00:00
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
03:02
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
06:02
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
09:02
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【読書のまにま】
【深井】なんかこれ始める前に、ジャストアイディアで恐縮なんですけど、始める前に、それってなんかじゅんさん的にどんな流れで始めて、それがなんであの形になってるのかみたいな、ちょっと聞かせてもらったほうがなんか僕も話せるかなと思ったりとか
【瀬尾】あ、そうですか 【深井】はたまたあの聞いてる皆さんも、えーみたいなところもあったりするかなと思ったりしたんですけど、そこら辺ってどうですか?
【瀬尾】それでもなんか端的に答えるのが難しいですけど 【深井】いや、端的じゃなくて大丈夫ですよ 【瀬尾】ちょっと今パッと出ることだけちょっと話しますね 【深井】はい、ぜひお願いします
【瀬尾】そうですね、なんか僕やっぱあの文学の力ってすごいなって感じてまして、でね、そのなんかね文学にやっぱり今親しみがなくなってきてる人が増えてると思うんですよ
僕多分文学と親しいんですよ、文学と仲がいいから、僕が親しいが故に自分で朗読して話すことが文学の力みたいなものをなんかこう感じるきっかけになるんじゃないかなと思って
やってたっていうのがありますけど、でもあれかな、自分がそもそもなんかやっぱり毎日本を読んでて感動することが多いんですよ、やっぱり週に1回は絶対なんかもう感動してるんですよ
12:06
その感動を分かち合いたいっていうのがあって、多分やってますね
【深井】そうなんだ、ちなみにそれは週に1回なんですか? 【瀬尾】週に少なくとも1回は感動してると思います
【深井】そうなんだ 【瀬尾】はい、もっと頻度高いかもしれないんですけど
【深井】今さっきの自己紹介では話さなかったんですけど、ここは普段同僚なんですよ
特に一緒のチームでいつも一緒にいる感じがしてるので 【瀬尾】そうね、毎日一緒に仕事してますね
【深井】オンラインではありますけどね 【瀬尾】オンラインではですね
【深井】なので結構本の話聞いてる気がするけど、聞いてる感覚、週一どころじゃない感覚ではあったので
【瀬尾】そうですよね 【深井】あ、週一なんだって思ったんですよ
【瀬尾】やっぱ心打たれてますね 【深井】打たれてるんですね、そうなんだ
【深井】良い、ありがとうございます、教えてもらって 【瀬尾】いえ
【深井】そんなことを今話してもらっている間に写真を撮り、今送り終わったので 【瀬尾】あら、ありがとうございます
【深井】じゃあちょっと、これあれですか、別にたくさん扱う必要性があるというわけではなく、いくつかやれるといいかなって感じですよね
【瀬尾】そうですそうです 【深井】わかりました
【深井】じゃあ、一旦一つでいいですか? 【瀬尾】はい、もちろん
【深井】じゃあこの、さっきお話ししてた、おさだひろしさん、世界は美しいと、という本の集の
本のタイトルと同じなんですけども、詩の名前も世界は美しいと、という詩を話してみようかなと思っております
じゃあ、いきますね
【瀬尾】良かったら、目をつむって聞いてもらえるといいかなっていう気がします
【深井】びっくりした、僕かと思った
【瀬尾】目をつむってもらうよ
はい、わかりました
じゃあ是非、もし可能であれば目をつむってもらえたらなと思っております
世界は美しいと
美しいものの話をしよう
いつからだろう
ふと気がつくと美しいという言葉をためらわず口にすることを誰もしなくなった
そうして私たちの会話は貧しくなった
美しいものを美しいと言おう
風の匂いは美しいと
渓谷の石を伝わっていく流れは美しいと
午後の草に落ちている雲の影は美しいと
遠くの低い山並みの静けさは美しいと
きらめく川辺の光は美しいと
大きな木のある町の通りは美しいと
行き会の何気ない挨拶は美しいと
花々があって奥行きのある路地は美しいと
雨の日の家々の屋根の色は美しいと
太い枝を空いっぱいに広げる晩秋の古寺の大井町は美しいと
15:06
冬が来る前の曇り日の南天の小さな赤い実は美しいと
小紫の実の紫が美しいと
過ぎていく季節は美しいと
さらりと老いていく人の姿は美しいと
一体ニュースと呼ばれる日々の破片が私たちの歴史というようなものだろうか
鮮やかな毎日こそ私たちの価値だ
美しいものを美しいといよう
幼い猫と遊ぶ一刻は美しいと
シュロの枝を燃やして灰にして撒く
何一つ永遠なんてなくいつか全て塵に変えるのだから世界は美しいと
というような内容でございました
そうですか
そうですかっていう感想はどういうことなのかちょっと気になりますけどね
いいですね
いやー
なんか北村さん的には朗読してみてどうでしたか
そうですね
なんかそうだな
多分結構この本の中でも一番自分でも読んだり目を通したり
朗読をしたりというのをしている本かもなーって思いながら読んでいたんですけど
