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ライフハックニュース

アウトラインに立てた項目通りに書けないのはなぜか?


執筆のアウトラインは点、文章の書き下ろしは線。


執筆はリニアには進まないし、全体の構造が一つのアイデアの発見で変わってしまうのでナチュラルプランニングではうまくいかない。


完全な目次案が事前に必要ならば、先に書いてしまうやり方。


粒度が違うと、性質も異なる。

 小さい構造物でうまくいくやり方が、そのまま線形に拡大するわけではない


執筆のプロセスにおける発見こそが、一つの醍醐味。


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はい、打ち合わせキャスト第67回ということで今回にゲストもたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずLifehack Newsなんですけども、ワークフローリーさんがですね、面白いことをやってまして、テンプレートコンテストっていうコンテストをね、開催中なんですよ。
らしくないことを始めました。
そうなんです。全然らしくないよなとかちょっと思ったんですけど、ワークフローリーにはテンプレートという機能がございまして、
ある項目をテンプレートに指定すると、クリック一つでその項目を複製してくれるという機能がありまして、
それを皆さんどう使ってますか教えてくださいというような目的で始められたコンテスト?コンテストか、コンテストだと思うんですが、
動画で送れっていうことになってんのかな?僕英語なんでざっと読み通しただけなんですけど、
レコードはシンプルビデオと書いてあるんですけども、どんな風にただ項目が並んでいるのか、
動画で送っていいっていうもんではないかな。とりあえずこれでいい成績を収めると、
6ヶ月間のワークフローリーのプロが使える、ただ使えるということらしく、変わった反則やなとか思うんですが。
いい成績を収めると、どう綺麗に判断するんですかね。
このテンプレートというか、日常的によく使い回しているものを拝見できる機会ってなかなかないんで、
コンテスト自体は面白いなと思います。
そうですね。
ただ、ダイナリストを使っている人が多いと思うんで、そもそもこのテンプレートを使っていない方が結構いらっしゃるかもしれませんけども、
もし使っておられる方がいたらチャレンジしていただければと思います。
少し古い本なんですけど、最近「メタファー思考」という本を、後段社、現代新書かな、
出ている本を読みまして、これが非常に面白かったんですよ。
この話は多分、次回以降の名付けのところで出てくると思うんですが、
僕結構、たとえをよく使う思考の傾向を持っていまして、
大体本を読む時でも、いろいろ具体的な例で例えたりするんですけど、
そういうこと以上に人間の思考というものに、たとえてもいろんな場所に出てくるよと、
AをBに見立てるっていうことが、実はもう日常の言語活動の根本にあるみたいな話で、
例えば、もうまた例えば言ってる。
メロンパンなんて、もうメタファーそのものですよね。
メロンが入っているわけじゃないし、メロンの形しているものですし。
そうですね。
あと、例えば、一つ何かを進めるときに、
そのプロセスを道に例える、道として捉える、というのもまるっきりメタファーやと。
だから、僕たちのリアルな身体感覚、暑いとか寒いとか、赤色に見えるとかっていうベーシックなものの、
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一つの応用というか、アレンジとして言語活動がメタファーを通じて広がっていくっていうことが書かれている話で、
今まで全然見たこともなかったですけど、この本。書店でも。めちゃめちゃ面白かったです。
これ、あれですね。「好談社現代新術」ですよね。
僕、売り場で、このレベルはよく見るんですけど、本屋で見かけたことがほぼなくて。
僕ね、知らなかったですよ。
たまたまこのメタファー思考っていうのを自分で思いついてググったら、本がすでに書かれてたんで。
そうなんですね。
ググるまで見つからなかった本で。
これ結構名著だったんで、なんで受け継がれてないんだろうなと思ったんですけど。
Amazonで検索したときに、昔の「好談社現代新術」って書いてあったんですけど、
でも発注して送られてきたらちゃんと白いやつでした。ちゃんと現代版で出されてましたんで。
いつ頃の本ですか?
今手元にないですが、結構古かったですね。
これ1995年って書いてありますね。
ちょっと古いくらいか。だから普通に並んでてもおかしくはないんですが。
知らなかったというか、印象に残ってなかったですね。
これ結構知的生産とか、発想とか、物事を考えるとか、文章表現とかに興味がある方は多分面白く読める本だと思います。
もう一個は「How to take smart notes」っていう英語の本で、これKDPだけなのかな。
デジタルをベースにしたスマートなノートの取り方ということで。
実際はクラスルーマンのカード法っていうのをベースにして、
どうやってそういうリンクを持ったノートを作っていくかっていうことを解説した本なはずなんですけど、
まだ僕1の1しか読めないので、全体はわからないですが、これは非常に面白いですね。
非常に面白いです。
これあれ? KDPなんですか?
一応、あ、僕、違うな。ペーパーバッグも出てますね。
普通にKindleでも買える本ですね。
普通の本ですね。
よかったよかった。どちらでも読めるみたいですけども。
基本的にアカデミックとノンフィクションの向けの文章を書く人用のノウハウなんですけど、
結局GDDとかその他のノート術っていうのが汎用的に使えるように、
僕たちが何かを思考するときって、考えるときって、書くことがかなり強力な武器になることは間違いないじゃないですか。
だから書くことを通して考えるっていうのをやっている人であれば、
誰であってもいうようなことが書かれてある予感がする本です。
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予感がする。
まだ一の一なんで。
これまた読み終えた話するんですけど、GDDって流行ったけど、
結構ビジネス方面だけでアカデミックの分野まではリーチしなかったよねっていう話があって、
僕も常々これ感じているんですけど、
GDDってアイデアの管理方法がないよねっていう言い方をしてたんですよね。
ないですね。
この言い方ではたぶんまだ十分踏み込めてなかったなっていう本書を読んで思ったんですけど、
結局GDDっていう本の中にナチュラルプランニングっていう言い方が出てくるんですね。
ナチュラルプランニングって言って、
これ結構7つの習慣的なんですけど、
最終的な目標を描いて、そこにたどり着くために何が必要かを明らかにしなさいと。
それに沿って進めていくことで、私たちは見通しとコントロールを得られるんだよっていうことがナチュラルプランニングなんですけど、
本を執筆する上で、それがことごとく役に立たないんですよね。
はい。
タスク一層として、例えば第1章画、第2章画、第3章画みたいなことを立てられるんですけど、
その通りに行くためしかないというか、
ナチュラルにプランニングするのは良しとして、
執筆という行為がナチュラルには進んでいかないという問題があって、
そこに疎応があるんですよね、GDDの。
行動をする前に、取るべき行動を明らかにします。
実際に取る行動はリストから選びますっていうやり方ではやっていけない要素が、
執筆というか、発見とかを含む創造的活動には役立たないということが述べられていて、
確かにそうやと思ったんですけども。
その通りですね。
これが今回の話のテーマに繋がってくるんですけども、
一応きっかけは、ゆうきひろし先生のメール日記という、
あれはサブスタックのメールマガジンなんですけども、
こう書けばいいと実際に書くとの間には点値の差があるという、結構短めの文章で、
アウトライナーあるあるですよね、これって要するに。
アウトライナーあるあるです。
