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おはようございます。小松でございます。
今日も部屋の中からお届けしたいなと思っているんですけれども、
これね、京都の音のマナーの話についてのちょっと皮肉的な状態、ちょっと今日は2回目でお伝えしようかなというふうに思っています。
その前に、ちょっとサウンドスケープの理論を少し紹介したいんですよね。
マリー・シェーファーっていうサウンドスケープの概念を提唱した作曲家・音楽家・教育者っていう方がいらっしゃったんですね。
これ聞いてる方にはほとんど知ってらっしゃると思うんだけどね、僕の番組をね。
その方が提唱した一つの概念としては、アコースティック・コミュニティってあるんですよ。
これ、音響共同体って呼ばれる概念なんだけど、これ何かというと、
一つの音によって地域の共同体、コミュニティがまとまっているっていう概念なんですよね。
例えばね、ヨーロッパの教会があるでしょ。教会っていうのは鐘の音っていうところで、
例えばキリスト教の教会があるとか、そういう感じですよね。
それはその教区っていうね、教会の区域があるわけですよね。
それは教区は、教会から出ている鐘の音が届く範囲、聞こえる範囲にどうやらアコースティック・コミュニティっていうのが形成されていて、
そこに住んでる人はね、その音を聞くと、
あ、もうじきミサだなとかね、日曜日のミサがもうじき始まるから行きましょうねみたいな、
そういう暗黙地みたいなものが音から提供されていくというような、そういう空間の在り方っていうことなんですよね。
すべからく音っていうのは空間を持っているので、空間に及ぼす音の影響っていうのは言うまでもなく人にも影響を与え、
その出す音っていうのが社会的なものとか、いろいろな地域の象徴とかありますよね。
そういうシンボルみたいな音っていうのは特にそういうね、アコースティック・コミュニティになりやすいっていう概念なんですよね。
それを京都で言うと何かというと、寺の鐘っていうのももちろんそれに準ずるものだと思いますね。
今少なくなっては来てるけど、僕は中城区に住んでますけど、近くに六角堂っていうのがあるんですよ。
これ、花のところで有名な、浦仙家じゃなくって何だっけ、池の坊か、池の坊の領域ですかね。文化のあるところなんだけども、
そこに六角堂っていうのがあって、そこにお寺の鐘があるんですよ。六角堂の近くにね、鐘があるんですよね。
お花屋さんの裏の方に、横の方かな。そこは昔は人が朝6時と昼の12時と夕方6時に空いてたんだけれども、今からもう20年以上前になりますかね。
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自動で鐘が付くような感じになって、ちゃんとお寺の鐘になるんですよ。しっかりとね。
だから自動だか人だかっていうのは別にしても、そういうのが京都は中心地喧騒ね、騒音でうるさいところはありますけど、やっぱり聞こえるんですよね。
僕の家からは聞こえる時と聞こえない時があって、最近は建物が高いものがどんどん建っているので聞こえづらくはなってはいますけれども、そういうのがあるんですよね。
それでね、結局そういう音っていうのが京都の一つのコミュニティの在り方だなというふうには思うんですよ。
ただね、もう一つめちゃくちゃ大事な音があって、それが地域の人たちが出す活動音なんですね。
ここでちょっと紹介したいのは、ほうきで吐く音なんですよね。
京都の建物とか町っていうのは5番の目になっていることが有名じゃないですか。
5番の目になっていて、通りに面して町や住むお家が対角状っていうのか対面してて町が作られているわけですよね。
すると、お隣さん同士の音っていうのがやっぱり聞こえてくるんですよね。
それを無意識で聞いていらっしゃるところがあると思うんですよね。
それに近い話で、水を撒くエリアっていうのを研究した同僚がいて、これは元学長の佐古さんなんだけどね。
元学長の佐古さん、何が調べたかというと、水を撒く領域ってありますでしょ。
それがお隣のエリアに、自分のエリアにおいてどれくらい水を撒くか。
水撒くとか跡がつくじゃないですか。
