誕生日と振り返り
はい、おはようございます。まりです。今日は、虐待された父に対して、今思うことっていうテーマでお話をしていきます。
はい、というのもね、今日実はね、わたし誕生日なんですよ。はい、35歳になりました。
はい、今日もね、変わらず仕事に行ってくるんですけれども、うん、そんなこう、ね、誕生日を迎えてさ、やっぱり親に思うこととか、あんまりね、考えたことないけど、こう、
あえてね、振り返ってみようっていうふうに思いました。はい、ので今日はね、ちょっと雑談になってくると思うんですけど、よかったらお付き合いください。
はい、このチャンネルでは、鬱や虐待を乗り越えてきたわたしが、発達凹凸のある3人の子育てをしながら、各習慣や内省を通して自分らしく生きる過程を沖縄からお届けしております。
はい、では今日はね、虐待された父に対して思うことというテーマでお話をしていきます。
はい、わたし自身ね、こう、わたしがね3歳の時に、両親が離婚しているんですよね。うん、3歳ってめっちゃ早いですよね。
わたしね、今末っ子が3歳なので、うん、まあこの時からお母さんいなかったんだ、わたしって思うと、すごくね、うん、まあ、
わたし、ちっちゃいわたし、大変だったなって思うんですけど、うん、やっぱりだから、こう、母親と話したっていうのが、本当に幼少期、学生時代っていうのはなくて、
うん、まあ成人した時に1回だけ喋ったことはあって、で、まあ今はね、もう高いしてるんですけど、うん、そう、なので本当にね、関わりがなかったし、最初からもいないかったんですよね、母親っていう存在が。
だから良くも悪くも、もうデフォルトみたいな感じだったんですよ。なんかね、物心ついた時にいなくなったんじゃなくて、もう最初からいないから、なんだろう、いなくなる寂しさみたいのは正直なかったんですよね、うん。
だけどさ、やっぱり父親からしたら、母親の分もやらなきゃいけないとか、いろんな幸せが寄っちゃうじゃんね、うん、だからこう、やっぱり子供たちに当たったりとか、うん、もう強くね、こう叩かれたりとか、怒鳴られたりっていうのは本当にね、日曜3時にあったと記憶してます。
うん、すごいよ、なんかゴルフのあれあるじゃん、なんだ、こう振るやつ、スイングするやつ、あれをこう、壁に、ドアに投げて、ドアにぶっ刺さったからね、私たちにめがけて投げてきて、やばくないですか、もう本当にね、頭がね、おかしいんですよ、うちの父は。
とかね、もう2時間以上正座させられたりとか、こう正座するときもさ、膝の裏になんか棒みたいのをなんか挟まらせて、正座させられて、もう何時間もね、座って父親が寝るのを待つみたいな、そう、本当にね、いやもう、いや笑っちゃいけないんだけど、あの時本当に大変だったなっていうふうに思う。
あとはね、こう、やっぱり精神的にも、こう、うん、きつかったね、お前はもっと人の3倍も頑張らないとダメだよとか、私ね、空手習ってたんですけど、こう、空手を習ってても、こう大会とかさ、があって、そこでやっぱり、認められたいとか、父親によくやったなって言われたいだけのためにね、
本当に8年間ぐらい突っ走ってきたんですよ。うん。で、その回あって、本当にね、トロフィー、こう受賞したらトロフィーもらえるんですけど、トロフィーがね、本当に10個以上あった。うん。
それぐらいもう、何回も優勝して頑張ってきたんですけど、2位とかね、3位取ると、絶対お前あの時は、ああだろうって、もっと手をしっかり引けよみたいな、とか全部ダメ出しされるんですよ。
うん。もう2番、3番ならダメなんですよね。もうそれ以下の、検討賞だったかな、そういうのだったてみたいなのもらえるんですけど、もうそんなのあったら絶対、もう褒められるどころかもう、あの時はこうダメだった、あの時はこうだろうって言われるんですよね。
うん。で、なので、こうね、1位を取るのが当たり前って思ってたので、2位、3位なんて取ると、また怒られる、叱られるっていう風にね、思ってやってきましたね。うん。そう。
それでね、もう黒帯取って、もう団員って言って、もう9じゃなくて団に変わった時に、もう何だろう、いろんなさ緊張した、なんか糸がね、プツッと切れたようにね、もうやめましたね。うん。なんかもう放信状態みたいな、そう。もういいやってなって、やめたのを本当に今でも覚えてます。うん。
