1. 読書のまにまに
  2. #49 『ベルゼバブの孫への話』..
2025-06-16 29:29

#49 『ベルゼバブの孫への話』ーー自分という存在は、自分のものなのだろうか? | ゲスト・生き方の探究案内人 / 菅野隼人さん 【読書のまにまに】

spotify apple_podcasts

哲学系ポッドキャスターでキャリアデザイナーの菅野隼人さんをお迎えして、人生と“読み欠けの本”について語り合います。
前編では、まず菅野さんが自ら「生き方の探究案内人」と名乗るようになった背景や家族の存在から感じる人間観を語ります。
 

【今回のゲスト】

生き方の探究案内人 / 菅野隼人さん 
生き方に、問いとことばを。哲学(それ哲ラジオパーソナリティ)とキャリア(「転職ありきじゃない転職エージェント」ミライフキャリアデザイナー)を通じて、人生の違和感と向き合い言葉にする人。
思考と感情を大切にしながら、「ことばの伴走者」として今日も過ごしております。

X:https://x.com/kanno_kyoto
note:https://note.com/kanno_kyoto

それ哲ラジオ:https://open.spotify.com/show/43AViPZ3nn0KnrbRmDFjda
 
【登場した本】
coming soon!!!

サマリー

今回のエピソードで、生き方の探求案内人である菅野隼人さんが読書を通じての生き方の探求について語ります。彼は自身の経験とキャリアデザインに基づき、読書が人生をどのように豊かにするのかを探ります。また、菅野隼人さんは自身の哲学やライフスタイルについて深く掘り下げ、苦しみや生きる意味、大切な人生観について考察します。特にカントの考え方との関連が強調されます。菅野隼人さんが自らの生き方について語り、他者との関係性や変化について思索を深めるエピソードで、特に家族の存在が自己認識に与える影響が考察されています。

