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2025-11-03 41:03

#68 『わら一本の革命』ーー農業の目的は、いかに昼寝の時間を増やせるかだ | ゲスト・お結び屋 / 矢野豪邦 さん

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お結び屋さんを営む矢野豪邦さんをお迎えして、“読みかけの本”について語り合います。
 
【今回のゲスト】

お結び屋 / 矢野豪邦さん
1995年大阪府生まれ。東京のデジタルマーケティング企業で5年勤めたのち、2021年より日本と台湾をめぐりながら、有機農法や自然農法、小さな農のある暮らしに触れる旅へ。約3年の旅を経て、2024年に九州の丹田・鹿児島県湧水町に辿り着く。現在はおむすび屋、デザイン業、福祉業、音楽などの小さな生業を組み合わせて、無理のない暮らしの実践と研究を重ねている。
 
【登場した本】
『わら一本の革命』福岡 正信

サマリー

今回のエピソードでは、お結び屋のお店を運営する矢野豪邦さんが、自身の農業に対する思いや地域での活動、おむすび屋の開業についてお話しします。彼は鹿児島の湧水町に根を下ろし、地域の米を使用したおむすび屋を始め、農業の楽しさやコミュニティの重要性を考えています。また、ポッドキャスト第68回では、矢野さんが福岡正信の著書『わら一本の革命』を紹介し、自然農法の哲学や農業の本質についての考察を深めています。無意の重要性についても語り、農業がどのように生き方の一部となるのかを示しています。農業の目的は昼寝の時間を増やすことであり、自然と調和した方法で作物を育てることが大切にされています。福岡正信や日本の農業の進展についても触れ、家族やコミュニティの支え合いの重要性が強調されています。今回のエピソードでは、農業の目的が昼寝の時間を増やすことであるという独特の視点を持つ矢野豪邦さんの考えを探っていきます。

ポッドキャストのはじまり
こんにちは、あらしろゆうきです。読書のまにまには、今読み終えていない読みかけの本をきっかけに、本を通しての体験や人生についてゲストと語り合う対話型のポッドキャストです。
本は最後まで読むことだけが目的ではないんじゃないかなというふうに思っています。閉じられたページ、止まった一節、そこにその人だけの時間や思いが刻まれている。
本に触れながら、本や書き手の声に触れる。そうすると、あの頃の自分のささやかながらも大切な記憶や気持ちが浮かび上がってくる。
この番組は、本とゲストのそんな関係性について、ゲストの方と一緒にそっと耳を澄ませていこうと思っています。
では、今回のゲストは、お結び屋さんの矢野豪邦さんです。豪邦さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お結び屋さんのというふうにご紹介をしたのが人生で初でして、ちょっと嬉しい気持ちになりましたね。ありがとうございます。
ありがとうございます。ご紹介いただいて。
ありがとうございます。
矢野さんとは、ちょっと先、この収録始める前におしゃべりしてましたけども、おしゃべりするのがおそらく1年半とか2年弱ぶりぐらいでして。
ほんとね。
いつ、多分去年の頭とかかな。
割とでも暖かかったですよね。
まあでも確かに。長袖は着てたけど、ちょっと暖かかったような記憶がある。
うん。
それこそ、僕自身が、あれだな、妻と僕の写真を知恵さんに1回撮ってもらったんですよね。
そうですね。
その写真、今も家に飾ってます。
ありがとうございます。
まだ飾ってくださってるんですかね。
まだ飾ってます。
お結婚記念もね、撮っていただいて。
そうなんですよ。
本当に嬉しいです。
ありがとうございます。
今もね、時々ね、スマホのほら、ビジェット、画像のビジェットで、時々、何て言ったらいいかな、図紙海岸で、僕と妻が浜辺、砂場にいて、秀さんが車道側にいて、上から下を撮ってくれてるみたいな写真を1回撮ったんですけど。
