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2023-09-07 1:30:32

第百三十三回:Tak.さんと文章の書き方について

サマリー

HeptaBaseは本式にスタートし、知的生産ツールとして注目されています。また、技術ブログの書き方についても話題になっています。ゲストのこうさんとのディスカッションでは、フリーライティングとアウトラインの関係について話し合われています。アウトライナーの使い方について話し合いながら、文章がどのように生まれるかについて考察されています。また、アウトライナーや書き方のノウハウについても話し合われています。アウトラインに合わせて書くことや、フローライティングによる文章の進め方についても話し合われています。さらに、文章の書き方における抑制と創造性の関係についても考察されています。文章を書く際には自分の欲望と向き合い、欲望に帰れることが重要です。タスクシュートやツール選びも自分の欲望に合ったものを選ぶ必要があります。自分の欲望を知るためには時間と経験が必要ですが、それを把握することでより生きやすくなるでしょう。話し合いの中で、文章の書き方と欲望の見つけ方についても話し合われました。

目次

HeptaBaseの注目度
tadanori kurashita
うちあわせCast第百三十三回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
Tak.
よろしくお願いします。
tadanori kurashita
どこからの話題に行こうかなと思うんですが、ニュース的なものから行くと、ずっと前に紹介したHeptaBaseというカード型と言ったらいいのか、ちょっと難しいんですけど、新しいタイプの知的生産ツールがありまして、何回か参照してください。
今までベータ版で使うには、とりあえずお金を払うしかないという、1年間払いか1ヶ月払いか選択できたんですけど、お金を払う形しかなかったんですけど、1.0になったことでトライアルかな、無料のトライアルができるようになったということで、本式にスタートしたというところで。
個人的には、最近出た知的生産ツールの中で唯一、生成のプロセスっていう、あるいはリサーチのプロセスっていうのを、流れとしてきちんと捉えているツールだなと評価しているので、今後どう広まるかっていうのと、
あと、確かツイートで見たんですけど、新海監督やったかな、アニメ作品が、これを最近使ってるっていうようなツイートをされておりまして、結構意外やったんですけども、
以前はEvernoteを使っておられたという話で、乗り換え先を探しておられるという話で、今、Heptabaseを試しておられるらしくて、もしかしたらそっちの方向からブレイクしていくやもしれないですね。
現状だとEvernoteと言うとノーションになってしまっておるわけですが、個人的に全然違うツールなので、このHeptabaseっていうのがまた選択肢に上がってくるといいかなというところです。
あとこれね、なんて読むかわからないんですけど、ATTICUSアティックスって読むのかな。
YouTubeの動画をパラパラと見てたら、スクリブナーオルタネイティブみたいな感じで、見たことができるツール群が5つぐらい上がっていて、そのうちの1つこれ知らなかったんでピックアップしたんですけど、各OS、WindowsとかMac版も用意されていて、
真ん中に本文を扱うエディターがあり、左側にファイルとかをまとめるサイドバー、多分フォルダー的なもの、あるいはワークスペース的なものだと思うんですけど、そういうのがあって、複数の文章から構成されるドキュメントを操作するためのツールであろうと。
おそらくスクリブナーほど高機能ではない分、操作は簡単であろうと予測できるので、ライトなユースケースの場合、こういうツールも選択肢になるのかなと見てて思いました。
Tak.
スクリブナーよりも電子書籍の制作に寄せた感じ。
tadanori kurashita
そうですね。eBook、eG台とかが書いてますからね。ePubとかが出しやすかったりはするのかな。詳しいことはわからないんですが、全然日本でというかこの界隈で名前を挙げられてなかったんで、僕の観測範囲が狭いだけなのか日本では流行ってないのかわからないですけども、概要欄にリンクを貼っておくんで気になったら見てください。
買い切りだと思います。
僕の新刊が来週の1週間後の14日に出るということで、昨日見本紙が届きまして。
ビジネス書という感じで、なんとなく一冊目に返ってきたかなというような感じですね。
Tak.
なるほど。
tadanori kurashita
いわゆる仕事術というのが書かれてるんで、中身についてはまた来週以降、本発売されてから紹介したいと思うんですけど、とりあえずちゃんと完成してよかったというところです。
お疲れ様でした。
また来週この話をしたいと思います。
フリーライティングとアウトラインの関係
tadanori kurashita
本題なんですけども、テーマは文章の書き方についてというお題を掲げたんですけど、発端となったのがトンネルチャンネルに投稿された記事で、
トンネルチャンネルって毎月僕が投稿者に対してお題というか、こういうネタでもし何かあったら書いてくださいみたいなお前月振ってるんですけど、
今月のテーマが皆さんの文章の書き方を教えてくださいという話で、これはさらに言うとプー音さんというブロガーの方が文章の書き方を開示されておられて、
それに触発されてみんなに聞いてみようという感じでこのネタになったんですけど、
こうさんという方が投稿された、僕はフリーライティングしかできないという文章があって、面白く読んでたんですけど、
たくさんに憧れてアウトライナーでフリーライティングしてアウトラインを作っていこうということをしたが、結局できずにフリーライティングしかできない。
この前のフリーライティングっていうのは上から下に順番、まるでリニアにしか書いていけないというようなニュファンスでいいと思うんですけど、
っていう文章が書かれてて、僕の理解なんですけど、たくさんも上から下しか書いていけないからこそアウトライナーを使ってるという理解だったので、
同じじゃないかなと読みながら思ってたんですけど、どうなんですかね、たくさん的には。
Tak.
まさに読みながら、この記事がすごい面白いんですよね。大変良い記事なんですけど、読みながら、
俺と同じだなぁと思いながら、俺と同じだなぁとすごい俺として思いつつ違うって書いてあるから。
tadanori kurashita
そこは何だろうなっていうのが、この話題に挙げたきっかけなんですけど、
僕が著作で読んだ感じで言うと、上から下にしか書くこと、アウトライン通りに書けないし、アウトラインなしで上から下まで書いたら文章として破綻したものになってしまうと。
これが同意者化したかった時に、アウトライナーというツールが助けになってくれたという理解なんですけども。
だからその、言ったら、ビフォーアフター、たくさんがアウトライナーと出会うビフォーアフターで考えた時に、ビフォーの状態とこのコーサーの状態ってほぼ一緒ってことですよね。
むしろ変な話、コーさんはこれでちゃんと文章になってますよね。
書けてる。
書けてますよね、これね。
Tak.
僕よりよっぽど書けてるっていう。
tadanori kurashita
っていう感じがしたので。
だから、たくさんのようにはいかないっていうか違うっていうか、あともう一歩進んだらいいんじゃないかなというのは読んでて思ったんですけどね。
Tak.
まあそうですね、でもまあ、ただその、俺と同じだなと思ったと、そういう感想を抱いたと言ったんですけど、でも多分何かが違うんですよ。
多分何かが違う。
そのすごく微妙な違いが結構重要な意味を持つっていうことが結構大事なんじゃないかなという気もしていて。
これだけ見てると自分と同じだから、アウトライナー使うといいんじゃないかなってつい思っちゃうんですけど。
tadanori kurashita
はいはいはいはい。
Tak.
本当にそうか。
tadanori kurashita
わからないか。
Tak.
書くときの感覚的なものってすごい大事な気がするんですよね。
僕としてはこういうふうに書かれた、もうこれだけの文章として成立してるんで、そもそもこの記事においては多分アウトライナー必要ないと思うんですけど。
tadanori kurashita
ないですね、確かに。
Tak.
例えばこれが本当にフリーライティングだとしたら、例えば自分だったらここに見出しをポンポンポンとつけていってパッと折り畳んで、
それをどう料理しようかって多分考えると思うんですけど、
いや、それができないんですよっていう話なのかもしれないし。
tadanori kurashita
見出し的なレベルアップがそもそもできない。
Tak.
できないというか、心よく感じないのかもしれないですね。
tadanori kurashita
その場合は確かに、全く同じとはいかないですね、その場合はね。
Tak.
一方で、逆に若干僕が伝えきれていないだけなのかもしれないなっていう疑問もちょっとあって、
やっぱりアウトラインをどうつなげていこうか考えてしまって手が止まるっていうようなことをたくさん書かれてるんですけど、
たぶんフリーライティングをするのであれば、そのときにアウトラインのことは考えないっていうのがある程度鉄則の一つなんですよね。
それを同時に、要するにディテールの文章を書くことと構成を同時に考えようとするから文章を書くのは大変なのであって、
それを分離するんですよっていうのがシェイクなわけですけど、
分離するというところがあんまり分離しきれていないだけなのかもしれない。
だとすると単なる技術的というかノウハウ的な問題なんですけど、でもそうじゃないかもしれない。
tadanori kurashita
そうですね、それはやってもらわないとわからないという。
Tak.
