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2025-12-29 24:26

#75 『矯正職員のためのリフレクティング・プロセス』ーー 社会で生きるのが苦手でも、自分を生かしていく力をそれぞれ持ってる。| ゲスト・真宗興正派慈泉寺 僧侶, 教誨師/片岡妙晶さん

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前回に引き続き、真宗興正派慈泉寺 僧侶, 教誨師の片岡妙晶さんをお迎えして、“読みかけの本”について語り合います。
 
【今回のゲスト】

真宗興正派慈泉寺 僧侶・教誨師/片岡妙晶さん
自身の不登校経験から、現代人が抱える「生きづらさ」に深く共感し、苦悩も含めた人生の豊かさを共に開いていく活動を展開。
「苦悩を抱く自分」だからこそ体現できる宗教的な救いを模索し、講演活動にとどまらず、カフェでのワークショップやアート表現、教育現場、メディア出演など、社会の中で活きる多様な場での活動を通じて仏法を広めている。
狂おしいほどネコが好き。
Profile:https://fukyo-shi.com/kataoka-myosho/
Instagram:https://www.instagram.com/manohara_mani
公式LINE:https://line.me/R/ti/p/@739bgzds
 
【登場した本】
『矯正職員のためのリフレクティング・プロセス』矢原隆行

サマリー

このエピソードでは、教誨師としての活動を通じて、社会で生きることに苦しむ人々に希望を与える力について語ります。片岡妙晶さんは、自分や周囲の人々が生かされていることに気づき、それをどのように役立てるかを探求しています。また、片岡さんは、社会にうまく適応できない人々がそれぞれ持つ力と可能性について話し、特に子供の成長や人間関係の重要性、自己肯定感の形成について深く掘り下げています。

