2025-12-11 17:28

五輪書 #25


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サマリー

五輪書の火の巻きでは、戦いの兵法に関する理や技術が述べられています。特に、一人で複数の敵に勝つための考え方や稽古の重要性が強調されています。また、戦闘における位置取りや心構え、敵を追い詰める際の戦略についても深く掘り下げられています。

00:04
みなさん、こんばんは。
えっとね、なんかね、音声ちゃんと入っているでしょうかね。
火の巻きの概要
本日は、五輪書の火の巻き、火の巻きと書いて、火の巻きに入っていきたいと思います。
これ何でしょうね。大丈夫かしら。
と、例に倣いまして、こちらの方も、序っていうのから始まってますね。
序文ですね。
二刀一龍の兵法、戦いのことを火に思いとつって、戦い勝負のことを火の巻きとして、この巻きに書き表すなり。
まず、世間の人ごとに、兵法の理を小さく思い出して、あるいは、指先にて手首五寸三分の理を知り、あるいは扇をとって、肘より先の戦後の勝ちをわきまえ、
戦後の先、戦後の勝ちをわきまえ、または、しないなどにて、わずかな早き理を覚え、手を聞かせならいい、足を聞かせならいい、少しの理の早きところを戦とすることなり。
この最後に出てきた戦とすることなりの戦は、戦文の戦を書いてますね。
この時代にも既にしないがあったということですよね。あんまり小手先とか刀だけとかしないだけとか、そこだけじゃないと、手を聞かせならいい、足を聞かせならいい、少しの理の早きところを戦とすることなり。
やっぱり足なんでしょうかね。本当にね、小手先ばっかりやってもダメよというふうなことを書いてらっしゃいますね。
訳文の方を読んでみますね。
あるいはしないなどによるわずかな早さの価値や、手や足を素早く運ぶことを知って小さな価値の早さを重んじている。
ちょっと違いますね。
ちょっと読んでみます、その先をね。
短練を得るに小さきこと弱きこと思い寄らざるところなり。
ことに六具固めてなどの理に小さきこと思い譲ることにあらず。
戦いの稽古と勝利の技術
されば、命を計りの打ち合いにおいて、一人して五人、十人とも戦い、その勝つ道を確かに知ること、我が道の兵法なり。
然るによって、一人して十人に勝ち、千人をもって万人に勝つ道理、何の差別あらんや、よくよく吟味あるべし。
去りながら常々の稽古の時、千人万人を集め、この道しならうこと、なることにあらず。
一人たちをとっても、その敵敵の智力を計り、敵の強弱、手立てを知り、兵法の知徳をもって万人に勝つところを極め。
この道の達者となり、我が兵法の時期と世界において、誰かへん、またいずれか極めん、と確かに思いとつて、
長短積蓮して、磨き果たせてのち、一人自由を得、自ら既得を得、通力不思議あるところ、これ戦として法を行う意気なり。
ちょっと難しくなってまいりましたね。
ちょっと訳文読んでみますね。
私は何回もの勝負に一命を懸けて打ち合い、生きるか死ぬかの勝利を見分け、太刀の道筋を体得し、
相手の打つ太刀の強弱を知り、太刀の刃や峰の道筋を心得、相手を打ち据える稽古を積んだので、小さなこと、弱いことは思いもよらない。
ことに、甲冑に身を固めた合戦における勝利において、小さなことを思い出しはしない。
命を懸けた打ち合いにおいて、一人で五人あるいは十人の相手と戦って、勝つ道をしっかりと体得することが、我が二天一流の兵法である。
一人で十人の敵に勝利と、千人で万人の敵に勝利に、何の違いがあろうか。
よくよく考え尽くすべきである。
だが、普段の稽古のとき、千人万人を集めて戦いの道を修練することは難しい。
一人で太刀を取っても、その時々の敵の知略を押しはかり、敵の強弱や手立てを知って、兵法の知恵の働きによって万人に勝つありようを奥深く追求し、戦いの道の熟達者となる。
誰が兵法の真っ直ぐで正しい御訓を体得するのか、誰が極めるのか、と心を定めて朝に夕に稽古を積み、兵法の道を鍛錬し終え、
自在さを得得し、資料を超えた能力を自ら体現し、見事な働きをする、それが武士として兵法を修練する気概である。