本質的なところで、整理的に合わないっていうことも多分あると思うんですよね。
多分その両方ありそうだなとは思いますよね。
tadanori kurashita
だから一回チャレンジしてもらって、フリーライティングするときはアウトラインのことは考えないっていうことを挑戦してもらって、
それでできるかできひんかっていうアフターフォローみたいなものがあったらより解像度は上がりますけど、
仮に例えば見出しを作ることがそもそもしたくないとかできないとか、そういう思考にならないっていう場合はもうこれは向き不向きというか適正の問題なのでこれはどうしようもないですが、
そうじゃない場合はたくさんのノウハウの要点のいくつかが伝わってないということだと思うんですけど、
だとしたらこれは厄介な問題ですよね。
Tak.
そうなんですよ。
そこで、「いや、もう一回読んでください。書いてありますよ。」って言ってしまうのは、やっぱり伝え手としての拷問犯なわけですよね。
だとするとどういうふうに書いたらいいのか、どうやったらより伝わるのかなって、結構考えましてね。
それが原因か原因でないかとして、やっぱり考えますよね、そこは。
tadanori kurashita
これやっぱり変な話。
こうさんをゲストにお迎えして3人でねこりあおり聞いたほうが、この話はより深まる気がしますけど。
こうさんさえよくれば。
デジタルライティングの変化
tadanori kurashita
一回本当にどういうことをやってどうできないのかっていうのが具体的になると、大変こちら側としても嬉しいことが多分多いので、機会があれば話していただければなと思うんですけども。
フリーライティングでアウトラインを作るっていうふうなことが、上から4段落目で、アウトライナーでフリーライティングしてアウトラインを作って書こうとしたというふうな文面があって、それがどうしてもできないとあるんですけど。
フリーライティングでアウトラインを作るということがどういう動作なのか。
アウトラインをフリーで考えるっていうことなのか、文章をまずざっと書いたものからアウトラインを立てるのかっていう2つの捉え方があると思うんですけど。
おそらく内博士たくさんは、まずざっと書いたものをそこからアウトラインを立てていこうみたいな提案をされてると思うんですよね。
もし前者の方であれば、確かにさっき言った2つの思考が同時に働いてるんですよね。フリーライティングしようという気持ちとアウトラインを組み立てようという気持ちが置いてて、これはたぶん衝突しますよね、おそらくはね。
でも、単純にこういう文章で伝えたとしても伝わらない。相手の文脈によって引き取られ方がかなり変わってくるというのを、この記事を読んでちょっと思いましたね。
実際にどっちかは別として。そういう解釈も確かにできるなというのをちょっと思いました。
Tak.
確かにそうですよね。あとフリーライティングということの概念が伝えきれてないのかもしれない。
どう繋ぐかが気になっているという時点で、それはフリーライティングではないんですよね。フリーではないんですよ。
フリーではないですね、確かに。
フリーに書いた後でどう繋ぐか考えるということをしたいのであって。
たぶんフリーライティングであると言いつつ、どう繋ぐかという思考が働いてしまい、なおかつこのコウさんのこの記事を見るときちんと文章になっていると感じるので、フリーライティングと言いつつ。
ということは、あんまりフリーライティングしようとしつつ、あまりフリーに書かれていないんじゃないのかなという。
tadanori kurashita
つまり、本家のフリーライティングっていうのは、基本的にあらゆる制約をはねのけてというようなことだと思うんですけど、
コウさんのこれは、たぶんノットストラクチャーぐらいの感じだと思うんですね。構造については考えないと。
でも実際、続きが書けないと、途中で考えながら書いているとおっしゃられていて、つまり一つの文を受けてその文に繋がる文を書かれているわけですよね。
これはリニアな流れがすでにあって、リニアというものが入っている、それにフリーではないわけですね。
本当のフリーライティングは、前の文と次の文が繋がっていないことが普通に多々あるわけですから。
だから、もうすでにこれはライティングなんですね。フリーではない。
だから、おそらくこういう繋がりを考えなくていいという境地で一旦フリーライティングというのを体験されてみたら、そこから整えていくっていうところに移られると、よりアウトライナーの良さが体感できるのかもしれないですね。
かもしれないですね。
だから、これでフリーライティングを書いてみたら、もうそりゃ確かに他何も言えないなとは思ったんですけど。
そうなんですよね。もしこれがフリーライティングだとすると、フリーライティングというよりも、要するにアウトライナーを使わないリニアなライティングそのものじゃないかなと。
そうですね。アウトラインというのは3小節に流れで書いていくというフローライティングですかね。
そうですね。
っていうもので、文章は書いておられるわけですから、実際。
Tak.
そうですよね。おそらくデジタル以前のライティングというのは全てこうなんだ。
アウトライナーの必要性
tadanori kurashita
確かにこうですね。だからその完成形とか、ある意味だから文章が欠けてしまっているから、その他の技法がやりにくいし、むしろだからたくさんの場合はこうやってまっすぐ通すのすら難しいから、アウトライナーというのをどうしても切実に必要としたわけで。
だからいらんということもあり得るわけですね。そのアウトライナーを使わなくても、これだけ書けるによったらもうそれが十分という捉え方ももちろんあるわけですからね。
Tak.
そうなんですよ。だから常にこれができるとするならば、逆にアウトライナーを必要としない人もいるかもしれないですね。
tadanori kurashita
かもしれないよね。最後の方に、途中の方に、例えば本みたいな大きい文章を書くのはこのやり方では難しいだろうという話がありまして。
それはやっぱり難しいですね。難しいと思います。
で、分量の問題もありますけど、本というのは基本的にストラクチャーがないとまとまらないものなので、つまりフローライティングだけだと確かに難しいとは思います。
で、エッセイ書みたいな、例えば2000字の文章が10個集まってみたいなのであればこのやり方でも書けますし、
例えばそれをスクリブナーを使ってそのバラバラの原稿を集めて引っかかる本にっていうのはできますけど、
それらの文章を一つのパーツ、あるいはそのフラグメント、あるいはピースにして本というストラクチャーを作る場合は、
アウトライナー的な操作ができるツールがあった方が良いでしょうね、これは。
Tak.
まあ楽ですよね、多分。
tadanori kurashita
無理じゃないですか、10万字の文章をリニアに並べて、エディターでコピペして順番揃えるって、
Tak.
いやまあできなくはないかもしれないけど、どうなんかな。
昔というか大多数の人はそうやってるんじゃないですか。
tadanori kurashita
でもそうか、ワードで全部やったらそうなるか。
アウトラインを使わずに縦に並べたらそうなりますよね。
そうか。
Tak.
だってあれですよ、JKローイングさんのドキュメンタリーを見たときに、
あの超大な分厚い本をワードにベタ打ちで書いてましたもん。
tadanori kurashita
おーすごいなー。
Tak.
どう見てもアウトライナーなんか使ってないよなっていう感じで、
膨大なメモ書きのノートとか紙切れが周りに積み重なってて、
それでワードにベタ打ちで書いてるわけですよね。
でも書ける人ってそういう人だったんですよね。
tadanori kurashita
うん、昔はね。
ある種スタートのイメージから展開して、そこから話が流れていく。
部分で破綻はあるかもしれんけど、大きな構造の入れ替えみたいなのはほとんど必要とないというような場合、
ワードのベタ打ちでもおそらくはやっていけるでしょうね。
Tak.
そういう人の方がきっと書き手としては多いんだろうなと思うんですね。
そうですね、プロフェッションの書き手はそれぐらいできひんとみたいなプロ意識みたいなのがあったかもしれないですね。
tadanori kurashita
まあそうか。
本当にこれで書けてしまうんだったらこれでいいと思いますし、
例えばアウトライナーを使ったから楽になるかというとたぶんならないと思いますね、この文章が。
本当にこれを頭から後ろまで繋がりだけで書いていけるのであれば、
別にアウトライナーを使う必要はほとんどなくて、
もう書かれる技能があるということなので、
やっぱりツールとかノウハウって不足を補うものだと思うんですよ。
アウトライナーを使わない書き方
tadanori kurashita
特に最近僕はそう思うんですけど、
ある能力をエンハンスするというよりもある欠落を埋めるためにやると思うので、
書けてる人はもうそのままそれでよいですし、
だからもし、
例えばこれが2000字もないかな、1000何字だとして、
1万字とか2万字の文章をよし書くかってなった時に、
1回例えばスクリプターとかアウトライナーを試してみるというところ具合で、
なんかいいんじゃないかなという気はしますね。
Tak.
そうですね。
これ冒頭に、
多分書ける時は書けるけど書けない時は書けないっていう、
ムラがあるのがしんどいっていうことを書かれてるので、
多分調子のいい時は書けるけど、
書けない時は書けないんですよね、きっと。
tadanori kurashita
でもそれは多分アウトライナーを作ってても、書けない時は書けないんじゃないですかね。
Tak.
