ラジオ収録への道と季節の移り変わり
おはようございます、小松でございます。
今からラジオの収録に行く予定にしてまして、
京都三条ラジオカフェというのが今から25年ぐらい前にできたんですけど、
そこでちょっとね、新しい本がね、去年出た本なんですけどね、
耳すまね、耳を澄ませば世界が変わる、
それの紹介の収録ということで、今から行くような感じの道、道中でございますね。
家から歩いて10分ぐらいで行けるんですよね。
わりと近いところに収録するところがありまして、
そんなところで行く手前でお話をしております。
今日ね、3月っていうことで皆さんもお引越しをしたりとか、
転職されたりするっていうこともいらっしゃると思うんですけど、
僕はそうなんですけどね。
何かと区切りを感じるような、そういう時期ですよね。
今収録しているのが3月30日なんですけど、
多分出てるのが3月31日ですよね。
だからね、年度の最後の日っていうことだよね。
僕はそういう時にね、転職というか大きく変わるときにすることがあるんですよ。
25年ぶりの箕面訪問と街の変化
それはね、以前住んでた場所にちょっと行くっていうことなんですよね。
昨日なんですけれども、
大阪、僕は半代の時の3年間博士課程にいたんですけど、
そこで見直しに実は住んでて、その場所をちょっと見てきました。
そこを離れてから僕は25年経ってるんですけど、一度も行ったことがないんですね。
今ってね、Googleのストリートビューとかそういうもので、
割と半年とか1年くらい前の風景にはなりますけど、
その場所を特定したりとかね、あと風景が見ることができるじゃないですか。
だから25年行ってないんだけど、ちょっと気になってちょこちょこと見てたことがあったんですよ。
でね、そこ実は今昔住んでたアパートみたいなところがあるんですけど、
2階建てで10個部屋があったかな。
僕は2階の203だったんですけど、
その建物が今は取り崩されて別の建物に変わってます。
それはもう風景でわかってるので、
特にね、それをいきなりそこに行って、家がないとかっていう風な感じは思わないんですけど、
それにしてもですね、昔いたらそうが全くこう、周りが風景変わってますというですね、
建物がないだけじゃなくて、見直しとかね、北千里の方なんですけど、
すごいね、開発されてるんですよね。
昔山というか丘みたいなところだったのがですね、
切り崩されてマンションが建ったりとかね、集合住宅が建ったりとか、
1戸建ての住宅ができたりとかね、そんな感じの場所なので、
本当に変わったというか変わってないのはね、
大きな昔からある建物と道ですね。
道ではさすがに変わってなかったかな。
ちょっと丘の方の上の方にある場所だったので、
ちょっとくねくねするんですよ、行く時に。
ほんの、どうだろう、2,3分くらい山道というかね、そういうところは上がるんですけど、
そこの道は変わらず、そしてこの時期に桜が咲くんですよね。
その桜の木も未だにあったりとかして、
2階から見た風景は、2階には登れないけれどね、すごくそれはありました。
ずっと昔から同じ、25年前から同じ風景ということで、
つまり変わる風景と変わらない風景の両方を確認したっていうことなんですよね。
近場にね、昔は国立循環器病センターという、
心臓とかね、かなり血液関係、血管関係の専門的な病院があったんですよ。
めちゃくちゃでかい病院ですよね。
千里の方はね、昔は本当に滝破とかそういうところが多かったので、
ほとんど土地がめちゃくちゃ余ってたわけなんですよね。
そこに建てたんでしょうね。
国立循環器病センターというのが当時からあってですね、
今それで行ったらですね、ないんですよ。
全然ね、風景変わってて。
何に変わってたかというと、商業施設と集合住宅と一戸建てが上手いこと層に分かれて建ってましたね。
びっくりですよね。
道路から近いところが商業施設、そして真ん中の方で、
ちょこっと集合住宅じゃないわ、一戸建ての区画の中で住宅がポツポツあって、
それで奥の方にですね、昔循環器病センターの病院の建物があったところに、
大型の分床マンションが建っててですね、あれここどこだろうみたいなね、そんな感じだったんですよね。
それで浦島太郎の状況というか現象みたいな感じで、ここはどこなのだみたいな感じなんですよね。
フィールドワークの記憶と失われた木
しかも僕は半大時代に樹木の葉の擦れ合う音を研究してましてですね、
そのフィールドワークですね、音を葉の擦れ合う音、葉擦れ音といって言いますけど、
それを収録を実際のフィールドに出てですね、風速を感じながらというか計測しながら音量とかですね、
あと音を録音したりとか、騒音計で音圧レベルを測ったりとかしてたんですけど、
そのポプラの木、イタリア山なら知っているのがありましてですね、
そこのフィールドがですね、千里北公園という国立循環機美容センターがもともとあった場所の隣に千里北高校があるのかな、
北千里高校、千里北高校、公立の高校ですよ。
それがあって、それで隣に公園があるんですね。
千里北公園、どっちだったかな。