あれが時々ビジェットに上がってきて、秀さん元気かなって時折思ってたんですけど。
写真をきっかけに思い出してくださいね。
そんなちょっと心もありながら、今日こうやってお久しぶりですね。話せるのとても嬉しいです。ありがとうございます。
ちょっと秀さんに自己紹介もお願いできたらなーみたいなことを思っておるんですが、お願いしてもよろしいでしょうか。
はい、いやもう自己紹介が一番苦手と言っても過言ではないんですけど。
矢野秀国と言います。大阪生まれで、大学で東京に出たんですけど、5年くらいマーケティングの小さい会社で働いた後に、
ひょんなことから全てを手放すというか、お仕事とか、その時鎌倉に住んでたんですけど、
いろんなことをリセットするタイミングが26歳くらいの時にあって、そこから日本一周の旅したり、台湾とかも一周したり、旅人に急になっちゃって。
暮らしの中に、農業じゃなくて、小さな農を取り入れる人たちの元を渡り歩くっていうちょっと不思議な旅だったんですけど、
そういう人たちの暮らしの中に入って、ほんと1ヶ月2ヶ月くらい一緒に暮らして、
なんだろうな、ほんと一緒に畑をしたりとか大工仕事したりとか、そういう仕事みたいなのを実践的に学びながら暮らしながら、
合計で2年半くらい旅をして、やっぱり暮らし、いろんな暮らしに触れてると自分も暮らしを作りたいなっていう意識に変わってきて、
後半は自分の新しい拠点を探すような旅に切り替わって、これまたご縁があって、今鹿児島の湯水町、湧水って書いて湯水町っていう地域に暮らしてるんですけど、
そこの地域の人たちと出会って、本当に根を下ろしたというか。
5月にこの地域の人たちと出会ったんですけど、気づいたら1年半経ってて、今年の2月くらいには地区90年くらいの小民家を購入させていただいて、
そこを地域の交流スペースみたいにしようって黙論でたりとか、
あとその地域は米どころで、お水はすごい美味しいし、米もめちゃめちゃ豊作だったり、米どころって言われてるんですけど、その地域の米を使っておむすび屋さんを開きたいなって去年思って、
今年の9月に実際に営業許可を取ることができて、おむすび屋さんとしても歩き始めたっていうところで、他にもいろいろやってたりするんですけど、ざっくりそんなことをしています。
おむすび屋開業の背景
なるほど、ありがとうございます。
こうやって久々にお話しして言うのもなんですけど、知らないことばっかりでしています。
ですよね。
そうですね。
サルビジネス版でいろいろ。
そうですか。あれ、もだいその図書館で写真撮ってもらったときは、あれは旅の途中でしたっけ?
あれはですね、そうですね。旅を始めて何ヶ月か経ったくらいのときだったかもしれないです。
ですよね、ですよね。
うんうん。
そうだそうだ。今なんかお話がなっている中で思い出したんですけど、そうですよね。ひでえさんは確か、あいちゃんから紹介でしたっけ?
あ、そうですそうです。あいちゃん。
ああ、そうだそうだ。まあ、それだけ言うと何のことかわかんないと思うんですけど、僕の学部時代の、学生時代からの友人で、多分そのあいちゃんに、なんだっけな、確か結婚おめでとうみたいなLINEだかインスタか何かで連絡が来て、
なんかちょっと、ひでえさんって人がいてねみたいな、写真撮ってもらうといいよみたいな感じで、言ってもらって、あ、いいの?みたいな感じで。
うんうん、今私がジェットするよみたいな感じですね、確か。
はい、そう、それでお会いしたっていう、なんか突然発生したありがたい流れみたいなので、
そうですね、今度も見つめてくれたのがあいちゃん。
そうでした、そっかそっか。ちなみに9月におむすび屋さんを始めたよと、許可が取って始まったよっていう感じでおっしゃってましたけど、それはあれですか、もうその流水町の中で店舗みたいなものはもうあるんですか?