父親と向き合う
まあそれぐらいね、本当に厳しい父親でした。うん。なので、やっぱり、さあ、まあとはいえよ、こう育ててくれてるじゃん。1人で一生懸命。だし、こう、親戚とかからも、お父さんよく頑張ってるよって、お母さんの代わりにやってくれてるからね、あんたたちもなんかしっかりしなさいよ、みたいな感じで、やっぱり周囲から言われるから、余計にこう圧がかかるわけ。
ああ、もっと私は頑張らないといけないんだって。母親がいないから、ご飯とかも家事とかもしっかりやっていかないといけないんだって、もう自分をね、鼓舞しながら生きてきました。うん。そう。そういうのもあって、やっぱり我慢する力っていうのは人一倍ね、強いっていうふうに思ってますし、やっぱり自分を出したらダメだとかね、そういう制限をかけてしまってたんですよね。
まあ今はね、こう変わってきてるけどね。うん。そんなこう、さあ、35年間こう生きてきて、うん。やっぱり振り返るんですよね。うん。やっぱりそれはさ、自分が結婚して子供できてっていう、この段階にいってるから、やっぱり父親の気持ちもわかるんだけど、やっぱりあの時は苦しかったんだって。自分はね、私は。うん。
そこをちょっとね、こう認める。うん。苦しかったっていうのを認めたから、すごくね、人生が変わってきました。うん。なので、今ね、父親に対して思うことは、もう不満とか、もうモヤモヤとかのレベルじゃない。怒りとか憎しみもあったよ、もちろん。あったけど、それも今もう乗り越えて、もう何も感じないんですよ。うん。フラットな状態。
私、感情を感じきったっていう感覚があるんですよね。うん。そう。あの時はそう、苦しかったって、きつかったって認めることがやっぱり大事だと思ってて、うん。そこが自分の感情としっかり向き合えたかなっていうふうに思います。そう。
だからさ、あの時よくやったよって。ちっちゃい頃のマリが、うん。こう言ってくれてるって思うと、やっぱりさ、今でも泣けてくるわけ。うん。よく頑張ったよなって。やっぱりでもそこで、事実だし大事なところじゃないですか。
それさえも無視してたら誰も、ね、私のことなんてあの時よくやったよって、自分が思ってないと相手が言われたとしても、何とも思わないっていうか、うん。やっぱり認めてあげるのは自分自身だし、うん。もうそういうことがね、こう、やっぱりノートとかそういうのをしてきたから、うん。憎しみとかは今ないかな。
もちろんあったよ。うん。だからさ、こう、今本当に普通に連絡取れるし、電話が来ても同期しないし、普通にもしもーしとか言って、クリスマスパーティーどうするとか言ってさ、もう話せるレベルまで行きましたね、私は。うん。
だしさ、もう、父親がやってくれてきたことも、やっぱ根本は愛なんだっていうのは、そう、そこも感じることができた。うん。やっぱりさ、普通に大変じゃん、一人で子供を育てる。それもやっぱり子供が、今私がいるから感じられることだし、うん。大変さっていうのもね、うん。
なので、そうやってきた父も、まあ否定はしないというか、うん。まあそれ、で、まあよくはないけどね。暴力は絶対に、うん。だからこそ私も子供、私は子供たちにそういうことはしないと。
まあ今、心に誓って、こういうね、発信活動とかもしているわけなんですけど、うん。なので私は今、実際ね、父に対して何とも思わないしさ、うん。もやもやとかね、うん。そんなのもないかなっていう感じです。はい。
いや、まじでね、もう。すごくね、どん底に落とされた時もあったし、うん。つらかった経験もあったけど、だからこそ今ね、こう生きてるのがすんごく楽しいしね。やりたいこともなんか、湧き出てきてね、いや、なんかね、時間足らないよって思うぐらい本当に毎日楽しく過ごしているので、本当にね、ここまで生きてきてよかったなって思います。はい。
てな感じで、はい。35歳の1本目はこんな放送にしました。はい。最後まで聞いてくれてありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。では、またね。