1. 小松正史『耳の保養』
  2. 説教よりも、環境。
2024-09-10 09:37

説教よりも、環境。

子育てや教育現場の中で、言葉による促しは限界があります。必要なのは、環境や周囲の空気感ではないでしょうか。言葉にならない人の行動は、相手に少なからずの大きな影響及ぼします。
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/627e0afcfd1be6fc466131c8
00:03
みなさん、おはようございます。作曲家で大学教員の小松正史です。今日は、説教よりも環境っていう、なんか語呂合わせみたいな、そんなお話をしてみたいなと思います。
本題が始まる前に、本題を始める前に、一つお知らせでございます。小松のですね、40枚目のアルバムが、5月15日にリリースします。
タイトルは、漢方楽2という漢方楽シリーズなんですけれども、身の回りの音環境でもってですね、漢方的に人の心をですね、うまくこう、安らぎを与えたりとかですね、美容や健康につながるような、そんな感じの音になっておりまして、ピアノ主体なんですけれども、さまざまな楽曲、10曲ね、全部雰囲気が違うんですね。
そこをね、聴いていただいて、これ自分が一番いいシチュエーションで聴けるっていうような、そんな感じであの多数のバリエーションある音楽をね、入れておりますので、よろしかったらこちらにリンクを貼ってございますので、一度ね、YouTubeのあのえっと、主張のところもね、あのそこで飛んでいけますので、1回聴いていただけますと幸いでございます。
それでは本題へ行きましょう。
説教よりも環境っていうね、これはね、子育てとか、あと大学教育の中ですごくね、通説に感じていることなんですね。
口で言うのって、めちゃくちゃこうダイレクトで、一瞬こう送り手側としては伝えやすいんだけれども、特にあの子育てやね、学生もそうかもしれない、言葉ってなんか表面的なものというか、頭の中では一応情報としては入っていることが多いんだけど、実はそれってあんまりね、影響を与えないなっていうふうに、ほんとつくづく思うんですよ。
で、その環境っていうのは何かというと、喋ること以外の環境なんですね。
例えばなんですけど、親だったら普段子供は見てるじゃないですか、親の動きとか行動ね、口で言ってるけど本当は何もしてねえなとかね、逆のこともあるかもしれないけど、そういうふうに態度とか実際に行動してるところってありますよね。
口じゃなくて行動ね、早くしなさいと言いながら親が怠けていたりとかね、そういうこともあるかもしれないですしね、なんか口で言ってることと実際とは違うという行動、これはもうね、人間も誰しもあることなんですけど、そういうところでですね、ちょっとでもね、淡々と例えば家事をするとか、何か一定の仕事をしていくとかですね、子供に言ったことは実際に親が実践してるかどうかですよね。
そんな感じで、その環境、見てる環境によって子供であるとか学生なんかね、わかるんじゃないかなと思いますね。
僕は遅刻する学生さんっていうのはやっぱりいらっしゃいますよね、授業中に。そういう場合もですね、特に大きく来ないとか遅刻すんなということは言わないんですよね。
03:13
それは本人も悪いって思ってる人の方が、いろいろいらっしゃるけど、悪いと思ってる方の方が多いですし、そこで例えば声を上げたりなんかすると、初めから来てる学生さんにも声聞こえますからね、耳は開いてるから。
ネガティブな状態になるじゃないですか。そこでまたネガティブな状態にね、せっかく授業が盛り上がってる状態でネガティブな状態になった時に、また戻すのってめちゃかかるじゃないですかね。本当にね、状況を悪くするのは一瞬だけど、戻すってね、めっちゃ大変ですよね。
5秒で状況を悪くしても、戻すの5分から10分くらいかかりますからね。それほどネガティブな言葉を出すっていうのは人に影響を与えます。それは言葉にしてもテキストにしても多少そういうところはあると思うんですけど。
なので言葉っていう感じでやるとね、すごくうまく伝わらない、本意が伝わらなかったり、それが効果的とは思わないんですよね。
ということを言いながら、僕これ今音声で喋ってるから矛盾ですけどね、これ言葉だけで皆さんのところに届いてますからね。僕の態度を見えないんですよ。今何してるかね、一緒に座って手をブラブラして喋ってるっていうところは見えないわけですから。
