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おはようございまーす。小松でございまーす。
今日ね、あのー、凪辻の駅から大学まで、今から朝、朝にね、一元なんですね、今日ね。
それであの、ちょっと歩きながら、あの、配信ということで、はい、あの、行ってみたいと思います。
なんかねー、だいぶ慣れてきましたね、あのー、この、凪辻界隈ね。
わりと民家が多いんですけどね、あのー、すごく、ほつぶながら、良さげな店もね、飲食店もだし、あのー、個人の、えー、まあ、食べ物売ってる店とかね、結構あったりして楽しいですね、はい。
で、ということで、今日あのー、伝えたいのは、音環境の話、ていうか、まあサウンドスケープのね、話なんですけど、あのー、
えっと、最近ね、あのー、文芸作家さん今亡くなったんだけど、あのー、日野圭三さんという方がいらっしゃったんですよね。
で、その方のエッセイを読んなんですよ。
で、しっかり、あの、全部読んではいないんですけど、まさに、音の浸水をあの、語ってるようなね、そういう話なんですよね。
で、えっと、タイトルがですね、えっと、世界という音っていう名前なんですよね。
で、音の捉え方っていうのはまあ、主観的、そして客観的なところがありますけど、まあエッセイなんで、まあ、すべからく主観的ですよね。
で、まあ、そういう中で、その音がね、結構皮膚感覚というか、割ときつい部分がね、どうしてもあるので、そこをね、彼なりの言葉を使って書いてるなと思うんですよね。
で、それ何かというと、あの、えっと、まあ、彼は頭痛持ちだったみたいで、で、まあ、小さい頃から。
で、何をしても、うまくこう、あの、気持ち的に収まらないっていうことが結構あって、でね、あの、まあ、いろんなことを試されたんでしょうかね。
で、あの、当時ね、今からどれくらいかな、もう40年くらい前になると思うんですけど、あの、えっと、ウォークマンが出た時代でしょうね、1970年後半ぐらいでしょうかね。
で、それで、えっと、ブライアン・イーノのミュージック・ホーエアポーツとかですね、あの、プラット・オブ・ミラーとか、そういう、あの、まあ、えっと、アンビエントシリーズがありますよね。
で、まあ、僕一番好きなのは、あの、プラット・オブ・ミラーなんですけど、それ聞いて、で、ヘッドホンで聞いてですね、何とこう、長年の頭痛が治ったみたいな、まあ、一瞬聞いてる時だけかもしれないけど、すごく、あの、まあ、癒されたっていうことなのかな、という記述があったんですよね。
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まさか、ね、そんな頭痛が、あの、まあ、ちょっと一時的に治るのかみたいな、で、その記述がすごくって、その、頭の中から、え、自分の内側の中で鳴ってる音なんだけど、それが、あの、宇宙とかね、自分の外側にある大きな、その、えっと、まあ、空間の中で流されてるというか、鳴ってるような感じなんだっていうことなんですよね。
それ矛盾ですよね。頭の中なんだけど、それが頭の中を通り越して、自分の存在よりもね、かなりでかい、その、えっと、あの、宇宙とかね、大きな空間として、あの、まあ、感じられるというか、まあ、そういう、まあ、音の捉え方があるみたいなところなんですよね。
それすごくね、なんか面白いなと思って、あの、よく、ね、メディア論とかでは、まあ、えっと、ウォークマンとかね、今の携帯でね、音楽、携帯再生プレイヤーとか、まあ、今聴いていらっしゃる、この音声とかのね、まあ、媒体もそうですけれども、あの、まあ、ネガティブにね、捉えている人もいればね、難聴問題とか。
で、それもあれば、まあ、積極的に捉えている。僕としては両方の観点があると思うんですよ。で、そこで、その、えっと、よりこう、自分の身体に近いところで、あの、まあ、積極的っていうわけじゃないけど、必然的に、まあ、そう聞こえてしまうっていう、そういう、あの、傾向があるんですよね。
で、そういうね、中で、やっぱりね、あの、まあ、音を、その、まあ、人工的にあって、あってしてもですね、外で聞こえるというか、自分の外で鳴っているはずの音が、まあ、頭の中でこう聞こえていくという、その、不思議な取り込まれ方というか、ダイニングというんですかね、こう、染まってしまうというか、まあ、そういうあたりで、なんか、ヒリヒリするようなね、感じがします。
感覚があるっていうのがね、すごい、なんか、僕は感銘を受けたんですよね。で、なんか、その一つの表現で、たぶんね、聴覚と触覚ってすごい近いと思うんですよ。
あの、鼓膜ってこう、あの、まあ、触覚というか、皮膚のね、一つの分化の一つって言われてますけど、あの、まあ、音を聞くと、振動だから、えっと、あの、まあ、皮膚とか身体全体でね、感じてるっていうのがあると思うんですよね。
で、そのあたりの、こう、なんていうのかな、まあ、ちょっと部位は違うけど、こう、内臓と内臓が、こう、突き動かされるというか、擦り合わさるようなね、こう、ヒリヒリした感覚っていうのが、僕はなんか、こう、いろいろな、こう、ネガティブな音を聞いたりとか、うん、心理的にちょっと嫌な時なんかは、そういう感覚するんですけど、その表現をですね、あの、砂っていう風な表現してるんですよね。
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ひのけいぞうさんは、砂のような感じで、こう、ヒリヒリと、こう、蠢くというか、で、そういう感覚っていうのが、やっぱり、あの、まあ、音にはあって、まあ、それがヒリヒリ痛いんだけれども、えっと、まあ、リアルな音であってもね、そうじゃなかったとしても、うーんと、まあ、自分の、こう、ヒリヒリした感覚をそのまま受け止めていくっていうかね、
