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生物学者と書店員のインターネットラジオ 本の虫のすすめ
本を偏愛する生物学者の椿と書店員の佐藤が 本にまつわるあれやこれやをゆるっとお届けします。
なんかね、この前、友達と喋ってて、 本の文章の読み方についてさ、ちょっと話しててって、
ああ、なんか色々、人によって全然違うな、みたいな、思ったことがあってんけど。
なんかさ、文章を読むときに、その人は、
小先生だったら小先生、その文章を音声で頭の中で再生して、それでなんか理解してるって。
そうそう、意外とそういう人多いよね。 多いよね。 私も最近実は、その研究者仲間の人と打ち合わせしてて、
で、そしたらそのうちの一人の方が、いや僕ちょっと音で変換しないと頭入ってこないんで、
で、自動読み上げ使っていいですかって言って。 あ、あれか、物理的に音声で読み上げるってことね。
普段はだから頭の中でやってあると思うけど、その時は複数人で、こうでもない、こうでもないって、同じ文章を直してたから、
っていうのもあると思うけど、それで、私はむしろ全然さ、自動音声で再生すると頭に入ってこなくて。
そう、なんかね、文で読む、なんかさ、その、どういう風に読んでる?その、頭に入れてる文章を。
なんかね、私、ちょっと特殊なんかもしれんけど、絵とかが全く浮かんでこないタイプ。
え、そうなの?やばい、なんか変なダジャレみたいになっちゃった。
そんなことないやろ。 そんなことないやろ。
たとえば小説で、なんかこういう家ですみたいな描写とかあるやん、そしたらその映像とか浮かぶ?
ないのよ。 え、なにそれ、どういうこと?
むしろ結構逆に近くて、外歩いてて、文章で理解してるに近い感じ。
え? 文章化してるってことは、その外のものの情報みたいな。
そうそう、それに近い、むしろ私。
だから地図とかも見てて、なんか、なんやろ、こことここに自分があって、みたいな立体感覚っていうよりも、
何やろ、200メートル先に何かがあって、みたいな、なんかそういうちょっと文章的理解になってる気がする。
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なにそれ、おもしろ。
でもなんかね、そうなるとどうやって理解してるのか自分でもよくわかんなくて、
でもなんかこう、概念的に構築されてってる気がする。
概念的に構築?
なんやろ、たとえば、特に小説とかそうなんやけど、
何やろうな、シーン、それぞれのシーンのその描写とかも、何やろ、人間描写に投影して読んじゃうっていうか、
それこそさ、空模様でさ、なんか曇ってきたりとかって結構やっぱりそのシーンの象徴だったりとかするじゃない?
そういうのになんかこう、紐づけてというか、理解してるのかなって思う。
たとえばその、雨が降ってきた人々みたいな描写があったとしたら、
その実際にその雲がのえとか、その雨がポツポツしてるっていう映像を浮かべるんじゃなくて、
薄暗い空気みたいなだけ受け取ってる気がする。
へー。
なんか全然ね、その。
あ、だから概念っていうことか。
そうそうそうそう。そんな気がするんだよね。
おーおもしろいね。
あんまりだから、映画とかも私結構苦手で。
言ってたね。
映像がたぶんすごい苦手なんだと思うんだよね。動画とかも全く見ないし、テレビもつけないし基本的に。
なんか文字じゃないとたぶん理解できないんだと思う。
おもしろいね。
いやーね、あんまり似たような人いない。会ったことないんだけど。
のりこはどんな感じ?
あー。
映像が結構近い気はするなー。
おー。
どっちもかな、なんか文章と映像かと。
で、あとその。
音は?音声は?
音声ってどういうこと?音声?
あの、音でのほうが理解しやすいとかいうのがない?
あー。
あ、でもラジオとか好きやし。
あー。
好きは好きやけど、でもなんかその、なんていうの、オーディオブックみたいなのあるやん。
あるね、あるある。
なんかあれは、別にいいけど、しゃらくさくて聞けない。
そうやんね。
なんか音声で喋ってるスピードより、文章で読むほうが早いから、面倒くさくて読まないっていうのがある。
わかる。ちょっとそれで打線してもいい?