こういう項目を書けばいいって事前にアウトラインを立てるけども、
書き始めると全くそれに成功しなくなってきて、直す羽目になると。
こういうのがあるからアウトライナーがあまり意味がないって言われるのがよくある話なんですね。
でもそうじゃないっていうことをたくさんは長年言い続けられてきたと思うんですけど。
長年言い続けてきました。
でもね、そもそもね、僕は、これまた本の話なんですけど、
最近Excel方言詞で文章を作るのはやめなさいっていう、
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義標さんの本を読んだんですけど、
そこではワードのアウトライン機能って便利だよって話がちょっと出てくるんですよね。
よくよく考えたら、そもそもその前提が共有されてないなと思って。
アウトライン、つまりアウトライナーを使えば便利っていうのがあって、
でもアウトライナーの通りには進まないよねっていうのがたくさんの主張じゃないですか。
そもそも今の現代人はアウトラインって便利だよねっていう前提すらも、
多分ワードを使っていると共有されないんだろうなと思って。
そうですよね。
だから、従来のアウトラインの考え方はこうですよね、でもうまくいかないんですよっていうところから書かなきゃいけない。
そうそうそう、そういう感じなんやろうなと今はちょっとその本を読んだよって思ったんですけど、
多分だから本を読むまでワードにアウトライン機能があるってことを知らない人が多分相当多いと思うんですよね。
多いですね。今だに僕見たことないですもん。
ワードのアウトライン機能を、だから学術論文とか書いてる人は使ってるのを知ってるんですけど、
僕かなりたくさんの会社に勤めたんですけど、自分以外でワードのアウトライン機能を使っている人を一人として本当に一人も見たことない。
どっかにはいると思いますけど。
だからそういう場合って、いわゆる見出し機能、スタイル設定の機能っていうのが意識されてないか、
意識されてるとしても、見た目を整えるっていうことにしか使われてないんでしょうね、きっと。
そうですね。スタイルを使う人は結構たまにいるんです。
ただね、分かりにくすぎるんですよね。
ワードのスタイルシートって言ってますよね。
複合的なスタイルを登録して、そのスタイルを設定した段落に全部自動的に適用して、
スタイルの設定を変えればその適用したところが全部一斉に変わるっていう機能なんですけど、
そもそもそれの使い方が分かりにくいっていうのと、それとアウトライン機能が関係しているということがそもそもよく分からない。
メニューを見てもよく分からないっていう問題ですね。
ワードの使い方っていうところで、本来は操作説明ももちろん必要なんですけど、
デジタルでドキュメントを扱うっていうことの意義から解かれるべきなんですよね。
だから見出しっていうものを設定すると、その全項目が統一的に操作できるとか、
あるいはその目次項目を勝手に抽出して、トップにTOCかテキストオブコンテスト?
違う、テーブルオブコンテンツか、自動に作ってくれるし、
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こっち見出し変えたらこっち上も勝手に変わりますよっていうことがデジタルドキュメントじゃないですか。
そこがもうないんですよね、なんか。そういう話がね、あんまりワードの解説で見たこともないんですよね。
はい、ですね。
だから、日本のITのうんぬんかんぬんっていうのは結構根本的なレベルで、
まだ未解の地位がいっぱいあるなとその本を読んで思ったんですけど、
だから、たくさんの話じゃない、たぶんそれが一個次やと思うんですよ、僕からすると。
そうでしょうね。
だから、階段が一個抜けてるんやろうなと思って、
アウトライナー本がそれほど、もちろんある程度の人には読まれてますけど、
ワードほどのインパクトを持って受け入れられてないのは、
その前段階がまだ共有されてないから、
「へー、そうなんだ」っていう驚きがちょっと少ないんですよね、きっと。
問題ですね。
大いに問題なんですけど、
そういうアウトラインって便利やねって話はまだ伝わっていない人には、
やっぱりアウトライナーあるあるというか、
アウトラインあるあるっていうのが、
人類共通とまでは言わないにしろ、
プロの作家である結城博史さんも日常的に起こっていると。
だから特別なことじゃないんですよね、これって。
全然特別なことじゃないですよね。
で、なぜ特別じゃないのかってことなんですね。
議題としては。
また大きなところに。
いくつか説明みたいなものはできるんですけど、
まあ、ゆき先生の書かれた文章を適当に読み上げると、
一応書き進めでは見るのだけれどもどうもしっくりこない。
アウトラインを眺めているときには気づかなかった引っかかりが気になる。
仕方がないので最初から読み返して文章を整えてみる。
何がおかしいのかよくわからない。
でも何かがおかしいことはよくわかるっていう一つの段落がありまして、
非常によくわかるんですよね。
この作業をサポートすることがアウトライナーの一番大きな役割ですよね、きっと。
そうです。
書き進めてみたことで初めて明らかになるいろいろなことがあるということですよね。
そうですね。
これが何が見つかるんでしょうね、書き進めて。
アウトラインを書いて、アウトラインをベースに書き進めてみたときにわかることって何なんでしょうね。
これまさに今本で書いていることでもあるんですけど、
アウトラインを何もないところからアウトラインを作ると、
そのアウトラインって結局点を並べていることになるんですよね。
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ポイント、キーワードにしても見出しにしてもこういうことを書こう、こういうことを書こう、こういう順番で並べようっていうのがアウトラインだと思うんですけど。
アウトラインというのは輪郭線というような意味で、
自分が書こうとしていることの図柄があったときに要所要所の点を打っていくというような感じですよね。
そうですね。
点を打って、点をつなぐために線を引くイメージで、その点の間に文章を書いていくわけですね。
はいはい。
でも文章というのは点ではなく線なので、
その例えが妥当かというのはまたこれをちょっとテーマになるんですけど、
仮に線だとしたときに、線を引き始めてみるとうまく打った点を通らないことがあるわけですよね。
はい。
線に例えると、なんでちょっと違うかというと、文章って意志があって、
ただ文字を並べているんじゃなくて、文章自体がこっちの方に進もうという意志を持つようなところがあるんですよね。
このきちんと日本語、言葉を書こうとすると、こう来たら次はこう来るはずだみたいな、
音楽のこう、なんて言うんでしょうね。
コード進行みたいなもんですね。
解決するみたいな。
Cから始まったらいろいろいって、最後G行ってまたCに落ち着くのが一つの安定を生むっていうようなことですね。
もちろん高度な音楽はあえてそれを崩すってこともあるわけですけど、
普通に書いていくと、こう流れてきたからこう行きそうな感じがするっていう風に書いているうちに、
打った点を外れていっちゃったりするわけですよね。
で、点を通らなくなっちゃって、脱線してしまうと。
そうするとそもそも打っていった点としての見出しが役に立たなくなってしまうっていうのがまず一つですよね。
で、それが大きいのかな。
あとそもそもその線が出てこない。
その点が思いついたんだけど、その線として全然出てきてくれないっていう。
多分その2パターンがあるんですよね。
出てこないっていうのと、線が勝手に伸びていって外れていっちゃう。
予想の通りには線が進んでくれない問題。
それはだから書いてみないと絶対にわからないですよね。
特にこう、その伸びてみないとわからないのはなぜかっていう問題に次は発展するわけですね。
そうですね。
伸びてみないと。
結局文章って、先に進もうという意思を持った言葉の連なりみたいなところがあって、
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そう言ってしまうのが正確かどうかわかんないですけど、
