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2025-09-29 36:51

#64 『生きる技法』ーーお金という構造から出るには? | ゲスト・アーティスト/ 三浦祥敬 さん

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アーティストの三浦祥敬 さんをお迎えして、“読みかけの本”について語り合います。
 
【今回のゲスト】

三浦祥敬 さん
アーティスト。架空の法人「幽玄会社テンプル」を創業し、存在しない法人から株を発行して株主を増やすアートプロジェクトを展開中です。現在は、レシートを原料に巨大な「白い洞窟」を作るべく、日々レシートを分解して壁となる紙を漉いています。著書に松本紹圭さんとの共著『トランジション 何があっても生きていける方法』(2019年)。
https://amzn.to/42fpXlc
 
【登場した本】
『生きる技法』安冨 歩

サマリー

ポッドキャストのエピソードで、三浦祥敬さんはアーティストとして自己紹介をし、仏教とアートの関係について語っています。また、彼のユニークな生活様式や、唐揚げを通じた交流の経験にも触れられています。このエピソードでは、三浦祥敬さんが「生きる技法」や交換の概念について探求しており、彼の体験を通じて人々とつながる方法や物の見方がどのように変わるかについて考察がなされています。三浦祥敬さんは、自身のアート活動を通じて生きる技法を探求し、創造的なプロジェクトである有限会社テンプルや、レシートを用いた鏡影の鎌倉作りに触れています。厳しい環境が育む知恵や言語の短縮化についても考察され、地域文化との関連性が示されています。

ポッドキャストの目的と自己紹介
こんにちは、あらしろゆうきです。読書のまにまには、今読み終えていない読みかけの本をきっかけに、ゲストの方と語り合う対話型のポッドキャストです。
本は最後まで読むことだけが目的ではないんじゃないかなと思っています。閉じられたページ、止まった一節、そこにその人だけの時間や思いが刻まれている。
本に触れながら、本や書き手の声に触れていく。そうすると、あの頃の自分のささやかな柄も大切な記憶や気持ちが浮かび上がってくる。
この番組は本とゲストのそんな関係性について、ゲストの方と一緒にそっと耳を澄ませていこうと思っております。
では、今回のゲストはですね、アーティストの不利をしている方の三浦さんです。三浦さんよろしくお願いします。
三浦さんよろしくお願いします。
いやー、なんかもう初めてですね、アーティストの不利をしている方のっていう紹介の仕方をしたのは初めてですし、その時点でもこの時間もめちゃめちゃ楽しみに寄りがってきました。
やったそうなんですか
いやー、そうそうそう。三浦さんを今ご紹介お呼びをしたんですけれども、先日、こうやってお話しするのは数年ぶり、多分5年以上、コロナ前ぶりな気がしておりますけれども。
そうですね。
この前、僕が趣味でというか好きで聞いているフォトキャストの一つ。最近終わっちゃったんですけど、たくらむラジオっていうフォトキャストがあってですね。
それをたまたま昔の回を聞いていたときに、登場された本を書かれていた方の話を聞いていたときに、その本がですね、人生のレールについて書いてる本で、
それを聞いたときに、確かに人生のレールとかって今自分ってどんなふうに考えてるんだろうなーみたいなことをふと思ったときに、図書館にいたときにその本を探して軽くパラパラと見ていたら、三浦さんのお名前があってすごいびっくりしてですね。
そうやって思わざん連絡をしてしまったっていうところから今回このお時間につながっておりまして、改めて三浦さんありがとうございます。
ありがとうございます。
ちょうど哲学者をやっている谷川芳博さんっていう方の本に載せてもらっていたんですよね。
それで4,5ページぐらい割とがっつり取り上げてもらっていたので、