なんて言ったらいいかなこの世界美しいとっていうタイトルですけど
この美しいとという風な言葉をかなりたくさん対応しているものだなと思っているんですけど
やっぱりなんかその時々読んでる間は結構この中に入っている感じはしているんですけど
読み終わった時の自分が瞬時に想像する美しいとという風なもののシーンというかな
光景みたいなものっていうのは結構なんか違うかもなーみたいなことを思っていて
なんか今日は何でしょうね何が出てきているのかちょっとまだわかんないですけど
ただ普段よりも周りで聞いている方がいる中で話して始めたら若干緊張感を持って
最初一回噛んだなって思ったんですけど
みたいなことをちょっと読みながら読んだ瞬間には感じてたような気がしますね
いやこの詩はすごいですわ
ちなみにすごい興味があるんですけど
それこそじゅんさんが去年の年末ですよねじゅんさんが詩集を出したの
そうですね
18:00
そういった詩も書かれているような人からした時にこの詩の
さっきすごいっていうふうな表現してくれてましたけど
そういうのがどんなところに感じるのかとかすごい単純に興味があるなと思ったんですけど
そこでどんな感じなんですか
なんかねまずねちょっとね
すごい細部の話しちゃうんですけどね
言葉をね繰り返すリフレインしていくってね難しいんですよ
ずっと美しいと美しいとって言ってるじゃないですか
なんかその繰り返せば繰り返すほどしつこくなってくるんですよ
だからねあんまり力が言葉の力が弱まっていくって感じがするんですけど
この作品はねどんどんどんどん深まっていく感じがあるじゃないですか
ありますあります
それがまず実は技術的にすごい詩だと思ってるんですよ
それは小さなことで
なんかいろいろ感じません
そうですね
なんか最初って美しいとって繰り返して話すときにちょっと違和感があるんですよ
こんな繰り返していいんだろうかみたいな感覚があったりするんですけど
それが多分なんかこの今この本で言うと3枚分の詩なんですけど
大体1枚分を読んでる時は若干美しいとって何回か何回も言ってるみたいな
感じちょっと思ってる自分がいるような気がしていて
ただ2枚目に行った時になんかすごくそれが自然になっていくみたいな
ものがあるような気がしていて
それってなんかあんまり他の詩とかであんまないかもみたいな
とかは結構今日読んでる時も感じたし
これまでもそう感じてたかもなみたいなことを思い返したりしますね
ねえ
なんか僕はちょっといろんなことを感じるんですけど
なんだろうな
最後の一節何一つ永遠なんてなく
いつか塵に帰る存在じゃないですか書いてあるんですよ
でねそういう存在だから美しいんだって言ってるのが
なんかねえ
確かになんかそれこっちにならずに永遠に残り続けるものみたいなものが美しい
という話をしてるわけではなくあくまでもそのなくなっていくもの自体が
美しいのであるっていう風な話をしてくれてますよね
例えば偉大な芸術作品というのは永遠に残っていく感じするじゃないですか
それが美しいっていうのは分かるんですよ
でも多くのものがね無名のままで
21:04
誰にも気づかれずに忘れ去られて消えていくもんじゃないですか
でもそれが美しいんだとても尊いんだみたいなことを
語りかけてくれてる感じがする
これ本当はいろんなものが本当は美しいものなんですよってことを
なんか語りかけてくれてる感じもするじゃないですか
だからいろんなことを書いてくれて
いろんな美しいことを書いてくれてますね
いるじゃないですか
でもそれをそういうふうに感じられたら素敵だけども
そんな感じられないじゃないですか
普段ね生きてる中でね
僕最近はなんだろうな1月って震災30年神戸のね
神戸住んでますしね
そう30年経つし2月ってロシアウクライナの戦争始まって3年経った
みたいなねことの中でね
それがある中でね世界が美しいって言えますかって思ったりしてるんですよ
でそういう人たちにね被害あった人たちの前でね
美しいって言葉ね言えないですよ
確かに確かに
そうですね
なんだけども美しいんですって
そうですね
なんかね人間の言葉じゃないんですよねだからこの言葉ってなんか
あーはいはいはいはい
なんか人間はねそういう人たちの目の前にするときに美しいって言えないなと思ってて
あーなるほどね
確かにな
でもそういうのでも人間を超えた何かが美しいんだよっていうことを
なんか慰めかけてくれてる感じがするというか
慰めかけてくれてる感じですね
はいはいはいはいはい
いやーそれわかるなー
なんかわかるなって今言ったのは
なんかあの結構もちろん人生きている中で
まあいろんなすごくポジティブな嬉しい時もあれば
悲しかったり辛い時もあると思うんですけど
結構僕自身もさっきのね話してくれたような戦争とか
震災とかっていうレベルじゃもちろん全然ないけれども
自分なりのまあ嬉しい時悲しい時
まあ全員誰でもあるじゃないですか
まあそういった自分なりのそういった嬉しい悲しいの
岐阜があるどの時にも多分これ僕読んだことある気がする
気がしてますと
結構なんか本まあ別に詩じゃなくても
あのすごく嬉しい時に読みたくなるものとか
悲しい時に見たくなるもの別に本だけじゃないかもしれません
