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2025-10-20 45:28

#67 『モモ』ーー仮説:人前で話せば話すほどハッピーになっていくのでは? | ゲスト・アナウンサー/ 松尾英里子 さん

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前回に引き続き、アナウンサーの松尾英里子さんをお迎えして、“読みかけの本”について語り合います。
 
【今回のゲスト】
松尾英里子さん 

1982年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、日本テレビ入社。アナウンサーとして「NEWS ZERO」をはじめ報道・スポーツ番組のキャスターを務める。2014年よりフリーに。現在は経済キャスターやモデレーターとして、各種メディアやビジネスイベントで活動。2022年慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。一般社団法人たまにでは、地域での交流イベントから、企業向けのシステム思考プログラム、社会システムの構造分析まで、システム思考をベースに幅広く活動を行っている。

▼マーケットマスターズ
https://youtube.com/channel/UCXvjRTXoDa8tKwdkTaukGug?si=OmA3z-2hsqGEss8i
▼一般社団法人たまに
⁦https://tamani.or.jp⁩
▼Youtube:世界が変わるシステム思考
⁦http://bit.ly/411cVrx
 
【登場した本】
『モモ』ミヒャエル・エンデ

サマリー

松尾英里子さんは、自身のアナウンサーとしての経験や成長過程について語ります。教育や職業の選択における考え方、またメディアを通して他者の人生にスポットライトを当てる役割の重要性について深く掘り下げます。このエピソードでは、『モモ』という作品について考察し、じっくりと話し合うことや聞き合うことの重要性について触れます。また、彼女は自身の経験や友人との関わり、特にももちゃんについても言及します。ポッドキャスト第67回では、松尾英里子さんがミハイル・エンデの『モモ』について話し、時間の使い方や人との関わりの重要性を考察します。さらに、現代社会における便利さの追求が心の豊かさに与える影響についても触れられています。ポッドキャストでは、松尾英里子さんが幸福感や自己介助のセラピー的な側面について深く掘り下げ、感情表現とコミュニケーションの重要性についても議論しています。

キャリアの始まり
へー、なるほどなぁ。
え、その、個人的にはめっちゃ興味あるんですけど、その、1201の一歩からスルッと出るまでに至る、松尾さんのその流れっていうのはすごい興味がある。
えー、なんですか、何だろう。
それってなんか、お父さん的にはなんかそれをすごく、自分、ご自身に向けて伝えようとするというか、自分の中で大切なものとして持ち続けるみたいな感だったり、またまた、この人生全体感はわからないですけど、なんかそういう時期があったりしたんですか。
あー、まず一つあるのは、思い当たるの二つあるんですけど、一つ目は、大学に入る前に一年浪人してるんですよ。
で、そこで、もともとすごい理系のクラスで物理科学をやっていて、だけど大学は、結局は小学部で、文系になるのかな、中間の感じで申しますけど、ちょっと方向転換をするんですよね。それまでお医者さんになろうと思った自分から、全然違う方向に転換をしていくんですけど、
その時、やっぱり浪人中の勉強かな。勉強において、合格点取らないと次の世界が開けないので、もう一回やるしかないみたいな。そういうところで、せみの道の一歩かなと思ってやってたような気はする。
まずそれが一個と、あともう一個は仕事ですかね。縁あって日本テレビに入れていただきましたけれど、やっぱりすごい方が多くて、アナウンサーとしても素敵な先輩にいっぱい恵まれて、ただ一方で自分は、なんで撮ってくれたんだろうっていうくらい。
自分はほんと地味だし、何ができるのかわかんないけど、でも何かが期待されてるはずなんだ。だから撮ってもらえたんだと思って、自分にできることを、少なくとも自分ができると思ってることは全部やろうって思っていた。
どんなに沸かされるところが小さな隙間の部分だったとしても、いい隙間になろうみたいな。
いい隙間っていいですね、そうなんだ。
ちゃんとやっぱり埋めていかないと。富士山だってレンガみたいだったら絶対富士山にならなくて、ちゃんと石と石の合いを埋めていく何かがあるから、赤い山になってるんであって、その埋めていく何かになろう。
花型のアナウンサーにはなるタイプじゃないっていうか、そうじゃないだろうなと思うけど、でも自分は自分に任されてるところをちゃんとやろう。千里の道も一歩から埋めていこう、埋めていこう、みたいな。そういう感じ。
