2025-10-30 26:21

五輪書 #7


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サマリー

五輪書の第七章では、菊の石穀や旧暦のお祝い、武具の理について語られています。特に、武道における納刀とわきざしの違いや、戦の精神について深く掘り下げられています。このエピソードでは、武士道と武具の使用に関する重要な教訓が語られ、実戦における適切な道具の選択とその使い方が強調されています。また、技術と戦略の重要性についても触れられています。

菊の石穀と旧暦のお祝い
こんにちは、昨日はちょっと配信できなかったんですけれどもね、非常に慌ただしくしておりまして、
一つは腸用の石穀であったということと、もう一つは、今年の新米が取れて、
昨日、その米を一年分引き取りに行ってまいりましたので、
何だか慌ただしくしておりました。慌ただしいとはいえ、お祝い事が二つ重なるということは非常に楽しい一日でもございましてね。
早朝から、昨日は多分ずっとお天気だったので、毎年腸用の石穀の前の晩にね、
一本立ちの菊を、赤・白・黄色・赤と用意しまして、3本ずつですね。
3という数字がね、非常によく出てくるんですよね、稼働でも。
父がね、長さを一発で3に3分割できる方法を見つけたらすごいぞとか言ってた記憶もあるんですよね。
だから3って、なんかあるんでしょうね、きっとね。3はよく出てきますね。
まあまあ、あの、茶道でも花道でも3はよく出てきますね。
太古の昔から日本人というのは、その3の不思議というのを知ってたんでしょうかね。
3って不思議ですよね、確かに。
話が逸れましたが、昨日、菊の石穀ですのでね、腸用の石穀。
旧暦にいつもお祝いします。なぜ旧暦でお祝いするか言ったら、新暦の時の9月9日なんて、菊揃わないんですよ。
で、何?みたいな、どうやってやればいいの?みたいな。
菊なんて全然咲いてないし、お店にも並んでないし、これでどうやって稽古するの?これでどうやって既成綿を作るの?っていうお話ですよね。
ですのでね、お祝いは絶対に旧暦でするべきだと思いますね。
5石、特に。絶対に旧暦でするべきですね。
そういうふうにできるようになっているのに、わざわざ新暦でね、する必要ないじゃないですか。
もう絶対に旧暦でするべきです。
だって、お雛さんだってね、3月3日にしようと思ったらね、ものすごく寒いですよ。
もう2月の末に出さなければいけないんですから。
それでね、その既成綿を3色を3本ずつ作りましてね。
で、その3色の菊に、お互い違いの色の合わせ方というのがあるんですね。
で、それを合わせましてね、合わせるというか首元までね、きっちりくるんですね。
そうしましたらね、そんなに大きな菊でなくても、大輪の菊のようにね、
ふわーっと大きな大輪のように、かわいらしくね、ベレー帽をふわふわにかぶっているような感じになるんですよ。
それを前の番にね、出しておくんですけどね。
ちょっと説明しますと、黄色の菊には赤というかピンクの綿をかぶせ、
で、赤の菊には白の綿をかぶせ、で、白の菊には黄色の綿をかぶせるんですね。
で、黄色の菊に赤の綿をかぶせた、その菊に室内に戻ってきて、今度飾るときにね、菊の花の部分だけカットして持ってくるんですよ。
こう、正方形のおしきっていう、何て言うんでしょう、茶会席の時に出てくるような、ああいうのに入れてね、持ってくるんですね。
で、その時にピンクの綿の上にはね、ちっちゃな白のね、綿をのせて、白の綿の上にはね、黄色のね、綿をのせて、
で、黄色の綿の上にはピンクの綿をのせるんですね。だからこれ一つ一つがまた3色になってるんですね。
このまんまるの、お花をカットする前の状態、上にのっている小さい綿をのせる前の状態の時に、朝露をたっぷりね、キャッチしてるんですね。
うまいことキャッチしてるんですよ。で、その朝露をほっぺたにつけたら若返るというおまじないなんですね。
で、これのやりとりの様子は、紫式部日記の方に出ておりましてね。
光る君の時も出てきましてですね、道永の制裁の藤原道子が、林子と書きますね。
で、その方が紫式部に送るんですよね。和歌を添えてね。
そうなんですよね。それで和歌を添えて、こっちに向かってるよって仲間が教えてくれるんですよね。
いやーどうしよう、みたいな。和歌を返さなければいけない。どんな和歌が来るのかしら、みたいな。そんなやりとりがあって。
