忙しい環境の影響
はい、おはようございます。まりです。
やっと、週末が来ました。
今週はね、週5日出勤してて
祝日とか、もうね、日曜日とかもね、出勤したりして
結構ね、頑張ったなっていう風に思います。
短い時間ではあるんですけどね、パートだしね。
でも、ちょっともうやりきった感が今あって
それでね、今少しのね、一人時間を使って収録していきたいと思います。
はい、では今日はね、こう、自分の、こう
いわゆる、まあ、環境だったりとかやってることって
全部ね、自分で決めてやってきてるんだっていうことをね
ちょっとお話をしていきたいと思います。
まあ、自分がこう考えて、選択して、こうなってるっていうことですよね。
で、それはね、こう、自分がどう捉えているかっていうことにもよると思うんですよ。
そういった話を、自分の体験とね、合わせながら話していきたいと思います。
やっぱりね、こう、仕事とか家事、育児、毎日ね、大変なんだけどさ
こう、大変だから、私はこうなんだとか
こういう環境だから、私は今こうなんだって思うのか
こう、大変だからこうしよう、こんな環境だからこうしていこうとか
っていう考え方の違いで、まあ、行動とかも
今いる環境っていうのも変わってくるよねっていう、まあ、お話なんですよね。
育った環境の影響
私自身ね、こう、母親がいなくて、父親にね、育てられてきました。
まあ、そんな環境って、実際ね、変えられるわけじゃないじゃないですか。
生まれてきた環境とか。
周りのこの大人たちっていうのは変えられない。
それはあるんですよね。
で、これまではやっぱりこう、私って不死家庭で育ってきたし
周りに女の人ってそう、頼れる人っていうのが自分の中にはいなかったっていうのもあって
相当ね、こう、まあ苦しかったっていうのもあるんですけど
誰にも相談できないとかさ
だからこう、信頼できる相手、安心できる家庭がないから
こう、外のこう、環境、学校だったり、まあ、習い事もしていました。
そういった環境でも自分の、こう、私って、マリってこういう人だよっていうのを
やっぱりね、100%は出せなかったし
本当にね、本当数パーセントしか出せてなかったと思う。
偽った自分っていうか。
そういうのをずっと出してきて
嘘、嘘っていうか、嘘って言ったらあれですけど
こう、本当は思ってないけどやっちゃってたりとかさ
こう、言われた通りに物事を行動したりとか
常にね、やっぱり周りの目線だったりとか
発言だったりっていうのを気にして生きてきて
それがやっぱり子育てにもやっぱり影響をしてきました。
自分自身のね。
私は子供がね、3名いまして
3歳と、じゃない、7歳、4歳、3歳の3名いるんですけど
下2人がね、本当に1歳違いの年号なんですよ。
なので、こう、やっぱり0歳1歳の時とか本当に大変で
いつもね、こう、家に2人いて
で、上の子もね、長男も当時4歳とか
まあそれぐらいなので
私、こう、やっぱり手がかかるっていうのはありました。
お兄ちゃん自体も。
で、下2人はね、女の子なんだけど
やっぱり風邪とかさ、引くんですよね。
なので、1週間ごとにね、毎週ね、上の子
ジビカ連れてって
で、その翌週下の子連れてって
やっぱ2人は連れていけないんですよね、私の
体力的というか、普通に考えて無理だったんですよ。
物理的にっていうの。
そういうのもあって、できないし
1人ずつ連れて行こうって言って
連れて行ったりね
だからさ、こう、鼻水とか中耳炎とかなったら
もう、熱出て2人いるんですよね、上の子も
1歳の子も保育園行ってたんだけど
自己成長の視点
休んで、極ゼロ歳1歳が家にいたりとか
これがね、一時的だったらよかったんですけど
やっぱ2年3年ぐらいやっぱやっとね
今、3歳4歳で落ち着いてきたかなっていうぐらいで