そういうところが、音にはあるし、まあ、そういう風な感覚を持っている人っていうのはね、まあ、音は主観的だから、人によってね、あの、感覚違うと思うんですけども、あの、やっぱり、まあ、感度の高い人はね、感性が高い、あの、敏感で、まあ、感度がすごくね、差分がよくわかる、えー、感じられる人っていうのは、そこで、まあ、よくもある、あるし、まあ、ひのけいぞうさんみたいにちょっと、
こう、感じすぎちゃって、えー、まあ、違和感とかね、音もなって、まあ、苦痛だったりする人もいるわけですよね。で、ひのさんがね、結構、あの、えー、まあ、心配というかね、あの、悩んでおられるのは街の音なんですよね。で、街の音はね、普通に、あの、車の音が聞こえるとか、騒音が聞こえるとかじゃなくって、なんか、あの、ちょっと、
聞こえるか聞こえないかなんだけれども、すごい、きつい音っていうのがありますよね。あの、高周波数の音とかね、あと、あの、電線の電圧器というか、変圧器が、あの、鳴らしているような、えー、ブーンっていう、こう、低周波数の音、まあ、それで悩んでいる人結構いると思うんですけど、まあ、そういう音が常に、まあ、聞こえてくるっていうんですよ。
それが、えっと、街全体で、まあ、そういう違和感のある音っていうのが、まあ、聞こえてくるので、まあ、それがね、やっぱり、ずっと悩まされている、まあ、頭痛持ちっていうこともあるし、そういう悩まされているところがあるんだけど、まあ、だからこそ、まあ、音から逃げられないし、また別の、その、なんか、目が覚めるような音の聞こえ方もあるんだなっていうような、そういう、こう、
あの、繊細な人が持つ、こう、可能性と、えっと、問題点っていうのかな、そういうのが、やっぱり、まあ、感じられるようなエッセイなんですよね。で、英語で言うとどうなんだろうね、世界、世界の中の音とか、そういう、あの、エッセイは割とあるんだけど、この世界の中に自分がいるんだよっていうね。
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サウンドオブワールドっていうのかな、サウンドオブザワールドじゃなくて、多分ね、アズなんだと思うね、サウンドアズアワールドっていうようなところなのかな、ちょっと英語の詳しい人がいたら、いろいろ教えてほしいんだけど、その、世界イコール音、音イコール自分っていうね、この主観的で捉えるしかない分野ですけど、世界というのが音を通して自分である、
音イコール世界っていうね、ちょっと精神的には分裂系な部分があるかもしれないけどね、ちょっと言い方変ですけど、そういう世界を捉える場合に、いやをなくね、頭でこの音はこんな風に聞こえますよとか、そうですよっていう感じじゃないんですよね。
まあ、音をそういう風に聞いてしまうっていうね、聞かざるを得ないっていう、そういう問題点っていうのが多分あるんじゃないかなと思うんですけど、そういう中での捉え方はね、今で意外となかったと思うし、あってもなんていうかな、こう、
アズとして音を聞くっていうのかな、聞いてしまうというか、そういうモードに気がつけばなってしまってるっていう、感性ってそうですよね、自分がコントロールできないから、気がついたら自分がいて、世界の中にいて、そしてこういう音の聞こえ方とかね、五感の捉え方があってみたいな、
こう、なんかもう決まってしまってるというか、コントロールができないところにも既にというか、いつの間にかというか、いるっていうことなんですよね。すごくそれ、どういうかな、哲学的とでも言うけども、
気がついたら自分がいたっていうことですよね。生まれたっていう自覚もないし、それで、確か今生きてるわけなんだけど、気がつけば生きてるっていうことですよね。それが多分、音、もちろん音以外でもね、そういう捉え方っていうのがあると思うけど、
それがね、やっぱり、自覚されるっていうことはまず大事なんじゃないかなと思うんですけどね。どうでしょう、そういう、ひのけいぞさんがそんなこと思ったんですけど、逃れられないんだけれども、今聞こえてる中で、人は音によって生かされも殺されもするっていうところが面白いというか、そこの表現が面白いですよね。
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誰しも同じ音を聞いて同じ表現であることはできないし、差分があることがね、世界の広がりだと思うんですけど、そういう中でやっぱり、砂を触るようなとかね、そういう感じの技術をされてますし、その中でやっぱり、自分だったらどういう風に音を聞くかなとか、
どんな風な音の世界と共に生きてきたのか、そして今どうなのか、そしてどう生きていきたいのかっていう、まさにビーングの原点を感じさせるような、そういうところなんで。
あのエッセイね、なかなか手に入りづらいんだけど、一応前週の中で入ってるんですよね、日野圭祐さんとね、あと海光たけしさんっていう文筆家がね、コピーライトされましたけどね、サントリーの、その方がもうずいぶん前に亡くなられましたけど、その方と同じような文集の中で、池沢夏樹さんが作家さんのまとめられてるような文集だろう、
なんだろう、著作集なんですけど、よかったらそれをね、図書館かなんかで探していただいて、そういう風にしていただいたらいいかなと思います。ということで、今日も良い一日をお過ごしください。