言葉だけっていうところで、これも矛盾かなと思うんですけど、これは仕方ないですね、音声メディアの限界っていうところがあって、ご了承いただきたいと思うんですけども。
そんな感じで、口では言わない環境でもって、そっちの方が伝わることが多いかなっていう感じなんですね。
やっぱり本当に些細なことを言うとですね、ご飯食べた後っていうのが、自分でお皿を持って行っていくでしょ。洗ったりは僕はしますけど。
そういう時にね、そういうふうに見てると、家族が全員、自分のものは自分で持って行くのかなっていうふうな、そういう傾向になったりしますよね。すごく影響を与えるという。
これ、心理学の中ではアフォーダンスっていう言葉がありますけどね。アフォーダンスね。ちょっとわからない方はググってくださいね。
アフォーダンスっていうのは、やっぱり環境に応じて人の行動が変化したりとか、規定されたりとか、限定されたりとか、促されたりするっていうことなんですけど。
それっていうのがね、やっぱり今日の説教よりも環境っていうことで言いたいことなんですね。つまりアフォーダンスの話なんですよ。
とすると、やっぱりね、言葉っていうものの限界を感じつつ、態度とか態度のみならず、家の中だと周辺の環境ですよ。家のね、部屋とか色とか、照明とか音とかね、そういうものであるわけですよね。
06:11
教室でもそうです。それはどんな環境で授業をやってるのかでだいぶ変わってきますから、そういうところでやっぱり人っていうのは知らず知らずのうちに、無意識に近い領域の中で学習環境が育まれたりとか、大切なものっていうのが伝わったりするというような、そんな感じなんですね。
今話して思ったのがですね、糸井重里さんがよくおっしゃってて、自分の役割みたいなものとしてはですね、たい焼きがあったら、たい焼き器ってあるじゃないですか。たい焼きを作るための大きな金属みたいなもの。
そこに小麦粉とかね、小麦粉というか、たい焼きの素となるものとか、あんことか入れて、上下でパシッと挟むとですね、挟んで焼くとたい焼きができるみたいな。たい焼きを作る焼き器みたいなもんなんですよね、環境っていうのは。
そういうものを作っていくと、別に声は出したりとか、大きな力はそこに主体的には投げかけたりはしないんだけれども、結果的においしいたい焼きの形をしたものができるっていうか、それほど大きな影響を与えるわけなんですよ。
そういうたい焼き器みたいな感じのイメージが教育したりとか、子育てしたりするっていうことに繋がるのかなと思ったり、僕はしてますよね。そんな感じで日々の皆さんの生活の中でもですね、自分は何か他人に対して何か影響を与えたい、大事なものを伝えたいっていう場合は、言葉でもめちゃ喧嘩あります。
どうしたらたい焼き器としての教え方とか、接し方って何なんだろうっていうのを考える必要があるんじゃないかなっていうふうに僕は思ってて。僕は全然至ってないんですけどね、全然ね。もう大失敗の連続ですけれども。
このね、ボイス聞いていらっしゃる方本当にすごく意識が高い方々ばっかりですから、それを言うとね、たい焼き器的な自分の存在は何なのかっていうのはある程度はご理解というか直感で、こういうふうなことしてきたなっていうふうに多分大思いになるんじゃないんでしょうかね。
そこからまたより良い人との接し方、後輩であったり、部下であったり、子供であったりね、そういう方に対する何かのいい促しが多分できるんじゃないかなということで、今日はですね、言葉を使ったテキスト的意味論的な説教というよりも周辺的な環境というかね、間接的なものをコツコツとね、
積み上げるような形にして作り上げていけばですね、すごく良い効果、両方がね、よしよしの話じゃないんですよ。両方がうまく相まったところで生まれてくるものっていうのがあるんじゃないかと思って、そんな感じで今日はちょっと僕は密かに思ってるね、語句位みたいなものをね、お伝えしました。
09:18
説教よりも環境というね、これいい言葉だなと思ってね、誰かが言ったのかな、ちょっとパッと思いついてしまったんですけどね、まあよろしかったら参考にしていただけますと幸いです。それでは今日もね、聞いていただきましてありがとうございました。良い音の1日をお過ごしください。
09:37

コメント

スクロール