いえ、店舗はなくて出店型というか、
あーなるほどなるほど、はいはいはい。
これからなんですけど、イベントにとかマルシェとかに出したりとか、今やってる形はあの最寄駅の前でテーブル、テントを出して出すっていう形です。
なるほどなるほど、そっか、え、なんかもうどこから聞いていいかわかんないぐらい、すごい興味津々なんですけど。
ちょっと本題入る前に聞きたくなっちゃったんで聞くんですけど。
はい、ぜひぜひ。
おむすび屋さんは確かにお米がおいしいっていうところかもしれないけれども、
例えばこれは何て言うんですか、僕が例えば生まれた場所は秋田県の一番北の野代市ってところなんですけど、確かに秋田県なのでお米どころではあるんですよ。
でもなんかお米どころに生まれたし、それを食べて育った身としても、特におむすび屋さん、おにぎりを結んでお店をやろうって思ったことは人生の中で一度もないなーみたいなことがあって。
あんまり思わないですよね。
秀さんがそれを選択されて、選択した上でもすでに始めているというのは、なんかどういうところからそのお気持ちというか感覚はやってきたんですか。
そうですね、なんか理由とかはいっぱいあげようと思えばあげれるんですけど、
はいはいはい。
ほんとなんか、秀くんおむすび屋やったらって言ってくれた友人がいて。
なるほど、そういう風に言ってくれた人がいたんだ、なるほど。
そういうのやるわみたいな感じだったんで。
そうなんだ。
でも遡るとなんかいろんな羽は確かにあって、18年前におむすび屋さん作りたいなと思ったことがあったんですよ。
あ、そうなんですね。
そうなんです。
友人と一緒に。
それは結局実らなかったんですけど、
うんうん。
うんうんうんうんって思ったことがあったり、なんかちょっと不思議に思われるかもしれないんですけど、おむすびに値段をつけてなくて僕。
へー、値段無しなんだ。
たぶん秀が値段をつけるっていうスタイル。
あー、なるほどね。
実験をしたくて、普通は商品ってすべて値段がついてるけど、つけなかったらどういう巡りが起きるんだろうなーっていうのを見てみたかったっていうので、
で、おむすびっていうのは、おむすびめっちゃ苦手って人ってあんまり聞いたことないし、老若男女食べれるし、
まあ確かに確かに。
なんかいろんな季節の具材とかを掛け合わせる余白がすごい多い。
日本人としてのソウルフードだったりするしっていうところで、
で、米どころだし。
へー。
いっぱい重なって、あ、これだって思って、今だって思って始めた。
なるほど。
はい。
そうなんですか。
いやなんか、それ聞くだけですごく聞いたいこともあればシェアしたいことも発生してきちゃったんですけど。
あー、ぜひ。
すごい、どんどん本題からずれるんだけど。
僕のこのやらせてもらってる読書のまにまにでフォトキャストの何回前かな、とかに三浦さんっていうアーティストが出てくれていて、
彼はアーティストと言っているのと同時にフォトキャストだからとアーティストのフリをしている人っていう肩書きでお願いしますみたいな感じで出てくれて、
アーティストのフリをしている人の三浦さんですみたいに紹介をした人がいるんですけど。
へー。
その人今近いんじゃないかな、宮崎にいるのかな。
宮崎のどこだったかな。
その人も全国旅しながら唐揚げをあげて、唐揚げを配りながら旅をするっていうのを一時期してた人で。
別にそこに値段つけてもらうとかじゃなくて、あとは基本寄付みたいなもので生き延びるみたいな、社会実験としてずっとされていて、今は最近はそうじゃないんですけど。
はいはいはい。
なんかちょっとなんていうんですか、ひでさんと三浦さんがあったら楽しそうだな、それを横目で見たいなって一瞬思っただけの話なんですけど。
何かチンパチン感じますね。いずれ出会いそうな気がしますけど。
あるかもしれないですね。
はい。
いやいいな、なるほどな。
ちなみにそんなおむすび屋さんを始めたひでさんなんですけれども、実際なんか今そこの有水町っていう、湧水と書いて有水っていい名前だなって思いながら聞いたんですけど、
その鹿児島の有水町にたどり着いて、そこに根を下ろしたのはご自身にとって何かどんな意味がありそうなんですか。
そうですね、おじいちゃんが鹿児島の人で。
あ、そうなんですか、なるほど。
鹿児島の人なんですけど。
鹿児島の思い出
あ、鹿児島なんですか、なるほど。
なんかそれもあるのか、なんとなく懐かしかったんですよね、初めて鹿児島に来たとき。
へえ。
なんか自分の人生の中で鹿児島に滞在してたとかはなかったんですけど、2年前くらいに初めて薬師間を訪れたときに初めて。
うん、なんとなく懐かしさを感じたのと、それから柴田さんがいて、有水町に行ったんですけど、
そこで会う人会う人が、もう再会した感じというか、長く会ってなかったことになった感じがした。