書けない時は書けないです。
tadanori kurashita
そこは本人の脳の問題になって、
例えばアウトライナーを使うことで負荷が多少小さくなるからみたいなことはあるかもしれないですけど、
やっぱり今回のテーマにも関わりますけど、
文章がその人の中でどう生まれるのかっていうところをまでは変えないんで、ツールっていうのは。
僕も同じようにリニア型で基本的に書いていく。
前の文章を受けてっていうタイプなので、
前リビジョンで2人で原稿を直しあったじゃないですか。
僕はもう行単位の変更ってほぼないんですね。
1つの行を上に行くとか、1個上の段落に差し替えるっていうことはほぼしないってことに気づいてなかったんですけど。
たくさんそういう細かいラインの操作を行われてるのを見て初めて自分がそれをしてないなって気づいたんですけど、
リニアで書く人間って基本的に文章が塊と言えば流れでできてるので、
なんかもう崩れないんですね。
流れるとしたら大きな塊ごと、セクションごと動かすことが多いんですけど。
だから僕にとって細かい行の移動はそこまで必要ではない。
Tak.
多分コウさんも似たような感じじゃないかなと思いますね、これは。
やっぱりある行を書いて、あるセンテンスを書いたことで、その次のセンテンスが誘発されていくような書き方ですよね。
tadanori kurashita
流れると逆に前後がフィックスされてしまうということなので、
もちろん変えることはできるんですけど、変えると上と下の文章も結構変わってくるっていうところがあるので、
文章としても綺麗に流れてて、後から変える必要がなければ全然良いんではないか。
アウトライナーを使ってやってみたい気持ちとか、
使えば楽にもうちょっと文章のアウトプット頻度が増えるみたいな憧れみたいなのはあるかもしれませんけど、
大抵思うようにはいかないことが多いんではないかなと。
あとは、例えばたくさん文章を書かれるとき、
ツイート、記事、本の文章みたいな流度が違いがあるとして、始め方は大体全部一緒ですかね。
それとも特定の媒体は特定の始め方が違ったり、進め方が違ったりするもんですかね。
Tak.
どうでしょうね。どうだろうな。
tadanori kurashita
ブログの文章は普段のメモ書きから始まる感じなんですかね。
Tak.
メモ書きが多いと思いますね。
でも、この前ブログってそれこそリセンジもないのが多いんですよ。
tadanori kurashita
しかも、パーツが3つくらい組み合わせたりするのが多いんですけど。
Tak.
あれは、たぶんブログのアウトラインの中で、
あっちやったりこっちやったりしてる、全然関係ないときに書いたものが組み合わさってできてたりすることが結構多いので、
ある記事を書き始めるっていう感覚自体があんまりなかったです。
tadanori kurashita
そこはだいぶ違いますね。
僕は明らかに記事を書くっていうテンションで臨みますし、多分大阪康さんもそうでしょうね。
テンションに至らないときは書けないっていうことだと思うんですけど。
そうか。だからそこのスタートラインがもうだいぶ違うわけですね、それは。
Tak.
そうですね。
たぶん文章を書こうと思って始めることもできなくはないと思うんですけど、
そうするとすごい賢かった普通の文章になるんですよね。
別になっちゃいけないことはないんですけど。
tadanori kurashita
どう表現したらいいんだろう。たくさんの記事を読んだときにある、
ある種の飛躍というか超躍というかマージンガールというか、
論理の筋が途切れなく流れているというよりは、
映画のシーンが切り替わるような飛んだ感じがあるんですけど、
それはまさにそういう出来方をしてるからということですね。
文字通り関係ないものがつながってるからそうなってるんだと思うんですね。
でもまさにそのやり方はアウトライナー、もうこれ以上のフィットというか、
そのやり方が先なのか、ツールによってそのやり方が開発されたのか、両方なんでしょうけども。
Tak.
だからやっぱり能力的なところがあって、普通に書くと書けなかったりとか、
書けてもいかにも面白くないという、自分で読んだ印象が、
今日こういうことがあって、こういうことを思ったんだけれども、
文章化の方法とアウトライナーの有用性
Tak.
考えてみるとこうかもしれず難しいものだなと思ったみたいなイメージがあるんですよね。
本当につまんないんですよ。普通に書いた時に。
自分のつまらない、自分の頭から出てきた文章のつまらなさを直視しないために、
それを切断して違うものとくっつけるみたいな。
そうすると、切断して繋ぎ換えると飛躍が生まれるわけじゃないですか。
その飛躍っていうのは、普通に僕の中では普通に流れるように書いていくと生まれないものなんですよね。
だから場合によって、自分でも思いつかなかった、
書けなかったはずの、書けるみたいな。書けるわけじゃないんですけど、単に繋いでるだけなんですけど。
そうすると自分で読み返したときに、
自分が自然に書いたものよりも面白いかもしれないって自分で思えることがあって、
tadanori kurashita
結局そういう欲求に突き動かされるようになる。
アウトライナーに溜まっていくブログ的メモみたいなのがあって、
それがいろいろ並べ替えたりするわけですけど、
どこかの段階では記事化されて切り出されるというか、文章化されるわけですけど、
これを記事にするっていうのは出来上がってからなのか、
それともある程度塊が記事になるなと思ってエディターに移して、
より文章化されるのかっていう二つのルートがあると思うんですけど、どっちな感じなんでしょうね。
Tak.
それは割に両方あると思いますね。
まあああいう説明的な文章はもうちょっと普通に書いてはいますけど。
tadanori kurashita
たとえばノートで最近連鎖されている、いわゆる説明の文章みたいなのは、
もうちょっと意図的というかどういったんやろうな、計画っていうと、
もうちょっとストラクチャーを意識されて書いてる感じですかね。
Tak.
はい、してますね。
ああ、そうか。
tadanori kurashita
だから結構書いててつらいみたいな。
ああ、そうか。
結構違うな。
僕は文章の断片がなんとなく並べ替えて文章になるということはほぼないですね、やっぱり。
書くとなってからもう書く、それ記事かどうかわからないけど、
これをちゃんと文章にする、この考えを文章にすると思って文章にして出すみたいな感じですね。
そういうふうにしてしまうと多分、一期自分が書ききれないんですよね、その時の。
Tak.
こういうことを書きたいと、たとえば思い立って書き始めても4行ぐらいしか書けなくて。
まあそのまま出すっていう手もあるんですけど、
その時にたとえばこういうことっていう、
たとえばテーマ、キーワードになるような言葉があったら、
それをブログのアウトラインを検索してみると、
関係ないときに書いたキーワードが入った項目が上がってくるわけですよね。
tadanori kurashita
だからそれをコピーして一箇所に集めてきて、これ繋いじゃおうかなみたいな。
だからやっぱりどっちかっていうと、エディットマインドシップのほうが強いわけですね、その感じだと。
エディターか。エディターマインドシップのほうが強いというか、
部品を使って何か組み合わせてる印象を受けますけども。
Tak.
だから映画のシーンを演習してる感じですね、イメージとしては。
あそこまでかっこよくなくても、
自分が意図して書いたものがつまらないとすれば、
意図しない要素を生み出すために、
逆に最初から意図してなかった違う部品を持ってきて繋げちゃうみたいな。
毎回毎回ってわけでもないですけど。
tadanori kurashita
でも普通に連載のような形で流れを意識して書くと、
なかなかしんどいということは、できればやりたくないということですよね。
まあそうですね。
ワンバーアウトラインとか、
結局両方ともアウトラインにする、両方ともっていうのはつまり交差なんてことですけども、
アウトラインに沿って書くのは2人とも無理ってことですよね、結局。
そうですね。
やっぱりアウトラインって、アウトライン通りに書くんじゃないよなっていうのが、
再度確認された格好になりますけども。
Tak.
アウトライン通りに書くという使い方もあるし、
それができる人はそれを有効に使えばいいし、
でも逆にそれができない人もアウトライナーの恩恵を受けられるし、
できない人の使い方っていうのは必ずしもアウトライン通りに書くという意味ではなくて、
アウトライナーの機能を使っていろんな使い方をしていいわけですよね。
tadanori kurashita
もしここにこうさんがいるとしたら気になるのは、
アウトライナーの役割とノウハウの重要性
tadanori kurashita
この文章を一気に書き切った後にどれだけ編集したかっていうことをちょっと聞きたいんですけど、
順番を入れ替えるとかを、見出しはこれついてないですけど、見出しをつけるとしたら、
例えば書いた後なのか書く前なのかみたいなことをちょっと聞きたいんで、
例えば順番を入れ替える作業をしたとか、見出しを立てる作業を書いた後からしたとしたら、
Tak.
多分アウトライナーの役割っていうのはそこで明らかに見出せると思うんですけど、
tadanori kurashita
ほんまに原稿用紙のように書いて、5字脱字だけ整えたみたいなやったら、
本当に完結してますね、もうそれは。
Tak.
そうですね。普通に書いてしまったっていうことですよね。
tadanori kurashita
だからそういう人がアウトライナーを使うことで何か別の書き方に至れるということは多分あるんですけど、
あえて無理してせんでもいいかなっていうところはあって、
だからやっぱりノウハウっていうのが何のギャップを埋めてるのかっていうところが多分、
ノウハウ話では大切なのでしょうね、きっと。
最近、足りてないものをっていうところを埋めるという感じで、
ノウハウっていうものがプラス、ゼロをプラスにしてプラスをもっとプラスにしてっていうイメージだと、
汎用的であるというような印象があるというか、
もっとよくなれる方法がみんなに開かれているというような感じなんですけど、
書けてる部分を埋めるっていう捉え方だと、書け方によって埋まるものと埋まらないものがあるという捉え方になるんで、
こっちの方が実態に近いだろうなとは思うんですよ。
そのことは作家の仕事部屋を呼んでても思ったんですけど、
あれってそれぞれの人が抱えてる悩みがあって、悩みに対応する方法っていうのが創作されてるというか、
そういう感じじゃないですか。だから普遍性はないけど、
Tak.
