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2024-06-23 24:38

#1-1 ゲスト・英治出版 プロデューサー / 上村悠也さん【読書のまにまに】

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【今回のゲスト】

英治出版 プロデューサー / 上村悠也さん

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この番組は、多くの本を購入するもあまり読まないという、つんどく中毒なあらしろゆうきがナビゲートしてお届けをしております。
この番組は、読書の途中で生まれてくるいろんな声を聞いていこうと思っています。
僕の感覚でしかないんですけど、本って読み切ることが念頭に置かれることが多い気がするなと思っています。
けど、読むって難しいなと思っています。読み切ることに意識を向けて読み終えると、あんまり覚えていなかったり、ちょっとだけ読んでいると、まだ続き読めていないなと思いやすいみたい。
この番組では、読み切るとか読み終えることには重点を置かず、今読んだ数十ページ、1ページでもいいですし、もはや手に触れただけでもいい、もはや遥か昔に読み途中になったものでもいいので、
ゲストの方に思い出す本の感覚や、今思っていることを聞いていこうとする試み番組でございます。
さて、今回は初回ですね。第1回はどんな風になるかなって、僕もゲストの方も思っているんじゃないかなと思うんですけれども。
第1回のゲスト演説は、上村優弥さんです。よろしくお願いします。
お願いします。
さっきと比べて、ちょっと声が固いですね。
予測的な声になってるな。
ありがとうございます。上村優弥さん、普段、英字出版でプロデューサー、本部の編集者をされている方でございまして、僕の遥か昔の大先輩でございますというところで、今回第1回に来ていただいております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっと優弥さんに簡単に軽く自己紹介みたいなものをいただけたりするとありがたいなと思いましたが、いかがでしょうか。
はい。でもご紹介いただいた通りですね。
英字出版のプロデューサー、本作りをしています上村優弥です。
自己紹介、そうですね。
キタムとの慣れそめ。
慣れそめ。
慣れそめです。
学生時代、Table for TwoというNPOの活動を一緒にやっていた後輩ですね、キタムさん。
なので、今日番組用に急に敬語になると気持ち悪いことになりそうなので、上村さんの許可をいただきつつ、一言通りタメ語でやらせていただければと思ってます。
はい。ありがとうございます。
ではでは、そうだな。まさにここ始まっていくにあたり、前からこんな番組が出たら楽しそうみたいな感じで、
Facebookのメッセージを優弥さんに送らせてもらったりしながら、今日に至ってきたりしているわけですけれども、
個人的には、昔いたTable for Twoというアフリカの子どもたちの食糧支援をしているNPOなんですけれども、
その時代からもたぶん十何年くらい経っている気はしますが、優弥さんがたぶん一番話している先輩な気がしております。
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最近。
こうやってお越しいただけて、僕個人的に嬉しいなと思っております。
そりゃあこそです。
ありがとうございます。
本のプロデューサー、編集をしておられる方と、
僕の勝手な印象だけど、と聞くと、めちゃめちゃ本に詳しかったり、読んでいるみたいな印象とかを比較的、
社会的にも持たれやすかったりするのかな、みたいなことを思ったりしているんですけど、
そこら辺、優弥さんもすごい読んでいるような感覚を持っていたんですが、最近どんな感じなんですか。
この番組に出るにふさわしいかわからないんですけど、
昔はめちゃくちゃ読んでて、
それこそめちゃくちゃと言っても、本当の読書家に比べたらわからないけど、
でも年100冊以上ぐらいは読んでたんですよね。
採読も含めて。
だけど本作りの仕事が始まってからは、結構自分の作っている本の原稿を何回も読むし、
すごい集中して読むので、
文章の体力というか、結構そこで読むという力を使い果たしちゃう感じもあって、
やや読書が落ちてきている量が、
っていうのが近年の悩みで、
ちょっとずつでも取り戻したいなと思っているところでした。
そうか。
確かに想像すると、そうですよね。
編集されて今担当されている本を、