番組の背景と目的
はい、今日も始めていきましょう。読書のまにまに。この番組は、あらしろゆうきがナビゲートとしてお届けします。
読書のまにまには、ゲストの方のこれまでの人生と人生の中で読みかけてきた本を1冊、2冊取り上げながら、
その瞬間の読書を楽しむことに意識を向けていく番組です。
本を読み終えるとは何かというふうな問いを持つときに、読み終わることなんてなくて、
どんな本も読みかけなのではないかと考えると、もっと読書が気軽で楽しいものになるんじゃないかなというふうに考えています。
一度目を通した本、買っただけの本、時々手にする本、本屋さんで見かけるだけの本、どんな本でもですね、あなたにとって読みかけであり、それでいいんじゃないかと。
今回もゲストの方をお呼びをしております。今回のゲストは、生き方の案内人の菅野さんです。よろしくお願いします。
菅野さん、よろしくお願いします。
はい、ありがとうございます。
なんか改めて、あの、さっき言っていただいて、僕もメモをしたわけですけど、生き方の案内人っていう紹介の仕方は人生で初めてしたなって思いながら。
そうですよね。ごめんなさい。探求案内人って一応自分で言っていて。
なるほど。
探求をしたいんですよね。
はいはい。失礼しました。探求案内人。
ちょうど半年前ぐらいに、なんか自分がやってることってなんだろうと思って、なんか名付けようといろいろしたときにこの言葉に出会ったって感じですね。
なるほど。それも後ほど諸々聞いてみたいなと思っておりますが。
はい。ちょっとあの、菅野さんのこと知らない方はリスナーの方にいらっしゃるかなと思っておりまして、自己紹介などなどお願いしてもよろしいでしょうか。
もちろんです。初めまして、菅野駿と申します。
普段はですね、ミライフっていう会社でキャリアデザイナーって言ってるんですけれども、いわゆる転職に悩んでるとか、キャリアのことを相談したいという人の支援をしてるっていうのが普通の仕事の方の話でして、
もう一個、私も実はポッドキャストやってまして、ストレートツーラジオという哲学をテーマにしたポッドキャストをやってるっていうのが、大きなニコの活動かなという感じですね。
今ですね、実は私京都に住んでおりまして、実家は岩手県の森岡市なんですけれども、大学のときに京都に来て、すごく夏暑いっていうことを除けばめちゃめちゃいい場所だなというところを思いまして、
今、奥さんと娘、6歳の娘の3人で暮らしております。
菅野さんとはですね、東京かなに、社会人で最初住めたんですけれども、そこでたまたま出会いまして、そこからなんだかんだ、たぶん1年か2年に1回ぐらいお会いさせていただきながら、仲良くさせてもらっているというふうな人間かなと思うところでございます。
今の伺いながら、そうそう、菅野さんと、たぶん最初会ったのは東京の神楽坂で、僕がシェアハウスにいたというかやっていたときに、僕の同居人の拓さんという、このポッドキャストで2人目かな3人目かなとかに出てもらった人、書道家なんですけど、その人のたぶん流れで、菅野さん、うちに遊びに来てましたよね。
そうですそうです。拓さんと、当時東日本大震災って2011年だと思うんですけれども、支援活動みたいな文脈で出会いまして。
あ、そうでしたね、そうだそうだ。
そうですそうです、はい。当時結構お仕事でそういうこともしてた中で出会って、すごい面白い人だなって思ったら、意外と家が近いみたいなことが分かって。
はい。で、飲んでたら菅野さんが帰ってきて、3人で飲んでたみたいな。今でも覚えてますね。
そうですね、なんかあの時、なんかドローンの話とかしてませんでした?
そうですそうです、そのドローンで無農薬のお米を作るっていう活動を当時その海外の人がしてたんですよね。
で、その活動にサポーターとして一緒に関わっていて。
そうだそうだ、そうでしたね。
あのシェアハウスはなんかね、同居人の皆さんがいろんな友達を連れてきていたので、帰ると誰か知らない人がいるみたいな。
結構毎日会って、いろんな方とおしゃべりをしながら、比較的は菅野さんはよく来てくれていたような気がする。
そうですね、やっぱりなんかすごい楽しかったのを覚えていて、もちろんシェアハウス経験者の方からしたら当たり前かもしれないんですけれども、
全然知らない人がいきなり初めましてで行っても、なんか成り立つというか、仲良くなれるみたいな空間だったんですよね。
やっぱりそこの出会いみたいなのが面白くて、ちょこちょこ遊びに行かせていただいたなっていうのも思いますね。
