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2025-09-03 07:53

我が家がどうやって大家さんになったか1️⃣


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サマリー

我が家が大家さんになった経緯を、家族の歴史と共に振り返ります。特に、夫の五代前から農業を営んでいたことや、農業委員会との関わりについて話します。

家族の歴史を振り返る
皆さん、おはようございます。今日は、我が家がどうやって大家さんの世界に足を踏み入れたかという、そこの歴史的背景を、この際、きちっと娘のために整理しておいた方がいいんじゃないかと思いまして、
何回かに分けて、おしゃべりしていきたいと思うんですけれども、
我が家は6代目、夫が6代目なんですね。
6代前に、その時のひいひいおじいちゃまが文家をしているんですね。
本家は近くにあるんですけれども、本家よりも、うちの方が古い資料とかが残っておりましてね、
本家さんの方には、6代前のひいひいおじいちゃんの名前というのは残っていないんですね。
分かる範囲で調べたんですけれどもね、それはさておき、平成28年7月に、夫の父が亡くなりましてね、それで田んぼ畑を相続したんですね。
畑は母が守ってくれてたんです。田んぼはね、父が守ってくれてたんですが、父も田植え稲刈りは他の業者さんに任せてたんですね。
田植え稲刈り専門業者さんにね、もう何十年も、50年、60年くらい任せてたんですけれども、
夫の父である私のおしゅうとさんが亡くなった時の秋からね、7月に亡くなり、その時の年の収穫からね、がらっとね、態度が変容したんですよ。
もうね、水はけが悪いところはね、あるんですね、奥の方で。950何坪なんですけれどもね、あるんですけれども、その業者さんが何十年か前から大型機械を入れるようになったんですね。
その大型機械が練り込んじゃって出れなくなったら大変だということでね、暗鏡排水をしてほしいということで、父がお元気な時、お若い頃は手作業で暗鏡排水してたんですって。
信じられます?手作業ですよ、スコップ。それで貝殻とかもらってきてね、なんかね、それをしてたらしいんです。砂と貝殻でね。
で、そこがそうやってくれてたのに、最近やってくれないじゃないか、みたいなお話になったんですね。私は、まあ、嫁としてね、申し訳ございませんしか言えなかったんですね。何のことかさっぱりわかってませんでしたのでね。
で、農業はトラクターを使うときだけ登場する夫がね、「ああ、わかりました。」とか言って、いろいろ放錯区を考えながらね、引き伸ばし、引き伸ばし作戦に入ったんですよ。
で、それ3年目になりましてね、もう、その工作してくださっている方が、担い手センターに頼んでみてくれないかっていう風なお話になってきたんですね。で、私は慌てて次の日に担い手センターになるものに駆け込みました。
県の出先機関でね、なんだか静かなオフィスでね、古ぼけた静かなオフィスでしたね。なんか活発に活動しているような農業委員会さんとかとはちょっと違う雰囲気でしたね。
で、そこのうちの担当の方に、こういうことで困っています。どうにかということでね、行きましたらね、うちの方も検討に入らせていただきますが、一度、農業委員会さんにご相談になられてはいかがですかって言われました。
で、農業委員会っていう言葉も知らなかったんですが、すぐに場所を聞いてその日のうちに行ったんですよ。
そうしましたらね、だからね、それはね、いつ頃だったかしらね、えっとね、28、29、30、平成元年、いやいやいや、令和元年になるかならないかの時ですよね。
担い手センターとの出会い
日付をね、きちっと記載してないんですけれどもね、行ったんですよ。
そうしましたらね、えっと、令和16年に水はけが悪いと言われましたでしょ、2016年。
で、2017年に土壌を改良してほしいと言われましたでしょ。
で、令和1年の2019年に担い手センターに行ってほしいと言われましたでしょ。
で、2019年ですわ。その2019年に担い手センターと農業委員会さんに私は駆け込むわけなんです。
そして説明とかいろんな資料をもらってきて、その次の日にどんでん返しがあるんです。
そのどんでん返しは非常に楽しいので、また明日お伝えいたしたいと思います。
ではごきげんよう。
07:53

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