ゆきさんに連絡いただいたみたいに、時々その友達とか過去関わった人から、
最近何してんの?メッセージが飛んできて、本で載ってたからちょっと連絡しちゃったみたいな感じでやりとりが復活したりとかあるんですよね。
あるんですね、あるんだ。面白い。そういう記号があの本にあるんですね。
そうですね。私もなかなかやっていることっていうのが、社会の他の人に説明するときに自分自身も説明が難しいなっていう困難さを抱えているので、
谷川さんが紹介してくれたときに、説明の仕方の一つ、過去のことを書いてくれてるので、
今の自分でもねえなって思いながら読んだんですけど、でもなんかすごく嬉しい気配だったなっていうふうに思えてますね。
すごい。それをたまたま、この本があってくれたからこうやって久々にお話しできて嬉しいなと思っております。
めちゃくちゃ嬉しいです。
ありがとうございます。ちょっと梅浦さんのこと知らない方もいらっしゃるかなと思っておりますので、自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
生まれたのはお寺を営む家族のもとに生まれまして、それでお寺出身ですね。
そこから佐賀県生まれだったんですけど、京都、東京、京都全国みたいな感じで移動をしてきています。
大学を卒業してからはアート活動に興味があったり、仏教について学び直す中で、仏教の感覚を作品を作るっていうことを通して表現してみたり、
そういうふうにしていくと、仏教なのか仏教じゃないのかよくわからない淡いのところにフィールドとしていることが多かったりですね。
アートの方からすると、アートの主流ではないところに多分位置しているので、何者なのかよくわからなくなることが多く、
その結果、最近はアーティストのフリをしているっていうごまかしでですね、世の中に存在しているところです。
ちょっとこれだけだとね、あれわかんないけど、アートの活動をしております。
ありがとうございます。
水俣での生活とアート活動
今の伺いながら、みなさんって今どういうふうに自己紹介されるんだなと思いながら聞いてたんですけど。
今ちょっと遡ってみたんですけど、三浦さんとコロナ前ぶりっていうふうに思ってたんですけど、
なんかあったっけな、あったような気もしないでもないなってふと話した瞬間に思って見てたら、京都で一回会ってました。
京都なんですか。
はい、2020年。
多分そのもっと前は何回かお会いしたことがあったような気がするんですけど、
久々に多分、2020年に京都、僕そのとき京都に住んでたんですよね。
四条河原町辺りでご飯に行った記憶がちょっと残ってまして。
あ、なるほど。
五条の川の近くのところのコワキングスペースを併設してる場所とかによくいらっしゃいましたよね。
そうそうそうそう、そこにいましたよく。
そうなんです、そうなんです。
めちゃくちゃ懐かしい。
懐かしいですね。
そのほうが5年ぶりみたいな感じでございました。
いやー、なんかどこから話していけるといいのかなと思ったんですけど。
所属名も特に出てこず。
いやー、いいよな。
ちなみになんですけど、三浦さんは今さっき収録前にはふまもとにいるよみたいなおっしゃってましたけど、今現時点としては。
はい。
普段いらっしゃる場所というのは固定であるわけじゃないってことなんですかね。
そうですね。
今パートナーがいるんですけど、9年ぐらい付き合っていて。
それでパートナーがジュエリーの製作をしてるんですよ。
で、そのジュエリーを作る場所として水俣で作りたいっていうふうに4,5年前ぐらいからなって、それでアトリエを水俣のほうに借りてるんですね。
あーなるほど、借りてるんですね。
で、借りてはいるんですけど、1年の半分とか、1年の5、6ヶ月、4ヶ月とか、それぐらいは水俣の外にいるんですね。
はい。
だから水俣は一つの場所として認識はしてるんですけど、精神はいたるところにいるっていう感じになってます。
あーそうなんだ、そうなんだ。
はい。それで数年前にちょっと歩き旅というか、いろんなところに泊めさせていただいて、オフセで生活するっていうことをやっていた時期に、