だからね、たくさん撒くと、他の、隣のお家の領域に入るからちょっと都合が悪いし、みたいな感じで。
結果何が言えるかというと、厳密に、割と厳密にですよ。
通りの水を撒くエリアが決まっているっていうことなんですよね。
うまく自分の建物の境界上にしっかりと水を撒いて、そこまでは撒けるんだよね。
それ以外は隣っていう風にしてやってるというね、すごく幻覚なんですよね。
お隣と争いがあったらよくないので、それちゃんとしてるわけなんですよね。
それは目で見るものなので、境界面とかがしっかりしてるんですよ。
ただね、音って漏れ聞こえると、さっきの音響共同体みたいな話で言うと、遠くまで聞こえるじゃないですか。
つまり制御できないわけですよね。
ここまでが自分のお家だっていう風に制御することができないので、これ厄介なんですよ。
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そこで出てくるのが、放棄の音っていうことなんだよね。
これね、放棄の音をね、今はなかなか聞こえなくなったんだけど、かつてフィルドワークしたときに確信したのは時間なんですよね。
これ大体朝の6時から4時までの間に放棄を吐く。
早い人だと5時台で吐く人がいるんだけど、あまり早いと今度ね、空間的な話で言うとね、音は時間の墨焼きを捨てるわけなんですよね。
大体同じ時間に音が出るっていうことですよ。
早くても遅くてもダメなんで。
ある程度、例えば地域によって変わるんだけど、ここのエリアは6時だと。
そしてお隣の楽器は6時半とか。
でも決まったり、やや決まってることが、今はだいぶそれはなくなっては来てるんだけど、
そういう風にちょっとね、ずらしたりしてるんですよね。
隣の楽器とかね。
お隣同士は大体同じ時間帯にするっていうところがあるので、そういう時間差っていうのがあると思うんですけども、
すごいね、それも厳密なんですよね。
極端に早く水まいてもね、水じゃないわ。
放棄しても音が出ますしね。
遅かっても、お隣さん遅いね。
よ、よ、よ、ねはったんちゃいますか?みたいな感じでね、言われますよそれはね。
内面はあまり遅いと早めに放棄をね、吐かないと、そこお隣さん汚いし、
うちらのコミュニティのね、秩父を乱すなよな、この野郎!みたいなことでしょ結局ね。
僕も京都人なので、単語人と言いながら京都人なのでね、
まあ言い方としては柔らかいけど何を考えてるか分からないですよ本当。
っていう感じだよね。
だからね、そういう音で地域が立せられるというか、緊張感走るわけですよね。
だからこれ危ないんですよね。
特にピアノなんか弾くとすごいですよ。
もうね、遅い時間まで弾くじゃないですか。
するとね、町屋の話で言うと、
あんたさんとこの娘さん、ピアノよう生まれましたですな、みたいなね。
お上手ですよね、みたいな感じで言われるわけですよね。
すごく上達して、すごく素晴らしいことですね、みたいなことをね。
逆を返せば、うるさいから早めに弾けよな、みたいな感じで。
早くそんなあたり気づかんとうるさで困りますよ、この野郎!みたいなね。
そういうことですよね。
それがね、音によって地域のアコースティックコミュニティが秩序を正しく織りなされてるっていうのがあって、
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そこを読み間違えるとね、やばいですよ、ほんと。
今は僕も含めてマンションとかにね、集合住宅に住んでて、
そのあたりの空気感がね、やや欠けてね、すごく緊張感のないところでね、町乱れてると思うんだけど。
いやー、危ないよね。
特にね、町の多いところ、室町通りは今はほとんどビルになっちゃったけどね、
ちょっと、お池通りから上の方だよね。
京都の西あたりぐらいは結構ね、ありますよ、それ未だに。
そういう音をね、感じたければね、午前、朝の5時とか、5、6時、7時ぐらいあたりにね、行かれるとすごくわかるので、
そういう京都はすごくはんなりして、なんか風情があっていいですなっていうことじゃない。
それ以外、その本質裏に隠れたね、京都の西っとしたところをね、
それをやっぱちゃんとね、聞いてほしいなと僕は思いますね。
はい、ということで西っとした話でございました。