今の伺ってると、きっとそのいい隙間を埋めていくっていうことを千里の道一歩からこういう名のごとくやっていった結果、きっと松尾さんの人生として埋めてきたんだろうなーみたいなことを今伺いながら思いました。
アナウンサーの意義
たぶん、それで埋まらなかったぜみたいな感じがすごい強かったら、もしかしたら今千里の道一歩からっていけないかもなって思って。
埋まっててほしいと自分でも思う。
すごいなー、なるほどなー。ちなみに、さっきお医者さんにっていう話もされてたじゃないですか。
どのタイミングでアナウンサーに、特に考えずにアナウンサーの方向に行くって、たぶんアナウンサーになる方全員ないよな、勝手に遠くから思ったんですけど。
そうですね、私ね、たぶん元々の性質としてすごく喋ることとか、人前で何か喋るのが苦手ではなかったんですよね。
中学校の時とかも、生徒会で放送を一週間に、一週間の3回ぐらいかな。
放送とかやられてたんですね。
朝10分を自由に使っていいみたいな、生徒会の時間があって、そこで毎日放送をするんですけど。
放送の担当になって、1年間ずっと、じゃあ今日学校でオープニング何喋ろうみたいなことを考えながら、いろいろ喋って、反応があるっていうのが楽しいっていう経験は持ってたんですよね。
ただ、その頃別にアナウンサーになろうとは全然思ってなくて。
医者さん、医学部に現役の時落ちて、初めて自分で、あれ、私本当は何したかったんだっけっていうのを考える時間を持ったんですよ。
なんとなくの雰囲気じゃなくて、周りの友達が受けてるからとかじゃなくて、いや待てよと、今浪人してるけど、
私、本当に好きなことのためじゃないと頑張れないなみたいな気がある。
そこで初めてして、じゃあ私の好きなこととかやりたいことって何だろうっていうのを考えたときに、
なんか楽しいことをしたいって思ったんですよね。楽しいことを生み出す仕事をしたいと。
当時の私にとっては、テレビっていうのが一番身近なところにあるエンターテイメントで、
じゃあテレビ局入りたいなみたいな、そういう割と短絡的なところからじゃあマスコミ行こうって思って、
じゃあマスコミ行くところに強いのはどこだろうと思って、
そういう流れだったんですよね。
大学の2年生ぐらいのときに、ボランティアサークルに入ってたんですけど、
ちょっとハンディキャップのある子たちと毎週遊んでもらうっていうサークルに入ったときに、
彼らがテレビで当時流行ってたヘキサゴンとか、
懐かしい、怪しい。
クイズの真似をしたりとか、音真似、テレビの番組の音真似みたいのをやっていて、
テレビの影響ってすごいなっていって、いろいろ制約をかけられてる環境の中で頑張ってる人たちに対しても、
テレビっていうのはすごく直接的に楽しさを届けられるんじゃないかと思って、
テレビ局総合職でもアナウンサーでもどっちでもいいから受けようって決めたのが大学2年のときですね。
早いんですね、なるほど、そうなんだ。
そこからオービーフォームとかしてたら、とりあえず喋れないとテレビ局には入れないぞって言われて、
何の仕事をやるにしても人とのコミュニケーションが大事だから、
喋る練習としてアナウンススクールに行ってこいって言われて、
ここでえいって言ってアナウンススクールに行ったら、
同じような志を持つ仲間がいっぱいいて、
一緒に頑張ろうみたいな感じでアナウンサーも受けたっていうところですかね。
なるほどね、そうなんだ。
なるほどな、そっか。
伺いながらすごい聞きたくなってしまったんですけれども、
今アナウンサーという役割として、世間にとか社会にずっといらっしゃる中で、
十数年、もうちょっとか20年弱とかいらっしゃる中で、
アナウンサーっていう役割は、
麻生さんにとっては、人生にとってはどういう意味があるものなんだろうなっていうのはすごく興味があって。
そうだな。
ほんと人によって果たしてる役割は全然違うと思うんですけど、
私にとっては、
メディアっていう力を使って、
誰かの人生にスポットライトを当てる仕事だなと。
へー、そうなんだ。
それはいい意味で言ったら、
例えば箱根駅伝とか、走ってる選手たちは、
すごい有名な選手もいれば、これでもう陸上を辞めにします。
本当に思い出になればいいですっていうタイプの人もいると。
やっぱりその人の家族とかは、
うちの孫が、うちの子供が、友達のなんとか君がテレビに映って頑張ってるって、
一つの晴れ舞台と言ったらおかしいかもしれないけれども、
ちょっと目立つ場ではあると思うんですよね。
そこに言葉というものに乗せて、
素敵な光を当てる仕事だなって思ってます。
彼らの頑張りは、ただ映してるだけだと、その場の頑張りはもちろん見えるけれども、
走りの後ろに含まれている、見てる人にはなかなか伝わりにくい、
でも言葉にしたらわかってもらえるような、
頑張りの部分をそっと添えるみたいな、そういう係かなって。
対話の重要性
そういう係なんですね。
へー、そうなんだ、そっか。
この前、お父さんと前回お話しさせてもらった後に教えてもらった、
あの日のこと?
