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冒険は、するものじゃない──向こうからやってきた、耳トレの共同研究
2026-11-04 16:57

冒険は、するものじゃない──向こうからやってきた、耳トレの共同研究

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冒険と聞くと、山に登る、難関大学に受かる、強豪校に勝つ。自分から挑むことを思い浮かべませんか。

でも、知り合いが勧めてくれたブログに、逆のことが書いてありました。冒険は、するものではなく、来るものだ、と。

僕の半年を振り返ると、たしかにそうだったんです。

> 自分から作る冒険って、知れたものだと思うんですよ。

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https://note.com/masafumikomatsu/n/ne748de24bb11
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00:02
おはようございます、小松でございます。
えっとね、今日はね、冒険っていうのがね、よく言葉聞くと思うんですけど、
自分でするっていうよりも、やってくるみたいなね、そういうちょっと抽象的な話をね、したいなというふうに思います。
でね、今また橘台からですね、渚津に行くまでのこの橘の細道ね、橘の細道って勝手につけてるんだけど、そこをね、歩いております。
でね、このさっき伝えたね、冒険っていうのは、するものじゃなくて、来るものだっていうのはね、
僕が考えたんじゃなくてね、知り合いがね、ブログを勧めてくださったんですよね。
で、そこにちょっと書いてあったことで、あ、なるほどなっていうふうに思ったのでね、ちょっと抽象的な話かなと思うんですけど、
あのー、まあ、するっていうのはdoだよね。で、なんか、来るとか待つっていうことはbeっていうふうにちょっと思ってね、
まあ、そんなふうに簡単にはこうね、分けることできないかもしれないけれども、
だいたい冒険って山に登るとかね、難関大学に行くとか、試合があったらね、競合校に勝つとかね、
研究があったらなんとか博士論文書くとかっていうような、なんかね、自分が主体的にすることっていうふうに思いがちじゃないですか。
で、努力すればね、何か報われるっていうのは信仰というかね、悪しき信仰が日本の中でもあってですね。
それで、それに向かえばね、報われる、救われるみたいなね、なんか救いという意味では、なんか仏教的な話なのかもどうかわからないんだけど、
まあ、そういうふうに何かやっておけば、それがね、結果を生み出すって、逆に努力しないと結果は全然出ないっていうような、
まあ確かにそうなんだけど、それが史上主義的になっちゃってね、マインドブロックしちゃうっていうことが結構あるんですよね。
やっぱりやるっていうのは当然そうなんだけど、ここでもね、よく言ってるけど、何か作業する、実行するっていうのは、
その手前にあるね、思考ですよね、自分の立ち位置とか、マインドセットよね、それがあってからこそやっちゃうっていうことなんですよね。
なんか脇目を振らずにやれってやっぱり軍隊じゃないですかね、軍事というか。
それで兵隊さんとかね、もう本当に命をね、国のために捧げたっていうようなことが、まあ世の中にたくさんあるわけで、
まあそれで、政治的なことをね、強く言うそういうものじゃないんですけどね、やっぱりそうしちゃうと、どうしても自分の立ち位置関係なく目の前のことをやっちゃうってことですよね。
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で、結果的にそれが、自分は何をしていたんだろう、何をしているんだろうっていうことが、
まあメタ認知できないままね、過ごしちゃって、そして後でね、まあそれが良かったらいいんだけど、取り返しのつかない状態になるっていうこともやっぱり日常生活で、
まあそのね、成れの果てっていうのがやっぱり一つは組織ですよね。
全部の組織はないんだけども、とにかくこう理順中心で動くね、あの組織、それはもちろんそうです。それがもう目的ですからね、会社っていうのはね。
それがもうまるでこう洗脳祭とかのように、右へならえとかね、なんかある程度こうちょっと強引に何か仕向けさせるみたいな、
まあそういう感じで進んでいるっていう中でですね、冒険するっていう話になるとね、やっぱりこう、なんかしなければとか、Doとかね、義務とかね、
そういうところが結構ね、あるわけですよね。そうした中でやっぱりね、考えていくとですね、すごく大変な状態になっちゃうというか息が詰まっちゃう。
それでブラック企業に入ったらね、それでもう取り返しが少ないとか、やめたら取り返しつくんだけど、やっぱりそういうところってどうしてもありますよね。