あの音楽とかもそうかもしれないですね
なんかどっちともあのこういう時にはこれみたいなのって
あるケースあるような気がしてて結構僕それある気がしてるんですよ
結構この詩に関してはどのシーンどの場面
どの自分の時代において読んでもなんか結構
24:00
なんていうんですか同じものを語りかけてくれて
そこに引き戻してくれるみたいな感覚が僕の中ではあるから
結構自分的に大切なものとして
自分の中に置いているのかなみたいな気もしたりしましたね
そっかだから日常悲しいこととか
しんどいこととか苦しいことがあったとしても
この詩を読むと何か美しさにつながることができるみたいな
ああ
そんな感覚ありますよ
例えば僕の中でこれを読みながら思い返す
自分の感覚みたいなものがあるとするならば
じゅんさんには言ったことあるけど
昔自分がすごいめちゃめちゃ茶道やってる時代
時期があって今そんなやってないけど
そんなやってないのも含めていいんだったら
20〜30年くらいやってるんですよね
今何やってるかって言ったら
本当に家で立ち寝るぐらいだけど時々
なんかその家だとちょっと感覚違うけど
本当に静かな狭い茶室の中で
一人で薄暗がりの中で
静坐をしながらお茶を立てているみたいな感覚
お茶を立てているというか僕の中だとどっちかというと
お釜の中にあるお湯とかを
秘釈っていう水すくやつがありますけど
それですくっている時の感覚が結構近いっていうのは
僕の中では昔から思っているかもしれません
そこに美しさを感じる
そうですね
それは最近の僕はそう感じている感覚があって
昔そのすごい茶道屋さん時代
僕10代後半とか20代前半なんですけど
その時にそういう言語化はしてなかった気がするけど
今はそういう感覚近いかもなみたいな
っていうのは僕の中で体感覚としてある
何が一緒かって言われるとあんまり言葉になってないけど
っていうのはあるかもしれないですね
なるほど
じゃあちょっと次の作品いきます
はいありがとうございます
なるほどね
こういう場でこういう風にやると今で25分ぐらい
そうなんです
ちょっとねなんか話し続けちゃうんだけど
朗読していくことが大事かなと思って
分かりました
よかったら2つ目
ちなみに何個ぐらいいくんでしょうね
時間が許す限り
でもどうでしょう今のペースであと
1つか2つ
そうじゃない
承知しました
なんかあれですね
もともとこれかねって思ってたような気もするし
言葉に聞いてみるとなんか違うんじゃないって
する気もするし何でしょうね
ゆっくり選んでもらって
大丈夫です
分かりました
まぁでもあれかな
あっち行こうかな
OKです
じゃあ同じくこの世界は美しいと
っていう一周の
詩の一つとして
27:01
聞くという一つの動詞
という詩がありまして
それがタイトル
聞くという一つの動詞
というのがありまして
比較的我々かなり人の話聞くとか
そういったものをサービス開発事業開発しているような
人間だったりするので
結構かなりグッとくるところもある
タイトルだけで
興味深いです
興味深いなというところはありますけど
ちょっとそれを扱わせてもらえたらなと思っております
はいじゃあちょっと
またあれかな
もしよければ可能な方は
目とかつぶってもらえるといいかもしれません
もちろん開いていただいても構いません
じゃあ行きますね
聞くという一つの動詞
ある日早春の雨の向こうに
真っ白に咲きこぼれる
こぶしの花々を目にした
そして早春の雨の向こうに
真っ白に咲きこぼれる
こぶしの花々の声を聞いた
見ることは聞くことである
こぶしの花の季節が来ると
海を見に行きたくなる
何もない浜辺で
何もしない時間を手に
遠くから走ってくる波を眺める
そして何もない浜辺で
何もしない時間を手に
波の光が運ぶ海の声を聞く
眺めることは聞くことである
聞くという一つの動詞が
もしかしたら人の人生の全てなのではないだろうか
木の家に住むことは聞くことである
窓を開けることは聞くことである
街を歩くことは聞くことである
考えることは聞くことである
聞くことは愛することである
夜古い物語の本を読む
私の考えでは
神様と自然とは一つのものでございます
読むことは本に残された沈黙を聞くことである
むやみな言葉は人を幸福にしない
という内容でした
すごい
見ることは聞くことである
そして全ての営みが聞くことである
そういう
これは今読んでみてどうでしたか
そうですね
そうだな
結構この
おさらひろしさんの詩を見させてもらっていると
結構この聞くという単語に
意識を当てている詩がいくつかあるなと思っていまして
30:00
その中でも一番聞くという
単語ベースで言うと一番使っている詩だなと思っていますと
やっぱりなんかあの
結構さっきちょっと話した通り
実際の本業とかだと聞くということを
ずっと扱うような仕事というか
スタートアップ我々やってますけど
なんかあのなんて言いたいんですかね
ただもちろん聞くっていう単語を
使い始めたのって結構最近この5年とかで
もっと前からそういったサービスやってるけど
僕はこの詩自体は
多分これ買ったのは2015年とかじゃないかな
からこの詩がなんかすごく気になっていた感じはあって