教誨師としての気づき
何かそれを感じるようになってから、教誨師として、あたまた不教師としての取り組みだったり、そこに向き合うご自身のスタンスとか、何か変わった部分があったりしたんですか?
より何か私自身、生かされてるとか与えられているっていうことに気づけるようになりましたね。そういう意識で日々を送るようになりました。
不教師としてのお仕事の依頼をいただいたりする上でも、もともとありがたいなとは思ってたんですけど、それがよりありがたいことだというか、
こうやって生かされるうちはそれを全うしなきゃいけないなとも思ったし、
この不教師という役目を持っている私がこの教誨師という職までいただけたことは、
そこで出会った子たち、また入所者の方々が社会に出てくる上で、この胸を張って、この世界もう出てきて大丈夫だよっていう、
その世界を作ることができる力を不教師として持っているわけでもあるんだなって思ったら、
より熱が入っていくようになったというか。
塀の中と外っていうのはある意味やっぱ隔絶はされているんですけども、それでもやっぱり地続きというか、
この死刑囚協会とかだったらまた別になるんですけど、基本的に教会主として接する方々っていうのは絶対に出てくる方々なんですね。
そうなんです。出所を控えている方々に対する教会なので。
終身刑とかじゃなくってことなんですね。なるほど。
そうなんです。だからこう、ちゃんとそこで得た知見というかの人たちと、基本的に出所後は教会主と入所者は石鹸禁止なんですけれども、
ああそうなんだ。まあまあそらそーか。
それでも、社会の一員として、あなたたちがちゃんと安心して生きていける世界を、私はどこかで今も作っているからっていうのを胸を張って言えるっていうのはすごいありがたいことだなって。
本当に意義のあるお役目をいただいてるなっていう、命を尽くしきる価値があるというか。
それはこの不教師だけをしているときよりも感じるようになりました。
えー、そうか。
環境の影響と選択肢
なんか、それこそ片岡さんみたいに働かれてるというよりかは取り組まれている方がいらっしゃるから、社会や世界が回ってるような、みたいな。
聞きながら思い、なんかすごくありがたい気持ちになりました。
ありがとうございます。
うーん、なるほどね。
なんかすごく、なんていうんですか、そういった場所にいらっしゃる方々も、別になんかその方々の何か影響だと、なんていうんですか、意思だけでそこにいることが決められたというか、その場にいるわけではなく、
いとなんか、その方々が受けられた親からの教育だったりとか、またまた生まれ育った環境とか、多分めちゃめちゃいろんな要素が作用して、本人に影響を与えて、そこにいるという何かしらのことをしたなりとか、というふうな、それで今そこにいらっしゃるんだろうなと思うんですけど、
でも、それってなんか本当にその人だけの責任かっていうと別にそうじゃないよな、みたいな、言うてもほぼほぼ大半が自分以外の要素から成り立っているような気がなんかしていて、だからこそそうやって、別になんか今例えば僕は原川に、まあ家族とともに住んでたりするけど、なんかちょっとなんか軸が、軸というか何かがずれていたり、何か一つの要素がずれると、
もしかしたら僕は刑務所にいるのが今の自分の可能性もあるんだろうな、みたいなことをなんとなくなんかちょっと思うような気がしていて、なんか誰しもがなり得るそういうふうな環境っていうところが、なんか片岡さんみたいな人がいることによって、なんかこの人たちがよりなんか幸せというか前に歩いていけるんだなぁみたいなことを思うと、
なんか片岡さんみたいな役割されている方のことだったり話とかがなんかもっと社会に広がったらいいな、教会誌っていう言葉自体も今日初めて知ったなぁ、なんとなく思いましたね。
ありがとうございます。いや本当にまさにお話ししてくださった通りで、特にやっぱ少年犯罪っていうのはほぼほぼ私の感覚としては9割環境要因というか、本人たちの力だけではやっぱり変えられないものがすごくあると思うんですよね。
まあそうですよ。
だからこそ、でもやっぱり出処後は親元とか元いた環境に返さなきゃいけなかったりもするし。
まあ確かに。そっか、同じ環境に戻ることが全然あり得るのか。そりゃそうですよ。
そうなんですよ。だからこそ私たちができることっていうのは本人たちに自分を幸せにしようとしていいんだよっていう。
あなたは幸せになれる存在であって、で今は幸せじゃないと感じるんだったらそれは環境が間違っているから別の環境を選んでもいいんだよっていう、その選択肢を伝えることかなって思うんですよね。
なるほど。
本当にこう、今はいろんな要因のせいでこの食法に触れてしまったけれども、でも法に触れずに生きていく道も絶対にあるし、その道を用意しようとしてくれている人たちが少なくともこの共生施設にいる人数は必ずいるし、