感覚としては先に読者が運ばれていくようなものなんですよね、文章って。
はい、わかります。
運ばれていく、前に進んでいく感じというのは、
結局その前にベルトコンベアみたいな文章の流れを作ってみないと、
結局事前にそれを知覚することができないというか。
結局のところ、文そのものが、ここで僕はベクトルという言葉を使いますけど、
ベクトルを持っていて、そのベクトルは書き手の意思とは、
独立というとちょっと離れすぎたけど、少し離れた場所にあって、
こっちの制御下には完全にはないので、コントロールできない。
だけじゃないですかね。
うんうん、ということですよね。
100%制御下にはないですよね。
だって、こう行きたいんだけど、そう言っちゃうと文章としておかしいなっていう、
文章が持っているベクトルがあって、自分が行きたい方向というのがそれとはちょっと別にあって、
それをうまく折り合いをつけるものですよね。
だから、そう、これ、難しいな。
だから、一番簡単なことで言うと、
「○○であるが」って書いてもらったら、
その「○○とは違うこと」をその後ろに続けるモーメントが生まれるわけですよね。
そうそう、そりゃそうです。
で、他にも、例えば、
よく主語と述語をひっくり返すと、その文のアクセントが変わって、
重要点がどっちかが、動作にあるのか、主語にあるのかが変わってしまって、
その後ろに続く自然な文も変わってしまうっていうのがあって、
だから、それだけ考えるとめちゃくちゃ高度なパズルをやってたことになる。
ものすごいそうなんですよ。
よくそんな複雑なことをやるなっていう。
だからそこは、まあだから、複雑、
本来はだからめちゃくちゃ複雑なことを全部制御できたら、
文章は制御できるはずなんですけど、きっと。
あんねんのあれでは無理なんですよね。
だから書いてみて、その音の音を確かめるというか、
文章を一回書き出してみたときに、その文がどんなベクトルを持つのかを
一旦確認した上で、いやこっちか、いやこっちじゃないなっていうのを確かめるしかない。
そうですね。
結城先生のさっきのこのsubstackの文章で書いてあることを見ても、
書いてみて、呼び直してみると何かがおかしいって感じるわけですよね。
書く前には何かがおかしいかどうかはわからないわけですよね。
アウトライナーで項目を並べているときは、そのおかしさは見えてこない。
見えてこないですね。
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だからおかしいっていうのは多分アウトラインのレベルじゃないところなんですよね。
そこのレイヤー、つまり文章のレイヤーとアウトラインのレイヤーで、
やっぱり情報的に差があるっていうことなんですね。
下で見えるものが上では見えてこないということは。
そうですね。
だから、何でしょうね。
事前に作ったアウトラインは点を打ったりもないところに点を打っていただいて、
その間の線は見えないわけですよね。
なんですけど、まず線を書いてみて、その線の上から点を打つ。
そういうふうに合わせて、要するに文章を書いてから見出しをつけてアウトラインを作る。
そうやって作ったアウトラインは見た目同じようなんだけれども、
多分全然性質が違っていて、
そっちの文章を書いてから作ったアウトラインはすでに線の上に乗っかってるわけですよね。
はい、そうですね。確かに。
そのアウトラインを、例えばアウトライナーを使うと折りたたむことができて、
アウトラインを見ていくと、その線がどうやって流れてきたのかを俯瞰することができるんですけど、
線がないところにただ作ったアウトラインは流れとは関係ない。
何もないところに打った点に過ぎないという。
でも不思議なんですけど、慣れてきたら流れするアウトラインを作れそうな予感がするんですけど。
でもね、何回やってもできないですよね。
これ、不思議なことに。
あと、やっぱり慣れてくると逆に文章の書き方も変わってきたりするじゃないですか。
あー、なるほど。
より文章も普通に考えると上手くなったりするんですよね、慣れると。
だからやっぱり思っていた流れ方と違う流れ方をしてしまうというか、
誰もがそうなのかどうかは分からないんですけど。
難しいというか、
効率的に進めるのが、どうしてもそこの乖離があるおかげで、
効率的に進めることが無理なんですよね。
面白い文章を書こうとしなければ効率的に書けると思うんですね。
さっき言ったように、文章が持つベクトルを無視して書けば、流れてなければ、
意味としては通っているけど流れていない文章、読むのに苦痛な文章を許容したら、
まん楽には書けないでしょうけども。
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そうですね。脱色したような、
そういうのってでも見かけますよね。
文章になっているんだけど、エネルギーを取り去っちゃったような、
ただ文字が並んでいるだけみたいな文章って見かけることがあるんですけども。
そういうものを上手に作るという、
ジャンルというか、そういう書き方っていうのももちろんある。
別にそれは全然否定するものではないと思うんですが。
だからそっちの方は多分GTDと相性がいいというか、
GTD的に包括できる書き方だと思うんですよね、きっと。
そうですね。でもGTDってむしろ本当は、
書いてみてからアウトラインを作る考え方に近いものだという印象を持っているんですけど。
それは多分脱構築されているじゃないですか、GTDを。
僕ね、ちょっとデビッド・アレンさんが書いていることが、
多分完全に自分の中でうまくつながってないんですよね。
さっき倉下さんが言ってたモデルは何でしたっけ。
ナチュラルプランニングモデル。
っていうのが出てくるじゃないですか。
一方ではプランニングじゃない、要するに日々のタスクの管理の、
要するにGTDの一番有名な部分ですよね。
インボックス入れて、これは何か考えて、次のアクションを決めて、コンテキストで。
っていう部分と、僕の中でうまく結びついていなくて。
なるほど。
で、そっちの前者、前者じゃないや。
いわゆるGTDだと思われている、タスクの部分っていうのは、
割に文章を書いてからアウトラインを作るのに近いようなことをしているように見えるんですね。
なるほど。
うん。
だからちょっと分けて考えなきゃいけないのかもしれないですけど。
ああ。
でも、アレンさんが最初の本を書くのに、
3年だか4年だかかっていったので、やっぱり大変だったんじゃないですか。
そうでしょうね。それはそう思います。
それは、行動、いやだからそう、行動管理、アイデア、そうそう。
アイデア管理はGTDでは向いていないって思うのは、
これは何かっていう問い立てがアイデアには答えが出ないからなんですよね。
出ないからそう。
まだ分かんないんだ。
だから僕はアイデア管理には向いていないと思ったんですけど、
もう少し広げると、行動管理ですらもう実は無理じゃないかってさっきのスマートノートにはニュアンスがあったんですけど、
つまり4章を書き始めたら、この内容が実は分裂して5章になったみたいな時に、
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事前のタスクリストが全部崩れるじゃないですか。
崩れます。崩れます。
そういうのも結局アイデアと行動が絡み合う時に、
事前のリスト作成ってほとんど意味をなさないよねっていう話がちょっと出てて、
結局そうなんですよね。
行動管理、もうある限定的な行動管理であれば向いてるんですけど、
ある発見によって行動そのものが崩れてしまうようなこと。
さっき言ったら、文章を書いていくうちにこのアウトラインが崩れてしまうようなものには、
インボックス問いかけリスト化して選ぶっていうやり方は、
相当高頻度にレビューを回していかない限りは、
つまり行動が1回終わるたびにレビューしてリストを作り変えることをしない限りは、
GDDのシステムとして成立しなくなるんですよ。
成立しない。
それはだから多分そもそも運用の仕方が間違ってると思うんですけど。