気が付いたら聞くっていう言葉に
伴うような仕事をしているようになって
結構なんか後々読み返しびっくりしたみたいなことが
前あったなみたいなことを
これを見るたびに読むたびに
思い出すみたいな感覚があり
結構個人的にその
この詩の中を見ながら聞きながら
どれもこれもすごくしっくりきている
と思っているんですけど
ただ個人的にやっぱり毎回
読むたびに見かけるたびに気になるのは
最後ですね
結構ずっと何々は聞くことであるみたいな話で
最後も沈黙を読むことは
本に残された沈黙を聞くことであるっていう話の後に
一番最後の行にあるのが
無闇な言葉は人を幸福にしない
っていう単語で終わっていくんですよ
結構この何々しないっていう風に否定形で入っていくみたいな
ってこの詩だとここだなと思って
最後そこでずっと何て言ったらいいのか
聞くことであるところで作ってきた何を
一気に着地させてくれている感覚
ただそれを着地させてくれる感覚を
幸福にしないっていう単語で作っているっていうのが
めちゃめちゃ感激したというか
幸福にしないっていうもので
こういう感覚を作ってくれるんだみたいな
っていうのは結構僕自身もどっちかっていうと
大学院時代に心理学寄りにいましたけど
ちょっとこういったウェルビングとか
ポジティブサイコロジーみたいな研究とかしてたりしたので
幸福みたいなものを否定形になった時に
なんか着地しづらいみたいな感覚があったんですよ
それがこれを見た時にそういくの?みたいな
っていうのを読んだ時のそういう感覚として持ってて
結構感激したんですよね
でもそれちょっとなんか分かるかもな
これ僕も今聞いててここで終わるんだって思って
さっきジュンさん終わった時に終わったの?みたいな感じで
そうそう
なんかさ
そうだよね
むやみな言葉は人を幸福にしないって言葉は
33:01
逆を言うとさ
むやみな言葉じゃないものが人を幸福にするってことだよね
それで要は沈黙でしょ
沈黙が人を幸福にするんだっていうことですよね
そうですね
さらくね
さっき読んでた詩がまさにそんな感じしますよね
確かに
なんか
はいはいはい
なるほどね
それを考えてなかったな
確かにそうかもしれないですね
なるほど
なるほどな
いやこれなんかそうだよな
面白いな
ジュンさん的な面白みみたいなのはどんなところにあるんですか
なんか詩を読む時って
その
詩以外も本当はそうなんだけど
書かれている言葉を味わうというよりかは
書かれていない言葉を味わうんですね
ここで言ってる沈黙を読むことは
本に残された沈黙を聞くことであるってことじゃないですか
読むということはその書かれた文字を読むことじゃないんです
その書かれてない沈黙側を聞くってことは
本当の本を読むことなんだってことを言ってるわけですよね
でその沈黙がじゃあ何なのかっていうのは
読み手によって違うと思うんですよ
そうですね確かに
例えばさっきの世界の美しい人だと
今日の僕はその世界が美しいなんてとても言える状況じゃない人に対して
それでもあなたは美しいんだってことを語りかけてくれてるって
その言葉は書かれてない
書かれてないけど沈黙の声としか聞いてるわけですよ
だからなんかそういうことなんだと思ってて
なるほどね
読むってことは
でだからこれ見ることは聞くことであるって言ってるのも
たぶんそういうことで目に見えてることを見るということが
真の身でも見るってことじゃないんだ
目に見えないものを見ることが
真の見るってことなんだっていう
なんかそういう
確かにはいはいはい
なるほどね
いやなんかそれ話しててじゅんさん楽しそうで何よりだなって
今思いました
すごいですよこれは
なんか
なるほどね
すごい
見えないものか
確かに確かに
そうか
ちなみにこの場の趣旨として合うのかわからないが
とても興味が出たので聞いてみたくなったんですけど
じゅんさん的に今みたいに
これを解釈して今話してくれた内容とかも
5年前のじゅんさんは
そういう内容を口から出さない人間だったような気がしていて
そうですか
たぶん初めて会ったのは5年くらい前だった気がするんですけど
36:01
一緒に今の仕事するようになったとき
なんかじゅんさん的にすごい変わった感覚があるんですけど
それってどういうタイミングできっかけで変わった感覚があったりするんですか
っていうのをちょっと今日も言ってちゃいました
いやそれはなんかやっぱり
僕みたいに
ちょうど5年くらい前から
たぶん自分の人生が行き詰まったんですよ
行き詰まったね
たぶん今もね実は行き詰まってるのかもしれないと思ってるんですけど
そうなんだ
その行き詰まって僕1年間くらい無職してたんですよ
働けなくなって
一緒に働く前くらいか
もうちょっと前か
はいはいはい
で
そのときに
自分がやっぱり
文学とかに
なんかこう
なんだろうな
支えられた感覚があるんですよ
はいはいはい
っていうのが
なんかね
たぶんだんだんたまってきて
たまってるんだ
なんだろうな
だからだんだん
沈黙の声を聞けるようになってきたっていう
この書かれてない声を
聞けるようになってきたんだと思うんですよ
ああ
そうなんだ
そう
だんだんね
聞けるようになってきたってどのタイミングで気づくんですか?
