ブルーオーシャンとレッドオーシャンの理解
おはようございます、小松でございます。
前回に続いて、堀川鎮水公園を歩きながら、思ったことをつらつら、またいつも通り話してみたいなというふうに思います。
それで、ブルーオーシャンとレッドオーシャンという言葉、ご存知ですかね。
ブルーオーシャンって青色の海とか、レッドオーシャンは朱色とか赤色の血の海だということで、
競争相手がいるかいないかっていう、そういう状態をビジネス的に伝えてるというか、そういう概念ですけどね、ご存知な人はいると思うんですけど。
戦略的に自分はどこに依拠して動いていくかっていうのもあるし、今やってることが結果的にそうした状況になるんだっていうのはあると思うんですけど、
最初の方、僕は研究したいとか音楽活動とかやりたいなというふうに思ったのが、19とか20歳ぐらいだったんですよね。
そのときはまさかそんなふうには思わなかったんですよね。
僕は好きなものは仕事にしないっていう主義だったんで、好きなものっていうのは音楽、そして演奏、そして好きな風景を見に行くとかね。
研究もどっちかといったら堂々というか、自分がやりたいな仕事というよりも、ただ純粋に学問を突き詰めていきたい、
そして物事の真理を深めていきたいっていうのがあったので、本当に純粋な気持ちですよね。
邪気はないという感じなんですよね。
そういうのを結果的に見ていくと、景色、景観、そしてそこから音風景、音の大事さ、そして人と音との関わりとかね。
大学3年生の卒業論文を書くときに、本当は4年生で書くんですけど、何かとてもいい先生に出会ったので、
僕は大学3年生のときにまずは地元が丹後半島の宮津っていうところなので、そこの風景を調べてみたいなと思って、
それで夏休みの長期休暇を利用して、調査に自分のふるさと、地元に帰ってやったのが、大学3年生の春だったかな、夏頃には論文できてましたからね。
それをまず一発目でやって、それはブルーかレッドかよく分からないんですけど、
そこから大学の3年生、4年生になるにつれて、僕はもともと音が好きとか、音楽もやってるっていうこともあってね、
音から何かインスピレーションを感じたり、美的なものを感じたり、心の変化、心が動くっていうことを感じたりしたことが多かったので、
そういう意味でサウンドスケープ、音の風景の研究にシフトしていったんですね。
音風景の研究の重要性
当時、音の風景を研究している人ってほとんどいなくて、1993年の時代なんですけど、日本サウンドスケープ協会っていうのができてですね、
協会ってチャーシルじゃないですよ、アソシエーションの協会ですけど、その協会ができたのが93年という、90年ぐらい。
もっと言うと1989年ぐらいに、神田の協会の鐘の音、ニコライドの鐘だったかな。
そこを神田明神とかお祭りとかね、鐘の調査も併せてね、やろうとした集団がいらっしゃって、
これ鳥小池恵子先生ね、青山学院大学の教授をされて、今退職されておられますけども、
その方を中心に神田のサウンドスケープを調査しようということで進められたのが、日本で初のサウンドスケープ研究と呼ばれているところなんですよね。
まだ僕そこは、その時大学は東京だったんで、たまたま神田とかね、大学がそっちの方だったんで、すごく親しいところがありましたけど、
ただ全然知らなかったんですよ、その頃はね。
僕が研究し始めたのが93年なので、まさに日本サウンドスケープ協会が発足したあたりの話なんですけど、
そこで音風景の研究をしたいなということで、その時にそこに加入して、いろいろなアドバイスをいただいたところがありましたけれども、
そういうふうに自分の興味に従っていくとですね、実はそこがね、ブル王さんなんですよね。
まだ研究が始まったばっかりで、音といえば音楽とか声とか音声が多いでしょ。
そうじゃなくて、街の中の音とか、空間の中の音の研究デザインっていうのは、なかなかそういう分野っていうのはまだいないっていう。
未だにそれから25年、30年ぐらい経ちますけど、いないよね、少ないです、すごくね。
そんな感じで、とにかく結果的に自分がやろうかなとしている対象が、ブル王さんだったわけなんですよね。
その時にね、その音風景の研究がブル王さんだなっていうふうに感じたのはね、いつの頃だったかな。
やっぱり大学院の時だったでしょうかね。
僕、大学院を3校行ってるんですけど、明治大の農学研究科と、そして京都市立の音楽学研究科とですね、あとは大阪大学の工学研究科のほうで3つ行ったんですけど。
その時、多分ね、明治大学の頃にそう感じたのかもしれないですよね。
