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2025-04-07 37:50

#20-2 ゲスト・アーユルヴェーダ料理家 / 小林静香さん【読書のまにまに】

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アーユルヴェーダ料理店「eatreat.ruci」を営む小林静香さんをゲストに迎えて、トークセッション。インド・スリランカの伝統医療であるアーユルヴェーダを食と日本の風土の観点から深める小林静香さんの人生とその時々に在った本たちについて話していきます。

 

【今回のゲスト】

アーユルヴェーダ料理家 / 小林静香さん
世田谷・松陰神社にてアーユルヴェーダ料理店「eatreat.ruci」を営み、季節に合わせた養生の料理を提供する傍ら、料理教室を開催し、2025年からは療養のための料理に取り組む。日本の風土に合ったアーユルヴェーダを食の観点からとらえ、人々の日々の食卓の支えとして、その智慧が自然と寄り添うように探求している。どの人の生活も等しく、光と風、水のようにそれぞれの生きやすい姿で進んでいくことを祈る。
eatreat: https://eatreat-foodremedies.com/
Instagram: https://www.instagram.com/eatreat._/

 

【登場した本】
coming soon!!!

サマリー

アーユルヴェーダ料理家の小林静香さんは、料理を通じて人との関係性を大切にする姿勢について語ります。彼女は、自分のやりたいことを追求するだけでなく、社会のニーズに応え、他者との繋がりから幸せを生み出すことの重要性を強調しています。また、コミュニケーションや対話の重要性、アーユルヴェーダの恵みを社会に届けることについても語ります。料理教室を通して人々の心身に寄り添い、病気の人々への特別な料理を提供する意義についても述べています。さらに、小林静香さんは自身の書籍『体の波に乗るレシピ』を通じて、問いの重要性について触れ、リルケの詩を引用しながら人生で考え続けるべき問いをリスナーに問いかけます。

関係性の中の幸せ
できることをやれば光になるんだ、ってさっきおっしゃったのがすごい、確かにそうなんだ。
でもそれって、自分でやるっていうことと、やらせてもらえることをやるみたいなことって、ある意味なんでしょうね。
しかし、いい言葉に捉えられる可能性もあるかもしれないけど、やっぱりすごい抜本的に違う、根本的に違う話なんだな、みたいなことを今すごい思いましたね。
自分だけがやりたいと思っていることをやるとかじゃなくて、社会が求めているだったりとか、
もしくは誰かがやってくれていたものを引き継いでいく感覚みたいなものとかを、静香さんが大切にされているんだなあって、今ちょっと見て、そうなんだって思いました。
なんかいろんな仕事の仕方があるので、ミッションを自分で決めて、それに向かって事業を作るのが好きな人もいるだろうし、
自分自身を表現したい、この気持ちがあるか伝えたい、みたいないろんなパターンがあると思うんですけど、
私はなんか、自分自身はそういうことにこだわっている限りは、ちょっと逆に満足しないなあと思うようになっちゃって、
今はあらしろさん料理教室にも通ってくださっているのでわかると思うんですけど、
なんか、人と人の関係性に興味があって、
アイルベイダーとかもそうなんですけど、自分自身のこともそうだし、生徒さんのこともそうだし、お店に関わるお客様のこともそうなんだけど、
どこまで突き詰めてもわからないじゃないですか。
でも分かりたい。でも分かり合えない。
そこをずっとぐるぐるするのが好きで、この仕事をしているので、
一人で完結するんじゃなくて、関係性の中に幸せを生み出していきたいし、
あとはアイルベイダーっていうもの自体がすごく大きなものなので、
自分が喋ってやってるんだみたいな気持ちではなく、
喋らせてもらってるんだっていう気持ちを持つのがすごい大事だなと思って。
なるほどな。なんかそれはすごく、料理教室通わせてもらって、
料理教室での経験
去年の5月からだから半年以上、10ヶ月弱ぐらいですけど、