そうそう、この前読ませてもらっていて、
ありがとうございます。
というのが今すごく記憶、フラッシュバックに出てきて、
そういうところの感覚を持たれながら、これをずっとやられて、
最近やられてたんだな、みたいなことを今思いながらじんわりしましたね。
きっとどの人の人生も素敵だと、私はすごい成全説では、
すごい思っていて、それも子供の頃からずっと、素敵だって思ってて、
で、世に放っといたら出ないかもしれない、
素敵な部分をいっぱい引き出したいなっていう思いですね。
ふんふんふんふん。
ああ、そうなんだ。
今伺っている中で、ちょうどこの収録始まる前にちょっとお話ししてましたけど、
それこそ、どうしたらじっくり話せるんだろうな、みたいな話がされてたじゃないですか。
そうなんですよ。最近思っているのが、
誰かと話す場っていうのが、
自然発生的に、生活の中にもっとたくさんあったらいいなと思ってて、
いや、これは本当、ももの話で、ぎっくりとしたのも含めて、
もっと子供と話してればいいのに、その時間携帯見ちゃってるとか、
テレビを見ながらご飯を食べて、
テレビがしゃべってて、私たちは何も会話しないみたいな、
そういうの、ちょっと寂しいなって思うんですよね。
ふんふんふん。
でも今、対話の場を持ちましょう、みたいな感じで、各所で対話を持ったり、
じゃあ今日はザクバラにいろいろ話しましょう、みたいな、
こう、あえてセッティングをされていくようなシーンっていうのも、
仕事とか生活の中でもいっぱいあるなと思ってて、
なんか古代、昔の人たちがね、夜になるとたけびを囲んだみたいな、
そういうような感じで、いろいろ話せるわっていうのを、
どうしたらもっとモテるようになるかなっていうのを、
これをずっと考えてます。
ふんふんふん。そっかー、なるほどな。
今それに向けてやられてることって、どんなのがあるイメージなんですか?
えー、なんかね、具体的に何か動いてるってわけでもないんですけど、
あのー、やっぱりいざ誰かの話聞こうって思うと、
ちょっと照れくさかったりしません?
あー、そうですね。
特に身近な人であればあるほど。
そうですねー、難しいですねー。
ちょっとビジネスの関係だったら、じゃあちょっとワンオンアンデみたいなのあるけど、
そうじゃなくて、自分の親とか兄弟とか、
あのー、普通に接してる人ほど、話って、深い話ってしにくいなと思ってて。
はいはい。
で、その部分を、私が、私がというか、第3者が入ることによって引き出して、
で、話してくれた人が望むタイミングでシェアできるようなことをやりたいなって思ってるんですよね。
あー、そうなんだ。
アービスというか何というか、私がこう手伝いしてみたいな。
はいはい。
やってきたらなーと思ってて。
あー、なるほど。
いやーでも本当思いますけど、確かにあのー、何て言うんですか。
親の話を、なんか僕もこういうホットゲストやってるぐらい、
こうやっていろんなお話を、ゲストの方の話聞かせてもらってる、
こういうようなことやってても、やっぱりそのなんて言うんですか、
親の話なんて一切聞けないというか、難しい。
なんか、親が何か言ったら、いやそれそうじゃねえからみたいな。
ついついね、反論したくなっちゃったりしてね。
そうそうそうそう。
なんか、いやーね、ありますよね、そういうのって。
そうなんですよ。
うん。
でも、ちゃんと話聞いたら、あーそうかそうか、
あの時はこういう思いがあってこういう行動を取ったんだっていうのも、
なんか分かる部分もあるんじゃないかと。
で、分からないにしても、なんか受け止められることもあるんじゃないかなと思って。
うんうんうんうん。
そうそう、そういう、
そっかそっか。
話を聞くってことかな。
じっくり話し合う重要性
聞くをもっともっと深いカルチャーにしたいなっていう思いが。
あーなるほど。
さっき、どうしたらじっくり話し合えるんだろうって言ってくださったじゃないですか。
もしくは、今の話を少しずつすると、もしかしたらどうしたらじっくり話し合えるんだろうっていうのと同時に、
どうしたらじっくり聞き合えるんだろうみたいなことなのかもしれませんけども、
じっくり話し合えているとか、じっくり聞き合えているって、
松尾さんからすると、どんな状態のことを指している感じします?
