あれいつでしたっけ?立ち上げたの。
5月に登記があって、ホームページできたのが7月ぐらいですかね。
そうかそうか、2025年の5月7月から。
そうです。
自分なりに、じゅんさんにとっての詩だったり随筆だったり、こういう文学ラジオのようなものが、
僕にとってはインタビューみたいなものがあるのかなーなんてことも思いながら、
この文学ラジオも横にいさせていただきながら、
なんとなく自分の中で呼ばれた感じと言いますか、
この道を自分ももう少し深く探求してみようと。
いいですねー。
遠からずこの文学ラジオのじゅんさんの姿勢とか、文学に対するアプローチとか、
そういう深めていくものみたいなものとかね。
あるいはここで紹介してもらった文学の作品の数々のエッセンス。
登場人物たちの聖なる道を歩もうとする方々、すごい方々たくさんいましたけど、
遠からず近からずおそらく影響をこの1年たっぷり栄養のように受けながら、
なんか気が熟したのかなみたいな感覚で、じゅんさんにちょっと無理を言いましてというか、
相談させてもらいましてっていうような運びなので、また遊びに来させてください。
そっちの立ち上げたやつが今ちょっと大変忙しい時期がありますからね。
それこそ給料減っててもそっちに時間を割いて、勝負してるっていうね、タイミングで。
タイミングだったりするので。
いや本当、応援してます。
ありがとうございます。
なんかちょこちょこ遊びに来る人間であれたらいいですよね。
そうですね。
次の聞き手が決まってまして、もう今日収録したんですよね、実はね。
いやー楽しみ。ちょっとそれも触れた方がいいかもしれないですね。
そうですね、一言ね。いやこれも中田さんからつないでもらったご縁でね、
中田さんと同じ栃木県に住まれてる方で、エリさんという方がいらっしゃって。
まあ素敵な方ですね。
本当ね。
感受性がとっても豊かな方で、生き方も含めて。
そうそうそう。感性の方って感じがすごいしちゃうね。
また違う色が、色を文学ラジオに加えてくださるんじゃないでしょうか。
新しい科学反応がじゅんさんとあるのではなかろうかと、私が一番楽しみにしています。
ちょっとそのあたりもぜひ楽しみにしてくださったら幸いですね。
ね。
今日はですね、振り返り会っていうことで、ちょっと事前にお互いね、
昨日ですけど、収録日の昨日の夜ね、問いをいくつかなんか出してみたんですよね。
はい。
振り返り会で扱ってみると面白そうな問いをいくつかお互い出してみて、
その中からちょっと4つぐらいですかね、ちょっとピックアップして扱ってみようということでございます。
イエーイ。
もう問い以外は大して準備してないですからね、ある意味ね。
そうですよね。
ぶっつけでね。
そうです。
いいえ、いきましょう、いきましょう。
じゃあちょっと1つ目の問いいきますか。
はい。これはどっちが出してくれた、じゅんさんが出してくれた問いですかね。
僕が出したやつですね。
中田さんが結局思わず買っちゃった本。
この文学ラジオで扱った中で思わず買っちゃった本は何だったのかっていう。
そうそうそう。ちょっと手元に持ってきました。
一番最初に買ったのはですね、僕は12歳。
これ第3回かな。
はい、そうですね。
はい、僕は12歳。
いいですね、言ってくれてましたね。
はい、で、その次はしんたるた。
ああ、そうですね、読んでましたね。
刺さったなあ。
いろんな人にいいって伝えたし、友達の人に貸し回したね、自分の言葉に。
しんたるたも聞いてほしいですね。
一番最初にやった結構長編回じゃないですか。
そうですね。
長編回というか何だろう、何回もやった回というか。
収録日をまたいでね、やった回でしたね。
ですね。
次が今ちょっと手元にないけど、カラマゾフ。
ああ、カラマゾフですね。
カラマゾフ。まだちょっと上巻で止まってるんですけど。
そうですよね、なかなかちょっと骨がおりますからね。
なんかね、入り込んでいかないといけないですよね、あれ。
そうです。
1日1ページずつみたいなよりは、個人的にはもうブワーって読みたい、1日かけて。
そうなんですよね。
一番最新が語りかける花。
なるほど。
いや、素晴らしいですね。
だから、もしかしたら僕が一番文学ラジオの本買ってるかもね。
本当ですね。
これは何なんですか、その何だろう、何の差なんでしょうね。
別によしゃしないと思うんですけど、中田さんにとっては何だろうね。
