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2026-03-16 35:27

#83 『歩くという哲学』ーー明治神宮で気づいた、”歩く”は気持ちのいい無意識な行為 | ゲスト・編集者, コピーライター/山村光春さん

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前回に引き続き、編集者/コピーライター山村光春さんをお迎えして、“読みかけの本”について語り合います。
 
【今回のゲスト】
編集者, コピーライター / 山村 光春さん
カフェやインテリア、ファッション、海外文化など。生活まわりのジャンルにおける企業やブランドのコピーライティング、雑誌や書籍、ウェブの編集・執筆を手がける。「やさしい編集室」主宰、「京都芸術大学」講師。またリフレクソロジーのユニット「FOOT&LIGHT&GO.」としても活動。東京と福岡の2拠点暮らし。 おもな編著作として「カフェの話。」「眺めのいいカフェ」(ともにアスペクト)「おうちで作れる カフェのお菓子」(世界文化社)「家具をつくる、店をつくる。そんな毎日。 -MAKING TRUCK- 」(アスペクト)「MY STANDARD 大人の自分定番」(主婦と生活社)など。

【登場した本】
『歩くという哲学』フレデリック・グロ

感想

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00:09
いやー、またそんなこんなで、長らく話しちゃったんですけど、ちょっとそろそろ本の話に追い込むかなっていうね。
追い、ぜひぜひ。
思ってみたんですが、この番組の趣旨としては、読みかけの本って何ですか?ってところと、その本についていろいろ話していくってところを持っておりまして、
山村さんにも読みかけの本を一つ出していただきながらお話ししていけたらなーって振り持っておったんですけれども、
何か今のタイミングで出てくる読みかけの本って、どんな本が出てきますか?
はい。2冊ありまして、ただ僕は今日ちょっとお話をしたいのは、やっぱりこのフレデリック・グロさんという方、思想家の方の著書の
歩くという哲学、まさにこのことについて話してみたいな、しっかり、まさに本当に今も読みかけの本でもあるので、これがいいなと思いました。
なるほど。ありがとうございます。今、2冊っておっしゃっていただきましたけど、この本に一旦行ってみますか?
そうですね。けどなんかね、紐づいてるんですよ。もう一冊とも関わってはくるので、流れて必要とあらば話していきましょうか。
わかりました。ありがとうございます。この歩くという哲学、フレデリック・グロさんですね。
はい。
なんか今、僕も見つけていましたけど、発売は結構めっちゃ最近なんですね。あれか、1年前ぐらいか。
そうなんですよ。これ自体は、もともとフランス人の方なんですけども、もうすでにフランスだけでなくては21カ国の言語にも翻訳されてるんですよ。
21。結構前からある本なんだ。
いや、めちゃくちゃ本当に。で、もう名調だと言われてるのが、もういよいよここで大和渓谷さんがお早く押してくださって、いよいよ満を持してみたいなようなことで、観光されたっていう。
なるほど、なるほど。ちなみに、この本には大和渓谷さんはどういうタイミングでこの本を知ったんですか?
ああ、けど本当に、自分が歩くということに対して意識を向けるようになった時に、たまたまこの本が新しく出るっていうふうな情報を聞いて、大和渓谷さんで見たのかな。
03:01
もう、なんというか、まさに今のジャストフィットって感じでした。
ああ、そうなんだ。楽に歩くということに意識を向けるようになったって今おっしゃってましたけど、どういうタイミングでそれを歩くということに対して意識を向けるようになったんですか?
