いやー、面白いな。ちなみに、そういうのを聞いてみると、改めて今日のポッドキャストの趣旨的なところにも立ち返ってみたいな、みたいなこともちょっとふと思ったんですけど。
高浜くん自身は、結構さっきジョアナ・メイシーさんの話、Coming Back to Lifeの話はしてくれてましたけど、本自体は結構ちっちゃい頃から読んでるタイプの方だったんですか?
読んでましたね。本すごい好きです。特に小学生の時とかはひたすら図書館にこもるとか、高校時はファンタジーものがすごい好きだったんで、いろんな、ダレンシャンとか、ああいった。
ダレンシャンって懐かしいですね。ありましたね。
ありましたありました。あとは江戸川乱歩とかの、ああいう推理小説系とかも好きでしたね。とかはひたすら読んでましたね。
中学校入ってからもそういう本はすごい好きで、その時はいろんな小説を一通り読んでたなって感じがあって、
なんかなんでしょうね、すごい妄想するの好きな人だったんで、本を読むといろんな世界が見えるじゃないですか、その想像上の。
なんかそれはすごい好きだったし、すごい今にも生きてるというか、その妄想の中こう、何て言うんですかね、純度の高さみたいな。
すごいこういう神経治療系って結構大事だなと思ってて、その自分の妄想がこう揺らいじゃうと、やっぱ無理かもなってなっちゃうけど、
小説とかであんなにクリアに妄想が描き込まれていると、妄想の信じる力が高まってるんですよ、たぶん。
面白い、はいはいはいはい。
そういう、要はその、僕もいつもこういう取り組みやってて思うのは、小説でもしシェアリビングが自然な形に出てくるとしたらどう出てくるんだろうな、みたいなって思うんですよね。
小説では普通にカフェに行って、カフェで何か主人公がお茶をしているみたいなって全然よくあるシーンじゃないですか。
はいはいはい。
で、きっとシェアリビングもいつかはそんな風に語られるはずだ、みたいなと思うんで、その時にどう語られたらシェアリビングすごい自然なんだろうな、みたいな。
で、自然ってことはすなわちそれは事業としてもちゃんとうまく持続性がある状態だと思って、なんかそういう風に自然に実現している状態みたいなものを小説的にこう想像するみたいなのは、なんかここ最近すごいそう思うし、やっぱりそれはそういう子供の頃は日本がすごい好きで、ひたすらいろんな想像の世界に。
アバター行っていたみたいなのが。
はいはいはいはいはい。
現体験としてあるなと思います。
そっか、いや今の妄想の話めっちゃ面白いなと思って、もし小説の中でもしシェアリビングが出てくるとしたら自然にどう出てくるのかって話って、
考えてみたりすると、なんかちょっとシェアリビングって単語では全然ないんですけど、すごい昔で言うとそれこそ寺小屋みたいなお寺の中でいろんな人たちが勉強をするみたいな学ぶやつとかって、
比較的なんかシェアリビングみたいなものとすごい全く違うかっていうと、なんか若干近しいところもあるのかもなーと思ったり、
それこそそうだな、昔の家って、まあ昔でも本当に昔だと思いますけど、やっぱりその家にいろんな子たちがすごい上がり込んでくるみたいな。
なんかきっと、我々の子供の時代しかわかんないけど、もっと前とかときっとあったんだろうなーって思ったりとかしてて。
特に僕、ほら、妻が沖縄の人なんですけど、沖縄とかだと、今でも結構その昔ながらの沖縄の家ってあって、それこそコンクリでガシャンって固められた家じゃなくて、
なんていうの、四方全部空いてる家、沖縄的な家ってやっぱあるなーと思ってて、そういう家とかってマジで誰でも入ってくるみたいな感じで、今でも全然あったりするなって思ったりする。
もしかしたら、確かにあんまり言われるまで思ったことなかったけど、家リビング的な要素みたいなものは確かに今も残っているところが一部あるのかもしれないし、
もしかしたら昔失われたものもたくさんあるのかもしれないなーって、今の聞きながらめっちゃ思いましたね。
いや、めっちゃそう思いますね。本当そう。なので、例えばこういう場所を見て、現代版の公民館だねっていう人もいたりとか、
沖縄の学童だねっていう人もいたりとかみたいに、何かしらこれまであったメタファーを今風に少しアレンジして理解ができたりとかってあると思うんですけど、
何にしろやっぱりこういうのってあまりにも突飛すぎると馴染まないというか、ブームで終わっちゃうとかね、あると思うから、
