2026-01-10 26:34

五輪書#33


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サマリー

このエピソードでは、剣道の先生からの年賀状と、その返信を書く過程を通じて、構えの重要性や手紙の作法を考えます。特に、異なる先生の構えから見える違いや、巻き紙で手紙を書くことの意義を探求します。五輪書には剣の使い方や心構えについて述べられ、特に敵の攻撃を受け流すことや、心身を使った瞬時の反応が強調されています。

年賀状とその返信の驚き
みなさん、こんにちは。
今日はお天気が良くて、気温も少し高めだと思います。
室内ではあまり分かりませんけれどもね、
外に出てみましたら、少し、風はあるものの温かいです。
今日のような日には、本当にお家を拭き掃除したいところなんですけれどもね。
午前中ちょっと、朝一番でポストを見たんですね。
そうしましたら、お年賀状をいただいた、
剣道の先生に、お年賀状お返しの年賀の挨拶を書いた時にね、
たまたま、その先生の立合いのビデオをね、
友人が送ってくれたんですね、年末に。
その時に、年に何回か稽古でお会いする先生なんですが、
構えただけで、凄みがあるんですね。
怖さがあるんですよ、構えにね。
そういう風に感じる先生は、県内でお二人しか知らないんですね、私ね。
お一方は教師八段、お一方は班師八段。
班師八段の先生は、非常に構えたお姿が素晴らしい方なんですよね。
もう一方は、美しさはないんですけれどもね、教師八段。
美しさはないんですけれども、怖さがあるんですね。
今日、お手紙をいただきました教師七段の先生は、
その年末のビデオを拝見した時にね、怖さがあったんです。凄みがあったんですよ。
もう、構えた時点で勝負ありみたいな凄みがあったんですね。
それは何なんでしょうということで、
年賀状に書きましたね。
そうしましたら、そのご返事が、なんと巻紙にきちっと書いてこられたんですよ、書状のようにね。
びっくりしました。私は、時代劇のようにその巻紙をハラハラと広げましてね。
構えと先生の影響
読みましたですね。
凄く達筆な字で書かれてまして、令和8年の新春を迎え、先生におかれましても、何かとご対応と存じます。
果実は、ご丁寧なる賀状を頂戴し、誠にありがとうございました。
そうそうですが、昨年の立会のビデオは、他の先生方からもご批評を頂き大変ありがたく思っておりますということでね。
ずっと書いてあったんですけれどもね。
それに書いてあったことは、どういった気持ちで構えてらっしゃるのかという質問だったんですね、私の方からはね。
たぶん、本もやらないぞというふうに思ってらっしゃるのではないでしょうかというふうに、ちょっと答えを引き出そうとして、質問を投げかけたんですね。
そうしましたらね、私がお手本にしているつもりの、もう一方の藩士八段の先生の構えをイメージしながら立ち会いをしていたというんですね。
私は、その先生とも稽古をお願いするのでね。
その先生をイメージして立ち会うという目の前にいらっしゃるんですよ。目標とする先生がね。
自分の間合いの中にいらっしゃるんですね。
にもかかわらず、その先生の横から見た姿とかね、上から見た姿とかね、後ろから見た姿とかね、真正面もそうですけれども。
それをね、頭の中でイメージしてね、立ち会うことなんて、他の先生方の場合も含めて一回もなかったんですよ。
それで、そこでね、違いがはっきりしたんですね。
思い描きながらという表現を使っていらっしゃいます。
私たちのほぼ全員が、その美しい立ち姿、強い立ち姿のその先生の構えを、その立ち姿を思い描きながら立ち会ってますっておっしゃったんですね。
私は遥かに、その阪神八幡の先生と対戦する機会は遥かに多いんです。
地理的にね、あまり恵まれた環境じゃないところにお住まいの、今回お手紙をくださった先生はね、
私より遥かにその自分の理想とする先生にお会いする回数というのはもうごくごく限られてるんです、年間でもね。
でもね、それであるがゆえに尚のことね、やはり忘れてはいけないということで、
頭の中でイメージして、胸を張ってですね、左拳をきちっと収めて、そういうどこから見られてもあの先生の姿だっていう風に頭の中でイメージしながら稽古しなさっているんですよ。
私の場合は、初立ち始まったらどうしようとかね、絶対に左から攻めてくる、それをどうしようとかね、直前までにああだこうだと考えたり、そういうね、無駄な雑念ばかりなんですよね。