これはですね、えっとこれ不思議な話なんですけども、なんかね、急になんかね、歩くことが好きになったんですよ。
めっちゃ素敵。
本当に。
それまで僕、自転車がすごく好きで、どこに行く時にも大体自転車を使って移動していたんですね。
で、例えば、電車だと1時間かかって、そこから、例えば駅から10分歩くっていうようなことだとするとしても、歩く10分が嫌だから、1時間半かけて自転車で行くみたいなことをしていたんですよ。
まあでもそうですよね。結果別にそんな時間かかわないし。
そうそうそうそう。時間もかかんないし。何なら体をめっちゃ動かす。
そうですよね。何なら体にもいいしみたいな。
そうそうそう。まあそういうのもあって、どちらかというと自転車。
自転車だったんですね。
歩くことにおいてはかなり低いと言いますか、どちらかというとめんどくさいとか、あとは歩くことに対してタスクのような感じで思ってたのかな。
ああ、タスク。
で、それがある日突然本当に歩くが得を募みたいなような考えになって。
そうなんだ。
そうなってくると歩きたくてしょうがなくなるというか。
面白いそうなんだ。
そうなんですよ。変わって。そこからもずっと歩いてるって感じです。
そのある日突然はいつやってきたんですか。
それこそ今見たらね、歩くという哲学が出たのが去年の3月っていう風になってたんですけども、まさに本当にこの辺りですね。
1年ぐらい前だ。
そうだそうだ、そのぐらい前だ。
その頃は山村さんに何があったんですか。
たぶん歩くとかっていうのはちょっと非効率的というか、ある意味時間もかかるし、それだったらもっと早く自転車の方が行けるみたいなことなんで、もどかしい感覚だったんですよね、きっと歩いてるときが。
06:06
その前は朝とか走ったりしてたんですけども、歩いちゃダメだっていう風に自分になぜか課していて、
それってトレーニングという見地、視点からいくと歩くっていうのはちょっと堕落というか、
なるほどなるほど。
なんかこう諦めたみたいな、そういうようなイメージ。
だから歩いちゃいけないっていうふうなことをずっと自分で課していたっていうふうなところだったのが、
けどなんかたぶんあの時かなっていうふうに思ったきっかけっていうのが、ある雨の日だったんですけども、ざんざん降りの朝ね、
ある日本当に歩こうと思って、それこそカッパ着て、長靴履いて、
当時僕住んでたところが代々木の明治神宮が近くに住んでたんですよ。
めっちゃ都会の真ん中ですよね。
そこでその、ある日歩こうと思って、しかも雨の日に明治神宮を歩いて、そのまま三宮橋って言われている裏側、原宿から入る明治神宮というのが、
山道としてはすごく著名だと思うんですけど、
そうなんですよ。そこから入って、そこからずっとぐるーっと回って、それこそ原宿の方まで行って、
代々木公園に行って、みたいなようなことを雨の中ずっと歩いてたときに、
なんかこう、すごく気持ちが良かった。
そうなんだ。
あの時の体験は結構覚えていて、
なんか今考えると、あの時が結構きっかけだったんじゃないかなというふうに思います。
なるほどね。その三宮橋から歩くということ自体は初めてだったんですか?
歩いてたんですよ。歩いてたんですけど、
そうだそうだ、思い出した。代々木公園に僕はずっと走りに行ってたんです。
ただ明治神宮は走っちゃいけないんです。
そっかそっか、確かに。そういう意味で見たら。
そうなんです。だから歩かざるを得ないわけですよね。
確かにね。
だからこんなに近くにあるのに、あんまり入ることをしなかったんですよね。
なるほど。
そう。だけど、明治神宮は歩くっていうようなことをせざるを得ないので、
よく行ってはいたんですけども、ただただお参りに行ったりとかするっていう目的で、
09:06
ある意味、家からお参りをするために行くための一つの手段として歩いてたって感じだったんですよ。
だけどその時は歩くが目的になってたんで、
もちろんお参りはしたんですけど、
お参りが目的じゃなくて、だからそこが転換かなというふうに思いました。
目的なく歩くという行為を楽しめたというか。
そうです、まさに。
それはどんな変化だったんでしょうね。山田さんの中で。
たぶんその身体感覚みたいなところにひも付いていくというかね。
って話だと思うんだけど。
なるほど。そんなタイミングがあったんですね。
そのタイミングでこの本をたまたま見つけたんだ。
そうなんですよ。
それはまたいいタイミングですね。
そうなんですよ、まさに。
まさに本当にそうなんです。
ある意味山田さんにとっての歩くということに意識を向けてという年月というと、
この1年がめちゃめちゃ強い時期というか、むしろここみたいな感じなんですね。
