2024-09-14 1:05:08

第87回:【間違いだらけのWebライティング:解決篇】狙った読後感を引き出す「一直線ライティング」の方法

第57回に「Webのテキストはなぜ読まれないのか?」というテーマでWebライティングというスキル自体の構造的欠陥について指摘しましたが、今回はその解決篇。大量の閲読データを基に組み立てた、読者を離脱させず、詰め将棋のように一文字ずつ狙った読後感に導いていく新・ライティング法についてご紹介します。

■LINEオープンチャット 参加するとマーケティングが学べるラジオコミュニティ。ラジオを聞いた感想や質問なども募集しています。 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://line.me/ti/g2/3fbjmyPGiq8IlZxQLv_5TmOx84gPu6xQYAIByA

関連記事:【間違いだらけのWebライティング:解決篇】狙った読後感を引き出す「一直線ライティング」の方法 - アトリエライフ通信 (hoi-poi.net)

サマリー

今回のエピソードでは、ウェブライティングの問題点と解決策、特に「一直線ライティング」に焦点が当てられています。マーケティングの観点から、読者に狙った読後感を伝えるための具体的な方法論が議論されています。「一直線ライティング」のアプローチが紹介され、目的に沿った効率的な文章作成が強調されています。記事広告を通じて読者の意識を変えるためには、最短距離でメッセージを伝えることが鍵であると説明されます。第87回のエピソードでは、読後感を狙った一直線ライティングの方法が紹介され、過剰な情報を書かず、ストーリー性を持たせることの重要性が強調されます。また、本文の分析を通じた読者理解と、面白さを追求することが成功に繋がることが説明されます。このエピソードでは、Webライティングにおける「一直線ライティング」の手法が解説され、効果的な読後感を引き出すための基本的な考え方や、企業とインフルエンサーのマーケティングにおける関係性について探ります。さらに、文字数と情報量の関係についての重要性も強調されています。このエピソードでは、「一直線ライティング」のコンセプトを通じてWebライティングの間違いが議論され、特に読者の行動を理解することの重要性が強調されます。また、コンテンツが持つべき意味や、記事が読者に効果的に伝わるためのアプローチについても考察されています。

ウェブライティングの課題
皆さん、こんばんは。あした使える、聴くネタ帳、マーケターの真夜中ラジオの時間です。
この番組は、アロフォーマーケター2人が、最近気になるトピックを取り上げ、それぞれのマーケ感で掘り下げていきます。
最近話題の1人マーケターをはじめ、情報や知見が少ない中で打ち手を模索する、皆さんのヒントになる視点をお届けしていきます。
スタートアップの思いが伝わるマーケティングを実現する、株式会社エールコネクト代表の宮本です。よろしくお願いします。
淡路島でコピーライターをやってます。じんぼうです。よろしくお願いします。
さて、今日のテーマは、間違いだらけのウェブライティング解決編、狙った読後感を引き出す一直線ライティングの方法、ですが、このテーマ、取り上げた理由は何なんでしょう?
そもそも解決編って、何やっけ?みたいな。
そうね。あれ?なんか、疑問編とかやったっけな?
もっとオッケーみたいな。
思いました。
古い話になりますが、半年前くらいかな?第57回目の配信、なぜウェブメディアのテキストは読まれないのか、人に向けて書かれていないウェブライティング問題を構造的に考えるという回がありましてですね。
もうめっちゃ前ですね。さすがに、対話した僕もちょっと忘れてますね。
その時に、ネタ切れた時に続編書こうと思ったら、半年くらい寝ちゃってましたっていう感じで、そろそろやらないと本気で寝ちゃうなって思ったんで、掘り起こしてみましたっていう感じですね。
解決策の提案
その時に話したのは、現状のウェブライティングというのが、そもそもノウハウとして構造的に欠陥がありますっていうことを言っていて、
例えば〇〇三つの法則とか、そういうライティングメソッドっていっぱいあると思うんですけど、一旦頭から切り離さないと本当の成果の上がるライティングはできないなっていうのがあって、
それは自分で考えてくださいって教えてくれたんですよね。精神を占めたんですけど。
言って、ちょっと僕なりにはこういうのがありますよっていうのがあるので、それを今回は解決編として示したいなと思ってるんですね。
とはいえ、僕はそもそもめちゃくちゃその体系だったポイント1〇〇をすべき、ポイント2〇〇をすべきみたいなノウハウを全く信じていないっていうところがあるのと、
本質的な着眼点が変わらないと使えないだろうというか、そんなお手軽なインスタントのものではないと思っているので、今回もノウハウとしてめっちゃ具体使えるとかではないですよね。
だから結局これも割とふわっとしてると思うんですけど。
なるほど、じゃあタイトルに数字を入れた方がいいとかではないんですね。
あんなのクソくらいですよ本当に。
そういう本ありますけどね、ウェブライティングの本とか読むと、タイロニトルにこれを入れようとか。
三つの理由とかあって、初めて三つの理由を入れた人は偉いと思うけど、今三つの理由に溢れてるじゃないですか。
そうですね。
だから僕は昔三つの理由がダメだ三つの理由って記事を書いてますけど。
嫌味だよね。
そういう理由がないと本当に三つの理由っていうのは絶対に使っちゃいけなくて、
タイトルで言うと32文字の中に三つの理由っていう文字が入ることによって、ほぼ八文字くらい死んでるじゃないですか。
そもそも何のために書くんですかって言うと、他者と差別化するために書くのに、他者と同じこと書いちゃってる。
バカ向きあまりなくて。
ということだと思うんですよね。
なるほどね。
ちょっとこの話になると口が悪くなる傾向があるので。
怒りがこみ上げている。
その時にも述べたような感じなんですけど、割ともうwebIT業界では定説になってますが、
webユーザーっていうのはテキスト読まないんだという問題があって、写真ばっかり読みますみたいな話があるんだけど、
それはそもそもwebユーザーがそうなんではなくて、webのテキストが悪いんですよね。
なるほど。
テキストに関しては全く検証はなされてないんですよね。
テキストは置かれてるんだけど、そのテキスト自体が妥当なのかどうかってことはほぼ問われていなくて、
だから結局はテキストは無視されるんですよね。
で、ここの構造的問題っていうのを前回指摘したのは、そもそも今のwebライティングって、