でも似てる悩みがあるから似てる方法が出てくることもあるっていう感じなんですよね。
tadanori kurashita
だから何に困ってるのかっていうことに対する解決でしかないノウハウっていうのは、
その解決したことによってその人が本来持ってた生産性っていうものがもしかしたら発揮されるから、
ビフォーアフターを見た時に生産性が上がっているように見えるけど、
それはただ単に元の状態に戻ったというか、本来的なスペックが発揮されただけであって、
過剰に底上げしたわけではないというノウハウの捉え方の方が健全というか、
真っ当ではないかなというのを最近思いますね。
Tak.
そうですね。だからすごく自分の能力を増幅するようなイメージで捉えてしまうと、
たぶんどんなノウハウも、中にはそういうこともあるかもしれないですけど、
あったとしてもそれが常に起こるわけではないと思うし、
むしろマイナスだったものがゼロに近づくぐらいの。
tadanori kurashita
表現でいうとネガティブな感じですけど、でもそれはある種、
健全な範囲でとどまれるというか、過剰にプラスにいったとこで、
まったくいいことがないので。
ノウハウを使っても苦しみみたいなのが全くなくなるわけではなくて、
ある緩和方法とか調停方法を知るというぐらいのものであって、
残り続けるものなので、楽園に至れるみたいなイメージでノウハウは捉えない方がいいかなと思いますね。
バインダーやブログの書き方
Tak.
作家の仕事部屋で思い出すのは今手元にないんで、
誰の話だったかはちょっと覚えてないんですけど、
バインダーのノートを使って、気がついたことを記入していって、
どんどんバインダーの中でページを増やしていって、
そして気がつくと本が出来上がっているのですべてのことを言っている人がいて、
すんごい憧れるんですよ。
わかりますよ。めちゃくちゃわかります。
僕それでバインダー買いました、昔。
それも分厚いバインダーをね。
国用のこういうちっちゃいリングのじゃなくて、アメリカの学生が持ってるみたいな、
3つリングが3つついてて、ものすごいデカいバインダーをわざわざ国用に買ってきて、
やったことあるんですけど、まだできないですよね。
気がついても本できないよなと思って。
でもその憧れって今でも残ってるんですよね。
なんていうか、その方法は自分には使えなかったけれども、
すごく自分に与えてくれたポジティブな影響は残ってるんですよね。
tadanori kurashita
変な話ですけど、たとえば、
ヤサクさんの一冊目の本である種のブログの記事がタネになってるわけじゃないですか。
Tak.
はいはいはい。
tadanori kurashita
ということは、ブログがバインダーやったわけですね、結局。
Tak.
ああまあそうですね。
tadanori kurashita
だからツールとしては違うけど、
ある種の理念みたいなものは受け継がれてたと言えなくはないですね。
Tak.
まあそうですね、あれだってアウトライナーについて書いた記事を
全部ブログの中から引っ張り出して一旦並べて、
それがフリーライティングの代わりになったわけですよね。
tadanori kurashita
そうですね。
Tak.
で、アウトラインを作って、そこにはめ込んで、
あとはひたすら直して、プリントアウトして直して、
プリントアウトして直してみたいなやり方したんですけど、
考えてみるとその確かに、ネタの多くはもうすでにそこにあったわけですよね。
tadanori kurashita
そうですね。
Tak.
バインダーの中にあったと思えば。
tadanori kurashita
っていうのと多分構造的には同じ。
だからやっぱり憧れる気持ちはあったのは、
その方法に活路があると、自分の性質にはその方が合ってるっていうのはあったけど、
ツール環境とか生活環境とか書き留めるものの違いとかによって、
バインダーではうまくいかなかったが、ブログではうまくいった。
ノウハウの有効性と可能性の拡大
tadanori kurashita
ところでブログの場合はもともと外向けに記事を書くから、
本になりやすいというのはあるでしょうけどね。
Tak.
そうですね。でも確かにやってますね。
tadanori kurashita
だからやってるなと思って。
Tak.
すごい嬉しいんですけど。
tadanori kurashita
ツールの魂、ノウハウの魂っていうのはそうやって引き継がれてるもんじゃないですかね、きっと。
Tak.
でもね、なんでその時憧れたかっていうと、
こういう方法なら自分にも長い規模の大きいものを書けるかもしれないと思ったんですよね。
なぜなら絶対書けるはずがないと思ってたんで。
だけどそれをそのままやってみてもできなかったんで、
できないんだなと思ってたんですけど、やってますよね。
tadanori kurashita
だからやっぱり人はできる方法に自ら近づいていくということなのでしょうけども。
Tak.
だからもしかするとその意識はしてなかったかもしれないけれども、
20何年前に読んだその本のその部分がやっぱりどっかに残ってたかもしれないですよね。
全く今言われるまで気がつきませんでしたけど。
tadanori kurashita
そういうノウハウの形というよりはそのノウハウにあるエッセンスみたいなものが残ってたんでしょうね、きっと。
確かに。
面白いなと思うんですけどね。
やっぱり今まで電子書籍と普通の本を含めて本を書かれてるたくさんでも、
自分は長い本なんか書けるわけはないと思ってはったわけですよね、話を聞くと。
Tak.
思ってたし今でも思ってますよね。
tadanori kurashita
僕も普通に同じように1冊目の本を書くまでは数万字の本なんか書けるなんて1ミリ程度も考えたことがなかったので。
例えば書くことはできないって思われてる視聴者さんがいたとしても、
思ってたとしても書けるかどうかは別の話ということで。
書かざるを得なくなったら人は書くものであるし、
そのために新しい方法が必要だったらおそらくそこで輸入されるものなので。
だから非常に泥沼式なんですけど、
ニーズがあったら初めてノウハウが引き継がれて生きてくるというか、
使えるようになるので困ってないことってやっぱりどうしたって使えないんで。
別にいいし、むしろコウさんが今感じられてる何かすごくあるとしたら、
今まで書いた文章をいくつか並べてみて、そこから何か言えることないかっていう、
これまでやったことない思考をやってみると活路が開けてくるかもなというのはちょっと思いました。
結局文章が書けないって人が一口に言ったとしても、
そのなぜ書けないのかっていう病理ですか、
人それぞれ違うので、似てることもあっても違うので、
それを解決するためのノウハウも当然人によって効能が違うというのがあって、
だから変な話、コウさんはアウトラインプレシッシングよりも
バザール執筆の方が多分向いてるなとは思いますね。
こうやって書ける人であれば。
もしかしたらそうかもしれない。
そう試してみるのもいいんですけど。
だからちょっと逆に大きめの文章を書けないなと思っている方は、
大きめの文章を書いてみるという、
天の尺なチャレンジっていうのが知的生産力向上のためにはよろしくあろうと思いますね。
Tak.
あとさっきの話で思うのは、
バイン、もしかしたら要するに本当に書くつもりで継続していれば、
tadanori kurashita
バインダーだってできたかもしれないですね。
思います、思います。
結局その時期には継続するほどの必然性がなかった。
Tak.
そういうことだと思います。
だというだけかもしれないですね。
ブログの場合はブログにアウトライナーのことを書き始めて、
7、8年書いてたわけですよね。
7、8年のうちに集めると9万字分くらいがたまってたのであって、
逆に最初からこれを記事を積み重ねて本にしてやるぜとか思っていたら、
もしかしたらできないかもしれないですね。
tadanori kurashita
そうですね。そうやと思います。
Tak.
だから、ある意味必然性の問題っていうところは。
tadanori kurashita
これは結構必然性の問題は見過ごされてますけど、
たぶん一番クリティカルなことじゃないですかね。
やっぱりサッカーがノートを取るのは明らかに仕事に必要だからですよね。
だから強制されることもなくやるわけですし、
それをやる意義っていうのを自分で確認してるから続くんであって、
だから憧れの段階だと、その切実性まではコピーしてないので、
なかなか続かないですけども、さっきの沢山の例でいうと、
切実性が実る場面でその見聞きしたノウハウ、あるいはその骨子みたいなのが
自分の中で再構成されるということはあるので、
だからノウハウに触れること自体はむしろ喜ばしいことだと思いますけど、
まあでも人のやり方を真似してもそのままうまくいかないという、
ある種の諦めみたいなのは持っておいてもそうはないと思うんですけど。
Tak.
そうですよね。
まあでもその時に役に立たなくても、もしかしたら15年後ぐらいに役に立つかもしれないというのは。
tadanori kurashita
まあまあゼロではないですね。
Tak.