GDDってアレンさんがセミナーでずっとやってきたことを、
ビジネスパーソンを相手にしたセミナーみたいなところで、
あと経営者なんかを相手にコンサルティングをしていたりした人なので、
ちょっとそっちに寄ってるところはあると思うんですけど。
あると思いますね。
そういう日々の大量に膨れかかってくる、
自分では制御不能な依頼とか仕事を割り拭けて、
なんとかやっていくっていう感じの方法論としては、
多分完成度の高いものだと思うんですけど。
結局僕一番最初から疑問だったストレスフリーっていう表現が出てくるんですけど、
執筆の最中って常に何かモヤモヤを抱えてますよね。
そのモヤモヤとの並走というか付き合いが執筆という行為だと思うんですよ。
ストレスがフリーになってしまったら、
もう書かないですね、多分。
だからその、
想像性っていうものとの相性が悪すぎるなと思って。
だからやっぱりちょっと狙いが違うんでしょうね。
だからその、やっぱGTDだけであらゆる行動を管理下に置けるというのはやっぱり、
ちょっと言い過ぎですよね、きっと。
そうですね。
ただあのアレンさんが、GTDはいろんな人が使ってるんだよっていう動画で喋って、
あるミュージシャンが使ってると。
はいはいはい。
で、そのミュージシャンは、
自分はGTDに出会ってから、
戦災が何十倍に上がったと。
はい。
要するに今までは思いついた、閃いたんだけど消えてしまう、
逃して消えてしまうものが大量にあったんだけれども、
30:00
それを全部キャッチできるようになったと。
はい。
っていう趣旨のことを言っていて。
はい。
あの、
だから、なんて言うんでしょうね。
思いついた、要するに頭の中に浮かんだものをキャッチして、
どっかに、例えばインボックスに入れて、
で、これは、で、後からそれを処理するっていう流れに乗るものであれば、
はい。
多分、いいんでしょうけれども。
はい。
えー、なんでしょうね。
倉下さんが言ってた文章を書く作業って、
音楽もそうなのかもしれないですけど、
それだけじゃないっていうか、
なんだかわからないものをずっとずっと並走する、
そんな感じがあるわけですよね。
はい。
で、なんだかわからないものと並走するから意味があるっていう、
種類の物事にはあんまり向かないのかな。
なんでしょうね。ミュージシャンだからこう、
なんかこう歌詞とか、
なんかこう、かっこいいリフが浮かんだとか、
なんかメロディーが浮かんだっていうものを、
なんか取っといて、
それを使えるか使えないか判断して、
っていうのならできるんですかね。
あー、それは、でもある程度役立つのは間違いないでしょうけど、
それは別にCTDじゃなくても、
それメモ取りましょうっていうだけの話であって、
まあそうかもしれないですね。
あのシステマティックなフローって別にそこまで必要じゃないですよね。
まあメモしておいて後で見返しましょうっていうだけの話なので。
だから例えば、倉下さんが言ってるのって、
例えば、作曲家が公共曲を書いていて、
今日は第二学章の第9小説から第9小説まで書こうって決めて、
やろうとしたけどできなかったっていうような、
そりゃそうだよなっていう、
なんかそれと似た話ですよね。
だからその、別に創作っていうプロセスを、
神秘のベールの向こうに置こうとしてるわけじゃなくて、
思った通りのことができるわけでもないし、
やるべきだと思ったことが、実はやるべきでなかったとか、
新しいやることが生まれるっていうことが、
そのプロセスを進める中で発掘されるんで、
プロセス前に全てを見通してコントロールしようっていう、
GTDのそもそもの感じが、成立しない領域があるんですよね。
いわゆるアジャイルにやっていくしかない領域が。
そうですね。
GTDのあれになっちゃいますけど、
GTDってでもそれ、あれ、
全てを見通してコントロールしていこうというのをやめましょうっていうのが、
GTDだったような印象が持ってますよ。
結局思いついたことを全部inboxに放り込んで、
それを処理するわけですよね。
で、ナチュラルプランニングというか、
ナチュラルプランニングって言ってたのが、
ナチュラルプランニングと問題点っていうのを送った僕のページが見つかりますけど、
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出てきたものがいいアイデアかどうかを判断するには、
目的が明確になっていなければならないとおっしゃってるんですよね。
そこがもう無理なんですよ、結局。
だってこの本がどんな本になるかを書き上げるまでは分からないわけで。
それで、仮にアイデアがinboxに入れておいて、
それをいいアイデアかどうかを判断して、
リストに振り分けるという行為そのものがもう成立しないんですよね。
本を書くという作業においては。
だから別にGTDが悪いわけじゃないんですけど、
あらかじめ決まっている目的に向けて進んでいくという前提が成り立たないんですよね、
執筆という行為においては。
だからそこではやっぱり無理だと思うんですよね、このやり方というか考え方は。
それとは別の何かアプローチがいるということが、
そのHow to take smart notesという本では書かれているということですね。
これやっぱり読んでるやつじゃないですかね。
僕よりははるかに早く読めると思うので、読んでみるとかなり面白いと思うんですけど、
そんな本やと思ってなかった感じの本でしたね。
もっと本当にメモの話とかがされるのかなと思ったんですけど、
例えば執筆について、基本的には文章を書くということが意識されている本なんですけど、
Lighting is not a linear processって書いてあるんですよね。
ライティングが直線的なプロセスってありません。
そう、そう、そうと思ったんですけど、
案外だからその直線的なプロセスではないって書かれているのって、
割に珍しいんですよね。
意外にないですかね。
書き始めたら、要するにアウトラインを使いましょうってことと同じで、
その計画を立てて、これ埋めていきましょうと。
初期段階で調べ物をして、メモを作って、アウトラインを立てて書いていきましょうっていう風に書かれている本が多くて、
論文の教室だったかな、あれはアウトラインを育てていくっていうので、
アウトラインが何回も組み替わっていくって書かれている結構珍しい本なんですけど、
電体読めるってやっぱり少数派なんですね、そういうのって。
少数派ではありますよね。
だから割にちゃんと書くことに向き合ってきた人の本だんだなというのを感じた次第です。
でもそうですよね。
僕はアウトラインがあるあるの話の時もいつも思うんですけど、
アウトラインを作って、もしくは目次矢なり構成円を作って、
それができたら次は中身を埋めていってって書いてる人って本当にその本をその方法で書いたのかっていうのは気になりますね。
気になりますよね。もちろん書ける人はいるんだと思うんですけど、
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どうなんだろうなぁと思いますよね。
大夫、普通はだから普通っていうか多くの場合はだから3章書いてる時に5章の内容が違うなと気づくとか結構頻繁にあると思うんですよね。
あると思いますよ。
いや、で、これは、でもね、みんなそれやってるんだと思うんですよね。
やってるんだけどそれはなんかイレギュラーなことだという気持ちを持っていて、
本来そうあるべきじゃないって思ってるんじゃないかなっていう疑いを僕ちょっと持ってますね。
なんかそれはありそうな話だと思います、確かに。
だからこう、実はみんなやってるんだけれども、
まあちょっとこれはちょっと失敗しちゃったからそうなっちゃったんだよ。
で、本当はこういう手順で進めるべきものでなるべきそうやろうとしてますよっていうことなんじゃないかなっていう。
確かにね。
疑いをそこはかとなく持ってますね。
だからそういう、人によっては、まあその修正が少ない人もいれば、修正がすごい多い人もいて、
少ない人はまあその誤差と言って、一時的な例外と言っても入れてしまうけども、