いやー
気づくか
気づくか気づいてないかわからないけど
でもたぶんそういうことで
で
そういうのがたまって
たぶん自分もちゃんと
聞き
何かを自分は大事なことを
今受け取ってるなっていう実感が
だんだん増えてきて
それを自分でも
表現してみたいと思って試書を書くようになったし
それを
人々と分かち合いたいと思って
ラジオを始めたんだと思うんです
そうですね
試書を出したのもそうですね
最近ですねだからね
そうなんだ
なるほどね
じゃあちょっと次行きます
行きましょうか
今気づいたけど
これ時計だったんですね
そうです
この形の時計横でなかなか見なくないですか
なんか物体あるなと思ったけど
まだあと1つか2ついけるかもね
そうね
じゃあちょっと
2つ
3つ目
行ってみましょうか
どうしようかなと思ったんですけど
ちょっとほらこの前
じゅんさんに
僕のやっているフォトキャスト出てもらったときに
話させてもらった
賢いものを教えてください
39:01
やっぱりなんか
いいなと思っていまして
結構これ僕
すごい見るんですよね
あとこの中にある
後で出ますけど産業の
後半の方にある言葉があるんですけど
それ結構
僕毎日
書いてるんですよ
文字で
書き落としてるんだ
産業くらいなので本当に
一文も書かないんですけど
これはなんか
今の自分的に結構いいなと思っていて
もうちょっと
行けたらなと思っております
はい
じゃあ
行ってもいいですか
じゃあまた
もし可能な方は目玉を閉じていただいても
いいかなと思いますと
はいじゃあ行きますね
賢いものを教えてください
冒険とは1日1日と
日を静かに過ごすことだ
誰かがそう言ったのだ
フラハのカフカだったと思う
人は
それぞれの場所にいて
それぞれに世に知られない
1人の冒険家のように生きねばならないと
けれども
1日1日が冒険なら
人の一生の
途方もない冒険には
一体どれだけ
自分を支えられる言葉があれば足りるだろう
夜
復刻ユツラフ役聖書を開き
ヨアンネスの頼り
日曜日を読む
北ドイツ生まれの
仙郷の人ユツラフが
日本人の3人の遭難
漂流民の助けを借りて
遠くシンガポールで
美しい木版ですった
一番古い
日本語で書かれた聖書
始まりに
賢いものござる
この賢いもの極楽ともにござる
この賢いもの
は極楽
この賢いものとは言葉だ
極楽が神だ
福音が
私たちにもたらすものは
頼り喜びである
今日必要なのは
1日1日の
静かな冒険のための言葉
祈る言葉だ
人の中に命ある
この命は人間の光
この光は
暗さの中に輝く
だから賢いものよ
教えてください
どうやって祈るかを
極楽を持たないものに
という賢いものよ教えてください
というふうな内容でございました
すごい
最後の言葉すごいですね
そうなんです
最後の3行がすごい良くて
42:00
そこちょっとじゅんさんを読んでみます
最後の3行ってどこのこと言ってますか
ここだよね
今何もマッチしなかった
すごい
人の中に命ある
この命は
人間の光
この光は
暗さの中に輝く
だから賢いものよ
教えてください
どうやって祈るかを
極楽を持たないものに
という
そうなのですよ
これはなんか毎日書かれて
なんだろう
何感じてるんでしょうね
何感じてるんでしょうね
なんだろうな
何か出てくるものがあるかな
って思うと
結構僕の中では
人というより
なんて言ったらいいかな
ここで命の話
してるけど
最近の自分の中で結構
命みたいなものを
感じるというか
考えるというか
触れるみたいな感覚が結構あるな
みたいなことを思っていて
それは
例えば例であげると
そうだな
僕もともと秋田県の一番北の方
日本海側で生まれてるんですけど
近くに
白神山地っていう
世界遺産なのかな
の山があって
そのあたりでですね
生まれてるんですけど
木切ったり
加工して売るみたいなことをしてて
お客さんがだいたい京都のお寺とか
神社なんです
小さい頃からそういったところで
よく祖父が木を育てたり切ったり
工場でなんかしたりみたいな
見たりしていたし
木植えたりとか一緒にしたりとか
よくしてたなみたいなことを思うんですけど
あの頃のこととか最近よく思い返す
この数年よく思い返すんですよ
やっぱりあの頃よくわかんなかったけど
木を育てるみたいなことって
一世代じゃできなくて
数世代かかるんですよね
例えば
祖父が切ってる
切った木というものは