確かに何なんだろうな。
どれもいいじゃないですか、文学ラジオで扱ってきたものって本当に。
なんか深く揺さぶられた感じとか、
今の、当たり前なんですけどね、本を手に取るっていうこと自体で当たり前なんですけど、今の自分に何か呼ばれてる感じの本だった気がしますね。
だから買うときは結構迷わず収録終わった日に買ってましたね。
だから今だなって感じがする本だったんじゃないでしょうかね。
いや、すごいよね、やっぱり。
一番近くにいる人間がやっぱり読みたくなっちゃうっていう、このじゅんさんの紹介の仕方というかね。
嬉しいですよ、本当に嬉しいですわ。
本当に。
ちょっとそのままの流れで2つ目の問い行けたらいいかもですね。
これはお互い近い問いを出したんですけれども、個人的に刺さった回。
これお互い言えばいいのかな。
そうですね。
でも中田さんなんかこの流れで。
僕から行きましょうか。
うわー、いろいろあるんだよな。
刺さった回っていうのがまたね、ありますかね。
思い出深い回とかとまた違うんですけど。
なるほど、なるほど。
ちらっと言っていいですか、思い出深いやつ。
もちろんもちろん。
やっぱりシャープ1なんですよ。
これがですね。
小林秀夫さん。
じゅんさんの泊まっていたホテルにちょっとお邪魔して、リアルで撮ったんですよね。
そうだね。
狭いとこで。
そうね、シングルベッドあるお部屋でね。
一番最初の収録がそこで、わからないままどうなっていくかわからないし、どういう形式がいいのかよくわからない、手探りなまま。
目の前にじゅんさんの本があるイメージ。
いつもないから。
そうだね、そうだね。
それを手元で見ながらとか、物を見ながらやらせてもらったっていうその初めてのやつが思い出深いんですけど。
まあ刺さったでいうと。
ちょっとその思い出深いのあれですよね。
ホテルで撮ってたから、出ていくときホテルの人もびっくりしたっていうね。
本当は一人しか泊まれない部屋に2人の男性がしかも出てきたっていうね。
そうですね。
で、やってたのは文学を扱って喋っていたという。
まあ絶対に当たらないでしょうね。
そうなんですよね。
はい、すいません。
隣の部屋の人びっくりしたでしょうね。
びっくりしたでしょうね。
こうやってたらね。
そうです。
それで刺さった?買い?
うわー、むずっ。
いやー、確かに1個選ぶなら。
買ってない本でもいいですよ、一応。
だよね。
うん。
いや、でも僕やっぱり知ったあるたかな。
いやー、知ったあるたか。
いやー、でもカラマー族も正直捨てがたいです。
そうですよね。
やっぱりカラマー族はね。
二代巨頭って感じありますね。
なんか覚えてるものが多いな、カラマー族なんか。
そうですね。
二代巨頭だね。
二代巨頭ですね、本当に。
この1年間でね。
言わずもがな感はありますかね、理由でも言ってもね。
感動したな、シンプルに。
その中でも何、知ったあるたが刺さったっていうのは何なんでしょうね。
やっぱ一番覚えてるの顔なんですよね、最後の。
あー、それですか。
最後のページですよね、あれ。
顔を見るじゃないですか、その。
知ったあるたのあれ、友人かな?名前忘れちゃったけど。
ゴビンダー。
ゴビンダーがね、その人の顔の中に1000の顔を見るみたいな描写ありませんでした?
ありましたね。
僕はやっぱりそれでそこに行き着くまでの全ても素晴らしいんですけど、
そこはすごく印象的ですね。
何て言うんだろうな、
なんかどんなことでも、それって、文学ラジオで言ったら例えば、
高田彩さんの木の回もそうだったし、
知ったあるたの顔とかもそうだと思うんだけど、
やっぱりどんな対象であれ、そこに何か深く入り込んでいくと、
そこに何か普遍的なものが開かれていくみたいなものっていうのかな、
ちょっとうまく言語化できないんですけど、
そういうことって文学ラジオの中でも何度も出てきた。
知ったあるたは僕的には最初にそれが触れてすごく衝撃を受けた。
回だったかな。
それはすごく勇気になっていて、自分のインタビューを突き詰めていくみたいな話もそうだし、
後押しというか、勇気というか、楽しみみたいなものになっている気がしますね。
中田さんのインタビューの会社もね、奥行きっていう会社で、
まさに表には出てこない、その人の奥にある、奥行きにある何か尊いものっていうものを照らしている。
大事に。
だから無意識に影響を受けているかもしれない。
いいですね。
じゅんさんは?