じっくり聞けているときって、
あの、相手が、
あのー、そうだな、なんだろうな、じっくり聞けているとき、じっくり話せているとき、
なんか、あんまり否定がないというか、
気持ちを一緒に眺めている感じ。
かなりふわっとした表現ですけど、
相手から出てくる気持ちを、あ、今気持ちが出てきているなーっていうのを眺めながら、
目の前に置かれているのも眺めながらみたいな、
なんか同じものをじっくり眺められている感覚が聞けているし、話せている状態かなっていう気がします。
面白い。
で、その出てきているものに対して、あ、これいいねーとか悪いねーとか、そういうことじゃなくて、
出てきたねー、そうなんだねーみたいな、
面白い。
眺めている感覚。
いやー、もっと上手い言葉で言いたいわー。
でも、今の聞いてて、確かにあの、ももの関わり方ってそんな感じかもなーみたいな、なんか今のしながら思ったかもしれないですね。
そうですね。もも、そうなんですよね。
ももはなんか話を聞いてくれるって。
で、もものところに行くと、自分はこうなんだって気づいてみんな元気になっていくっていうね、話が書いてありますけど。
ありますよね。
まさにそう。
でね、私やっぱりももはどういう会話をして、その話を聞き出しているのかっていうのはすごい気になって、そういうかぎかっこをめちゃくちゃ探しながら読んじゃったんですよ。
面白い。
出てこない。
でも確かにないんですよね。もものそういう話している言葉自体はそんな出てこないというか。
ね。
なんでそういう書き方なんでしょうね。すごい気になるなと思って。
そうなんですよ。いい質問の仕方とかあったらもう早速もらって、明日から使おうとか思ってたのに。
そうなんだ。
そういうのはなかったです。
確かに。そうなんだ。なるほどね。
僕はあんまり否定がない気持ちを一緒に眺めている。
一緒に眺めている。判断しない感じかな。
うんうん。
ジャッジしないし、ジャッジされないし。
うん。
なんか、眺めている感じ。
はい。
そういう眺めているだけでいいんだってお互い思えてたら、すごい安心ですよね。
否定されるかもって思いながら喋れないじゃないですか。
うんうんうん。確かにほんとそうだね。
この松尾さん的にじっくり話し合えたとかじっくり聞き合えたっていうのがきっと松尾さんの人生のどこぞにないと、
それがなんかいいなって松尾さんの中で思えていないような気が今勝手に個人的にしていて、
なんかそういう瞬間が松尾さんの人生のどこかであったのではないだろうかってことを今思って感じているんですけど、
幼少期の経験
なんかそういうのって思い当たる瞬間、シーン、タイミングってあったりしますか。
そうですね。結構、いや、何回かそういう時に出会ってるんですよね。
ほうほうほう。
いつだろう。一番古い記憶で言うと。
うんうんうん。
なんかみんなで話して問題が解決したみたいなすごいライトなものも含め、
子供の時から揉め事の仲介をしたりすることが多くて。
へー、そうなんだ。
そうなんですか。
パパとこの子がすごい揉めてると。
はいはいはい。
で、私全然頼まれてないけどそこにすすって入っててどうしたのみたいな。
じゃあ何が起きたの?みたいなのを聞きながら、
本当はどうして欲しいの?みたいな流れで聞いたりして。
へー。
で、先生が来た時には解決してますみたいな。
それを先生にすごく褒められたなっていう。
小学校3年生の時だな。
そうなんだ。
あだ名まっちゃんなんですけど、いやもう助かったよって。
まっちゃんがいればクラスが平和だねって言われたのがちょっと嬉しかったみたいな。
へー。
それがまず一番すごい古い記憶であるかな。
いやなんか、さっきはちょっと思ったんですけど、
ほら何年、2013年、12年、14年みたいな話とかは冒頭結構何年だったかなって今言ってたじゃないですか。
はい。
でもなんか小学校の何年生っていうのはすごいはっきり記憶されてるんだなって思って。
どうなんですか。
すごいな。
え、年取ってこういうこと?
すごいな。
昔だってよくあるんですけど、最近はなんか。
そういうこと?