ありがたいですね。
あの時は神楽坂の一軒家を3人で借りて作りした部屋あり、ちょっとリビングおよび横の部屋は空いてて、そこはみんなでよく使ってるみたいな感じでしたね。
懐かしい。
たぶんあれが始めたのが、たぶんね、僕が23の時だから、ちょうど10年前な気がします。
10年、そうか。
いやーなんか、何を話してても、あれもうそんなに前でしたっけって最近になるんですよ。
いやーこれはやっぱなんか、何て言うんですかね、20代の頃あんまりなかった感覚って気がする。
確かに確かに。
そっか、ありがとうございます。
なんか、そうだな、ちょっとどこからお話しするといいかなって今思ってたんですけど、
僕はどうしても、今日ここに来るまで一切そういう話をすると思ってなかったんですけど、
生き方の探求
生き方の探求案内人っていうのがどこからどこにやってきたのかみたいな。
今日聞かないと、僕自身嫌な気がすると思って。
確かに、言葉だけ残して去っていくみたいな。
聞いてみたいなと思ったんですけど、それはいつぐらいからでしたっけ。
本当に半年前とか1年前ぐらいかな。
もうちょっと言うと、最初とりあえず仕事ではキャリアデザイナー、定職支援をしていて、
プライベートでは哲学のホットキャストをやってるんですけれども、
2つ言うのってちょっとダサいなって思ったんですよ。
なるほど。
結局なんかこれって、統合できることってないのかなとか、
結局それを通して自分は何をしてるんだろうっていうのをちょっと考えたくなったんですよね。
それこそGPTとかも使いながら、自分は一体何をしてるんでしょうかみたいなことを考えていたときに、
と思ったのが結局生き方みたいなものって、
すごい大事なのに意外と誰からも教わんないなって思ったんですよね。
それこそ学校でとか親からとかあるかもしれないですけど、
あなたって、ちょっとすいません。
あなたってこう生きたらいいよねって言われることってどこもないじゃないですか。
はいはいはい。
だし自分でもそれって探そうと思って探せるもんじゃないなと思ったときに、
自分って基本ずっとそれをやってるなって思ったんですよね。
それこそ自分ってどうやって生きたらいいんだろうか、それを求めて哲学の方に答えがあるんじゃないかとか、
何か参考になるんじゃないかっていう風に潜り込んでみたりとか。
またキャリア支援とかも、結局仕事だけじゃなくてやっぱり人生とか、
プライベートも含めた生き方っていうものを今一緒に良くしようと思って変わってるつもりなんですけど、
そこも結局生き方に向き合ってるなと思ったときに、
何かもっと良く生きたいとか、自分の人生を良くしたいって結構普遍的な感覚なんじゃないかと思ってて。
それを一緒に探求しますよ。
むしろ僕自身がそこに興味関心がありますよっていうこととして、
生き方の探求案内人みたいなものを掲げてるっていう感じですね。
なるほどな。
何かすごい聞いてみたくなっちゃったんですけど、
さっきほら、ご自身の本業というか会社でやられている上での、
ご自身の役割というか肩書きみたいなものと、
ポッドキャストっていう話、2つある意味でそれを統合するみたいな話されてましたけど、
それってどのタイミングでその違和感が生じたのかすごい興味あるなと思って。
出ていけるのは、今の会社にいらっしゃるのも、
そしてポッドキャスト始めたのも本当に最近ってわけじゃなく、
多分ポッドキャスト3年ぐらい前とかからやられているんですかね。
そうですね、3年前ですね。今の会社に入ったのも3年前ですね。
ですよね。
それまでは2つのものがあり続けてきた判の3の状態だったんだろうなと思って、
それを理解して違和感を感じたのはどういうきっかけだったのか、
タイミングだったからすごい興味が出ました。
ありがたい質問ですね。
それは本当に面白くて、最初のうちは両方やっていることが自分として喜びだったんですよ。
何とか例えば時間とかもやりくりしては仕事も頑張るし、
ポッドキャストも頑張っている自分みたいな感じだったんですけど、
やっぱりそれこそ2年ぐらい経ったときに、バランスがちょっと崩れてくるんですよね。
バランスが崩れてくる。
例えば仕事が忙しくなるとポッドキャストの収録をするのがちょっとオップになるとか、
なるほど。
逆にポッドキャストもテーマがうまく決まらなくて台本を作るのが大変だとなると、
仕事の集中ができないとか、例えば。
なるほどなー。