僕はね、
じゅんさんが刺さったっていうとちょっとまた違う?
そうですね。
運命のごとりそみですかね。
そこ迷ったね。それも迷ったね。
いやー良かったですね。あれは。
僕は初めて聞くじゃん。本の。
初めて聞いて、じゅんさんから初めて読むのを出してもらって。
一、読者的体験。読者的体験なんだけど。
じゅんさんの立場での良かった回っていうのはどういう回なの?
そうですね。いくつかある気するんですけど、
一つやっぱ自分がこう、詩人として生きていきたいという思いがある中で、
松永先生の意思なんだけど作品への態度っていうものが刺さったんですね。
作品っていうのは作るというよりかはやっぱ生まれてくるもの。
自分の思い出というよりかは託されてやってくるものっていう。
こういう感じが頭では分かっててるんだが、
自分が詩人として生きたい生きたいって思うこの気持ちから、
やっぱ作ろう作ろうって気になるんだけども、
いや、そうじゃないんだって。
もう詩人であることを手放そうって、
そういう感じになれたのは大きいですね。
それはその読んでた時もそう感じるんですか?
それともこの文学ラジオでもう1回朗読して扱っていくみたいなことによるものもなんかあったりするのか?
あ、ありますよ。めちゃくちゃあります。
やっぱ違うんですから。どんな感じですか?
僕は読書体験変わったと思ってて、このラジオのおかげで。
昔は本をもう1冊でも多く読みたいと思っていた。
今でもその節は残っているんですけども、
どれだけ疲れていようと思っていたら、
もう1冊でも多く読みたいと思っていた。
でも、今はその節は残っているんですけども、
今はもう1ページしか読まないようになりたいという気持ちで思っているんですよ。
なんだったら1行で止まりたいぐらいの勢いで本当は行きたいんですよ。
で、なんだけど、やっぱり進んでいってしまう。
本当はそれぐらい味わえるものなのに進んでいってしまう。
でも、このラジオのおかげで、やっぱり2回は読みますよね。
2回というか、僕1回目読んでいるときに、
いろんな読書のやり方っていいと思うんですけど、
僕の個人的なやり方は鉛筆を持ってバーッと僕は書くんですよ。
感じたこととかをそこに。
で、その2回目の読書体験は、
1回目の読書体験は、
僕の個人的なやり方は鉛筆を持ってバーッと僕は書くんですよ。
感じたこととかをそこに。
メモしていっているんですよ。
で、その付箋とか貼って、
もう1回絶対再読したいとか、どっかで引用したいとか、
そういうのを付箋貼ってるんで、ラジオでももう1回扱えるといいなっていう観点でも貼ってて、
だから2回目はその付箋貼ったとこだけもう1回見直すわけですよ。
っていう意味で2回読めるじゃないですか。
で、さらにラジオで朗読して中田さんと味わうから3回扱えることになるんですよ。
ラジオやってなかったら1回なのにっていう。
だからそれだけやるとやっぱり味わい絶対変わってきていて。
そうだよね。そうっすよね。
中田さんと話すことで生まれてることも実は多くて、
自分的に別に台本とか作ってないからこのラジオは、
メモを書いてるメモを時折僕は読んだりする、言ったりしてるんですけれども、
そのメモもね、1回目の時に書いてるメモだから、
なんかね、中田さんとの場で言おうと思ってたんだけど、
なんかこれすごい狭いこと言ってんなみたいなこと思って、
これ言うのやめとこっていうのたくさんあって。
あったんですか?
むしろ中田さんとの対話で、今の温度感的になんかこれじゃないな、
むしろこういうことかもしれないみたいな、
本当にその場で生まれてきてるものを言っているっていう感じで。
なのでこの時間のおかげですごい、やっぱり広いところに連れて行ってもらってるし、
深いところにも連れて行ってもらってる感じがありますね。
この3回目の読書体験の方はなんかちょっと新しいですよね。
新しいです。
朗読して誰かと喋るっていう読み方。
そうなんですよ。
これまだ広く浸透してないような方だけど、意外と。
そうですね。
ちょっとみんなやってみたらどうすかみたいな気もかもしれないですよね。
そうです。
面白いかもしれないですよ。
本当に贅沢な読書体験ですね。
確かに僕はないけど、じゅんさん側の方の。
でもなんかみんなもしかしたらやってみても面白いかもしれないですよね。
本当に大事な一冊だけ選んで。
誰かと。
新しい気づきがある。
次行きます?