来てる中で勝手ながら感じさせてもらってるかもなって聞きながら思っていまして、
なんかその、なんだろうな、静香さんがほら毎回料理教室の前半、
いろんなことを教えてくれて、後半料理パートがあってっていう2つある中で、
最初行った時に、すごいなんか静香さんこれ1時間半、2時間ずっと喋ってんだ、すげえなみたいな。
本当ですよね。ずっと喋ってたんだよね。
お喋りしながら、それこそみんなで対話しながらっていう時間で、
すごいそれが新鮮でかつそれが楽しくて、そのまま継続させてもらってるっていう感覚がすごいあって、
なんかその、なんだろうな、ちょっと言葉にしづらい、しにくい、言語化しにくいんだけど、
確かになんか静香さんがこれが好きだからやってるとか、
静香さんがこう思ってるからみんなにこう伝えてるっていうよりかは、
それこそアイルベダこれまで作ってこられたいろんな方々だったり、
それはなんかすごい遥か昔の方々もいれば直近日本でやられている皆さん、
静香さんに多分アイルベダを教えてくれた人たちだったりとかもそうだし、
多分アイルベダ以外のいろんなところにいる人たちの感覚みたいなものも受け取りながら、
多分静香さんがその話す、その場で伝えるときの単にインターフェースというか媒体になっているみたいな。
そうですね。
感覚を確かになんか通わせてもらいながらそれを勝手に感じるような気がしており、
それがなんか個人的になんか僕は聞かせてもらっているときに、
それが結構嬉しくて言っているかもしれないなみたいなことをちょっと聞きながら思いましたね。
嬉しいですね。なんか何でも、料理とかもそうですね、
その人の人生が全部出るから、
なんかああいうアイルベダをただ座って喋るとかだと、
結構本当に喋っている人の人間性がかなり影響するので、
私はやっぱフラットにアイルベダアイルベダしている人ばっかりとか、
ヨガの友達ばっかりとかじゃなくて、
いろんな仕事をしている、それこそサンチャックみたいないろんなメンバーの人と、
人生を続けていきたいし、生徒さんもそんなに、
アイルベダに無理くり真剣なんなくていいから、
普段通りのね、今までの人生を大事にしてもらうことで、
お互いにミックスされていくっていうかね、
人間性が深みが出るほどアイルベダを理解しやすくなるので、
そういう意味では読書も、
アイルベダってタイトルついてないけど、
言ってること全部アイルベダだよね、みたいなのを探すのがすごい好きです。
それはなんかよく話しきながら感じます。
あそこをそう繋いでくるのね、みたいな。
そこを繋がるんだ、みたいな。
例えば、アラシロさん絶対好きですけど、
カワイハヤオ先生の心の処方箋とか、
あとはね、これはなんか今日見せようと思って持ってきたんですけど、
リサカユウタさんってアーティスト、ミュージシャンの、
1年前かな、2年前かな、ライブの時に出された歌詞の歌詞集なんです。
歌詞集の合間合間にちょっとエッセイを書いてて、
彼は歌以外の表現、表現をしている時間以外の喋りが、
ぼんやりしてて、ちゃんと話ができてるだろうか、みたいなね。
そこからエッセイが始まるんだけど、
人生における気づき
森坂さんってすごい歌詞が本当に素晴らしくて、
お手紙とかでファンの方から、
すごいその歌詞に救われました、自分の人生が何とかなりました、みたいなのをもらうと、
すごい嬉しいんだけど、
なんか、僕はあなたと話したことあったっけ、みたいな。
さらにそれで言いたいことは別に付き話してるわけではなくて、
やっぱりミュージシャンとしての自分ができることは、
その歌詞というか言葉とか音に、植物に水をやるように栄養を与えることしかできなくて、
その植物が種から芽を出して花を咲かせて、
その花があなたの心を救うかもしれないけど、
直接自分とあなたが話したことではない、みたいなね。
でもそうやって社会は回っていくし、
できれば戦争はない方がいいし、
幸せだねって笑う人が増えたらいいよね、みたいな本なんですよ。
そういうふうに私が解釈した。
私もアイルベイダーを仕事にするにあたって、
そういうふうなスタンスでいたいなって思って。
なんかやっぱり料理を主軸に置いたのもそういうところですけど、