当時は本当にね、目の前のことをこなすのに必死でした
でもそんな状況でもさ、今考えれば
私ね、義理の実家が隣にあるんですよ
で、義母が隣にいるので
いつでも頼ろうと思えば
頼れる環境にはあったんですね、当時も
今もですけど
それだけど、やっぱり頼れない
やっぱり幼少期からこの
人を頼る、甘えるっていうことを知らずに生きてきたから
そういうところにも影響してきて
頼れなかったり
頼ってしまった自分
頼った嫁ができない嫁と思われたくないとか
できない母親だと思われたくない
で、やっぱりね、周りを見すぎて
視線を気にしすぎているがあまりに
お母さんちょっと見ててもらえますかの一言がね
言えなかったりするんですよ
でもやっぱり今考えると
もうすぐ言うよ、今、今ならもう
ちょっとマッサージ行きたいんで
見てもらえますかなんて
今多分普通に言えると思う
だしそれぐらいね
行ってもいいんだっていう
自分への許しがやっぱりできるようになってきて
そう、今こういう大変な状況だけど
子供二人さ、家にいて
ずっと泣き声でさ、わめかされてさ
もう辛いじゃない
でも辛いけど
少しでもこれが落ち着くには
じゃあどういう行動を取ればいいかなっていう
その視点に立つことが今ならできるんですよね
やっぱりそれはなぜかというと
自分自身をこう認めてきたから
もうこれに尽きるかなって思ってて
私はこう頼れない
なかなか頼りきれない自分がいるとか
そういう頼れない自分もいいんだよって
そう思えることがやっぱり最初のスタートなんですよね
幼少期でこう
こうなんだろうな
安全な心が落ち着く環境に入れなかった
そんな環境に入れたのもマリのせいじゃないし
そうなったのも仕方がないことなんだよ
だから今じゃあ自分をこう
癒していくというか
自分をこう
ちょっと言い方ちょっと広いんですけど
自分を満たしていこうとか
自分の心が喜ぶことは何だろうっていうことに
意識を向け出すとその視点もめっちゃ変わるんですよ
もうこんな状況で絶望だって思うのと
いや絶望だけど
少しでもこう
自分が良くなるにはどうしようっていう
そこのね
意識がやっぱり変われたっていうのが
自分を認めるっていうことを通してね
やっぱり得られましたねそういうことが
やっぱりねそれって
体力的にも
もうこうさ仕事とか毎日してたら
やっぱり暴殺されてそういう内側に向けるっていうのは
なかなかしにくいんですよね
私もね今週
そうさっき冒頭でも話したんですけど
週に5回わって働いてて思ったのが
ノート私ノート書くのが好きなんですけど
ノートの時間がね本当に1枚しか書け
2枚ぐらいしか書けなかったんですね今週
やっぱりそういう自分の時間っていうのが
作りにくくなるっていうのがやっぱり
あるんですよね24時間しかないし
みんな平等に決められてね
そういった中でやっぱりじゃあどう作っていくかっていう
意識をそこで向けないと自分がやっぱり変われないし
どんどんマイナスでぐるぐるしてたところから
抜け出せないよねっていうところにやっぱり
やっぱり集合働いてきましたが
疲れもねそれほどなくそれこそ
なんでこんなに働かされるんだとか
人がいなくて
私ばっかり出勤してっていう思いでやるのか
いやもうやり切ったわ
今日のこの1日今日あるこの1人時間
今の時間を楽しもうって思えるかって
やっぱ視点が違うと
やっぱり今いるこの環境ってめっちゃ変わるなっていう風に
思ったので
まとまりがあるかちょっとわかんないんですけど
話してみました
毎日日々暴殺されてやっぱ大変なのは
わかるんですけどそれも
あるから今1人時間が楽しめてるっていう風に
私はなってるので
そういう見方で物事を見れたらいいのかなっていう風に
思いました
最後まで聞いていただいてありがとうございました
ではまたね