たぶん平均と言った時には、たぶん変化する人の方が多分多いと思うんですよね。
そんなに見通せるもんでもないですし、
ずっとその腕の走り方っていうのを制御できないんで。
あと一つ、もう一つは、これ僕、自分の話になっちゃうんですけど、
そういう手順で流れるものだと信じられているために、
マイルストーンみたいなものを管理しようとした時に、
そのステップごとに管理しようとされていることがあるんですよね。
はい、わかります。
じゃあアウトラインを何月何日までに確定しよう。
そのアウトラインの何章から何章までを何月何日までに、
とりあえずドラフトとかっていう風にスケジュールを組まれちゃって、
そこでそれを出さなきゃいけないみたいなことになった時に、
できるわけがないですよね。
そうですね。
でもそれをやらないといけない、
特にお客さんとの関係でそれをやらなきゃいけなかったりする時は、
ちょっと僕のやり方が違うんですよねとか言ってられないので、
僕そういうハメになった時にどうしたかっていうと、
全部書くんですよね。
ほうほうほう。
全部完成させてから後からアウトラインをベッチ上げて、
アウトラインのデータを出すんですよ。
それはあれですね、僕はあれですよ、
ワープロ作文技術で同じ話を聞いたことがありますよ。
それはあれですよね、学会か何かの。
そう、そう、そう、後で修正すると困るから、
もう書き上げてから提出するっていうやつですよね。
アメリカで作文教育でアウトラインが厳しく教えられていた時代も、
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それをやっていた学生が多かったっていうんですよね。
先に全部書いちゃってからアウトラインを作って、
アウトラインできましたって出してっていう。
だってそうしないと絶対に、
アウトラインの形をしたものをとりあえず作ることはできるけれども、
絶対にその通りにはならないので。
後で辛い思いをするだけなんで。
アウトラインの通りにしようとすると辛い思いにはなりますよね。
なりますよね。
絶対にこれは辛いだけならまだしも、
これダメなことが分かっているのにそれをやらなきゃいけないみたいなことになっちゃうんで。
なぜ僕たちは誤ったアウトラインしか立てられないんだろうっていうのは、
もう少し広い射程の問題を含むのですが、
検討する時には詳細レベルまで降りないから意味があるんですよね、多分。
そうですね。
詳細レベルまで降りてたらさっき言ったように結局本部を書くっていうことなんで。
全部書いても同じことですよね。
詳細を吹っ飛ばすからこそアウトラインの役割があって、
でもやっぱり詳細を検討していないからこその出てくる疎後みたいなのがあって、
っていうところを考えたらやっぱり書いて修正するしかないんですよね、これは。
ただなんでそれしなきゃいけなくなるかっていうと、
アウトラインを絶対のものだ、書いちゃいけないものだというふうに捉えられるからそうなっちゃうので。
そうですね。
仮アウトラインを検討しましょうっていう位置づけならいいわけですよね。
今アウトラインとして頭にあるのはこんなもんですよと。
こういうイメージで書き始めますよみたいな感じでやり取りするんだったらアウトラインを使えるわけですよね。
そうですね。
今やり取りしなくても自分が書き始める取っ掛かりとして、
こんなことを書きたいなっていうイメージをアウトラインで書いて、
それを見ながら書き始めるっていうのはすごくいい。
それはもちろん、それが一番最高のアウトラインとの付き合い方ですよね、きっと。
そうです。
でも当然その通りにはならないんで、アウトラインは変わっている、書きながら変わっていくと。
何も特別なことじゃないと思うんですけど。
そこが多分アウトラインとか執筆の苦労とは別の次元で、
事前に専攻されたアウトラインを変更してはいけない、あるいは変更することが失敗だっていう、
その価値観が多分一番の問題というか、原因を生み出すよね、きっと。
そうです。価値観ですよね。
だと思います。
日本ってこの全言撤回が嫌われたというか、書士鑑定が偉く美徳なかのように扱われる風潮がありまして、
42:00
あれが非常に良くないなと僕は思うんですけども。
前提として人間は間違いないっていう前提があるじゃないですか、その物の見方には。
そこがやっぱり大いに間違ってるなと僕は思うんですけども。
だから逆にそういう価値観があるためにみんな、その手順でできているように見せている。
なるほどね。
実はあの人も、あの人最初から大人に出してきたらすごいなと思ってるけど、実はその人も最中にもしかしたら全部書いてるかもしれないですよね。
なるほど。
隠してんじゃないかなと。できてるように見える人って。
あまりこれを言うと暴露することになってしまうわけですね。そういう人たちですか。
暴露した方がいいんじゃないですかね。
いやー、楽にはなりますよね、絶対に。
もちろんね、その頭の動き方は人によって違うので本当にできる人もいるし、それはそれで何の問題もないと思うんですけど。
だからそのできる人がいいっていう、できる人は別にいいし、できない人はこの方法でやりましょうっていうのはノウハウの問題じゃないですか。
やっぱり価値観の問題、書いていいんだよっていうことをもっと積極的に肯定していくっていうのが多分ね、アウトライナー文化論の話なんですけど、
そういうのをもっと広めていかないと、結局変えてはいけないっていうことが広がると、だからチャレンジできなくなるんですよ、逆に言うと。
失敗できないわけだから。決まりきっている成功法しか取れないってことになってしまうんで。
個人の選択肢を狭めることになるんですよね。
だから、ある行為がインプロセスのものでしかなくて、変化していくことこそが実はいいことだっていう風にならないと、非常に息苦しさがいつまでもつきまとう。
しかもそれが多分現代的な息づらさの原因になってるのではないかとすら思うんですけども。
そうですね。だからミッションというものを作るのは僕はあまり好きではないんですけど、
アウトラインなりそういう計画がどんどん変わっていっていいものだということをちゃんと言うというのは、もうほとんど自分のミッションというような気持ちになってます。
ドマ式というやり方、ドマスタイルというのも基本的にその可変性を肯定するというか、僕自身もそうなんですけど、自分でシステムを作った後にそのシステムに自分が苦しむことがあるんですよね。
アウトラインの束縛と一緒なんですね。ある構造が長期的に自分そのものを構造化してしまうようなところがあって。
でも、変えていいんだって思うようになると、さっき言われた自分がシステムなんか作った時に変えてしまうことが失敗というか例外的なものな感じがあったんですよ、ずっと。
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やらない方がいいけども仕方なくやってる回収みたいな感じだったんですけど、ドマになってからその変えることをもっと広く肯定できるようになったというか、
今ドマはスタイル4なんですけど、2と3でだいぶ変えまして、3と4でもだいぶ変えたんですけど、3は結構強めの構造を作ったんですね、上位構造を。
4はそれを解体したんですけど、昔だったらこの解体がもっとしにくかったと思うんですよね。もっと失敗感があったと思うんですよ。
作ってもいいな、いらん構造を作ってもいいなという感じだったはずなんですけど、今はやっぱりこれはやりすぎなんだなっていうのを戻すぐらいのゆっくりな気持ちになっていて、そういうバージョンアップがしやすくなりましたね。
それはいいことですよね、きっと。
と思いますね。やっぱり状況に応じて変えていくことそのものを、いいことだと、悪くはないどころか、むしろいいことだと言えるようになったっていうのは、だいぶ大きいですかね。
だから、ドマにしろ、バザール執筆にしろ、あらかじめ決めないっていうのが基本的なコンセプトなんですけど、やりながら考えていくっていうのが、そういうのが最近僕の中でも重要視してますし、良いことだと言えるようになってきてる感じがありますね。
はいはい。
寺下さん、あれ「ドマとバザール」ってタイトルどうですか?