本来両方やって楽しかったはずが、それぞれのバランスが崩れてお互いに足を引っ張るようになっちゃったんですよ。
なるほど。
そういうときになんかこれ不健全じゃねと思って、
結局自分ってなんでこの2つの活動をしているんだ。
もちろん仕事と趣味って分けちゃえばそれまでなんですけど、
でも時間を、それなりにやっぱりポッドキャストも時間って結構つくじゃないですか。
っていうときに、そこにちゃんと自分なりに意味付けをしてあげないと、このバランスって整わないかもって思ったんですよね。
なるほどなー。
そっかー。
なんかそれを聞くと、そりゃそうかって今すごく思ったんですけど、
カノさんの本業のことはそんなに詳しく知らないですけど、
ポッドキャストの方は時々聞かせてもらってたりして、
ありがとうございます。
5兄弟でやられてるじゃないですか。
むしろこの番組聴いている皆さんはぜひ検索してみてほしいなと思うんですけど。
もしよければ。
哲学の内容で5兄弟でやられていて、
単純に兄弟でやってるっていう2人の家系を聞くだけで僕は単純に楽しいんですけど、
こんな方なんだなーみたいなことを思いながら楽しいんですけど、
内容としてなんていうんですか、すごい準備がいるじゃないですか。
すごい間違ったことを適当に言うもんでもない、
哲学の話って、すごいかなりご準備をたくさんされた上で2人望まれてるんだろうなって、
すごい聞きながらいつも思っていて、
すごい尊敬心しかないというか、すごいすげーなーって思ってる感覚があって。
いやいやいや。
そういうのを思い返すと、確かにさっきおっしゃったような、
確かに仕事が忙しいとポッドキャストの準備なかなかできなかったり、
ポッドキャストの準備すごいすると本業に差し支えあるみたいな、
そういうことが起きるんだーってなんか今ちょっと聞かせてもらいながら初めて、
なるほどって思いました。
確かにね。いや普通に考えたら頭悪いと思うんですよ。
ポッドキャスト趣味でやってるのに、それこそ毎週やっぱ本を読んだりとか、
結構寝る時間削って論文読むとかやってるわけですよ。
時々なんだ俺こんな苦しいことやってるんだろうみたいな、
思うんですけれども、もちろんそれは聞いてくださる方がいてっていうこともあるんですけど、
生き方の探求の始まり
やっぱ自分が好きだし、やっぱ自分の人生にとって大事だって思ってるんですよね、その時間が。
でもじゃあなんで大事なんだろうって言われたら、
勝手に自問自答したときに、なんか分かんなくってなんか哲学が好きだからみたいな、
本当にそうかって思ってたって感じなんですよね。
そっかそっかー、なるほどねー。
面白いなー、そういう流れがあったんですね。
ちなみにその生き方の探求案内人という言葉を、
ご自身としてその認識した、言い始めたところから、
今ちょっと時間が経ち始めてきてると思うんですけど、
それを言うようになってから何か変化したこととかってあるんですか?
そうなんですよ。
実はそんなに公に言ってはいないんですよ。
ただ、Xのプロフィールをそういう名前にしたりとか、
あとやっぱり自分は生き方っていうものをテーマにしたいんだっていうことに、
ある種ラベルをつけたときに、
なんですか、やっぱりこう、全部そこにつながってくるというか、
それこそ仕事をしてても、やっぱりこの人の生き方を豊かにしたいと思うんですけど、
実は、例えば最近カントとかをまた読んでるんですけど、
このカントを読むことで、自分の生き方ってどんなふうに豊かにできるんだろうとか、
そういうふうな、何て言うんですかね、なんか器というか、
それができたことでいろんなものがやりやすくなったっていうのがありますね。
そうなんです。
そうなんです。
その生き方というラベルみたいな話をしてくれてましたけど、
それがカントさんにとって大事なラベルになっているっていうのは何なんですか。
それはですね、非常に難しいんですけれども、
おそらくどんな人にもやっぱりいわゆる、
時間とか人生観とかって多くの中であると思うんですけども、
それができたことで、いろんなものがやりやすくなったっていうのはありますね。
時間とか人生観とかって多くの中であると思うんですけど、
なんか結構中学生ぐらいから自覚してるのが、やっぱりこう、
人生は基本僕苦しみだと思ってるんですよ。
いきなりブッダみたいなことを言いつくんですけど、
一切効くために。
その苦しみって要は思い通りにならないことが多いよね、
思いがけないことが起こって大変な目に遭うというときに、