おもしろ。はいはいはい。
こういう直感みたいなのが、初日にあって、
で、なんか向こうもそれを感じてくれてたみたいで、
ずっとそういう場所を探してたんで、もうなんか涙出てきてその日の夜に。
そうなんだ。
有水町の人たちが宴を開いてくれたんですけど、ウェルカムパーティーみたいな。
別にまだ住むって決まったわけじゃないのに。
すごいな。
はい、6人くらい集まってくれて。
うんうん。
音楽やったりとか、カレーを食べたりとかして、
はいはいはい。
そのときになんかもう気づいたら涙出てきてて、
自然農法の重要性
へえ。
やっと見つけたみたいな感覚があったんですよね。
ああ。
うん。
そしたらあれよあれよという間に、ここ住んでいいよっていう場所が見つかったり、今の家じゃないんですけど。
うんうんうん。
で、お仕事もここで働けるよみたいな福祉の施設があって。
へえ。
そこで今も働いてるんですけど。
あ、そこなんですか。そうなんですか。
うんうんうん。そうなんですよ。
なるほどね。
うん。
ああ、そっか。
なるほどね。ちなみに、すごい興味があるんですけど、そういう場所を探していたって言ってくれたじゃないですか。
はい。
それはなんか、どういう場所を探したんですか。
そうですね。なんて言うんだろうな。
割と、ほんと自然を愛する人たちが多いというか、僕のつながりのある有水町の人たちは。
はい。
その土地をすごい大切に思っていて。
うん。
で、自分たちの暮らしから、なんていうのかな、ほんと丁寧に暮らしている人たち。
はいはいはい。
そういう人が多くて、ちょっと感覚的なやつなんですけど。
うん。
で、ご質問何でしたっけ。
いや、なんか、そういう場所を探していたっていうのは、なんかゆうさんにとってそういう場所を求めていたのはどういうところ、どういう気持ちだったりどういう感覚から出たのかなっていうのが興味がありました。
そうですね。今湧いてきたのは、みんな家族みたいな感じで。
ああ、はいはい。
全体の在庫のお家みたいな感じでやってるような、そういう場所。もちろん全員が全員じゃないんですけど。
うん、なんかそういう血のつながりを超えた家族感みたいなのがある地域がいいなと思ってたんで。
なるほどなるほど。
うん。
ああ、そうなんだ。
ですね。そういう世界観に触れたのが、なんか10年ぐらい前で。
ああ、10年前。はいはい。
10年ぐらい前の時に、渋谷で面白い人たちがいるよって友達に紹介されて行ったんだって。
で、SHIFTって言うんですけど。
うんうん。
C-I-F-Tって書いてSHIFTって言うんですよ。
はい、SHIFT。
うんうん。
もうほんといろんな世代の人たちが、赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまでが、
えー。
拡張家族っていうテーマで。
ああ、はいはいはい。
で、仕事も暮らしも分かち合って生きてるっていうのを聞いて、
人たちに会いに行って、
で、うわ、こんな人の暮らし方とかつながり方とか生き方があるんだっていう衝撃を受けたのが結構原点だったりしますかね。
ああ、なるほど。
うん。
私、なんか拡張家族でSHIFTっていう、なんかちょっと記事とか読んだことあるような記憶があります。
あ、ほんとですか。
うん。
うんうん。
なるほどなー。そうか、そういう感覚からやってきてるんですか。
ですねー。
なるほどー。いやー面白いな。ちょっとなんかそこら辺の拡張家族みたいなところ、
まあ今の有水町にも近しいというか同じものを感じらっしゃるのかもしれないけど、
ちょっとまた後ほど聞いてみたいなと思いつつ。
はい。
そろそろだんだん本の話にも入ってみたいなーみたいなことを思っておりまして、
まあ今回この番組で、ドキュメントのまにまにんで、
まあ読みかけの本を一つ、二つみたいなことをお話をしておりましたけど、
なんか秀さん的にはそんな本みたいなのって思い当たりはどんなものがありましたか。
そうですね、あのー、この本知ったのは何年か前なんですけど、
最近やっと初めて手に取れて、
あ、へーそうなんだ、なるほど。
読み始められたっていうのが、福岡正信さんという自然農法家の方の書いた
「わら一歩の革命」っていう本なんですけど、
その人の反省を綴ってたり、
科学的な農業がいかに違う方向に歩んじゃってるものかっていうのを、
本当、いろんな視点で書いた、書かれた本なんですけど、
福岡さんの言葉が本当に響いてくるものが多くて、
ちょっといくつか紹介できたらなと思ってます。
なるほど、ぜひぜひありがとうございます。
ちなみにちょっとこれ先に聞いてみたくなっちゃったんですけど、
数年前に知って手に入れたのは最近っておっしゃってたじゃないですか。
数年前に知ったのはどういうきっかけ、流れでこの本、福岡正信さんの本に出会ったのか知ったんですか?