でも、あの先生のような立ち姿になりたいって思っているにもかかわらず、思い描きながら立ち合いをするということは一度もしたことがなかったんです。
巻き紙の手紙作法
だから結局そこだなというふうに思ったんですね。
なりたいなりたいじゃなくて、なろうとしなければなれない。
で、なろうと必死でし始めたら近づいていくということだというふうに思いましてね。
諦めたらだめですよね。
それと、ありがたいことに、このひなかぎ巻き紙をいただきました。
本当にね、昔の書上のように美しく書かれてましてね。
で、私も昔々書上の先生からいただいた手紙を、巻き紙をね。
砂子が降ってあってね、金のね。
綺麗な紙の部分がピンクの薄いピンクなんですね。
本当にね、なんか春を思わせるような紙なんですけれどもね。
これを今まで使ったことがなかったんですよ。
一度たりとも。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11。
まだ11枚ほど残ってますが。
それを出してきましてね。
もう4枚本であったんですけど出してきましてね。
ちょうど、この先生からいただいた巻き紙と同じぐらいのサイズなんです。
幅ちょっと私の方が長いかなという感じなんですけど。
それでね、ご返事とお礼を書き始めたんですね。
そうしましたらね。
やっぱりね、私自身も求めてるから、
この先生の構えは違うなということが分かるようになったんだと思うんですね。
普段素晴らしい先生といまいち素晴らしくない先生のお姿を
常々、比較対象があるんでね。
際立つんですね。
強い先生というのはね。
それを、今日そのご返事をいただいた先生よりも遅れてね。
求めてたからこういう機会が生まれたんじゃないかと思う。
で、野崎も読むし、五輪の章も読むし、
いろんな先生方の悪い点は見ても仕方ないですね。
いい点を探し求めてですね。
で、今日ね、このように巻き紙でご返事いただいたんです。
私も巻き紙の作法というのを全く知らないということに気がつきましてね。
お茶をしてましたらね、巻き紙でお手紙を出して、
いついつお茶事を開催いたしますが、
つきましては送り合わせの上にいただけたら幸いでございますみたいなね。
そういうことを形式にのっとって書く作法の手紙というのがあるんですね。
しかしそこはね、今の先生には習ってないんですよね。
だから、母が結婚する時に持たせてくれました。
なんでこれが必要なの?みたいに思いましたけどね。
持たされた時に、日常の手紙っていう分厚い本でね、
別冊、主婦と生活って書いてあるんですよ。
主婦と生活とかいうね、雑誌があったんですね、昔。
主婦と生活者なんですって。
そういう風な月刊誌をよく母は買ってましたね、なんだかんだと。
あの頃はそういうものからしか情報を得ることはなかったんでしょうね。
で、それで巻紙以外のお手紙の式たりとかを
にのっとってね、きちっと書こうと思いまして。
で、それは便箋用できちっと書いてくださってるんですよ。
巻紙用になりましたら、
もう鎌倉時代から遡って書状をね、見るしかないんじゃないかと思って。
まあ書状は見慣れているとはいえね、
古文書の講座で見慣れているとはいえ、
いざ書くとなったらね、最初頭を10センチ開けるとかね、
そういう細かいところはね、全然わかってないということがわかりました。
でね、手紙のね、素晴らしい本があるんですよね。
手紙の素晴らしい本ってね。
手紙を題材にした、
手紙を現代文に訳して往復書簡をずっと本にした、
大宮様と秘伝家のお手紙っていう、
定名口号と高松宮秘伝家の往復書簡の現代語訳の本があるんですね。
坂木原久子さんという方が書かれてるんですけれども、
これは高松宮秘伝家の妹さんですね。
定名口号の字が全く素晴らしい字で、
もちろん旧金使い。
で、金ですから、変体金が満載の毛筆に
顔皮紙、美しい薄い紙ですね。
で、書かれているらしいんですが、
少し、もちろん巻き紙ですね。
ちょっとだけ写真が入っているんですが、
それもね、今ね、古文書講座に行っておりますが、
スラスラスラスラっと読めないですね。
これは無駄な漢字で読めるかな、みたいな感じでね。
そういうのも見ながら、やっぱり巻き紙の手紙の作法というのをね、
この際勉強しなければいけないなと痛切に思いました。
あるひとつでね、巻き紙でお手紙をもらったらね、びっくりされると思うんですよ。
私も今朝びっくりしました。
で、やっと書き終えて、上村松園の切手を貼りましてね、
ジョノマイですね。
夫が大好きなジョノマイを貼りまして、
