津島神社祭礼の概要
毎度、ごりです。
今日は、2023年7月18日、火曜日ですか。
先日の日曜日に、地区の祭りがありまして、
それの当番ですね。当番員というのが結構な人数を集められるんですけども、
それをやってました。だいぶ疲れましたね。
ちょっとその祭りの話をしてみようかなと思います。
ごりの堂々巡り、よろしくお願いします。
地区の祭りというのがですね、
津島神社というね、小屋城がありまして、そこの神社の祭典ということになります。
このお祭りがですね、
まあ、調鎮祭りってね、地元では言ったりするんですけども、
山道にね、地区の人が納めた調鎮を並べて飾って、
それで、みんなそこにお参りをして、寄付をね、納めたりとかね、そういうことをしているんですけども、
まあ、そういうお祭りの元々はね、神社がね、別の場所にあったんですね。
これがね、この地区で瀬戸山という山が昔あったんですけども、
今はね、全くその存在が確認できないですね。
その山自体が全くないんですね。
完全に切り開かれて、本当に平坦なところになっております。
気持ち高台になっている場所もありますが、本当気持ちだけですね。
山らしい姿は全くないんですけども、
瀬戸山という山の中腹に津島神社というのが昔あったそうです。
その津島神社の祭典というのは、この7月のお盆、旧暦の7月ではなくてね、今の新暦の7月でやってしまっているんですけども、
多分昔は旧暦の7月にやってたんだと思うんですけども、
そのお盆の時期に、
蝶神をね、飾って、みんなそこにお参りをすると。
これが山の中腹にあったということですから、
東海道ですね、旧東海道。旧東海道から見てずっとこう、
山門から上に蝶神がずらーっと並んでいて、
上に蝶神がずらーっと並んでいく風景をね、想像すると、
とっても幻想的で、いい感じだなというふうに思うわけですね。
今はね、その山もなく、山道は一応あるんですけれども、
もうその山道も周りが住宅だらけになってしまって、
本当にお家の前に蝶神を飾らせていただくような形になってしまいました。
まあ、それでもね、地区のみんなが大切にしているお祭りの一つだとは思います。
蝶鎮の飾りと提灯祭り
このお祭りで飾る蝶神というのは、その地区で子供が生まれたときに、
その年にその子供の名前を書いた蝶神を作って、
その津島さんに納めるというのが、決まりではないんですけれどもね。
まあ、風習、習わしですかね。
まあ、よそから引っ越してきた人たちなんかは、引っ越してきたときに、
そういうお祭りがあるんだったら、うちも作ろうかということで作ってくれたりもしております。
まあ、そんなに高い蝶神ではないんですけれどもね。
それを納めると、このお祭りのときには館主さんがやってきてですね、
祭事を取り行ってくれるんですね。
まあ、それが一つの儀礼というか儀式的なものがあって、
まあ、地区の一員みたいな、別に誰もそんなことこだわってないんですけれども、
まあ、地域の神社ですから、それで名前を覚えてもらうというのがある気がしますね、僕としてはね。
で、このお祭りなんですけれども、
宮司さん以外は、新職以外は全部地元の人たちで準備をします。
坂木の準備ね。
本当におやしろの掃除からね、何から全部やります。
で、電線ですね、このコード、電気のコードをやるのも自分たちでやるんですけれども、
まあ、そこはね、一応プロが、地区には何人か電気屋さんとかいますから、電気工事関係でできる人がいるので、
そういう人にお願いをして、お手伝いをしてもらってね、
電線をずらーっとね、長いコードをつなげて、
まあ、そこに電球をつけてね、やるわけですけれども、
まあ、なかなかね、ここの準備も大変で、
今回、改めてビデオを撮ってましたね。
まあ、それで少しでも残ってくれればいいのかなと。
もしね、わかる人がいなくなってきても、こういう風にやるのかってビデオが残ってればいいのかなとは思いますけれども、
まあ、こういう映像とかね、僕が今こうやって喋っているのも一つの民族楽の資料になればなとは思いますけれども、
まあ、ちなみに今回ね、準備していて、この蝶鎮、飾る蝶鎮に関してですけれども、
まあ、蝶鎮って紙でできてますんでね。
で、飾れるやつ飾れないやつっていうのを、僕が係になった人間が目で見てね、判断するんですけれども、
まあ、結局、破れ蝶鎮というかね、お化け蝶鎮みたいになっちゃったやつは、さすがにちょっと飾るの忍びないわけですよね。
虫に食われたりとか、カビが生えたりとか、雨に濡れて破れちゃったりとか、風に吹かれて中にぶつかって穴が開いちゃったりとかっていうのがね、