だから、やってる時とか見つけた時は、全然ブル王さんとかレッド王さん感じるにやってたんだけども、結果的に調査をしたり活動をしてると、そこがね、実はレッド王さんじゃなくてブル王さんなんだみたいなね。
逆にレッド王さんってどういうところかというと、当時でいうと、環境デザインとか音楽研究とかね、あとは視覚研究ですよね。
視覚的なものってやっぱり人間にとってすごく強い影響を与えるので、そのあたりはすごく人気だったですよね。
それがやっぱり音っていうね、聴覚ってすごく難しいんですよね、形にするのが。
言語化も難しいし、それを人に説得させるっていうのはめちゃめちゃ難しいので、そういう意味ですごくね、やろうとしても、どこから研究とか活動、手をつけたらいいんだろう、全然わかんないなっていうのが結構あると思うので、
そんなふうにして、すごく手をつける人がいなかった結果、そこをね、やろうとしてる人が少ないなっていうのが、音研究、サウンドスケープの傾向だったかなっていうふうに思うんですよね。
専門の重ね合わせ
それがブル王さんだったっていう。
ブル王さんはね、ちょっとするだけで有名というかね、人がいないのですぐ目立つんですよね。
当時ね、テレビとか雑誌とかラジオにもね、結構当時から出てますし、今でこそね、そこまではしてないですけど、とにかく日本の中で、例えばね、音とか空間とかね、心理とか、
去年はかなり朝1時で3回も出ましたけどね、本当にもうスタジオに呼ばれるような勢いですけど、そんなふうに、需要がほとんどない中で、専門家を必要とするときには僕のところに煮わらんやってくるっていうことで、
そんな僕は能力才能もないし、有名でも全然ないじゃないですか、本当に。
それでも来るっていうのは、やっぱりそういう希少価値でね、ブル王さんがやってるからっていうことなんですよね。
それで、ちょっとそこからレッドホーサーの話になるんですけど、じゃあ意図的にブル王さんのままでいたいなって結構思ってて、
これはね、他の人のキャリアにもすごくつながる話なんですけど、かき合わせをすることを感じたんですよね。
内原、リクルートの辞められた方に、カスマンとか、すいません、詳しい名前を忘れちゃったんですけど、
内原さんっていう方が、自分の専門は3つ以上持とうっていう、その話を提唱したりしてますけども、
つまり、自分の専門を重ね合わせることがめちゃくちゃ大事なんだよってことですよね。
例えば、音だけだとやっぱり弱いんですよね。音と何かをかけていくっていうね、音と雰囲気っていうのは、もう最初からそういう立て付けになってますけど、
例えば音と心理とか、音と癒しとか、あとは音と教育とかね、そういうふうに考えていくと、何か重ね合わせることで生まれてくるものがすごくあると思うんですよね。
そういうふうに、ひとつひとつの専門はあんまり深くはないよね。それを重ね合わせることによって、基礎価値が生まれてくるっていうのを、ちょっと意図的にやったんですよね。
僕の軸としては、音楽とか音とですね、あとは教育ですよね。教育と研究とっていう感じで、そこを重ね合わせると、日本でやってる方ってすごく少ないなっていうね、そういうふうに作っていったわけです。
つまり、レッドオーシャンをなるべく避けるようにして、ブルーオーシャンの領域を重ね合わせて、基礎価値を高めるっていうことをね、これ自分のブランディングなんですけど、
それを意図的にやってきたっていうのが実はありますね。でも僕は言わなくても、割とね、この人すごい発表しもないことやってるなとかね、ありますよね。
町づくりと職務とか、そりゃたくさんいるかな。なんかね、えーっていうようなね、仏像と女子とかね、仏像女子とかね、登山女子とか、
2つを重ね合わせて何かするっていうのはすごく、まあ、マーケティング的には結構あると思うんですけれども。
そこをね、ちょっと意識的にやって、例えば今、京都生活が約24年いるんですけど、たまたま入ったのが人文学部なんですよ。
人文学部って学術とかフィールドワークのところで、教育をやってくれっていうことでね、公募を出して当たったわけですけどね、25年前にね。
そこでは音をやってましたね。音を研究する人がたくさんいる研究の同僚の中で、音を、そして表現をね、これも偶然なんですけどやることになってですね、ピアノ演奏なんですけどね。
音声配信の現状
人文学部の学術の研究者でありながら、表現してるな、この小松みたいな、そういう立て付けになってしまってですね。
それでやっていったところを、今度はポピュラーカルチャー学部っていうのがあって、2019年にね、人文学部から移籍をさせられてですね、いや僕は行きたくなかったんだけどね、させられて、