アーティストっていう道とかあったはず。
でも直接的に患者さんに触れるとか1対1じゃなくて、
1対Nでかつ間に料理があって、
会社からお客さんに任せるし、
料理食べた後のその人の消化力に任せるし、
私は一応その人の顔を見て、いかにも疲れてそうだったら、
温度を変えるとか、スープのスパイスを変えるとかちょっとしてるけど、
そんなに自分が何かしてあげることでどうにかなるっていうよりは、
合間に置く料理とか、
人と人との生徒さんと私の間で生まれた会話とかが、
巡り巡って社会の輪を良くしていけばいいから、
スタンスとしてはちょっと距離をあえて置かせてねと、
自分でできることを表現して、
みんなはみんなでやっていこうよみたいな気持ちになるから、
織坂さんのこの本は完全にアイルビューだと思い込んでるんです。
そういう風に探していくのが好きだし、
結構世の中にいっぱいアイルビューであるなって、
当たり前だと思いますね。
そうか、なんか結構その、
僕この1年弱ぐらい通わせてもらってる中で、
なんで僕ずっと通ってんだろうみたいなことを思うことが、
別に嫌とかいう意味じゃなくて、
別に何かを続けるってそんな好きだったり得意でもないような気もするな、
みたいなことを自分に対して思ったりしてる中で、
でもなんでなんだろうみたいなことを思ってたんですけど、
今の聞いてすごくがてんがえった感覚が個人的にあって、
静香さんの全部が全部自分自身で、
もしくはその料理教室という場において、
責任を持とうとかっていう感覚ではないじゃないですか。
あくまでもここはこういう場で、
あくまでも生活自体は一人一人のものであり、
ここはあなたたちのものであるし、そこは委ねているみたいな。
それって感覚って言葉を切り替えると、
そこに来てる人たちのことを信じてる感というか、
そうですね。
っていうのをすごい感じてきたような気がしていて、
ほら、なんて言ったらいいかな。
他の料理教室、別に料理教室だけに限らないですけど、
何かそういうふうに教えてくれるみたいなところで、
全般的に細かいところまで全部一人やろうみたいなふうに、
言ってくれるところもあるんだろうなと思ったんですけど、
そういうところに教育室に限らないけど、
何度か行ったことある自分を思い返すときに、
なんかすげえやだなみたいな。
そうだよね。
って思ったことがいくつかあるなって思って、
そういうのが、そっか静香さんとかとないんだみたいなと、
今めちゃめちゃアカデンが言った感じになりました。
なんか生徒さんに対しては特に、
やっぱ原代さんももう約1年で、
かつめぐり合わせもいろいろ家族も関係したから、
他人とは思ってないんですよね、もう。
店のお客さんとかはまた何かわからない人とかに、
他人とは思えないというほど厚苦しい気持ちはないんだけど、
原代さんとか生徒さんとかはもう家族でもないし、
友達でもないけどやっぱり自分にとっては他人じゃないですね。
そういうふうに対して、いくつか寄せる気持ちとして大事にしてるのは、
まずやっぱ簡単にわかるよとは言わない。
わかるよっては言わないけど、
わかりたくないとも言わない。
信じて待ってるよっていう気持ち。
そういうふうにしてるとやっぱり面白い人どんどん増えるから、
なんか本当に私の料理教室の生徒さんやばいじゃないですか、
バリエーションがすごい。
バリエーションすごいですね。
最近加速してるなと思って。
でもみんなすごいこう、
私がそういうスタンスにいるからっていうのもあると思うんだけど、
心を開くようになってくるから、
なんだろう、お互いに話すようになってくれて、
どんどん心地が良くなってくから、
大人になってからは出会うことがないだろうなっていうメンバーが集まって、
月に1回ここに集ってる。
ちなみにもうちょい聞いてみたくなっちゃったんですけど、
さっき関係性の中に幸せを生み出していきたいっていう言葉使われてたなと思って、
それは本当に普段通わせてもらったりしてる中でもすごい感じるなと思うし、
よく考えるとインスタとか時々見かけさせてもらったときには、
それを感じるような気がするなみたいなことを思っていたんですけど、
そういう感覚って、いつぐらいから静香さんの中に生まれてきているものなんですか?