うん。
私さ、好きなアニメがあって、それの原作がさ、ノベルゲームっていうか、読むゲームなんやけどさ、
全部声優さんがフルボイスで声つけてるんよ。
うんうん。
すごいその、アニメ好きでキャラも好きやったんやけど、聞いてられなくってさ、
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やっぱりダメだってすごい思った。そうなると、なんやろ、アニメは受け入れられて、音声だけになるとダメな何かがあるんやろうね、きっとね。
あー。
あ、ていうかさ、映像ダメなのにアニメは好きなの、不思議やね。
おまやね。
うん。
なんでやろね。
どうしてなんやろね。
そぎ落とされてるからね。
シンボル化されてるもんね、全部が。
意図したもの以外画面にないしね。
あー、そうやね。
それはあるかもしんない。
そういうことかな。
うん。
ちょっとね、映画とかもね、苦手で、実はシンゴジラとか何が起こってるのかわからないまま終わったんだよね。
人間の見分けがつかなくってさ。
あ、なんかね、言ってたね。顔の見分けがつきづらいって言ってたよね。
すごい苦手で。
うん。
だから、漫画とかアニメとかやと結構髪ピンクやったりしてくれるやん。
わかりやすいよね。
そうそうそう。
キャラだけがね。
はいはいはい。
あー、そういうことかな。
そう、多分それ結構あるんかなと思ったりして。
映像の細かななんかこう、差異とかを取り出すのがあんまり得意じゃないのかな。
多分そうなんや。
あー、面白いね。
ちょっとごめん、脱線したな。
うーん。
こう、なんかあんまりその、自分がどういう風にその、こう情報を取ってるかっていうのをさ、考える機会ってあんまりないからね。
ちょっとそれを。
難しいよね。
そうそうそうそう。
言葉にすんのがね。
文章を捉え直すので結構面白いなって思って。
そうよね、そうよね。
なんか文章を読むときに、私はそのブロックで結構読む派なんですよ。
ブロック、段落とかってこと?
うん。段落もやし、単語もやし。
あー。それちょっとわかるかも。
ほんと?
うん。
だからさ、自分がそうだからさ、勝手にみんなそうやっていう風にさ、なんとなくさ、思ってるわけなんやけどさ。
うーん。
なんか、五六行とかなんかそれぐらいのものをブロックで捉えて、で単語単語を拾って、
あー結構近い。
読んでる感じ。
わかるわかるわかる。
例えばね、今その目の前にある本の文章を読んでみたいんですけど、
入院費を払えないまま印鑑登録をしに市民会へやってきた。って文章があるとして。
なんかちょっと辛い気持ちになっちゃった。
大丈夫です、その後お金がなくて入院費払えなかったわけじゃなかった。
あ、そう?
大丈夫です。
安心した。入れ込んじゃった。
一文に。
大丈夫、大丈夫。
この本も面白いのでまた紹介したいんですけど、ちょっとそれ置いといて。
置いといてね。
これをさ、入院費を払えないままっていう風に順番に読むんじゃなくて、
なんとなくふんわり全体を捉えて、入院費、払う、印鑑登録、市民家、来るみたいな文字をさ、
なんか、なんていうの?瞬間的に全体でそれを拾って、理解するみたいなさ。
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分かる、分かる。でもそれって、それこそ、ちょっと前に、結構前かな?
