みなさんこんにちは、MARSです。今日も始まりますMARSのスダラジ。
みなさんこんにちは、MARSです。今日も聞いていただきありがとうございます。
今回のスダラジはですね、自分が小さい頃から感じていた自分と他人との考え方とか感じ方の違和感、そして自分と社会の感覚の違和感、これが結構あったことに最近気づいたんですよ。
で、そのせいで生きづらさですね、この地球上での生きづらさを感じていたという部分があって、で、自分は生きやすいようにこの地球の生き方に無理矢理合わせていたという感覚があるんですね。
で、今それがですね、少しずつ変化しているということがあって、ちょっとね、いろいろと考えていることを思ったことをですね、話してみたいと思います。
どんな話になるかわかりませんけれども、昔からのね、違和感をちょっと話してみたらというふうに思っています。
このMARSのスダラジは一つのテーマに沿って台本なしのフリートークをするというコーナーです。
気になったこと、考えていること、人生のこと、ちょっと重いテーマなど、その時その時にピンときた話ができたらいいなというコーナーです。
スダは韓国語でおしゃべりラジはラジオ、おしゃべりラジオという感じで聞いていただければというふうに思っています。
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ということで、ちょっと長くなるかもしれませんけれども、感じたこと、思ったこと、まとめたことをつらつらと話してみたいと思います。
では最後までゆっくりと聞いてくださいね。
はい、ということで今回はちょっと重くなるかもしれませんけれども、私が小さい頃から感じていた自分と他人との違和感、自分と社会との違和感、それをちょっと話してみたらというふうに思っています。
これはですね、昔からそういう違和感を感じていたんですけれども、もちろんそんな意識はなく、自分でもよくわからないので、その生きづらさですね、生きづらさを感じながらも、自分は社会に、周りの環境に合わせて生きてきたんですね。
で、周りの環境が必要であるならば、そういうふうに合わせて生きてきたんです。
でないとこの地球上で生きられないからということで、自分はですね、他人とか他の環境に合わせて生きていたんですね。
で、それが最近違和感だなというのを感じるようになってきて、で、現在もですね、やはりこの地球で暮らすにはすごく違和感があるんですよ。
特に人間と交流するときですね、これがちょっと違和感があって、なかなかなじめないという感覚があったんですよね。
で、それはなぜかといろいろ考えて、で、言語化することができたんですけども、それを少しですね、小さい頃からの自分の感覚をね、お話ししてみたいなというふうに思っています。
まずですね、自分が小学校ぐらいに上がったときから、やはりね、考えてみれば、違和感というのは感じていたんですよね。
自分と他人の考え方の違い、そして自分と環境、周りの環境の違いですね。これが違うなというふうに感じていました。
何が違うかという言葉にね、表すのはちょっと難しいんですけれども、自分の感覚と、やっぱりこう、社会、社会というかね、環境、周りの環境、学校とか、その環境にすごく戸惑っている自分がいたんですよね。
それは自分の感覚で覚えています。でもそれがね、違和感とは感じられなくて、ひたすらね、周りに合わせていた記憶があるんですけども、それは何かというと、やっぱりね、やっぱりこう、自分と他人の考え方、感じ方、これが違うなというふうに思ったんですよ。
何が違うかってね、ちょっと具体的には何とも言えないんですけれども、波動が合わないって言ったらいいのかな。こう、何て言うんだろう、感じ方が違うというのをずっとね、感じながら生きてきました。
で、それは、それの原因はですね、昔いろいろ考えたんですけども、多分自分がこの小学校までの家庭でね、育ってきたその環境と感覚、それが社会での感覚と違うんだというふうに思っていたわけなんですよ。