near equal SEOライティングの手法の延長線上にあるんですよね。
Googleの検索で上にくるために記事を書き、Googleが好んだ文字を入れていこうっていうのが多いですよね。
そうですね。それはそうです。検索エンジンなんで、これを知りたいって今思ったモーメントに対して答える必要十分な情報をコンテンツにまとめる作業なんですよね。
それはそれで一定必要ですよね。そのモーメントをクエリに疑問に適切に答えることっていうのはテクニックだけど、
それは記事全体でいうとすごい一部であって、世の中のほとんどの記事っていうのはそういう態度では読まれてないんですけど、
ほとんどってどっちかというとぼんやり読まれてて、SEO記事が健在層に向けて、今明確な問題意識に向けて書かれるべき記事であるとすれば、
本来他の記事は記事広告とかも含めて、プレスリリースとかも含めて、潜在層から純健在層向けの記事なんで、
なんとなく問題意識はあるけどぼんやりしてるとか、ぼーっと読んでるとか、そういう人に向けて書くものなんですよね。
その人に向けてすごい健在層向けの方法論で、まずそもそもあるあるはみたいなありくどい8000文字ぐらいの文字を書くから読まれなくて、
だから文字はどんどん透明化して写真だけが残るみたいな、そういう状態になっているっていうことなんですよね。
僕も実際メディア在籍してた頃に、毒量率とかアクション率上げないといけないよねみたいな話になって、
よく立ち上がりながらチームでそういうプロジェクトチームみたいなUIテストやって、
この前段のリード文をちょっと消してみようかとか、ちょっと行間詰めてみようかとかいろいろやるわけですけど、
行間詰めるとかもやるんだね。
いろいろやるんです。
まあ意味ないんだろうなと思ったら本当に意味がなくて。
まあでもありますよね、PDCAやってるプロジェクト。
まあそうですね、人によって意見があるじゃないですか、もうちょっと行間多い方がいいとか、
よし詰めた方がいいんじゃないかとかって、じゃあちょっとABでやってみようかってやってみても、
結局そこにはあんまり影響ないとかあるよね。
あるよね、まあほぼ横目で見てたぐらいの感じなんですけど、結局何も変わらず、
でもなんか普通に自分のユーザーとしての実感としては、記事がクソつまらんからだろうって思ってたんですね。
自分がワクワクして読めないし、何も学びのない記事をユーザーがもう読みたくねえだろうと思ったんで、
当時だから構成案社員が書くんだけど、本文はライターに発注したんですよね。
ああ、そうでしたね。
要は主婦ライターに発注して主婦目線を出すみたいな、一応名目ではありましたが、
全然主婦目線出されてこないんだよね。
まあ構成書いてるからね。
そう、コスト払って、中3日とか割と待って、全然膨らんでない文章が戻ってくるみたいな感じ。
膨らんでないところはいいんだけど、変なところ膨らんでるみたいな文章で、なんかダメだなと思ってたんで、
そのUIテストプロジェクトの後に本文を自分で、もうライターちょっと使いたくないんで全部自分で書かせてくれっていう話をして、
自分で書いていろいろ試行錯誤したんですよね。
その時に一定仮説あったんで、やると速攻結果出て、
毒量率とかで言うと倍増、40%から80%ぐらいに平均に上がり、
アクション率で言うとCTRが3から5%のところが15から25%に上がったんで、
マーケティングのコミュニケーション
大体5倍ぐらいかっていう感じで、平均して上がったんですよね。
存在によらず上がったので、それを言ってメソッドというかノウハウだろうなと思ったわけですね。
その時の僕の発見としては、記事メディアにおいての一番のUIは記事本文なんだってことですよね。
当たり前のことなんだけど。
当たり前っちゃ当たり前だけどね。
でも本質的にはそうだよね。一番面が大きいのはそこだもんな。
別にブログメディアっていうのかな、記事メディア大体デザイン見た目一緒だからね、どこも。
UIをどんだけ凝ってもほぼ何も変わらないんですよね。
だから何を書くかを変えるとずいぶん変わるっていうことが分かったんでね。
ここをマジで取り組んだら面白いんだけど、いまだにあんま興味ないね、みんな。
でもアクション率5倍はすごいね。
アクション率5倍は本当に普通になるべくしてなったと思いますけどね。
クライアント的にはだいぶ価値があるよね、5倍になったとね。
5本記事出さなきゃいけないのは1本の記事で済むってことだから、普通に発注が増えて。
結局はメディアのタイアップの売り上げとかも5倍になったんですよ。
一緒にいた会社じゃないけどね、別のメッセージにいた会社の動画とか。
でもそりゃそうで、代理店さんは嫌だったんですよね。
そもそもその薄味のメディアタイアップの記事にいつも困らされてるわけ。
クライアントはさ、代理店さんに依頼したのに全然ダメじゃんみたいな、言ったまんまやんみたいな。
でも代理店は板挟みで、メディアにこれどうなんすかね、ちょっと味付けよとか言ってもいいよ。
これうちのメディアのテイストですからとか言われて泣いてるっていうのが多かったんで、
ちゃんとその文脈を理解して、文脈っていうのは、マーケティングの文脈を理解して翻訳して、
まずはPowerPoの企画書に落として、その先で記事を書いてくれるメディアはなかったんで。
ひどいよ、WordでとかExcelで企画書出してたからね、昔のメディアって。
企画書じゃないよね、もうね。
広告とかマーケティングってPowerPoベースなんですけどみたいな、そこから始まってみたいな。
あとマーケティング用語も、マーケティング用語じゃない、必要だから使われるのであって、
タームを知らない人が広告記事は書けないんですよ。
態度変容とか既存的なタームも知らないのに広告記事書けるわけないじゃんみたいな話なんで、
そういうところから始めて全部変えるとかやると、それは数字は上がりますさっていうことですね。
という感じで、今回はそういうメディア在籍してる中で、僕がデータを直接見れる立場だったんで、
ライターさん、外部のライターさんはそれが共有できないから、腕の磨き用がないんだよね。
だから書き散らかし状態になっちゃうことがあると思うので、
行ってデータを見て書き方を変えて、これがいいかなと思って成果を出してきたノウハウをサクッとお話をしますという感じですね。
他の人は他の人でいろんなノウハウがあるかもわからないんだけど、僕なりのノウハウを紹介しますということですね。
という感じなんですけど、本編は別撮りしてますので、宮尾さんには収録で聞いていただいていますが、
どんな点で明日使える企業ネタになりそうですか?
