文学ラジオ空飛び猫たち 韓国を代表する作家ハン・ガンの初の詩集
引き出しに夕方をしまっておいた 彼女の人生や価値観を色濃く反映する言葉の数々は
彼女の痛みや苦しみを受け入れる強さを 我々の前に差し出してくれる
どう感じたらいいだろう どう受け取ったらいいだろう
今回はこの素晴らしい詩集から 感じたことを自由に語ります
どうも皆さんこんにちは文学ラジオ空飛び猫たちです この番組はいろんな人に読んでもらいたい
いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに 文学と猫が好きな二人が緩くトークするラジオ番組です
お相手は私小説が好きのカイのダイチと 羊を巡るカフェのミエの二人でお送りします
文学のプロではない二人ですが東京と京都を繋いで お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です
番組概要欄に詳細情報を記載しているので 初めてお聞きになる方などそちらを見ていただけるとありがたいです
今回紹介するのは引き出しに夕方をしまっておいた 半岸産長 キムフナさん 斉藤麻里子さん役
クォンから2022年6月に出版された刺繍になります
この刺繍ですがクォンから出てます 韓刺っていう韓国刺繍シリーズの第一発目みたいな
第一弾みたいな位置付けのようなんですけれども これ6月に発売したばっかりなんですけど
あのツイッターでクォンさんのツイッターで 2022年上半期ベストセラーっていうのが発表されてたんですけど
もちろん1位はですねこの間日本翻訳大賞を受賞した 詩人キムソヨン一文字の辞典が1位だったんですけど
2位ですね 引き出しに夕方をしまっておいたが6月に発売したばっかりなのにランクインしてて
ちょっとね嘘でしょと思って なんか
どうなってんのって思ったんですけど まあこれ発売日は6月30日になってるんですけど
実際にはもうちょっと前に書店には並んでたと思いますし あと予約注文とかも多分その販売数の数が多分入ってるんじゃないかなと思うので
そのあたりが影響はしてると思うんですけど やっぱりハンガーさんの刺繍売れるんだなっていう
うんそうですよね 率直な印象もありましたね
確かにハンガーさんの本が翻訳されたら それはもう買いたくなるっていうのは分かりますしね
日本にもおそらくファンが多い作家ですからね 我々みたいな
我々もラジオで取り上げるのが3作目になりますね ハンガーさんは これまでラジオで一番最初に紹介した作品が
ギリシャ語の時間という作品で その後回復する人間というのも紹介したことがあって 今回がハンガーさんの作品3作目になると
私はですね 少年が来る以外はエッセイ含めて日本語に翻訳されているものを 書籍で単行本として出ているものは読んでますね
だいぶハマってますね 本は揃えてるんですけど なかなか読めてない作品がまだまだあるんで
少年が来るとかも買ったものの読めてないんで これから読んでいきたいですよね
ハンガーさんの小説エッセイ 今回私は詩集を読みましたけど 共通しているのは痛みとか苦しみみたいなものに
ちょっと後でもうちょっと詳しく話しますけど すごく真正面から捉えていらっしゃる方だなと思っていて
このラジオを今回聞いて ハンガーさんという名前初めて知ったって方 いらっしゃると思うんですけれども
ぜひですね 日々ちょっと苦しかったりとか ちょっと痛みを抱えているような人には読んでもらいたい
作家さんだなと思っております 話によっては結構読むの辛い作品もあるんですけど
でもきっとですね何か寄り添って持ち上げてくれる作家だなと 私はいつも読むたび思っておりますので
個人的にはもしなんか小説でちょっと辛いの読みたくないって方がいるんであれば 今回の詩集とか
あと同じくクオンさんが書いてるですね そっと静かにというエッセイがあるので そのエッセイもだいぶ
私読みましたけど良かったので その辺りに手を出してみたらいいんじゃないかなと思います
ハンガンさんの作品は基本的にはもうマイナス状態にいて そこからもうプラスまではなかなかいけないことが多いんですよね
ゼロ地点になんとかたどり着けるかどうかみたいな作品が多かったりするんですけど ただなんかそれにしてはすごいね