いつぐらいからなんだろう、よくわかんないんだよね。
いつだろう。
本当に東大森の話くらいが目覚めみたいな感じだったかもしれないですね。
そういう瞬間ってないですか、原城さんも人生の中で突然光みたいなのが走って、
目が覚めるみたいな。
それはあったような気がしますね。
直近の僕だとあれかな、ちょっとお話ししましたけど、
僕は今度に去年2週間くらい、仕事全部休んで2週間くらい行ったときの向こうで、
現地がサウナの発祥国だからサウナめちゃめちゃあるわけですけど、
現地の土着な感じのサウナに毎日いろいろ行って、
みんなの方々とちょっと大喋りしながら入っているのを繰り返している途中で、
すごいハッとさせられたみたいな感覚がすぐあったりとか、
いくつかそういうのってあるなーみたいなことを思いますよね。
そういう瞬間が全体を通して考えると、
最初は高校中3とか高1とかでハッとしたんだけど、
まだちょっとぼんやりしてて、
楽しくていっぱい勉強したけどまだぼんやりしててみたいな。
急にもうそろそろ考えなきゃみたいな感じになって、
これからどう生きていくかって考えたときに、
その頃は言葉としては、やっぱり料理やっていきたいとか、
料理が体の良い方向に進むようになっていったらいいとか、
そういう表現だったと思うんですけど、
何かこう、
何々嫌になりたいとか、これで名を残したいとか、
そういう感覚がやっぱり全然なくって、
あと私は何者なのかみたいなことにも、
基本的に興味がちっちゃいときから持てないので、
それは出た大学のSFCの子たちとかも結構その傾向にあって、
自分とは何かというよりは、やっぱり社会の中で、
人と人の関係
自分は何の役割を果たして仕事をしていくべきなのかという感覚なんですよね。
そのときになかなかテレビ局に偉大な答えが出せなかったんだけど、
大学の研究室のテーマみたいになっちゃうけど、
やっぱり私は人と人の関係の中で、
人と人が分かり合うこととか、
分からないけど分かろうとすることみたいなのに、
ずっと関わっていきたい。
そこにたまたま料理があったり、
より濃く対話するんだったら料理教室が良くて、
みたいな感じで仕事を選んでいるだけで、
どうしても教えたいとか、そういうの全然ない。
でも個人、一対一のカウンセリングはまたちょっと違う。
心理学専門ではないしね。
間に何か起きたか、やっぱり料理教室がすごい良くて、
私と一対一であるより、みんなで喋った方がいいなと思ったんですよね。
だからああいう形になっちゃったんだ。
そうそう。
すごい人生かけてダンスしている話をする人もいれば、
半年くらいお家から出れなくて、
すごい苦しかったって泣く子もいるし、
子育ての相談をずっとする人だっているし、
いろんな人が自由に話すような場ができてきて良かったし、
どこまで行っても本当にみんな人って違って、
私は本当に分からないなって、でも面白いなみたいな気持ちがあるんですよね。
なるほどね。
そっか。
それなんか聞けて嬉しいな、なるほどな。
私も荒城さんに聞いてもらって嬉しい。
ありがとうございます。
今のを伺いながら思い出した本があって、
静香さん読んだことありそうな予感もないわけでもないんだけど、
ドミニク・チェンさんの未来をつくる言葉。
未来をつくる言葉ね。
読んだことあります?