普通に読むというレベルじゃないレベルで読むじゃないですか。
今読むというのがもはや。
ひたすら読み返し続けますもんね。
ずっと一時期。
そうだね。
本当に、昔は活字を
食べているような感覚で本を読んでたんだけど、
多分、食べるという比で言うならば、
噛む回数が多いし、
たぶん顎が疲れお腹がいっぱいになっているような。
でも時々やっぱり、
自分の読書の感触を取り戻すための本というのもあって。
面白い。
本を読むとちょっと復活してきたりもするんだけど、
まだリハビリ中です。
そんなこと聞いちゃうと、最初から趣旨からずれるんですけど、
今の、時々かかみ直すみたいな。
その本ってどういう本なんですか?
ピンポイントなんですけど、
村上春樹の風の歌を聴け。
デビュー作。
そこから3部作続いていて、
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主に風の歌を聴けを、
常備役じゃなくて、敦福役みたいな感じで読むと、
読書のリズムが戻ってきて、その勢いで続編の
1973年のピンポイントだっけ?
今年の頭もその2冊は読んでて。
面白そうなんですか。
お薬みたいな。
その本はいつぐらいに出会ったんですか?
記録を見てみる。
記録がある。すごいな。
再読した時もレビューを書き直したりしてて、
そうなんだ、面白い。
持ってて日程が分かるんだよね、いつ読んだか。
大学生の時かな。
そうなんだ。
パソコンで自分の読書記録のやつを開きながら話してるので、
キーボード打ったりする音が聞こえるかも。
全然です。
一読目は2013年だから。
卒業した後か。
ユウヤさん大学院の頃じゃない?
13年だともう卒業してるね。
もう卒業してるのか。
これあれだ。結構自分が苦悩の真っ裸にいた時だ。
そうなんだ。
13年、12月20日だから。
ちなみに今苦悩と言ってくれてましたけど、
差し支えない範囲で全然いいんですけど、
どんなジャンルの苦悩だった?
もう直球で病気になってて、
働くこともできなかった時。
だから読書ぐらいしかできなかったぐらいな感じだよね。
なるほどな。
そっか、ユウヤさんの一社目の時?
そう、一社目で休んでた時かな。
なるほど。
その時にこの本を出会ってるってのは、
それはその時に買いに行った?
それとも元々ずっと本棚にあった?
これを読んだのかな?
どっちだろうね。
家にあったのかな?
ちょっと記憶が、そこの記憶がさなかった。
これは出版社入る前の話ですけど、
ブックオフで買ってるっぽくて。
今だとちょっとあんまり中古で買うことはなかったけど。
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そうなんだ。
もちろんお金もあんまりなかったからね。
でもこの時買いに行ったかどうかちょっと忘れちゃった。
なるほどな。
それって、何回も読むってすごいなんだろうな。
ある意味好きなのかもしれないし、
ある意味、その時々の変化している自分に、
どのタイミングでもフィットするみたいな。
逆にすごいフィットしないとかもありえるかもしれないけど。
すごいその付き合いの長さってすごいなって思ってて。
りゅうやさん的にはそれだけこの風の歌を聴けとの付き合いが長いのは、
どんな背景というか気持ちがあったりする感じします?
そうだね。
なんか、読むのがすごい遅い人なんですよ、実は。
飛ばし読みとかできなくて。
遅いんだけど、この本はページ数もそんなになくて、
大体一日で読み切れるんだよね。
それぐらいなんだ。
あんまり深読みせずに、ただただくぐり抜けるように読むの。この本は。
へー、くぐり抜けるように読むんだ。
多分、初読の時とか、序盤の方で読み返していた時は、
になったところに自分の頭の中のコメントを書いたりしてたんだけど、
常備訳的に読むようになってからはそういうことしなくなって、
たださーっとくぐり抜けるっていう読み方がなぜかできるものなんだ。
変に思考が湧いてくる。
面白い。
そうそうそう。
思考が湧いてこないんだ、逆に。
そうそうそう。
なんというか、さっきの咀嚼の話でいくと、お粥を食べているような感じで。
お粥なの?
甘く飲んで食べて。
なるほど、あんまり噛まずに飲み込めるみたいな。
胃腸が整うのかもね、もしかしたら。
あったかい感じなんですか、それって。
あったかさはどうだろうね、温度は考えたことないけど、
飲み込みやすさ的な意味ではお粥っぽくて、
村上春樹さんご本人も言ってたけども、
文章を音楽的に書いてるみたいなこと言ってて、
リズムがすごい読みやすいんだよね。
考えさされる文章のところもあるんだけども、
基本的にリズムがいいから、
ささささーっと、