おもしろ。
なんか3年生なんだ。
そう3年生の時の若林先生っていうね。
若林先生すごい。
先生の名前まで。
へー。
それは一番最初の記憶で、
でもその他にも、ここ5年くらいの間にも、やっぱり自分がすごく悩んだことがあって、
それをね、友達にじっくり聞いてもらったって時があるんですよ。
へー、はいはい。
なんか今となると、あれは何だったんだろう。
何悩んで喋ったのか覚えてないんだけど、
でも当時にしてはすごい深刻だったんですよね。
友人との関わり
で、それを話した時に、その友達は、
そうかそうかって、ただひたすらそうかそうかって言いながら、
なんかハブしてくれたんです。
へー、そうなんだ。
ももちゃんって言うんですけど。
あ、ももちゃんなんですか、すごい。
へー、ももちゃん。
今思い出した、すごい偶然、ももちゃん。
あ、そうだそうだ、プライベートで結構つらいことがあって、
で、いつも家族ぐるみで付き合っている友達だったんですけど、
そのももちゃんと、なんか、そう、ハグしてくれて、
で、すごく心がほぐれたような感じがして、
本音で話せて、で、本音をそれを受け止めてくれる人がいる存在ってありがたいな、
そういう存在ってありがたいなっていうのをすごく思いましたね。
2019年か18年か、それぐらいの時。
そうかそうか、なるほどな。
でもすごいですね、そのももちゃんさんの関わりもすごいし、
それがももちゃんってお名前っていうのもなんかすごい。
びっくり、今は気づきました。
すごい。
すごい、だから、もしかしたらミハイルエンデさんが書いているももの、
中にいるのはそのももちゃんさんだろうかもしれないですね。
ももちゃんかもしれない。
いい子ちゃんって言って、いつもうん、そうかそうかって言って聞いてくれる人。
はいはい、そうなんだ。
その方、ももちゃんのという存在は、麻生さんにとってはどういう存在なんですか。
なんかね、その、ママ友として知り合ったんですよ。
だけど、同じ熊家の出身だったりとか、すごく似てるとことか、
偶然なんですけど、子供が2人いて、上の子も下の子も同い年で、
上の子同士は誕生月が本当同じで、下の子同士は同じ名前なんですよ。
すごいな。
それもすごいですよね。
ご縁があるんだな。
うちの夫とそのももちゃんの旦那さんっていうのは、中高の先輩後輩だったりとか、
すごい。
すごいですよね。
そんなご縁があって、それでだけで親近感を感じるには十分だったんですけど、
やっぱり、普段はそんなにベタベタ連絡を取り合ったりとか、そういう関係じゃないんですけど、
何か大事なことがあった時には報告をしたくなる。
で、彼女も連絡くれたりとかする。
そういう関係ですね。
だから、何て言うんだろう。
ちょうどいい肩書きが見つからないんですけど、
でも人生の分岐点において必ずいるというか。
はいはい。
ももみたいな、あそこに行けばももになれるみたいな。
ちょっと聞いてもらうみたいな、そういうのかな。
本当は私がももになりたいんだけどなとは思いますけどね。
あ、でもそっか、そうなんだ。
本当は私もももちゃんになりたいとか。
そうそう。もも側になりたい。
そうなんだ。
まさに総合の方と松尾さんの中にあったような話し合うというか聞き合うみたいなじっくりっていう、
それをどうやったら、数を増やすことが正しいのかはちょっとわからないですけれども、
それはどうやったらじっくり話し合えるのか、どうやったらじっくり聞き合えるのかっていう問いに対しては、
そんなことを思い返したりすると、どんなものが今松尾さんの中で解読してあるんですか。
そうね、なんか日常的に顔を合わせるっていう機会はやっぱり必要だなって思うんですよね。
やっぱりいくら1回仲良くなった人でも、物理的な距離が心の距離になるというか、
ちょっと異議みたいな話がしにくくなってしまう部分ってあるなと感じて、
だから、まずはその日常的に顔を合わせる、そういう場が必要だなって思うと同時に、
こういう関係性の中で、私ちょっと困ってるんだよねみたいな、
ひょっとした困りごとを冷やすく言える?
冷やすく言えるか、はい。
そういう強がらないでいられる環境っていうのかな。
ここでもっとさらけ出していいんだよって、
誰しもが思えるような場を作っていけたらいいのかなって思ってます。
なんか今の気になるのは、ちょっと最近の自分のことを思い返したんですけど、
今、妻の実家の沖縄にいますけれども、今4ヶ月ぐらい、今月中に神奈川に帰るんですけど、
沖縄にいると、なんて言うんですか、こっちって親族の範囲がめっちゃ広いんですよ。
なんて言うんですか、少なくとも僕自身の家の、もともと生まれた家の感覚で言うと、
親族ってなんて言うんですか、自分の両親の兄弟たちとその息子たち、
まあいとこたちみたいなところだったりとか、
おじいちゃんおばあちゃんとかそんなもんかなみたいな感じの感覚で個人的にいたんですけど、
こっちにいると、おじいちゃんおばあちゃんの兄弟たちの子供たちとそのまた子供たちだったりとか、
おじいちゃんおばあちゃんのもう一個上の、ひいおじいちゃんおばあちゃんたちの兄弟たちのそのまた下に連なる系譜みたいなところまで、
結構広いというか関わる感じがあって、
沖縄全体なのか、ここの妻の実家特有でちょっと判断がついてないんですけど、
他の家の話と比較的近しい感じが出て、
娘が生まれてからというもの、すさまじい人数が来てくれるんですよ。
すごいですね、でもいいですね。
あまりに過ぎて記憶できないし、初めてお会いする方もいらっしゃったりする中で、
どなたに抱っこされているかわからない娘みたいな感じ。
でもきっと血がつながっている方なのかなって思いきや、血はそんなにつながってなくて、すごい近所だっただけみたいな人だから。
親戚でもなかったみたいな。
沖縄の人々の関わり
そういう関係性の中で生きているのは沖縄という土地なんだなと思っていて、
だからといって強がらないでいるかどうかは人によったり家によったりとは思いますけど、
日常的に関わるって話されてましたけど、日常的に関わるっていうことで言うと、
あまりにも関わっている範囲もすごい多いし人も多いから、
確かに助け合いやすいというか、関わり合いやすい土壌みたいなものはこういう土地にはあったりするのかな、
みたいなことを最近やけに実感しているところがありますね。
いいですね。
面白いですね。
面白い。みんなナンクルナイサーって言ってくれるんですか?
