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2024-12-07 17:10

#16 魂が宿る木 / 大江健三郎『「自分の木」の下で』より「どうして生きてきたのですか?」 その2

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今回は、大江健三郎さんの随筆「自分の木の下で」

2つの随筆を紹介しています。
一つ目は、「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」
この問いに対して、大江健三郎さんならではの答えが書かれています。

もう一つは、「どうして生きてきたのですか?」
こちらは、魂が宿る木を巡って、対話が繰り広げられます。
自分がなぜ生きてきたのか、どのようにして生きてきたのか
ということについて、大江健三郎さんが自ら向き合います。
00:00
もう一個ね、次のエッセイなんですけど、「どうして生きてきたのですか?」っていうタイトルなんですよ。
どうして生きてきたのですか? じゃあ、ちょっと
読んでいきますね。 これ、あの、祖母の、祖母との話なんですよ。
大江さんのおばあさまという話。
で、その、大江さんのおばあさんが、とても話すことが上手で、面白いんですと。
その話の一つに、こういう話があるっていう話を紹介してくれてるんですね。で、読んでいきますね。
その話の一つに、神間の人にはそれぞれ、自分の木と決められている樹木が森の高みにあるというものがありました。
人の魂は、その自分の木の根元から谷間に降りてきて、人間として体に入る。
死ぬ時には体がなくなるだけで、魂はその木のところへ戻っていくのだ。って言うんですよ。
すごい姿勢感ですね。すごいですね。これね。
めっちゃ映像出た、今。ねえ。
これ、これだから、こういうおばあちゃんだから、さっきのああいうお母さんの発言が出てくるんですよ。これ。
そう繋がってんですね。
これ、興味深いね。
それでね、読んでいくとね。
私が、自分の木はどこにあるのだろうかと尋ねると、
これから死のうという時、ちゃんと魂の目を開けていればわかるでしょうが、という答えでした。
これから死のうとする時に、魂の目を開けていれば、
そうなあ。
だから、なんか
芸術
일난
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死のうという時、ちゃんと魂の目を開けていればわかるでしょうが、という答えでした。
これから死のうとする時に、魂の目を開けていればと。
そうなのか。
なんだろうね、確かにね。
読むとね、今から急いでそれを知ってどうするのか。
本当に頭のいい魂は、生まれてくる時、どの木からやってきたか覚えているけれど、軽率に口には出さぬと言いますよ。
そして森の中に入って、たまたま自分の木の下に立っていると、年をとってしまった自分に会うことがある。
そういう時、特に子供は、その人に対してどう振る舞ったらいいかわからないから、自分の木には近づかないほうがいいのだ、というのが祖母の教訓でした。
おー。
面白い。
03:01
うん。
ねー、面白い。
本当に頭のいい人は、生まれてくる前の記憶があるんだよね。だから、どの木からやってくるのか覚えている。
わかってるからいけるんだ。
でもそんなの、軽率には口に出してはいけない。ということもわかってるんですって。
うーん、なるほど。それもわかってるね。
で、もう一個おもろいのがね、森の中に入って、たまたま自分の木の下に立っていると、年をとってしまった自分と会うことがあるって言うんですよ。
で、そうしたら戸惑っちゃうから、どうしていいかわかんないから、自分の木には近づかないほうがいいよっていうことが教訓なんですって。
そういうのがこう言い伝われてるのかな?