で、ふとね、封筒がないということに気がつきまして、
漢字用のちょっと分厚めの半紙、それを2枚重ねにしまして、
急遽封筒を、お手製の封筒を作りましてね、
封筒がないってね、どうなんでしょうね。
それで、どうにか間に合いましたですね。
これを今からポストに投函してまいります。
で、そんなこんな申し上げているうちにね、
剣の心構え
五輪の書のね、途中まででした、6番目のね、
剣を踏むということですね。
ここをさっと読んでみます。
後半ですね。
また、一文の兵法も敵の打ち出す太刀の後へ打てば、
どたんどたんとなりて、墓床ざることなり、
敵の打ち出す太刀は足にて踏みつくる心にして、
打ち出すところを勝ち、二度目の敵の打ち得ざるようにすべし、
踏むというは足に限るべからず、
身に手も踏み、心に手も踏み、もちろん太刀に手も踏みつけて、
二の目を敵に良くさせざるように心得るべし、
これすなわち物事の戦の心なり、
実生活への応用
敵と一度にといてといいて、
行き当たる心に手はなし、
そのまま後につく心なり、
よくよく義務あるべし。
ちょっと難解なところが何箇所か出てまいりましたね。
また一部の兵法もというのは一対一の兵法もということだそうですね。
敵の打ち出すたちの後へ打てばどたんどたんとなりて、
どたんどたんとなりてというのはどんなんでしょうね。
まあどたんどたんとなるんでしょう。
時々こういう表現が出てきまいりますね。
破壊ゆかざるところなり、破壊ゆかざるところなり、
これがちょっと意味不明なんですよね私。
どたんどたんとなりて、
ごてごてになって破壊ゆかざるところなり、
はがゆいということなんでしょうか。
違うんでしょうかね。
ちょっとこれまた後で調べますね。
敵の打ち出すたちは足に行って踏みつくる心にして、
打ち出すところを勝ち、
とにかく相手が来る瞬間に勝ってしまう、
とにかく相手が来る瞬間に勝ってしまうということですね。
二度目の敵の打ちを得ざるようにすべし、
二の立ち三の立ちが打てないくらいにやってしまえということですね。
踏むというは足に限るべからず、ここからですよ。
身にいても踏み、体にいても踏み、心にいても踏み、
もちろん立ちにいても踏みつけて、
立ちで踏みつけるというふうな気持ちになったことは一度もございません。
チョンチョン、そんな感じですね。
武蔵から比べました。
踏みつける。
先ほど私たちが構えにおいて最高だと思っている先生、
八段橋の先生の言葉にね、
すべて100%で打て、
99%はいらんという言葉があるんです。
そんな感じですね。
これすなわち、物事の千の心なり、出てきましたね、ここでも。
兵法に限らず、世の中の物事すべての千の心なり。
敵と一度にといいて、行き当たる心に手はなし。
行き当たる心に手はなし。
体当たりで飛ばしてしまえ、みたいなそういう心はないと。
そのまま後につく心なり。
よくよく吟味あるべし。
そのまま後につくる心なり。
だから二の太刀、三の太刀が打てないようにしなければいけないんですけれども、
千で行けって言ってるんですけれども、後につく心なり。
五の千でしょうかね。
もう打ってきたところを、打ってくるより早く打ち落としてしまうっていう、そういう感じなんでしょうかね。
と私は思うんですけれども。
この部分ではね、どたんどたんというその擬音ごとね、それと、
はかゆかざることなり。
はかゆかざるところなりっていうのがね、ちょっと疑問に残りました。
今日はちょっと前段で、五輪の章とは関係のない私ごとをお話しいたしましたので、
25分もしゃべってしまいましたが、
皆様、良き週末をお過ごしいただきますように。
私は、今日、今年最初の朝稽古に行くつもりがありました。
見事にサボってしまいました。
非常に寒さに弱いです、私。
それは言い訳ですね。
言い訳ですが、本当に行く気がある時っていうのは、
もうサボれないぞって、ここまで来たらもうサボれないぞみたいな時にね、
前日からね、完璧な準備をするんですね。
だから、サボるかサボらないかは、とにかく向こうへ行ってから考えろということで、
夫から言われてますのでね。
行く予定の稽古は、すべて前日にパーフェクトに準備をしてから寝るというふうにいたします。
夫のお弁当も、今は冬ですので、前日に完璧に用意をして、
夏は冷凍にしておいて、自然解凍するようにして、そのようにしたいと思います。
では皆さん、ごきげんよう。
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