もし人生が大変なことで焦れてるとしたら、
生まれてきたことにいいねって言えないなって思ったんですよね。
やっぱり生まれたからには、もちろんいろんな環境とか状況の人がいるとは思うんですけど、
少しでも楽しく生きてほしいとか、
少しでも生まれてきてほしいというか、
少しでも生まれてきてよかったって言える方がいいよなと思ってて、
そうしたときにどうしたらそういう風な人生、生き方になるんだろうっていうことを、
割と自然に考えるようになったというか。
そういうことを考えてるうちにもはや、
苦しみと人生観
むしろ苦しみを自分で増やしてるんじゃないかと思うときもあるんですけど、
本当にいろいろ考えずにのんびり生きていくとかもあると思うんですけど、
でもそれをある種考える自分だからこそ、
そういうある人にとって、例えば北山さんにとって、
どんな生き方が一番フィットするんだろうかとか、
そういうことが一緒に探求できるんじゃないかなと思ってる感じですね。
それってちっちゃい頃から思ってるんですか?
結構思ってますね。それこそ本当中学生ぐらいからかな。
そうなんだ。
リオカでそんなことを感じながら座ってたんですね。
今から思うと、いわゆる中二病というか、
ちょっと狭い世界だったなと思うんですけど、
でもやっぱり、
全然親もすごく、いわゆる普通の中流家庭というか、
別にすごく豊かでもなく、別に貧しくもなくという意味では
恵まれてる家庭だとは思うんですけど、
なんかやっぱり自分が生きてる実感が少ないとか、
なんか息苦しいみたいな感覚は常に思ってましたね。
へー、そうなんだ。なるほどな。
ないですよ、そういう感覚。ちなみにないっていう人も結構いらっしゃっていて、
僕は逆にそれは驚きだったんですけど。
これって言うと、かんのさんと同じ感覚かどうかはわからないですけど、
少なくとも僕の自分の認知としては、
苦しみであるとまでは思ってたかわかんないですけど、
ただやっぱり難しいことというか、
たくさんあるし、それを持ってどうやってやっていくのかなみたいなことは
すごく思ってた気がするなと思って。
それこそ、今の聞いて、これが通じる人がいるのかあんまりわかんないんですけど、
かんのさん同世代だからわかるかもしれないですけど、
中学生ぐらいのときかな、僕も同じく、
すごく記憶している漫画のワンシーンがあって。
ジャンプ読んでました?
読んでました、読んでました。
リーグレイマンっていう漫画だったのか。
はい、リーグレイマン、知ってます。
比較的マニアックな方向にジャンプの中だとはな気がするんですけど、
あの中で主人公が他のキャラクターに対して、
とある叫んでいるシーンがあるんですけど、
他のキャラクターが何のために生きているのかわからない的な話をしているときに、
その主人公が言ったのが、正確な言葉じゃないんですけど、
生きる目的を探すことを目的に生きてもいいんじゃないか、
みたいなことを叫んでいるシーンがあって。
おー、なるほどね。
それがすごい僕の中で、主人公アレン、相手がリナリーリーっていうキャラクター。
懐かしい、はいはい、いましたね、アレン。
もうあれから一回も読んだことないんですけど、僕。
そこだけやたらすごい記憶していて、
結構中学生の自分にとってすごい衝撃的だった感覚を覚えてるんですよ。
自分が生きている理由ってなんかわかんないなーみたいな気が、
すごいその頃していた気がするんだけど、
確かに生きている理由、目的みたいなものを見つけることを、
確かに理由とか目的にしてもいいのかもしれないみたいなことを、
すごいそのとき思い、
そう思うぐらいだから比較的なんか苦しみみたいなものを感じている自分だったんじゃないだろうかっていうのは、
さっきカンノさんの話を聞きながらすごい思いました。
死の考察と家族の大切さ
そうですね、その言葉にやっぱり、
心引かれる人は多分何かを考えたんでしょうね、やっぱりね。
いやー、そうなんですよ。
いやー、そっかそっか。
なるほどなー。
でもカンノさん、それ中学生であったっていうのは、何があってそんな風に思ったんでしょうね。
何なんでしょうね。
いや、今から振り返っても、
当時の自分っていわゆるめちゃめちゃオタクみたいな感じで、
今でこそね、押し勝つ文化だとか、
アニメは日本のポコリプラだとかってあると思うんですけど、
20年間ぐらいってやっぱオタクってちょっと、
何て言うんですかね、
抜けすまれるって言い過ぎそうじゃないんですけど、