(笑)
それはでも面白そうだな。
今なんかすごい、なんかもう表紙が見えちゃったんですけど。
でも確かに両方は別の情報領域を扱いながら、もうさっき言った同一のコンセプトがあるんですよね。
そう、なんかね、一緒になっているといいなって思ったんですよね。
うん、確かに。だからドマの本、個別に書いて後でまとめてもいいですし、まとめて論じてもなんか良さそうですね。確かに。その方が射程が広そうな感じがするな。
まあそれはそれとして。
(笑)だから、書いてみないとわからないっていう。だからアウトラインのスタートは書いてみるっていうことをまず促すけども、結局書いてみたことで違うということがわかって書き直すっていう、その両面の助ける。スタートを切るためにも役立つし、スタートした後にそれを改変していくのにも役立つと。
そうですね。
アウトラインなしで書き進められるのが一番、さっき言ったアウトラインの呪縛みたいなのが生まれないからいいはずなんですけど、やっぱり難しいですよね、ゼロでは。
難しいですね。
うん。
だから村上春樹さんが『世界の終わり』と『ハードボイルドワンダーランド』、あの緻密な構造を最初から原稿用紙に手書きで書いて、しかも『ハードボイルドワンダーランド』の章と『世界の終わり』の章を交互に順番に書いていって、ああなったっていうのは本当に人間噂じゃないですかね。
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本当に人間噂じゃないと思いますよね。
まあ小説家、プロの小説家の、なんか、わざという言い方も違うが、なんかこう、よりディープな何かを引っ張り出してきたんでしょうね、あれはね。
もちろん書き上げた後に細かい調整をして、あの形に整えているというところはあるでしょうけども。
もちろんあると思いますけど、アウトライン感があるじゃないですか、構造に。
特に分割されているからそう思いますね、アウトライン感はありますね。
そう。『羊を巡る冒険』とかもすごい珍しいんですよね。すごくアウトラインっぽく書いてあるんですよね。
はい、はい。
アウトラインっぽいんですよ、あれ。それで僕、すごく最初、こう、惹かれたんですよね。
うーん。
だからそういう書き方をしてるんだろうなと思っていたところ、全然そうじゃないと言われていたので。
そういうことができる人もいるんだなあっていう。
でも確かに、あのー、特にデビュー作の『風の声を聞け』は、全然アウトライン感ないですね、あれ。
ないですね。あれは断章化されていく感じですね。
断章化されたっていう感じで、本人もおっしゃってましたけど、『羊』で初めて物語にストラクチャーを入れ込んだっておっしゃってて、構造を入れ始めたって言ってて。
その、アウトラインっていうものは意識されなくても、物語が持っている構造っていうものが、類型としてあるじゃないですか。
それが多分意識されたからアウトラインっぽい感じだったんでしょうね、あれで。
そうですね。あとは初期の断章っぽい感じがまだちょっと残って、『羊を巡る冒険』がまだちょっと残ってて、それが非常に構造的に並べられている感じなんですよね。
確かに、確かに、確かに。
『のるえの森』以降は、構造感がどんどんなくなっていく感じだと思うんですけど。
まあ、そういう、村上春樹と比べてもどうしようもないんですけど、そういうすごい人も中にはいるんでしょうけど。
我々は気にしてはいけないと。
我々は気にしてはいけないと。
だからそもそも、木字はなしで書き始められて、書いた後で木字立てられる人は別にそれでいいんですよね。
多分それが一番幸せな形だと思うんですよ。
理想、それが理想ですよ。
そうですよね、きっとね。それは思います。
でもやっぱり、彼は小説を書くときってほぼ何もせずに、ずっとあれに小説を書くことだけに集中して過ごすから、多分ああいうことが可能なんでしょうね、きっと。
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まあ、そうでしょうけどね。
だから逆に言うと、凡人が、例えば日常空いてる時間でちょこちょこ文章を書くような、その潜り方では多分無理で。
だからアウトラインっていう、まあ何やろな、何やろ、はしごというか、フレームかな、足場かな、足場を頼りに書いていくっていうことをしないと、断章重ねたようなものにしかならないでしょうね、基本的には。
そうですね。
まあ、そういう意味でアウトラインって、ましてアウトライナーなんて極めて凡人的なものであって、凡人を助けてくれる道具です。
そうですね。
やっぱりその自分の認知能力以上のことを把握させてくれるところがあるので。
そうですね、それはあります。
自分の認知能力って本当に前後数百字ぐらいしかないですよね。
それはそうですよね。僕もだって、一章のタイトルは思い出せますけど、もう10個の項目の順番すらわかりませんもん。アウトライナー見ないと。
そうですね。まあそれでも倉下さんの認知能力は多分10倍ぐらいあると思うんですけど、でもまあそんなもんじゃないです。
まあ、どう頑張ってもそうですね。フォーカス当てられるのが。
4、5センジいけるって言ってたから、僕400字だから10倍です。
まあその文章を書いているときに4センジの把握はできますけど、やっぱりでも一つ上の階層から見ることはまあ無理ですね。
はいはい、そうですね。
だからそこを制御していこうと思ったらやっぱりアウトラインっていう視点が欠かせないんでしょうね、きっと。
だから僕のイメージとして、やっぱりアウトライナーを使うって言ったらアウトラインを作って書く。
まあもちろん後から組み替えるにしても、アウトラインを作って書くっていうイメージをどうしても持つみたいなんですけど。
ここはやっぱり書いたことをアウトラインで把握するっていう順番の方が自分の感覚としては強いんですよね。
だから後からアウトラインができてくる感じの方が強いんで、もちろんその時々でやり方は変わりますけど。
何を書いちゃったかを把握して、この順番じゃなかったなって入れ替えるっていう。
うんうんうん、わかります。
それはアウトライナーじゃないとできないと思うんですよね。
アウトライン機能を持った何かでないと、見出しだけのレベルで見られて、固まりごとに動かせるっていう機能を持ったものでないと難しいでしょうね、きっと。
そうですね。
ただそれで一個のまとまった作品がそんなに書けるかっていうと、
多分書いちゃったことをアウトラインにして書き換えていくっていうやり方でできるのは一万字ぐらいまでなんじゃないかなって最近思うようになりましたけどね。
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だからそれ以上長くなるとまたちょっと別のやり方になるかもしれないですね。
そっかそっかそっか。
一万字は悪くない単位ですよね。
悪くない単位、そうですね。
やっぱりボーダーよく、僕それアウトライナーも書いてからよく思うようになったんですけど、
読んでくれた方が、
特に創作系、小説書くような人であれを読んで、
フリーライティング的にバーって書いて、見出しつけて整理しようとしたけどパンクしちゃうっていう話を何度か見かけるようになって、
確かにそれだけでやろうとすると厳しいだろうなって思うようになったのが今やってる本のきっかけにちょっとだったかもしれないですね。
なるほどなるほど。
そっか、まあそうやな。でも確かにボリュームとかによって制御の仕方が変わってくるってのもこれ当たり前の話で、
アウトライナーって、最適的に項目を作るんで、どんなサイズ感でも同じように扱えるように見えますけど、
