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はい、みなさんこんにちは、こんばんは。小松正史でございます。 今日ね、ちょっと夜の京都の街を歩きながらね、歩きながらでしか最近ちょっとね、配信を収録できないのでね、ちょっとだけノイズがあるところがありましたら、ちょっとご了承いただきたいと思うんですけれども、
今日の話題はですね、京都らしい音っていうのを言語化するとどういうものなのかっていう、ちょっとね、感性とか感覚とか、
本来これ割とプレミアム放送でよく喋っていることなんですけど、そういう感覚の使い方、感じ方、鍛え方みたいな、そこも含めた
京都論をですね、音の方面から少しお話ししてみたいなというふうに思います。 それで皆さんに問いなんですけど、
京都らしさって何? 京都らしい、これめちゃくちゃ京都やんみたいな、そういうのはメディアでもう散々流されていること多いですよね。
JR東海がね、もう20年以上前から、そうだ、京都行こう、キャンペーンのキャッチコピーもあるわけですよね。
長塚さんっていうね、あの俳優さんが、かつてナレーションしておられて、今はね、どんどん変化しておりますけれどもね、最近最新はね、なんとか桜さんという方かな、なんか女優さんが様々な場所とかね、行かれて、
レンゲ寺とかのところとか、僕の家の近くのね、あの新風館でも取材されてて、ああ、近すぎるみたいな、そういうところに僕いるわけなんですけどね、別にあのドヤ顔で言ってるわけじゃないんですけどね。
で、その京都らしいっていうのは何かっていうのは、結論言うとメディアが作った、京都というそのイメージにふさわしいものをね、どんどん人が好きそうなものを入れるっていうような、
その京都の文化じゃなくて、メディアとかマーケティングとか広告とか、そっちの方面の価値に基づいて、京都らしいものを作ってるってことなんですよ。
でもそれは僕に言わせればというか、あの薄っぺらいもんじゃないの?っていうことなんですよね。
もうちょっとね、京都らしさを自分の身体的なものにちょっと寄せて考えた方がいいんじゃないかっていうふうに思うんですよね。
今日ちょっとかなり抽象的な話になってしまうんですけど、もっとちょっとぶっ飛ばしていきますね、抽象的なこと。
それでね、僕はもう一言で言うと、奥床さとシンプルさだと思うんですよ、京都らしさっていうのは。
関西でね、例えばてんこ盛りにあるような、もう情報がたくさんあるような、そういう場所ってあるじゃないですか。
例えば、大阪とか京都でも東京でも繁華街にあるネオン街とか、さまざまな看板があるものとかね、京都はさすがに看板の規制やってるので、そんなにド派手なものはないと思うんですけれども、
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てんこ盛りで盛って盛って盛りまくるっていうような、そういう風景あるじゃないですかね。
それっていうのはね、やっぱりね、美から真逆のところにあるわけですよね。
そんなにまみれてたらやっぱね、もう情報をね、ただ過剰な情報を受け止めるだけみたいな感じで、自分の内面にある関西とかとは全く違う、そこ全く響かない。
むしろ悪影響を与えるっていう場所がめちゃくちゃ多いじゃないですか、日本であってもね。
で、そこで京都らしさっていうのはやっぱり言語化していくとですね、最小限の素材とかそこにあるものっていうのを十分にその魅力を伝えるためにですね、
あまり過剰に何も手こ入れせずですね、まあといっても全く手こ入れしてるわけじゃない。
全く触ってない人工的なものではあると思うんですよ。
京都の様々な景色とか日本庭園とかね、いろいろありますけれども、そういうものをですね、受け手の感性にめがけて、それを信じて最小限のものをですね、
情報量を落としたところで様々なものを伝えていく、演出していくっていうのが京都らしさじゃないかなっていうふうに思います。
これもうちょっと具体化させていきましょうかね、音の分野で。
例えば水の音ってあるじゃないですか、様々な場所で水の音。
で、京都で聞く水の音ってやっぱり格別だと思うんですよね。
これの事例としてはですね、一つは川とかね、鴨川があるけど、あれは作ったものというより人工河川ではあるんですけど、