ちょっと隠しておいたほうがいい趣味だったんですよね。
でもその頃はなんか、
特にアニメとかね、
そうですね。
深夜アニメとかってなったときに、
やっぱそういうのに結構、
それこそあの5つ目の、
アニメの影響はあるかもですけれども、
結構好きだったりとか、
ハマってたときに、
それを楽しんでたっていうだけじゃなくって、
やっぱりなんかこう、
いわゆるタナトスみたいな話ってあるじゃないですか、
生きるだけじゃなくって、
やっぱ死ぬっていう方に惹かれるというか、
生きるを考えるには、
常にやっぱ死についても表裏一体だよねっていうのは、
なぜかそこに中学生ぐらいにたどり着いてですね。
生き方はもちろんあるんですけれども、
結局言うと死に方でもあるじゃないですか。
昔は結構、
これ皆さんもあるかもですけど、
別に早くいつ死んでもいいとか、
早く死んでもいいって思ってたんですよ、
割とリアルに。
それは命の大切さを知らなかったからだなと思うんですけど、
やっぱ今こうやってね、
結婚とかして子供が生まれたりすると、
なんか自分がやっぱ死んだら悲しむ、
絶対悲しむ人がいるとかって思ったときに、
やっぱり自分の死に方をちょっと考え直さなきゃいかんなみたいな。
なるほどね。
これはちょっと最近の話ですけど、
やっぱり中学生ぐらいのときは、
別にいつ死んでもいい、
それを太く短く生きるんだ、
みたいな感じだったんですけど、
今考えると、
もうちょっと長く生きたいよねとかってなっていることも、
当時と自分、今の自分とで、
繋がっている部分も変わっている部分もあるなと思うんですよね。
なるほどな。
でもなんか今の聞いてちょっと、
なんか一瞬わかるかもみたいな感覚があって、
本当ですか?嬉しい。
何て言うんですか、
いつ死んでもいい、どれぐらいでもいい、
みたいな感覚をすごい言語化して、
めちゃめちゃずっと毎日持ってたわけじゃないけど、
ただとはいえ、
なんか別にそれはそれでいいんじゃないって思っている僕が、
数年前までいた気はするなって思っていて、
ただそれが確かに僕も、
いつだ、
今日、一昨年か。
一昨年結婚をして、
もうちょっとで子供を産まれますけど、
やっぱそういう中で、
なんかそれ、
いつ死んでもいいとかそういう話じゃないかなみたいな。
いや、ありますよね。
なんかそれはなんて言うんですか、
そこの二人を養っていく的なニュアンスというよりかは、
そこがある意味家族というもの自体が、
より大切だよねと。
別にうちでもちろんそれまでも親とかいるし、
家族はいるんですけど、
ある意味、
自分という存在以外に、
より大切にするみたいな概念が生じたときに、
なんか、
ちょっと今すぐ死ぬとか死んでいいとかそういう話じゃなく、
やっぱなんか別に、
スーパー長生きしたいわけではない。
だからそこでなんかちゃんと考えていくと、
感じながら生きていくこと自体、
やっぱ大事なんだなみたいなことを、
ここ数年で感じ始めたんですよね。
だから、
そういう、
ちょっと恥ずかしい部分があるかもなーって思いました。
いや、わかります。
今ね、話でちょっとふと思い出して、
本当に恥ずかしい話なんですけど、
子供が生まれる前、
奥さんと二人のときは、
実はまだ、
別に死んでもいい、
いつ死んでもいいと思ってたんですよ。
一瞬、悲しいかもしれないけど、
もしかしたら別の人と出会うという、
可能性が広がるかもしれないっていう、
そういう、
そういう、
未来もあるよねって結構思ってたんですよね。
奥さんにとって。
やっぱり、
子供が生まれたときに、
仮に自分が死んだら、
奥さんは、
他者との関係性
子供から、
お父さんどこ行っちゃったの?とか、
お父さんどうしたの?とかって聞かれたら、
それは、
寂しいような、
嫌だろうなって思って、
そういう気持ちはさせたくないなっていうのが、
ふつうふつうと湧いてきたんですよね。
そういう意味では、
自分を誰かに預けるというか、
相手に自分の一部を渡す感覚を、
初めてそこで、
何だろうな、実感して。
誰かに預けるか。
それまでは、
自分は自分のものとか、
いろいろな人に預けちゃいけませんっていう、
変に殻を作ってたんだなっていうのも、
ここ数年で感じたんですよね。
なるほどねー。
そういう、
そういう、
いいですね。
自分は自分のものとかじゃなくっていうのは、
なんか、
いくつか前にの、
この仏が連れてくれた高脇信子さんって、
鎌倉でケーキ屋さんやってる人がいるんですけど、
