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武蔵先生に感動した一行 五輪書
2026-04-03 17:21

武蔵先生に感動した一行 五輪書


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00:05
みなさん、おはようございます。 今日は4月の3日、金曜日でございますが、
風の巻、原文を読んでまいります。
序でございます。序章の序ですね。
序。兵法他流の道を知ること。
他の兵法のルルを書き付け、風の巻として、この巻に表すところなり、
他流の道を知らずしては、一流の道、確かに脇前がたし、
他の兵法を尋ねみるに、大きなる太刀をもって強きことを先にして、その技をなす流れもあり、
あるいは小太刀といいて短き太刀をもって道を務る流れもあり、
あるいは太刀数多く巧み、太刀の構えをもって表といい、奥として道を伝うる流れもあり、
これ皆誠の道にあらざることなり、この巻の奥に確かに書き印、
前悪是非を知らするなり、風の巻と書いて風の巻なんですが、
他流との比較の巻になっていますね。
確かに大きいことはいいことだ、の時代もありましたし、
小さいことがいいというふうに、そちらに特化している人たちもいるでしょうし、
太刀の数、太刀の数といったらビジネスの数であったり、
お店の数であったり、不動産の数であったり、いろいろすると思うんですけれども、
それをどういうふうに考えるかという結論は、
この巻の奥に確かに書き印、書き表しでしょうかね、書き印と書いていますね。
次の部分に読んでまいります。
我が一流の通り、格別の儀なり、他の流、流流でしょうかね、
03:04
芸にわたって身、身、杉、杉のためにして、色を飾り、花を咲かせ、
売り物にこしらえたるによって、誠の道にあらざることか。
これは本当にそうですね。
また、世の中の兵法、剣術ばかりに小さく見立て、太刀を振り習い、身を利かせて、
手のかかるるところを持って勝つことをわきまえたるものか。
いずれも、確かなる道にあらず、他流の不足なるところを一つ一つこの書に書き表すなり、
よくよく吟味して二刀一流の理を言うべきものなり。
これね、弁章の弁、弁って書いて、言うべきものなりってひらがなで書いてあるんですけれども、
なんて読むんでしょうね。
その後、一つ一つに対して解説が入ってまいります。
先ほど私が感動した一文ですね。
色を飾り、花を咲かせ、売り物にこしらえたるによって、誠の道にあらざることか。
っていう部分なんですね。
これはね、もうつくづく思ったんですよね。
今年に入って、念頭に先輩のところに遠征させていただきに、こちらの学生たちと一緒に故郷に帰った時です。
相手は全国の医学部の中でも屈指の強豪校ですよね。
そこに弱小の我が県の医学部が挑むわけですから、
鬼ヶ島に攻めるような気持ちで行ったんですけれどもね。
もう最初から手の内を先輩は明かしてくださったんですよ。
我々はこういう稽古をしてるんだって。
いつも通りに先輩、稽古していただいて、それに入れさせていただけませんかというふうに頼んであったので、
06:05
そうしてくださったんですけれどもね。
最初の1時間はすぐぶりばっかりです。
だから大半の高齢者の稽古って言ったらね、自稽古という立ち合いの稽古ばかりなんですね。
それをさらに上の先生で立ち合いばかりが好きな先生が批評してるんですね。
私にはそれが演技指導のようにしか映らなくなったんです。
その先輩のところに稽古に行って帰ってきてからね。
それでまた故郷の先生にお電話を差し上げて、先輩より4つぐらいお年上の方ですね。
私が高校1年生の時に臨時として、新任として入られた先生ですけれども、
その先生にお電話を差し上げて、こういうことがありましたということで、びっくりしました。
そうか、今気づいてよかったねということだったんですよ。
だから先生にきつい基本を何回も指されて、その意味がやっと分かりましたというふうに申し上げたんです。
もちろんその先生は八段ですね。
私にその手の内を明かしてくださった先輩も八段です。
一方、同じ八段の先生でも、立ち合い稽古ばかりを批判する先生もいらっしゃるんですね。
私が故郷の先生にお電話して、こういうことがありました。
もうやっと分かりましたって申し上げたんですよ。
そうなんだよ。
素振り、切り返し、もう完璧な基本ですよね。
その2つができて初めて防具をつけさせてもらえる。
2年後ぐらいに防具をつけさせてもらえるというのが、本来昔からそういうのが剣道だったんだけれど、
それがもうなくなってきてしまっているけれども、
本当はそうなんだよ。
いくつになってもそれができなければ、何をしたって無理だよって。