何かしらこれまでずっと存在してきたものの本質的なエッセンスをうまくちゃんと引き継いでいくこと。
そうすると多分、今の時代におけるまた新しい形の日常というかありふれたものになっていけると思うので。
はいはいはいはい。
なんかそのちゃんとエッセンスをどう、何から引っ張ってきてどうここに表現するかみたいな。
へー。
僕は結構すぐ突飛のことしたがっちゃうんで、こんなアイディアも出てきたぞみたいな、おもろいんじゃねーかみたいな。
ただそのおもろいのは本当に5年後10年後も続いてるのかみたいなとかは。
まあそうですよね、突飛すぎた時にそれが本当に残るかとか、そういう話じゃないですもんね。
うんうんうん。
なるほどなー、そっかそっか。
でもさっきの分かりやすいですね、大人版の学童ってめっちゃおもろいですね、表現。
ね、そうそうそう。めっちゃおもしろいですよ。ここも例えばコーヒーの焙煎機があったり。
はいはいはい。
あともう写真、超高精細な写真がいつもできるコピー機があるとか、なんかDJのターンテーブルというかもあったりとか、みんなそれぞれ趣味に依存してるんですよ、何かしら。
家だとそんなのないから、ここに来てそういうのをやるんだみたいな人がいたりとかして。
なんかそういう大人なりの遊び方みたいなのがあるなーと思って、それができる仕掛けを用意しておくみたいなのは結構大事な工夫だなっていつも思ってます。
なるほどなー。大人版の学童って思った時に、何か地域、家から多分遠くないところなのかもしれないですけど、なんか近しいのってあるんですかね、大人版の学童。
あー、何でしょうね、確かに。まだそれあんま考えたことない。
なんだろうなー。でもなんかちょっとほら、仕事終わりにどっか行くっていう時に飲み屋とか行ったりする時に、ちょっとニュアンス全然違う気がするんですよね。飲み屋、居酒屋、スナックとかって。
大江戸温泉とかじゃないですか。
ああいうスーパー銭湯系ってあれすごい、プチテーマパークじゃないですか。温泉もあるし、漫画もたくさん置いてあるし、マッサージ機もあるしとか。
なるほどー。
あれもちょっと学童的な機能してますよね、何かね。
あー、しっかり。でもそれもまたいいですね。銭湯じゃなくて確かにスーパー銭湯ですね、何か。
そうそうそうそう。
スーパー銭湯だと、マジでお風呂機能とちょっと飲み物機能ぐらいしかないから。
うんうん。
確かになー、なんかゆったりお風呂にスライを見ながら寝ちゃうみたいな、そういうのがあるのは確かにそうかもしれないですね。
おもろ。
あの感覚いいですよね、何か。
いいですよね。そう思うとあんまり鎌倉にないですもんね、そういうところ。
ねー、そうそうそうそう。そうなんですよ。
あー、確かになー。
ちなみにさっきほら、小説が好きだったって言ってくれてたじゃないですか。
はいはいはい。
それこそ、どういう風なやつを読んでたんですか、その頃。例えば中学生の時。
えーっと、中高好きだったのは常坂幸太郎さんとかめっちゃ好きでしたね。
あーはいはいはい。
うん。あのー何でしょうね、ああいうラッシュアワーとかもそうですけど、こうなってこうなってこうなってこうなるのか、みたいな。
ああいうのはすごいワクワクしたりしたとか。
あとは宮本照さんとかは結構好きでしたね。
宮本照さんは知らないな。
あの、ホタル川とか泥の川とかを描いて。
はいはいはい。
えーっと、昭和の頃の作家さんかな、メインは。
うんうんうんうん。
なんですけど、何でしょうね、何かね。
青が散るとかの方が、はいはいはい。
あーそうそうそう、青が散る、そうそうそう、ああいう青春文学系を描く人ですね。
何でしょうね、何かその味わい深さがあるんですよね。
あー。
何でしょうね、何かこの平成になって以降はちょっと失われたなんかノスタルジックの何かみたいなものをすごいちゃんと捉えて表現する人で。
うんうんうん。
なんかそういう今自分が生きてる街にはないけど何か、何か大事な味わいを持ってる、失われてしまったものみたいなものを僕は結構ずっと探してるんだと思って。
へー、探してる。
ホタルさんは探してます。最近それすごい自覚しますのか。
そう、今あの探してるって言ってくれたじゃないですか、それはどういう時に感じたんですか。
何でしょうね、なんかずっとも意識に探してます、今でも何か。
