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2025-02-03 36:03

#15-1 ゲスト・詩人 / 阿世賀 淳さん【読書のまにまに】

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詩人の阿世賀 淳さんをゲストに迎えて、トークセッション。12月に出版された第一詩集「まにまに」を中心にしながら、阿世賀 淳さんの人生とその時々に在った本たちについて話していきます。

 

【今回のゲスト】
詩人 / 阿世賀 淳さん

1989年兵庫県生まれ。
詩のワークショップ、朗読会、選書など行う。
古書好きが高じて、文学ラジオで古典の名文を紹介。
第一詩集「まにまに」

オフィシャルサイト:https://shijinnoitonami.com/
文学ラジオ:https://www.youtube.com/channel/UCcO7Z8EIEQjicIMTgbyhF7A

 

【登場した本】

第一詩集『まにまに』 阿世賀淳

『文学論』 ヴァレリー

『天文学と印刷 新たな世界像を求めて 図録』 印刷博物館

サマリー

ポッドキャスト「読書のまにまに」では、詩人の阿世賀淳さんがゲストとして迎えられ、古書収集や最近の著作について語られます。古書への思いや新作の反響について深い洞察が展開され、読書の楽しさが再確認されます。阿世賀淳さんとの対談では、新作や創作の苦労、刺繍のタイトルに込めた思いが語られます。また、詩のタイトルが作品に与える印象や百人一首との関連性についても深く掘り下げられます。今回のエピソードでは、阿世賀淳さんが自作「波打ち受解」を朗読し、その感想や解釈について掘り下げられています。さらに、詩の創作プロセスやカタカナを用いる理由についても語られ、深い思索が展開されます。