まさに本当にそうなんです。
そこに意識を向けて気づいたこととか変わったことってあるんですか。
めちゃくちゃいっぱいあって。
さっきのやっぱりその身体感覚っていうところにひも付いてくるんですけどね。
今までやっぱり考えたわけですよ。
今まで走るっていうのはやっぱりことをしていたりとか自転車っていうふうなことをしていたときは、
やっぱり自転車の方が効率がいいとか、エクササイズとして効率がいいとか、
時間的にも短縮されるとか、
どっちかというとそういうふうな頭で考えて、こっちのほうがいいよねっていう、
僕せっかちなんで、そういうふうにやっぱり手段としてそういうふうに思ってたんですよ。
それが自分の中の、歩くはそれに対して非効率な行為みたいなようなところが、
ちょっとやっぱり頭考えていること、脳の感じていることっていうのと、
あとはその身体感覚、体が気持ちいいなとか楽しいなとか、
喜ぶなとかっていうふうなことが別々だったっていうか。
あー別々だったんですね。
そうそうそう。だから頭で動いてたっていう感じの違いかな。
12:05
今はそれよりも頭と体が一緒に動いてるっていうか。
なんかそんな感覚があるんで。
面白い、そうなんだ。
それって多分生成AIが出てきて、よりやっぱりその辺のところを意識せざるを得ないみたいな時代になってきたじゃないですか。
そういうことともしかしたら交互しているというか。
なるほど。
のかなというふうなこともちょっと今考えてます。
その頭と体が一緒に動いているっていうふうに感じるのは人生上他にないんですか。
考えたり、意識はしたことなかったかもしれない。
そうなんだ。
連動させてる感じがしてるっていうのを。
なるほどな。
それを何か意識したのが、本当に歩くっていうふうなことから導き出された。
なんか腑に落ちた感覚というか。
なるほどな。
それはすごくあったな。
あともう一個あってね。
もう一個というか、これは昨日、一昨日かな。
最近。
まさに気づいたことなんですけど。
なんかホヤホヤの言葉なんですけど。
この時、結果3時間ぐらい歩いて3万歩ぐらい歩いたんですよ。
すごいな。3時間で3万歩ぐらい行くんですか。
そうなんですよね、歩いて。
結果そのぐらいに歩くことになったんですけど。
その時にまたなんかちょっと頭と体を連動させて、
この歩くという性格の方を読んで、
例えば歩くというのはこういうようなところが素晴らしい、
こういうところがやっぱり歩くというのはいいっていうふうなことを脳で理解してたわけですよ。
これ自体が脳に支配されてるというか。
本ってそうじゃないですか。
やっぱり知識を得て脳を発動させて、
考えるっていうふうな感じだ。
考えを深めるっていうふうなことにおいては、
本ってすごくいいんですけど。
この本を読みながら、
なんか歩かなきゃってなって、
自分で感じて、
自分で感じたことを言葉にしたきゃっていうふうなことを
その時すごく思って。
で、そのからずっと歩き続けながら考えていたことなんですけども、
その時に思ってたのは、
15:02
歩くって無意識の行為にちょっと近くてね。
体が勝手に動く。
自分が前に足を出そうっていうふうに思わなくても勝手に前に出ている。
どっちかというとそういうことだと思うんです。
に対して、例えば、
坂を登るとか山を登るとか、
あとは走るとかもそうなんですけど、
より意識してその筋肉を使って、
例えばここをこういうふうにして走ろうとか、
こういうふうにして歩こうとか、
山を登ろうっていうふうに、
やっぱ意識が働くわけなんですよね。
そうですね。
だから無意識ではいられなくなるわけですよ。
確かに。
で、歩いていると、街を歩いていると坂があったり、
けどかと思えばもう本当に平地で、
ずっとまっすぐの道で、
信号もなくて、
例えば公園の中とか川だったりとかそういったところで、
もうほぼほぼ無意識しかないっていうか、
そこにはもう何か意識せずともずっと歩いているみたいなような状態が続くわけですよ。
そうするとちょっと一種の迷走みたいな状態になって、
なんかぼやーんってするんですよ。何も考えないっていう状態。
へー。
で、その状態と、あとは階段を登ったりとか山を走ったりっていう状態って、
ある意味、自分次第で操縦ができるっていうのかな。
操縦ができる、はい。
なんか意識を込めて、
例えば今日はここの膝にちょっと力を入れようとか、
ももに力を入れて歩こうとか、
なんかそういうふうに意識もできるし、
無意識でそのまま歩いててもずっとぼーっとして歩いていられるし、
その中に浴用みたいな、
そういうそこを自分の中で操縦できる楽しさがあるんじゃないかなと。
なるほど。
ちょっと何言ってるかわかんないですよね。