あります。
表紙にもその文章を書いてますけど、
そういうコミュニケーションとか対話みたいなものを考えるときに、
基本的に人と人が分かり合える、
ためにやるものであるっていう定義、
認識を結構世の中の人はしがちだけれども、
そもそもコミュニケーションってそういうもんじゃなくて、
分かり合えないっていうものを前提にしながら、
その中でもどうより一緒に生きるかやるのかみたいなことをやるためのものがコミュニケーションなのであり、
分かり合えないのが前提なのであるってことを、
アーユルヴェーダ料理の目指すもの
結構あの本の主題として書いてくれてるなと思って。
なんかあの感じ静かさがあるかも。
そうですね。
なんかプライベートで例えば結婚してたらその夫婦感だったらどうとか、
親とどうとかっていうのはまたちょっと感覚はもうちょっとシビアかもしれないけど、
なんかそのリトリートの私としてはっていう感じですかね、
仕事をしていく上で、
それがその仕事としての喜びっていうのよりは、
仕事をしている時間が自分の人生のほとんどだからこれからもそうだし、
そうすると自分の人生に喜びを与えるものって、
事業が成功することとかお金を設けることとかじゃなくて、
自分が人生に対して持っている興味関心が満たされることが大事じゃないですか。
その時やっぱりその分かり合えないけど分かりたいとか、
あとはなんかこれはちょっとどうだろう波紋を呼ぶかもしれないけど、
私のことは分かってもらってたまるかみたいな気持ちがあります。
そういう姿勢でいるのってすごい大事だなと思って、
そのそれをずっとこうぐるぐるしていくことが婚姓のテーマって感じがします。
婚姓のテーマなんだ。
婚姓。何かちょっと分かんない。
婚姓もうちょっと楽にいきたいです。
なるほどね。来世のテーマはまた別かもしれないですね。
別になるようにちょっと今回すごい頑張ってるっていう感じ。
そっか。婚姓頑張ってるんですね。
そう。荒城さんもそういうのはあるんじゃないですか。
普段やっぱり人の話を聞いて。
そうですね。でもやっぱり僕自身で言うと、
こういう企業みたいな仕事というか事業開発みたいな、
業作りとかずっとしているこの10年ぐらいしてますけど、
やっぱその最初やっぱね、別にさしてコミュニケーションに興味があったわけじゃなかったような気もするんです。
ただなんとなく気がついたら今の会社の創業期になんかちょっとジョインして、
どっちかってやっぱベンチャー、スタートアップみたいな感じでやってきてるから、
最初は自分としていずれ自分もそういうふうに名のあるスタートアップの代表になっていくのであるみたいな、
そうとか思った時期もあったなみたいなことを思ったりもするんですけど、
やっぱりなんかそれをさっきほら静香さんのさっきの本に出会った日のような感覚と近しいところとかで言うと、
やっぱずっと授業を作ったり、ずっといろんな人の話を聞くみたいなのをやってきたら、
別になんか経営する、そういうイケイケベンチャーみたいなことを経営するみたいなことに対しての、
そして何も興味がないことに気がついたり、むしろなんかいろんな人たちの話を聞きながら、
聞いてるだけでその瞬間で僕は楽しいし十分だなって。
そうなんだよね。
そういうのを気づき、なんか全然違うんだなみたいな。
今も会社、今何人くらいかな、今50人くらいの会社やってるんですけど、
すごい。
でもやっぱもうなんか全然興味ないですもんね、経営するとか。
いろんな人がいるから組織が大きくなってくるんだと思うので。
そうですね、本当に。
本当そう思いますね。
確かにな。
なるほど。
そうか。
ちなみに今ほら、お店、今の場所と言われて2年くらいなわけですけど、
要するに今後に関しては静香さん的には新しくこんなことやってみたいとか、
