発信の影響力と卒業生からのメッセージ
今日、お伝えしたいのが、発信の影響力なんですよね。
僕も、結構発信して、色々影響あるだろうなぁと思いながら、ただ人数的にはめちゃくちゃ少ないんで、
あまり期待も何もせず、自分が喋るというか、ある種、修行と言ったらちょっときつい言い方かもしれないけど、
日々のルーティンですよね。それでやってるので、自己確認作業のために朝、通勤の時にやってるの過ぎないんですけど、
それで思ったのが、やっぱり影響を与えてるんだなっていうことなんですよね。
なんでそれを思ったかというと、今日だったかな、朝に、フェイスブックで別に友達にはなってないんですけどね、
元、全人口の卒業生からメッセージが来たんですよね。内容はちょっとアバウトにしておきますけど、
久しぶりで僕の発信を聞いてくださってるという感じなんですよね。
そこでちょっと、自分の配信の仕方とか生き方にすごく近いというか、すごくよく理解してもらってるなって言うんですけども、
僕の影響力なんですよね。静かにゆっくりと影響を与える人ですねって書いてあったんですよね。
音声による心理的影響
なるほどっていう。ここがね、今のSNSとか、アテンションエコノミーの世知辛い中ではね、
かなりフリーというか、フリーとも思ってないんだけど、やっぱりそこがね、自分の中では一番こう、
無意識に意識してやってるわけじゃないんですけど、無意識にすごく影響を与えてるんだなっていう。
これは音声、特にそうですよね。聴覚なんでね。脳の中の感情エリア、感情処理エリアにすごく働くから、
前頭腰の扁桃体とかね、その辺りに来るので、好きな配信者の声って好きじゃないですか。
でも内容は割とこう、いいこと言ってるんだけど、声が嫌いな配信者って、自分これすごく生理的に合わないっていうのが多分ありますよね、声っていうのがね。
そういうのがあるので、聴覚的な刺激っていうのはすごく、心理的な影響をすごく与えやすいところがありますよね。
それで僕の配信をずっと聞いてくださっている方っていうのは、内容はともかく生理的に嫌じゃないんだなっていうかね、そういうところがあると思うんですよね。
大学時代の思い出と教員としての在り方
それでその学生、90年の後半に入学されたんですよね。98っていうふうに書いてあったので、だから僕が来たのが2001年だから全人校、8、9、10、予定の時に多分ね、僕の授業を受けられたのかもしれないですよね。
視聴覚記録法演習とか、あと何かあったよね。いくつかあったと思うんですけど、それでちょっと半大の大学院修了して、それでもうむちゃくちゃこう、どういうのかな、結構研究が大変だったんで、
開放感もあってですね、働いてるって感じを僕はしてなかったですよね、入った時。年もね、多分大学4年生の方と僕6歳から7歳しか違わないと思うんですよね。
多分ね、22か23くらいの手前くらい、22だとしたら僕30で来てるから、23だとしても6、7歳しか離れてない。すごいですよね。今って学生18でしょ、今55だから。
30年以上離れてる、もっと離れてるかな、23、24、28、30、だからもう30、6、7歳離れてるわけですよね。だからほんと違う、全く違うエリアというかね、だけどその頃は6、7歳しか離れてないからね。
やっぱ影響力をすごい与えてしまいがちというか、まあまあ年の関係だけじゃないと思うんですけど、そういう近いところでね、すいません、今懺悔します。好きなことやってました、もう本当に。もうね、毎日が授業じゃないんですよね。
もう大勢配信ですよ。これこんな風に喋って、ほんとアドリブで僕いくらでも喋っちゃうので、小っちゃい時に言われたよね、なんか親とか先生から。もうね、正文くんはもう1人で3人か4人くらいいるよ、うるさいなみたいな。
1人っ子なんだけどうるさいっていうね。1人っ子だからうるさくできたのかもしれないけどね、上とか下の影響がないからね。まあそういう感じなんですよね。