さらさらーっとお粥のように入ってくる。
あー面白い。
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すごいなー。
読めるじゃん、ちゃんとみたいな。
自分の目が止まってるっていう感覚が、
リセットされるような感じ。
なるほどなー。
そっかー。
さっきは直近も読んだよみたいな話してくれてましたけど、
毎年頭とかに読んでたりするんですか?
えっとねー、
結構不定期で、
今年が7読目って書いてあるんだけど、
7回目なんだ。
でもね、ちょっと空いてるね。
6読目が2017年って書いてあるから、
さっきから常備役とか言っておきながら、
でも、もしかしたら感想書いてないだけで、
パラッと読んだ時もあったかもしれないけど、
でもね、面白いのが、
2017年は2回読んでるね。
えー面白い。
そうなんだ。
さーっとふくり抜けて、
読める感覚を持つみたいなのを、
欲してるのかな?
どういう感じなんでしょうね?
欲してるかもな。
多分、読めなくなってる時の、
理由、原因、
一つはさっき言ったように、
読書体力が尽きているっていうときと、
もう一個は、大事に読もうとしすぎると、
一文一文丁寧に行こうとするから、
そうすると時間かかるじゃん、当然。
読書のハードルがちょっと上がってるというか、
そうすると一日で読み終わることができないから、
せっかくその日に、
読書の感覚が戻ってきたと思っても、
翌日忙しかったりすると、読めずに、
止まっていっちゃうと。
また読み切れなかったなっていう感覚から、
また次の本手に取るハードルが上がってたりとか、
失敗体験みたいに感じちゃってるのかもね、
途中で読み終わって、
読み途中に。
失敗体験みたいな。
そう。
本作ってると、基本的には全部読んでほしいと思うから、
作った本は。
自分も人様が作った本は、
ちゃんと全部読みたい人なんだよね。
そういう感覚があるんですね。
全部読まなきゃっていう意識で、
読み切れなかったりすると、
罪悪感に近いものがあるのかもね、
俺の場合は。
それって編集とかされる前からですか?
する前から一字一句読む人ではあったんだけど、
それがさらに強化された感じかな。
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強化されたんだ。
なるほどね。
大半の時代にこんなこと言うのもあるかもしれないけど、
Amazonレビューとかね、
例えば、
何かの本のレビューで、
さらっと読んだけど面白くなかったみたいなレビューが書いてあるのを見ると、
さらっと読んでるから面白くないんじゃないの?って言いたくなる。
ちゃんと読んでから言ってくれるみたいな。
確かにね。
作り手としては確かにそう思ってもおかしくないですよね。
確かにさっと読むやつもあれば、
じんわりというかじっくりというか、
読むやつもきっとあるだろうし。
そうだね。
この本は買って、
姿勢を正して読まないとみたいな本ほど、
これようやくつんどくな話に戻るかもしれないけど、
手をつけるまでに、
なんていうのかな。
まだ読む準備ができてないかもみたいな。
つんどくになってこう結構あるかもね。
そっか。
なるほどな。
ちなみに、
さっきの風の歌を聴いての話を、
自分の中で反数してすごく感じたことがあったんですけど、
さらっとくぐり抜けるように読むということが、
何回も
この10年、15年の中で繰り返されているわけじゃないですか。
うん。
それって、
感情としては、
楽しい感じなのか、
嬉しい感じなのか、
全然違うのか。
どんな感情が。
もしかしたら毎回読むたびに違うのかもしれないけど、
でも少なくとも、
もう一回読もうと手に取ろうとした瞬間って、
何かの感情をイメージしたりしながら手に取っているのかな、
みたいなことをちょっとふと思ったんですけど、
ゆうやさん的にはどんな気持ちを期待したり、
どんな気持ちになったりするものなのか。
はいはいはい。
手に取るときは、
自分が読み詰まっているときだから、
インプットを増やしたいとか、
新しいことを知りたいとか、
もっといいと、
自分の好奇心を取り戻したいみたいな。
自分の好奇心を取り戻したい。
読んで、新しいことを知ったり、
新しい感覚を見触れたりする喜びを、
もう一回取り戻したいみたいな。
ときに、
取り戻すためには、まずあの本じゃないか、
みたいな感じで、
読んでいるときは、
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感情とは違うかもしれないけど、
たぶん心地よいって感じなんだろうな。
あー詰まっていたものが流れ始めた、みたいな。