これからも支援しようとする人はいるから、その信頼を持って生きてほしいなっていうのはやっぱ感じますね。
未来に対する信頼感
この生きづらさを感じている、大体の受験者の方々、就業者の方々っていうのはそうなんですけど、
その生きづらさに寄り添うっていう言葉はこの公正の場ではすごい使われるんですけど、
生きづらさっていうのもその本人たちが勝手に作ったものではなくて、やっぱり社会に生きる一人一人が生きづらい世界を作ってしまっているところもあるんですよね。
なるほど。
なんとなく全然知らない人でもちょっと柄の悪そうな人を見たら嫌だなっていう目で見ちゃったりとか、無意識の加害を誰しもがしてしまっていると思うんですよね。
無意識の加害ね。
そういう時に特に犯罪を犯して出所してきたっていう人たちが本気でもう再犯なんかしないぞっていうふうに心から決めて公正していたとしても、
周りがあいつ犯罪を犯したらしいぜ、善かものだしーぜみたいな目で見ちゃうと、そういう世界でしか生きられなくなっちゃったりもすると思うので、
周りにいる誰しもがあなた出所してきたのでじゃあもう犯罪なんて犯さないよねっていう優しい鎖というか、
そういう目で見て扱う犯罪を犯しようがない環境を誰もが用意してあげるっていうのが一番の再犯防止にもなるし、
また身近な人を犯罪者にしないっていう、そういう予防にもなるんだろうなと思います。
そっかー。
いやーなんか本当に大切なところにずっといらっしゃるんだなーみたいなことを意思しと感じましたわ。
もしかしたら話が変わる部分があるかもしれないですけど、また興味入れちゃったんですけど、中田岡さんが今直近めちゃめちゃ気になっていること、
別にその教師として、教会としてでもいいですし、別にそういった役割とかじゃなく、中田岡さんご自身としてでも全然いいんですけど、
直近なんかめちゃめちゃ気になっていること、意識すごい向けてるみたいなこととかってどんなのがあったりするんですか?
あーそうですね。ちょっとこの教会史の話にも関わってはくるんですけど、前回の教養講話でのテーマが先ほど話した相談だったんですよ。
そこで子供たちと喋ってる中で、恋花は誰としても楽しいよねっていう話になりまして。
めっちゃいいですね。
よしじゃあ次は恋花がなぜ楽しいのかと恋花をしようっていう、そういう話で終わったんですね。
いいですね。
でもそこでふと思って、恋花をするには恋をしなければならないっていう。
それは片岡さんが?
そうなんです。
なるほどね。
もうしばらくここ数年そんなことしてないなぁと思いまして。
これちょっと面白い気づきですね。
それでとりあえずマッチングアプリというものを入れてみました。
いやなかなかそのルートでマッチングアプリダウンロードする人いないと思うんですけど。
なるほど。
あー面白い。
確かにそれはなんか意識向けてることですね。
そうですね。
そうか。
ちなみにその相談という話の中で、恋花って誰としてもいいよねっていうのはどういう流れでそこに行き着くんですか?
僕の中でそのルートが全然想像つかなくて。
一応この質問の内容で、相談したい人したくない人、また相談したい内容としたくない内容みたいなのがあったんですよ。
そこで結構相談したい内容とか聞いてて楽しい内容ってどんなの?って聞いたら、そこで恋花っていうのは結構。
あーなるほどね。
恋花は聞きたいししたいみたいな。
いいなーなんかめちゃめちゃいいなー。
へー。
でもなんかあれですね、そういう場で恋花みたいな単語とかをまさにその子たちが気軽に使えるぐらいな感じで、片岡さんがその子たちとすごく同じ目線で同じ場所にいるんだなーみたいなことを今聞きながら感じました。
そうですね。結構やっぱり年が他の先生方よりは近いっていうのもあるので。
あーそっかそっか、そういうところもあるのか。
年齢差的には10個違いぐらいですね。
あーそうなんですか。
2、3個とか。
で、わりと最近は特にノリのいい子たちもいるというか、
基本的に私そこ、教養講座の時はスーツ着て行ってるんですよ。
あ、スーツなんだ。
そうなんです。で、その時はこの、わりと買い立てのスーツを着て行っててですね。
ちょっとポールスミスのおしゃれなやつ着て行ってたんですよ。
なるほど、ポールスミスのスーツなんて確かにおしゃれな感じしますね。
そしたらわりとですね、毎回子供たちファッションチェックを念入りにしてくれててですね。
あはは、面白い。なんすかそれ。
結構最後にアンケートみたいな感じで、感想とか次やってほしい話みたいなの書いてもらうんですけど、
そこに、今日のコーデは靴下が差し色になっててよかったとか。