行きましょう。
これはじゅんさんが勧める本。
なるほどね。
とか最近のじゅんさんの本事情じゃないけど。
本事情ね。
買った、読んだ、手放した、いろいろあると思うけど。
これちょっと僕募集したいぐらいの感じなんですけど、
ナムアムダブツの回で少し触れたんですけど、僕の近しい人がガンと戦ってますと。
でね、その人に対して力を裂きたいと思って話聞きに行ったりとかしてるんですけど、
なんかね、やっぱ僕、本を送りたいなって思ったんですよ。
あんまりその方も本読まない方なんですけど、
やっぱりこういう状況に置かれたときに、どっかで言葉を求めてるんじゃないかって思っちゃうんですよ。
いや、カラマーゾンを思い出しちゃったよ。
なるほど。
それでね、どんな本がいいかなってずっと考えてますね、最近ね。
なるほどね。
だからなんかそういう観点で、なんかこういう本良さそうじゃないですかとかあったら聞きたいです、ほんと。
いいですね、まさにたりき。
そうです、そうです。
たりきも借りながら。
そうなんですよ。
自分なりに今浮かんでる本が3冊あって、手紙を書いてる途中なんですよ、僕。
その方に。
その方に。
自分なりになんでこの本を選んだかとか、なんでそもそも本を送るのかとか、みたいなことを書いてる途中なんですよね。
はい。
で、ちょっとその紹介でいいですかね。
もちろん。
1冊目はね、マルクス・アウレリウスの自制録をしてるんですよ。
扱いましたね、文学ラジオでも。
それは何でかっていうとね、やっぱりね、戦いなんですよ、ほんとに。
試練との戦い、病との戦い、この戦いで自分を振り立たせるっていうような感じに生きてらっしゃって。
それが僕にはマルクス・アウレリウスと重なって、いいんじゃないかなって思って。
で、あれはなんだろうな、自分が自分のために書いてるじゃないですか。
で、そうやって自分を支えることもできるんだっていうことも、実は隠されてるメッセージだと思っているんですよ。
僕は一応会いに行ったときに書いてほしいって強く言ったんですけどね。
実際そういうふうに生きた人がいるんだよっていうことでも、自制録見せるといいかなと思ってね。
すごいいいですね。
あれは断片小、小書だからさ、どこ読んでもいいし、短い字みたいなね。読みやすい。
で、時代と空間が違う人だけど、どこか何かそこが繋がるっていうこともまたでも良いですね。
本だからこそできる。良いなって。
で、二つ目はね、ヴィクトル・フランクルの夜と霧。
なんかね、これ多分、病と戦ってる人同じように思うんじゃないかなと思ってるんですけど、
どうやってこの病と向き合ってるんだろうか、戦ってるんだろうかって何回もくじけそうになる場面で、
どうやって自分のコンディションを整えてやってるんだろうかって、やっぱりそういうことが気になると思うんですよ。
そういう意味でも言葉を僕は残してほしいって。
同じように病に苦しんでる人、ガンと戦ってる人の支えになるからっていうので書いてほしいって言ったんですけどね。
だから僕もちょっとその病と戦ってる人の文学っていうものを、多分有名じゃなくてもよくって、探してるんですよ、今も。
でもね、ちょっとまだ見つからなくて、なんか自分的にしっくりくるものが。
で、それで病と戦うじゃないんだけれども、やっぱりある種の極限状態を生き抜いた人っていう意味で、
フランク・ルネロイド・キルはやっぱりいいなと思って、支えになるんじゃないかなって思ってね。
はい。
いやー、いいと思うな。
またちょっと病ではないかもしれないけど、またちょっと近いというか。
そうそうそう。
で、ラスト3つ目は内村勘蔵さんの「後世への最大異物」っていう名著がありましてね。
名著っていうタイトルですね。名著がなきゃおかしいタイトルですね。
これはね、本当にもうタイトルの通りで、後世、次の世代に何を残していくかっていう本なんですよ。
自分がね、いざ死と直面した時に、死と向き合う本もたくさんあるから、池田彦さんとかも書いてるし、そういう本もいいかなと思ったんですけど、
そっちよりも、自分の人生は一体何だったのか。
そして、もし万が一のことがあった時に、万が一じゃないんだが、万が一じゃないんだが、
自分が亡くなるってことを考えた時に、家族に何を残せるかとか、そういうのも含めて、何か思うことあるんじゃないかなと思って。