そういうわけにはいかないんですよね。
そうなんですよ。
アウトライナーの一番いいところって、超大なものを折りたたんで短く見渡すのがいいんですけど、それはもう素晴らしいんですけど、
一方で、これは超巨大だということを忘れさせちゃうところがあって。
確かに。
やっぱり一定程度大きくなると、長くなるだけじゃなくて複雑になるっていうね、連鎖が。
それをアウトラインを折りたためてしまうことによって覆い隠しちゃうところがあって、
そこを結構気をつけないと、そこで失敗することかもしれないというふうに思うようになりましたね。
なるほどね。だから情報ツールとしてのアウトライナーを使うときでも階層を深くしすぎないという問題があって、
だから深くなると複雑さがどんどん見えにくくなるんですよね、下の項目の。
そうなんですよね。
情報の分類として項目を整地にしていくのはいいんですけど、扱うときには、私たちの認知はそんな複雑なものを扱うようなのはできてないので、
浅いレベルで具体のレベルにとどめておくっていう方が扱いやすいんでしょうね、きっと。
だから具体的には一定以上階層を深くしないということと、
切り落とす仕組みをアウトラインの中で作るという、その2点に尽きると思うんですよね。
切り落とす仕組みっていう、しかし切り落とす仕組みってデジタルツール上では基本的にゼロじゃないですか。
あるいは残せ、残せ、残せって言ってくるツールなんで、
自分で何かそれは仕組み化しないとダメなんですよね。
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そこがデジタルツールが相反するとか、情報を扱うのに逆に不向きになってしまうところであって、
カミンは強制的にページはここまでですって言ってくれるので、切り落とす仕組みが備わっていると言えますけども、
アウトライナーに限らずデジタルのノートはそれがないんですよね。
そうですね。そこが皮肉ですよね。入れればいくらでも入っちゃうし、検索できちゃうし。
だからいつの間にか自分の制御できる範囲を超えてしまう。
アラートが出ないですもんね。そろそろ項目多すぎますよってアラートが出ないんで、
人間はアラートがフィードバックないと増やしすぎて、扱えなくなってから気づくんですよね。
だから適量がわからないというか。
そうかな、だからタスクリストは6つまでとか、ああいうアナログなルールっていうのがやっぱり、
人間の脳がアナログだから当然と言えば当然なんですが、必要なんでしょうね、やっぱり。
そう、逆に言えば発想としてはすごく原始的なものでも結構有効だなと思いますよね。
うん、確かに。
ただ、今言ってるのは、それでも10万字ぐらいまでの話で、もっと大きくなるとまたちょっと違う世界になっていくんだろうと想像してますけど、やったことないから。
そこまでの領域に一般peopleがたどり着くことはあまりないでしょうから、我々が知的精神の技術として論じるとしたら1万字から10万字の間ぐらいでしょうね、きっと。
まあその辺、あとはその10万字レベルのものを、それこそ村上春樹の小説だとか、なんかそういう超大な作品を書く作家なわけじゃないんで、
50万字が全ての軌跡に連動しているようなものを書く機会って多分そんなにはないと思う。
そうですね、おそらくは。
その長さのものを作るとしても多分ブロックごとに、最大10万字ぐらいのものが連結して50万字になる、100万字になると思うんで、もしそんな機会が仮であったとしても。
まあそういう意味では10万字上限で考えてもいいかもしれないですけどね。
あるストラクチャーのある文章はもうそれぐらいじゃないですか。逆に小説とかって、何でもいいですけど、村上春樹って誰でもいいんですけど、
あれはだから流れで書くしかないんでしょうね、おそらく。
ストラクチャー的に書こうっていうことがほぼ無理で、物語の流れに任せるしか書きようがないんじゃないですかね、あれは、逆に言うと。
ですかね。
おそらくは、しかも彼ら、文学作品っていうのはミステリーのように、情報の定義の順番化が厳密でなければいけないっていうルールは特にないわけで、
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だからそのある種真相意識の流れに任せるのが一番良い。だって人間の意識の中にもストラクチャーっていうのは絶対眠ってるので、それに任せれば一番いい。
少なくとも人間が50万字とかのストラクチャーを手にしたところで、アウトラインを見たところで多分そのアウトラインが頭に入ってこないと思うんですよ、きっと。
まあそれだけ巨大になるか。
だからあんまり操作ができないと思うんですよ、結局のところ。だから逆にフローで書いてしまうっていうのがいいっていう。
でもやっぱり人間はフローに書くのが一番なんですよね。僕は最近常々そう思ってます。フローに任せるというのが一番いい書き方だと思います。
でもそれが文章だと思います。
ということだと思います。前回の文章を書いたものがタスクリストのリストとして現れるのがいいっていうのもその話で、リストとして書くよりは文章として最初に書いてしまった方が考えていることが全部出てきやすいんですよね。
その後に結果としてリストにするっていうのは書いた文章からアウトライン作るっていうのは多分同じ構造で。
同じ構造。
そういう形が多分いいんですよね。
少なくともその形が一番頭がうまく働くタイプの人が一定数いるはずですね。
そう思いますね。
もともと図形的で考える人は除くとして、言葉にするっていう一種の知的訓練の意味もあるんで、文章に指定するっていうのは言語化であり、名責化であり、メタ認知でもあるんで。
それを進めておくことは割りかし有効ですよね。文章を書かない人でも文章として書き表すっていう、自分の扱う情報を一旦文章でして考えておくっていうのは、
結構ジェニアルに有効な気がしますね。
そうですね。
うん。
うん。
そう、だからやっぱりその、決まった形で進めていくっていうのは楽ではある反面、あらゆる道中に起こる発見っていうものが抑制されるというか、むしろ邪魔になってしまうというか。
だからね、やっぱり楽しくないんですよね。それは。
たぶんね、そこが一番問題だと思うんですよ。完成できるかどうかとか、締め切り間に合うかどうかももちろん重要なんですけど、プロセスそのものが無味乾燥になるばかりか、苦痛になるっていうことは、
一番避けた方が、会社的に避けるしかないっていうのはあると思うんですけど、個人が管理するプロセスにおいては、その道中の発見の楽しみというか、
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そもそもアウトラインが組み替わることが面白いと思うんですよ。
面白いです。
万人が面白いとまでちょっと言い切りませんが、僕は変わっていくことも自分の発見によって考え方、書こうと思っていたものそのものが変わってしまうという、
あるこの根源的な変化っていうものが面白いし、それこの、もの書きという仕事を続けているのもそういう道中の発見があるからで、
ある効率感ためにそれを抑制したりとか、あるいは邪魔者扱いするっていうのは、
なんかほんま地点とじゃないですけど、なんかスタート地点とゴールが間違っているような感じがするんですよね。
だいごみを捨てているような感じがしますね。
そうそうそういう感じがします。
まあ確かに原稿石に文字は埋まっているかもしれんけど、みたいな感じが僕はすごいしますね。
逆に、僕は逆にそういう効率的な書き方ができないから、苦し紛れにアウトライナーを使い始めたという、