こんなテーマがあるみたいなとかってどんなことを思ったりするんですか。
ルッチーはもう3歳になるので、
なんかちょっとこう、
そろそろアイルベラらしさっていうのは何かを社会にちゃんと見せてやりなさいみたいな母親のような気持ちなんですけど、
絶対的に、
アイルベラらしさっていうのは、
アイルベラらしさっていうのは何かを社会にちゃんと見せてやりなさいみたいな母親のような気持ちなんですけど、
具体的に言うと、
サンジャークの時よりはマシになったんですけどね。
アイルベラの料理って書いて、
わかってもらえるかなみたいな気持ちは私にもあるんですよ。
それはアイルベラの料理っていう単語自体を。
店名につけたり、
町の人にどれくらい受け入れられるかなみたいなことを考えてたんですね。
サンジャークの始まりの頃とかは全然言えなくて、スパイスカレーの店って言い切ってたんだけど、
実際はもう全然カレーじゃないし、
カレーじゃないじゃんってメンバーに言われ続けて、
少しずつアイルベラって言うようになったんですよ。
そういう流れがあったんですね。
でもやっぱりいろんなことやってると、
やっぱり追われる時期も長くて、
今も別に落ち着いて日々の料理をすごい考えて作れてる日が毎日かって言ったら、
ちょっとそうじゃないんだよね。
このラジオが出る頃にはリリースできてるかなと思うんですけど、
春先からちょっと営業スタイルを変えて、
具体的にはちょっと曜日をもう少し減らして、
そうなんですね。
3週というか、
24席に合わせるとしたら大体2週間に1回は、
こういう養生が必要だからこういう料理を作るから、
この野菜を仕入れるみたいなふうに、
逆でもいい、野菜仕入れて、
この野菜があるという季節のこの養生があって、
こういう料理にしたみたいなのを自分の中で文章にできて、
それがメニューに書いたり、
その手元メニューを持って帰ってもらえるような店に変えていこうと思うんですよ。
そうなんですか。
少しわかりやすいアイルベイダーの食体験っていうのを、
できる目線にルッチンを持ってきたくて、
なるほどな。
それによって、この場所はもう養生のための料理を楽しめる場所、
そこにはアイルベイダーの養生が食を通して体験できるっていうふうに書いていることが一つ。
もう一つは、
これは本当に私がまた個人としてよちよち歩きで始めることなんですけど、
アイルベイダーは健康な人の健康を増進して、
病気の人の病気を鎮静するって2つの側面があるんですが、
養生が前者だとしたら、
私は死ぬまでには、
いわゆる病気が例えば末期とかで、
もう人生が終わりですよとかね。
病気じゃなくても、本当に人生の後半に差し掛かって、
残りをどう生きていこうかなと思っているような人に対して、
料理を作る人になりたいんです。
へー、そうなんですか。
だから、病気の方を相手にするが分かりやすいですよね。
療養のための料理って言えばいいかな。
治療食か。
治療食をできる人間に最終的にはなりたいので、
もちろんアイルベイダーのチームに活かして、
その準備を始めたくて、
原子力予算庁と相談したリトリートみたいなことを始めた。
そこから来てるんだ、なるほど。
病気じゃなくても全然、
病気ってあってほしいとは誰に対しても思わないんですけど、
みんなちょっとだけ自分の体とか心で気になることってあるじゃない。
それを荒城さんがスリランカに行ったときみたいに、
1ヶ月間そこに集中して過ごすことって結構大事なんです。
特に食事。
あと睡眠についてアドバイスを受けたり、
運動についてアドバイスを受けて、
ちょっとそのままの通りに過ごしてみる。
そんなに制約が多くないけど気持ちのいい場所で。
人の心身が変わるっていうところをそばで見るっていう仕事がしたいんです。
将来的にはアルベダの資格を持った医師の下で料理人っていうのはそういう仕事をするべきなので、