で、あの本、やっぱり本当に素晴らしくて、人間が後世に残せる異物って、残せることはたくさんあるんだって、これも残せる、これも残せる、これも残せるって言って話してくださってて、
でも全部残せない人でも、これだけは誰もが残せることがあるんだっていう話があって、それが生涯なんだっていう。
その人が生きたってことは、もう後世への贈り物なんだっていう話が出てくるんですよ。
僕はそれ、やっぱりね、なんか、病に戦ってる姿ってものがね、もうね、奥さんとか子供にめちゃくちゃ大きな贈り物をしてると思うんですよ。
もうそのこと自体がね、っていう風に感じてて。
もう生涯っていうのはもはや存在と言いたいぐらいの話。
本当にそれが贈り物。いやー、なんかそれもいつか預かってください。
いやそうですよね。なんか尾本恵さんみたいな生き様自体が励まされるなっていう話があって。
なんかあの辺が一番リンクしてる感覚があって。
小林秀夫さんだったかな。なんか芸術か文学かっていうのは結局は戦いなんだっていう話をしてくれてて。
戦いがないような作品中のはもう作品じゃないと。みたいなことを言ってて。
この文学で扱ってるのはとにかく戦ってる人なんだと思うんですね。
本当そうですね。
ここに中田さんも拍車がかかって、自分の本当に大事にしていることで勝負に出るっていう。
励みと。
勇気と。
本当そうだと思う。
それがまたもう生きてないような、時代も違う、世界も違う、国も違う人たちからもらってるのも面白いよね。
正確にはそれに共鳴したじゅんさんからもらってるんだけどね。
じゅんさんが紹介してくれなかったらやってないから。
じゅんさんが共鳴したっていうことからもらってるってことでもあるんだけど。
本当に扱ってる人たちはみんな戦ってるもんね。
じゅんさんもそういう人に惹かれるんだろうね。
そうですね。そうなんですよ。
この選んだ本を見ればじゅんさんのことが下手なプロフィールよりよくわかるかもしれません。
自分がそうできてないっていうことを痛感してるからこういう本求めてるんですよ。できてないんですよ。
一緒一緒一緒。
無限の憧れがあるんだよ。
そうなんですよ。
憧れであり、こういう人間がいたっていうことが希望である。
いいですね。
じゅんさんも整ったら。
そうだね。僕今人生のどういうフェーズに自分がいるのかってことを考えると、
仏教の中で高上道と高下道っていう話があるんですね。
僕この話がとっても好きで、
人生を山に例えて、
高上道っていうのは上に向かう道って書くんですよ。
高下道っていうのは下に向かう道、つまり下山していくっていうことなんですね。
これは、
高上道っていうのは神を求める道っていうんですかね。
エロースとアガペみたいな感じに近い部分もあります。
自分が神を、ないしは真理を壊れていくっていう。
これはプラトンの国家論に書いてある
洞窟の比喩の話とも重なっていて、
あれは洞窟の中に映っている影。
実は自分の後ろに火があって松明があって、そこで誰かが影を操作していて、
物を動かして、自分たちはその影を見ているっていう。
それを影なのにいかにも本物かのように勘違いしてしまっていると。
でも振り向いたら実はそういうことがあり、さらに洞窟に登っていくと、
もっと実は開けた世界があったんだっていうことに気が付くっていう。
それを高上道って言えるんですね。
つまりより真理に開かれていくっていう道が高上道。
高下道っていうのは、
主上救済のために歩んでいく道のことなんですよ。
プラトンのさっきの洞窟の日語でいうと、あの後もう一回洞窟に戻っていくんですよ。
戻っていって、その壁を見ている人間たちに向かって、
いやいやこれは影なんですよ実はって。
こっち来てくださいって言うんだけど、お前何言ってるんだバカ。
バカかって言って、ローションされちゃうっていうね。
っていう洞窟の日語の話があるんですよね。
それとも関係してるような高下道の道っていうのは、ある意味厳しい道でもあるんですね。
エロースとアガペみたいなことでいうと、アガペの道が高下道の道で、
無条件の愛で主上の人と触れ合っていくっていう道なんですよ。
これが僕とっても好きで、
自分はね、結局ずっと高上道を歩いてるんだと思ってるんですよ。
自分のために生きてるっていう感じがしてるんですよ。
で、いい加減自分を満たすことはもうやめたらどうなんだとことを思っていて、
本当は高下道の道に歩んでいきたいって思っているんだけれども、
歩もうと思ったら歩めるわけじゃないんですよ。