使い使わざるを得なくなったっていうところがあるんですけど、
それを使うようになって、楽しさに目覚めちゃったというか、楽しくないですもんね。
ひたすらやろうと思ったことができない状態がひたすら続くだけだと捉えたのになと。
そうですね。それはそうやと思います。
だから、僕らの生存戦略っていう本を長い間書いたり停滞したり書いたり停滞したり続けてるんですけど、
やっぱり致命的だったのはもうタイトルが決まっていることなんですよ。
僕途中で気づいたんですけど。
それはそうだね。
今だから書いてる、今別の企画で書いてる本のタイトルを考えてるんですけど、
タイトルを考えてて、プロトタイプ1章から7章までの書法の1個手前を書き上げた後にタイトルを考えてるんですね。
これが一番ナチュラルなんですよ。さっきの言い方で言うと。
でも僕も、僕らの生存戦略、かっこ借りじゃなくてタイトルにしちゃってるんで、
一番大きいフレームが決まってしまってるんですね。
だから苦しいかなと思って。
もうそこで間違えてたかと思って。
だから一貫あれはかっこ借りに戻そうと思って、タイトルをかっこ借りに戻そうと今思ってます。
それはそうですね。
要するに僕らの生存戦略的なことを書くっていう企画案にあったら良かったんですけど、
タイトルが決まっていると、もう書くこともある程度だから戦略を語ることになるじゃないですか。
ここからもう逸脱ができないんで、そりゃあしんどいやろなというふうに最近気が付いたという。
もう僕らの視点で書かなきゃいけないから。
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そうそう。そこはもうだいたい。
資産も決まっちゃってるし。
それが例えば1日で書き上げられるような文章であれば多分問題ないんですけど、
なんせもう年単位で過ぎてるので。
だから僕の中の構造が変わっているのに、その本が規定する構造が変わってないので、
そりゃあしんどいなと思って。だからそこに気付けたのはでかかったですね、今回。
確かに本当にそれはそうですね。
だからやっぱりバザール執筆法という新しい書き方をしたことで、
その既存の書き方の問題点に気付けたっていうのがあって。
だからいつでも変えられる余地、ネジは最後まで締め切らないで作っておくっていう。
書く、組み立て書くとかも一個一個きつく締めると最後困ることあるんですよね。
最後がはまらない。
はまらないみたいな、ああいう感じですよ。
ギリギリで締めるのは最後になってからっていう感じで進めるのが、
さっき言ったナチュラルライティングな書き方やなと。
よくわかります。
そういうふうに思っている時代です。
この話は尽きることがないのですが、とりあえずこの辺にしときまして。
今日やろうとしていた話になってましたっけ?
わからないですけど。
こう書けばいいと実際に書くことも。
実際に書くっていうことは、実際さっていうところは実際のレベルに降りないとわからないっていう話なんですよね。
そうですね。
何をどう書くかすらわからない。
こう書こうと思っていることしかないっていうことなんですね。
だから書きましょうってことなんですよね。
そうです。
企画案を立てるのはすごく楽しいので、アウトラインを作るところまでも楽しいんですけど、
書くこと以降はひどくしんどいんですよね。
そこを進むしかわからないことがたくさんあって、
しかもさっき言ったようにその中で起こる発見が面白いので、
アウトラインは立てるけど、それをタスクイストにしないというか、
固定された目標にしないというか、
それそのものを書くことを達成するんじゃなくて、
書こうとする中で得られる発見がいいんだよっていう風に捉えたら、
たぶん苦しみは避けられないですけど、苦しみの中で楽しさを発見できるっていう、
ちょっと若干マゾヒティックな感じなんですけども。
でもそれが一番楽な書き方じゃないですか?
思いますけどね、僕は今までのやり方を考えてみたときに、
ある程度ラフに決めて書きながら考えるっていうのが一番楽でしたね。
作業量は減ってないところが増えてますけども。
作業量は増えるんですけど、たぶんメンタル的には一番楽だと思うんですよね。
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手を動かす量は増えますけどね。
たぶん手を動かすのが一番楽なんですよね。
手を組んで考えるのが一番しんどいんで。
そうなんですよ。腕組みして悩むっていうのはしんどいですからね。
だからやっぱりあの苦痛って、メンタルにダイレクトにくる苦痛なんですよね。
あの、なんていうの、独特のしんどさというか。
そうなんですよね。でも結局あれっていくら考えても状況が改善しないじゃないですか。
そう、だから何にも解決しないことにひたすら時間を使ってるんですよね、あれ。
そう、多分苦痛だという。
だからそう、作家の人が精神をやられるのは多分ああいうことをずっとするからだなと思うんですけど。
そうですね。
だからそう、だからヘルシーじゃないという言い方をこの前千葉先生がされてたんですけど、
ヘルシーじゃないんですよ。
そうですね。
ある種こう。
その苦痛を和らげるためにお酒を飲み始めるように、飲みながらやるようにこうなるともうちょっと。
だめですね。だからある種のヘルシーな方向に向いていくのが、
まあだから体を動かすのがヘルシーであるのと同じで、手を動かす方がはるかにヘルシーなんですよね。
はいはい。いいですね、それ。
そういうふうにとりあえず書いて考えようということですね。
というところで、アウトラインあるあるじゃなく、僕はすぐ全部書いていけますよという方がおられたら、
ぜひともハッシュタグ打ち合わせキャスト、どういうふうに書いているのかすごい知りたいんで、
打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせてアルファベットでキャストまで送りいただければクラスターがキャッチしたいと思います。
はい、というわけで、たくさん何かお知らせどうございますか。
特にはないです。
そうですか。僕一応プロトタイプ講が上がりまして、
5月ぐらいには脱稿になって、6、7月ぐらいに発売になったらいいなという感じで段取りが進んでおります。
でもなんかいつ頃というのがちょっと見えてきた。
見えてきたんで、作業感というか作業のボリューム感というのもちょっとはっきりしました。
やっぱ決まるとね、決めると決まりますね。
決まると進むんですねから。
決まるとそうですね。
という感じです。その辺は多分僕の中で一番面白い方になっていると思うので、
期待ください。
僕も一応進捗はしてますよ。
なんか結構ひらめいてて、前に進んだっていうのを見かけたんで。
そうですね。それ短い方のやつですかね。
そっちか。なるほど。それも近々という感じですか。
だと思い、それちょっといつなのかわからないですけど、長い方が先なんじゃないかな。
そうなんや。それやっぱり小さい方は、いろんな人の集まりみたいな感じなんですかね。
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そうですね。
全員が集まるまでは発売されませんもんね、どうせ。
ちょっと分からないですけど。
分かりました。そちらも期待しております。
はい。というわけで今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様です。
お疲れ様でした。
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