そこでやったのが、みんな表現者とか研究もしてるんだけども、そこではですね、音楽っていうよりも、やっぱりフィールドワーク、音のフィールドワークみたいな、
つまり、音楽とか表現してる中では、研究をしてますよっていうね、立て付けしてるんですよね。
そこがね、結構こう、切り替えることがめちゃくちゃ大事かなと思ってたんですけども、そんなふうに、大多数、その、所属してる組織の中で、大多数やってる人がいたらですね、それとは違うことをやる。
これですよ。このやり方によってですね、やっぱり自分のキャラクターを出していくということにつながってるかと思うんですね。
それでね、この音声配信もね、やっぱりこう、まあまあ人気不人気あるけれども、まだまだブルーオーシャルじゃないですか。
日本人はね、多分もう思うんだけど、ポッドキャストとかね、音声流行らないと思うんですよ。
いや本当に、もうこれ5年ずっと毎日やってきて思うんですけど、とにかくね、何度も聴いてくれる人はありがたいですけど、それ以上広がらない、何をやっても広がらないっていうね。
プラットフォームの特性がいろいろあったり、あとはもう忙しいんですよね、日本人。視覚的にポタッとね、いろんなものを見たりするっていうこともあるし、また移動空間でラジオを聴くっていう、そういう習慣もあんまりないですよね。
なんかスピーカーとかヘッドホンで聴いてるのは大体音楽ですよ、日本人ね。だからね、流行らないと思う、ここは。
まあ永遠にね、ブルーオーシャルだと思います、音声はね。だからやれてるのかもしれないですよね。
しかもね、ちょっと辛辣なことを言ってすぐ炎上するじゃないですか、SNSとか視覚的に。でもね、この音声ね、今14分喋ってるけど、やっぱり聴いてみないとわからないし、やっぱり聴いてみるとですね、
それは実する人はいるかもしれないけど、ある程度は共感を持って聴いてくれる人の方が多いじゃないですか。
そういうある程度の100%安全面は、日産に入ったと思うんですけど、安全性がより担保された、そういうメディアの中で隠れてるっていうこともあるので、
こういうブルーオーシャルの音声も重ねつつ、今のメディア表現学部っていうところがいるので、そこではすごくいろんな表現者とか研究する人も多々あるので、僕は幅を広げてますね。
研究もするし、表現もするし、発信もやってますよね。発信やったり、あとは今、学部の仕事がすごく、一番幹部のことをやったりして、コントロールしてさせていただいてるわけですけどね、権力に全く興味ない。
僕は全然興味ないんだけど、仕事的に皆さんがよりよく学生も教員もスムーズに活動ができるように、そういうサポートを全身全霊でさせていただいてるんですけど、それもするっていうね。
やっぱりある程度オールマイティな感覚でやってるっていうのは、すごく一つのブルーオーシャル的な感じ。
人ってどうしても一つのことを特化したくなっちゃうんですよ。これやるとか、研究だけするとかね、割とそういうのがやっぱりすごくやりやすいですね。
周りから見ても統一感があるし、自分がやったとしてもすごく楽というか安心して生きるんですよね。
ただね、本当に人類というか、ちょっと飛び抜けてやるためにはね、すごくバランス変える必要があると思うんですよね。バランスね。
バランス変えるっていうのは、ちょっとねじれた話になるかもしれないけれども、オールマイティにするっていうことがね、逆にバランスを崩すことにしてるっていう、これちょっとわかりづらいかもしれないです。
つまりオールマイティにすることってすごく難しいんですよね。めちゃくちゃ難しいので、それができる人がほぼいないから、そこの部分で一つ一つの活動に対してですね、バランスを崩していくというか、偏りをつけるというかどういうのかな。
人ができない状態っていうのが、僕バランスを保ってやれることだと思うので、
そこのあたりをやるために、結構ね、日頃の生活のやり方とかね、暮らし方って結構いびつというか、かなり負荷をかけてるところが多いと思うんですけど。
そういう意味でバランスをですね、あえてちょっと崩させていって、結果的にバランスを保って、ブルーオーシャンというね、そういうちょっとわかりづらい話を今日はしてみましたということで。
戦略的思考の重要性
今日はブルーオーシャンとエッドオーシャン、どういうふうに自分が戦略的にやってきたかなみたいな、そんな話をしてみました。
今日も浸水公園、堀川浸水公園、めちゃ気持ちいいよね。
やっぱりその影響ね、環境によって影響があって、すごくそれがしゃべりにつながるということで、今日も楽しい時間をありがとうございます。