敵の利を受ける心
みなさんこんにちは。北の方では非常に雪の被害があったみたいで、本当にお見舞い申し上げます。
雪かきなどしたことのない私にとりましては、想像を絶する生活ではございますが、どうぞご安全に。
本当にこの度お怪我をなさいました。
当院の一生様、本当にね、お怪我だけですんで、本当に幸いなことでございました。
ゆっくりお休みくださいまして、また新たに頑張っていただきたいと思います。
では、五輪の書の続きを読んでまいりたいと思います。
6番なんですね、一つという風に書いてますが、6番目の一つですね。
剣を踏むということ。剣を踏むって面白い表現ですね。
剣を、刀を踏むっていうことはどういうことなのかしらと思いますね。
まず読んでまいります。
まず大きなる兵法にしては、弓、鉄砲においても、敵、我方へ打ちかけ、何事にでも近くるとき、敵の弓、鉄砲にでも話しかけて、
その後にかかるによって、また矢を使い、鉄砲に薬を込み合わせるによって、また新しくなって追い込みがたし、
弓、鉄砲にいても、敵の放つうちには早かかる心なり、早くかかれば矢も使いがたし、鉄砲も打ち得ざる心なり、
物事に敵の近くるとそのままその利を受けて、敵のすることを踏みつけて勝つ心なり。
たまたまうちの夫が弓道をしておりますので、弓道で矢を引っ掛けて構えに入るときのことをやつがえるというふうに言うらしいんですけれどもね。
ここにも出てもありますね。
弓も鉄砲においても、戦のことですよね。
敵の矢を放つときにはやはり構えて引くという時間のロスがありますよね。
だからそこを狙えということなんでしょうね。
物事に敵の近くるとそのままその利を受けて、敵のすることを踏みつけて勝つ心なり。
仕掛けてくる、仕掛けてくる技ってあるんですよね。
構えている竹刀を大きく打ち落としてそれで空いたところを打ち込むという技がございますね。
仕掛けてくる、相手が仕掛けてくるその利を受けて、仕掛けてくるというのは相手は自分に利を作ろうとして仕掛けてくるんですが、
その相手が自分の利益だと思って仕掛けてきているその技の利を受けて、敵のすることを踏みつけてこちらが勝ちに行くという、
人生経験と稽古の重要性
この表現の仕方というのは非常によく理解できます。
今となってはね。今となってはよく理解できます。
それを実践でするにはね、やはり常に千の木ぐらいがなければできないと思うんですね。
どんな場合も。
物事に敵の近くることっていう風に書き出してますね。
物事っていう風におっしゃってます。
何も武術に関すること以外にも、これは当てはまるということだと思うんですよね。
なんだか、ちょっと表現が違っただけで非常によく理解できる書き方ですね。
これがね、どうしてね、少女の時代に私が理解できなかったのかって思うんですけれどもね。
何なんでしょう。
子供の頃は今よりもっと稽古はしてましたが、経験という点においてはやはり救うのがございますよね。
そして古文書とか古文に触れた時間も圧倒的に救うのがございますよね。
そういうことなんでしょうね。人生経験というか、稽古の経験というか。
ただ単に長くやってきたということだけではなく、これは一つ一つの一日一日の稽古が無駄ではなかったということの証じゃないかと思いますね。
本当に感謝ですね。
ちょっと外に出たんですけれどもね。先ほどのお話の続きなんですけれどもね。
相手が仕掛けてくる技を踏みつけて、相手の利を利用して自分の利に変えて勝ちにいくというこの戦法なんですけれどもね。
言い換えれば、相手が何かを仕掛けてきたときはこちらのチャンスだというふうにも捉えることができると思うんですね。
そこで一騎一遊するんじゃなくて、驚いて引いちゃったりするんじゃなくて、そこはもう何かをやってくれてるんだから向こうも隙だらけであると。
そこにこのままに突きかけずするんですよね。隙の光が射すはずなんですよね。そこを行けということだと思います。