薬文を読んだら納得するんですけれどもね、ちょっと原文を読んでスッと頭に落とし込めなかったですね。
そういう場合は何回も読み返すしかないと思うんですけどね、私の場合。
本当に一瞬で分かる時もあるんですけれどもね、何回も読まなければ分からない部分も出てまいりますね。
かぬ巻のもう一つ読んでみます。
場の次第ということ。場の次第って何でしょう。場面が変わるということでしょうか。
暗いとも。次第っていうのは暗いとも読めるみたいですね。
場の暗いを見まくるところ、場において火を追うということあり。
ああ、なるほどね。戦う場所ですね。
太陽を後ろにして構えなさいと。
もしところにより火を後ろにすることならざるときは、右の脇に火をなすようにすべし。
自分の右手にお日様を持ってくるように。
座敷にいても明かりを後ろ。右脇となすこと同様なり。
座敷において正座するときも明かりを後ろにしなさいということですね。
後ろの場はつまざるように。
後ろが壁とかにならないようにということですね。
左の場をくつろげ。左に空間を大きくとって。
右脇を詰めて構えた木。
右脇を詰めて構えた木。
右脇を詰めて構えた木。
ことなり。
右脇を詰めて構えたいと。
夜にいても敵の見えるところにいては、火を後ろにおいて明かりを右脇にすること同様。
前言ってことと同じということですね。
と心得て構うべきものなり。
火を後ろにするというのは意識していたのですが、右手に持ってくるというのは初めてです。
知りませんでした。
よくよく心得て構えたいと思います。
敵を見下ろすといいて、少しも高きところに構うように心得べし。
座敷にいては上座を高きところと思うべし。
はあ。
身を下ろすように、ちょっとでも高いところに構えるようにと。
座敷、室内においては上座の方が高いと思うべし。
なるほどね。
上座、でも後ろに床の間が一番上座になりますけれども、上座を背にして床の間は多少空間になってますよね。
あれって意味が、そういう意味だったんでしょうかね。
今ちょっとびっくりしました。
戦略と位置取りの重要性
さて戦いになりて敵を追い回すこと。我が左の肩へ追い回す心。
左の方に追い回せと。
左の方に追い回すということは。
何章敵の後ろにさせ、いずれにいても何章へ追い隠ること、勧誘なり。
敵に場を見せずとといて、敵に顔をふらせず、油断なくせり詰むる心なり。
油断なく攻めて詰めなさいと。
座敷にいても敷居、鴨居、障子、園など、また柱などの肩へ追い詰むるにも、場を見せずということ同然なり。
相手が左右を確認なんかできないぐらいのスピードで追い詰めなければいけないということですね。
いずれも敵を追い隠る肩、足場の悪きところ、または脇に構いのあるところ、脇に何か壁か何かがあるところでしょうね。
いずれも場の得を用いて場の価値を得るという心のもっぱらにして、よくよく吟味し、鍛錬あるべきものなり。
我々はコートの中で試合をするわけですが、この時代の武士というのはどんな状況に対しても勝たなければならないということで、そういう稽古を常日頃やっているということですよね。
だから攻め合いに負けてジリジリ、ジリジリ、下がジリジリ、ジリジリ、下がるようなのでは絶対にだめだということですね。
その間髪を入れず猛スピードで追い詰めろというふうに書いてますね。
左の肩に追い回す心、左の方に追っていけということですね。
左の方に追っていけということは、なぜ右の方に追っていってはいけないのか。
右の方に追っていったら、右利きの場合は左の方に追い込んだ方が打ちやすいですね。
右の方に追い込まれたら打ちにくいですね。顔をずっと右に回したらよく分かりますね。
ということは、自分は相手の右に来るように、追い込むときは左に追い込むということですね。
ちょっとびっくりするようなことが書かれてありました。
雑音がいっぱいありましたが、申し訳ございません。
画学の発表会が迫っておりますので、ちょっと頑張ってみたいと思います。
焦っておりますが、皆様も焦っている方は頑張ってください。
ではごきげんよう。
17:28

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