全国の方々とそのご縁が生まれまして、それをやってる過程で、京都ではいつ泊まってもいいよっていうところがあったり、
神奈川のお寺さんの離れが使われずによく空いてることが多いっていうそういう隙間に滞在させてもらって、
ほう。
で、よくそこに泊めさせてもらうっていうことがありますね。
あーそうか、そういうのがあるんですね。
はい。それと精神も不在、一つのところにいないので、出会った方がここ使っていいよみたいな感じに言ってくれると滞在場所が増えるので、
滞在場所がなくなったり生まれたり、日々所在地が動的に移り変わり続けるっていうふうな感覚で生きてます。
唐揚げを通じた交流の経験
あーそうなんだ、そうか。今の聞いてて思い出しましたわ。確かにあの、あれですよね、唐揚げやってましたよね。
あ、そうですね。
唐揚げやってるっていうのがちょっとあれですけど。
そうだそうだ、あの唐揚げを揚げているというあり方という行為というのは今は特にそんなにやってなかったですか。
今はやってないですね。
あーそうなんですね。
僕はあの2021年の7月7日にちょっと旅に出たみたいな感じだったんですけど、
この半年前ぐらいから唐揚げをオフセスするっていう行為をやり始めて、
唐揚げっていうふうにね、言ったときにその中学校の時に唐揚げ作るのめちゃくちゃハマってしまいまして。
なるほど、そんな昔はあったんですね、唐揚げを揚げることにハマったのが。
で、それで大学ぐらいまでよく唐揚げの比較実験とかやっててですね。
そうなんだ。
例えばこうクミンを5グラムにしてみるのか10グラムにしてみるのか。
あー、味の実験の手でですね。
そうですね、味の実験とても多くやっていて。
大学生ぐらいの時になると、あまりにも実験回数が多くなると食べきれないじゃないですか、自分で。
確かにそうですね。
それで友達を呼んでですね、ちょっと食べてくれと。
あー、なるほど。
溢れててくるからちょっと食べてくれって言って呼んで、みんなでこう批評して遊ぶっていう、なんかそういう時もあったんですよ。
あー、そういうのがあったんですね、もともと。そうなんだ。
社会人になってからそれが全然出てこなくなっちゃって、唐揚げを揚げるっていうのが。
そこに別に振り返ってみると、社会的な意義とか、これを活動にしていきたいな、みたいなこととか全くなかったんですよね。
なかったんですか。
全くなかったのに、ただ楽しんでたことだったんですけど。
そういうのが社会人になってから全く出てこなくなって、その果てに旅に出るっていう風になってたんですよ。
あー、なるほどね。
で、唐揚げをオフセするっていうのは、その当時オフセっていう現象に興味があって、今も興味あるんですけど、
それを考えてたときに、突然唐揚げを揚げたいっていう欲望がちょっと上がってきてしまって。
すごい、そういう欲望が上がってくるんですね。
なんだこれは。でもなんか、昔から確かに唐揚げをやってきたぞっていう、自分でも困惑しながら他の人にお渡ししてたら、
こうなった。
なるほど、こうなった。
だから2020年は、どうやっていけばいいだろうっていうどん詰まってた時期の最後あたりだと思います。
お世話になりました。
いやいやいや、ありがとうございます。
ちなみにそのどん詰まってたっていうのは何にどん詰まってたんですか。
なんかね、経済って言われるものがしんどかったじゃないですか。
はいはいはいはいはい。
それはなんかどこらへんにしんどさを感じてたんですか。
未だに言葉にならないけれど、その、ご飯、東京にいた時期が5年ぐらいあって、
ご飯を食べるっていうことを考えると、お金で払って買うしかない、商品を買うしかない。
畑とかをやってたわけじゃないので、畑をやってる人とつながってたわけでもないから、どうしても買うときにお金が必要だっていうふうになって、
お金を得るっていうことを考えると、何かしら商品を作ったりサービスを提供したり、
もしくは自分自身が労働力となって、どこかで働いて頑張る。