あの紹介した米原麻里さん、通訳、ロシア語通訳者のいろんな文章も書かれてて、本たくさん出されてるんだけど、
がどういう風にその理解するかっていうような話をしてた時に、
日本語ってやっぱり漢字がさ、表意文字やんか、表音文字じゃなくて。
あ、意味を。
意味をそう、表す文字やんか。
だから、頭に入ってくるスピードが段違いに早いって言ってて。
へー、あー。
まあなんか米原さんは日本語ネイティブで、小学2、3年生ぐらいやったかな?の頃に、ロシア語の学校に通って、10年ぐらいかな?過ごされたから、
まあちょっと日本語の方がだから自分の中でちょっと有利っていうのはあるにしても、
なんか同じ、例えばその国際会議で、農科学の国際会議とかやったりすると、
用語を、日本語の農科学用語とロシア語の農科学用語を頭に叩き込んでいかなあかんから、
専門書をとりあえず、両方の日本語、ロシア語、両方の専門書を読むらしいのよ、同じ内容の。
そしたら、理解する速度が7、8倍日本語の方が早いって言ってて。
へー、面白い。
だからやっぱりその日本語っていうのは、結構そういう漢字があって、ブロックで認識しやすいっていうのはあるんかなって私も思った。
特に漢字がね、やっぱり意味がすごい瞬間的に入ってきやすいから、
そうやんね、そうやんね。
結構漢字の単語を、こう一斉に5個とかね、6個とか入れて捉えるみたいな読み方がしやすい。
だからその日本語が本とかそういうものに向いてる言語なんかもね、向いてるっていうかその、
相性が。
相性がいい。
そんな気はする。
ね、かもしれないね。
なんか最近それで思い出した。
読んだのが、奇跡のフォント、教科書が読めない子供を知ってっていう、
高田博美さんっていう、なんか文字のそのフォントを制作するフォントデザイナーの方が書かれた本でめっちゃ面白くて、
最近そのマイクロソフトのWordとかPowerPointとかにも標準で設定されているUDデジタル教科書体っていうフォントがあるんやけど、
UDってあのユニバーサルデザインのUDでっていうフォントを作った方で、方っていうかまあそのチームの一員でされてた方で、
その開発物語というかなんだけど、これがすごい面白いというか、自分はそうやってもうとにかく文字で何でもかんでも理解する人間やったからさ、
結構衝撃で、なんかフォントによっては、あのひらがなのツとかさ、最後にさこうスッて払うやん、あの払うのが刺さってくるみたいで怖くて、
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読めないとか、学習障害、文字を読めない学習障害の子って、フォントとか文字に対してそういうふうに感じる子とかもいるらしくて、
あとなんか書き出しのところをさ、漢字の1、1,2の1とかでもさ、筆を置いて横に流すやん、で、筆を置くのその形を表現するためにちょっとさ、書き出しのところ三角っぽい飛び出しが出たりするやん、
あれ鱗っていうらしいんやけど、あの鱗がもう目にずっとついて気になって読めないとか、
でさ、あのフォントに置き換えると、例えばココロとかって顕著らしいんやけど、漢字のココロ、あれゴシック体とか民調体のココロって人の手で書くココロとさ、全然違う形になるやん、あれが読めないとか、
あ、その、手で書いた手書きの字と隔たりが大きすぎて。
あ、同じ文字だって認識ができないってこと?
そう、認識できないとかいうのがあるらしくて、あとは単純にその弱視っていうかな、ちょっと視覚障害の子で、あの光の量が多すぎて読めないとか、
そういう人はだからしおりとかでこう、紙面を全部読むんじゃなくて、一行読むところだけ他は隠すような、一行だけ見えるようになってるこう、透けてる下敷きみたいなので、こう一行ずつ見ながら読まないといけないとか、そういうなんか私が当たり前で、
自分としてはそれがないと理解できないって思ってたような文字っていうものだけど、そんな誰にとっても本当にユニバーサルなインフラじゃないんやなっていうのをすごい実感して、それで英語でもやっぱりその学習障害で読めないっていう子いるらしいんやけど、それもやっぱり同じで、フォントでさ、英語のAとかもさ、