多分祖父のまた植えみたいな
多分2,3代
4代前が植えた木だったりして
でもそれ以降のまた
子孫だったり地域の人たちが
生きていこうと思うと
自分もまたそこに木を植えていく
自分もまたそこに木を植えていくのである
っていう行為を
日々している
みたいな環境にいたときに
やっぱなんかその
小さい頃から
お前の生活はお前だけで
成り立つわけではなく
昔の人たちがいるから成り立つのだ
っていうことをすごいよく言われてた
なって気がしてて
その頃はそうなんだみたいな
45:01
感じでなんとなく思ってただけでしたけど
そんなところなんか
元々の昔の体験として
あったりもしたり
はたまた今僕妻が沖縄の人なんですけど
沖縄の結構
離島の方だったりしまして
そこに結構いろんな自然とは
残ってたりするわけですが
そういうところに触れてみたりすると
残ってる自然に触れてみたりすると
そういった祖父が言ってたこととかすごい思い返したりするんですよ
そういった感覚って
本当に
僕の中だと昔からある感覚なのかもしれないけど
それこそ都会に住んだり
していたりする中で
いろいろ失っていたことがある気がするけれども
そういうところに
思い返させてくれることを
いろんな沖縄だったりとかに
触れたりとかすることによって
あるような気がしていて
そういった過程の中で結構その命みたいなものを
どう捉えるか
はたまたそこから波及して
じゃあ自分の命とは一体何たるものか的な
ことを感じるみたいなことを
結構この数年間はあったなみたいな
気がしてまして
死とかに触れるたびに
そういった感覚とかに近づいていくような
ことがあるんじゃないかなって
思ったりしますね
面白いですね
なんかその生かされているっていう感覚が
この死を呼んでいくと
感じるんだってこと
そうですね
はい
生かされているし
かつ今ももはや自分も
生かす側の存在でもあり
自分の存在なのであるという
ことをなんか自分が
今立っている場所に
それがあるんだなっていう感覚
なるほどな
がある気がしますね
いいですね
ちなみにこの前ほら
じゅんさんにも
何でしたっけね
僕のポッドキャストで話してるときに
じゅんさんが何か言ってくれたやつに反応して
そういえばこんな死あったよみたいな
話でこれを確か扱ったような
気がする
そうですね
僕の死を読んでそれに
反応してこれを読んでくれたんですよね
じゅんさんの死収の中にある
じゅんさんの死を読んで
これを読んだらこれを思い出したよって
言ってこれを話したのか
そうだそうだ
結構そのときじゅんさんもこの死に
反応してくれてる感覚があったなって
気もしたんですけど
今はなんか聞いてみたり
またまた今目の前で眺めてみたりして
いやちょっとこの死はなんかすごすぎて
そうだ
やっぱり死人の方が
言うすごいっていうところの感覚は
たぶん我々わからないところがあってね
興味あるんだよね
いやーちょっとまだ
僕受け止めきれてないかもしれない
この死は
でもねやっぱ最後の言葉
すごいなだから賢いものに
教えてくださいどうやって祈るかを
極楽を持たないものに
って
極楽って途中で極楽は神だって言ってるから
神を持たないものに
48:01
我々神様は信じてない人が多いからさ
そういうこと意識する人も少ないしさ
そういうものが
どうやって祈ったらいいか
教えてください
っていうね
なんかこれは
僕の今は
なんだろうな
うーん
いやちょっと難しいな
なんか言ってみるとどんなのは
いや
祈るって言葉
ちょっとあんまり
現代の我々に
馴染みがない営みなんだと思っているんですね
だから
祈り方を教えてくださいって
我々はあんまり思ってない気が
してるんですよまず
なるほど
えーと
祈るってことを
取り戻したいって
思ってるんじゃないかって感じてます
取り戻すね
はいはいはい
取り戻したいと思ってるんじゃないか
というのはじゅんさんのどんな
ところから感じてるものなんですか
うーん
なんか
僕の
人生の感心って
なんか
わかってないんだけども
今言えることは
人間の中にある
聖なるものってものを
どうやって開花することができるのだろうか
ってことを
多分考えたいんだと思うんですよ
21世紀の
日本に生まれた
この時代の
中で
片方で環境破壊
地球破壊が進んでいき
片方でテクノロジーによって核兵器を抱えて
っていう時代の中で
破滅の時代にどんどん