はいはい。
何かそういう方法が必要だな。
でもそのお金を得るために何かをするっていう行為自体が、なんかしっくりこないっていうのがずっとあったんですね。
その結果、むしろ、なんでしょうね。
唐揚げをオフィスしたときに、あ、なるほどなっていうふうに思ったのが、一回唐揚げを売ってみたり、
ドネーション制にしてみたり、いろいろやったんですけど、体感覚的になんかしっくりきたのが、そのままどうぞっていうことだったんですよ。
へー、そうなんだ。
今はまた変わってきてるけど、なんかその時に何か提供して帰ってくるっていう、その構造自体から出ていきたいみたいな。
なんかそういう感じだったのかなっていうふうに今は振り返ってますね。
あー、そうなんですね。
うん。
そうかそうか。
ちなみにその構造自体から出ていきたいって今言ってくれてましたけど、
でもほら、そういう構造ってある意味、自分の思考とか考えだけで抜け出すことが完全に可能なのかっていうと、
この社会全体の構造になっちゃってる部分もあるだろうなーみたいなことを思っていて、
出てくのってなんかすごい大変そうみたいなことを今聞きながら思うんですけど、
生きる技法の探求
ゆらさん的にはなんか出た感覚あったんですか、やりながら。
えっとですね、なんかこう、イニシエーションみたいなものを。
スーパー切れみたいな。
なんか宗教の装いを借りながら、
なんでしょうね、自分で作るっていうことをやって、一瞬抜け出た感を感じました。
あーそうなんだ。
自分で作ったって言っても、結局いろんな方の本とか、造詣論、人類学の中の造詣論ですとか、
宗教、仏教の本ですとか、そういうところから影響を受けているので、結局その自分自身で作ったわけでもないとは思うんですけど、
その当時はですね、交換を禁止して全国歩き始めたんですよ。
あー交換を禁止して、なるほどなるほど。
国交官になるとお金じゃなかったとしても、そういう構造にありますもんね。
そうですね。そうすると何が起こるかっていうと、日々食べるためには、いただかないと食べれない。
もしくは山川海で生き物の命をいただく、取るってことですよね。
魚を釣ったり。
そうしないと食べれないんですよね。
で、そのルールで生きてみたときの物事の見え方の変化っていうのが結構自分の中での、結構衝撃的だったんですよ。
あーなるほどな。
例えば、自販機ってあるじゃないですか。
ありますね。
自販機を見ても、なんかこう、買えるっていうふうに思わなくなるんですよね、まず。
なるほど、確かに。お金っていう存在は交換物だし必要ですもんね。
そうなんですよ。
多くの現場でお金っていうものが交換をするときのツールになってると思うんですけど、
1日目から2、30日経ってくると、少し物の見方が馴染んできて、
むしろ交換をしない世界を生きるっていうのが通常の状態になってくると、
自販機を見たときにですね、パッケージが展示されてるだけっていう状態に見えてくるんですよね。
それがすごい街中にたくさんあるのか。
そう、めっちゃあるんですよね。
しかも謎の数字が170とか150とか書いてあるわけだよね。
確かに、謎ですね、そう言われて。
それだけっていうね。
あとは、コンビニとか行ったときにね、傘と杖を持ってお辺野さんみたいな格好でやってたんですけど、
一度、コンビニって商品経済の最大の現場だと思ってるんですけど、
お金払ったらそこの置いてあるものを買いますよね。
水とかもね、もちろん金額をついてて、なんちらの天然水とか、南アルプスのウンチュラコジョウとか色々ありますけど、
それがある中で、だいぶ迷惑なやつだなと思ったんですけど、振り返ってみると、
すいません、水をいただけませんかっていうふうに頼んでいたんですよ。
何やってるんですか、すごいですね。
そう、そしたら、ここそういう場所じゃないんで水買ってくださいって言われて、
めっちゃ店長呼ばれて、店長がめっちゃ渋々水を持ってきてくれるっていうことがあったんですけど。
それはなんですか、水道水とかってこと?