なんかいろいろあるもんね。
いろいろあるやんか、あるのとか読めないとかいうのとかを、この本で私初めて知って、すごい驚いたし、なんかやっぱり自分がそうやって無意識に、なんだろうね、偏見、偏見っていうんかな、ないと思ってる、ないものと思ってる世界、困りごとって、
当たり前やけどたくさんあるなと思ってすごい反省というか、したりしたな、でなんかそのフォントはちょっとだから手書きの形に近づけるような形で、かつそのさっき言ったその書き出しのところのこうグってなってるような鱗とか、で払いも払いすぎないとか、あんまり尖りすぎないとか、そういうところをすごく工夫して作った、
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実際にその学習障害とか視覚障害のある方たちとも協力して作ったっていうフォントで、でそれが実際に教育現場とかいろんなところで今使われてるっていうような話で、すごい個人的には結構衝撃を受けたりしたな、
なんかそのやっぱりその発達障害とかと一緒でさ、なんかその人の個性ってグラデーションやんか、だから自分はその多分ちょっと視覚がすごい苦手、で文字に特化してるけど、で逆の人もいて、でもみんなさ同じさゴミの捨て方とかわかんないけどさ、同じ情報提供を受けて何とかうまいことやっていってるけど、
互いにやっぱり、なんかねそういう人がいるっていうこと自体を知って、なんか知っておくこと、実際にそのアクション、アクションって言うとなんかちょっと気持ち悪いな、なんて言うやろ、実際にそのいろんなパターン準備しようとか、そういうさ、例えば行政にいる人が議論になったりとか、それももしそういうことに誰も何も知らんかったらさ、
当然ならないやんか、なんかそのあたりってやっぱり知るっていうこと自体がすごい当たり前やけど大事やなと思って、見方も変わるし、と思ったりした。
なるほどね、なんかその、なんかさっきその、なんて言ってた、ないものを、ないものもあるということを、認識すらしてないっていう、あるっていうことをすごい知って。
それってさ、あるっていうことを知らないと、ないってことを認識しないっていう、そういうことやんな。
結構ね、本当に自分としては、この世で一番理解しやすいツールやからさ、結構ね、ああそっかと思って、逆にその、最近説明書もさ動画だけのものとかがさ、ガジェットとかやったりするやんか、あれすっごい私わかりにくくて困っちゃうんだけど、そうか逆の人もたくさんいるよなと思って。
結構さ、その文章が理解しづらいから動画とかのほうがありがたいっていう人、結構多いよね。
結構多い、そう。それをなんかすごい、なんていうの、頑張れよじゃないけど、いやなんでよじゃないけどさ、ちょっとなんか無意識にやっぱり、いらつくというか、お前が頑張れじゃないけど、思ってたところがちょっとあったと思うんやけど、もちろんそんな言ったりしないんやけどさ。
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それはだから、あるってことを知らなかったからな、ないことがあるっていうこと。
そうそう、だから当たり前やなと思ってさ、まあなんか両方準備しておくれとは思うけど。
まあまあね、それが一番本当はいいけどね。
そう、でもそっかと思って、なんかやっぱりこういうふうにして知らず知らずのうちに、ないことにしてることっていっぱいあるなぁと思ったりした。
なんかそれの関連で、自分のその書店で働いてた頃のエピソード1個紹介したんやけど、
なんかその、私児童書と学習参考書の担当してたから、もちろんいろんなお子さんを見るんやけど、なんかあるときね、教育書みたいな本で、なんかあのLGBT関係の本を平台に置いててんやんか、
そうしたら、なんか中学生ぐらいの女の子が、あのお母さんに、なんかこのクイアっていう言葉を、彼女はお母さんに説明しててんけど、
例えばホモとかレズみたいな、なんか別称として使われてきた言葉を、なんか自分自身で、あのなんていうのかな、あの自虐じゃなくて、肯定的に言うみたいな。