そう。むしろナンクルナイサーもあるし、もはや聞き取れない言葉で言われることも結構多くて、
終わった後に何て言ってたの?みたいなことを。
奥さんに翻訳してもらって。
そうそう。ではありますね。
いいですね。私そういう空気感というか、そういう緩い繋がりみたいなのすごく素敵だなって。
なんかあんまり多分今そういう家族みたいなことはずっと昔からありますけど、
やっぱり日本全体としてそういう日常的に関わるみたいなものが結構多分気迫化しているとか少ないんじゃないかなみたいな気はすごいしてて、
そういうものがある意味東京みたいな都心、都会というよりかは元地方の方が残ったりするみたいなのは人あるんだろうなみたいなことをちょっと思ったりしますね。
そうですよね。私も子供の頃夕方暗くなるまで遊んで、そのうちでカレー食べさせてもらって帰ってくるところがありました。
『モモ』のメッセージ
でも本当今でもその時の仲間と会うと、よく遊んだよねってお互いよく誰かの家に入ってて、
ああって言って夕ご飯まで食べて帰ったよねとかいう話が出て。
今やっぱり子供同士遊びましょうって言っても、まず親同士がLINEして、
今日うちのなんとかが何時に伺うそうですが大丈夫でしょうかみたいなやり取りから始めるので、
とりあえず家帰ってきたらはい行ってきますってまたすぐ遊びに行って、
親は親にどこにいるとか言わないけど大体誰かの家にいるだろうみたいな、
どっかの子にいるだろうみたいな、ああいうふわっとした感じの中で活かされてるみたいなのって、
本当うちの子供は経験してないなあって思います。
そうなんですね、そっか。今はそうですよね、時代的にそうなっちゃってますよね。
確かに、確かに。
あーなるほどな、なんか今ちょっと初めてふと思った問いなんですけど、
今のを聞きながらその冒頭にも話していたミハイル・エンデさんのモモを最近読まれているわけじゃないですか、
この本を誰かにプレゼントするとしたらどんな人にプレゼントしたいですか。
誰にプレゼントするか、なかなか考えさせられる。
子供にはもちろん読んでもらいたいなっていうのはすごく思いました。
時間の使い方とかね、やっぱりそれだけじゃなくて、何が人生において大事かっていうのを、
本から問いかけてくれてるなと思うんですよ。
あなたにとって効率が大事なのか、それとも別よりもその効率の良さを目指してしまう中で省いてしまった人との関わり合いなのかとか、
そういうのは問うてる気がして、この部分はやっぱりデジタルネイティブだし、すぐデジタルになってしまう。
うちの子供とかにも読ませたいなと思いますし、
あと大人も読んでほしいなって、全方位になってきちゃったけど。
すごい良かった。まだ読み終わってないけど、読んでほしいなっていうのは今の時点で思いますね。
失ってるものないかいっていう。
失ってるものないか。
日々の生活で便利さ楽さを追求するがあまりに。
心の豊かさって言ったら漠然としてるけれども、
一つ一つ丁寧にやるとそこには愛情を感じるものとか、
感情的な幸せを得られるはずだったものを削ぎ落としてしまってないかいっていうのを、
本から問われてる気がして。
私のような大人に、せこせこ生きてる大人に読んでほしいなと思いました。
話すことの重要性
ありがとうございます。
今、僕も手元になく神奈川の家にはあるので、
帰ったら読みたくなったなみたいなことには感じました。
本当にね。
これまた時間泥棒って、無限の力で消すことができるじゃないですか。
そうですね。
その消すプロセスを私はやるのかどうすんだいって、
自分自身に聞きたい、問いながらいきたいなって思います。
その消すプロセスを私はやるのかっていうのは、もうちょっと聞いていいですか、どういうことですか。
時間泥棒に時間を預けるのも、預けないのも自分次第だと、
いうことに気づかされて。
なるほど。
自分で時間泥棒に時間を取られないようにするぞというか、
灰色の男たちに負けないぞと思ったら、男たちは消えていくわけですよね。
はいはいはい。
これはもうぜひ読んでから、なるほどって思ってほしい。
確かに確かに。
その決断はやっぱり自分自身に与えられてるから、
この判断なんとしなくちゃなっていうのを心がけたいなと思いました。
ありがとうございます。
確かに今お話し続けてきましたけど、
ももを読んだことがない人からしたら何を言ってるんだろうって思ったかもしれないけど。
本当ですよね。
ふわふわして話がわからないなみたいな。
そんなにすごい長時間かかる本ではない。
そんなでも短時間で読み切れる本でもなかったりするんだけど。
ちょっと目を通してもらいながら、