書いてる作品読んでいるとすごく美しい情景であったり なんかそういうのがね見れる時があって
この辺がもうハンガンさんの文学作品のすごいところなのではないかなと思ったりするので
本当にもうただただその作品を味わうというところだけでも感動するものはあるんじゃないかなと思いますね
プラスまでいけないっていう感覚確かに持つんですけど 回復に向かう姿勢というか回復に向かっていく感じっていうのが描かれるので
あの後でちょっともうちょっとちゃんと話したいんですけど自分が傷ついていたんだな っていうこととか自分が苦しんでいたんだなってことをなんか気づかさせてくれるんですよね
そこがなんか読んでてすごく私は救われる部分でちょっと話しちゃうと 作品映像が入る前にちょっと話しちゃうと後で話そうと思ったんですけど
日々生きてて何だろう苦しいとか痛いとか あのあるしで自分が気づかないレベルで気づいていることって結構多いなって思っていて
あと多分明確に自分傷ついてるけど押し殺してる瞬間とか 仕事をしてたりとか誰かと関わっていたりとかすると絶対あると思うんですよ
毎日毎日何かしらあると思うんですよでもそれってやっぱり無視していかないと生きて いけないし生活できないし仕事もできないしっていう
思っていたよりもはちょっと低い声の朗読だなとは思いました
確かに雰囲気はねすごくピッタリだったんですけども
だからなんか結構youtubeのね正直韓国語だから全然わかんなかったんですけど
深夜寝る前かな聞いたんですけどまあ時間帯とかシチュエーションの問題と思うんですけど結構いい感じに自分の中で響いて良かったんで
もし皆さんもぜひこれ買ったら買って読んだら聞いてみるといいと思います
じゃあ具体的に行こうと思う前にですね
その前にそもそもちょっと詩を読むことについてちょっと話してから入りたいなと思っています
でなんでその話をしたいかっていうと
実はですね前もどっかこのラジオの中でお話したことがあるかもしれないんですけど
私詩がすごく苦手意識があるんですよ
大学私文学部で英米文学科だったんですけど
イギリスの詩の授業っていうのは必修でありまして受けてたんですけれども
その時ですね解釈っていうのがうまくできずになんかすごく困った記憶があって
というか実際かなり困ったんですけど
詩って難しいなっていうのが率直にその時感じたことです
その授業自体はネイティブの先生イギリス人の方が教えてくださっていて
ウィリアンブレイクですね
あのもう詩といえばイギリスの詩といえばブレイクだと思うんですけど
ブレイクの詩を朗読してくれていてすごい良かったんですよ
もう未だに授業の風景って結構忘れちゃうことってほぼ残ってないんですけど
何やったか覚えてますけど
どういう部屋の空間だったとか空気だったかっていうのは
結構もうゼミ以外は結構もうなんか朧げというかなっちゃってるんですけど
よく覚えて大学2年だったと思うんですけど
大学2年の時のこのイギリスの詩の授業は
その先生の表情とか声とか空間夏前だったと思うんですけど
結構あのカンカンデリで暑い日で
めちゃくちゃクーラー効いてる教室の中でやったの覚えてるんですけど
そういうところとかなんかすごい細部を覚えていて
で受け取った時にイメージが広がっていく感じもすごい覚えてるんですけれども
そのことをですね私は当時多分今もなんですけど言語化できなくて
でなんかすごく悔しいというか
なんか困ったっていうのは多分率直なあのその時の気持ちなんですけれど
でそれ以来私実は詩っていうのは結構苦手意識があって
文学作品好きでたまに詩も読むんですけど
なかなかこう知って言うのにどうアプローチしていいかわからないっていうのを抱えています
でこれはもうおそらくちょっと自分で分析するに
詩の解釈っていうのは幅が広いので受け取ったら受け取った人が
もう自分なりに解釈して本当人それぞれでいいと思っているんですけれども
必死で必ず自分の中に入ってきた後に広がりを見せるんですけど
その広がりをどこまで持っていっていいかよくわかんなくなるんですよいつも
なんかここそのこの解釈で合ってるのか合ってないかっていうのもあるし