本格的にご病気の方とか、
もっと手相がはっきりしてる方とかには、
ドクターの下についてそういう現場に立つっていうのも全然先々にあっていいけど、
今の自分ができる範囲って言ったら、
リトリートを企画して一定期間限られた人数の人に寄り添うってことしかできないので、
人々への寄り添い
でもリョッチだけでやってたらそれはできないから、
ちょっと外に出て、
今年から治療職の勉強をちゃんと始めたいなって思って。
どうなんだ。
養生と療養だね。
両方ができる人になりたいなっていう。
どうなんだ。
そうか。
それって、
どういうところからその思いっていうか願いが出てきてるんですか。
いろいろあるかな。
昔、カウンセリングを4年くらいやってた時期があって、
ルベドのね。
その中で、
亡くなっちゃった人もいるんです。
私と出会った時点で、かなり重いご病気で、
亡くなった後にそのご家族から手紙をもらったりしてね。
本当だから他人と思えない人の数がちょっと増えすぎてるなと思うんですけど、
いつも心の中にそういう人、
そういう感じの人がいっぱいで、
チョイスがすごいいろいろ少ない。
治療のチョイスが少なくて、
がん細胞に対してどう食事とか生活アプローチするかって考えた時に、
やっぱりいろんな選択肢があって、
やっぱりそういう人がいっぱいで、
そういう人がいっぱいで、
そういう人がいっぱいで、
そういう人がいっぱいで、
そういう人がいっぱいで、
その人に対してどう食事とか生活アプローチするかって考えた時に、
やっぱりいろんな選択肢がある。
もちろん選ぶのはその人本人なので、
私は聞かれたらアドバイスするしかないんだけど、
もう少し深く考えて、
もう少し寄り添った話の聞き方ができるようになりたいなって、
その人に対してすごい思う。
何より結構選択するのはその人なんだから、
どっちに転んでも最後、
この人のご飯食べれてよかったっていう料理を出せるようになりたい。
割と期間がそんなに長くないかなと思う時がたまにあるので、
本格的に考え始めたっていう感じです。
そうなんだ。
そうか。
今年また静香さんもすごいいろんな変化がこれから始まっていくんですね。
そうですね。
養生のための料理っていうのはもう、
料理教室を通して教えさせてもらっているから、
一年の方でいったらこういうふうに過ごしたらいいよっていうのはもう、
問いの重要性
例えば本にしてくださいって言ったらすぐできる。
イトリートらしく選んだったらこうしますみたいなのも、
形になってるなと思ってて、
それが形になっちゃったから、
なっちゃったから。
本を出して欲しいって誰かに言われたら出したいから言われるのを待ってますけど、
なっちゃったから次のテーマ来ちゃったかなみたいな感じは、
そうなんだ。
長いなって。
しかも結構大きいの来たけど、
来ちゃった感覚だな。
エレベーターやっていくんだったら、
避けてはいけない。
そういうエレベーター専門の病院で働かせてもらいたいなとかいうときにも、
たくさん経験を積みたいので、
避けざるを得ないテーマが若いうちに来てよかったなっていう感じです。
へー。
そうなんだ。
うーん。
まさかそんなことを聞けるとは思ってもらって。
本当ですか?
本当です。
ありがとうございます。
だんだんいい時間だなみたいなことを思っておりまして、
今日この1時間ちょっとぐらいでしたが、
話してみて来ていただいてどんな感じでしたか。
へー。
やっぱあらしろさん話聞くのうまいなーって。
そうですか。
合図値も黒だし、
質問も多いし、
生徒さんでもあるんだけど、
友達みたいな気持ちでもある。
ありがとうございます。そう言っていただいて。
ありがたいなって思いますし、
思わぬことを発表してしまったなって気持ちもあります。
そっかそっかそっか。
たぶん世界初、
なんていうの?