水道水をいただきました。
渋々。
いやもうめちゃくちゃね、迷惑なやつですよね。
確かに、そこで水売ってんだから買ってくれよって普通に思いますもんね。
そうなんですよ。でもその時、自分で設定したマイルールが強固に設定されていたので、
もう目が決まったような状態で水をいただけませんかみたいな感じになって。
でも近くの岡山あたりの民家にピンポンして、
すいません、水をいただけませんかって言った時は、
もちろんどうぞどうぞみたいな感じで水いただいて、
もしくは湧き水とかだったらいただくことできるじゃないですか。
そうですね。
みたいなことを体験していました、当時は。
いやーすごいな。
なんかその当時の、確かFacebookにゆなさんが時々そういう経済お金の話とか交換の話とか書いておられたなーみたいなことを聞きながらすごく思い返して。
そういうのを時々拝見してたなーっていうのを思い出したのと同時に、
あの時のゆなさんのご投稿を読んでるときの気持ちがちょっと今出てきたんですけど、久々に思い返したんですけど。
ある意味すごい昔の人間たちはそういうお金というものがなく生活していた。
何かをいただいて生きていくということをしていたっていうものがある中、今はそれがなかなかほぼないと思うんですけど、
今ないけれど昔あったもの自体に思いを馳せてそれを実際に行動に移して、
実際にそれを多分ゆなさん自身が感じることもたくさんあるだろうけど、
他の存在にリアルにあった方、それこそ水いただけませんかって言われた民間の方とか、
店長さんもそうかもしれませんし、我々みたいに遠くからオンラインで拝見している人たちも含めて、
ああそういう生き方があるのとしたら今の社会って何なんだろうみたいなことだったりとかを考える機会だったり、
きっかけをゆなさんがいろんなたくさんの人に配ってくれていたみたいな感覚が、
経験と思考の変化
当時投稿読んでるときにも感じていたような気がしていて、
なんでこう思ってるか感じるかわかんないけどありがたいなってすごく思った気がするんです。
私からしたら、出会った人たちがありがたいなっていうふうに本当に感じていて、
和歌山から大阪の峠越えをするときとかに、
山ありますもんね、そこ。
結構細いくねくねした道があるんですよね。
それで峠越えしてるときに、それ出発して20日目ぐらいだったかな。
そこまではまだ解約されていない携帯を持っていたので、
Wi-Fiがつなげたらとりあえず発信できるような状態ではあったんですよ。
それでここ泊まっていいよとか、ご飯食べおいでよみたいなのがポンポンポンポン生まれていたのもあって、
生きてたんですよ、大丈夫だったんですよ。
でも大阪の方にルートが開けたんですね。
30キロ30キロ30キロぐらいで泊まりに来ていいよっていうのはこんなに綺麗に出てくるかっていうぐらいに。
そうなんだ。
3つぐらい出てきて、行ったことがない和歌山から、
奈良和歌山の北端、そこから大阪に入っていく道を歩くことになったんですね。
その3日間が知り合いが全くいないところで、
だからこう、めっちゃ不安だったのが、食えるかわからないっていう。
そりゃそうですよね。
でも出発しないとつかないし、出発したからといってご飯にめぐりつけるとも限らない。
これは野宿があるかもしれないし、ご飯もないかもしれないしっていうふうになってた中で、
峠のところでとあるおばあちゃんと出会って、
有名な数学者の方の出身の地だったんですけど、
そこでちょっと会話をしたんですね。
自分のマイルールのことなんておばあちゃんに説明はしないわけですよ。
友達にはこういうマイルールで、つまり自己主張をしてマイルールでやってますって言うんだけど、
道端で会ったおばあちゃんにはそんな毎回毎回律儀に話してるわけじゃないんですね。
そしたらおばあちゃんがちょっと待っといてねって言って帰って行って、
それで数分後にやってきたんですけど、おにぎり握ってくれたり持ってくれたりする。
その時にマイルールを説明してないのに、おばあちゃんがやってくるっていうのにすごくありがたいなって思って、
こういうのが大体おばあちゃんなんですけど、全国でちょこちょこあるんですね。
全国のおばあちゃんが。
スクーターが前からやってきて、隣で止まって、めっちゃキリッとした目でこちらをバッって見てですね、