あ、そういうの書くんだ。めっちゃ面白い。
で、最近はもうその場で、そのスーツかわいいみたいな。
へー。
これポールスミスよ、ヤフオクで買ったのみたいな。
ヤフオクなんだ。
あーそうか。面白い、そっか。女の子たちのそういった場所だとそういう話も展開してるんですね。
ですね。でまたやっぱその、そういう子たちって結構限定されたコミュニティで生きてきてたりするので、
あーなるほど。
ブランド物で身につけててかっこいいみたいなイメージが、やっぱディオールとかシャネルとか。
あーはいはいはい。
そういったもので固まってたりするんですけど、
私は割と先輩のお下がりとかも着てたりして、
こういうの着てたら社会的に一目置かれるぜみたいな。
うん。
もう先輩にもらったアルマーニのスーツとか言ったりするんですけど。
すごいな。そういう話していってるんですか?
結構あれあるぞ。地位の高い人たち、エルメスとアルマーニ率高いぞみたいな。
なるほどね。面白い。
こういうのヤフオクで買ったら2万くらいで買えるからなみたいな。
なるほどね。新品はなかなか高いけど。
結構そういう話も新しい価値観というかをスルッと飲み込んでもらうのに、
自分のちょっと先の未来を想像させる足掛かりになれるかなっていうので、
割とありのままに喋ったりしてます。
いいですね。そういう場所に来てくれる先生みたいな立場の人が
と話してて、突然恋バナ的な話が展開されるっていうのはすごく、
なんていうんですか、人間美があるというか温度感があっていいなというか。
そうですね。あそこに立つときは特にやっぱ意識的に先生っていうよりは、
自分のちょっと先を歩いてる先輩みたいな。
自分と同じように失敗とか過ちも繰り返しながら、
それでも改めながら生きてる人みたいな。改めて生きていけるんだみたいな。
そういう未来に対する信頼感を覚えてもらえたらいいなって思ってます。
未来に対する信頼感ね。
実際そういう10代、20頭ぐらいの方とかで、
自分も昔の自分のそれぐらいの時に思い返すと、
ああそうだったなとか思うんですけど、
大人ってやっぱりすごい遠い存在だったような気がするし、
大人は失敗せずにすごいかっこよくやってるみたいなイメージがなんとなくあったりとか、
大人は弱音吐かないみたいな。
なんか勝手に思い込んでたりとかする。
それもしかしたら親とか周りの大人たちも見て思ったのかもしれないけど、
自己肯定感の重要性
そういう部分とかって自分の昔思い返すとあるなーみたいなことを思ったりしたんですけど、
実際目の前にそういうふうにちょっと共通な話題もしゃべれてしまうし、
なんか普通に自分と同じように何かちょっと悲しんだり嫌がったりとかめんどくさがったりとかするんだなみたいな。
みたいな、みたいな人がいるだけですごく救われるというか、
このままでいいんだっていうところもあれば、
はたまたこういうふうに歩いていけばいいんだっていうのは見えるだけで、
ちょっと安心感を持ってその場に生きることができるっていうのはすごくあるんだろうなっていうのは、
今のを聞きながらすごい想像しましたね。
いやーほんとそうだと思います。
私が自分に自信を持てるようになったなって思えた一つのきっかけが、
自分が尊敬するような大人、こんな人になりたいなとか、この人素敵だなって思えるような人に、
あなたはそのまま頑張っていけば大丈夫よって言って認められた時だったんですよね。
このまま進んでいったらいいんだみたいな。
やっぱりこの自分自身でこれで大丈夫って思おうとはしてたけど、
やっぱ自分の気持ちだけでは折れちゃうところがあるというか、
だけどそこにこう私からの肯定というか、進みたい道の先にいる人に手招きじゃないけれども、
ウェルカムみたいな姿勢とってもらえたら、
さらに走っていける活力をもらえるというか。
なるほど。
なんかいいですね。手招きっていいですね。
そうですよね。
なんか灯火が生まれた気分でした。
子供の成長と環境
はい、灯火ね。
さっきの本の表紙も相まって、招き猫感がいま宙返って。
確かに。
出てきましたね。
手招きしてくれる大人、先輩って感じか。
なるほどな。
そういうの大事ですね。
そうか。
なんか最近強く思うんですけど、
この8月ぐらいに娘が生まれてて、
今まだなので0歳なんですけど、
そういうふうに子供という存在がそこに存在するようになってみたりすると、
今後どういうふうにこの子は生きていくんだろうみたいなことをよくよく思うんですよ。
それこそ今2025年、ちょうど生まれたのが沖縄だったんですけど、
沖縄っていうか日本全体としてもそうですけど、
戦後80年なんですよね。
なので娘が20歳になるときって戦後100年なんだみたいな。
戦後100年ってどういう時代で娘がそのときにどういうふうな人間なんだろうかみたいな。