そうですね。これ今回記事広告の話をしてるんですけど、とてもマーケティング的だなと思ってて、
別に記事広告の話じゃなくて広告の話においてもそうだし、そもそもの動線設計とか、
全てのマーケティングでやってることって商品を買う気がまだないっていうターゲットの人がいて、
何らかの情報の刺激を与えることによってその人が商品を買いたくなるって購入ボタンを押すっていうことをマーケティングにおいてはやってるじゃないですか。
それを記事というもの一本でやろうとするとこういう考え方ですっていう意味で、
今日本編で話した内容は別に記事広告だけじゃなくて、広告でバナーで何を言って、LPで何を言ってどう購入してもらうかってところにも参考になるし、
広告だけじゃなくて全てのマーケティングでコミュニケーションを考える順番を考えるときに一つの軸として参考にはなるなと。
確かにおっしゃる通り、ノウハウっぽくはないんですよね。3つのポイントって言えばオッケーですみたいな。なるほど、じゃあそのまま明日から使おうみたいな感じではなく、
結構今回の話はじっくり味わってというか、一つの観点として仕事をやる上で頭に入れておいて、
ちゃんと最後に出てきたレスイズモアみたいなのができてるかなとか、そういう訓練をすることによってできることなので、
ライティングの原則
明日いきなりめっちゃ上手くなるってわけじゃないけど、そういった今日本編で話すようなことを日々意識してマーケをやっていくと、
365日以降にはだいぶマーケターとして成長してるんじゃないのかなって思うような内容でしたね。
そうですね。ノウハウって一日でわかるじゃないですか。一日でわかる。明日からそのまま壁に貼っときゃ使える。大学生でも使えるもんね。
そうなんね。別に参入障壁ゼロですから。そんな一日でわかるようなノウハウを身につけたって、安泰じゃないよね、未来は。
そうだね。他の人も誰もが真似するからね。
そうですよね。
確かに。実際ウェブ記事とかそういう感じでしたよね。いろんなメディアがどんどん記事作っても、記事の作り方がカタカサれて、
最後にまとめの章があって、「皆さんはどう思いましたか?」みたいな文言が入ってて、パターン化されてたもんね。
パターン化されてるからね。だから伝えたいのは、そもそも今の既存のライティング方法って妥当なんでしたっけっていうことと、
それを妥当かどうか判断するのはデータですっていう話で、問い直していきましょうっていうことと、
それ57回も話したけど、問い直すこと自体とか自分で一流を作っていくことってめちゃくちゃ面白いんで、それをやった方が実りないですかっていう話なんですよね。
だからよくありますけど、記事の最後にまとめなきゃいけないなんて誰が決めたんですかって話なんだよね。
確かに。
僕は割と唐突に終わるんですけど、締めとか、締めとかマジどうでもいいと思ってて、リードとタグライン、最後のチャプターが全てなんで、
まとめとかマジでいらないですよ。まとめの文字数はその分大事なところにアテンション奪うので、唐突に終わる。
なるほどね。
唐突って言っても一応その最後CTAをつけるから、そのCTAにつなげる形の、
でも一番最短距離の締め方をするみたいな感じかなというところですかね。
だからそもそも疑いましょうってことだね。
それでは本編ぜひ聞いてみてください。本編は約40分あります。
一直線ライティングの実践
途中で聞けなくなった時のためにもここでポッドキャストをフォローしておくと便利です。
それでは行ってみましょう。
さて、じんぼうさんの今週のピックアップ。
テーマはこちら。間違いだらけのウェブライティング解決編。
狙った独語感を引き出す一直線ライティングの方法です。
ではどんな内容なんでしょう。
今回は僕が編み出したというか、一直線に書くライティングっていうのをお伝えしたいんですけど、
僕は割と記事広告のライティングをめちゃくちゃ突き詰めてやっていたので、
そこですね、目的がめちゃくちゃ明確にあるんですよね。
読んだ後、ブランドを好きになってもらって、使いたいと思ってもらって買ってもらうために書くものなので、
目的が明確にあるから目的に対して一直線に書くということで、
余計な回り道をせずに、なんかくどくどと、そもそもこの概念とはみたいな、そういう話をせずに、
目的となるゴールの独語感に至るために最低限必要なのさ、これですよね、これですよねっていうところを入れていくってことですね。
SEO記事だと8000文字とか読んでくれるけど、
そうじゃない記事ってそんな読めないですよ、普通はね。
SEO記事の8000文字も、8000文字読んでないですからね。
読んでないからね。
読めない。
その中で知りたいところを飛ばして、そこだけ読むじゃないですか。
普通のその他の記事とか、記事広告もそうだけど、
これを知りたいっていうクエリは、もう満たされたユーザーが回遊で読む記事なんで、
だからフワンとしてるんだよね、問題意識とか何が読みたいかあんまりなくて、
なんか面白いのがあれば読むっていうサムシングエルスな気持ちで読むので、
なんか意味のわからんことがグダグダ続けば即離脱されるんですよね。
だから割とタイトに書かなきゃいけないのと、
あとは8000文字は絶対読んでくれない、8000文字20分かかるから。
だいたいの記事は1分か2分しか読者は時間をくれないから、
その中で読める文字数は400文字から800文字なので、書いても2000文字です。
一手飛ばし読みがあったとしても2000文字、中に収めないといけないとなると、割とタイトなんですよね。
そうですね。
なので僕が言う、爪将棋のように書くっていうのが緊張感としては正しくて、
一手でもゆるい意味のない手を打てば相手に逆に自分の王座を取られてしまうみたいな、
そういう緊張感で書かないと本当に普通に離脱されちゃいますみたいな話。
問題だから、離脱されたことを普通のライターはフィードバックされないんだよね。
データを見れないから。
そうですね。ライティングだけだと、ライティングして納品して終わりだから、
そこからどれくらい性感繋がったかわかんないですね。
わかんない。離脱率が何パーかとかフィードバックされないと、
いつまで経っても同じような文章を納品してしまうので、
書けば書くほどスキルアップしていくのが普通だけど、そうはならないっていうことだよね。
納品力だけついていくみたいな、そういう話になっていくので。
じゃあどうしたらいいかっていうのは、データを見ないとわからないから、
データをめっちゃ見た上で見出した方法をちょっと紹介するって感じですかね。
なるほどね。
昔、だからそういう目線で見ると、他社の記事校とかは割とめっちゃ見たんですけど、
添削、赤字バッと入れると、ほぼほぼ商品情報周り以外は全部取り詰めの赤字を入れたんですよね。
本当にもう意味のないこととか、なんでこれ書いてるんだろうって、
意図が読めない、意思が見えない文字がすんげえひたすら並んでて、
それが3500文字くらいだいたい並んでるんですよ。
だからダメなんですよっていうことをVに示すために赤字を入れたんですけど。
これももう軸がずれてたら直すの難しくない?
赤字入れても全具体の構成から直さないといけなくなりますよね。
そうそう、これだから商品売るために必要ないよねっていうくだりを全部赤字入れたら、
全部赤字になるんですよね。
軸がぶれてるから。
そもそも商品の話とかめっちゃ最初から言うんだけど、
その媒体の読者ってこの商品のことめっちゃ知りたいんだっけって話がそもそもなんですよね。
じゃなくて、その商品がオシャレでシンプルで機能性が多機能であれば、
そのオシャレでシンプルで多機能であるっていうことを、
まずは発するような文脈が必要じゃないですか。
じゃなくていきなり言われても、
いや他にもオシャレでシンプルで多機能な商品いっぱいありますけどみたいな話になる。
そうだね。
っていうことなんですけど、
そういうのをオシャレで多機能なって言ったけば、
それがその文字通りに伝わるんであればちょろい話なんですけど、
そうじゃないっていうこと。
確かに。
ちなみに言った今オシャレで多機能でシンプルみたいな話は、
参考までにさっき適当にメディア見たらまさにそういう記事があったんで、
相変わらずこんなことやってるなと思って言いましたけど。
なるほどね。
企業からもらうオリエンをそのまま文章に落としちゃってるんでしょうね。
そうそうそう。
僕から言わせると、
当てにいってる姿勢なんですよね。