あの例えば、youtubeでアニメを、で、僕はアニメ普通のやつは見ないんですけど、何かその昭和の頃の何かタッチとか、ああいうちょっと古いあの世界観表現されてるアニメ何かないんかなみたいな。
あーなるほど。
で、何か探しちゃうんですよね。で、全然見つからないんですけど、で、何か心の深いところです。何かそれを絶望してるみたいな感じがちょっとあります。
何でかわかんないです、何か。でも何か自分の欠けてるパーツって感じがあって、淡い継承というか憧れみたいな感覚がそこにあるなと思って。
なるほどなぁ。
その何か欠けてるのって、何なんですかね。
これ何なんでしょうね。何なんだろうなぁ。それ解き明かしてくれたらすごい嬉しいですよ。
面白い。でもほら、少なくとも僕もそうだし、がゆえにそりゃそうだけど、たかまくんも別に昭和に生きてないじゃないですか。
ゆえに何か体感地としてのノスタルジーみたいな、特に何か実体験はしないじゃないですか。
実体験ないです。何か僕、こういう話になるのかな。僕このパズルがすごい好きで、子供の頃から。
でその、何ですかね、せっかく生きてるなら人生を味わい尽くしたいなって僕は日々思ってるんですけど、
その中で本当は味わい尽くせるはずのミッシングパーツなんですよね。その昭和の頃の何かみたいなんで。
要は自分が体感したことのない味わい方みたいなものですね。だから自分が体験できてるかはあんま関係がなくて、でも当時の人は楽しんでいたであろうものがあるんだなっていう時に、
それが、僕の人生にはまだそれが、そのパーツがまだ満たされてないなと思って。逆にその今の現在の楽しみ方って結構楽しんだなと思って。
美味しいご飯食べるとか、海外もたくさん旅行行くとかはして、そういうのはもう満足したけど、
逆に昔の人が味わっていた、例えば僕はいつも憧れているのは何か駅前にあるコーヒー屋さん、カフェがあって、そこで自分の友達と待ち合わせて、
ただそこでなんかカルボナーラとかを食べるみたいな、ナポリタンとかを食べてる風景とかに憧れてるんですよ。
駅前にコーヒー屋さんできたから食べようぜみたいな。 言ってみたいのに一度も言えなかったんですよね。
そんな行きたいお店もないしみたいな。 おお、なるほどね。
でも多分タッチとか、なんか当時の漫画とかではよくそういう喫茶店でそうやってだからね、食べてるシーンってよくあるじゃないですか。
あるある。 あれ憧れるんですよね。自分が体感したことがないから。
それはそのパーツは自分で、なんていうんですか、それこそ多分そのパーツがあるよねっていうふうに認識した時に、
そういうものがあるよなーって言って終わっていいって言う人もいるし、はたまたそれやっぱ自分としても体感したい、みたいな風に思う人もいるような気がしてるんですけど。
そうですね。 中村くん的にはそれはやっぱ自分としても体験したい?
体感したいですね。僕そのやっぱパズル好きなんで全部のピース集めたい人って逆に言うと、そのピース集めたらもう、なんていうか、そのピースはもう興味なくなるんですよね。
はいはいはい。 例えばもうあんまり美味しいご飯欲があんまないから別に、そんな日々納豆ご飯でいいです、だし、
海外も結構いろいろ旅行したから、別にそんなにめっちゃ行きたいってわけでもないとか。
集め切ると終わるんだ。 そうそうそうそう。次のピースは何だろうって探しちゃう。
はいはい。じゃあ今のミシングパーツって言ってくれ、そのノスタルジックな感じっていうのは、あくまでも今現時点でまだ集まりきってないっていう意味であり、
で、もう一つの挑戦としてピースだなと思っているしみたいな、っていうのがいっぱいありますね。
あー、そうか、一つの挑戦をするみたいなも、確かにパズルなんだ。
うんうん。
はいはいはい。
へー、そっか。今、このシェアリビングの授業を通して集めているパーツっていうのは何なんでしょうね。
それは良い問いですね。それは良い問いだな。
なんか、うーん、届いたんかな。
何て言ったんやろな。昔あったはずのピースを集めてる話と、何か実はこんなピースが本当はあるはずだっていう話が多分両方今ここに絡んでるんですよね。
めっちゃ面白いですね。
前者の方、前者は普通に、大学とか小学校のまさに学童とかもそうだけど、何かあそこに行けばみんないるみたいな、何かそこで遊べるっていう感覚?