どうなんだろうね。
でもそうなのかもね。
ちょっと昔話、日本昔話みたいな感じっていうか。
面白いですね。
読んでいきますね。
はい。
正直に言って、私は自分の木を覚えているだけ、頭のいい魂でなかったことが残念でした。
ある時には森で一人で入っていって、立派に感じられる大きな木の下に立って、年をとった自分がやってこないかと待っていたこともあります。
うまくその人に会うことができれば、私は質問したいと思いました。
学校で習う標準語で、問いかける準備をしていたのでした。
おー。
ここでね、まずこれが面白いね。
この子供を植えけんざぶるさんがこれが面白いね。
そうですね。
ほんとに。
やっぱ行きたくなっちゃうよね。
で、大きな木があって、これかなーって思っててね。
やってこないかなーって思ってね。
そうですよね。
質問を準備してたんですって。
ね、気になる。
これ自分だったらね、もしその年をとった自分が現れてきて、何を問うかって考えてみてもいいよね。
確かに。
ここで立ち止まってちょっと一瞬考えた方が面白いですね。
中田さんだったら何を問いかけてみた。
で、年をとった自分に木でバッタリ会うんですよね。
いやーもうなんか安直ですけど、なんかどうだった?どんな人生だった?
その中身っていうよりはね、どう感じた?ってことはちょっと聞いてみたいなとか思って。
ちゅんさんは?
うん。
確かになー。
ちゅんさん考えてた?それとも今考えてる?
今考えてる。
そうだよなー。
年をとった自分でしょ。
そうだよね。だから多分もうおじいちゃんの自分が木の下にいるってことだよね。
なんかあれかな、若い自分、今の自分に向かって何か一つだけアドバイスするとしたら何て書けてくれる?
06:00
何かね、聞いてみたいね。
確かに。
そのアドバイスだったらちょっと聞けるかもしれない。
ねー。
ちょっと読んで。
確かにね。
応援少年はなるっていうか。
どうして生きてきたのですか?
これ小説の随筆のタイトルなんです。
どうして生きてきたのですか?
普通の使い方でどうしてという言葉には、どのような方法で?と、なぜ?と2つの意味がありますね。
子供の私はこの2つの意味を一緒にして尋ねたい気持ちだったように思います。
おおー。
どのような方法でここまで生きてきたのですか?
一つ目の意味。
中田さんの問いにちょっと近いのかもね。
どうなんだろうね。
でもちょっとまた違う感じがします。
違うか。
もう一つは、なぜ生きてきたのですか?
そこはすごく、2番目はちょっと不思議さもあるよね。
なぜ生きてきたのですか?
そうだね。ちょっとこれ文脈によっていろんな捉え方ができるね。この問いかけはね。
面白い。その2つをどっちも混ぜて使っている感覚が当時あった。
そう。この2つをはっきり自分で分かるようになった。
なるほど。そこはちょっと子供っぽくていいね。
面白い。
1つしか聞けないならみたいなやつね。
うん。
なるほど。
これはすごい話の展開をさせてくれるんですよね。
ねえ。
急になんか思っても見なかったところに出て、ちょっとびっくりしました。
小説ですね。ほんとに。
09:02
ねえ。
すごいねえ。
これ、自分がもう60、70なって時に、
あの時の子供の頃のおばあちゃんの話がよみがえって、あんなことしてたなって。
うん。
いやいや、もう自分が年をとった自分じゃないかって。
うん。
子供と出会って問われたら、なんて返せばいいんだって。
うん。
ねえ。
うん。
面白いねえ。
で、それを、それの答えのために自分は小説を書いてきたんじゃないかって。
いいねえ。
いいねえ。
いいねえ。
振り返ったらそう思うって感覚なのかなあ。
振り返ったらそうとも言えるし。
どっかずっと残ってて。
自分が自分のために小説を書いてるってことなんだと思うんですよね。
うん。
大江健三郎さんもね、中には詩小説って呼ばれるものがあるんですけどね。
なるほど。
うん。
あの、それこそやっぱり、あの、光さんが生まれた生涯の子供を持ってしまったってことで自分がやっぱり戸惑ってしまって。
はい。
小説をね、小説にしたりしてるから、小説を書きながら自分で考えを深めたりとか。
はい。
してるんだろうね。
うん。
その連続なのかもしれない。
うーん。
うん。
いや地味。
はい。
じゃあちょっと読んでいきますか。