ちょっとはっきり覚えてないんですけど、確か旅をしてる中で、
自然農法やってる方も何人もいたんですよ。
その人たちがバイブルとしてたのがその本っていうことがあって、
気になってたんですよね。
でも結構分厚めなんですよ。
へーそうなんだ。
暗号本で、
気になってるけどなかなか触れる機会がないみたいな時が長くて、
でも今年か、
今年その隣町に桐島っていう地域があるんですけど、
その温泉でその本が置いてて、
竹じゃなくているとかじゃないんですけど、
読みたいってすごい思って、
あったって思って、その温泉の人にこれ貸してくれませんかって言って、
借りて読み始めたという感じですかね。
なるほどー。
え、試合するってずっと借りてる状態なんですか?
あ、一旦返したんですけど、また借りたいなと思って。
へー、なるほどなー。
すごいですね、数年前だ本。
でも読んだり手に取る機会がなかったけど、
住んだ隣町の温泉でまた見るみたいな。
それでまたそれを見て思い出すっていうあたりやっぱり、
何かしら指定さんの中でその本が何か残っていたりしたんでしょうかね。
そうですねー。
なんかその本じゃなくても福岡正信さんの言葉みたいなのに、
なんかいろんな機会で触れることがあって。
あ、そういうのがあったんですね、なるほど。
まあいろんな言葉あるんですけど。
どういうのがあるんですか、例えば。
例えばなんか無意っていうこと。
はいはい。
無意ですね。
はい。
何もなさないっていうことをやってる人なんですよ。
へー。
普通にみんなちょっと言い方になっちゃうんですけど。
なんかもともと研究者の方で、
25歳までバリバリみかんの細胞とかなんかいろいろそういうのを
研究されてた方なんですけど、
25歳ぐらいの時にご病気をされて、
今までやってたことが全て無意味だったっていうことを悟ったらしくて。
へー。
で、実は人間がやれることって本当にごくごくわずかで、
へー。
自分をコントロールしようとかっていうこと自体が
もうなんか間違ったことなんだっていうことに気づいちゃったらしくて。
へー。
それからは何をしていくかよりも何をしていかないかに
人生の。
なるほどねー。
向けて、いかに何もせずに生きていけるか豊かに
っていうのをずっと研究された方なんですよね。
で、62歳の時にその集大成となった本が
わら一本の革命っていう
はー。
本だそうで。
なるほどねー。
『わら一本の革命』の内容
その何もしてないよ極めるっていうのがめっちゃ面白いなっていうのを
本読みに来たら思ってて。
確かに確かに。
で、実際読みたかったのが音声にあったっていう。
なるほどー。
感じですね。
なんかめっちゃ興味あるんですけど、その
なんていうんですか、その内容にてわら一本の革命のそのわら一本って何を指してるんですか。
あ、えっとその人は米作りだったりいろんな野菜を作ってるんですけど
あのー
普通は、普通はというかなんかお米の作り方が面白くて。
あーそうか普通にお米のそのわらの話をしてる。
そうですそうです。
なるほど。
なんかないよ一本一本育ててそれを機械なり手で植えていくっていうスタイルじゃなくて。
へー。
なんかまず麦を育てて、ちょっと間違ってたら申し訳ないんですけど。
へー。
麦とあの米を。
うん。
稲ですね。
麦と稲を同じ田んぼで育てるっていうことをやってて。
へー。はいはいはい。
その人が行き着いた究極のその米作りがその方法なんですけど。
あー。
あの手で植えていかないんですよ。
手で?