奇妙な人たちって多分言うことを自分たちで肯定的に言ってることで、
LGBTQのQ。
そうそうそうそう、Q。だからその全部みたいな、そういう奇妙って言われてるセクシャルマイノリティ全体みたいなのを指す言葉なんやけど、まあそういう結構、なんていうのかな、最近LGBTって言葉って普通に言われるけど、クイアっていう言葉を中学生が知ってて、
そうよね。
なんか親にさ、
驚いたな。
そうそう、説明してるって、なんかすごい良い時代になったんじゃないか。
本当だよね。
そんな風に思ったりした。
そう、なんかそういうそのLGBTみたいなものが、それこそさ、普通に身近にあるんやけど、それがあるっていうことが、
そうよね。
あるがないじゃないけどさ、隣に。
知らないから、当然ないって思ってる人、意外とまだまだ多いもんね。
ね、いると思う。
テレビの向こうのことみたいな。
そうそうそう、なんかオカマって、なんかあんまり言葉あれですけど、オカマちゃん達みたいな。
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そうそう。
お姉か、お姉。
自分とは関わりがない、みたいな。
感じに思うことあるけど、別にそんなこともないし。
そうそう。
全然あり得ることやなと思うんですよね。
本当に。
なんか自分自身がLGBTなので、新宿2丁目とかに20代の頃結構行ってたんですよ。
そうそうそう、それを聞いて、本当に2丁目ってさ、自分は縁がなかったから、その時は自分関西に住んでたっていうのもあってさ、
あ、本当に2丁目なんやって思った。
そうそうそう。
なんかさ、概念的なさ、2丁目かなと思ってたから。
違う違う、本当に新宿の2丁目っていうところじゃないよね。
そうそうそう、それね、本当結構びっくりした。
そう、なんかだからその、自分が新宿2丁目によく行ってた頃は、なんか結構居場所がない感覚が自分の中にあって、
なんか15年前とかぐらいの話。
そんななる私たち。
なりますね、なりますよ。
で、その頃は一応大阪出身なんですけど、大阪の道山っていう地域に、そういうバーがいっぱいあるような地域もあるんですね。
なんで行くこともできるんやけど、なんとなく地元でそういうところに行くの、ハードルが高すぎて行けなくて、
そういうのもあって、東京に来たっていうのがあったのね。
全然知ってる人が周りにいなければ、なんか自分らしさをちょっと出せる場所があるかもみたいな。
2丁目に行けば、ちょっと開放できるかもみたいな、本当の自分をみたいなのがあって、
その感覚的な話なので、ちょっと個人的な感覚にはなっちゃうんやけど、
その頃の、私が20代のね、頃の新宿2丁目は、なんとなくその全体的に、なんか日本でいる限りは、どうせなんかずっと変わらないよね、みたいな。
私たちはひっかけ者だよね、みたいな。
なんか、それこそ25年、四半世紀前のオタクとかもそうやってたもんね。
そうそうそう、そうやね。
結構今びっくりするもんね。
なんか言い物として捉えられてる感じやんな。
クールジャパンとか言い出すやん。
なんかオシャレなものみたいな。
なんか犯罪者予備軍みたいな感じやったやんか、昔。大人で。
本当の昔はね。
私らよりももっと前。
ロリコンとか、事件とかがあったりっていう印象があったからね。
こんな風になるとはね、アニメも思わなかったよね。
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そうそうそう、つい15年前ぐらいは、
決してその本当の自分、そういう部分での本当の自分っていうのを、
外に出せないっていう感覚が強かったけど、
でもなんか今は、LGBTって言葉はみんな知ってるし、
日本屋さんで、明るい昼に中学生が親に、
クイアってこういうものなんだよとか、説明できるぐらいオープンになったというか。
隠さなきゃいけないものじゃなくなったっていう。
そういう側面もまだあるとは思うけど、
世代的なものとかもね、あるから。
なんとも言えないけど、でもだいぶ風通しが良くなったなと思って、
すごいなんかすごいこう、
