初稽古の経験
朝稽古の初稽古でした。
先生の、今年1回目のお話なんですけど、非常に興味深かったです。
下半身と上半身のパワー、力が入っているというんじゃなくて、
きちっと収まって、安定しているというんですか、大木のごとく。
それが、下半身と上半身で分かれちゃってるんですね。
下半身には安定感があるのに、上半身に全く安定感のない人。
それとは逆に、上半身安定感あるのに、下半身に全く安定感のない人。
あるらしいんですね。
ある人に対しては、下半身が安定しているのに、
ある人に対しては、下半身が安定していない人。
そういう人がいるらしいんですね。
その違いを、先生は見極められるんですが、
我々は、そういうところまで注目できているだろうか、と考えたんですけど。
常々、左拳と左足の収まりというのを、
研究しなければいけないということを、しっきりにおっしゃるんですよ。
きちっと鏡を見て、袴のラインがどうなっているか。
きちっとした底面積の重心の上に、自分の上半身が乗っかっているか。
そういうことを常に研究しなさいということなんです。
常に、稽古の時、稽古の道場の鏡の前だけでするのではなくて、
常にしなさいとおっしゃいましたね。
ということでした。帰ります。
出稽古の準備
ここからは、武蔵の五輪の章を読んでいきたいと思います。
帰ってまいりましてね。
今日はちょっと休養の日にしたいと思っているんですが、
月末に出稽古がございますのでね。
本当に40年ぶりぐらいの出稽古なんですよね。
その戦犯にかかっていくのが。
まさかという感じではあったんですけれどもね。
ですので、お正月サボった分を期待直さなければいけないのでね。
ちょっとお待ちくださいね。
失礼しました。
しばらく休んだり、喋ったりの繰り返しなんですけれども、
昨日は、画学の発表会がございましてね。
発表会というか演奏会というか、
プロの中に混じって、私一人アマチュアが入ってたんですけれども、
非常に素晴らしい、新しい能楽堂なんですね。
そこを観客としても入ったことがないんです。
もちろん本当の能舞台に、
花道からね、ずっと歩いて入るということは、
一生の間に一度歩かないかだと思うんです。
私の立場でしたらね。
そういう体験をさせていただいて、
私自身が考えていた完全アンプということは、
ちょっとできなかったんですけれども、
本当にいい体験をさせていただいて、
昨日の夜だったんですけれども。
で、今朝はどうしても初稽古でしたので、
朝稽古の初稽古でしたので、
どうしても行きたいということで、
夫のお弁当を、
昨日帰りはね、ちょっと遅かったので、
もう悪いですけれども、
お弁当を買ってと言いまして。
もうね、お夕食も自分でしてもらって、
材料だけこれこれ揃えておいてって言われて、
揃えて、お昼頃飛んで行きましたのでね、
もう帰ってきたら8時半頃でしたので、
それから何もできずに、
バタバタだったんですけれども、
まあこういう経験を一つ一つね、
クリアしながら、
アンプを繰り返しながら上達していくしかないのかな、
というふうには思いますね。
私が望んで始めた、
稽古ではないんですよね、画学ね。
導かれたっていうしかないと思うんですね。
でもハマってるんですけれどもね。
でもまあ感謝しながらも、
ちょっと画学の楽譜は、
しばらくは置いておいて、
ちょっと休養したいと思います。
武蔵の教え
長々としゃべりましたが、
五輪の書の続きですね。
八つ目です。
火の薪と書いて火の薪の八つ目ですね。
一つ、敵の身になるということ。
敵の身になるとは、
己を敵に置き換えて思ってみようということである。
世間を見るに、
盗みなどをして家の中に立てこもったようなものであっても、
強いと思い込むものである。
敵の身になって思えば、
世間の人みんなを相手にして逃げ込み、
どうにもならない心である。
立てこもったものは棘であり、
打ち止めるべく這えるものは鷹である。
よくよく考えを巡らすべきである。
すごいですね、すごいです。
確かにね、
立てこもり事件というのは、
昔から何度かテレビ中継されたりね、
悲惨な事件がいろいろありましたね。
遠くは浅間産総事件ですね。
それから以降、
三菱銀行事件もございましたね。
支店長が亡くなりになりましたね。
すごかったですね。
その時に立てこもっているものの身に置き換えて、
敵の身になるということ。
立てこもっているものはどういうふうに思っているかということですよね。
世間の人みんなを相手にして逃げ込み、
どうにもならない心である。
立てこもったものは棘で、
打ち止めるべく這えるものは鷹である。
素晴らしい表現ですね。
多くはその一人の騎士に対してね、
100人がかりぐらいの鷹が行くんですけれどもね。
ただその後、
一対一の戦いと合戦の戦いのことを
武蔵は書いておりますね。
他人数の合戦にしても
敵勢となれば強いと思って
大事をとって消極的になりがちである。
敵と思ったら、相手を敵と思ったら消極的になる。
向こうも本気だし、こちらも本気だけれども、
相手を敵だと思ったら消極的になってしまう。
しかし、
味方は常に有能な軍勢を持っており、
冷静に考えるとですよね。
味方は常に有能な軍勢を持っており、
勝つ理をよく知って、
敵勢に勝つことを十分に大得しているのであるから、
優良すべきではない。
こういうところのリミッターの外し方っていうんですか。
武蔵先生に直々にお会いしたい。
教えをこいたいですよね。
その後、1対1の戦いにおいても、
相手の身になって思うべきである。
相手は兵法をよく心得て、
勝つ理に明るく、
兵法の道に熟達した者と戦うのだから、
必ず負けると思っているだろう。
どこかで。
そこを考えたことはないですね。
どこかで一瞬の隙って生じますよね。
そこをやられはしないかということを、
ものすごい剣士であっても、
一瞬疑ったりすると思うんですよね。
するものだと。
こちらも一応稽古してるし。
というふうな、
段位とか実績とかで大差があっても、
その時点において、
どちらが稽古しているかによって、
だいぶ違ってきますもんね。
その師匠の釣り合い具合が。
もうカタンと尻餅をついて、
先生を見上げるような状態でも、
先生も一応必死で来る我々、
ということは認識してるわけですよね。
だから、
そういう相手を先生だとして、
敵を先生だとしたら、
その敵である先生の心というものに、
入っていって見せていただいた場合に、
どこかの不安はあるだろう。
そう思えって、
おっしゃってるんですよね。
もうとにかく、
捨て身で行けとか、
線を取ることに、
専念制度とか、
もう行く前から100%、
捨て身の時は、
行く前から捨て身なんだと。
そういうふうな、
先ほどもちょっと述べましたが、
恐怖のリミッターというのが、
外れてるんじゃないかって、
思うような、
表現があちこちに出てまいりますが、
非常に、
ここら辺面白い場面ですね。
もっと読みたいんですが、
次ここの詰めは、
四つ手を離すということ、
というふうなところに入ってまいりますが、
これはまた次回にしたいと思います。
では皆様、ごきげんよう。