大学生の忙しさと地域との関わり
前回の続き
大学生、今の大学生、忙しすぎ問題みたいなのもあるかもしれない。
それはありますね。
忙しいんですか?
忙しいですよ、大学生、今。
でも、めっちゃ暇だった、記憶が。
もちろん忙しいけど、でも、例えば週1日ぐらいは、わりとなんもない日あるなとかさ、
それ感じではないんだよね。
人によるかな?それこそ、ちゃんと目的意識を持って大学に入っているとか、
就活意識しているって人は、結構、いろんな活動、学内学外問わず。
インターンとかもすごい大変じゃん。
でも、本来的になりつつあるっちゃあるかもしれないですね。
僕らの世代、どうしても、大学入りました。
遊べて、みたいな、そういうイメージあったけど、
でも、本当はね、勉強しに行くところじゃ、勉強しに行くところだし、
何かをおさめに行くところだから、それで合ってるとは思いますよね。
話してたのは、町に出る学生が少ないっていうのは、本当にそうで、
だから、出る学生に話がすんごい集まるんですよ。
そこにね、頭数が少ないというか、プレイヤー、思いつく人がいないから。
そうですね。これやってくれない学生とか、学生さんね、こういうのに興味ある人いないですか、みたいなのとかが集まってくるんですよ。
それはそれで面白いね。
確かに必然な感じもするし、そうなるわなって感じ。
それをなんとか分配したいから、本当はそういうオフマントキッチンとか、入り口に人が、ずっといなくてもいいけど、何かしらアクセスがあればいいなって思うけど、
中にいる自分が思うよりも、街中のそういう謎のオルタナティブスペースって、肌から見ると敷居が高い。
コミュニティと先輩世代の影響
そうだよね。どうなってたら入りやすいんだろうね。
やっぱり最初は、なんか面白そうなイベントをやって、一回目的、ちっちゃい目的を作って、そこからなんとなく入れるようにグラデーションみたいな感じになっていくのが手取りがいいのかなとは思いますね。
そうだよね。入りづらいよな。
確かに。いや、分かるっすよ。だってね、なんか古着屋とか、面白そうな古着屋とかに、こうガーンって思って行くじゃないですか。
そうすると、だいたい店の外に、この人店員なのかな?この人お母さんなのかな?みたいな。
言ってやるからね。
そう、よく分からないお兄さんみたいなのがあって、店の中に入っても、店員さんはだいたい常連の人たちと会話してるし、
なんかすっごい、あれだらだら書きながら服見るみたいな経験とかは、割と多分あるような気がして、それと多分めっちゃ近いんだろうなっていう気はする。
ちょっとこう、楽さがあるんだよね。その楽さ、一旦言っといて、めっちゃ話したら優しいみたいな。
なんかそのギュンって引き上げられると、もうギュンってしちゃって、また来週来ます。ちょろいなみたいな。
それはある。
勇気出した分のご褒美みたいなのはあるかもしれないよね。
なんかそのスモールステップみたいなものが、機械的にあんまり与えられなかった世代だったりだとか、みたいなところは確かにそうかもしれないな。
入りづらいとか、より感じるものかなとか。
なんかそういうめちゃくちゃ優等生的に、街にかかりたいとか、まちづくりしたいとかっていうよりも、もうちょっと不純な方がいいんだよね。
可愛い子がいるからとか、お酒がただで飲めるからとか、なんかおいしいとこ、なんか最後までいれば奢ってもらえるからとかでも全然いいじゃんね。
学生とかだからね。
そういう感じだよな。
その助けみたいなものを、やっぱりきちんと作っていくってことが超重要なのかなとか。
あとはだから、それを俺らが言うと、すごいなんか変な感じだから。
そうね。
それこそかほりさんとかが代弁して、
あの人普通に怖そうだけど話したら全然聞いて相談乗ってくれるよとかさ、
を下の世代とかに言って、またなんかチェーンにそうなっていくとかっていうことなのかしらみたいなね。
やっぱりその縦のつながりというか、見知りがいるお店とかスペースってだけで、なんかこうやっぱり違うというか。
なんか前、どっかの回で、兄貴システム。
あれはどういう、あれはまたちょっと違う。
兄貴システムはどういうことですか。
兄貴システムは要は、でも今さっきのフルギアの話とかと結構近くて、
ゴールデンウィークとかに帰省して帰ってきて、