でね、まあそういう授業っていうのは計らずも人に影響を与えますよね。何が影響を与えるって何気ない一言なんですよね。あと風景ね。教員の喋ってるとかなんかしてる言語以外の風景って覚えてるじゃないですか。
それがたぶんね、その学生は覚えてるなと思いますよ。もうひどかったですからね。ひどいことをもう言えないぐらい、ここでは言えないぐらいのことをちょっとやってしまってるので。
まあ多分、教宅の上に座ったりとかね。もうひどい。いや本当にね、めちゃくちゃやってたなみたいな。それを許してくれた時代はありがたかったと思いますけどね、全人校ね。
本当に、なんでここに僕いるのかなって感じですよね。働いてんだけど、友達みたいに学生と話して、夜中とかまで話したりね。今コンプラ的に危ないですよね、そんな大学の中に長いこと言ってね。
公的な空間だから特に問題はないわけなんですけどね。夜遅くまで話し込むんですよ、11時頃まで。帰らないんですよ、学生がね。やばいなと思いながらね。
まあまあそういうこともあったし、すごくいい時代だと思うんですけど。
BeingとDoingの違い、教員としての影響
そこで今日の言いたいことは、ビーングなんですよね。なんかね、知識とか義務とか課題は忘れるんですよ。特に教えたこともあんまないし。
やっぱり、ドゥイングは忘れるんだけどビーングは残るっていうね。そういうとこでね、僕はその方はフェイスブックで顔を見たけどね、ちょっと覚えてないかな。
直接出会うと思い出すかもしれないんですけど、声とかね。あんま覚えてないんですよね。
でも結構ね、相手は覚えてるんですよね。これが教員運用の典型的なものだと思うんですけど。
だからやっぱりなんか無意識に影響を与えてるというか。だからね、今のね、立場なんでもいろいろ先生方と話すんですけど、やっぱね、教員が偉いとかそういう意味じゃないですよ。
教員はやっぱりリスペクトされる存在でないとダメっていう話になったんですよね。確かに当然ですよね。
だからね、人間的な部分をちゃんと自分なりにお互いがリスペクトし合って、片方のリスペクトじゃないのでね。
リスペクトし合って、存在できるような人格のある人ってやっぱり教員なのかなっていうね。
僕もそういうのは目指すというか意識をしてますけどね。
無意識の影響と生きている実感
ということでちょっと研究室に来ました。途中ね、通行するのに時間がかかったりしてこっちに来ました。
ということでリスペクトされる教員でなければならないっていうのが確かにありますけど、
それが自分がそうなっているかどうかわからないんですけどね。
無意識にそのあたりをこの配信とか、この配信を元に文字化してノートにしたりしてますけど、
そういうエッセンスが伝わるっていうのが生きていることっていうんですかね。
限られた人数の中での影響のし合い方だとは思いますけれどもね。
そういうのをちょっと今日フェイスブック経営でメッセンジャーでいただいたので、
卒業生、全人校、聖火大学の卒業生さんから本当に25年か4年ぐらい前の授業を聞いていらしたんだと思うんだけどね。
ちょっとビーングの話を先ほどしましたけど、いろいろな人生の中でキロに立つというか、
不死命をその方も感じておられるというか、そういう境遇にあられるみたいで、
そういうときにふと思うんですよね。
影響力というか小さいけれどもじわっと影響しているような、そういう存在がいたらそこに立ち戻るというね。
不死命が感じられたときにビーングが出るというか、
普段は氷山の一角の水面下に存在している領域のような気がするんですけど、
それが出てくるというのかね、必ず出てくるんですよね。
何か振り返るとか、メタ認知をせざるを得ないときになった場合に出てくる。
多分自分はそういう存在なのかなと思いますし、
僕のそういうところでほのかに影響し合えるところがあれば、それが生きていることなのかなと思いますね。
それで発信をそれなりに日頃のルーチンとはいえ、めちゃくちゃ体力をかけているところもどうしてもあるので、
そこが伝わっていたら本当に良かったなと思うので、感謝の気持ちで今日はそんなお話をさせていただきました。