限られた空間の中で様々な石があって、そこに含まれてる音色、いろいろあるけど、多様性があるわけですよね。
鴨川通ると飛び石みたいなものがあって、そこで歩いていくとですね、カメとか動物みたいな形になってるやつありますけれども、
そういうふうにこうやっていくとですね、いろんな多様性のある音が聞こえてくるわけですよ、たった一つの水音の素材であってもね。
あとは僕の好きな無林庵ですよね。
無林庵だとですね、そこにあるものっていうのはすごくいろんな川の音とかね、琵琶湖疎水の音を活用しているわけなんですけれども、
それであの滝があったりね、飛び石があったり、大きな川があったりして、やはり同じくですね、音色がすごくね、多様に感じ取ることができるんですよね。
で、その周りに苔があったりします。あの無林庵には苔はないですけど、苔寺とかね、僕の好きな大原三千院の松林院っていうのがあるけれども、
そこはね、やっぱなんかこう、あの休音してるわけですよね、苔でね。
すると周りにある音っていうのが、やっぱりより静寂感を醸し出すような感じになってくるっていうことなんですよね。
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すると素材音、素材に、身の周りにあるアンビエンス的な音であってもですね、余計な音っていうのが吸収されて、
トゲトゲしくなかったりとかですね、まろやかな音になるという、まるでこう、自然のエフェクターみたいなね、フィルターと言ってもいいのかな。
無駄な音の嫌なとこがね、吸い取られているような音っていうのが、これ箱のデザインですけど、そういうものがあるっていうのが、やっぱり良さなんじゃないかなというね。
それって情報を減らしたり、良いものの素材をお出しするっていうことですよね。で、分かる人には分かるんですよ。で、分からない人には永遠に分からないっていうね。
京都人っぽいですけれども、分かる人にはその深み、こんな風に音を聞くんだ、水音が変わっていくんだ、水音の豊富さがあるんだ、多様性があるんだみたいな、そういう良さを感じることができるわけなんですよね。
で、分からない人はさっき言ったように永遠に分からないんだけれども、一旦分かるとですね、意外と京都にある僕がいいなと思う環境素材っていうのは、情報量が少ないんで、そこからね、さらにこう自然とですよ、情報をつかみ取っていこうっていう気持ちにさせるわけですよね。
多いとね、もういらん、もう本当にお腹いっぱいやって感じになるけれども、ネオン街みたいな風景を見ると、でも最小限にね、極上の素材の音があったりね、自然素材があった場合は、あれなんだろうっていうふうにこっちが取りに行くじゃないですか。
情報とかね、対象を取りに行くっていうか、これ能動性って言いますけど、能動性のある感じ方、そして行動の仕方を促すような仕掛けっていうのがあったら、僕はそれは京都らしさかなと思うんですよ。
かなり今日は抽象度の高い、多分こうわかる人にしかわからない話してますけどね。大学の授業でもそういうこと言ってるんですよ。その現場に行って、学生さんに感じてみっていうのを、あえてね、難しい言葉というか、僕が感じてるものを言語化していくってことをしてますけれどもね。
そんなふうに、全部与えられて予定調和っていうふうなものとは違う良さっていうか、しかも歴史がありますからね、京都ね。そういうものをお出ししていくっていうところが京都の良さなのかなっていうふうな気がしましたので、今日は京都らしさを音の観点から言語化してみるってことをしてみました。
皆さんの周りには京都じゃなかったとしても、そんな風景、そんな音、どうでしょう、あるんでしょうかね。ないんでしょうかね。なかったら京都においでくださいよっていうことで、できたらね、僕京都の極上の音の場所をたくさん知ってんですよ。
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それでね、ツアーとかできたらいいと思うんですけど、簡単にはなったらね、癒し空間とか、癒しの旅とかでね、お商売になるなと思うんですけどね。そこまで僕はお商売する気にはなれないですということで、今日も聞いていただきありがとうございました。それではバイバイ。