今は分かってよかったねというふうに、故郷の先生に言われましてね。
09:04
本当に長い間、無駄なことばかりしてました。
だからそこがね、できてるものとできてないものの違いなんて、もう立ち会いする前から分かるんだからっていうふうにね、言われた時にはね。
やはり同じ八段の先生でも、その先生が運転する、この先生はと思う先生が運転する電車に乗らなければいけないって、もうつくつく思いました。
もう途中でね、我々は乗り換えることができるんだから。
間違ってるって思ったら、もう一目散ね。
もう別にその義理とかね、そういうことは関係なく、それがその先生に対する礼儀だと思うんですよ。
いやいや言ったりね、疑問を持ちながらね、そこの稽古に参加したりね。
そんなことするぐらいなら、パッと飛び降りて、向かいのホームの、自分の行きたいところに連れて行ってくれる先生が運転する電車に飛び乗るべきだと思うんですよ。
ここでね、武蔵がまさに私の気持ちを言ってくださったというか。
田野瑠々、芸にわたって見過ぎのためにして、色を飾り花を咲かせ、売り物にこしらえたるによって誠の道にあらざることか。
もう本当に胸がスカッとするような一文でございますよね。
みなさまも、一郎が今も素振りをされているという事実。
そして力士が現役の間は、毎朝汗だくになって、朝稽古をし至高踏み、鉄砲をするその事実をね。
我々はちょっと技術ができたら忘れてしまうんですよね。
しんどいから。でも見える人には見えるんですよね。
尊教の仕方で見えちゃうんですよね。
それは私が尊教の時にぐらつき始めて初めてわかった事なんですが、仲間の一人にもう垂直に降りる素晴らしい尊教をした。
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ずっとずっと若い男の子がいてたんですよね。しかもずっと休んでるのに。
その子を捕まえて聞いた時に、実はこういう基本の素振りをしていると。
まあその時はレースウェアを浴びた気持ちでしたね。
昨日もね、夫に言われたんですよ。
去年でしたか、一昨年でしたか、5月に初めて京都の八段審査会場に見学に行ったんですね。
その時に夫にもついて行ってもらったんです。
宮堂川からの視点で見てもらったらね、もうね、古典版でした。
剣道に関しては古典版に言われました。
剣道の家の字も知らないんですよ、夫はね。
でも古典版に言われました。
それをね、昨日ね、私はメモにしたんですよ。
メモ取ったんですよ、夫が喋ってるのに。
えーとね、宮堂川は自分がどうあるべきかが分かった上で道場に入り稽古する。
剣道家は相手を倒すことしか考えていないのではないだろうか。
相手を倒す前にね、どのような剣道家になりたいのか、自分はどうあるべきなのかが抜けている気がする。
そういうのが伝わってこなかった。
みんな自分勝手に自分のことしか考えていないように見えた。
多分そこら辺ができている人が合格するのだと思う。
八谷ね。
もう全然ね、それが見えなかったと言うんですね。
それはどうしてって聞いた時に、宮堂の場合は稽古をする時にですね、
講談者も会の者も全員がね、その場のね、空気を作り上げることに協力するんですって。
これ茶道の精神に似てません?
似てますよね。全くそっくりですよね。
で、そのね、場の空気っていうのを作り上げるっていうことを、
15:07
が、あの剣道の道場には見られない。
びっくりしてしまって笑ってしまったって言うんです。
で、道場に一歩入ったら、そういうことが行われている宮堂の世界と、
その道場に入ってから準備をする剣道の違いだとは思うんですけれどもね。
そんなことは花道の奥で作り上げ、作ってきてくれというのが宮堂家の言い分なんですね。
ですので、夫曰く、もう最後の仕切りのところで変身して顔に力が入るような力士は、
何なんだって思って、力入りすぎてるやんかと。
そういう気合は花道の奥で作ってこいや、みたいな。
そこら辺でね、宮堂と剣道の格差っていうんでしょうかね。
それを感じてしまったんですね。
かつては剣道にも袴の触れる距離で人とすれ違ってはいけないとかね、
先輩の前を横切ってはいけないとかね、その後ろを通るときの作法とかね、
そういうことね、道場内での所作っていうのは細かく決められてたらしいんですね。
それが今はもう全部なくなっておりますね。
体育館として生存してるんでしょうかね。
そういうことを、去年一行、武蔵先生の一行にちょっと感動しちゃったので、
ちょっと止まってしまいましたが、
次は帰ってきたら第1章4に進めたいと思います。
では皆様、今日も素晴らしい一日にしていただきたいと思います。
ではごきげんよう。
17:21

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