腰が引けてるというか、
クライアントから怒られたくないと思ってやってるから、
読者に対しての意志はないし、
読者の認識を変えてやろうって思った時は、
いろんな創意工夫が生まれるはずなんだけど、
それは一切ないんだよね。
本当に書いてるじゃないですか。
納品できればいいみたいな姿勢でやってるのが見え見えなんで、
そういうので絶望してるクライアントとか僕いっぱい見てきているから、
でもそれがほぼほぼ全ての記事広告の現状です。
それは僕がやってた時も今も全く変わってないってことなんですけど、
そういう姿勢って僕はもうすごい大嫌いで、
責任回避的な書き方だと思うんですよ。
プロじゃないというか。
読者意識の重要性
だからツラツラツラツラ責任を負いたくないから文章はたくさん、
文字量はたくさん書くんだけど、
どんだけ読んでも頭の中に何のイメージも残らないですよね。
客注をずっと読んでるような感じ。
説明書を読んでるような感じ。
読者は興味ないんだからそもそも。
イメージが立ち上がるように書かれないと立ち上がらないんですよ。
似たような文章でクソだなと思うのは行政の文書なんですけど、
それにほぼ近いと思っていて、
何回かやらされたことがありますけど、
入札案件の使用書とかって本当に意味がわからなくて、
そもそも文書がだいたい2層構造になっていて、
10枚くらいの使用書と3枚くらいの使用書があって、
お互い参照するように構成になっているんだけども、
重複しまくっているし、
10ページの中でも重複しまくっているしみたいな感じで、
こうやって何をやればいいんだっけみたいなのを読み時に
クソ膨大なコストがかかるんですよね。
もう吐きそうになって、
結局提案のところに割く能力が随分削られるので、
他の人生の中で二度とやらないと思っています。
そうですね。もう明らかに、
あえて読みにくくしていっちゃうかぐらいわかりにくかったりするもんな。
しますよね。
あれってどういうメンタリティーから来ているかというと、
まさにこういう責任回避的なメンタリティだと思っていて、
平等にやらなければいけないとか、
言ってないじゃないですか、不平等とか言われるのが嫌なので、
それを回避するためにたくさん文字を割いて書いているんだけど、
それって読み手にとってはめちゃくちゃややこしくて、
コストがかかるので、
触れも受けていない書き手自身への、
自分自身へのサービスなんですよね、あの文字量って。
だから本当に無駄な文字を書くっていうのは、
基本的には社会の迷惑であるっていうのを捉えるのが、
書き手としての最低限の第一歩目なんですけど、
ここほぼできていないね。
そうね。なんか、こないだ聞いたらなるほどなと思ったのは、
国家公務員一種とかの高級官僚の人ってめっちゃ早口なんですって。
理由は、伝えなきゃいけない注釈情報が多いから、
早口にしないと伝えるのにコストがかかるので、
とにかく文書と同じように話し言葉も、
こうこうこうこう、でもこういうことがあるからこういうことがあるけど、
でもこうこうこうこうでみたいな話をしないといけないから、
結果早口になるらしい。
なるほどね。
情報量が増えれば増えるほど伝達量減るっていうのは、
別に考慮する必要ないもんね、その人たちにとってはね。
だから早口になるらしいんだけど、
そもそも情報量減らせそうよっていう発想がならないらしいね。
そうだね。
そこはだから、成果を問われる民間ではそんなこと一切しないじゃないですか、
みたいな話で、
っていうことですよね。
民間でそれやっちゃったらダメだね、みたいな。
でもその成果が見えないライティングの世界で、
いまだにそういう行政がやってるのことを、
民間のライターもやってるっていうことですね。
なるほど。
記事広告っていうのはだから、目的は明確で態度変容させなきゃいけないので、
だから独善独語、一本の記事で認識を変化させなきゃいけないわけですよね。
なのでやることは明確で、独語、要は締めのところをまず決めるじゃないですか、
あと何をやるかって言ったら前段で、
その締めに至るまでのコンテクスト作りですよね。
文脈作りで、どういう文脈を浴びせれば、
締めポンって出した時に、
おお、そうだなって思わせるかどうかを逆算すればよくて、
そこを最短距離で結ぶっていうことなんですよね。
ってことをやる時に、
一直線ライティングの基本
つらつら文字をガーって書くことってあり得ないんですよね。
めちゃくちゃ、もっとタイトに詰めしょうぎみたいに、
一文字削るぐらいのレベルでやっていかなきゃいけないので、
書きすぎなんですよね、今の人ってね。
なるほどね。
バーってとりあえずバーって書くんだけど、
バーって書いちゃダメですよ。
削るの大変だから。
確かに確かに。
少ない方が逆にいいもんね。
そうそう、いかに書かないかってことが大事ですね。
確かに。
古典ラジオってラジオの番組聞いてて、
なるほどなと思ったら、
人間ってのはストーリー理解でしか理解ができないと。
ただ事実をパンって言われても理解ができなくて、
でもこういう人がいてこんなことがあって、
だからこうなったんですって言われると、
あーなるほどって理解ができるっていう意味で、
その意味では最初の独善の話と独語の話とかっていうのが、
ちゃんとストーリーで繋がっていれば理解できるけど、
情報がAです、Bです、Cです、Eですってなると、
どういうことなんだろうってなっちゃうから、
その繋がりのストーリーを作るのは、
インプとPVの違い
これ記事講じゃなくても何においても本来大事ですよね。
そうなんですよね。
よく言ってたのは、
インプとPVの違いを説明できない媒体営業が多すぎるんですよね。
インプとPV。
インプレッションとPVの違いはめちゃくちゃ単純で、
インプレッションはさっきの古典ラジオの話で言うと、
Aです、Bです、Cです、Dですのピンポイントの情報なんですよね。
ウェブメディアで言うと一つのページビューの中には、
バナー枠がいっぱいあるから、
インプレッション枠も10個とか20個とかあるんだけど、
PV、記事広告の言う1PVの価値は何かというと、
AはAです、AはBですとか伝える、
そのピンポイントではなくて文脈として伝えられることが大事なんですよね。
記事として理解してくれて、
ストーリーとしてコンテクスとして読んでくれるので、
記憶に残るとか本質的な理解をしてくれるとか、
そういうところにあるので、
そこが全然PVとインプは違うんですよっていうところの認識があるんだけど、
そうじゃないとインプ単画の方がもちろん何十倍も安いので、
インチ取ればいいんでしょって話になると、
誰も記事広告なんて買ってくれないわけですよ。
こんなのやるんだったらYahoo!の広告出した方が、
インプ稼ぐんだったら全然稼げるもんね。
1000万インプ出して世の中変わるんだったら楽なもんだけどね。
読まれない、何も伝わらないからね。
表示されてるだけだからね。
そこの違いとかも割と大事。
そこはだから文脈とコンテクスとか、記事を紡ぐ意味はそこにあるんですよね。
そこをまず理解しないといけない。
その上でじゃあ何を紡ぐべきかみたいな話になっていくと思うんですけどね。
ないとダラダラと書いちゃうんですけど、
データを見てるとダラダラ書くと一瞬でヒートマップが
赤色から青色にドーンと落ちるんですよ。
読まなくなったんだね、そこからね。
そう。じゃあ書き手は真っ青になるじゃないですか。
だから毎回毎回それを見ててやってれば、
もうそれを回避したいと思ってどうすればいいんだろうって。
この要素が余計だったなとかっていうのがわかるので、
それをコードが書き方が随分変わるんですよね。
根本的に変わります。
これ結構メディアの人はこういう越読ヒートマップとかを見ながら
PDCAをするっていうのは一般的なんですか?
なんかべき論ではそうだけど、本文中はほぼやってなくて、
タイトルABテストしかやってないことが多いですね。
昔から話したかな、タイトルはスキャンモードなんで
いきなりワードでだいたい、ワードの掛け算で結果出るから、
ABテストはあんまりユーザー理解には意味がない。
読者理解には意味がなくて、本文は本文でまた違うので、
本文の越読態度を分析しないと意味がないんですよね。
ストーリー理解を考えるとそうですよね。
本文読まないとストーリー使わないですもんね。
議事公法って300万とか1本でもらうときで、
その300万はタイトルにクライアントが金払ってるんですか?