今のこういうことを言ってたんだなみたいなことを感じてくれると嬉しいなって思いました。
そうですね。
そしたらわかるって思ってもらえるような気がする。
なるほどです。ありがとうございます。
結構いい時間になってきたなと思っておりまして。
1時間ぐらい経ってきたなと。
早いですね。
これ最後の質問にさせてもらえたらありがたいなと思っているんですけれども、
この番組では毎回最後にゲストの方に、
今日のこの番組、トラストマートの中で振り返りながら立ち上がってくる問いを一つ出してもらっているんです。
それはリスナーの方に対しての送り物、問いの送り物としてでもそうですし、
またまたゲストの方の今後に向けての送り物としても、
一つ問いが立ち上がるといいなみたいなことを思っていたりしたんですけど、
多分今直前の話の中でも、問いの形式でいくつか出してもらったような気もしますが、
何かあえて一つ、今最後の問いとしてだとするとしたら、
松尾さん的にはどんなものが今ありますか。
そうですね。ちょっと問いの形になるか。
けど、仕事柄、お話を伺うことはすごくたくさんあるんですけど、
自分の話をすることってほとんどなくて。
そうなんだ。ほとんどないんだ。
だからこういう番組というか、誰かにお話を聞いていただくっていうことがすごく新鮮であるとともに、
自分の口からこんなことが出てくるんだとか、
ももちゃんのこととかも含めて、ちょっとびっくりしたんですよ。
すいません、なんかびっくりさせちゃって。
いやいや、こういうものを私は持ってたんだっていうのが、
たくさん出てきて、あの時の風景がこうだったとか、
ほんと忘れていたものをいっぱい呼び起こさせてもらった気がして、
話を聞いてもらう、話を聞く、そして聞いてもらうって、いいなって。
感想?
それで、ひとしてもし投げかけるんだとしたら、
なんかあなたにとって、そういう聞く、話すができる人だったり、場所だったりはありますか?と。
あーはい。
で、もしないなって人には、話聞かれるのどうですか?って。
問いじゃないな、これは。お誘いです。
いいです。
ちょっといいなと思いました。
あーそうか。あなたにとって聞く話ができる人や場所はありますか?というのと、もしなかったら話聞かれるのどうですか?
はい、どうぞ。
えー、なんか話してみませんか?って。
あーなるほど、はい。
聞いてみませんか?話してみませんか?
そんな風に思いますかね。
話してみませんか?って確かになんか、今言われておりますけど、そんな言われることないですよね。誰かに話してみませんか?みたいな。
そういう話すこともないし。
確かに。あーなるほどな。
これ私の完全な仮説なんですけど、
よくイベントとかの登壇者になる方とか、いろんなところの経営者の方とか、その人前に出る機会が多そうな人って、
実際お会いしてみるとすごいオーラだなとか、すごいハッピーそうだなとか、見えることがあるんですよ。
皆さんどういう印象を持たれているかわかりませんけど、なんかやっぱり輝いて見えるみたいな、そういうことあると思うんですけど、
なんか最近ね、思うんです。そういうところに出る人ほど、自分の話をしてるから幸せ。
面白い。
なるほどね、考えてなかったな。
出る人ほど、またあの人あそこ出てたから今度こっちにも呼ぼうって言って、
その好循環っていうのかな、どんどんどんどん人の前でいろいろお話をする、自分の話をしていくっていう、ぐるぐるとした輪の中に入っていく感じ。
あー。
で、ますます自己強化型にしますようになっていくんじゃないかなと。で、もっと幸せになっていくんじゃないかなっていう仮説があって。
めっちゃすごいですね、確かにな。
あー、なんか確かにね、なんかそれこそそうさんが多分これまでたくさん会われてきている、いろんなね、多分名前の知れている経営者の方とか、ある意味タレントの方とかとたくさん出会われてると思うんですけど、
確かにそういう方が確かにめっちゃ話してますけど、それってなんか話している以前に何かいろんな、その方から知見があったりとか、めちゃめちゃ面白いとか素敵みたいなことがあるから出ている。
まあそれはそうなんだけど、確かにそれをしているから、たくさん話す機会が幸せであるみたいなのは、あんまりこれまで僕も考えなかったけど、確かにめっちゃそれそうかもしれないね。
アイドルとかもきっとそうなんじゃないかと思って。もちろんね、アイドルになることで、なんか外見的なものとかもいろいろね、工夫をされたりとかもすると思うんですけど、自分のことを喋る機会がどんどん増えるじゃないですか。
そうですね。
自分のこと喋って、自分のことが分かって、自分こんなこと考えてたんだって思うと、なんかハッピーになってくるみたいな。