寒気余る仕事しながら、いい時代になったんやなみたいな。
そうやんね。
特にだってさ、子供って、やっぱり良くも悪くも純粋やからさ、
なんか、オカマみたいなさ、ちょっとなんか線の細い男の子とかさ、
私らの世代だったらさ、お前男が好きなんやろみたいなさ、からかいとかあったやん。
あったあった。
なんかね、そういうのもやっぱり時代が変わると、
私たちその世代に子供がいるとか寄り添って生きてるわけじゃないから、
実情は知らないけど、やっぱりね、変わっていってほしいし、
少なくともそうやって知るのは、すごい大きな第一歩かなと思うよね。
そうやね。
なんかこう、特にその10代ぐらいの子らって結構学校っていうもので行きづらいと、
本当になんかこう、人生が積む感じっていうかさ、
本当に。
逃げ場がなかなか見つけにくいからさ。
しかもなんかさ、今だからたった3年やんとか思うけども、
本当に1日1日が辛いと長いからさ、出口がないって思っちゃうんだよね。
そうやね、本当にそうやね。
逃げ場も出口もないって思っちゃうから。
もちろんいろいろその、まだまだLGBTに関わらずですけど、
いろんな課題っていうのって、なくなりはしないんですけど、
でもなんか、それでもすごい時代が進んでいってるんやなみたいなのを、
ちょっと感じた出来事だったんですよね。
なんか、やっぱりまっすぐ上にはさ、上がれないから、
こう螺旋をね、描きながら、
俺が大丈夫だよってなったら、いやあかんやろっていうやつがまた出てきて、
それでもちょっとずつちょっとずつ、過去とは違う時代になっていくんだろうなっていうの。
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なんかやっぱりね、自分がまだ10年20年前は若かったっていうのもあって、
その社会が変わっていくっていう当たり前のことに対しての実感がなかったよね。
そうやね。
なんか今はでも、どう変わるかはちょっと分からんけど、
変わりはするんやなって思うようになって、
そうなら良い方に変わってほしいなって思うよね。
いろんなことはあると思うし、
それが内面を見たら本当にキリがないんですけど、
本当に。
だけどその全体で見たら、やっぱりその何十年前かと比べて、
良くなっていってると思うんですよね、私は。
全体的なものっていうのは。
欲しいね。もう戻れない以上ね。
そうそうそうそう。
そうしていきたいし、
そういう、なんだろうね、自分にできることは少ないけど。
過去を美化したりとか、それだけじゃなくて、
昔は良かったねって言うだけで止まりたくはないよね。
そうなんだよね。
いや本当に、環境問題とかもまさにそうだと思ってて、
高度経済成長期とかってさ、成長成長で本当に誰もそんな自然破壊とか、
ほとんど帰り見ないような状態だったのが、
今はちょっとずつ、もう生態系は崩したら戻らないよとか、
いうのは何となく知れ渡りつつあって、
でもその一方でCO2減らせばいいんでしょとか、
すごい単純化されてしまって、
思想というか概念として、自然は大事っていう、
大事って言ったらなんか安っぽいけど、
もうかけがえなくて戻らんよっていうのは、
何となく知れ渡ってる一方で、
メガソーラーとか言ってCO2出さなきゃ何してもいいみたいな、
在来の森林を環境を切り開いて、
そこに生きる生き物たちを無視するようなものをしたりとかしていって、
それってやっぱりある意味揺り戻しだと思ってて、
だから今の状態っていうのは全然ベストじゃないけど、
気づいた段階やから、
これをじゃあどうしていくかっていうのを議論するフェーズに入ったんだなって、
思ったりしてる。
だからそれをさ、
本当にバカバカしいしやめてほしいとは、
私自身もその生態学を学んだものとしては、
メガソーラーとかね、
そういうものに対しては苦々しい気持ちはそれはもちろんあるけど、
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ちょっとさ、そもそもさ、メガソーラーってなんだ、
めっちゃでかい規模のソーラーパネルってことでいい?