どんどん近づいてるんじゃないんだろうかって
思っていてその時代下の中を
転換するには人間の中に
宿ってる聖なるものを開花させる必要があるんじゃない
だろうかってことを思ってるんですよ
その聖なるっていうのは何かを
尊ぶってことなんです
何かを慈しむってことなんですけれども
その感覚って
祈りの感覚に近いような感じがしてるんですよ
だってさ
次のさ
僕たちの子供たちのためにさ
なんとかさ
いい世界を残したいって
みんな祈ってると思うんですよ
本当は
願ってると思うんですよ
それが
何だろうな
もっと祈ることができたら
その
その
51:00
慈しむ感覚をもっと普段から
実感することができたら
何か自分の振る舞い変わるんじゃないんだろうかって
僕も思ってるんですよ
でも祈り方が分かってない
なんか
はいはいはい
じゅんさんが言ってる祈り方あれですよね
別に二礼二拍手一礼みたいな
そうじゃないね
そうですね
はいはいはい
なるほどな確かに
自分にやれることあるんじゃないんだろうかって
多分僕ずっと問うてる気がするんですよ
自分に
そうなんだ
確かに
普段の生活の中で都会にいたりした時に
何か祈るという行為
見た目の行為を
する瞬間がいつあるんだろうって思うと
年末年始みたいな時
とかかなーみたいな
気はする気がしてって
なんかあとはあれですよね
神社に遊びに行ったよ
観光地的な神社に行ったよとか
お寺に行ったよとかそういう時
な気はしてるけど
じゅんさんが今言ってくれた祈るという言葉
というか行為
分かりやすい手を合わせるという行為
というだけじゃなくて
別にその見た目の形だけではない
心の形というか
心の在り方みたいなものも
含めて言ってくれてるのかなーみたいなことを
個人的には受け取った感じはしていて
なんか
今それを聞きながら
僕の中で思い返すのは
やっぱそうだよね
結構その
自分の生活の中に
そういうものをやってる人がいないと
なかなかそこから
遠ざかっちゃうみたいな
のある気がして
なんかほら逆に
今じゅんさん言ってくれて
なるほどなってすごい思ったんですけど
さっき言ったみたいに僕
祖父が山に入るときに
いつも手を合わせてた
ですよね
すごい覚えてる
例えば僕父が建築士なんですけど
建物を建てるときに
地震災みたいなやつ
あれとかよく小さい子連れてかれて
お客さんの
そこで一緒に手を合わせるみたいな
よくしてたなーとか思い返したりとか
今沖縄の妻の実家とかに行って
向こうのおばあのところとか行くと
一緒にうとうとしようね
みたいな感じで
うとうとって
うとうととかいろいろ言い方ありますけど
沖縄で言うと
お祈りをしようっていう言葉なんです
勇気きたから
うとうとしようねみたいな感じで
結構日常的にやってる
みたいなところに比較的
僕はいるんだなって今改めて感じていて
それなんか結構僕は
ナチュアルな感じがしており
確かに
それが僕のときにありがたいことに
あるから感じてるだけで
確かになかなか感じづらいのかもな
っていうのを確かに思った
しそう思うと今の
詩の受け取り方みたいなものも
そこの感覚が
普段の日常の中にあるかないかによって
結構変わるのかもなっていうのを
54:00
今聞きながら感じ
確かにそれって結構難しいなって思って
だからといって
神社に行こうみたいな話もないし
そうだね
神社でだって
祈ってるときは形だけだから
あんまり祈りに入ってないんです
本当の祈りじゃないんです
それ多分いろんな形できっとあるんだと思ってて
山に登って走ることとか
それを感じる人もいれば
多分人それぞれ
入り口っていろいろあるんだと思うんですけど
確かにね今多分出てこないと思うけど
すごい山走りまくってる近藤さんに
聞いてみたいなと若干したけど
今は多分ないと
出てこないと思うけど
確かにね
詩はねやっぱり祈りですよ
今日読んできた詩全部
祈りのように感じれるというか
そうね
そりゃそうかも
おさらさんのだからっていう観点も
あるのかもしれないし
ただやっぱり言葉にしてみると
わかんないもしかしたらどんな詩も
祈り的な
感覚になっていくみたいなものは
あるかもしれない
別におさらさんみたいな詩じゃなくて
日常的な何か
例えばもっと
ポピュラーな話
扱ってくれてるものだとしても
祈りのような感覚はあるかもなって
思ったりしましたね
なんかそろそろいい時間
なってきました?