って全然違うじゃないですか。
本文に金払ってるんだから、本文の分析しないと意味がないし、
レポートも本文の分析、レポートしないと意味がないのに、
ほぼやってないよね。
面白さの重要性
タイトルABの結果とPV出して以上終了みたいな。
それはもう全くおかしな話で、ということですね。
じゃあ本文の分析があって分かることは何か。
どういうふうに書けばいいのかっていうのは、
テクニック論ではいっぱいありますけど、
ざっくり結果、僕が掴んだことを言うと、
タイトに書くっていうのが基本なんですけど、
その文字は何が必要かというと、面白いってことなんですね。
結局は知的すぐりが全てに入っているってことなんですよ。
全てが新しい文脈だったり、新しい気づきだったり、
新しい知識だったり、新しいTipsに満ちているってことなんですよね。
一文字読めば読むほど読者の認識が塗り替えられていくっていう体験。
その先にはブランドがいいな、使ってみたいなっていう認識に
つながっているんですけど、
っていうその一筋の道を描かないと意味がないんですね。
どこにも行かない文章になってしまうってことなんですよ。
最近見たドキュメンタリーで面白いなと思ったのは、
将棋の棋士って割と100手先とか読むとか言ってるけど、
あれも割とその分岐で10パターンあってその先の何パターンあっていうのを掛け算で言ったら
100手とか1000手とか読むらしいんだけど、
でも全部か全部見てるわけでもなくて、結局はセンスらしいんですよね。
こっちの方向、こっちの方向っていう大きな方向性は割とセンスらしくて、
そのセンスはどの方向なのかっていうときに、
美しいと感じる方向に直感的に打っていくのがいいらしいんですよね。
へー。美しいって感じてるのや、将棋の棋士は。
そう、美しいって感じるようになって。
たぶん背よりいっぱい定石っていうのを頭に叩き込みまくってるので、
センスの土台があるから、その中でこういう打ち筋は美しいなっていうのがあるんだと思うんですよね。
結構無意識領域も含めて、そういうふうに理解をしてるんだろうね。
ここがAIとの違いって言いますもんね。
AIは本当に全パターン、こんなパターン打たないだろうっていうのも含めて全パターン検証してどうかっていうのをやるけれども、
同じことを人間の頭脳でやろうとすると不可能だから、
自然と経験を積むことによってこのパターンは気にしなくていいっていうのをうまく消していくことによって考えることを絞って、それでやっていってるもんね。
将棋の場合はそういう方向性としては美しさに指していけばいいらしいんですけど、
書くのは美しいでもいいかもわからないけど、僕は面白いって感じの方に話を転がしていくと、
これを割とバーッと書いた後にいいなっていう文章になることが多いなと思って、
なので一定そのロジカルな構成を作った後は、本文は割とそっちの面白ベクトルで中身を充実させていくと、
いい感じの流れになるなっていうのがあって、
なるほどね。
面白ベクトルってめっちゃセンスじゃないですか。
何面白いと思うか、それを思いつけるかはセンスですね。
ここに対する具体的なアドバイスは何もないんですけど、
でも将棋でいうと定石を覚えるみたいなそういう訓練があるとすると、
僕なりに言うと多分お笑いとかをたくさん勉強するとか、漫才いっぱい見るとか、
そういうのでこのくつぐり方の加減をつかむとか、
そういうのは一定できるのかなっていう感じがするんですよね。
なるほどね。確かに最近YouTubeで大喜利をロジカルに説明したYouTubeとかあって、
大喜利のお題が出た時にどこから考えていったらいいのかっていうのが違うらしくて、
普通にお題の通り考えると普通の回答出てくるから、
こういうお題の場合は全然ぶっ飛んだ、一回お題を逆に転換して、
こういう大きいものを考えてくださいってなった時に、
一回小さいものを考えて、そこから大きいものにするにはって考えるとか、
いろいろとテクニックがあるらしくて、
そういうのがなかったら大喜利大会とかでお笑い芸人が大喜利してるのも不可能だよね。
そうだね。
人間の頭じゃね。
コピー書くときとかも大喜利のときとかも大体一定の型があるじゃないですか。
さっきのコントラスト、極小から極大に飛ばすとか、大げさにするとか、
大嘘をつくとか、いくつか型はあって、それはそれで勉強しておくのがいいと思うんだけど、
それだけだと型を覚えたからって使えないですよね。
それを実際に使うには、その型それぞれのパターン、具体例を1000個ずつとか、
やっぱり覚えておかないといけないですよね。
なるほどね。
そこが大事で、いろんなアート見るとかお笑い見るとか何でもそうですけど、
そういうのって何をするかっていうと、型の肉付けですよね。
具体例をたくさん知ることで、無意識に正しい型の使い方ができるようになるってことだと思うんですよね。
なるほどね。
っていうことを、訓練としてはやった方がいいだろうなっていうところですね。
ここがコピーライターの専門知識というか、そう簡単に真似できないところですよね。
そうですね。
10文字ぐらいの文字を作るのは誰でもできることだが、
この蓄積があった上で出てくる10文字とかっていうのはやっぱりコピーライターだからこそだなと思うな。
そうですね。
だいたい組み合わせなんですよって感じで説明ができちゃうんだけど、
じゃあおいしい生活はそれで思いつくのかって言ったら思いつかないんだよね。
思いつかないね。
だからAIがコピー書くの苦手っていうのはやっぱり、
ここにはすごい人間的なセンスの塊というか経験の塊の上に乗ってるからだろうなと思うんだよな。
そうですね。
今年のカンヌのテーマもまさにそこみたいで、
AIとか出た時に、でもAIの脅威なんて一切語られてなくて、
でもやっぱりクリエイティブって面白いねって話と、
テーマで言うとHumanity and Humorだったらしいんだよね。
今年のカンヌライオンズのテーマって。
それは言って、だからAIの登場を踏まえた上で、
人間が書けるアイディアとか発想ってなんだろうなっていうところ。
やっぱそれって面白いねみたいな。
そこのHumanityとかHumor、HumorもHumanが多分語源だと思うんだけど、
人間だと思うんですよね。
機伝の発想みたいなところ。人間はいかにくすぐるかっていうところだと思うんだけど、
そこの多分さじ加減の話だと思うんですよね。
それが全てで、そこは公式とかじゃないんだよね。
大きな型はあるけど、型はそれはみんな知っとるわって話なんで、
それをね、物語の構造なんて大きくは一つか二つって言われてるじゃないですか。
行って帰ってくる物語とか、コストベネフィットの問題だったりとか、
型はもう極論すると数パターンしかないので、
でもそこでね、映画で言うと数万とか生まれてるわけで、
そこの何か、さじ加減というか、そこの話をしてるはずなんですよね、本来はね。
というところですよね。
だから一直線ライティングっていうのはそんな感じで、
余計なものを書かないで、大度変容というゴールに向けて爪将棋のようにタイトに書くんだけど、
そのタイトな中には気づきの発見とか、ワクワクの発見とか、認識が塗り替えられる連続の発見とか、
なんかその連続の先に最終的なタグラインがボーンと現れて、
「一直線ライティング」の基本
あ、将棋欲しいなってなりますっていうことかなと思うので、
まずはこうかなと思うんですよね。