ありますよね。
はい、あります。
ちなみに倉下さんは最初に、
セルフパブリッシングとかじゃなくて出版社から話があったわけじゃないですか。
はい。
倉下さんの場合は。
はいはい。
それは、それでその、その時はかけると思ったんですか?
tadanori kurashita
言われたときに。
えーっとね、僕の一つのポリシーとして、
オファーされたら、オファーした人を信用するっていうのがありまして、
こいつはかけると思われたんやったら、俺はかけるんだろうと。
そういう暗示みたいなものを。
つまり疑ったら絶対に書けなくなるわけじゃないですか、それはね。
そこを疑ってしまったらもう無理なので。
だからとりあえず、どういうものになるかわからんけど、
その言われた、想定されてるモニスを書こうと。
書けるか書けないかを考えないようにした。
Tak.
おそらくこれ真剣に考えてたら多分ダメだと思いますよ。
でもね、そこがね、たぶんね、倉下さんと僕の違いですね。
そこね、僕はね、いや僕は書けませんよ、あなたの目は節穴ですと言っちゃうんですよ。
ダメですよね、そういうのね。
tadanori kurashita
なるほどね。
Tak.
間違いなくそれはね、やっぱり、倉下さんの考え方の方が、
なんていうか、なんて言うんでしょうね、こう、
いい悪いじゃないんですけど、こう、
良い人生になりそうな気がしますよ。
可能性の幅は広がりますね。
tadanori kurashita
可能性は広がりますよね、そのほうが。
その頃は、30ぐらいだったので若いし、
声をかけてきた出版社さんは僕より年上なわけで、
しかも出版業界に長いこと仕事されてるわけですから、
そこは謙虚に行こうと。
その当然、今さっきの説実性の話しましたけど、
その考え方、自分が書けるかどうかを考えずに
相手の判断に任せようと思ったのは、
やっぱり本を書きたいという気持ちがあったからですね。
そのフラットなんじゃなくて、書きたいという気持ちに
引っ張るためにそういう遮断をしたということですから。
単純なマインドセットだけの話じゃなくて、
アウトラインに合わせて書く
tadanori kurashita
書きたいという気持ちを後押ししたというところで。
一冊目の本は僕は右も左も分かっていなかったので、
最初にこういう企画でどうですかっていうところで、
最初リアルで打ち合わせして、
次の5日までに目次案を送ってくださいって言われたわけですね。
でもめちゃくちゃ考えるわけじゃないですか。
こういう感じになりますかって言って送って、
だからそこから苦労しましたよね。
そりゃもうこの通り書かなければいけないんだと思ってた。
Tak.
まさにアウトラインに合わせて書くことですよね。
tadanori kurashita
結局やっぱり書けない部分が出てきたので、
それを現実に合わせてもらってこういう感じでっていうところは、
しょうごと直しはしましたけど、
でも当時のアウトラインの苦しみみたいなのは感じましたね。
やっぱり変えることができたのは、
知的精査の技術系の本を読んできたからだと思いますね。
ワープロ作文技術とかああいうのを読んで、
そうか、こういうのは一応体裁としてはあるけども、
書いていいんだっていうことを、
知ってながらのでもやっぱりアウトラインの苦しみっていうのがあったわけですから。
なかなかそういう精神ブロックっていうのはかなり強いなと思うんですけども。
Tak.
だからノウハウの知識というかノウハウの心構えが助けてくれたところはありましたね。
あるでしょうね、そういうのは。
tadanori kurashita
しかも一冊目の時はやっぱり出来がだいぶ悪かったので、
編集者さんがかなりケアしてくれた部分はありましたね。
今思うと。
Tak.
そうですか。
tadanori kurashita
なんか構成、だいぶ編集の手が入ってたと思います。
そのところはもう本を完成させることがいっぱいなんで、
どういうケアが入ってるのかは細かく覚えてないんですけど、
でもその時の自分の文章力を考えれば、
編集者さんの手がなければまともな本にはなってなかったと思いますね。
だから結局、春樹さんがよく言ってましたけど、
文章を書く仕事をしながら文章の修行してきたみたいなことをおっしゃられてましたけど、
でも物書きって多分全般的にそうで、書きながら鍛えていくものですから。
常に逆に言うと常にちょっと出来てない人な感じなものなので、
あんまり深く考える必要はなくて、苦しみとかっていうのもゼロにはできなくて、
だから書きやすい形で書いて、それをいかにプロダクトに持っていけるかっていう、
フローライティングとの関連
tadanori kurashita
エディティングの方にケアした方がいいんじゃないかなと思いますが。
文章の書き方ってそう。
今までで、本を書くために原稿をゼロから書き落としたパターンってあんまりないですか?
Tak.
いや、アウトライナー本の2冊目と3冊目はゼロからですね。
tadanori kurashita
なんか違いみたいなのありましたかね?
違いって何との違いなんですけど、
普通にブログ用の文章を書くような、
算段とか計画とか大きな意味でのプロセスみたいなものに違いってありましたかね?
Tak.
プロセスは結構違ったと思うんですけど、
1冊目は元の原稿があるところから始めたんですよね。
これがあったからできたよなと思ったんですけど。
tadanori kurashita
じゃあ次も何か書きたいなと思った時に、もうないんですよ。
Tak.
ということはゼロから書かないともう書けないんだなと思って。
tadanori kurashita
1冊目をやる以前だったら絶対そんなことできないと思ってたんですよね。
Tak.
結局一度、そんなに長いものではないんですけど、
最初9万字くらいから6万字くらいに縮めたんですよね。
でも一応満単位の文章を扱うということを一度やったので、
その規模感がなんとなく想像できるようになったので。
一応10万字以内ぐらいだったらできるという感覚がいなかったので、
なんかできるかもしれないと思ってやった感じですね。
だから2冊目は生活のアウトラインっていってた文章を抜き出していって、
そこに加出する形で始めたんですよ。
tadanori kurashita
なるほどなるほど。
Tak.
最終的には元のところはほとんどなくなっちゃって、
加出したところだけで出来上がってたんですけど。
あとその前に李氷さんの本があったんで、
それは一冊目のKDPがベースになってるんですけど半分くらい付け足したんで、
付け足すところをゼロからやるっていうのを一回そこでやってましたね。
だから多少そこで練習してたっていうところも。
tadanori kurashita
なるほどなるほど。
Tak.
編集さんからの指摘で、こういうふうに考えてもいいのかっていうところも、
tadanori kurashita
ちょっと勉強だしてもらったりとかもあるし。
Tak.
やってみたら3年かかったけど一応。
3年かかんないとできなかったんですけどね。
tadanori kurashita
まあそうですよね。
やっぱり変な話。
外から見るとたくさんはゆうゆうと文章を書いてるように見えますけど、
KDPの一冊本に3年かかってしまうわけですからね、これは。
これ動画でも楽なことではないですよね。
Tak.
かかりますよね。
なのに証拠理もなく、次は3ヶ月でできるだろうと思うんですよね。
tadanori kurashita
次も3年かかったんですよ。
Tak.
なんで人は3ヶ月でできると思うのかっていう。
tadanori kurashita
そうですね。
人はなぜ3ヶ月でできると思うのか、ビジネスショーのタイトルとして周囲図ですけども。
でも変な話、変な話というか、変な話か。
3年もかかるだろうと思ったら、たぶん計画に着手しないと思うんですよ、人って。
おそらくは。
だからそこがバカやから、人ってむしろ達成できてしまうところがあって。
その計画の錯誤は、むしろポジティブシンキングのあらわりだと思うんですけど。
そうですよね。舐めてるから始められる。
Tak.
舐めてから始められて、後の自分が苦労するという、そういう構図で人って前に進んでいくところがあるので。
ただ、KDPという形態だからそんなことができるのであって、そもそもそうでなければ、他者との約束があれば、3年かけることはそもそも許されないので。
tadanori kurashita
そうしたら、何らかの形でできてるんでしょうけど。
本人の満足とこは別として、人をアウトプットされたものは、それぞれの人なりに解釈して需要されるので、成立自体はすると思うんですけどね。
せっかくKDPやからこだわるっていうことももちろんありますし、せっかくKDPやからどんどん出すっていうアプローチもあって、広いですね、この分野の。
Tak.
そうですね。
逆にそういうKDPだからできるということを生かしたいですよね。どっちの方向に行くか。
はいはい。
tadanori kurashita
確かに。
一応2冊目3冊目っていうのは、ブログのように思いついた断片をひょっこり集めてというわけにはいかず、そのテーマに基づいた文章を書き下ろしていくことになるわけじゃないですか。
Tak.
基本的には、いわゆるさっき言ったフローライティング的に進むわけですかね、その執筆中は。
結局それをやろうとするんですけど。
できない。
結局いつも最後に戻っちゃうのが紙なんですよね。
はいはいはい。
ラフなアウトラインみたいなものから始まって、プリントアウトして手書きで書き加えたものを反映してまたプリントアウトして手書きでっていうのを繰り返すうちになんとなく文章っぽくなってくる。
tadanori kurashita
でその文章っぽくなってきたところを、こういうことをここに書いたんだったらこれはここじゃなくて前がいいなみたいな感じで。
Tak.