つまり、私は多分ね、家庭ですごく守られて育てられたんですよね。多分愛情たっぷり与えられて育てられて、で、まあもちろんね、家庭にも問題ありましたし、いろんな親が夫婦喧嘩とかしてた時もありましたけれども、それでもね、親の愛情は感じて育ってきたんですよ。
で、すごくね、愛情たっぷりに育ってきたので、社会に出てね、小学校とかあと仕事とかそういったところに出て、他の人と交流する、一緒の時間を過ごす、共有するということに関してすごくね、苦手意識があったんですよね。
それが多分、それは人見知りということで片付けてたと思うんですよね。なぜかというと、自分は、まあ簡単に言ってしまえばね、家庭では甘く育てられてきた。でも社会に出たら厳しい環境。本当にあの、なんていうかな、自分はすごくね、人に対してまず、こう、平和的に仲良くなりたいというふうに思うんですよ。
でも他の人はね、そういう人ばかりじゃないんですよね。やっぱり最初から人を見下している人もいるし、人に対して辛くあたる人もいるし、そういう人と出会うことによって、やっぱり自分とその他人の人とは違うなというふうに思ったし、学校とかね、そういう決められた道がありますよね。そういった道に対しても違和感は感じていたんですよね。
そんなことするものじゃないっていうか、今考えればですね、たぶん、まあ生まれる前はですね、この地球に生まれる前は、なんて言うんだろうな、精神的な面をすごく重要視してていたのに、この地球上に降りてきたら、物質的なそういう面を重要視させられて、すごく戸惑ってるっていう感覚だったのかもしれないですね。
そういう感覚がずっとあったんですよ。今までね、生きてきた、ずっと今も思ってますけれども、本当にね、この地球では生きづらいなっていう思いしかなかったんです。もちろんね、いいこともたくさんありますし、すごくね、いい人もたくさんいましたし、人の愛情を感じたこともたくさんありますよ。でもね、でもやっぱり全体で見たら、やっぱり周りの環境は自分には合わないなとずっと思ったんですよね。
で、まずその合わないなというふうに思った理由は、えっとね、昔から自分はこの、なんていうかな、人気者とかそういう人に対して絶対にあまり好きになれなかったんですよ。だからテレビで昔ね、アイドルとかそういう若くて可愛い女の子とかかっこいい男の子とかそういうね人がすごく人気ありましたよね。そういう人に対してすごくね、嫌だったんですよね。そういう人を受け入れられなかったんですよ。
それはなぜかなと思ったんですけども、多分、まあ前世でね、いろんなことがあって、そういう人を受け入れられない環境にいたから、自分は今現在ね、性を受けたこの自分がそれを受け入れられないのかなっていうふうに思ったんですよね。
でも多分違うと思うんですよね、それが。みんなね、例えば学校に行ってるとね、クラスメイトがやっぱりアイドルのことが好きだとか騒いでたりするんですよ。でも自分は全然そんな興味なくて、アイドルとか全然興味なくて、すごくね、嫌ってたかな。
で、反対に全然人気のない人でもすごくね、味のある人、人間味のある人が好きだったんですよね。だから外見とか、そういう周りのね、見た目でこのかっこいいとか可愛いとかっていう人よりも、外見じゃなくて中身の、中身がいい人、そういう人に注目してたんですよね。そういう子供だったんです、昔から。
本当に可愛げのない子供だったんですよね。で、まずはそういうところから全然ね、自分の感覚と他人の感覚が違うなっていうふうに思ってたんですよ。で、仕事とか始めるとやっぱりね、昔からパワハラもありましたしね。で、一緒に働いてる人は優しい人ももちろんいましたけども、そうじゃない人もたくさんいて、そういう人から嫌がらせを受けたりとかするわけなんですよ。
自分はそういうことは他人に対してはしたくないんですよね。でもそういうことをする人がいるんです、私に対して。で、そういう人に対してニガティ意識を持ったりとかするわけなんですよね。で、そういう感覚自体が違うんですよ、やっぱり最初から。