この解釈のままここまで自分の何かなんだろう感想を飛ばしちゃっていいのかなとか
広がっていくことにすごく不安になるんですね
で本当言葉にしにくいなって思ってます
多分詩を読んだ時にこの感覚になる人って結構いるんじゃないかなって正直思っています
で私は結局その大学時代イギリス演劇の方に
技曲の方になんか流れていっちゃって
技曲もですねセレフトを簡単なと書しかないのですごい解釈の幅があるんですけど
でも技曲って結局人が演じるっていうことを前提に書かれているので
そこに集約できていくっていうか感覚があって
自分の中では結構落ちてくるものが割と落とし込めるところかっていうのが明確だったので
割となんかこう読めていけたんですけど
詩はやっぱりですねちょっとすげー難しいなって正直思ってます
僕もそうですね同じく詩が難しいっていうイメージをずっと持っていて
そもそも今まであまり詩には触れてこなかったというのがありますね
個人的には詩的な文章は好きで
詩的な文章で書かれた小説であったりは好みにはなるんですけど
じゃあ詩そのものはどうかというと
何かねその難しさみたいなものを感じていて
僕も同じく大地さんが言うように
やっぱりちょっと文脈であったりを意識してしまってその意味ですね
なんかその自分で自分の中でその解釈を広げていくというところに
ちょっとその怖さみたいなものを持っているかもしれないなっていうのはですね
ちょっと大地さんの話を聞いて確かにそうかもというのを思いましたね
ただちょっと今回はですねこの本の刊末に役者の対談があってですね
その中で斉藤麻里子さんが詩集読んでも全部わかるということではなくて
読んでいて今何か来たっていうですね
そう思える一辺があればもうそれでも十分じゃないかと
いうことをねようなこと言われていて
なので今回はちょっと自分の中ではかなり意識的にアンテナを広げて
何か来るかも来るものがあるかもしれないと思ってちょっと読もうと読んでいきました
そうですねなんかこの言葉にはだいぶ励まされましたね
ちょっと今話してあれなんですけど
あのやっぱりこの詩ってやっぱそのどうしても解釈の幅とか受け取り側のこの広がりみたいのが人それぞれだと思うので
まあ今回は我々これから半顔さんの詩について話させていただきますけれども
一つの解釈というか一つの広がりの様だと思っていただければなと思います
やっぱり結構この詩は話すとなると難しいものだなと
まだちょっとこれから話すからまだ何もわからないですけど
ちょっと怖さのようなものを感じてはいるんですけれども
でもあの今日ちょっと我々のこの何だろう語りを聞いていただいて
いや知ってこんな感じで読めばいいんだなみたいな
こんな感じというか我々の読み方が正解ではないと思うんですけど
でも別に正解じゃなくてもなんか読んでいいんだなみたいな感覚を持っていただけたら大変嬉しいなと思います
じゃあ行きましょうか
でその前にですね全体的なこの詩集の魅力について話したいなと思ったんですが
えっとさっきちょっと半顔さんの魅力を伝えるのに時に結構私言っちゃってですね
ちょっと重なる部分もあるかもしれないんですけどちょっとお伝えしたいと思います
やっぱり半顔さんの作品の魅力は傷ついていることを認める強さにあるんじゃないかなと私は思っています
でこの詩集にも血という言葉がたくさん出てきます
あの出血の血ですね血を流すの血ですけれども
でこの血のイメージはあの散見されて
まあそれってやっぱり損なっている状態とか傷があることとか苦しんでいることとかそういうことなんだろうなーっていうことが感じ取れます
そこをですね正面から捉えて描こうとしているように感じています
やっぱこれが我々が日々傷ついていることとか本当に些細なことでも傷を負っているということを認める強さのようなものが
もらえるんじゃないかなと思っています
あと半顔さんのこうまだちょっとうまく原稿ができてない部分ではあるんですけど
非常に私が感じてるというかあの半顔さんを多分私結構信頼してるんですけど
なぜこんなに信頼してるのかなって思った時に感じたことは小説とかもそうなんですけど
何ですかねセキララとも違う素の部分みたいのがすごく感じられる言葉とか表現とか物語が多くて
なんか表現をする時に無理をしていない感じ