世界初、
世界初、
そうですか。
4月ぐらいこちら出すタイミングな気がするけど、
ちょっと早かったらずらすんで。
全然大丈夫です。
大丈夫です。
プルチの営業の変更も言ってなきゃいけないし、
そっかそっか。
たぶん私がもう少し本格的に治療職を勉強するっていうのは、
言わなくてもいいけど、別に誰かに対して
喋ったりするっていうのは、
別に誰かに対して、
喋ったりスタッフに話したりとかしてると思うので、
全然聞こえないです。
分かりました。ありがとうございます。
なるほど。
世界初だったんですね。
そっか。
言い出し上手です。
ありがとうございます。話していただいて。
いらない。
ちょっと普段ですね、最後この番組終わるときに、
聞いていただいたやつにあったかもしれないけど、
ちょっと今日のこの場を通して出てきているもので、
そうじゃなくてもいいんですけど、
ちょっと最後にゲストの方に一つ問いを出していただいて、
終わっていくみたいな。
そうだったっけ。
やれているときと僕がどん忘れしているときがあるんですけど、
っていうのをやってたりしまして、
それこそその問い自体をリスナーの方が自分の中でまた、
心の中で問えるということもすごくいいような気もするし、
最近言ってくれているのが、
これまでのゲストの方も、
自分が自分で出した問いを半年後にもう一回自分のやつ聞き直してみて、
自分にもう一回その問いが返ってくるみたいなやつがすごく良かったんだよね、
みたいなことをゲストの方に言われることが最近増えてきてですね。
へー。
ちょっとあんまり忘れないようにしながらやろうというのを思って。
なんか今、
特にリスナーの人に出すからこれとかじゃなくても全然いいんですけど、
静香さん的に考えたい。
もしくは誰かと一緒に考えたい問いみたいなものが一つあれば、
伺った上で終わっていけたらなと思ったんです。
いかがでしょうか。
えっと、
今日はあらしろさんが初めて気づいてくれた私の書籍の
体の波に乗るレシピの
最初の開いたところに
リルケの詩を書いてるんです。
リルケなんですね。
なるほど。
あなたは、
ちょっと待ってね。
ちゃんと話そうね。
リルケのある若い詩人への手紙。
岡木詩人への手紙で、
あなたは、
問いの回答を見つけるのではなく、
問いの中を生きていきなさいっていう詩なんだよね。
ほうほうほう。
私がその本をみんなで作ったのも、
その本に答えがあるのではなくて、
答えっていうのはずっと見つからないんだけど、
見つけたほうがいいのは問いとは何か。
あなたにとっての問いとは何か。
それをこの本を通じて感じてほしいっていう気持ちで
作りました。
なので、リスナーの皆さんに聞きたいのは、
あなたが生涯を通して考えていきたい問いとは何ですか?
リスナーへの問いかけ
っていう質問かな。
なるほど。
私にとっては、
人と人が分からないけど分かりたいっていう気持ちが
どうしても消えない。
やっぱり分からないっていうことに
悲しい気持ちになることもあれば、
分からないからこの本を作りたいっていう気持ちが
悲しい気持ちになることもあれば、
分からないからこの人と出会えてよかったって思うこともある。
なるほどね。
それが私にとっての問いなので、
みんなはどういう問いを生きていきますかっていうのが
リスナーさんとあらしろさんへの質問です。
なるほど。
またいずれそれに対してこんなことを思ったように
僕から静かに
こんな問いかなっていうのを
お話でもください。
沖縄で話してくれて。
ぜひ7月に沖縄でお会いする形になりそうな気がしているので、
ぜひそういう時にも話させてください。
はい。
今あなたは問いを生きてください。
そうすればおそらくあなたは次第にそれと気づくことなく、
ある遥かな日に答えの中へ生きていかれることになりましょう。
っていうのが一説として出てきます。
答えの中にある、
問いの中を生きていけば気づいた時には答えの中にいて
人生を得ることができるっていう話ですね。
あ、問いの中にいると答えの中にいるって面白いですね。
面白い。
面白い、なるほど。
すごくいい詩ですね。
へー。
岡木紳恵の手紙。
本棚にあるので後でもう一回読み返してみよう。
はい、ぜひ。楽しかったです。
いやー、こちらこそです。
じゃあこれにてですね、こちらのお時間終わっていこうかなと思います。
ではですね、今回ゲストでお越しいただいたのが改めまして
イートリータの小林静香さんでした。
静香さんありがとうございました。
ありがとうございました。
37:50

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