それもこれこれしろとかしなさいとかいうのがね、言うところだったらわかりやすいんですよ。悪いことですけどね、それはめちゃくちゃわかりやすいんだけれども、
まあそうじゃなくって、空気感というかね、空気を読みながら、ここはこういうふうにしていかないと仲間外れになっちゃうとかしなければならないということでね。
なんかやるってことが、やっぱりともすると怒りがちですよね。特に日本は島国だから、自分でなんかやるって言っても周りの状況を見るっていうのを常にね、
小さい頃からやってるとね、そういうふうにマインドがセットされてブロックになっちゃいますよね。
そうしちゃうとね、いろんなことをやっていく場合で、冒険とも言えないよね。言われたことをやらざるを得ないって頭を作るわけだから。
そういう状態でね、自分が未知のものに対して挑んでいくっていうね、僕はそれをずっとやってきましたからね。
研究っていうスタイルはそうでしょう。何も知られてないもの。しかも今はね、僕がやろうとする選択的調子とか音への注意力ですよね。
それをどういうふうにエビデンス作ってね、やっていこうかっていうのは今からちょっと研究として長いスパンでね、やろうとしていることではありますけど。
そういうところでやるときってね、やっぱなんかね、ドゥイングじゃないんだよね。ビーングなんだよね。だからね、そういう冒険的チャンスがやってくるっていうことですよね。
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冒険をするっていうことが、周りから自分から作る冒険っていうのは知れたもんだと思うんだよね。
それ冒険にならないじゃないですか。だって自分の預かりするところでやるとそれ作業ですから、冒険って言わなくてもいいじゃないですか。冒険は全く知らないところからやってきて、それでどんどん積み重なっていくも
んじゃないですかね。
そういう感じなので、冒険はね、本当にね、預かり知れんところからシュッてくるわけですよね。
僕もさ、橘大学ってそうなんですよね。ユニットっていう制度があるんですけどね。
それは何らかのね、そういうところで構造というか仕組みを教えてくださるわけですよね。こんなのがある。
でね、10月の上旬だったかな。だから異文化交流みたいな感じでね、自分の研究テーマを周りに伝えるようなプレゼントね、交流会があったんですよね。
これ素晴らしくないですか。大学の中で10個の学部があるんですけど、そこのね、全員が全員出せないんでね、数があるので。
だから何人ぐらいかな、10名ぐらいの教員がですね、自分はこんなことやってるっていうのは、まずプレゼンをされて3分ぐらいかな、1人。
それでポスターセッションですね。1枚か2枚ぐらいでそれぞれがされておられる内容をね、伝えていってですね、それでプレゼンするという。
特にね、新しく残られた教員、僕はそうですけど、3年以内の教員をすごく全面的に出してるというか、そういう新しいところの可能性を持った人にやっぱりサポートするシステムっていうのがやっぱりここすごいあるな
と思って。
自分の大学だから自画自賛してもね、なんかちょっと歪なのかもしれないけど、そういうのがあるわけですよね。
そこで僕もね、音だったらなんかできないかなっていうふうに思ったりしてたんですよね。
で、橘のキャッチフレーズ、今年のね、全包囲可能性ってことなんですよね。そこがやっぱりね、たまたまかもしれないけど、僕は音に合ったっていうところなんですね。
しかもね、今までここで何度か言ってるけど、受注作業、あるいは個人事業主みたいな依頼があって何か動くってことをすごくしてたんですよね。
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冒険ではないよね、それって依頼だから。依頼の中で冒険するかもしれないけど、なんかよくわけわからないものが野生の中に放り出されてですよ。
それで何かよくわからないけどやってくるものに自分がまずは反応ですよね。反応するっていうような段階こそが冒険っていう感じですよね。
だから僕もそういうふうな気持ちを持ってここの大学2年、4月1日に入社というか入職しましたけど、そこから毎回出会う人がすごく刺激的なんですよね。
そういう感じの大学なんですよね。
いろんな先生からね、出会った先生とはじめましてとか名前とかね、あと研究内容とか何をされてるんですか、音ですか、表現ですかみたいなね。
表現のね、分野がここは割と少ない、ドゥイングが多い。ドゥイングって国家試験であったりね、医療系であったり、工学部でもやっぱりエンジニアだから何か問題解決するために研究があったり活動があったりするわけ
ですよね。
そういうのがすごく出てると思うんですよね。
さらに何か視覚的なものも確かにあるし、それでもここの大学で純粋な表現ってあるんですよね。