あると、まあちょっとそれはもう廃棄処分にしましょうかっていう形でね、やるんですけれども、
今回ね、こう一個一個みんな担当になった人たちが蝶鎮を開いて、大丈夫かなってやるんですけれどもね、
僕、2、3個目だったかな。パカッてやったらね、自分の名前が出てきました。
もう約50年経ちますかね。きれいなもんでしたね。
僕、兄弟3人ね。僕入れて3人兄弟ですけれども、もう上2人の分はもうないです。
雨に濡れてかなり色が薄くなったりしたような気がします。
たまたまね、僕のだけ濡れてない。まあこれ運が関係するわけですね。
雨に濡れない場所にあるとか、たまたまこの電気の高度が足りなくて飾れなかったりとか、飾れなかったから雨に濡れなかったとかいうことがあるわけですよね。
まあそういうことが重なって、僕のは相当古い。古いですかね。50年ですからね。
なかなか珍しい。え、すごいね。こんな古いので服残ってたねってね。みんなも笑ってましたけども。
お祭りの変遷と記録の重要性
まあ50年以上の人もあると思いますけどね。それでもやっぱりだいぶ提灯の数が減ってきたかなとは思うんですけどもね。
まあこの提灯祭り、本当に昔ね、僕が子供の頃はあんまりいいイメージがなかったんですね。
なんでかっていうと、みんなお祝いにお酒を持ってきてね。
本部の人ですね。この当番員、当番長って呼ばれる人たち。
当番長、副当番長っていうのがいるんですけども、この人たちが接待、受ける、接待する。
本部は酒盛りなんですよね、昔ね。今コロナでそういうことなくなったんですけども。
なんで子供の頃はね、あの祭り行くと酔っ払ったおじさんたちがいっぱいいてね、ちょっと嫌だなーなんて思ったのもありますね、記憶にはね。
なんでみんなが酔っ払うよりもちょっと早め、ちょっと暗くなるよりもちょっとね、まだ明るいかなっていうぐらいに行くとまだそんな酔っ払ってませんからみんな。
早めに見に行くっていうのがね、自分の中ではありましたけども。
まあこれ子供がね、提灯見に行くとお菓子もらえたりね、アイス配ったりとかしてるんで、まあそれ目当てで子供は行ったりするんですけどもね。
うん、まあ楽しい、まあ本当に静かですよね。別に音が流れることもなく、ただただみんな静かに提灯見て、
あ、自分の名前まだ残ってるよーなんて言ってお参りをしてね、帰るわけですけども、ただそれだけのお祭りなんですけども、
まああとはね、子供みこしということで、津島さんで魂入れたおみこしが町内を巡るというね、そういうこともやってます。
ただね、これもコロナだったりとか、まあ最近だと熱中症の関係もあるので、昔僕たちがね、子供の頃のようにほんと全域を回るってことはなくなって、
まあちょっとね、ルートが短くなってますね。で、参加する子供の数もだいぶ少ないです。
子供自体はもっといるはずなんですけども、おみこしに参加してくれる子供ってのはほんと少なくなりましたね。
僕は結構こういうのは出てたんで、わっしょいわっしょい言って、大きな内輪で仰ぎながらとかね、あと太鼓叩いたりとか、いろいろやった記憶があるんですけどもね、
今はもう太鼓も叩かなければ、内輪で仰ぎながらみたいなのもなくなって、わりとのんびり歩いているような感じですかね。
どちらのおみこしも担がなくて済むようにリアカーに乗せられたりとかしてます。要所要所で担ぐみたいですけどもね。
ちょっとね、大人しいお祭りになりましたかね。
でもね、時代の変遷とともに変わるのも当然だと思いますので、
まあ、なくなってしまうならね、なくなってしまうで、それも時代なんだなとは思いますけどもね。
まあ、なくなったとしても過去にこういうことをやっていたっていう記憶は残ると思いますので、
まあ、デジタルの塵になってしまうかもしれませんけどもね。
まあ、そういう記録をね、残していけたらなと思いますね。
まあ、今年はこの津島さんのお祭りを筆頭にね、この後、盆踊り大会、
そして、秋は八幡宮のお祭りと。
で、年を明ければ岩田神社というね、またこれも神社のお祭りとあるんですけども、
まあ、この中で岩田神社は僕は当番ではないんですけども、
八幡宮ですね、これに関しては内子壮大ということで、もう勝手に順番で選ばれてしまっているので、
今年と来年と2年間、内子壮大ということで、
お祭りの時にはね、スーツを着て出なきゃいけないということでね、
伺っております。
まあ、実際何をするのかは全く分かっていませんけども、
まあ、これも先輩方、子供たちに話を聞きながらね、
また歴史を受け継ぐことができたらなと思っております。
そしたら今日はこれで終わります。
それではまた。