香淳皇后の誕生と成長
皆さん、こんにちは。
今日ね、もうピアノを思いっきりサボっているので、
オープニングの音楽を、とにかく練習だと思って、
詰まるところまで弾いてみようかなっていう風に思ってはいてるんですけれどもね。
私はアンプするのが大好きというか、アンプしないとなかなかうまく弾けないので、
途中から弾くっていうのが非常に不得意なんですよね。
今日詰まったところから、明日弾けるかどうかっていうのが非常に問題なんですけれどもね。
本田製録のもう一息のところまで来てるんですが、
今日は読みませんでした。申し訳ないです。
その代わりと言ったら、あれなんですけれども、
香淳皇后の実録でしたっけ、
正式な、
その宮内町から発表された著書名が、
ちょっと待ちくださいね。
香淳皇后の、
香淳皇后実録ですね。
本文が公開されましたですね、9日に。
私、今日ね、
初めてダウンロードしましてね、
お小さい頃のところを読み進めていってるんですけれども、
お生まれになった時から、
皇族の一員としてお生まれになったので、
賢どころに参拝されたりですね、
そういうこともきちっと何月何日というふうに、
明治何年何月何日というふうに午前午後みたいな感じで記録されてるんですね。
お生まれになったその宮家の方でも、
ご出産の時とかね、
必ず記録するんですね。
もうお生まれになるみたいな時には記録されますね。
2日かかろうが3日かかろうが、もう何かお月の人が徹夜で。
小学校3年生ぐらいまでです。
読み進めていったんですが、
ご家族全員で、
よく島づけ別邸というところにおなり遊ばすんですけれども、
お母様が島づけのご出身の方なんですよね。
それで島づけに、
みなさん島づけ別邸とか鎌倉であったり、
あとは葉山の方でしたか、
ずっと島づけの方に、
お小さい頃はよく秘匠におなり遊ばされていたみたいですね。
一番びっくりしましたのが、
あれがどいつでしたかね。
なかなか年表をダウンロードして読み進めるのって、
牧1、牧2、牧3、牧12まであるんですね。
わと字本になっていますが、
牧1、牧2、牧3という風になっているんですね。
その中で、約2神社参拝の場面がありましたね。
よく考えてみれば、
明治36年3月6日に国宮鳥居坂町邸においてご誕生なんですけれども、
明治2年くらいに靖国神社はできておりますよね。
学習院女子幼稚園にご入園になるんですね。
その後、続いて小学科にご入学になるんです。
学習幼稚園の時の担任の先生と担当の保育士の方も、
きちっとフルネームで残っていますね。
小さい時でも猛に服したことであるとか、
5歳、6歳の時にそういうご経験とかもされて、
ですので、恩父、国飛行のお兄様にあたられる方がお亡くなりになった時も、
90日間の猛に服されているんですね。
小学校に上がられて、2年生になられた時に、
5月に学習院女学部において行われる、
高校御丹心拝賀式に、信子女王とともにご出席になる。
こういういろんな行事に、高校及び高丹心拝賀式に、
7歳の時の12月末の頃、
学習院女学部創立25周年記念式に、
高校及び高丹心拝賀式のご行刑、
高俗比のお成りがあり、在学中の高俗女子とともに、
皇后と御対面になる。
明治天皇の皇后陛下と御対面になっているんですね。
高俊皇后は、本当に生まれた時からの皇族であって、
先々、皇后陛下になるという運命を持ち合わせて、
お生まれになったという気がしました。
学校生活と皇族の行事
私たちの年代で言いますと、
高俊皇后は年を召されてからの記憶しかないのですが、
お若い頃のお写真を拝見しましたら、
お一方、高俊皇后様だけが洋装で、
後の方は袴に着物、
学習院の定番のエンジ色のような袴に着物、和服、
お車で御登校。
集合写真の時は必ず中央にお座りになって、という感じです。
ですので、お生まれになった時から特別な存在だったのです。
そういうのを読み進めていこうと思っています。
やっぱり、これをずっと読み進めていくと、
いろんな歴史的なことが分かってくるのではないかと思うのです。
戦前戦後を生き抜いた御方でございますし、
その中心、我が国の中心にいらした昭和天皇のお妃となる方なので、
すごいのがあるのですよね。これはすごいですよね。
旅行と武徳会の参加
大正6年、西暦1917年、14歳の御時、7月25日水曜日、
御両親殿下と御兄弟ともに出発されて、神奈川県鎌倉に御旅行になり、
昨日より滞在中の御親戚の方も一緒にお過ごしになって、
その40年歳及び御親戚の後続の方、40年歳及びここからなんですけど、
大日本武徳会青年大演武会に参列のため、鎌倉より京都に御成りになるにあたって、
このPDFが非常に読みづらいです。
同行されて、8月9日に起教されるまでの間に、
大日本武徳会青年大会というのはどういう大会であったかは詳しいことは分からないのですが、
京都に岡崎の方に武徳殿という非常に大きな、非常に立派な道場と言ってしまったらもったいないような御殿があるのです。
そこで京都大会というのが毎年開催されているのですが、
過去に有名な展覧試合とか全部そこであったのです。
その時に私が記憶しているのは、昭和天皇が皇太子様であらせられた時に一度おなりになっているのです。
展覧試合というのは参加するだけでも大変な試合なのですが、
参加したメンバーに私の高校時代の師匠である松本一条先生の名前があるのです。
戦前の話です。そういうことがポツポツと出てくるのです。
よく鎌倉にいらっしゃるお小さい頃、島づけの別邸でありましたり、京都にもよく行かれました。
ご両親殿下がヨーロッパに御訪問される時に、神戸港から出港されて船で行かれました。
その時に京都御所にお泊まりになり、翌日神戸港までお見送りに行かれました。
神戸港にお泊まりに行かれました。
神戸港にお泊まりに行かれました。
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