日本の中では稀だけど書道、書の世界って文学部に書道コースってあるんですよ。そこも立花の面白いところだし、芸術系はないんだけど、今回僕がいるデジタルメディア学部はクリエーション領域っていうのがあって、
そこでね、3Dのアニメーションとか動画とか、あとキャラクター作るとかね、そういう先生方もいらっしゃいますし、僕は音楽作るとかね。
もう一人の先生も音楽のエンジニアリングなんだけど、曲を作られたりもするので、やっぱりクリエーションをなさっておられるんですよね。
だから本当に今まではね、やっぱり全人口は表現の大学なので、芸術系なのでそういう人がいたんだけど、ここは割とまだまだ少ないっていう。
逆に僕はね、工学博士っていうこともあって、自分の何か表現したものを社会にちょっと当てはめてみて動かしてみたいっていうのがやっぱり願望があってですね。
そういうのが常に考えているところがあるんですよね。
そういう気持ちでここに入ったわけなんですけど、するとね、向こうからね、やっぱりビーング的なものがやってくるんですよね。
12:05
自分が、ごめん、向こうからドゥイング的なものがやってくる。
ビーングで自分がいるから、ドゥイングみたいなこと、ビーングにね、ドゥをしていきたいっていう人が結構いらっしゃってですね。
それでもすごくね、大事なのは、自分が個人事業主的にやるわけじゃない。やっぱりね、長期のスパンでやっていかないと意味がないっていうことなんですよね。
たまたまだけれども、なんかそういうご縁をいただいてね、向こうからやってきたご縁があって、それで動いているわけなんですけど。
それがね、いい感じなんですよね。向こうから勝手にやって、勝手じゃないけど、やってきて、ああそっか、ここでなんかいろいろやってみたいということで。
僕は選択的調子の耳トレの訓練を形にしたいというかね、研究としての活動にしていきたいということで、関連する先生方にお声掛けさせてもらってですね、僕が。
そうしたら快楽いただいたんですよね。今日も実はもう一人の先生にね、教育系の先生なんですけど、お話したらすごくね、面白い知見いただいたんですよね。音楽関係の先生なんですけど。
とにかくすごい発見がありすぎて、こんな手法があるとかっていうのがかなりね、ちょっとびっくりですよね。
そういうのはやっぱりね、向こうからやってくるわけなんですよ。冒険しようって思うんですよね。
だからね、意表をつく状態でいろいろな活動がね、つながっていくっていうのがありますよね。
なんかすべからくこう、なんか隙間というか、自分が預かり知れるところから話が来ることって人生多いですよね。
多いというかあるでしょ、たまにはね。たまにはふっと出会った人からこんなことを聞いたとかね。
そういう連続だと思うんですよね。だってみんな生まれてきた場合にも生まれてきた命があるわけですよ、我々。
自分で選んでないですからね。たまたまここに生み落とされたわけですよね。貴重なご縁で。
たまたまいるわけですよね。自分が全部命をね、つくったというか、意思で生まれてきたわけじゃないじゃないですか。
生まれてきたことがビーグ、そういうね、来るわけですよね。来たんだよ自分もっていうことなんだよね。
そこからそれを普遍的に考えていくと、やっぱり生きてること自体を冒険って言うんですけど、それは自分で選んでないから。
勝手に言ってたらダメだけど、親がいて生まれてきたわけだからね。そういう感じから考えたほうがいいんじゃないかなということなんですよね。
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そうしたら得られた命とか、我々ありがたく生きてるわけだけど、なんかね、それ自体が冒険、いることが冒険なんだということで、自分が一つするのは当然やるんだけど、それは冒険でもないんじゃないですかって
いうことでしたね。
そこが言いたかったかな。環境設定が冒険、それは自分でやっていくというより、それに近づく努力はいりますよ。そうなんだけど、それが全ての冒険じゃないなっていうのがね、ちょっと躊躇的なんだけど、今日言いたい
ことだよね。
冒険はすべからくすることじゃなくて、いることなんだ。ビーングなんだ。しかも長期でいることっていうのが、それは一見やってなさそう、そして不安かもしれない。すぐには形にならないからね。
そういうのがやっぱりね、会社の軍隊みたいなブラックな状態とは真逆ですけれども、長期のスパンって必要じゃないかなと思うんだけど、どうなんでしょうね。
僕はタワゴトかもしれないから、タワゴトですけどね。そんな感じで今日はね、ちょっと喋ってみました。もうね、渚路に着いたんですけど、本当に皆さんお帰りになっているというか、ここやっぱりベッドタウンだね。
すごい人がいらっしゃるから、そういうとこなのかなと思いながらね、渚路って結構人いるなっていうね、そういう感じですよね。
ということでね、今日もここで終わりたいと思います。お疲れ様です。
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