そこで調査してたんですよ。
で、あいにくですね、その木がなくなってしまってて、新しい木にね、植わって、植え替えられていたんですよね。
昔、苦労を共にしたって言ったら変ですけど、そういう木がですね、なくなっていたというような感じで、
ちょっと切なかったかなとは思うんですけど、そこの丘は同じ風景だし、
そこの場所は建物が建ってなくて、本当にダダっぴろい状況だったので、昔と変わらずね、
昔ここに本当に先が見えないままね、やっぱり大学院生とか大学生の時って先見えないじゃないですか、
就活とか仕事はどうするのかとかね、本当に真面目に生きていけるのだろうかとかって結構考えましたですけど、
そういうことを考えながら歩いた丘とかね、道とかね、林なんかが残ってて、
いやー本当に25年経ってですね、僕は大学で働いていますけれども、その時の感覚っていうのがね、
蘇ってきましたね。ということで、節目節目の時にですね、やっぱりすごく自分が学生時代に住んでいた場所とか、
その段階の前の住処とかですね、そこに行って確認することがあったということの今日お話なんですけどね。
BeingとDoingの葛藤と大学院時代の経験
思ったのが、大学院って結構、理系の大学院だと結構ですね、やることが多いんですよね。
3年間の家庭博士の中で、砂読論文、ジャーチ付きの砂読論文を3本以上出さないと博士論文取れないんですよね。
で、その取っている最中の時って結構さ、自分のしたいことではあるんだけど、やっぱり義務とかドゥイングがすごく多いんですよね。
これをしないとできないとか、これをしないと卒業できないとかって、やっぱり学生時代、特に博士なんかはすごく厳しいですから、
まあ工学博士ですけどね、やっぱりあるわけなんですよね。
するとそういうところって結構、自分が志願して大学院に入るわけなんだから、別に人から言われてやったわけじゃないじゃないですか。
でもですね、そこで僕は本当はビーイングで大学院に行ったんだけれども、結果的に3年間はですね、
ドゥイングにね、ちょっと気持ち的にはなってしまってたっていうところがあったわけなんですよね。
これは誰でもそういうところあると思いますよ。
で、その後で就職してね、就職ってこう、一瞬、教育もやるし、いろんなこともやるけど、
ちょっとビーイング的なところってやっぱりちょっとあるじゃないですか。大学に就職したからって言ってね。
ただ、仕事してると25年、そこで大学でね、最初の大学で仕事しましたけど、
初めはちょっともちろん仕事だからね、ドゥイングとビーイングは一緒にあると思うんですよね。
でもね、明らかにね、相田大学はね、やっぱりドゥイングが多すぎたっていう。
どんどんどんどんそれが出てきて、結局自分のビーイングができなくなったっていうのがね、大きな転職の原因なんだけど。
そういう感じで、ちょっとビーイングがありそうだなと思いながら結局、今思えばですよ。
でも、大学院でしんどかったっていうのは、それはもうビーイングじゃないのっていうことなんですよね。
やっぱりビーイングで自分のしたいことをやるっていうことで、結局しんどいけど博士号もらえるじゃないですか。
その経験が今もこうしてね、音声で喋っていてるように自分の中ではちゃんと消化してですね、
経験としてやっぱりいい音の感性につながっているわけなので、これは明らかにビーイングですよね。
そういうことが、やっぱり一つ前にいたね、25年前にいた下宿潰れてしまったけどね、それを見てですね、
やっぱり大学院とか勉強、研究っていうのはやっぱりね、ビーイングでやれたんだっていうのが今回ね、
ちょっと10分とか15分しか場所を入れなかったりですけど、そこをすごく感じたところなんですよね。
Beingの再起動と新たな基盤
大学はね、いろんな立場があるけれども、ちょっとね、自分らしいとかビーイングのあたりでできるとは確かに思うんですよ。
でもね、やっぱりね、ちょっと病気になるに近いぐらいのところでビーイングがですね、ちょっと奪い取られてきたっていうのがやっぱり前の大学であったので、
そこが今度はやっぱりね、いいバランスでできるところ、ビーイングとドゥイングの間ですよね。
そのあたりをしっかりと自分なりに意識をしてもしなくても、僕の感覚としてはそこにいるOSですよね。
基盤というか土台がしっかりしていれば教員も自然とビーイングの部分をうまく磨き上げることができると思うんですよね。
そのあたりを考えてですね、やっぱり反対時代はすごい大変だったけど良かったんだなっていうか、今につながるものをやっぱり培ってきたので、
やっぱりそれをね、もう一回そのOSを、ビーイングのOSをですね、もう一回再起動してやっていきたいなっていうのがね、今回25年前の未能に帰って思ったことなんですよね。
そんな感じで、やっぱり節目節目にね、皆さんも昔いた場所とか、ちょっと今の住処をですね、ちょっと離れて考える時間がね、ちょっとはるめいてきて温かくなってきましたですからね。
そんなことができたらいいんじゃないかなということで今日はね、そんなお話をしてみました。