というのが僕のたどり着いた一つの極意っていうところですね。
なるほど。
で、その上で二つぐらい、そもそもの基本というかね、
根本みたいなところをご紹介というか触れておきたいんですけど、
まず一つは、これは当たり前ですが、
広告ではめちゃくちゃ基本と言われている着眼点がまず全てなんですよね。
で、その上に技術が生きるっていう話で、
だから着眼点そもそもがずれてたら、どんだけ上手くいったってずれっぱなしやわっていう話なんで、
そこですね。
よく言われるのが、まずwhat to sayが大事ですよと。
で、そこからhow to sayですよってよく言われますよねと。
で、世の中の記事の記事広告とかで言うと、
ほぼほぼそのwhat to sayの目線がそもそもないので、
98%から99%はこのwhat to sayがずれておりますということなんですよね。
なので、本来この商品、この媒体上でこの商品とこの読者をつなげるには何を言うべきなのとか、
そこの見定めがめちゃくちゃ大事なんだけども、
これは前々回の話。
哲学的思考力と素養みたいなものは絶対必要になってくると思うんですよね。
書きゃいいとか、そういう話じゃなくて、むしろ考えることとか思考とかなんで、
文字なんて2000文字ぐらいでいいわけなんで、そんなに書かないでいいんですよね。
よりはそこの哲学的な見定めというか定義、
読者に向けてその商品の存在意義を再定義してあげるみたいな営みだと思うので、
そこはまず大事。
そことAとBのポイントをつないだその間を一気に読ませる。
一気に読ませるんだけども、その中でいくつか、
読めば読むほど心の準備がなされて進んでいくみたいな状態に持っていく文脈を作るっていうのが
how to sayなんだけど、それはそれで大事ですよねっていうことですね。
メディアにおける記事広告ってそういう新しい発見を与える可能性があったはずなのに、
結局あんまり得意ではないっていうかそういうコンテンツがなくて、
マーケティング上、商品の魅力の伝え方って今どこでやってるかっていうと、
結構インフルエンサーとかユーザー投稿でやってることが多いと思うんですよね。
だから、例えばこの食品の商品がおいしいっていうことを企業としては伝えたいと。
でも、おいしいって企業が言っても誰にも伝わらないから、
インフルエンサーだったりとか、実際UGCでおいしいって言ってるとか、
こういうふうに使ったら楽しかったよっていう投稿を作ってくれることによって、
新しいファットゥー性が、N1のファットゥー性ではあるけれども、
その人の口コミがその商品の価値を伝えてるっていうふうになっていて、
本来メディアも一人N1ではないけれどもそのメディアの読者という人にとって、
この商品はこういう価値があるっていうものを定義して記事を作れるはずなのに、
あんまりなくて、結局インフルエンサーが動画とかコンテンツ作って、
こういう新しいファットゥー性を伝えるコンテンツができてるなって感じはしますね。
そうね。ただメディアの敗北だよね。
結局インフルエンサーもメディアタイアップも、
まず誰が何を言うかの誰が大事ではあると思うんですよね。
このメディアが言ってるとか、このインフルエンサーが言ってるとか、
メディアの場合はこのメディアが言ってるは一定あるとしても、
その言い方で何を言うかがやっぱり稚拙すぎる、工夫がなさすぎる。
インフルエンサーも何を言うかはしょぼいんだけども、
でも誰が立ってるから、
この人が言ってるんだったらそっかって思える。
だから依頼しても大体期待外れの投稿ばっかりなんだけども、
少なくともフォロワーには届いているし、
SNS上で見た感はあるぐらいのレベル。
もっとそのレベルを超えていかなきゃいけないのが理想だけども、
全然そこまで来てないってことですね。
食品とかはインフルエンサーとかマイクロインフルエンサーの投稿で価値伝わるなって感じはしますけどね。
誰に依頼するかとかは結構でかいけどね。
お金払ってやってください、ただで商品送るんでとか、
ただそれだけだと文脈合う合わないとか全然あるし、
何回か使ったけど、この商材でこの人にやっても結局商品紹介してるなってインフルエンサーも全然いるし、
この商品の新しい魅力を作ってくれたなっていうインフルエンサーもいるし、
数打てるのがインフルエンサーはまあいいかな。
メディアは数打てないし、1回あたりの金額も高いしね。
そうだね。そこは難しいですよね。
本来メディアの役割はこうであるし、可能性あるはずなんだよな、もっと。
メディアの役割って本来はそのメディアならではの指定の文脈を足すってことなのに、全然足さないんだよね。
そうだよね。普通に広告枠買ってるだけみたいな。
それってプレスリリースと一緒やって話で、プレスリリースって3万円で売ってますよね。
じゃあ300万円払う理由ってどこにあるんですかみたいな話なんで、
プレスリリースを売ってそこに送客で6万とか飛ばせば、全然もっと安い金額でリーチできんじゃんみたいな話なんで。
そうだよね。
記事広告ってそういうのじゃあ本来なかったよねっていう。
その広告枠を、例えば雑誌で広告で2ページ使って自社の紹介、プロダクト紹介のすることよりも、
記事という形でそのメディアの編集力を使ってその商品を2ページで紹介した方が価値があるから、
だから広告枠買うよりも記事広は高いんですっていう説明のはずなのに。
そうなんだよね。
広告画像張ってるのと変わらなくね?みたいになるとちょっとおかしいよね。
そうなんだよ。責任回避なんですよ。
やっぱね難しいんだよね。そのメディアの立場として思い切った文脈を紹介しないと跳ねないんだけど、
思い切った文脈を紹介するのはある程度の度胸がないと怖いんだよね。
編集は怒られたくないじゃん。クライアントワークしたことない人たちなんだから。
やっぱり安倍で行くんですよ。
安倍で行くとこれもオリエンシートのやつ、これもこれもこれも載せてるでしょ、いいでしょって納品しようとするんだけど、
代理店は頭かかるんだよね。オリエンシートまんまや。何も翻訳してくれてない。
これ編集部目線って言うけど知っとるかなみたいな感じ。
そうだよね。
そこに緊張感がないんだよね。編集コンテンツというのは読者がその編集コンテンツを読みに来ているから、
何書いても読んでくれるものなんですよ、そもそも。健在相向けのものなんですよね。
ただ広告コンテンツは全然違ってて、そのメディアの読者は広告コンテンツを読もうと思ってきてないわけなんで、
そこを読んでもらうにはめちゃくちゃ工夫が必要なんですよね。
そこの全く属性の違うものに対して、同じような緊張感でやっちゃってるから上手くいってないっていうのがあって、
マーケティングとインフルエンサー
だからタイアップが全然体調してると思うんですよ。インフルエンサーに流れたりとかしてる理由はそこにあって、
ってことかと思いますね。
あともう一個は、これは記事広告だけではない。全てのライティングに入れることですね。
最近僕UXライティングとかもやってて、ブランドパーソナリティ決めて、ボイス&トーンっていうのを決めて、
このプロダクトはこういう語り口でいけばいい、ライティングのルールを決めて、みたいなところをやったりするってことをやってるんだけど、
それも基本的にはもうどのプロダクトだって全てここは一緒ですって感じなんですけど、
それはless is moreってことですね。
少ないのがいいってことかな。
いいこと。