それで返そうと書いて、変化を返そうとしたら、またその仲間がね、仲間の女房たちが、もう出て行っちゃったわよ。
どっかにもう出ましになったわよ、みたいな。間に合わなかったじゃない、みたいな。そんなお話なんですけれどもね。
まあどう言ったらいいんでしょう。今これ飾ってあるのですが、その9個のうち6個はね、お持ちしたんです。
お花の先生に3個と、それとあと3色は、今日ね、お米を取りに行った友人のお嬢ちゃまが、娘と同級生なんですね。
喜んでくれるかどうか分からないんですけれども、持って行こうかなと思って持って行きましたら非常にウケましてね。
どうやって作るの、どうやって作るの、というお話を私と友人のそのお母様と、それとそのお嬢ちゃまと、わいわい言ってたんですよ。
そうしましたらね、この上に乗ってる、これ終わったらどうするのって言われて、
このね、菊がもうしぼんできたらもう終わりだから、上のこのね、おっぱいの乳首みたいな部分を取って、赤い布で小さい袋を作って、その中にこの3つのちっちゃい綿を入れて、
細長い実でね、今この季節にできるグミの実ってあるんですね。それを3つ取ってきて、一緒に入れて、自分の大切なもののそばに置いておくんですね。
それ真よけになるらしいんですが、去年のね、この赤の黒というのはね、ずっと使えるんですよ。だから一つ作っておいたらね、いいと思うんですね。
綺麗な紐で、私はお関羽についてきたのが、紅白のふさつきのゴムでしておりますが、もっと綺麗なね、ちゃんとしたので作ったら立派なのができると思うんですけれどもね。
こうやって見てましたらね、本当にね、大きさといい感触といい可愛らしさといいね、毎年思うことなんですが、女性の小ささに似てるんですよ。
6個は、どなたかに差し上げて、3個だけをね、台付きのお盆に飾って、テーブルの上に置いて飾っておくんですけれどもね、可愛らしいんですよ、これ。何とも言えない可愛らしさがあるんですね。
これを女性が好んだというのはね、非常によくわかりますね。
でね、ちょっと雑談が長くなりましたが、ゴリの書、読んでまいりますね。
昨日もちょっとしか進みませんでしたが、今日も小さい章、1つか2つくらいいけたらいいかなという感じなんですが、
兵法1、兵法2、武具の利を知るということであるんですね。
1つ1つ1つってこう出てきましたでしょ。
これ、この1つが2、機能が2つ目です。
武具の理の理解
これが3つ目なんですが、兵法2、武具の利を知るということ。
武具の利をわきまゆるに、いずれの武具にても、おりにふれ、ときにしたがい、であうものなり。
わきざしは座の狭きところ、敵の右はえよりて、その利を知る。
そうですよね。居合の演武なんか見てましたらね、正座したところから始まって、非常に狭いところで急に敵だということがわかって、そこで勝負が始まったんだなという場面ありますよね。
真正面、なんか束頭で左の人をついた瞬間に、その刀を取って右の人を斬って、また振り返って左の敵を斬って、
それで刀に残った血を払って納刀みたいな場面ありますよね。居合には詳しくないので、あまりよく存じ上げないんですけれどもね。
ですので、わきざしと納刀とは全然違うということをおっしゃっていて、納刀は戦場においては槍に劣る心あり。
槍は手先なり、納刀は後手なり。戦って後手ってあるんですけれどもね。後の戦とかね、先々の戦とかあるんですね。戦っていうのは先んじて打つっていうことなんですが、後で打っているように見えても戦の場合もあるんですね。
戦を攻めていなければこの技は打てないよ、みたいな。このスピードでは打てないよ、みたいな。そういう分類分けみたいなのがあるんですけれどもね。
ボクシングは相手のパンチが来るのを見切って、それより早く相手の場所を打って打ち落とさなければ勝てない。あれが後の戦ですね。しかし気持ちの上では戦の戦なんですね。戦々の戦っていうのが正解かもわかりませんが。
後の戦を打てなければボクシングも剣道も勝てないでしょうね、最終的にね。そう思います。後の戦を打つには先々の戦の気構えで四六時中いないとそれを見切るということができないんですよね。
ですので常にキーパー練習しているような状態ですね。稽古の間はボクシングも剣道もサッカーで言うなればすべてPK練習。1から10までPK練習みたいなものだと思っていただければ。
ですのでね。動体視力の勝負になってきますのでね。その相手がこっちに来るだろうと予測をつけてハンドルを切るみたいなこと。F1もそうですね。