その大きい塊を部品として扱えるようになる。
それを前に持ってきたら、今度その前に持ってきたところと今まであったところの繋ぎにこういうことが必要だから、じゃあそこにこの間を埋めるところをまたパートを書くみたいな感じで。
割にだから2冊目はなんかそういう泥沼っぽい感じでやって。
tadanori kurashita
3冊目はもうまさにあそこのその3冊目に書いた方法でやりながら、だから泥沼でやってたことをある程度一般化して説明できるような形にして、で本当に説明の通りできるか実験しながらやるみたいな感じになってましたね3冊目は。
2冊目なんて進め方なんてもうフローライティングと言い難いですよね。それはもう途中、流れができるのは書いて付け足して書いて付け足しての整えていく段階で流れ的なものが整っていくという感じで。
コウさんのような語り流しというか、もう流れてるみたいなのを修正するのってもう全然作業が違いますよね。
抑制と創造性の関係
Tak.
違いますね。でもその途中の段階でその流れ、そのフローライティング的に結構書いてるんですよね。
書いてるんですけどそのフロー、そのフローの中で脱線していくわけですよ。
脱線するとそのそこに書くべきじゃないことを書いちゃうんで、そこの脱線した部分をまた切り離してあるべき場所に持っていくみたいなことを繰り返してるんですよね。
tadanori kurashita
脱線してしまう人、脱線しそうになるけど戻せる人、そもそも脱線しない人みたいなパターンがあると思うんですけど、発想の形として。
だからフローに書ける人ほど脱線は少ないんでしょうね、きっと。
Tak.
脱線は少ないだろうし、このコウさんが書かれてるみたいに考えながら書いているっていうのは脱線しないように考えながら書いてる。
tadanori kurashita
そういうことでしょうね、おそらく。
Tak.
僕はそれをやろうとすると書けなくなってしまうので、脱線しようが関係なかろうが書けることは全部書いちゃうという。
tadanori kurashita
どうしないと何も書けなくなっちゃう。
それの究極がフリーライティングなわけですが。
もともと抑制が効いてて、文章を書くことと抑制を効かすことが多分一体化してる。僕もそのタイプですけど、フローライティングするタイプはそうなんですけど。
だから抑制してることに気づいてないですね、自分で。
Tak.
もうそれが常駐してるのでね。
tadanori kurashita
だからフリーライティングをしようと思ったらだいぶ鍵を開けないといけない。
Tak.
逆に外していかないといけない。
結構外していかないといけないっていう、そういうタイプだと思うんですね。
やっぱり本をたくさん読む人って、読んだ本の文章というものがやっぱり蓄積されてるじゃないですか。
だからこう来たらどう流れていくのかというパターンを無数に持ってるわけですよね、頭の中に。
だからそういう意味では、データベースの中から検索しながら、どんなパターンでも何かしら書けてしまう。
tadanori kurashita
チャットGPTライティングっていうことです。
そういう感じですよね。
だから書くためには読まなきゃいけないっていうのは多分そういう意味もあるんだと思う。
Tak.
もちろんそうですね。
tadanori kurashita
だからそれが上手いと、スラスラと文章は書けるんですけど、
変な奥のものが出てこないというのは絶対あって、
変な言い方をすると当たり障りのない論理の流れになってしまう。
これ自分で書いていても、自分の文章を読んでいても思うんですけど。
特に誰も気づけない感じになるっていうかな、どういう点かな。
でもやっぱり自分の本質に触れるコアなものは、リスクフルなものっていうのは、
Tak.
その自然的な文章の連鎖の反応から一旦距離を置かないと、多分出てこないという気はしますね。
tadanori kurashita
ある種のフリーライティングか、あるいは自分が書いた最初の一文が何かすごくインパクトを持ってて、
これまでのパターンで対応できないような文を紡いでしまったとしたら、
そこから何か得体のしないものが出てくるということはあるかもしれないですけど。
だから…すいません、どうぞ。
すいません。それを意図的にやるようなことってします?
僕の場合はほとんどないかな。
特に説明的文章を書いているときはまあないかな。
なんとなく予定調和が先優先順位で上に来ている気がしますね。
小説を書いているときだけはそのタガが外れてますけど。
だから僕が書く小説って大体暗い話が多いんですが、
普通の文章、説明文なりエッセイなりを書いているときは、
むしろ避けている気がしますね。そういうところに近づかないように。
Tak.
まあただね、説明文は逆にあんまり飛躍されても困るし。
tadanori kurashita
まああるでしょうね。
まあでもね、こうある意味では、
いわゆるその…ゴーさんがよく言われるんですけど、
迫力のある文章にはなりにくいなとはちょっと思っています。
チャットGPTが会話としてはのっぺりしたものになるというのと似ていて。
でもまあ、文章というのはそれぞれ役割を持っているんで、
そういうスラリと読めて開示される論理とか原理っていうのが重要で、
それが受け取ってもらえばいいっていうのももちろんあるでしょうけど、
そうじゃない役割の文章の場合はそうじゃないものが必要で、
それはやっぱり、いわゆる井戸に潜る的なことは、あるいは壁を抜ける的なものが、
Tak.
書くときにはある種の儀式性みたいなのは多分僕の場合は必要になるでしょうね。
やっぱり自分で自分のタガを外すって難しいじゃないですか。
tadanori kurashita
ちょっと危ない、危険ですよねきっと。
Tak.
だからそれをどれだけするのかしないのかとか、
欲望と向き合う
Tak.
するとしたらどうやってやるのかっていうところってやっぱりすごい難しいと思うんですよね。
はい。難しいと思います、それは。
あと、絶対しなきゃいけないこともないと思うんですけど。
tadanori kurashita
いけないものではないですね。
これはもうある種の精神分析みたいなものだと思いますから、
別に無理して開けない扉は開けないでいいとは思うんですけど、
まあでも出てきちゃうことはあるでしょうし、
特に断線を許容している場合、
つまり普段抑制的な人がフリーライティングをしたときに、
ちょっとギョッとするようなのが出てくることが多分あって、
そこを恐れないことを心持ちは必要かなと思いますけど。
Tak.
そうですね。
それが万人にオススメしていいことなのかどうかわからないところありますよね。
tadanori kurashita
難しいですよね、それは。
それは本当に、
人の無意識ってかなり強力なので、
自分がそこに降りていっていいのかどうかすらも見極めている可能性があるので、
降りていってあかんときは、
その無意識がフリーライティングの階層に出さないようにしているかもしれないので、
出てきたとしたらそれは迎え入れる準備が整っているということなのかもしれないですけど。
それは何とも言えないですが。
Tak.
効率的ではないですよね。
tadanori kurashita
効率的ではないですし、必ずメリットがあるとも言えないので。
でも、どうなんやろな。
いわゆる自分の欲望というようなものと向き合うというのはその過程なわけで、
どこかは避けては通れない側面はあるような気はしますけどね。
Tak.
そう思いますね。
tadanori kurashita
文章の書き方に関係ないような気がしますけど、
結局文章を書くというのも自分の欲望とどう付き合うかというところはきっとあるので。
そうですよね。
単純な技法論だけでは片付かない話ですね、これは。
Tak.
そう思いますね。
それこそ作家の仕事部屋でも、書くことの欲望という表現が何度も出てくるわけですよね。
だから、書くこと自体が欲望だとすれば、
その欲望の発動した結果として書かれたものをどう扱うっていうところも。
tadanori kurashita
確かに。
だから、自分はなぜ書きたいのかっていう心の深淵に潜り込まないとわからないところですからね。
Tak.
そうですね。
tadanori kurashita
でもそういうのは本当に取り扱い注意なことがあるので、
やるなら慎重になんですが。
そういえば、最近リサーチの始め方という本を読みまして、
研究を始める、今から研究するぞっていうものの前段階。
どんな問いに取り組むのかっていうことをどう見つけ出すのかっていうことに触れた、結構珍しいタイプの本なんですけど。
そこでね、その本を通して全体的に語られることなんですけど、
何かしらの疑問文とか事実とかに触れたときに、
自分の心がどれぐらい動くのかを観察しなさいっていうことを度々述べられてるんですね。
例えば、ある疑問文、2010年代における渋谷系のほにゃららみたいな、何かみたいな疑問文があって、
その疑問文の一部を変える。
例えば、2010年の渋谷系のところを何か別のものに置き換えて同じ文章を眺めてみたときに、
自分の心がどれだけ興奮するのかをきちっと確認してくださいと。
その確認して、触れたものをチェックしていくことで、あなた自身の研究テーマが見つかりますよと。
その興奮をチェックするときに、他の人の見栄えはどうかとか、世間体はどうかみたいなことは考えないようにしましょうと。
非常に真っ当なことが書かれてて、知的生産系の話でこういうことが書かれてる本ってなかったなと思うんですよ。
自分の欲望とか関心ごとに敏感になりなさいってことなんですね。
Tak.