お弁当を食べるかいって言ってお弁当を渡して帰ったおばあちゃんとか。
なんかね、おばあちゃんの聞き察知能力が高すぎて、今ありがたく生きてるような気がしますね。
なるほど。面白いな。
昔の人の食べさせる感性みたいなものがすごいなっていうふうに思いましたね。
確かに。いやーでも、なんかなんとなくイメージつくところあるなっていうのは聞きながら感じたんですけど、
僕、日本全国自転車で一周したことがあったんですよ、10年くらい前に。
その時、まあお金ないし、ほぼ全部野宿でやっていて、
やっぱ結構、なんていうんですか、公園とかで疲弊して座ったりとかしたりすると、
それこそ近くのおばあちゃんがなんか持ってきて、これ食べなみたいな感じで食べたりとか。
ここにもいた、おばあちゃん。
結構あったなと思って。
確かに、おじいちゃんがいないかったらいるっちゃいるんだけど、確かにおばあちゃん比率が高すぎる感じがすごい。
そうっすよね。
なんなんでしょうね。
戦時中、戦争経験してきた人とか、戦後であっても食べ物がない中で、
割と女性の役割に偏ってたっていうのはあるかもしれないですけど、
女性が食べ物をこしらえることが多かったとしたら、
なんか食べさせるっていう行為が染み付いてるのかなっていうふうに思ったりしたんですけど。
確かに、確かに。
おばあちゃんたちすごいですよね。
すごいですよね。
ほら、今僕沖縄にいるじゃないですか。
沖縄のおばあたちもすごいいろんなものを食べろって言うんですよ。
道端にいてもですよ。
道歩いても。
そうそうそう。
カメカメって食べろって意味なんですけど。
だから沖縄だと面白くて、おばあちゃん、おばあたちの食べてくれ、食べろ食べろっていうふうに促すのをカメカメ攻撃っていうんですけど。
めっちゃおもろい。
よく言われることなんですか、カメカメ攻撃って。
本当に。
そうなんだ。
みんな攻撃してきますよ。
嬉しいですよ。
大阪のアメちゃん配る。
それしか行かない。
もうちょっと違う食べ物とかくれそうですね。
そうですね、そうですね。
沖縄もそういう雰囲気すごくありそうですよね。
ありますね。
やっぱりご飯、食べ物がなかなかない時期があって、そういう時に食べ物さえあればちゃんと生きていけるみたいな感覚だったりとか。
それが食べられるということが幸せであるみたいな、嬉しいことであるみたいな感覚は、言葉にしているかどうかわかんないけど、そういうのが体に染み付いているみたいなのってやっぱりあったりするのかなとかは結構そういうカメカメ攻撃を受けながら感じたりしますね。
自然環境と人間性
面白いな。ある意味、ゆうきさんって東京で働いてらっしゃったのかな。
そうですね。
今も働いてらっしゃると思うんですけど、そこから沖縄に行った時の自然に出てくるギャップに驚くっていうのは本当にありそうですよね。
ありますね。あとやっぱり、しばらく東京にはいるけれども、もともと生まれは秋田なので。
そうなんだ。
それこそ、なんていうんですか、自然環境が違いすぎるじゃないですか。
なるほど。
自然環境の違いから来る人間性への影響みたいなものだったりとか、すごい感じることが多かったりしますね。
そうなんだ。
やっぱり秋田とか、最近は温暖化石とかはできる部分はあるけど、
普通に街中とかでも秋田って、深夜に吹雪いてる日に外にちょっと出ちゃって、朝通しして見つかるみたいなニュースとかって今でもあったりする。
そうなんだ、厳しいですね。
やっぱり生きていくことが厳しい、そもそも前提っていう自然環境がある中で、
沖縄ってもちろん台風とかの自然災害とか大変ですけど、極論年がら年次は高いし、
いつでも道端にあるサトウキビとかバナナ食べたら死なないみたいな感覚。
アート活動と有限会社
絶対的に死ぬなのか絶対的に生きられるみたいな、そういうところから来る心の状態みたいなものはすごい違う気がしますよね。
ベースがすごい違いそう。
ベースが違う気がします、すごく。
面白い。ちょっと話脱線になるんですけど、
最近ちょっとね、架空の法陣を作るっていうアート活動をやってるんですね。
はいはいはい。
で、どういう感じなのかっていうと、
有限伸びっていう風に言われるときの、
幽霊の幽に、
フロート。
フロートの字ですね。
源って書くやつ。