だから、簡単に言っちゃえばね、波動が違うんだなと思ってるんですよ。自分の波動と他人の波動が違うから、そういうね、その違和感を感じるんだなっていうふうに思ったんですよね。で、社会に出てもそういうね、違和感ばっかり感じながら生きてきたし、で、私はね、もともとそういうなんていうかな人から人気があるとか、人からすごくね尊敬されるとか、そういうタイプの人間じゃないんですよね。
だから、まあ嫌われたりするし、もちろんね、気に入ってくれる人もいるし、自分が気に入った人といろいろね、すごくいい交流ができたこともたくさんありますけれども、そうじゃないこともたくさんあって、なぜ自分はそんなに気に入られないのかなとか思うんですよね。それはやっぱり自分と他人が違うからだっていうふうに思ったんですよ。
だから自分は全然この地球上に住んでる人と全くね、別の人間じゃないかっていうぐらい思ったこともあったんですよね。だからといって、宇宙から来た宇宙人だとは思ってなかったんですよ。その辺がちょっとね、まあ曖昧だったんですけども、だからもともとといえばですね、自分の家庭と社会の波動が違ったから、家庭から社会に出るときにその違和感に気づいた。
それを引きずってずっと今まで生きていたという感じだったと思うんですよね。で、それがずっと今まで続いてます。
で、結論ですけども何が言いたいかと言いますと、生きづらさの原因ですね。これは自分と他人の意識レベルとか波動レベルの違いだというふうに今ですね、結論付けたんですよね。
自分はピュアな部分が多くて、他人とは笑って仲良く関係を持ちたいという気持ちが多いんですよ。でも現実にはそんな気持ちとは裏腹に他人をね、搾取したりとか見下したりとか無感情な人とかそういう人もたくさんいるんですよね。
そんな人たちに会うと本当にね、気持ちが落ち込んだりとか嫌な気持ちになったりとかするわけなんですよね。そういう人とは、自分とは波動が合うわけがないんですよ。
つまり本来ね、意識とか波動が違う人とは交わることがないのになぜか自分は波動が違う人たちと同じ環境で活動しなければならなかったんですよね。
そこに矛盾が生じて問題が起こったというふうに思うんですよね。
でね、もっと言うとですね、うーん、もっとね、ちょっとカッコつけて言うとですね、自分の意識は5次元意識で他人は3次元意識だから意識が合わないんだっていうふうに最近思うようになってきたんですよ。
これはまあはっきりわかんないです。私は最近このいろんな知識を持ってそういうふうな環境なのかもしれないというふうに思っただけであって、自分がね、5次元だからすごいとかそういう意味じゃなくて、やっぱり意識の違いは完璧にあります。
完全に自分と他人の意識は違うというふうに思うんですけども、それは5次元意識、つまり物質的なものよりも精神的なものに価値を置くような性格だからかもしれないというふうに思ったんですよ。
人だったら外見とかね、そういったものではなく、物質をね、たくさん持って満足するものではなく、言葉はいらないから本当に精神的なつながりを求めてるっていう性格なんですね、自分って。なのでそっちの方、そういう性格だから多分言ってみれば5次元の意識じゃないですか、そういって。
他の人は物質とかね、外見とかそういったものに価値を置いて、自分と合わない人は見下す、そして搾取する、そんな人が多かったんですよね、この地球上では。だからこそこういったね、地球で生きるのが生きづらいんだなっていうふうに思ったわけなんですよ。
で、最近ね、思ったのは言葉をね、あまり発せられなくなったっていうか、意識的に発せないとちゃんと言葉がね、出てこなくなってきたんですよ。これって年のせいかなっていうのを思ったんですよね。なんか英語もね、別に苦手じゃないんですよ。英語も喋れるんですよ。でもね、出てこないんです、言葉が。で、さらに日本語もですね、出てこないんですよ。
これは海外生活あるあるなんですけども、日本人が海外で生活すると、英語ばっかり喋ってると、日本語が喋れなくなる。でも英語も完璧じゃない。で、私は三角語喋れますんで、韓国語も喋れます。こうなるとですね、3つの言葉がですね、頭の中でぐるぐる回っててですね、なかなかこう思うように言葉が出ないっていうことがあるんですけども、そのせいだとは思っていたんですけども、最近はですね、英語も日本語も言葉がね、出てこないんですよ。
