そこが基礎的に
木ぐらいだね。
何かありやろなと思う。
いやいや、別に慣れへんねんけど。
いいね。
まあそういうような
寂しいような状態やけど
自分を見直してみて
ずいぶん
長いこと生きてきたな。
老朴になったけど
一人ぼっちやけど
木は暮らしておりますと。
いうのが落ちないやけんな。
ずっと何百年か
何千年か生きてきたもんが
ふと自分を
帰りに見ると
ずいぶん年がいったな
今まで安心してきたやろ
今は寂しいな
というのが落ちないや。
これは自分の感情やけど
本にするな
内容じゃないけど。
木の話をずっと
この間から見とったら
いろんな思い出が出てくる。
動かんっていうのかね。
動かない。
動くけど木が動かない。
定点観察で世の中を見てるってことね。
で、無くなれへんのや。
養殿のことはないとね。
木が無くなって枯れたりすると
雷やら台風にも
めげずに
頑張って枝が
少々ぼれと
生きてるわけだよ。
頑丈なんだよ。
きれいだぜ。
マイドルのね
コンゴーインの大きなお寺
聞いたことあるんやがな。
もみじがきれいなとこや。
そこ行ったらね
カヤの木って言ってね
カヤもやっぱり6mぐらいあるって言ってたな。
ここにも書いてあるんだけど。
カヤの木はね
実があるんだよ。
美味しいんや香ばしくて。
土地にも見えないけど
で
行って見てみたらね
ここからさっき中へ入ったら
いかんやってね
砂が張ってあるやん。
それまではな
木を入れられる時は皆さん
大きな気がしない。
どうしても根元を踏むやん。
で触ったりなんかして。
弱ってくるんだよ。
人が踏んだら弱ってくる。
何も全然形はしない。
依頼行をしたらあかん。
依頼行したらな。
ほんま弱るんだね。
人が踏むにはあかんねんね。
すごいな。
結構何か真実っぽいなそれは。
あのどこかにあるけど
大きな桜の木があって
大勢の人が
見に行くところがあるやん。
そこなんかやっぱり
ここから中に入ったらいかんって言って
大勢の人が
入らせて
お売り見とかしたるわけやけどな。
茅野椿に千年椿なんかも
入ってたけど
今って入れへんのね。
昔は触って
ウヤウヤしてたけど。
茅野椿も
これに書いてあるんだけど
あそこはね
親子の会話の重要性
袋がよく止まってるね。
袋の
親子の袋やとかね。
代々の袋が
つるつるつった木なんやね。
まあ
宗教が必ず
絡んでくるわこの木々は。
確かに。
そうね。
もっともっと
政治の何も話していい?
今でもだいぶいいと思うよ。
じゃあちょっと切りますね。
はいいかがだったでしょうか。
今までの
20分ちょっとぐらいかな。
20分ちょっと過ぎぐらいの
父との会話なんですけど
話題がね
3つ4つぐらい出ましたよね。
人って一つ喋ると
どんどん別の話題が出てきて
連鎖のね
渦っていうのが出てきますけど
まさにね親子ってこともあって
そんな風に出てきてですね。
これをどうするかまだわからないんですけど
ちょっとね音声の
魅力というか
可能性っていうことで
これで何かね
残すものができればいいかなと思いながら
というね
教則みたいなもんですよね。
息子と親とのね
そんなことができるかなと思って
帰省の度にこういう話をね
ぼちぼちやりながら
それをテキストにして
何かこうまたね父に見せて
何ができるかなっていうのを考えていくというか
いいよねなんか目的が
本作りますとかね
報告書を作りますんじゃなくて
やってるうちに何かが生み出されるかも
あるいはこうね
また別のものができるかもとかね
形にするのが別に全てじゃないんで
それを見て
この親子の会話がね
進んでいくっていうのも
一つの大きな成果だと思うので
そんな感じの
プロセスも人生はね
プロセスが大事というか
そのものですから
そんな感じで楽しく
これからも不定期にですね
この特集どんな名前にするか
分からないんですけど
やっていこうかなというふうに思っております
今日もお聞きいただきありがとうございました