ないよね。
おー。
植えずになんかもう投げるっていう。
なるほどね。
せーの。
投げる。
おもしろ。
適当にポンポンポンってあの、もみ。
はいはいはいはい。
なげて。
で、そこにあの育ってきた犬があって。
で、その間になんか麦の種もまくみたいな。
へー。
これはむしろ雑なほうがいいらしてて。
そうだな。
農業と自然の調和
自然に人間がこれを育てようっていう意識じゃなくて、自然がそれをあのやってくれるんだから。
それは自然に任せればいい。
あー。
なるほどなぁ 普通の畑とかも粘土団子って言って
いろんな種類の種を粘土にして混ぜて ゴルフボールぐらいにしてそれをひたすら投げるっていう
へーあーなるほどね確かに そっかそっか
ほんで中国の砂漠を緑化するプロジェクトに携わったりして
福岡正信さんはインドとかではめっちゃ有名人で
ああそうなんですか 結構世界的に知られている日本人らしいんですよね
ああ なるほどなぁそっか
面白い 日本人がやってて素敵だなと思うのが
農業の目的 私がやってる農業の目的はいかに昼寝の時間を増やせるかだって言ってて
家族の働き方
いいですね そうそうそう
俺がなんか力が抜けてていいなぁって いいなぁいいなぁ
なるほどね ちなみにそのイエーさんがさっき言ってくれてた
何をしていくのかよりも何を何もしていかないかに人生のベクトルを向けるっていう
この福岡さんのお話紹介してくれてましたけれども
この方の話だったり本の内容に秀さんが何か共鳴するというか
ポジティブないいなぁって思う気持ちを持つのって秀さんの中にどんなものがあるからな気がするんですか
なんでしょうね
なんか 思い出すことが10代ぐらいの経験なんですけど
はい お父さんが結構社会に馴染むのが難しくて
おーほいほい みんな仕事をてんてんとしてた時期があったんですよ
で 新しい仕事始まっても数ヶ月後辞めちゃうみたいな
でも僕兄弟3人なんですけど 家族を養っていかないといけないみたいなことでめっちゃ頑張って働いてた時期があって
お父さんが 大きな病気こそなかったんですけど
なんか本当にめっちゃストレスフルに働いてるのが子供もわかるし
なんか見てて辛かったんですよねそれが
で 例えば取引先の人とお父さんが電話した後に
電話を切った後に相手の取引先のことをすごい悪く言うみたいな
なるほどな はいはいはい
こういうのがなんかすごい悲しかったし嫌だったっていうのがあって
なんでそんなに身をこにして働かないといけないんだこの社会は みたいな
あー なるほどね
とかに
で お父さんのすごい仲の良かったご友人がいて
僕もちっちゃい頃からお世話になってたんですけど
この人が 僕が中学生ぐらいの時に亡くなったんですよ
その原因が過労死で働きすぎて亡くなっちゃったっていうことがあって
その時は その時で本当ショックだったんですけど
何年も経って思い出した時に
やっぱり
なんか働かないと生きていけない
自分の身を犠牲にしてまだ働かないと
家族養えないみたいな構造が
なんかすごい歪に感じてやっぱり
でなんかそういうのって
なんだろう 多分日本だけじゃなくて世界中で
男のみんながお金のために働いて
自分の健康とか時間を犠牲にしたりして
なんとか生きてるみたいな状況がもう
なんていうのかな 自分の中で受け入れられないというか
ちょっとみんなで支え合っていけたらいいんじゃないかなって
なんかお子さんいる人は
なんだろうな お子さんとの時間を大切にできる
とか例えば
ほんと郵政庁もシングルマザーの人とか多いんですけど
自分の周りとか
お子さんもいて
パッて頼れる人もそばに少なくて
でも生活費稼いでいかないといけないからみたいなことで
めっちゃ頑張って働いてる人もいて
なんかその
無理しないと回らない仕組みみたいなのが
すごい違和感というか
そうじゃない働き方生き方を
みんなでやりたいなっていうことを思ってるから
なるほどね
そうかそういうご経験があったんですね
そうですね
なるほどなるほど
なんか今の聞きながらも僕の中でもなんかちょっと共鳴するところがあるな
みたいなことを思っていて
何かっていうと
最近娘が生まれたんですよ
2ヶ月前ぐらいに
で今僕育休中なんですね
なので仕事というもの自体はしていない状態で