無意識の部分にある衝動とかも含めて突き動かされちゃってるから、人生は。
まだ自分にとっては高上道なんですよね。
多分この残り5年ぐらいかけて高下道の道に入っていくんだと思うんですよ。
自ずと。
で、この文学ラジオっていうのは自分にとっては一つの高下道というか、
秘密には高上道と高下道が見事に重なってるというか、
自分のためなんですけれども、
でもちゃんと配信してるから他者のためにもなっているっていう、
高上道と高下道が重なっているっていう営みなんですね。
こういうことから始めていったらいいじゃないかと思っていて。
で、やっぱ一番嬉しかったのはね、
一番最初に収録して、3本収録しましたけど、
あの3本目に配信した岡正文くんの僕は12歳。
で、あれを配信した時に買いましたよっていうね、連絡を何人かにいただいた。
これは嬉しかったですね。
中田さんともあの時もうすぐシェアしたけど。
嬉しかった。
高下道そのものだと思ってて、もうそれがね。
はいはい。
だってあの本ってね、お父さんのあの甘れた甲子姉さんの文章にありましたけど、
この詩を通じて息子と出会ってやってくださいって言ってたじゃないですか。
わずか12歳しか生きれなかった人生で、本当はもっと出会う人たちがたくさんいただろうって。
だからこの作品を通じて出会ってやってくださいって言ってて。
出会うっていうご縁を作れたわけじゃないですか、このラジオで。
僕も出会った。
それはもう嬉しかったですよ。
なんかひとつひとつ役割果たせたなっていうね、小さなね、ほんと小さな役割ですけど。
自分なりの高下道果たせたなって、なんかこういう感じですね、この手応え。
やっぱその高下道の方が喜び大きいし深いんですよね。
っていうことも、分かってんだけど、ちゃんと自分をそっちの方に動かしてくれるのがこの文学ラジオだったかなと。
でももうその高下道と工場道が水路でつながってるみたいな、
でもこの構造の場所がもうあれば、
究極ひたすらもうじゅんさんが本当に扱いたいものをただ扱うことでいいっていう、とてもいいよね、なんか。
そうなんですよ。
あー面白いな。
しかもそこに本があるってのもまた良くて。
なんて言うんでしょうね、このたりきの高下道って言うんでしょうか。
その本に出会ってもらう、本がなければ出会えないし。
でもじゅんさんがこれをやってなかったら出会えてなかったしっていう、この自力とたりきの方。
双方がそこで混ざり合っている高下道な感じも。
また良いっていうか。
また良いって感じれてるのはその生網だぶつをじゅんさんが紹介してくれたたりきっていう概念を紹介してくれたとかあるんだけどね。
そうなんですよね。
それは凄晴らしいね。
詩を書いてたりすることとはまた違うんですか、さっきの工場道、高下道みたいな話で。
詩を書くこともつながってることなのかなって僕は思ってたりした。
僕は2024年の12月24日に詩集を出してから、詩を書くことが思いっきり止まってしまったんですけど。
それはね、おっしゃる通りで詩も全く同じことがゆえって、自分が自分のために書いている作品が誰かのためにもなっているっていうことがね。
詩集を出すことによってやれたんでね。
そういう意味では全く同じ話なんですけれども。
でもやっぱりどうしてもね、それだけではね、やっぱり満たされないものがあって、違う形の高下道を歩みたいと思ってるんですよ。
それはやっぱ松永先生の回だったんだと思うんですよ。
石村みち子さんを尊敬してるからね。石村みち子さんと共通してますけれども、作品が扱って生まれてきているっていう。
そしてその話っていうのは、普段なかなかメインすることがない光景だったりする。
で忘れ去られていく光景だったりもするっていうことをちゃんとこの文学にして、
スポットライトを当て、笛のものにしていくっていうね、こういう役割。
で今文学読まない人少なくなってますけど、まあでもね、それが映画化されるっていう流れがもうたくさん出てるし。
だからやっぱりそういう風な光景の作品作りっていうものを、なんか僕は生涯の間に1回できるといいなぁと思ってね、待ってますね。
待ってるっていうか、まあ自分でアクションしていかないといけない側面もあるんですけど。
待つっていうのもいい言葉ですね、それも。
いいなぁ、そしてそれを誰かがまた100年後の誰かが文学ラジオで取り上げてくれているというエヴァでセットで想像しましたね、今。