いやいや、でもね、面白いです。
いいなー、そっかー。
なんかでもそういうのを感じながら歩いてるんですかね。
感じながら歩いてるか、歩いた後にそれを操縦してるのかな。
歩きながらずっとそれを考えてました。
そっかー、すごくいいなー。
なんか今の聞きながら、とある友人の話を思い出したんですけど、
このフォトキャストもよく聞いてくれているというか、
前も一回ゲストに出てくれた人なんですけど、
歩くのが好きで、東海道を全部歩いたりとかしてるんです。
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昔の道ってあるじゃないですか、中川道とかいろいろあります。
全部制覇したいみたいな、言ってたような気がするんですけど、
歩いてて、前東海道、日本橋から京都まで歩いている、歩き始めた時に、
途中で数キロだけ一緒に歩いたことがあったんですよ。
僕の住んでる家の近くを通るところだったので、
ちょっと一瞬だけ一緒に歩いてっていう感じをしたことがあって、
その時に彼が言ったのがすごく僕は記憶していて、
歩き始めると、毎日歩いていくと気づくことがあるみたいで、
太陽は西に沈んでいくんだって気づいたって言ったんですよ。
確かに東海道で日本橋から京都まで行くと、
確かにずっと東から西に行くんですよね。
だから自分の背中から太陽が上がって、
自分の向かっている方向に太陽が落ちてくるじゃないですか。
確かに理科的には、学問的には東から西に落ちるのはそうだそうなんだけど、
それを体感覚で感じるってそんなに明確になかった気がするみたいな話をしてて、
なるほどなみたいな。
確かにそれはそんなに絶対的にこういうふうに上がって落ちていくよね。
知らんわなってすごく思ったんですよね。
それそれそれ、まさにその感覚だと思います。
歩くって確かにそういう、何て言うんですか、
確かに気づいたから何か人生が変わるほどの知識かわからないけど、
少なくとも何かしら体感覚として明らかに人生が変わるとか、
何かが変わる、考えも何もかも、
かなり180度変わるような体験になる可能性すらあるんだなって、
すごくその気は思ったんですよね。
いや本当にそう、まさに今荒瀬さんがおっしゃってくださったように、
体感、その感じ、それはすごくその言葉近い気がします。
そうなんだ。
ちなみに矢村さんはこのまま歩き続けてどこに行くんですか?
歩いているっていうふうなことって、
今この歩くという哲学を読みながら思っていることっていうのは、
人としてのどうあるべきかみたいなようなことが
どんどん変わっていくんじゃないかっていう期待があって。
そうなんだ。
それこそ本当にこの中で、
ルソーが言っていたことがあってね、
21:01
これがすごくグッときてたんですけども。
ルソーっていろんな人たちに急断されたりとか、
いろいろなことがあったんですけども、
その後歩くというのをずっとして自然にこもるようになると、
嫉妬とかそういったものがどんどんなくなっていったり、
あと恨みとかそういうものじゃなくて、
歩き続けることでどんどん悪いのも感じなくなるし、
親しみも感じないと。
ただ苦しい目にあっている人がいれば、
力になろうという優しい感情が起きてくると。
朝日を受けた花が花弁を開くようにっていうふうにここでは書いてありますけども、
苦しみを前にすると自ずと心が開くっていうか、
この境地めっちゃいいなと思って。
めっちゃいいな、そうなんだ。
自分の意味、すごく目標ができたなと思った。
目標なんだ。そっか。そこに向けて歩いてるんだ。
そうなんですよ。そこだと思って。これだと思いました。
面白い。そうなんですか。そっか。
面白いな。
いろいろ気づかされます。
いやー、そうなんですね。そっか。
ちなみに歩いてる中で、今この1年間歩いてきてる中でと、
これからだと違うかもしれないですけど、
今、山村さんが歩く中で大切にしてることなんかあるんですか。
はい。自分の中で、
ただ歩くっていうふうなこともさることながら、
いかにいいコースを歩くか、みたいなようなこと。
へー、そうなんだ。
そこに今、いろいろ楽しみというか、面白さを生み出していく。
どこを歩くかっていうことが、
めっちゃ気持ちよさく連動してするので、
それをずっと日々、実験みたいな感じで、
いろんなコースを歩いたりしながら、
そうですね、ここは気持ちいいなとか、
ここは土だからいいなとか、
ここは信号がなくていいなとか、
けどここはやっぱりちょっと坂があるから、ここはちょっとノイズだなとか、
なんかそういうのを日々感じながら、
24:04
発見しながら、
自分の気持ち歩きやすい、歩くといいなと思うっていうコースを探してるっていう感じかな。