あーなるほど。
詰まっているものが流れ始めたという感覚なんですね。
この本の続編の1973年のピンボールは、
これもたぶん同じくらいの回数読んでるんだけど、
こっちの方が、もうちょっと自分の中で洞察が湧いてくる本で、
まさにさっき言った、
詰まっていた通路が流れるっていう、
本の中のテーマもそんな気がしてるし、
だから風の歌を聴けで、
読書の流れが取り戻され、
73年のピンボールを読むと、
今度逆だね、アウトプットの、
自分の詰まっていた感覚を、
詰まりを取って、
もっと言葉を出そうと思わせてくれるのが続編だから、
今言ってる気がしたけど、
風の歌を聴けばインプットの詰まりを取って、
73年のピンボールはアウトプットの詰まりを取ってくれる本、
っていう感じで読んでる。
めっちゃ面白い。
えー。
その2冊があることによって、
ゆうやさんのコンディションが整っているというか、
多かも、そうかも。
すごいな。
それって、
個人的に結構思ってるのが、
読むタイミング、
年齢とか、
自分のフェーズによっても、
感じることも違うだろうし、受け取るものも違えば、
それこそ、前よかったなって思ってたやつも、
しばらくぶりに読むと、
うーん、みたいなのもあったりするよなって、
すごく思ってるんですけど、
ゆうやさんにとって、この2冊の本が、
そういった詰まりが取れていくとか、
みたいな感覚であり続けるのって、
いつぐらいまでなんですかね。
そうだね。
この2冊は、
もう必要ないってなるときは、来ない気はしてるかな。
今年の頭にこの2冊読んだときも、
同じように詰まりが取れる感覚はあったし、
今レビューを見てると、
やっぱり新しい気づきが出てるんだよね。
これまでの6年、
気づいてなかったことに、
そうそう、気づけてるから、
多分なんか、
ずっと発見していけそうな気もするし、
もはや発見がなくても、さっき言ったように、
自分のコンディションを整えるためのものだから、
必要なくなることはないかな、
気はしてる。
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新しい気づきが7回も、
残ってる分では7回だけど、
残ってない分を含めたらもっとあるかもしれないじゃないですか。
それで毎回やるってすごいですね。
さっきね、そんなに頭を使わずに、
さらっとくぐり抜けるだけで読んでるって言ったけど、
こういう読み方をしても、
気づけることがあるっていうのはね。
ちょっと思っちゃったけど、
なんかほら、
もともとこの、
ポッドキャスト番組自体の趣旨的に、
読んでる途中のっていう話をしてたじゃないですか。
なんか、
ゆうやさん今日話してたのって、
まじ読みまくってる本、
畑から入ったら、だなと思ってたんですけど、
新しい気づきとか感覚があり続ける本って、
その度に読み終えてると言えば読み終えているんだけど、
読み終えていないと思えば読み終えていないな、
みたいなことを思ったんです。
そうだね、そうだね。
うんうん、そうだと思う。
結局、
読み終えるっていう概念すらあるんだっけ、
みたいなことをちょっと今ふと思ったみたいな。
面白い。
本は、
その、
文章として情報を固定するメディアじゃん。
なるほど、はい、そうですよね。
だから、本は、
本という形になったら、
もう動いてないというか、
動と静で言うなら静の方だよね。
なんて思ってたんだけど、
いや本は育ってるなって思った時があって、
出来上がった。
今のオキターブの話に通じると思うけど、
やっぱりその本に対して、
いろんな人の解釈が生まれてくるわけだよね。
自分一人にとっても、
読み返すたびに新しい解釈が出たりとか、
なんか、
感覚的な話かもしれないけど、
そういう読者たちのいろんな解釈を本が
受け続けるから、
なんか育ってるような感じがあるんだよね。
なんて言ったらいいんだろう。
本自体は変わってないんだけど。
そうですよね、文字固定されてますしね。
そう、だから、
そういう感覚もあるし、
あとは自分自身もね、
人生体験もそうだし、
他の本を読んでいろんな気づきを得てから、
もう一回この本に戻ってくると、
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同じ文章でも見え方が違うことがあるから、
だから、
読み終えてはいるものの、
読み終わってないっていう感覚は、
なんかわかる気がします。
24:38

コメント

積ん読にやさしい。すてき。 そして英治出版さんの本を持っています。うれしい。

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