確かに。
tadanori kurashita
それがないと始まらないことだと思うんですよ。
自分の研究っていうものは、自分自身が行う自分の研究っていうのは、自分の欲望と密接に関係してるからこそ、その人はその道に進むわけですよね。
例えば、生物学者の人は動物が好きなわけじゃないですか。
もちろん他にも計算する要素はあったかもしれないけど、そのコアの欲望にそれがあったからそれをしている。
こういう疑問分のチェックをすることで、自分がこれに関心を持っていることを理解した上で、実証できるというか、作られた自画像っていうのがあるわけですよ。
自分はこうであろうっていうイメージですよね。
それ多分おそらく世間のイメージから拝借したものであることが多分多いと思うんですけど。
でも実際、例えばその現場に触れた時に全然心が感動しないってことはこれあるわけで。
だからね、その道を決める前に、自分の近世に触れるものを金属を探すレーダーのような感じで、ここを反応せえへんな、ここを反応するなっていう感じで進めていきましょうっていうことが書かれていて。
これ誰かがコンマリーさんと似てるなってことをおっしゃられてたんですけど。
ときめきを重要視しましょうって話が。
でも確かにこの観点って関西さんの技術では多分当たり前すぎて書かれてなかったなと思うんですよ。
Tak.
確かに。
tadanori kurashita
でもここって多分現代はむしろこのトピックってめっちゃ重要やなってちょっと読みながら思ってました。
Tak.
それは思いますね。
欲望をつながってないものって、結局テーマになり得ないというか、しちゃっても多分表面化するだけになりますよね。
tadanori kurashita
本書で言うとつまんない研究になると。
一刀両断されてました。
そりゃそうですよね、本人の好奇心がそこに向いてない以上、切り込みとかも浅く絶対になるでしょうから。
だからそうでしょうね。
そういうのを探すこと、この本一冊使ってレッスンが書いてあって、だいたい半分ぐらいがその話なんですけど、自分の見つけるものって。
でもやっぱそれぐらいかかることなんですよね。
自分の関心がどこにあるとか興奮の度合いがどこにあるのかって。
そうやって意図的に探さん限り見つけにくいものなんですけど、
でも現代の消費者側においては、欲望の定義というか、観戦かな、もう言ってしまうと。
みたいなものがばっこしていまして、自分の欲望のありがというのがなかなか見えづらくなっているので、
だからより強くこういうことを意識した方が生きるということは全般についてもそうですし、
知的生産でいうとよりそうなんですけど、やっぱり受けそうなことを本にして書くのって続かないと思うので。
そうなんでしょうね。
ブログのテーマを選ぶのでもなんでもいいんですけど、やっぱ自分の禁止点の触れ方に敏感になっておくっていう。
普段から自分は何を面白いと思って面白いと思ってないのかっていうことを注意向けて生活していくっていうことの重要性っていうのはなんかあるなぁとは思います。
ありますね。
Tak.
コンマリさんだって僕最初ちょっとバカにしながら読んだんですけど、骨が太いじゃないですかね。
ツール選びと欲望
Tak.
太いですね。
特に一冊目。
一冊目以外はちょっとあれですけど。
tadanori kurashita
特に一冊目というか一冊目は、やっぱりその片付けっていうのが欲望の最小だからですね。
Tak.
そういう意味ですごい迫力があるし。
そうか。何時自身の欲望に帰れって言ってるんか。
そうか、あの本は。
そうやな。要らないものを捨てましょうって言ってるけど、結局買うっていうのは欲望に駆動された行動ですもんね、要するに。
tadanori kurashita
そうそうそう。
だからその欲望に帰れと内容的にも言っているし、
そうか。確かにそうだね。
Tak.
結構すさまじい本ですよねあれ。
うーん、そうだな。
tadanori kurashita
だから逆に言うとそれ以外であと多いで書かれた本は、そこまで欲望と結
の要望で書かれた本っていう感じ なんでしょうね きっと
Tak.
だからアウトライナー は僕の欲望の対象なわけですよ
ね きっとっていうか間違いなく そうなんですけど
tadanori kurashita
そうなんです これ 今 きっととか間違いなくっていう
述語の使い方をされましたけど それって つまり確定できないもの
ですよね ある種 推測しかないという か だって目に見えるものでもない
ですし 自分の心をパカッて開いて 自分はアウトライナーっていう
のがここに書き込まれているな っていうのを見たわけじゃない
から その推論の域を出ないもの っていう その感覚はね 僕は結構
大切やなと思いますね
Tak.
はい はい そうですね そこに間違った形でエビデンス
がとかっていう発想が入ってき ちゃうと なんていうか なんでしょう
ね なんかダメなんですよね エビデンス は大事なんだけれども 個人の領域
の中において それを逆にそういう 発想を入れちゃいけない部分も
あるんですよね 身勝手にならなきゃ いけないところってあるし 自分
で言い切らなきゃいけないところ ってあるし
tadanori kurashita
そうですね それは だって自我っていうものがそういう
成り立ちですからね 基本的に 自我はエビデンスによって保証
されるものじゃないですからね まさに 我があるということが我です
欲望の発見と生きやすさ
tadanori kurashita
からね まあ そこはつまり 我がある っていうことはもう自分勝手な
ことなんですね 誰が保証してる わけでもないですから 我がある
という現象が だから そこは損なわない ようにしたほうがいいですし 自分の
欲望が他の欲望に振り回されない ためにも 自分の欲望について1回
ちゃんとチェックしておくって いうこと それを知ったら すごい
残念な感じがする結果が待ってる かもしれない 自分ってしょうもない
ことにしか欲望いないんじゃない なとか思うかもしれないですけど
でも ある種の自我に対するロマン を抱き続けているよりは 僕は健全
に至れるかなという気はします けれども どんなノウハウに興味
を持っているか あるいはどんな ノウハウが続いているのかっていう
のは自分の欲望を確かめる1つの 素材になりますね これはね
Tak.
そうか そんな観点はなかったな
やっぱりタスクシュートがすごく タスクシュートにすごく惹かれる
人と全然惹かれない人っている と思うんですよ
tadanori kurashita
いますね はい
Tak.
で やっぱりタスクシュートがすごく はまる人っていうのは何かある
と思いますよ 自分 行動とか時間の過ごし方に対する
何かしらの欲求の共通点みたいな ものがあるような気がするんですね
求めている何か それと同じで いろんなノウハウとかツール
tadanori kurashita
に対してもそういうものがあるん じゃないかなとは思いますよね
そうですね だから やっぱりすごく 自分が使っている良いツールから
別に進められて別のツールに移行 するのは それは多分ツールが変わる
ということではなくて むしろ宗教 を変えるぐらいの大きなパラダイム
の変容を迫られるというか 出ない と使えないという感じがします
ね 僕らがツールで向き不向きという 言い方をしますけど 欲望の適用
ということですね この場合の向き 不向きというのは そこを理解 その
ために自分の欲望をちゃんと知って おくっていうことは ノウハウとか
ツール含めても言えることですね 逆に言うと 自分の欲望が分からない
と一般的なものを求めてしまう 一般的に人気のあるものを求めて
しまう だって自分がどれか分からない 以上 そこの道しかないっていうこと
はあるでしょうね
Tak.
でも それはやっぱり ある程度の時間 生きないとそこ
は見つからないっていうのがあります よね
tadanori kurashita
そうですね しかも 単純に長く生きるだけじゃなくて
どういったんかな いろんな場面 に出くわすというか 自分をいろんな
局面に置いてみて 立体的に自分 らしさというか 自分の中にある
ものが見えていく 多分 ずっと毎日 同じ生活してるだけだと差異が
ないので 多分 分かりにくいと思 うんですよ なので 生きるという
ことの中に経験の多様性があったら より見えやすくなるかなという
気はしますね どうなんですかね 自分の欲望に自覚的になると ちょっと
生きづらさ 世間に対しての生きづら さっていうのが芽生えてくる気が
するんですけど どうですかね
Tak.
もちろん 芽生えてくるんじゃないですかね
tadanori kurashita
だから そこはちょっと 覚悟して引き受けていただいた
ほうがいいかなと思うんですが
Tak.
そうでしょうね だから それを生きづらくないように
することが 本当に生きやすいのか という
tadanori kurashita
長期的に見たときに 長期的に見たときに 生きやすくない
だろうというようなことは 僕は 村上春樹作品から結構受け取って
きましたけど むしろ だから そういう 社会と個人 じゃあ 社会っていう
文章の書き方について
tadanori kurashita
か 大焼け的なものと 自分の内側 っていうとこを比較したときに
内側のものを守らないといけない よというメッセージは 特に初期
の作品群から受け取ってきました ね なんとなく
Tak.
譲っちゃいけないところ っていうのがあるじゃないですか
たぶん そうしたほうが生きやす かろうと思って そこを譲っちゃ
いけないところを譲ってしまった ために 時間が経ってから もっと
最初の日ではない生きづらさで 直面することってあるじゃない
ですか たぶん
tadanori kurashita
だから それは生きづら さじゃなくて 何やろうな 生きづら
さと同じレイヤーのものが より 困難になったというよりは 違う
質の喪失が起きてるんじゃないですか ね それは
Tak.