そのコースというのは、
それこそこのエリアをこういうふうに歩くといいな、みたいなコースなのか、
それとも同じ道なんだけど、その道の中でもこの砂利の上を通った方がいい、みたいな、
そういうすごい細かめな感じのコースなんですかね。
まさにまさに。僕は今、墨田川のほとりに住んでいるんですけれども、
そっちなんですね、なるほど。
東京でね。その墨田川って、ずっとやっぱり墨田川沿いを歩けるようになってるんですよ。
確かになってますよね。
で、かなり長い距離を歩けるんだけども、
その中でも、例えば林道のようなコースもあれば、
ただただだらっぴろい、何にもないコンクリートの道もあるし、
あとは、さっきおっしゃってくださったように、光の差す方向性も違ったりとか、
あとは、それこそ砂利道もあれば、土もあれば、
公園が脇にあって、公園と併設というか、そういうふうにしてるところもあるし、みたいな感じなので、
だからそこを結構細かく、ここからはこっちのコースに、
あと橋がいい網田口になるんですよね。
橋結構ありますよね。
そうそう。この橋でこっちに渡っとけば、このコース歩けるとか。
これ確かに見たことない人からすると全然わかんないかもしれないけど、
確かにあの川は、そういえば、かなりいろんな橋があったくせに。
そうなんですよ、そうなんですよ。
確かに。
で、こっちを歩き続けたら、この道は通れるけど、
けど、ここを橋に渡っとけば、こういう目には合わないとか、いっぱいいろいろあって。
確かにね。
毎日同じコースじゃなくて、変えてるんですよね。
そういう川だと、そういうコース選択ができるんです。
そうそう、そうなんですよ。
面白い。
同じ川を歩くっていうことだけでも、本当に多様なコースがあって。
なるほどね。面白いなあ。
どうか気に入ってますか。
僕が今の質問したのは、さっきも福岡って言ってたんで、福岡の場所も聞いてなかったですけど、
博多あたりだと大堀公園とか好きだなあみたいなこと思いつつ、
大堀公園のすごい内側とすごい外側を歩いてる人って結構、
歩いてる距離が違うようになって、結構昔から思ってたところがあって。
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ああ、なるほど。面白い。
そういう内側とか外回りとかで返したりするのかなとか、なんとなく適当に思ってたっていう感じ。
もうまさに、大堀公園の僕近くに住んでいて。
そうなんですか。
はい、よく歩くんですけどね。
だからよくわかるんですよ。大きなお堀があってね、あそこにはね。
その外周がずっとあって、外周もやっぱり何層、何道かに分かれていて。
分かれてますよね、そうですよね。
歩く人とか走る人とか自転車その他の人とかっていう風に分かれてるんで、
どこを歩くかとかどのコースとか、少しずつやっぱり違いますよね。
距離ももちろん違うし、見える景色も違うし。
あと、それこそ真ん中にずっとお堀の真ん中の道が通ってる。
通れるところありますよね。
そうあるじゃないですか。そこをそどかっとして歩くみたいなこともできるし。
大堀公園は大堀公園でまたね、いろんなコースがあります。
そういう比較的水辺に近いところに住んでるんですね。
やっぱり水っていうのは結果ですかね。
別に海にすごく興味があるっていうわけではないんですよ、どちらかというと。
やっぱり川とかそれこそお堀とか、そういうところの方がなぜかキュンとくる。
なるほど、キュンか。
なるほどね。何なんでしょうね、本当に。
近しいことをしたことあるからさっき思ってたんですけど、今の聞いてあれかと思ったんですけど、
僕京都に住んだ時期があって、何年か。
結構鴨川沿い近いところに住んだ時期があって、
毎日じゃないけど週1、2ぐらい京都市内の鴨川の南の方から北の方にずっと歩いていって、
どっかでターンして帰ってくるみたいなやつなんですけど、
鴨川も結構川のどっち側を歩くかによって道の形態が結構違ったりするんですよね。
舗装されてるところと舗装されてないところとか、
ここら辺だと結構大きい川の真ん中に亀の石とかあったりする。
はいはいはい、ありますね。
それで通れるみたいなことをやっているのかな。
ああいうのが好きだったなというのがすごく思い出しました。
ああ、鴨川こそ本当にそうですよね。
ずっとやっぱり僕大好きだよ、鴨川は。
ああ、そうなんだ。
舗装されてなさ、ほどほどにされてる感じがいいじゃないですか。
そうそう、ほどほどにされてますよね。
されすぎてない。
されすぎてないし、すごいしてるわけでもない。
そうなんですよ、そうなんですよ。
30:00
ああ、確かに。
いやあ、面白い。
なるほどなあ。
すごく好きです。