めっちゃ面白い。
輝いていくんじゃないかなっていう、中からの輝きみたいなものが出てきて、さらに輝いていくんじゃないかなっていう仮説を持ってます。
そこまで聞かれてきている、松尾さんが言うし、すごい説得力あるな。確かには。
完全にね、思い込みですけど。
いやー、でも直感的にはそれ合ってる気がするみたいな気もなんかしました。
だから皆さん何か人に話してみたら、意外とその話を聞いた人が、あの人こんなことも話してたからって言って、次の輪が広がって。
会ってみないって言って繋がって繋がってどんどん話して話してってなって、その人自身もっと輝く。
社会的な成功とかそういうんじゃなくて、なんか人生をポジティブに捉えて楽しくなっていくんじゃないかな、キラキラしていくんじゃないかなって。
幸福感と自己介助
なるほど、いやなんかちょっとすごい余談になっちゃうんだけど言いたくなって言うんですが、松尾さんもご存知かと思いますが、僕がいた大学院の僕の研究室の先生って、ウェルビングの第一人者みたいな感じで言われているおじさんなんですけど。
はい。
確かにウェルビング幸福感の研究とかをしているぐらいの人なので、確かに幸福感高めな存在ではあると思うんですけど、明らかにやっぱ人前で話す回数がめちゃめちゃ多くて、話してる時ほど一番嬉しそうとか楽しそうっていうかなんていうか。
特に一番ハッピーそうなのは、そういう話してるだけでも幸福感感じてると思うんですけど、奥さんが横にいるとより一層輝くんです。
私も感じてました。
そう、なんかねやっぱ話せば話すほど幸せとか嬉しくなるとか本当そうだなって思うし、特に一番聞いてほしい人に直で話せるみたいな。ただそれが1対1だと難しいことも結構ある気はしてて。
そうですね。
1対1じゃない場とかで聞いてもらいながら話せるっていうのがすごいあるのかもなって思いましたね。
ねー。今大学院の話出ましたけど、私の研究の中でちょっと当たった先行研究で、自己介助をするとちょっとそれがセラピーになってくっていうのが。
セラピー。
セラピー、自分自身のね。なんでそういうのも関係してるのかなーなんて思ってるんですけど、だからみんなに話を聞いて、もっと話してほしいっていう、それをちょっと無理矢理問いに持ってきましたけど。
いやいやいや、確かに。
なるほどなー。
だって思いますよ。自分に対して思いますもん。ほら、やっぱり意外関係あったり、近いといろいろ話せなかったりするじゃないですか。
ただこの、今一緒に撮らせてもらってるこのポッドキャスト、読書のまにまにって、こうやって聞かせてもらうのは僕がやってもらってますけど、編集は僕の妻がやってくれてるんです。
最初聞いてるの妻なんですよ。
で、これ何がいいって、妻と対面して話してないようなことを僕結構ここで言ったりとかしてるから、それを聞いて、ああ言ってたじゃんみたいなことを結構言われたりすることがあって、結構それがね、もしかしたら僕の幸福感に繋がってるかもしれないなっていうのは。
なんかちょっと話を、今のに伺って、自分でも起きてるってことをちょっと思ったかもしれない。
コミュニケーションの重要性
わー、実感ありますか。
実感ありますね。
なるほど。
面白い。
だからあれですよ、結城さんもいい仕事をなさってるなって。
本当ですか、そう言いたいことありがとうございます。
なんか上からみたいな言い方になっちゃった。
いやいや、全然。
本当に素敵だなって思います。
ありがとうございます。
いやー、なんかね、今日こんな風にお話をさせていただいてありがたいなと思っておりますし。
こちらこそ、本当にありがとうございます。
いやいや、ちょっとまた引き続きそんな聞くみたいなところをまた一緒にお話してきたら嬉しいなと思います。
そうですね。ちょっと私たち盛り上がっちゃいそうですね。
そうですね。
ぜひ、僕も神奈川の方戻ったら、ひたすら東京とかも行きやすいのでまたぜひおしゃべりさせてください。
こちらこそよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ではですね、今日もみすなの皆さん、お聞きいただきましてありがとうございました。
読み書きの一冊から少しだけですね、人生の途中を見つめる時間になっていたら嬉しいです。
ではまた次のまにまにでお会いにかかりましょう。
ではですね、今回のゲストはアナウンサーの松尾恵理子さんでした。
松尾さん、ありがとうございました。
ありがとうございました。
45:28

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