はいはいはい。
その人と話してるとき、
あれ、仏さんの中かな、雑談の中か、
おっしゃいましたけど、
いわゆる、
その方も、
娘さんが3歳ぐらいかな、
とかで、
なんか、
生まれた後に、
すごく思ったんだよって言ってくれたのが、
すごい今思い出してて、
何かっていうと、
主人公が変わった感覚があったって、
言ったんですよ。
自分というものが、
主人公として人生を生きていたが、
そうではなく、
それが、
その主人公というもの自体が、
世代が変わった、
娘になったみたいな、
そんなニュアンスのことを言ってくれてて、
それを聞いたときに、
自分のことを思っているとかじゃなくっていう、
今の話がすごい繋がるなって思いました。
うんうん。
でも面白いですね。
なんかね、感覚的には、
主人公が変わったというよりは、
他の人も主人公である、
もっと言うと、
なるほどね。
その、やっぱり、
いろんなものが繋がって、
自分だったり相手っていう存在がいるっていう、
そういう繋がりとか、
網目みたいなものが、
意識できるようになったってことはありますかね。
網目ね。
家族の影響
うん。
僕たちはどう生きるかみたいな話。
まだ見てないんですよ、まだ。
見てないんだ。
そうかそうか。
そういう感じの話もあるんですね、あれは。
なんか、
本とか読んだことあります?
本もなくて、ジブリの映画もなくて。
そうなんだ。
そうかそうか。
なんて言ったっけな、
なんとか網目の法則みたいな話とか出てくるんですよね。
はいはいはい。
いろんな人が、
ざっくりと今、カノさん言ってくれた話だなと思って。
いろんな人たちがいて、
それすべて連動しながら、
繋がり合いながら、
世界社会が形成されていて、
それが網目のように広がっているんだっていう話とかを、
この本、
映画の中でもそうかな、
言ってくれてるんですけど。
なるほどね。
いやー、でもそっかー。
どういう感覚かー。
うん。
面白いなー。
感覚が変わるかなー。
変わりますね。
その変わったのも、
もちろん生活が変わったからでもあるんですけど、
実際哲学とか思想でもそういうのがあるんですよね。
そういうのってのは。
そういうのっていわゆる、
僕らって普段こう、
自分という主語というか主観が、
世の中っていう客観を捉えているっていう風に、
やっぱどうしても思うじゃないですか。
はい。
実はそれだけじゃない、
人間観とか世界観っていろいろあって、
うん。
最近勉強しているホワイトヘッドっていうちょっとマニアックな哲学者がいるんですけど、
はい。
イギリスの19世紀、20世紀の人かな。
うん。
まさにそういう、なんていうんですかね、
自分とか世の中っていうふうに分けないっていう世界観の哲学を作った人がいるんですよね。
へー。
うん。
それともするとそれって結構、
やっぱり仏教っぽくって、
要は自分が中心じゃなくって、
うん。
むしろ空っていうものだけがあって、
うんうん。
そこにいろんな現象が起きるんだっていう発想にちょっと近いんですけど、
うんうんうん。
だから意外とこの哲学とか思想的にも、
やっぱり自分が主人公だとか、
自分というものが世界に携わっているんだみたいなもので、
うんうん。
考え方でしかないんだみたいな。
はいはいはいはい。
でもなんかこうちょっと頭で理解したのと、
家族が増えてとか子供ができたっていう体で感じたことが合わさったときに、
あれなんか自分の思ってた生き方は違うかもみたいな。
うん。
そこでやっぱり気づくわけですよね。
なるかもねー。
はい。
確かに。でもなんか今のを聞いてみるともしかしたら、
ガンノさんがいくつかのなんかその取り組みというか社会の中での役割があったとして、
それを今回この生き方の体感内にっていう言葉にまとめるという行為自体は、
もしかしたら今みたいに娘さんがいるとかじゃなかったらOKないのかもしれないなーみたいなことを聞きながら思ったりしました。
いやでも本当にそれはありますね。
たぶんろくでもない大人でしかなかったんですけど。
そうですか。そうなんだ。
うん。奥さんとか子供がいなかったら本当に。
なるほどねー。
自分にとってはやっぱりすごい大事な、もちろんね今の世の中で結婚するしないとかね子供生まないって全然理由だと思うんですけど。
そうです。
なんか自分にとってやっぱりそれはすごいありがたい関係性だったんだなというのはやっぱりしみじみ最近感じますね。
そうなんだー。
29:29

コメント

スクロール