有限会社テンプルっていうものを作ってるんですね。
既存の税制上、有限会社っていう限りがある無限有限の有限ですね。
あの会社って今作ることができないんですけど、
フィクションだったらいいかと思って同じ字の有限会社をちょっと作ってですね。
いいですね。
それでこの前7月に兵庫で展示したときに、
一つ株の作品を作ったんですよ。
株の作品、ステートメント株って言うんですけど。
株ってその株ですか、なるほど。
はい。有限会社はいろんな制度をインスピレーションゲーにしてちょっと遊んでるんで、
株式を発行してみようと思ってですね。
株を発行してレシートを原料にして、レシート590枚を水に溶かして紙に吸いて、
それを株紙にしてから、ちぎってもらうと株主になるっていうのをやってたんですね。
20人ぐらい株主になってもらったんですけど、それはいいとして、
それをやっている中で、ちょっとね、頭の中に新しいインスピレーションが湧いてきたのが、
レシートを原料にして、雪国とかにある鎌倉を作りたいと思ったんですよ。
なるほどね、鎌倉ね。
それで鎌倉で、鎌倉を作ってみるっていうことを考えたときに、
自分は九州出身なんですけど、関連的にすごく今経済がお寒い状況じゃないですか。
そうですね。
お寒い状況の中で、精神的に暖を取れるレシートの鎌倉を作ろうっていうふうに、ちょっと自分の中で盛り上がっていて。
それめっちゃ面白いですね。
で、ちょっとね、秋田にもう1回リサーチに行こうと思ってるところなんですよね。
あ、本当ですか。
なんかその、どういう、やっぱり自然環境が厳しい中で、でも鎌倉って言うと子どもちゃんたちが遊んでるイメージとかあって。
そうですね、そうですね。
何かそこの地域のシンボルの一つとして成立してきたのかなっていうふうに思ったりしたんですけど。
確かに。
確かにね、鎌倉は秋田を本場って言っていいかな。
本場ですね。
そう、本場にちょっと学んで。
そうですか、そうなんだ。
えー、めっちゃいいな。
厳しい条件の中だからこそ生まれてくる知恵とかね、考え方とか。
精神的に暖を取れる。
なるほど。
なんか今そういう危機感が思い出すのは、そういう厳しい環境下だから例えばどうなるか。
人間にどんな影響があるかみたいなことを思うときに、例えば秋田弁って結構短かったりするんですよね、言葉が。
そうなんですね。
例えばさっきカメカメって言った言葉、このご飯食べてくれみたいな意味合いとかも、けだけなんですよ。
え、短い。
それこそ、これ食べてくれみたいな意味はけけって言うんですよ。
え、めちゃくちゃ短いじゃないですか、それだけで通じないんですか。
そうそうそう。
めちゃくちゃね。
僕はもうリスニングぐらいしかできないのでスピーキングできないんですけど。
スピーキング。
やっぱね、向こうのばあちゃんたちとかと話すと本当に短いんです。
でもそれって小説あるっぽいですけど、やっぱり冬場に取得できるカロリー数が少ないから、
消費カロリーを下げるために言語を短くする。
あ、面白い。
けけって、唇すら動かさずに言えるんですよ。
ちょっと口開けてれば、けけって。
確かに、ほんとだ。
唇すら動かさないぐらいカロリー消費を抑えるみたいな感覚。
そういうお寒い状況というか厳しい状況みたいな。
そういうことである意味カロリーを抑えて、ある意味自分の体内でダウンを無理やり取ろうとするみたいなことがきっとあるだろうなと思って。
だからそういうのはね、リサーチのところだったりとか、さっきおっしゃったレシートの話とかとリンクしてたりしないかなって思って、ちょっと面白くなっちゃいましたね。
なるほどね。
めっちゃ面白いですね。
カロリー消費を抑えつつ、他の人にカロリーを摂ってもらう言葉がけけっていうふうに言うだけで。
面白いですよね。
なんで自分で抑えて誰かに食べてるのか、そういうのもあるのかもしれないですね、そういう精神性みたいな。
確かに。
面白いですね。
面白いですよね。
そのリサーチの際に秋田でご紹介できるものもあるかもしれないのでまたぜひお連絡いただけると。
厳しい環境と地域文化
ぜひぜひ。秋田と出会い直すものがあるかもしれないですね。
36:51

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