で、これはちゃんと言っとかないと、ちゃんと共有しとかないとダメなんです。
なぜかというと、日本人はさっきの責任回避じゃないけど、やっぱり不安だったら文字量でカバーしようとするんですよね。
だから多く書いて丁寧に書けば書くほど安心するんだよね。
だけどユーザーからしたらたまったもんじゃないよね。
確かにね。頑張った感とかは出るけどね。
頑張った感はね。
別に関係ないからね、読み手はね。
関係ないね。
一ユーザーとしてはね、相手も見えないやつを許すか許さないかどうでもいいからさ、
使ってて気持ちいいかどうかとかサクサク前に進むかどうかとかなんで、マジでどうでもいいと思うんですけど、
一番大事なここね、Less is moreの理念を共有しておくチーム内で。
これめちゃくちゃ大事で、文字量イコール情報量では絶対にないんですよね。
あらゆる記事で言えるのは、やっぱり結果は受け手の頭に残った情報量、イメージとかそういうボドマリが全てなんで、
2000文字書いても8000文字書いても残ったイメージ量が多い方が勝ちなんですよ。
残った行動量に繋がった方が勝ちなんで、そういう意味では文字量なんてどうでもよくて、情報量が必要で。
情報量って何かというと、8000文字でも2000文字でもキロバイト数はほぼ一緒で、
じゃなくて読んだ後の受け手の中に広がったイメージ量ですね。
これの方が圧倒的にバイト数大きいじゃないですか。
はいはいはいはい。
なんで、結果どういうイメージが立ち上がったか、どういう構造のイメージが立ち上がり、それがブランドにどう繋がったかということが全てなので、
文字量が少ない多いなんていうのは気にする人が一切ないですよね。
じゃなくて、イメージが立ち上がったかどうかが全てなんです。
という話なんで、究極一行でもいいんだよね。コピーとか一行ですけど、
一行でもぱっと言ったからイメージが広がるようなコピーっていうのはいっぱいあるじゃないですか。
心も満タンにコスモ石油とか何でもいいけど、お口の恋人ロッテでもいいですけど、
そういうコピーの方がはるかに8000文字よりも情報量は多いんですよね。
ということをまずは徹底すべきですし、
じゃあ書くというのはどういうことかというと、まずは書かないものを決めていく作業なんですってことなんですよね。
なるほどね。
ほぼほぼ書かないものなんですよ。
ただ、インプットされたものとか自分が調べたものは使いたくなるじゃないですか。
だけどそれは使わなくていいんですよ、ほとんどはね。
それを使わないけど、それを集約したらこうだよねってその一点だけを残していけば、
すごいタイトな文章になるので、こうやっていけばよくて。
余計ものを書くことはどういうことかというと、本来伝える文字を埋もれさせてしまうということなので、
これもうトレードオフなんですよね。
読者が受け取れる情報量は一定なので、400文字から800文字ですよ。
溢れたらその分、本当に伝えたい文字は伝わらないということなので、
そこを徹底的に自覚してやった方がいいですっていう話なんですよね。
なるほどね。
まあそうね、頭ではわかるけど難しいよね。
難しいね。
難しいけど、でも心がけとしてはいかに文字を減らすかっていうところは、
もう最初からルール決めとくぐらいの方がいいよね。
この文字数でいくんだぐらいの。
どうしてもやっていくと文字数、コピー作ろうとしても広告文章作ろうとしてもついつい文章量多くなるから、
もうこの文章量しか入らないんだと思うとちょっと変わってくるよね。
そうね。
あとはもう全部データを見るっていうことにした方がいいと思う。
判断基準も別に編集長が全部わかってるわけでもないので、
書いてみて、独立データとアクションリストを取ってどうだったか、
それを改善していけば必然的に多分書き方が変わるので、
数字ベースにしないとやっぱりライティングって本当変わんないんだよね。
情報量とライティングの関係
ライティングってすごいこだわりが一層あるから、
すっげえ変えることを嫌がるわけですよ。
ちょっと作品感あるもんね。
そうそうそう。
正解とかないじゃないですか。
SEO記事には正解あるよね。
競合の上位の情報の順番とか見出しとか情報量をGoogleが評価してるんであれば、
それを超えていかないといけないので、ある程度書くべきことは決まっていくと。
そうだね。
そうじゃない文章は正解がないように見えるけど、実は厳然としてあって、
それは書いてるだけじゃ見えないけど、数字、閲読データとしては明確に出るので、
そこを見てそこに従うしかないよね。
そっちが王様なんで。
研修長でもないし、多分クライアントでもないんですよ。
そこの王様は読者の行動が全てなので、
非常に純粋に従うようにっていうポリシーが一番人が書きでも変わるし、
学ぶこともあるし、成果にも差があると思うんだよね。
そういうことやってるとこは一切ないねっていう。
そうだね。
とても広告的な思考というか、広告も結局クリック軟件されるかが勝負であって、
伝わらない、例えば広告バナーに大量に文字を入れても伝わらなかったら意味ないし、
クリックされなかったら意味がないしっていうところが、
広告では当然だけど記事校だと文章になっているが故に、
なんか文章あってもいい感出ちゃってるもんね。
出ちゃってるんだよね。
クライアントはいっぱい書いてもらった方が喜んだりするからさ。
なるほど。
これやっぱウェブメディアだからかな。
雑誌とか紙だと無理じゃないですか、文字数って。
スペース決まってもんね。
ウェブで書いちゃったら1万文字とか書けちゃうのがダメなんだろうな。
そうなんだよね。
何が良いか何が悪いかの価値観の共有がなされてないんですよね、そもそも。
だからそこも問題ですよね。
コピーで言ったらTCCとかOCCとかその分断みたいなものがあるし、
ありますね。
いって何が良いものコピーなのかみたいな、
共有は常に常に時代によって磨かれてきているが、
ウェブライティングは一切なくて。
確かに。
作るしかないですね、ジンボさんは。
ウェブライター対象みたいな。
そうなの。
あんまり興味ないというか、他人の文章全然興味がないのであれですけどね。
本当だから、やってて、
僕は言ってこうだよっていうのがあるし、
それだと数字が出るから言うんだけど、
本当に人は変えないんだよね、そのライティングのやり方を。
そこはすごい分かるけどね、ストレスなんだよなと思いながら、
でも何のために書くんだっけみたいな。
あなたの表現活動じゃないよねみたいな。
ブランドに落ちないでみないよねとか売れないと意味ないよねって言った時に、
やっぱりそこを徹底的に突き詰められる環境であればいいけどもみたいな。
こういうスパルタ的な土壌って今少ないからね。
確かにね。
編集畑に上司もいたら上司も判断できないからな。
そうなんですよね。
広告畑なら違うかもだけどね。
結果の重要性
皆さんは今回の話を聞いてどんなことを考えましたか?
X、Q、Twitterのハッシュタグ、マーケターの真夜中ラジオかLINEコミュニティで教えてください。
LINEコミュニティのURLは概要欄からご覧ください。
誰でも匿名で気軽に参加できます。
さて今週の明日使える聞くネタ帳、マーケターの真夜中ラジオもそろそろ締めのお時間となります。
本編でも厚く語った通りなんですけど、
記事を書くっていうと割と原稿用紙が現場になっちゃうことが多いんですよね。
原稿用紙?ワードじゃなくて原稿用紙?