国から育休のお金をいただくみたいな感じで生きている感じなんです
その状態ってなんか今言ってくださった
働くために
お金を得るために働くみたいな側面を一旦切り捨てて
これまで払ってきたいろんな保険料とかをひっくり返す上で
その中からお金をまたいただきながら生きているみたいな感じの日々を過ごして
毎日その妻と娘と一緒にいるみたいな生活をしている中で
なんかあのなんていうんですか
単純に子供育てていくというか
育ててもらっている感じはあるんですけど
その生活だけでも結構大変だったりする中で
確かに何かこれで働いてって本当に大変なんだなみたいな
こととかをめちゃめちゃ思って
親だけで育てするのも難しいし
やっぱチーティーだったり
いろんな人たちと一緒になってやっていくみたいな
やっぱり必要だよなーみたいなことがすごく思っていたので
育児の課題
やっぱり今の姉さんの聞きながら
ちょっと確かになるほどなって思うところがいくつもありましたね
例えばどういうところに北村さんは大変さを感じますか
その生活の中で
それで言うとなんていうんですか
やっぱりその日々の娘がまだちっちゃいし
首も座ってないみたいなところもあるわけですけど
どっちかは絶対娘を何かしら見ている必要性があったりする中で
どっちかがもう一方が家事をしたりするじゃないですか
ただそれと同時に
もしどっちかが何か病気になったりしたら
結構何かしらがもう回らなくなっていくかもしれないし
実際何か二人だけでやってると
どんどんどんどん視野共作になっていくというか
どんどん家の中に目線が向いていって
どっちかって言うと自分の心とか気持ちも
狭いところに入っていく感覚があるようになっていって
それはやっぱり近所にいる友達と一緒に
娘も合わせて一緒に会うとか
またまた我々の両親たちともよくよくたくさん会わせるとか
またまた別に近所の公園とか散歩しながら
近所の方々と一緒に遊んでもらうみたいな
できるだけで全然気持ちも狭いところに入っていかずに
明るくなっていくみたいなことがあるような気はするんですけど
やっぱりどうしても娘と両親だけの3人家族だけ
ちっちゃい範囲での家族だけで生きようと思うと
多分どんどん狭い範囲に入っていくなっていうのは
実感としてすごくある感じがあります
僕育ってたことないけど
やっぱりちっちゃい子供たちと
通っている福祉施設で働いてるんで
なるほどね
小さい子たちとか
そこを利用してなくても
そのご兄弟の子たちとかも来るんで
単才とかそういう子たちも一緒に遊んだりするんですけど
そういう子たちとも目を離せないというか
5分くらい見てなかったら
本当道路とか飛び出しそうになったりとか
なんかそれ倒れてきたらめっちゃ危ないみたいなところを
登ろうとしてたりするんで
これが毎日って本当すごいなっていうのを
育ての疑似体験みたいな感じで体験するんですけど
小さい子っ子さんがいるご夫婦で
2人でゆっくり過ごすみたいなのも
多分すごく難しくなってくるんだろうし
そうですね
確かに僕は自分の家のことじゃないんですけど
娘が生まれる前にすごいびっくりしたことが一つ
今強烈にもう一回思い出したんですけど
保育園の見学に来たんですよ
ちょうど今来年の4月のタイミングから
保育園に子どもを入れようと思うと
ちょうどこの10月って多分全国どこでも申請の時期
申し込みの時期なんですよ
これぐらいの時期なんですね
そうそう10月11月あたりなんですよ
そこまでには申し込みをする保育園に
見学に行ってくださいねっていうのはあるんですよね
僕たちは結構早めに行ってたんですよ
行ってる中でびっくりしたのが
ほらゼロ歳児からいるじゃないですか保育園
それでゼロ歳児なんて基本は寝てる
寝てるというか横になっている状態ですけど
認可の保育園って基本的に
いる間子どもがいる間5分に1回目視と機械で
どっちともで5分に1回息をしてるかの確認をしてるんですよ
5分に1回
5分に1回なんですよ
それを赤ちゃんが寝てる下に引いて
それで自動で計測してるやつもあるし
保育士さんが5分に1回全員の息を確認してる
それ見ていやそれすんだみたいな
めっちゃびっくりして5分に1回確認をして
かつそのたくさんゼロ歳児1歳児いて
1人何人も泣いたりとかしていたら