いい時間ですね
感想を言い合って
終わりに向けますか
そうしましょう
どうします?どっちからがいいですか?
じゃあ一応この場の
形的にはじゅんさんの
形でやってるんで先に僕が
行こうか
改めてありがとうございます
こちらこそ
あんまりよく考えると
今やらりというかこの場としては
8人ぐらいとか
人いらっしゃるんですけど
人の前で読んだこと僕ないかもしれないと思って
詩を朗読したことが
ほらあのポッドキャストとかあるけど
あれ僕全部オンラインでやってるから
あんまりなんかその感覚なくて
とっても上手でした
すごい新鮮な
感覚があって
新しい経験させてもらって
じゅんさんありがとうございますっていうのと
読んでもらった近藤さんありがとうございます
みたいなことを思いました
あと何だろうな
やっぱりなんか
その自分として
お定田さんのものを
見ながら感じながら
自分の変化も
この10年とか
15年とかこの数年とかでも
お定田さんの詩を読む度に
何かちょっと前と違うかも
自分とか
っていうのは結構あったような気がして
今日改めてこういう風な場で
扱わせてもらったものを通して
でもやっぱなんか
これからもこの本
この本というか
詩のみんなと
57:00
付き合っていきたいなみたいな
気がすごいしたりしているのが
今の自分としてあるような気が
していますと
一方なんか自分の
お定田さんだけじゃなくて
ただ今最近読んでたりする本で
ほら
前じゅんさん読んでたけど内藤玲さんとか
内藤玲さんって
お名前だけだと分かりづらいかもしれないけど
京都だとあれかな近いから
あれかもしれない瀬戸内に
手島っていう島がありますけど
手島美術館っていう場所があって
そこの設計とかやってた内藤玲さん
っていう方がいますが
あの方の詩とか最近読んでるんですけど
正直訳わかんなくて
むずくて
ただ結構なんか
お定田さんのところを
歩かせてもらいながら
僕は結構内藤玲さんのところに歩いてきた
感覚があって
なんかそういう風にだんだん歩きながらも
やっぱりこの
今扱わせてもらった
大切にしながら
次の自分を
見つけていくみたいなこととかを
やれていけるとまた今後もいいかな
みたいなことを改めて感じています
という感じかな
あとは若干
これから神戸に帰るじゅんさんが有機的に大丈夫かな
というのも若干今思っている
感じでしょうか
そんなところでございましたありがとうございます
ありがとうございます
じゃあ
そうですね
なんか楽しかったです
ありがとうございます
すごい最初緊張しましたけど
やりだすと
この世界に入っていったので
確かに確かに
なんか
やっぱいいですね
一人で
家で
詩を読むこともいいし
やっぱりこういう場で
一緒に味わうからこそ
感じれることって
あるなぁと思って
なんか
僕も今日感じたのはきっと
今の自分だからああいう風に話したんですけど
なんか
ね
良かったです
特に長田博史さんの詩って
やっぱりなんだろうな
すごく詩集の中では
すごく読みやすい
詩だと
なんか
でもとっても深い
から
なんか長田博史さんの
詩を改めて僕も
読んでいきたいなって
感じました
あとやっぱ
書きたくなりますね
その衝動があるのに
すごいですよね
なんかね
なんか
詩で心を打たれると
なんか
自分もやっぱ
書きたくなりますね
そうなんだ
1:00:00
それ良いですね
また
普段ね
北間さんのラジオも
本は使って対話してるし
僕の文学ラジオもね
またなんか
読んで味わってますので
なんか気になる本とかね
会があったら
遊びに来てもらえたら
嬉しいなと思ってます
じゃあ
これで終わりましょうか
終わりましょうか
ではでは
ありがとうございます
良い心残りがあるとしたら
あれですね
次の方やりづらくないかな
大丈夫でしょう
じゃあ
お疲れ様です
お疲れ様でした
一回ちょっと
自分の番の準備を
まだ3時ですけど
お疲れ様でした
お疲れ様でした
お疲れ様でした
飲んでる状態登場
すごいですね
プリンドリンク
お疲れ様でした
お疲れ様でした
お疲れ様でした
ありがとうございます
お疲れ様でした
お疲れ様でした
フロア
14時来いよ
あいぼ
これ映る人?これ
映るのか
後ろ赤く
これYouTube映ってるでしょ
ずっと映ってる
お鍋食べたんや
もうこれってなぜ持ってきまーす いやー全員がマジ