それを設置するために、
あった森林とかをわざわざ破壊して、
それを設置してってことね。
それはやっぱり土田にさ、原発とかと一緒で、
開かれるから土田って何かっていうと、
やっぱり在来の環境がよく残ってるところだったりして、
ここにしかいない固有種が住んでる場所だったりとかするのよね。
だから、やっぱり私たちこんなに人間もいて、
こうやってやっぱり、
すごい快適というか苦に困らない生活を続けるためには、
エネルギーっていうのが必要っていうのは、
一つ動かしがたい、
なんていうか、こうあるべし!とか言う以前に、
もう事実になっちゃってるからさ。
その上で、
昔は良かったな、自給自足みたいなのって、
はっきり言って意味をなさないからさ。
離れすぎてるもんね、現状と。
そうなんだよね。
だから、その中でさ、どうやっていくかっていう中で、
いろんな利権とかも絡みつつ出てきたものが、
生態学者とか、
普通の、誰が見てもそうだと思うけど、
アホらしいみたいなのが出ちゃったりとかするのって、
ちょっとある意味、時代の必然っていう側面もあると思うので、
これからね、螺旋状にこう、どうにかして登っていくかっていう方法を、
バカめ!死ね!みたいな感じで終わるんじゃなくてね。
本当に考えていけたらね。
それって思考の停止でもあるもんね。
なんか批判することだけで終わってしまうっていうのは。
批判は必要、もちろん絶対必要だけど、
やっぱり、じゃあどうするかっていうのをさ、
そんな簡単に答えは出ないけど、
そこやもんな、じゃあどうするかが。
そうなんだよね、本当に。
だってやっぱり価値観がさ、違うからさ、
別にさ、そこにいるちっちゃいゴミ虫とかさ、
山椒とかさ、死んでくれて構わない、
エネルギーを安定供給してほしいっていう人だっているんだから、
それに対して、お前の考え改めろって言うのは簡単やけどさ、
絶対無理やん。
社会で生きるってそういうことやからさ、
それをやっぱり、なんだろうな、
説中しながら、自分も他にもできるだけ嫌じゃないような社会になったらいいよねって思う。
それもさ、あるっていうことを知らないっていうことと関わってくるんかなって思うよね。
そのゴミ虫ってほんまにいるの?
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いるいる。
そのゴミ虫とか山椒ってものとか、
そうなんだよね。
そういう緻密な複雑な連なりっていうのの中に私たちが本当はいるっていうさ。
本当にそうだと思う。
それって本当の意味での教育だと思ってて、
その感受性というかを育むって言ったら、
なんかちょっとベネッセみたいな感じになるけど、
そうじゃなくて、
自分がこういう大地に生きてて、
自分以外のものに思いを馳せる経験。
こんなとこにいるんやとか、
それって結構人格形成の礎になると思うからさ。
そんな、やっぱ実感しちゃうとさ、
これいなくなるの?って。
普通に寂しいじゃん。
ずっと行ってた定食屋がなくなると寂しいのと一緒じゃん。
そういう感覚を持てたらさ、
やっぱりだいぶ考え違うと思うよ。
だって全然知らんさ、
タンザニアの定食屋が閉まったって言われてもさ、
あ、そうなんだって感じやけどさ、
よく言ってる、疲れた時に行ってホッとするようなお店が、
コロナで閉まっちゃったって言ったらやっぱ全然違うじゃない。
だからタンザニアの定食屋から、
近所の定食屋にさ、
自分事として捉えてもらうってことやね。
極端、タンザニアって。
それが一つの大きい軸やし、
それに本当はゴミ虫みたいな、
そういう気にも止めてないようなもののおかげで、
私たちは生きてるんやっていうことを知らないってこともあるんかなって思う。
前回取り上げた砂の話とかもしたけどさ、
気にも止めてないはずのものが実はすごいなんかこう、
そうだよね、本当に。
生活に密接にかかってるというか、あるからさ。
そうだよね、本当になんかその、
やっぱ知ることっていうのが第一かなと思うので、
その一番の何かな、手っ取り早い方法ってやっぱり本かな。
また結局本はいいよって。
そうそう。
それはそうやね。
私もね、やっぱり本で読んだことを実地で見て、
あ、これ本で見たやつだ、みたいなのって多いし定着するので、
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また何か何だろう、ちょっと新しい視点を知ったり、
もちろん何かただ楽しいっていうのもすごい大事だし、
またいろんな本を読んで、皆さんと楽しく紹介したりされたりしていきたいなと思います。
こんなまとめ方どう?どう?どう?
いいと思います。いいと思います。
じゃあ次はさつさんがゴミ虫について知りたがってたので、
ゴミ虫の本を次回は紹介したいと思います。
了解しました。
じゃあまた次回も楽しみに聞いていただけると幸いです。
はい、では良い読書体験を。
良い読書体験を。
本の虫のすすめでは皆様のご質問ご感想をお待ちしています。
取り上げてほしいトピックも随時募集中です。
ツイッターのDMまたは番組説明欄に記載しているメールアドレスにご連絡ください。
本の虫のすすめは毎週金曜日17時に配信しています。
アフターファイブに録書トークをお楽しみください。