こんな話したら気が付けば1時間経ったなと思って終わりまして。
そうなんですね、早い。
あっという間。
ありがとうございます。
ちょっと段々と終わりに近づいていこうかなと思ってはいるんですけど、
最後一つ質問させてもらって終わっていけたらなというふうに思っておりまして、
毎回こちら終わるときに質問させてもらっていることがあるんですけれども、
毎回ですね、この最後に今日の振り返りながら立ち上がってくる問いみたいなものを
一つ出していただいて終わっていこうかなと思っていまして、
イメージとしては半年後とか1年後に自分に投げかけたい問いみたいなことで出してもらっていて、
それが半年後、1年後とかに宮村さんにまた返っていったらいいなって思いますし、
同時にそれがこれを聞いているVisuaの方にとってもなんか面白い問いになったらいいなみたいな、
なんか思いながらこちら出させてもらっているんですけど、
何か今、この番組の中で出てきている問いでもいいですし、
頭では別にそうではなく、この最近気になっている問いを改めてでもいいですし、
なんか今、宮村さんの中にどんな問いが出てきますか。
なるほど。本のことにもちょっとひも付くんですけども、
本って読むっていうふうな行為って、ある意味、
生で言うと、生道で言うと生じゃないですか。
で、この本を読む、そして歩くっていう道ですよね。
動くっていうふうなことっていうのを、どう折り合いをつけて、
自分の中での心の平穏を求めていくかっていうのを、ちょっと問いとしたいなというふうに思いました。
おお、面白い。そうなんだ。
心の平穏って、やっぱり本を読むとか、歩くとか自然を歩くって、両方それを感じると思うんですけども、
一人一人それってどっちがそれを感じるかっていうのが、読書のまにまに聞いてくださっている方にちょっと聞いてみたいなというふうに思いました。
読むという行為と歩くという行為の両方を踏まえて、心の平穏をどう作っていくのかという感じですか。
はい。どっちに自分が心の平穏を感じるのかとか、どうバランスさせるのかみたいなこととか。
なるほど。面白い。考えてもなかったな。
ありがとうございます。
本の話にちょっとなんかひも付けちゃいましたね。
ありがとうございます。そっか。
なんか今の時期ながら、僕もイメージが湧いてくるとか考えたくなった気がするんですけど、
多分僕も読むのも好きだし、今後より一層読む世界に入っていくような気もするし。
33:03
さっきなんか歩くみたいなものも、なんていうんですか、僕も去年歩くと、
僕昔数年前、2018年ぐらいにハイエースに惹かれたことがあって、
ここからあんま歩けなくなったり動けなくなったりした時期があったんですよ。
ほんと自転車乗るのも無理だし走りでもしないみたいな感じの時期がしばらくあって、
でも歩くことだけギリギリできて、今は結構復活したんですけど、
なので結構歩くこと大切だなって思っている時期は結構あったんですが、
去年より一層娘が生まれて、娘がいると普通の自転車なんて乗れないしゼロサイズなんて、
自転車まだ無理じゃないですか。
確かに確かに。
そう、だから結構娘、当時神奈川の寿司に住んでたので、
娘を抱っこして海まで歩いてぼーっとして帰ってくるみたいな散歩を1時間ぐらい毎日してた。
それがすごく好きだったんですね。
みたいなところからやっぱ歩くこと好きだなって去年改めて思い始めた気がしてて、
なので今出していただいて、読むおよび歩くっていう行為の両方で
どうやってこの平穏バランス作っていくんだっけっていうのは、
なんか考えたくなかったけど、僕も考えたいなって思いましたね。
いやーぜひぜひ。
本当に荒瀬さんこそね、本当に多分これから館長として向き合っていく問いでもありますよね。
確かに今言われてもらいましたけど、館長って言われてなんかちょっとムズムズしますね。
あえてちょっと。
ありがとうございます。どういう疑問提起というかしていただいて。
なんか皆さんにね、ちょっと考えてもらえるといいなと思いました。
ありがとうございます。
そんなこんなでこの時間、ちょうどいいお時間かなと思っておりますね。
終わっていこうかなと思っております。お別れの時間ですね。
今日もですね、皆さんお聞きいただきましてありがとうございました。
読みかけの一冊から少しだけ人生の途中見つめる時間になっていたら嬉しいです。
ではまた次のまにまにでお会いにかかりましょう。
読者のまにまに今回のゲストは、編集者、コピーライターの山村光晴さんでした。
山村さんありがとうございました。
ありがとうございました。
35:27

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