なんかちょっとカルチャーっぽいような店とかに侵入していき、
そこでなんかちょっと話したりとかするとめちゃめちゃ感化されて、
あれここで働きたいかなみたいなふうにときめいてしまって、
そこに出身するっていう形で、
Uターンみたいなのがあり得るんじゃないかみたいな、
そういう文明だったような気がしないでこない。
そういう人たちにたくさん出会うことによって、
それがつまり街の魅力であるっていうふうに解釈し、
Uターンのきっかけになるよねとか、
そういうふうにして帰ってくるUターンは割と幸せな方みたいな。
あとはなんか調べてもわかんない。
職能みたいな。
なんか多分俺らのやってることも、
いわゆる何なのかっていうと、
デザイナーなのかプロデューサーなのかとかって言っちゃうとあんま伝わらないし、
なんか違うよなみたいなのが、
兄貴システムだともう全てがわかるし、
ローカルの人につなげてもらえるし、
その人と一緒にいたらっていうのが、
意外とこういうとこだとあってんじゃないみたいな。
そうね、なんかいつの時代でも兄貴がいたのかなっていう。
あーなるほど。
そうだからコロナの話とかで言うと、
上限のつながりない世代みたいな人がいるんだとしたら、
そこなんか飛び込んできてくれたらさっきの情報全部集まるじゃないけど、
めっちゃみんな可愛がるよねみたいな。
上の人たちはね。
とかあるよね。
街の魅力と経済的な側面
最近急に自分より6個上?
5、6個上の世代とつながることがすごく多くて、
つながるっていうか勝手に知り合いの知り合いだみたいな感じで、
2個上以上があんまりわりとモヤっとしてたんですけど、
急にポンポンってつながるっていうのが多くて。
世代がちょっと飛んでいくみたいな感じってこと?
そうですね。
ここでアルバイトを始めたのと同時に、
鍵屋ビルのムックさんとプリンツさんは、
でも人が足りないって言ってて、
あそこでも、
あそこ代々アルバイトさんが文芸大出身の人がやっていて、
それは知ってたんですけど、
最近5、6個上の人とつながるというか、
出会ったりとか、
それが前のギャラリーのバイトの先輩と友達だったとか、
こんな風に静岡にいて楽しく暮らしてるとか、
浜松にはいないけど、
クリエイティブなキャリアを歩んでる人がいるとか、
いう話を聞いたりすると、
一気にもうちょっとその先の将来のことが見えると。
ロールモデルをちょっとインポットできるみたいな。
こういうキャリアのやり方あるんだみたいな。
でもそれって割といわゆる一般就職とかの、
わかりやすいキャリアじゃないから、
大学は紹介しないんですよ。
そりゃそうだよな。
私も大学に行って知らなかったんですけど、
そうやって街に出て、
長沼さんって学科そこだったら、
いるよみたいな。
かぶってないから知らないですねみたいな。
でもどっちの方が自分のフィーリングには合ってるかもみたいな。
結構大事だなって思いますね。
文芸大卒じゃなくても似たような関心があって、
街で面白いことやってる人たちとかいたりするよとか聞くと、
かなり元気出るというか、いいなみたいな。
そういうのもありかみたいな。
それこそ高谷さんが言ったんでこっちに戻ってきてとか、
結構私はロールモデルが一つにはなってるところで。
素晴らしい。
そうなんだね。
大城界隈みたいなものに接続する瞬間みたいなのがやっぱりあるじゃないですか。
多分そこに一気にぐっとつながったんだろうなって感じはしますよね。
なんか今日、
今日じゃねえや、
振り返ると何回か、
今日めっちゃいい人と知り合えたなってホクホクで帰って寝る日とかさ、
すごい幸せじゃんか。
そういうのが大学の時にいっぱいできるといいよね。
言うと、みんなそう思ってるって、
私が若者代表みたいな感じで今日言うけど、
って思ってるのは割と少数派なんですよ。
ちょっと待ってこれ。
入れ子構造になってるな。
ずっとこれは同じ界隈で、
ずっと少数派の話をしてるだけだったって。
この話をいただいた時に、
好きだから話せるの嬉しいなって思いつつ、
私はだいぶ前例なんだよな。
でも自分がそうだったことを信じて、
いろいろそういう人を増やしたいなって思っているところではあるんですけど。
いやでも、まあまあそうだね。
なかなか大多数にはならない。
ならないよね。
そうですね。
大多数にならないけど思うのが、