思ったりとか。
そういったたまたまかもしれないけど、
そういうふうに節目っぽいようなタイミングに娘が生まれたりしたときに、
それこそ周りにどういうふうな同級生なりお友達なり先輩大人が一緒にいたりすると、
よりこの子として自然に育っていくのか。
またまた我々が、親がどう思うが本人が本当に育っていきたい方向性があるかもしれないし、
分かんないですけど、そういうときにどういうふうな人たちが周りにいるといいんだろう。
っていうのを今の話とか重ね合わせながら聞いていて、
どういうふうな招き猫が周りにあるといいんだろう。
それだけですけどすごく思った感じがしましたね。
本当そうですよね。
やっぱり人って一人じゃ生きていけないというか、育てられて成長するというか、
だからこそ環境って必要だなって思うし、
私たち人間ってこれから先何が起こるかっていうのは自分では決められないけど、
自分が何を残していくかっていうのは私次第なんだなっていうのをすごい感じてて。
そう思ったら、ちゃんと自分自身がいろんなことを経験して、
これは次世代に残すべしみたいなことを意識しながら生きていかなきゃいけないなっていうのを、
少年院で自分より下の子たちを接するようになって感じるよう考えるようになりました。
未来への問いかけ
なるほどね。いいな。
それが10代の子とかずいぶん話したことないなと思って今話したかと思ったんですけど。
そうですよね。
なんていうんですか、中高生ぐらいの友達が欲しいですよね。
そういう子いっぱいいますよ。
ですよね。
いいな。最近何流行ってるのかとか全然わかんないし、そもそもなんていうんですか。
そういう子たちから見たときに、めっちゃクソだせえな、お前みたいなふうに思われることを多分たくさんしてるんだろうなってこともちょっと思ったりもするなと思って。
そういう友達欲しいなって今すごい初めて思いました。
本当、年下と接するっていい意味で下からつつかれるというか。
左がね。
私ちゃんと生きなきゃみたいな愚かさを突きつけてくれるような、そういう存在な気がします。
話を聞いてたら、僕も何かそういう年齢の子たちに、何かするというか逆に何かいろんなものをもらうことになるような気がするんだけど、そういうふうな取り組みをやってみたいなと思ったし、むしろ読書のまにまにを中高生とかにやりたいなと思いました。
楽しそう。
周りにいないかなっていうの難しいな、友達の子供とかにやるもんな。
確かに。
ありがとうございます。気がつけばもう結構いい時間になってきたなと。
本当だ。
思ってまして、おそらく僕もそうですけど片岡さんの周りも暗くなってきたんじゃないかなと。
いい夕焼けになりましたね。
ちょっと何かだんだんと終わりに近づいていこうかなと思っておりまして。
改めてですね、この番組で毎回最後に今日振り返りながら立ち上がってくる問いをですね、一つ出してもらって終わっていくみたいなことを毎回してるんです。
それはですね、リスナーの方々に対しての贈り物、問いの贈り物みたいな意味合いも込めたいなというふうに思っているのと、
同時にですね、それも多分この問いがきっと今の片岡さんだけじゃなくて、
未来の片岡さんに対してまたある意味戻ってくる。
ウーメランに戻ってくる問いになるといいなみたいなことが思っていたりしまして、
そんなことをやらせてもらっていたりします。
なんか今の今日の内容を振り返ってもいいですし、また別に今日の内容問わず今気になっている問いでもいいんですが、
何か一つ出してみるとしたら今どんな問いが立ち上がってきますか。
すごいどこかで聞いた言葉になっちゃうんですけど、
君たちはどう生きるか。
それは確かにどこかで聞いたことありますね。
でもふと浮かんじゃいました。
すごいね、それ浮かんだんですか。
すごい問いだな。
君たちはどう生きるか。
でも確かにね、今日の話はそういう話だったかもしれないですね。
そうか。
何かちょっと、君たちはどう生きるかっていうのを何かちょっと一つ、
我々の頭にも置きつつ、リスナーの皆さんにもお届けしつつ終わっていこうかなと思っております。
今日は皆さんお聞きいただきまして、そして片岡さんもお越しいただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
読みかけの一冊から少しだけ人生の途中を見つめる時間になっていたら嬉しいです。
ではまた次のマニマニでお耳にかかりましょう。
読者のマニマニ今回のゲストは僧侶の片岡妙祥さんでした。
片岡さんありがとうございました。
ありがとうございました。
24:26

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