そうですね ただ そんなことを言っていても 例えば
僕だったら まだ結果は出てない わけで そんなことを言いながら
悲惨な末路になるわけで だから 逆に 譲っちゃいけないところとか
言わずに人に合わせて忖度して 生きていくことが 実は正しかった
と思って終わる みたいな可能性もなく はないですよね
tadanori kurashita
そうですね その可能性 は全く否定しないですね
Tak.
っていうか もちろん それは 最終的には生き方のもの
で 正解 正解じゃないんですけど
tadanori kurashita
納得感の問題かなとは 要するに 成功したかどうかという
以前に 譲れないものを譲ってしまう つまり 自分がそれを譲れないもの
だと認識している対象があるとして それを譲ってしまったら それは
もう負けじゃない 負けというか だって 譲れないと思ってるもの
があるわけで だから 客観的なラベル として これは譲れないというもの
じゃなくて 自分の中で これは譲れない と思ってるものは譲ったら 多分
それはもうダメじゃないですか どんだけ それで生きやすくなった
としても それは自分の中でもう 負けが決定してるゲームになって
しまうんじゃないですかね だから 気づいてない人が譲ったときに
どうなるかまでは ちょっとわからない だから ある種目まで個人の中で
感じている 一種のゲームの中での話 じゃないから 一般化はできない
ですけど でも 間違ってることも あるしな 譲ってはいけないって
Tak.
思ってたけど 実は全然小さかった ってことも 普通にあるから
ある そう そうなんですよ
tadanori kurashita
恥ずかしいな
Tak.
そうなんですよね 結局 それ自体が間違ってることも
あるし
tadanori kurashita
そうなんですよね そうだ
Tak.
っていう結局 そういう いろんなごちゃごちゃっと
した物事の相対なわけですよね 多分
tadanori kurashita
確かに これは難しいな 当然難しい
というか複雑やからこそ みんな 生きることで悩むわけですけど
もっと簡単に 自らの欲望に自覚したら 生きるのが楽になるぜ イエーイ
とか言ったら 簡単な話なんですけど
言ってないですね
単純にそうとも言い切れない のかよ この結局厄介なところで
あって
Tak.
そうですね とよく言いますけど 欲望
ってそういうドロドロした物だけ じゃなくて 家族といつまでも平穏
に暮らしたいということだって 欲望
tadanori kurashita
あれはなんで欲望って 言わないんでしょうね 不思議なこと
に 日本語の国語なんてまず言わない ですね
Tak.
そうですね 欲望って あんまり人に見せちゃ
いけないものみたいな
tadanori kurashita
感じがありますね
Tak.
そういう感じがあって あんまり積極的に見せることがいい
とは思わないんですけど そういう ものもあれば そうじゃないもの
tadanori kurashita
もある
Tak.
とあるっていう そうですね ああ そうか
tadanori kurashita
そうか だから 自分が家族といたい という良い願いにドロドロした
ものを一緒の袋に入れたくない から言葉を分別してるって感じ
Tak.
かな
そうでしょうね そうでしょうね
でも一緒に入ってる わけですよね
tadanori kurashita
そうそうそうそうそうですね
だから分けようとしても 多分 無理なんですよね
そうですね 無理し 変な話 SNSとかで見かける 社会正義
を訴えかける人って そこをあたか も分別できてるかのように語る
ところが ちょっとさまざましい 感じがしますね
Tak.
まさにそういう感じですよ ね
tadanori kurashita
その文章から始まって 欲望の付き合いがすると 話が移り
変わりましたが でも今回も話しました けど 1回機会があれば 交参交えて
3人で 文章をどう書いてんの この2人だとお互いの手の内がある
程度知ってしまってるんで 行かない ところに転換していかないところ
があるんで 第3者を交えて話して きたらなとはちょっと考えております
Tak.
はい
tadanori kurashita
なくさん何かお知らせ したいこととかございますでしょうか
Tak.
お知らせではないんです けど バイク アウトライナーの
バイクが大変に気に入ってますよ という話です
tadanori kurashita
はい そうか
Tak.
すごく1年ぐらい前も ちょっと一時期試したんですけど
よくなってますね すごく
へえ そうか 最近試してないな
あのワークフローイ なんかな 上のほう ズームした
とき どこにズームしてるのかが わからない パンクズリする
tadanori kurashita
パンクズリした はい
Tak.
あの機能が付け加わってる とか
tadanori kurashita
そうなんや
Tak.
うん 前それがなくてね ズームしてん
のかしてないのかわからなかった ので
tadanori kurashita
そう そう 確かにありました
Tak.
そこが解消されたり とか あと 実にセンスのいい書式
の扱い方 あんまりアウトライナー 中で本当を書いたり 書式を設定
したりってしないんですけど たまに したいことがあって そういう
ときに行単位でご適用できる 最低限の 実にセンスのいい書式
の扱い方を最近してくれたり これは8月に
tadanori kurashita
最近ですね
Tak.
くっついたんですけど ちょっとマークダウンチック
みたいな あと テキストエディター として すごく実は使いやすくなってる
とか
tadanori kurashita
そうか
Tak.
そう 大変良いと思いますね
tadanori kurashita
へえ そうか 最近 テキストエディター
プラスアウトライナーみたいな のずっと求めてるんですけど 自分
で書こうかとちょっと思ってたん ですが 一回バイク試しもいいですね
ということは
Tak.
そうですね これは プラットな状態で 別に階層を気に
しないで使ったら 普通にテキスト エディターとしても結構いいん
アウトライナーの使い方と特徴
Tak.
じゃないか テキストエディター にしても ああいう超強力巨大テキスト
エディターみたいな意味ではなく ちょっとしたテキストエディター
代わりに使うのにもいいんじゃない かと思ってしまうような 実際 保存
するファイル形式がテキスト形式 にできるんですよね アウトライン
のまんまテキストで保存できたり とか ちょっと稀に見る良いアウトライナー
だなと最近思ってます
tadanori kurashita
たくさん目から見る と いわゆる伝統的なアウトライナー
の系譜に位置づけられるような 感じなんですかね
Tak.
そうですね 伝統的な アウトライナー的でありつつ ワークフロー
イコーのモダンなアウトライナー が良い点をちゃんと排除しない
で取り入れてて なおかつ伝統的な アウトライナーというか 普通の
アウトライナーのちょっと良くない ところである ちょっとガチッと
した論理構造に囚われちゃうような ところをちょっと緩めてる 第1階層
の下に第3階層してるとか 論理構造 を今までのアウトライナーよりも
緩く扱ってるんですよね だから そういうことができたのって
実はワードだけだったんですよ 今まで だけどバイクはちゃんと
したアウトライナーであるにも 関わらず ちょっとそういうとこ
バイクの使い心地と機能
tadanori kurashita
はあえて緩く使えるという 三沢 タイプライターボードとかが増
えてますね 知らんまに
Tak.
ちばさんがタイプライター ボードでアウトラインを扱いたい
からユリシースをちょっと使う っていうようなことをこないだ
日のコートと言われてたんですけど バイクはアウトライナーのうちに
タイプライターモードがあったり オムニアウトライナーもタイプ
ライターモードがあるんですけど このウィンドウにいっぱいにならない
ので ちょっと幅を調整したりとか ちょっとこういうことできたら
いいなっていうのを実によくわか ってるね
tadanori kurashita
そういうのはいいですよ ね 開発者が使ってんやろうな
Tak.
という感が伝わってきますね。昔からの伝統的なMacのアウトライナー
に対しても 今のワークフロー イコーのアウトライナーに対して
も ちゃんと見配りとリスペクト がある感じもするし 欠点という
か 残念なのはMacでしか使えない ということだけですね それが大きい
んですけど 結構
tadanori kurashita
テキストファイルで保存
してドロップボックスに入れて おけば 一応閲覧はできるけど
Tak.
閲覧はできます
tadanori kurashita
操作はできないと。
Tak.
どうしても操作したかったら 保存形式をOPMLにすれば アイパッド
とかiPhoneであれば主にアウトライナー で編集ができるとか そこまでやる
つもりはないんですけど 言いたい ことはないですね
tadanori kurashita
だからテキストファイル
で保存してMD形式 じゃあフォーマット が合わへんのか ログシークで開いたら
いいかなと思ったけど ファイル 形式が多分合わないな アウトライン
をどう構成してるかの形式が多分 違うはずだから まあいいか その
辺 まあとりあえずMacでつかみ合 ったらという 限定付きやけど 結構
ええということですね
Tak.
結構いいですね
tadanori kurashita
そうか ちょっとしばらく 使ってみましょう というところかな
僕は来週本が発売ということで それぐらいかな 近々 編集書籍
もちょっと出そうかなと思って ますが そのまままた後日紹介でき
たらなと思います というわけで 今回はこれまでじゃなかった
感想や 自分はどんな文章の書き方 をしているか 書き始めからとか
書き終わった後のエディティング とかっていう話か 自分の欲望の
見つけ方について観測があれば ハッシュタグ打ち合わせ キャスト
ひらがな打ち合わせ アルファベット でキャストまでいただければ クラシタ
チェックしたいと思います では これまでにしたいと思います
お疲れさまでした
Tak.
お疲れさまでした
01:30:32

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