例えば美術館とかも結構同じ悩みというか、
必要としてハードルを乗り越えてきてくれる人をどうやって作るかとか、
社会的にどうやって作るかみたいな、見せるかみたいな、
同じ課題があると思うんですけど、
でも別にみんな必要じゃないんですよね。
そうだね。
だけどでも、自分もそうだし、
同じ学科で同じことに興味ある人もそうだけど、
でもそれに救われた人もやっぱりいたりとか、
救われたっていうと大げさだけど、
それで例えば楽しみを見つけられたとかいう人が、
ちょっとでもいたりするなら、
受け皿じゃないですけど、
全員がすごく必要だって思う必要ってあるのかな。
回していかないといけないから、
お金的な意味ではそうだけど、
誰か少数の人に刺さることも大事にしたいなっていうのが、
最近思います。
マジでそれに、
お気づきにならないというふうなことに、
すごいなっていうふうに、
確かに。
僕とかはやっぱり実践の中でそれに気づいたっていうか、
別に大多数の人に向けてでもいいんだが、
尖ったこと、別に自分尖ったことっていう必要はないけど、
おもろいって思うことを世の中に届けたいとか、
繋げたいんだが、
でもそれを続けていくためにはやっぱりお金が必要で、
経済性みたいなものにならないといけないよねっていう話はあって、
それをどうやって回していくかっていうところは、
20後半から30代今ぐらいの結構大きなテーマとして、
自分の中では割とあったりとかするので、
やりながらね、傷つきながらね。
傷つきながら?
何で傷ついたんですか?
何で傷ついたんですか?
失敗みたいなのは本当に数限りなくあるよね。
無知に言うより失敗とかもめっちゃあるし、
普通に俺一般常識ないんだなみたいなこととか。
街の文化と理想
で、そういうチャレンジをしてる人を見て、
欠けてるところを見るとか、
してるので、そういうところを見ながらね。
いまだにだから割と正解みたいなものは見出せてないっちゃ見出せてないし、
トライは途中ではあるけども。
そうか、なるほど。
でもなんかそうだよな。
街っていう風なものを何ですかね、
頭のそのマイナーな何かを飲んだりの装置であるみたいな、
そういう文脈で割ともしかしたら捉えちゃいがちなのかな。
僕はとか自分が。
今ちょっと内省してしまった。
過小に?
外省化していると特別視しているっていう。
こうあるべき論みたいなものがもしかしたらあるかもしれない。
街イコールカルチャーにぎわいみたいな楽しいところ。
コミュニティと居心地
理想像が。
理想像もしかしたらあるのかなとか。
何かに出会えるとか。
少しなんかその、私は多分そっちに近いんですけど、
にぎわいとか何かに出会える楽しさとか、
それこそ一番最初に言ったらなんか刺激足りないなみたいな。
もっといろんな人と出会いたいなみたいな。
だけどなんか本当にそれもやっぱ少数で、
もっとなんか安心できる場所とか。
安心ね。
居心地がいいって思える場所とか。
っていうのもなんかすごく大事なのかなって。
最近、何でしたっけ。
庭の話。
うのさんの。
買った。
買いました。
分厚いやつ。
分厚いやつ。
庭の話。
っていう本。
っていう本、タイトルがね。
その人の、本の話はちょっと厚すぎるんで。
その人がインタビュー受けてる動画その中で、
なんかコメントがついていて、
要は、スタバだったりだとか、
ああいう風なところに結局みんな行く。
共和的な無関心みたいなもので、
すごく居心地がいいんじゃないみたいな話をチラッとしていて、
ああ、それ確かにそうかもなって思った自分がいる。
自分はそこにいていいんだけど、
自分も興味ないけど相手も興味ないよねみたいなことが担保されてる。
でもなぜか集まっている。
軍が安心なんだけどみたいな。
そういう特命制みたいなものとかは都会的には必要なとかあるんだよね。
街に何かは割と必要なもので、
自分の生息したいコミュニティみたいなものにどっぷり好かれるっていうところもあるけど、
一方で特命制が担保されている空間みたいなものに居られるとか、
そういう場所があるっていうことは、
出しの良さだよなっていう条件だなって思ったんです。
めっちゃわかるね、それは。
それとか矛盾してないんだよね。
両方欲しいんだよね、きっとね。
両方欲しい、めちゃくちゃわかります。
私が語ると、