今だとどこに行くにしてもお金かかるじゃないですか。お金払って、ご飯が出てきて、美味しいのを食べて、みたいなとかでなっちゃうけど、何かもっと遊んでたよなっていう、あの子供の頃の感覚?
で、その遊んでるのを気の合う仲間とやってたみたいな、とかがあって、何かそのピースを働き始めてからあんまり感じないなみたいな。
へー。
何かそれを今風な形で取り戻したいなみたいなのが、そういうかつて体感したはずのピースみたいな話だし、一方で何か自分なりに何かボーナスステージというかその隠れステージみたいな、隠れピースみたいなものとしてやっぱ思うのは何て言うんですかね。
同じ町に住んでる人たちって絶対もっと協力し合えるはずだみたいな話の方ですね。
こんだけネットで繋がって世界一の人とは一応繋がれるのに、同じ町に住んでる人の中で友達ってできること全然ないなっていう、出会わないじゃないですか、新しい人として。
確かに確かに。
普通だと、鎌倉は出会いやすいですけど、でも何かそこって絶対可能性があるみたいな。
これはもう、何ですかね、そのノスタルジー側じゃなくてもっとフューチャリスティックな未来はそうなっているはずだというか、まだ実現していない可能性についてのピースの方だなと思って、勝手にそのピースを作ってるみたいな感じですね。
めっちゃいいですね、そっか。その自分なりのボーナスステージっていうのはまたいいですね。
ね。
でも何か今言ってくれてたのは、同じ町に住んでる人たちはもっと協力し合えるのではっていう話、確かに本当そうだなと思って。
何か僕、今ほら鎌倉の真横の図志に住んでますけど、鎌倉とは多少違う町だけれども、やっぱり図志ってめっちゃちっちゃいんで、住める土地もコンパクトだし住んでる人も少ないし、多分市の中では結構ちっちゃい方な気がするんです。
いろいろコンパクトで、結構駅前にカフェとかマジであんまないんで、だいたい図志駅前のスタバにいると、2階に1階ぐらいは誰かと会うみたいな感じが結構あったりして、意外とそれも好きな感覚があるんですよ。
やっぱりそういう町に住んでるからこそ、すごく最近思ってるのかもしれないですけど、もっといろんなものをシェアし合えた方が、より幸せになりやすかったり、お互い助け合えることって、もっとたくさんだろうなーみたいなことはすごく感覚的にすごく思っていて。
そういうのをなんかもっと、結構図志ってあんまねえよなーみたいな感覚はすごい最近あったんで、今の聞いてハッとしましたね。
いやーほんとそう、ほんとそう思います。絶対できる、あるはずなんですよね、それが。
はいはい。
なんか同じ町に住んでるんだから。
そうですね。
で多分この話は何でしょうね、僕あの小学校の頃によくあの、いろんな家の前になんか何かあったら私の家入っていいからねっていうなんか看板ありませんでした?
ありましたね、ありましたありました。
あれすごい好きだったんですよね。なんかあったらこの人の家入っていいんだみたいな、なんかそれすごいワクワクしてますよね。で、家に人の家に入るのすごい好きで。
うんうん。
面白い。
こういう感覚に近い。
はいはいはい。
いいですね。なんかあの、今聞いて思い出すのが、今は僕が住んでる家の隣、お隣さんとこの前話してたんですけど、そこのがあの、奥さん旦那さんがいて、お嬢さんがいて、お嬢さんまだちっちゃいんですよね、3歳ぐらいとかで、
この前ふと出会ったらその奥さんの方が骨折してて、まあ腕、まあ右腕かな?がまあギブスではめられて、外に、家の外に立ってたんですよ。
ああ、腕どうしたんですかみたいな話をしながら聞いたら面白くて、今これ何して待ってるんですかって僕は聞いたんですよ。なんか待ってたんですよね、その奥さんとお子さんが。
そうしたら、なんか娘の保育園に送ってもらおうと思って、車運転できないからって言って、ああなるほどみたいな、まあ確かにそれはできませんよねって話をしたんですけど、送ってもらうってバスとかなんですか?みたいな話をしたら、なんかあの、寿司のおばあちゃんみたいな人がいて、毎回送ってもらってるんですみたいな話をしてた。
え、それはおばあちゃんなんですか?みたいな話をしたら。
そうですね。
全然おばあちゃんじゃないですよみたいな。
それじゃあなんかサービスでお金払ったりとかしてる感じなんですか?みたいな話を聞いたら、全くそんなことなくて、ただなんか仲良くて気がついたら送ってくれてるおばあちゃんですみたいな話をした。