うんうんうん。
そのように答えて、長い長い話をする代わりに、私は小説を書いてきたのじゃないか。
そのように、今私が考えることがあるのは、夏目漱石の心を幾度目かに読んでいて発見したことがきっかけです。
少し話が足踏みしますが、自分が本当に良い本だと思ったなら、しばらく時を置いては繰り返し読んでください。
その度ごとに色の違う鉛筆で線を引いたり書き込みをしたりしておくと役に立ちます。
さて、心で私を捉えたのは小説の中で先生と呼ばれる人が若い人に言う次の言葉のところでした。
記憶してください。
私はこんな風にして生きてきたのです。
私は漱石が自分の木の下で長い話をするようにして小説を書いてきたのじゃないかと思ったのでした。
そして心にはもう一つ私にとって気がかりな言葉があるのです。
私の鼓動が止まった時、あなたの胸に新しい命が宿ることができるなら満足です。
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私も自分書を書きながら、それが自分のいなくなった後で若い人の胸の中に新しい命として生き続けたらと夢見ることはあります。
それでいて、次第に私の胸の内に若い人たちに向けて、それも子供とさえ言っていい人たちに向けて、自分の木の下で直接話をするように書きたいという気持ちが強くなっていったのです。
それでこの随筆のタイトルは自分の木の下でということなんですよ。
なるほど。
なんか1個目の随筆ともまたちょっと繋がるような。
そうだね。
そうか。
受け取っていき、今度は自分が今度次の人に渡していくという番なんでしょうね。
記憶してください。私はこんな風に生きてきたのです。
いいよね。
ことを次の子供たちに隠していくんだね。
私の子供が止まったとき、あなたの胸に新しい命が宿ることができるなら満足です。
いいね。
大井健三郎さんが亡くなってしまいましたけどね、これを読むことによって僕らの胸の中に大井健三郎さんが生まれたら嬉しいな。
またね、今日この時間もそうかもしれないし。
そして差し絵も素晴らしいですね。
差し絵も素晴らしい。
ちょっとずつ入ってるんですよ。木の絵がね、ここでは。
おじいさんと少年とがね。
いやー、いろいろなんかね、考え…
考え深いですね、何か。
まだ序盤も序盤というか、あの2つ。
そうです。
これがこういうたくさん入ってる中の2つを今日はね、あれだけだけだったけど、すごく味わい深かったですね。
いいよね。
大井健三郎さんの随筆は本当に素敵ですね。
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ねえ、物語だなあ。
これはやっぱりこう、共通テーマとしてこの中で他の随筆でも読まれていく感じなの?
いやですか。
どうだろうなあ。
まだちょっと違う色んな色がある感じで。
そうだね。
でも、なんか一貫して、わかりやすい文章では書いてくれてるし、きっと大井健三郎さんの中に何かやっぱり子供たちの、次の子供たちのために何か書きたいとか、なんかこう、っていうことがあるんだろうね。
大井健三郎さんって講演する時とかにも、それこそ、例えば沖縄の問題とかがあって、沖縄で講演する時とかも、自分が話すだけだと面白くないから、現地の子供たちと話させてくれって言って、現地の琉球大学の大学生3名ぐらい呼んで、その大学生と対話するみたいな。
それを講演で届けるってこと?
そうそうそう。YouTubeにアップされてるんだけどね。そういうのとかもなんかしてたぐらいだから、やっぱり次の世代の子供たちに対して。
のまなざし。
そう。僕らからすると、これをなんか、やっぱり読んで打ち継ぎたいなって気持ちがやっぱりありますよね。
うんうん。
ねえ。
今聞いただけでもそう感じるようなものはありましたね。
ねえ。
こういう作品は残っていくと。
ねえ。
うん。
大垣寛太郎さんはちょっとまた紹介したいいくつか。
ああ、いろいろ。
ぜひ。
させてください。
ぜひぜひぜひ。
じゃあ、やりますか。
今日はじゃあこのぐらいにしましょうか。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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