F1剣道と空手、ボクシング、そこら辺で山を張って、山を張って勝負をするみたいなことは命を落としにいっているようなものですよね。
F1選手が至近とかカーブとか入っていくときに前の車との間合いとかスピードとか今遅いのか速いのかみたいなことを瞬間的に肌で感じて見切っていかないと
こっちに来るだろうとかそういうふうな山を張った、長か半かみたいなことで言っちゃったらね、これもう命を落としますよね。
思うんですよ。PKで反対側に尻餅をつくのだけはやめてって思っちゃうんですけれど。これを言い始めたら一回もサッカーしてない奴に言われたくないわと言われるんですけれど。
今まで何回ここで言ったやらみたいな。本当に。
そういうことでね、武蔵、武蔵やって、鼻が叱られますね。
武蔵様でございますが、ことにより詰まりたるところはその理少し。
槍も薙刀もね、取りこもり者などにしかるべからず。取りこもり者って言ったら立てこもり者でしょうかね。
どっか行って槍とか薙刀持って家の中入って行ったら、そりゃそうですよね。そんなもん、襖とか柱とか突き刺してしまいますもんね。
で、弓は合戦の場に、かけひきにも出会い、やりわき、その他者、きわぎわにて早く取り合わせる者なれば、野合の合戦などに取りわき、良き者なり。
そうですよね。家の中では使い物にならない者も、合戦場では役目を果たし。
で、白攻めなど、また敵合20件を超えては不足なる者なり。
20件ってどれぐらいでしょうか。1件がだいたい、1件って180センチでしたっけ。
それもなかなかね、最近、1件とか3件どなりとか、なんか、ね、57番、20件ね。
で、上核のうちにしては、ちょっと待ってくださいね。20件を超えて不足なる者なり。
当世においては弓は猛巣に及ばず、初芸、花多くして身少なし。
作用の芸能は勧誘の時に役立ちがたし、上核のうちにては鉄砲を敷くことなし。
野間、野戦ですよ。野合、野戦などにても合戦の始まらぬうちは、その理応し。
戦い始まりては不足なるべし。弓の一つの得は、放つ野人の目に見えてよし。
敵砲の弾は目に見えざるところ不足なり。そうですよね。
敵砲じゃない、鉄砲。
でも鉄砲にしても弾はなかなか目には見えないけれど、そっちに向かってたらそっちに行けるというか。
弓ほどはあれでしょうね、小さいところを狙えないということでしょうね。
馬のこと、強く応えて癖なきこと勧誘なり。癖の多い馬ってどんなんでしょうね。気の荒い馬でしょうかね。
そうじて、戦道具につけ、馬も大肩に。歩き、力、脇刺しも大肩に切れ。
槍、投げ形も大肩に通り、弓、鉄砲も強く損ねざるようにあるべし。
道具いかにも、肩分けてすぐことあるべからず。
あっちが好き、こっちが好きとか、こっちは嫌いとか、言ったらあかんと。
言ったらあかんと、書いてますね。
まんべんに使えなくてはいけない、でしょうかね。
ちょっと待って、59番。逆のことを言っているかもしれない。
59番の、偏って、偏ってはいけないということですね。
そのあまりたることは、たらぬと同じことなり、人真似をせずとも我が身に従い、戦道具は手に合うようあるべし。
将、卒、将軍も兵もともに物に好きものを嫌うことはろし、工夫官用なり。
武士の収めなければいけないという、11項目でしたっけ、あれの中に弓とか、舞とか花とか出てきますよね。
人取りできなければあかんということですよね。
武士道と武具の選択
工夫が、工夫しろと。とにかく工夫しろと。人真似をせずとも我が身に従い。
人真似をせずとも我が身に従い。
大体そうですよね。見切ることでも結局同他視力なんで、自分の目の筋力ですよね。
その筋力アップに努めるしかないんですよね。
ちょっと長くなったのでここでおきますが、その一兵法に部分の理を知るということだけで終わってしまいましたが、
次は兵法の拍子のことって書いてますね。調子というか拍子。
こういうのも音楽もしなければいけないって書いてますしね。
なんか相通じるものがあるんですよね。
最後にこの地の薪の締めくくりの後期の部分に入ってきます。
その拍子が終わって後期、後書きですね。
ここに非常に大事な9つの起き手のようなこと、五角のようなことが書かれております。
これは非常に面白いです。
ではもうすぐ地の薪も終わりです。
私も頑張って読んでいきたいと思いますので、どうぞお付き合いくださいませ。
ではごきげんよう。
26:21

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