はいはいはいはい。
俺すごいっすねみたいな。
なるほど。
サービスとかだったらまだわかるけど、まあそうでもないんだみたいな。
すごい仲良しかって言ったら、別になんかそれ以外とは合わないんですよねみたいな話をしてて。
この距離感も絶妙だなみたいな。
うん、確かにそうですよね。
でもそのおばあちゃん的には、まあなんか別に自分の子育てなり、いろんな家族のお仕事が終わったから、朝早く起きるし、まあ誰かのためになったらいいんじゃないって思って、すごいゆるくやってるらしくて。
うん。
なんかそういうのって、なんか普通に自然にこの人たちやってるけど、すげえなって思ったんですよ。
うんうん。
そういうのなんかもっと広がったら、確かにみんなもっと楽しそうみたいなことは聞きながらすごい思ったんですよね。
っていうのを今聞きながら思い出しました。
いやーめっちゃそう思います。
めちゃめちゃそう思いますね。
なんかその街の中にいろんな知り合いがいて、なんかあったらみんな協力したりとか、たまに喧嘩も起きるみたいなとか、なんかそういうのってなんか大変かもしれないけど楽しそうだなって思うんですよね。
あーまあ確かに、たった大変なことがあるじゃないですか。
そうそうそうそう。日々の中に自然とカオスというかその予定不調和が起きてるみたいな。
はいはい。
今ってすごいもう予定調和しか基本起きないじゃないですか。
自分の生活はほぼ自分でコントロールできちゃうから、そんな変なことも起きないし、会社の往復なんで、その仕事の中ではね、いくらでもきつくきつくなことが起きますけど、この暮らしという点ではそんなに変化が起きない。起こさない限りは。
でもなんか江戸時代とかで日々なんかもう急に例えばこう火事が起きて、私の家も焼かれるとかもそうだしとか、そういう日々の中に予定不調和なカオスが織り込まれてる感じ、楽しそうだなって憧れてるんですよね。
確かにな。
そうですよね。江戸時代とかだと火事になったら別に自分の家開けてないのに燃え広がらないように潰されたりとかしますもんね、家。
ね、そうそうそう。で、みんながいろんな人が集まってバケツリレーするだとか火消しの人たちが駆けつけるとか、なんかあのひっちゃくめっちゃかしてる感じすごいなって思う。
確かに。今だとなんかもう広がらないために潰されたらもうなんか凄まじい損害賠償というか。
どうなんですよね。
そう。で、もう消防隊の人は決まってるから、その人たちが勝手にやるから、みんな何もするわけでもないしみたいな。
外でなんかちょっとスマホで写真撮ってるみたいな感じですもんね。
そうそうそうそう。もっともっと拡覧されたいんですよ、なんかこう。
拡覧されたい。
人生が。本気だかみたいな。
いいですね。拡覧されたいか。あるなあ、それ。いやそれ、あの、ほらこの前、たまくんいるところにも連れてきましたけど、今妻が妊娠中で、ちなみにこのポトキャストも編集してくれてる妻なんですけど。
うわ、そうなんですね。ありがとうございます。
一番最初に聞いてるのが妻なんで。
あの、妻が妊娠してて、今度8月に生まれる予定なんですけど、子供。一人目なんですけど。
そこも明理するとやっぱ結構すごい今の話ってめちゃめちゃ思うところがあって。
それこそ今って、親二人が子供一人を育ってる、二人を育てるみたいなところで、全部完結せざるを得ない構造になりがち。
で、やっぱその二人だけは追い込まれるけど、いわゆる昔だと周りに、おじいちゃんおばあちゃんとかもたくさんいたし、兄弟も多かったりしたから、他の子たちが下の子を見てるとか普通だったし。
そういう家庭状況の中だったからこそ、両親もなんかいろいろやりやすく、生活しやすかったみたいなのが、今そういう繋がりがないから、どうしても育てしづらいみたいな環境下だよなと思ってて。
それなんか、もうちょっといろいろ打破することを地域で、もちろんやってる人たくさんいるんだろうなってすごく思ってるんですけど、もっと広がっていきたいし、僕たちもすごい共有に享受したい気持ちもするし、それをなんか広げていく活動みたいなこととかもなんかしていきたいと願いそうだな、自分みたいなことを最近思ったんですよね。
博覧されたいというのがすごいわかるなって思いました。
そうなんですよね、本当に。