例えばさっきの黒板とキッチンってすごくいろんな人に出会えて、
沸きあいあいと過ごせる場所ってたまに聞こえるんですけど、
実際にいると、別にあの空間の中でテーブルが1個、大きいテーブルが1個くらいあるんですけど、
別に一緒にいないんですよ。
一緒の空間にいるけど、
例えば奥で高校生がわちゃわちゃして、
すごいいもどきな会話をしてる。
手前とか道の、もっと道側の方では大学生が寝てる。
レッドさんが高校3校に来て座ってるとか、
意外と交わって、いい距離感が。
ただ同じ場所にいるけど、干渉してないみたいな状況。
だから結構、居心地がいいなって、ほっといてもらえてるのはすごくいいなって思うし、
その感覚を、この前なんか、それこそボンコーヒーのアルバイトをしてて、
椅子がたくさんあるじゃないですか、
あそこで結構同じようなことを感じたんですよね。
そこはめちゃくちゃ囲われてる空間ではないけど、
でも目に入るじゃないですか、
経済と空間の形成
サラリーマンの人が休憩してたりとか、
高校生が楽しんでて、
言っていくとか言ってくれるとか、
でも絶対一つの空間ではあるんだけど、
お互い別に無関心。
まぁ無関心って言うと冷たいんですけど、
でも認識はしてるっていう。
目の端で捉えてるけど、別にコミュニケーションは当然しないし、みたいな。
そうですね。
なんか、たまに知り合い同士がお!みたいな、お!みたいな挨拶してたりとか、
起きそうで起きない。
起きないけど、まぁなんかいいか、みたいな。
なので、ゆるさはすごくなんか思い出しましたね、高校生に。
だから、いろんなところで起きうるんだよね。
なんか、条件が整えば。
起きうる。
けど、たぶんそれだけですよね。
例えば、僕は今、天井の北方っていうエリアで、
そういう直進校みたいなのが出てるんですけど、
こういう風な場所に住めし、みたいなことをやり始めた途端に、
そういう目的的な、さっき言ってた、
共和的な昔みたいな、空間とかっていうのが生まれなくなっちゃうんじゃないかな、
っていうことがすごい思って。
なんなんだろうね、こう。
やろうとしたところにやろうとすると到達しないっていう、
そういうトリックが仕掛けられてる感じがね。
はい、間違い、ぽーん、みたいな。
それが面白いのかね。
だから、真面目にやろうとしてもうまくいかないし、
真面目にやると意外となんかうまくいってる感じはするんだけど、
それが再現できるようなものでもない、みたいな。
だから、そういう意味で言うと、
奥版とキッチンっていうのが街だったんだ。
街的な感じじゃない?
そうだね。
空間です。
街的な感じ。
あの場所だよ、大人が。
あとは管理人の人がそこに、
お金を生み出すっていう場所じゃなくても入ってていいよって、
最初はしてくれてたから。
なるほどね。
そっか。
そこはだから、あるよね。
そっか。
いや、それさっきの、
目的がないと行動しづらいみたいなところの意識っていうのが、
街とかそういう風な空間にも反映されてしまっている、
そうだね。
可能性は往々にしてありますよね。
親がここは1階なんだから、
いいやつに貸さないといけないんじゃなかろうかっていう目的に
縛られちゃうと、
そういう空間は生き延びられないから、
そういうことは起こらないし、ってことですね。
もしくはさっきの奥版とキッチン的な話をすると、
要はそこを維持するために裏では、
大人たち経済を回していたわけじゃないですか。
どこか別のところでバランスを取ってたっていうね。
余裕がなくなったら、
そこの空間っていうのは巻き込まれてしまうわけじゃないですか。
経済性の中に取り込まれてしまうわけで、
もしかしたら昔、
例えば浜松の街とかでいうと、
もう少し経済が潤っていたというか、
浜松の時代だったら、
例えばそういう風な空間っていうのは、
結構いろんなところにありましたから、
あったのかもしれないなという風に感じたりしたんですよ。
そうだね、なんかゆとりみたいな、
余裕みたいなものが、
それを実はキープできてたみたいな。
それはお金持ってたりかどうか持ってる人のゆとりもそうだし、
使う人のとか、
社会的にもオーラかというか、
そういう、まあまあいいかみたいな。
若気のいたりかみたいな。
みたいなものは、
めっちゃあるよなって感じするし、
逆にでもそれで、
そうだね、聞いて。