1. 古代の福岡を歩く
  2. S1 16回目は神功皇后が熊襲..
2016-01-16 29:51

S1 16回目は神功皇后が熊襲の一味、羽白熊鷲討伐の話です。

仲哀天皇が急死した後、神功皇后は熊襲の一味、羽白熊鷲を討伐に甘木・朝倉方面へ兵を進めます。
一行は御笠川沿いに進み、大野城市の御陵宝満宮に立ち寄り、三笠の森を通過し、さらに太宰府市のかまど神社にお参りします。
ここで注目されるのは、御陵宝満宮とかまど神社のご祭神。二つの神社に共通するご祭神は玉衣姫、つまり神武天皇の母に当たる人。
そういう神が祀ってあるところを神功皇后は通っているのです。
そして朝倉方面へと向かった。
後の時代、白村江の戦いで敗れた日本へ唐と新羅の連合軍が攻めてくるというので斉明天皇が陣を張ったのが朝倉の地。
ここには天智天皇、天武天皇もやってきています。
つまり、ここは「歴代の天皇が守らなければならない、何かがあったのでは」と思われる、と「神功皇后の謎を解く」の著者、河村哲夫さんもいいます。
そう言えば、熊襲の一部の反乱を制圧するために、どうして仲哀天皇と神功皇后がはるばる九州までやってきたのかもちょっとした謎です。
(写真は神功皇后の兵が武器を研いだところといわれる筑前町の砥上神社)
「古代の福岡を歩くレポート」
筑前町の「仙道古墳」(6世紀後半・古墳時代の終わりごろ)は装飾古墳で、石室内に赤や緑の○◎△などが描かれています。
おもしろいのは二重の濠に置かれていた「盾持武人埴輪」。
公園整備された古墳にレプリカが配されてますが、なかなかかわいらしいビジュアルなんです。
また、円筒の上部が王様の冠のようなギザギザになった埴輪も!筑前町教育委員会の平嶋文博さん曰く「ここの古墳には一つとして同じ形の埴輪がないんです。
わざとなのか、同じものを作る技術がなかったのか、それは不明です」と。
九州最大の前方後方墳「焼の峠古墳」(3世紀後半・古墳時代の初めごろ)も公園整備されています。
また、古代ではありませんが「大刀洗平和記念館」も、ぜひ訪れていただきたい場所です。
さきの戦争の時代に何があったのか、その事実を伝えるこの施設。
副館長の寺原裕明さんも「これから先、戦争体験者は減る一方。戦後70年とかの節目の年ではなく、1年1年が大切。きちんと取り上げ、考えてほしい」とおっしゃってました。
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