それが本当に怪しんだから
5分に1回全員分の息確認したりとかしてるって思うと
いやすげえなみたいなと思ったんです
それぐらい突然何かがあっちゃうっていう
意味はあるんですけど
そういうふうな子育てを全国のいろんな人たちがしてると思うと
すげえなって思うと同時に
やっぱそれって親だけでどうこうするっていうのも
限界があって何かもっとさっき拡張家族みたいな話もしましたけど
何かしらが拡張家族というものまでいかなくても
何かしら拡張されていく
みんなでお育てしていくっていう形式に入っていかないと
本当になんかやられちゃうんだろうなー
みたいのは最近の実感としてありますね
なんか旅の中で出会った言葉があって
子供を育てるのには一つの村が必要だっていう言葉が
なるほどね面白い
ネイティブアメリカンがどっかの言葉だと思うと
なんか今本当に基本二人体制で
育てる見るっていう感じになってるじゃないですか
そうですね
ただそれでは結構何だろうな
限界が来てるというか
産後うつの割合もすごい高いし
そうですね本当そうですね
確かに確かに
農業の目的とコミュニティ
今の言葉すごいですね
一人の子供を育てるためには一つの村が必要だ
ワンチャイルド・ニーズ・ワンビレッジみたいな言葉
なんか村とまでは考えたことなかったですね
村ってすごいですね広いですね
すごいななるほどね
ほら今秀さんは有水町にいらっしゃるわけですけど
さっき拡張家族のようであるというふうなこともおっしゃってましたけど
秀さんにとってのそういう有水町みたいな場所
家族が拡張されているような場所っていうのは
なんか秀さんにとってどういうなんて言うんですかね
要素があるどういう場所なんですか
そうですねどういう要素か
何でしょうね本当
本当拡張家族を体現してるなみたいなコミュニティ
いくつもあったんですけど全国で
要素で言うと何だろうな
そこにお金のやりとりないんだけど
それをやることに喜びを感じてるっていう
あーなるほどね
家族的な現象につながってる気がしてて
喜びを感じてるんですけど
僕タビーをですね
夫婦って分かります夫婦
はいはいはいサービス
それはなんか農家さんのお手伝いと宿泊とか食事を
こうかみたいなスタイルのサイトなんですけど
そのサービスは僕は使ってなかったんですけど
そういう形でいろんなところを点々とさせてもらって
ある時は畑仕事を手伝ったりするし
ある時はお子さんの子守りをしたりするし
本当にできることを楽しんでやる
みたいなことで
財財費が本当に2年半で多分
3万円もいってないと思うんですけど
すごいですね
そういう形があるんだっていう
でもなんか
それはGDPには反映されないし
経済よく言われる経済とは呼ばれないけど
たくさん豊かさがそこにあるし
なんていうのかな
関係性が深まっているし
経済って本当はもっと広い意味らしくて関係性のことらしくて
本当に経済はこういうところにあるんじゃないかなって
体感で
すごいですね
考えたことなかったけど確かにそうですね
GDPには反映されるわけがもちろんないんだけど
確かにそこには豊かさがありますよね
なるほどね
でも確かに2年半で3万って驚異的ですけど
3万なんて極論言ったら
ホテル一泊二泊してみたいなぐらい
寝やすいゲットハウスで泊まったりとか
多分それぐらいはかかったんですけど
ほとんど
でも確かに生きて行動したときに
最低限必要なお金って何だろうなって思うと
お金っていうか必要なものって何だろうなって思うと
衣食自由じゃないですか
生きるものがあって泊まれる場所
泊まれるというか安心して寝たり
雨でしのげたりとか
そういう場所があって食べ物があるっていうことだと思うんですけど
極論最低限で言ったら
確かにそこらへんがそういうお金とか
いうものを一切返さずに
自分として得ることができているんだったら
別にそれで全然生きられますもんね
そうですね
そうやって人類は生きてきたはずですしね
そうですねはずですもんね
いやそうか確かにGDP反映はされないけど
それは確かにな
なるほど
うんうんうん
面白いなぁ
なるほどね
41:03

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