ワードね。
とかCMSとかが現場で
やはり文字を書くかみたいなパチパチパチパチが仕事になっちゃうんだけども、
でも本来書いてる文字とか記事が働く作用する現場っていうのは
CMSの上じゃなくてサーバーの上でもなくて
それを読み取った受け手の脳内にあるわけですよね。
そこで何も起こらなければ何もない文字なんですよね。
っていうこと、結果が全てなんで。
文字って何かって言ったら、
受け手の脳内にある特定のイメージを切り結ぶための触媒でしかないわけですね。
文字をこれとこれとこれを掛け合わせて、それをこの順番で繋いだ時に
商品がすごく魅力的に見えるイメージが立ち上がるとか
そういうことなんで、パチパチパチパチ書いたら
そのイメージを立ち上げる計算できないですよって話なんですよね。
だから結果に対してリアリストになりましょうってことでね。
どういう解釈を作ったかみたいな話に対して
リアリストになるべきだし、あとは大事なのは
文字ってのは文字通りに伝わらないので
高級でシンプルで解読ですって書けば
その通り伝わるかったら絶対伝わらないので
ほんまかいなみたいな話になるし
よく見るもんだなって無視されるしみたいな話なんで
そうじゃない言い方で伝えるっていうのは技術なんですよってことだと思うんですよね。
だからまずそこに対して認識を割とリアルに持った方がいいというか
持ち直した方がいいと思う感じですかね。
これは記事だけじゃなくコミュニケーションの本質ですよね。
何を言うかじゃなく何が伝わっているかが全てであるっていうのはね。
そうなんですよね。
企業の中とかでもこのことを最もマーケターが意識しないといけないと思うんだよな。
生産の人とかはそういうのは難しいというか
自分で頑張ってものを作っているので
思い入れを持って作っているから
こういうことも良さでこういうことも良さでこういうことも良さで
この20個ぐらいの良さを全部言いたいっていうのが
当然企業側であり作り手の思いではあるけれども
20個伝わらないですよ。
届けて受けての頭に入らないのでっていうことを考えて
だからすごくシンプルにして
この形が一番受けての頭に届くだろうっていう
翻訳をする役割がマーケターだと思うな。
文化的な違いと翻訳の課題
そうですね。
言ってだから翻訳には勇気がいるんですよね。
そうですね。
そこは自信を持って受けてはこうなんです
だからこれぐらいにそぐんですとか
言えないと開発の方が熱量が高かったりするので
そうですね。
なあなあとすげえ長い説明書とかを作っちゃうわけだね。
確かに。
翻訳って考えると翻訳された本とかでも
めっちゃ読みやすい本って読みにくい本あるじゃないですか。
ありますね。
僕翻訳めっちゃ上手いなと思ったのは
トム・ピーターズの本を翻訳した
西名さんだったっけな。
トム・ピーターズの本
サラリーマン大逆襲作戦セクシープロジェクトで差をつけろって
アイセック大阪大学委員会でめちゃめちゃ読まれてた本があって
翻訳がめっちゃ面白いんですよ。
日本語が面白いというか
だから元々の本よりこの翻訳された本の方が面白いんじゃないかなっていう
すごいね。翻訳なのに言葉が踊っているというか
生き生きとしてるんだよね。
コミュニケーションとしてそういうのって
ハチだなあって思う。
そうですね。
そうじゃない翻訳も多いじゃないですか。
英語で書いてあることそのまま書いてあるんだろうけどめっちゃ読みづらいみたいな。
翻訳の本ってさ、これ何の話だっけってよく思うんですよね。
すっごい遠回りで
これはでもあれかもわからないね。
英語の用書って分厚いじゃないですか。
パッケージの語尾でもあると思うんだけど
文字数書かないといけないみたいな用書は
新書っていう発想がないからかな。
だから私なんだけど。
すんごい周りくどいよね。
周りくどいよね。
何の話でしたっけこの本みたいな。
だから基本僕嫌い、用書は。
早川ノベルズなんか面白そうなタイトルで買うけど
なんかなかなか読めないね。
そうなんだよね。
理解の仕方が英語と日本語はちょっと違うんだろうね。
違うと思いますよね。
だから英語で書いてあることをそのまま単語一単語日本語にすると
すっごい浮世曲折しながら物を言ってる感じがすると思うんだよな。
そうだよね。
用書の場合って一文と記事テーマの全体があんまり接続しない感じがするんだよね。
すべての文章が部分部分の話をしていて
日本語の文章どっちかというとすべての一行が記事テーマと割と接続しているというか
なんかそこの違いがあるかも。
パートパートで役割を果たしてるんだと思うんだけど西洋の本は。
全体感が見えなくなっちゃうんだよね。
あれぐらい切り出されちゃうと。
あとなんか用書って事例というかエピソードみたいなのが
章の最初にあって
もっと本質的な話を知りたいのに
このトムがこんなことをしましたみたいな話どうでもいいんだけどなみたいな。
トムとキャサリンのカフェのやり取りとか長いんだよね。
長い長い。もちろん短きはいいけど。
で、で、でなんなん?みたいな。
いろいろやった末にこう言うの?みたいな感じで。
分かるだろ?みたいな。知らねえよみたいな。
欧米でずっと住んでたりするとあの価値が分かったりするのかな。
分からんけど。
分からない。分からないね。
まあやっぱり多人種だったりとか文化の差とかがあるから
そこの共通認識を合わせるまでちょっと説明が多いのかもね。
あーそうね。そこがなんか不思議だよね。
解釈のブレが多いから故によりロジカルでシンプルなはずなのに
実際は逆をやってるわけじゃないですか。
確かに。
それはなんか出版文化の悪いカルチャーになってきやするけどね。
まあそうね。
広告、ライオンズとかで言うと海外のCM、15秒とか尺は同じだから
メッセージとかめっちゃシンプルなんだよね。
公文とかめっちゃシンプルだし。
日本の広告とかとは全く違う公文で語られるんだけど
それはそれで多分グローバルにはそっちのコミュニケーションがいいと思うんだよね。
本というパッケージにするときのあの周りくどさは多分
あれも独領データを取ってないからだと思うんだよね。
確かに本を取りづらいかもね、独領データね。
取りづらいと思う。
アメリカって出す料理もボリュームくそ多いじゃないですか。
多いね、確かに。
あれも全部食う想定じゃないんだよね。
ドギーバッグで半分くらい持って買わせて
あそこは量が少ないとか言われるのが一番良くないので
なんか食いきれないくらいの量を出すのが普通なんだよね。
現地の人も全部食わないから。
本も一緒なんだろうね、多分。
量がない、ボリュームが大事なんだと。
そう、テラサイズのやつを出さないと多分買った感がないんじゃない?
読んだ感というか。
なるほどね。
ブックって感じがしないんじゃない?
そうか。そういう文化の差なんかもね、確かにね。
そう、あると思うよ。
確かにアクセンチャーの時期外資やから
英語のパープの資料とか見てたけど
ビジネス文書はすっごいスッキリしてるもんね。
文書は基本過剰書きやし、文書もシンプルで短く言うし
本になると長くなる感じやったなぁ。
これは謎だね。一度問い詰めたいね。
なんか文化的な何かがあるのかなぁ。
面白いね。
明日使える聞くネタ帳、マーケターの真夜中ラジオでは
マーケティングに役立つ情報を毎週配信していきます。
ポッドキャストをフォローすると
マーケターとしての知見が毎週溜まっていくので
ぜひフォローしてみてください。
ではまた来週の土曜日、ポッドキャストでお会いしましょう。
さよなら。
さよなら。
01:05:08

コメント

スクロール