背伸びをしない感じっていうのがあります
なんかこれがちょっとうまく言えてると思えないってちょっともうちょっと適切な言葉の置き所がある気がするんですけど
他の作家とかでたまにですね小説なりシナリオを出る時に表現とか
言葉の選択とかでなんかちょっと無理をしてるんじゃないかなって感じる瞬間っていうのがたまにある方がいます
全然多いわけじゃないんですけど比較的このラジオで紹介してる方々にはないんですけど
たまにいろんな作品読んでるとちょっと無理してるんじゃないかなって思う文章を見かける時があるんですね
で半顔さんのはそれとは真逆でちゃんと自分の正直な言葉というか感じたことを適切に言葉にできていて
でそれが美しいしそしてあの我々の心にですねなんかストレートに届いてくるような感じがあって
これはなんて言ったらいいんだろうっていうのはちょっとわからないんですよ
なんかセキララって言っちゃうのもなんか違うし
素の感じっていうのもなんかまたちょっと当たってるようでまだちょっと遠いような気がして
でなんかここがうまく原稿ができないんですけれども
でもこの部分で私は多分非常に半顔さんを信頼していて
自分の心の拠り所になってくれているような気がする時がありますね
なんかちょっとうまく言いながら
いやいやでもわかりますね
だからその魅力って半顔さんの小説にも重なるものだと思いますし
でもね半顔さんの本当その感じがあるっていうところは結構僕もそれはすごく魅力だなと思っていて
それがこの詩集で言うと個人的に思ったこととしては
やっぱりその日々というのは繰り返されていくんですけど
同じ日というのはなくて同じ状態の人ももちろんいないというですね
それがこの詩集だとあの夜の時間帯が書かれていることが多いんですけども
その同じ夜なんですけどただその夜を味わっているのか
それとも朝が来るのを待っているのかそれとも夜に苦しんでいるのか
読んでいて思うところが本当に詩によって様々で
一方であの夜が明けると朝が来るんですけども
そのやってきた朝の日差しにたじろぐような描き方もあったりして
朝を待ってるんじゃなかったのかなと思いきや
そこに対してもねそのちょっと日差しに対してのなんだろう
怯えていると違うかもしれないんですが本当たじろぎのようなものもあったりして
なんかねそういう詩もすごくいいんですが
そうやってやってくる朝をすんなり受け止めるような気持ちの部分もあれば
すごく劇的な気持ちで迎えるような朝もあったりしてですね
詩集全体的に夜から朝にかけてっていうところが多いんですけど
ただ読んでいると本当にいろんなそういう気持ち
いろんな状態を感じさせてくれるっていうですね
なんかそこもいいところだなと思いましたね
この詩集は本当時間帯が様々な
様々というか確かにみえさん言ってたところで夜から朝とか
日が暮れてくところとかそのあたりの時間帯が非常に多いのかなと思っていて
時間帯ってすごく大事だなってこの詩集を読んで思いましたね
私は夜か深夜かな深夜か朝に読むことが多かったんですけどこれ
その時間に読んでるとなんかスッと入ってくるものとかあって
時間帯って結構重要だなってなんか
この先に描かれてる時間帯も重要なんですけど
読む時間もそれにリンクして重要だなって非常に思いましたね
じゃあ具体的にこれからいくつか印象に残った詩をお互い話していきたいなと思います
なんですけどまずですね
ちょっとこの詩集ですね一番最初に入ってる
ある夕方遅く私はっていう詩から始まるんですけど
この詩から始まるのがですね
この詩集いいなって思うところで読み上げさせていただきたいと思います
ある夕方遅く私は白い茶碗に持ったご飯から湯気が上がるのを見ていた
その時気づいた何かが永遠に過ぎ去ってしまったと
今も永遠に過ぎ去っているところだと
ご飯を食べなくちゃ私はご飯を食べたっていう詩なんですけど
これこの本当なんですかね詩らしい詩だなっていうのを本当に思って
ご飯から湯気が出てるのを見ていて
でそれってもうまあ時刻も夕方遅くなんで夕食だと思うんですけど
夕食を食べようとしている時に湯気が上がってるのを見ていて
その時に感じたこと永遠に何かが過ぎ去ってしまった
今も何かが過ぎ去っているんだなっていうことで