でもね、本当にね、頭が回らないんですよ。これがね、本当に不思議で、別に、なんかな、年のせいかなっていうふうに思ったんですけども、ちょっとおかしいぐらい頭が回らないんですよね。これは多分何かなっていうふうに思ったんですが、いろいろとね、調べてみたら、やっぱりね、言葉とか物質的なものよりも精神的なものを求めているから。
そして地球がね、アセンションして、そういう環境になってきたから、自分が影響を受けているというふうに結論付けたいなっていうふうに思ったんですよ。なので、本当にね、自分の体自体が変わってきて、まずね、自分の精神的なものが変わってきて、体が変わってきてるなっていうふうに思ったんですよね。
だから本当にね、この地球上で生きるのにすごくね、苦労したって自分では思ってるんですよね。うーん、なんか本当にね、もう純風満帆なそういう人生ではなかったし、常にですね、他人に対してすごく苦手意識が多かったんですよ。
うーん、そういう人生だったので、これはなぜかなと思ったんですけども、やっぱり自分の意識と他人の意識が違うっていうふうに思ったし、最近だったら地球がアセンションしてきて、本当にね、言葉なんて出さなくてもいいって思うくらいに思ってきたんですよ。もう精神的にね、もうわかるんじゃないかっていう、そういう交流を求めているんですよね。
だから本当にこうやっていつもね、あのー、ポッドキャスターで話してますけども、本当にね、話そうっていう努力しないと話せない状態になってるんです、今。本当にね、話すのが辛いんですよ。でも、この話すことはやめたら、本当に人間として生きていけないので、本当に頑張って喋ってるんですけども、言葉なんていらないと思うんですよ、本当に。だから精神的なね、この目と目があって、そして意識があれば全然言葉なんていらないと思ってるんですよ。
それぐらいですね、私は本当になんか最近変わってきたんですよね。そういうところがあるので、もう本当にね、自分の意識と他人の意識、そして最近のね、自分の意識の変化、体の変化、その頭の変化ですね。これがすごいなっていうふうに感じます。
なので、何が言いたいかというと、本当に自分はこの、結局はね、この生きづらさを感じたいがために生まれてきたのかなっていうふうに思ってるんですよ。多分、このクモの上ではですね、すごくね、生きやすかったんだと思うんですよね。
でも、それがその環境に甘えてると自分が成長しないので、この生きづらい環境で生きることを選択して、こういう環境に生まれてきたのかなっていうふうに思いました。
はい、という感じで、自分でもね、取り留めもなくいろいろ話してきましたが、理解してくださった方はいるかどうかわかりませんけれども、とりあえずですね、何が言いたいかというと、私は小さい頃から自分と他人、自分と周りの環境に違和感を感じていた。
でもそれは違和感とは感じることがなく、周りに合わせなきゃいけないと思ったから、合わせて生きてきた。それが生きづらさになってきたということだと思うんですよね。
で、なぜこんな生きづらいかということなんですけども、自分の波動と他人の波動が違うからということですね。
で、自分がね、良いとか悪いとかではなく、自分の意識と他人の意識が違ったんですよ。
つまり私は精神的なものをずっと求めていて、他の人とは違う精神だったんですよね、多分ね。
だから、すごく生きるのが辛かったし、生きるのが大変だったんですよ。今でもそうです。
今でも本当にね、この地球上の生活から脱したいと思っているぐらい、とても生きづらいです。
自分は本当にね、精神的なものを、他人との交流ですごくね、喜びとか、そういう精神的な交流をしたいのに、そうじゃない人がいっぱいあるんですよね。
だから多分、そういう人と交流するために生まれてきたんだなっていう結論になりました。
本当にちょっと今日は、いろいろと長く話しましたが、自分の今までの一生の感覚を言葉にしてみました。
とても辛かったですけども、これからも頑張りたいと思います。
ではまた次回も聞いてください。お相手はマウスでした。