番組の概要と自己紹介
はい、今日も始めていこうと思います。読書のまにまに。この番組は、あらしろゆうきがナビゲートしてお届けします。
この番組は、読書の途中で生まれてくるいろんな声を聞いていこうとする番組です。
本手、読み切ることが念頭に置かれることが多いような気がしてます。
けど、同時に読むって難しいと思ってます。
読み切ること認識を向けて、読み終えるとあんまり覚えてなかったり、あれ、この本手なんで読んだんだっけ?と分からなくなったりすると。
この番組では、読み切るとか読み終えることには重点を置かず、読んだ数十ページ、1ページでもいいですし、もはや手で触れただけでもいいかなと思っています。
そんな本を伴ってですね、ゲストの方に思い出す本の感覚を聞きながら、この瞬間の読書を楽しむことに意識を向けていきます。
さて、今回のゲストはですね、詩人の阿世賀淳さんです。淳さん、よろしくお願いします。
【阿世賀】よろしくお願いします。
はい、ありがとうございます。
番組をやって、まだ半年ぐらいとかですけれども、数ヶ月前ぐらいに、淳さんが本を出すよって言ったぐらいから、いつかちょっと読みたいなと内心思ってたんですけど。
はい、こういうふうに今ですね、また改めて読めて嬉しいなと思っております。
【阿世賀】もちろんこそです。
ありがとうございます。淳さんの、そうですね、この番組を聞いていらっしゃる皆さんの中で、淳さんのことを知らない方もたくさんいるんじゃないかなと思うので、
淳さんにですね、普段どんなことをなさっているのか、考えているのか、自己紹介みたいなところですね、お願いできたらなと思いますが、いかがでしょうか。
【淳】そうですね。古書を集めることが好きでして、普段は古書をたくさん見に行っては集めて、
それを読んで、詩を書いたりとか、随筆書いたりとかしながら、
あと仕事は聞くっていうことで、コーチとして聞いたり、
田村さんと一緒にエールという会社で聞くを広げたりとか、そういうことをしております。
ありがとうございます。なんか新鮮ですね。淳さんの自己紹介ってあんまり聞いたことないから。
古書と新作の話
【田村】何て言ったらいいかわかんないですね。
【おだしょー】今、淳さんが言ってくれたみたいに、この番組初、僕のある意味同僚が。
それもなんか面白いし嬉しいなあみたいなことを思って。
ちなみにこの番組を撮っているのが、1月の今日が15日。
1月の真ん中になりましたね。水曜日の朝9時なんですけれども。
淳さんは水曜日お休み。毎週お休みをしていて、僕は今年水曜日の午前中か午後どっちか基本休みみたいな感じで。
お互い仕事施設にここにいるという感じになっております。お休みでございます。
じゃあじゃあですね。そうだな。なんか淳さんを呼ばせてもらったのは、
さっきこの収録というか録音を始めさせてもらう前にもちょっと話してましたけれども、
淳さんがずっとその本、古書を買う、集めるっていうようなお話もさっきされていましたし、
そういえばあれを思い出しましたね。
普段なんだっけ、前なんかほらジェスチャーで古書を集めるみたいな。
はいはいはい。やりました。
会社のワークショップでなんかのジェスチャーするときに、古書を集めるってジェスチャーが難しいみたいな。
した気もしますけれども。
まさにそんな古書に関する活動だったりだとか、またまた昨年末に本を出されて、
それがまさかのシンクロで、四周マニマニと。
そうなんですよね。読書のマニマニとね。
なんかよくわかんないシンクロでした。
いやすごかったですね。びっくりしましたね。
いやー全く汎用ワードじゃないですね。
生きるとこならわかりまくりかもね。
ほんとにほんとに。
ちょうどまさに前月末、12月末に四周出されて、
そういうタイミングだったのは、いやそろそろなんかじゅんさん呼びたいなーみたいなことを呼ばせてもらったんですけど、
実際四周出してみて、だいたい1ヶ月弱、20日間くらいとかでしょうかしている段階かと思いますけど、
最近のそれをみなさんが読んでみての感想とか、何々受け取ってみてとか、どんな感じですか。
いかがでしょうか。
そうですね。感想をいただくのはあんまり少なくて、
今どっちかというと順次発想していってて、
その発想作業がやっぱりいいですね。
やっぱり嬉しいし、一つ一つ梱包していく作業も、なんか豊かな時間で、
なんか一言ちょっと書きたくなったりとかするし、一筆先書いたりする人もいるんですけど、
全員ちょっといないんであれなんですけど、そういうのがとても豊かな時間だなーと思ってやってますね。
なるほどなー。確かに、昨年後半に、僕も買わせてもらいましたけど、そのときに、
何だっけ、あすがじゅんが配送しますみたいな、ページに返すと若干笑ったって。
それはそうですよね。自分で出したらそれは自分で配送しますよね。
そうなんですよ。
ちなみにさっき、配送しているそこの作業、豊かでやるってお話してくれてましたけど、
そこらへんもうちょっと聞いていいですか。どんな感覚なんですか。
普通にね、コンビニでお茶買いました、お金払って商品ゲットしてっていう、単にやりとりだけなんですけど、
でもやっぱりそうじゃないですよね。
やっぱりそこには、たぶん僕に対する応援とかも入ってるだろうし、
作品が世に出ていく嬉しさみたいなものもあるし、いろんな思いがある気がしますね。
こんなにひとつひとつをありがたいと思って、送ることないなっていうか。
その数その基幹で送るって普段ないですしね。いろんな人に。
古書屋の楽しみ
僕も先月末に、12月26だか7だか8くらいとかに、家のポストを見て、
純さんからのお名前も入った封筒というか、本が入ったものが届いたときに、
その手書きの文字を読んで、これひとつひとつどんなことを思いながら書いてんのかなと思ってですね。
それもいいなーみたいなことを妄想はしてましたね。
原本をちょっと何冊かしていってるんですよね。
あーはいはいはい。
お世話になった方に、実は私集ができましてって。
それも嬉しいですね、なんかね。
あーなるほどね。
例えば京都に、電光堂っていう古書屋さんがあるんですよ。
善悪の善に、行動の行に、道は神殿とかのところで使われてる道。
善行道って言うんですけど、ここの古書屋さんめちゃくちゃいいんですよ。
へー。
そこを通ってて、今度自分で刺繍出すんですよみたいな話をしたら、
できたら持ってきてよって言われてて。
あーそうなんだ。
で、出来上がって持って行ったんですよ。
ほー。
耳を澄ますままの映画の主人公の雫が、
清宿のおじいさんに読んでもらうみたいな。
おじいさん、できました?みたいな感じで持って行って、
待ってましたよ!みたいな。じっくり読ませてもらいます、みたいな感じで。
嬉しくないですね。
なるほどね。
この善行道さんってあれか、浄土寺の方?
大学の道の。
はいはいはいはい。
あ、こんなところにあるんですか。すごいですね。
これ知らないといけないな。
ちなみにそちらはいつぐらいから、じゅんさんは通っていたんですか?
でも去年発見したんですよ。
だからまだに刺繍を作ってる最中で発見して。
京都で一番好きですよ、あそこは。
ちなみにほら、じゅんさんはさっきも古書っていうお話をされていましたけど、
じゅんさんが東京に来るたびに、そういった古書のお店を回っているなあみたいなことを聞いたり感じたりしてるんですけど、
古書のお店におけるじゅんさんの楽しさみたいなもの、
楽しいって感覚かしらわからないですけど、それに行きたくなる気持ちっていうのはどういうものなんですか。
なんでしょうね。いくつかある気がしてるんですけど、
まずたたずまいがいいですね、やっぱり。
たたずまいなんだ。
もちろん想定が美しいし。
だいたい箱に入ってるんですよね。
あーなるほどね、確かに。
箱に入ってなくても、時を重ねた美しさみたいなものがある。
字もね、僕旧字体好きなんですよね。
あーそうなんだ。
かっこいい。
文庫本として今は復刊してるんだけれども、
やっぱり当時の姿ってものがどんなものだったのか、みたいなこととかも見れるのが嬉しいんですよね。
あーそうなんだ。
なるほどねー。
今の聞いて、そっかって思ったんですけど、
じゅんさんの刺繍は箱っていう方言でいいですか。
箱に入ってるじゃないですか。
でも確かに古い本って箱に入ってますよね。
なんでか知らないけど。
そこなんですよ。
いいんですよ。
僕、当初は箱つけたいなと思ってたんですけど、つけるのやめたんですよ。
コストの兼ね合いで倍ぐらい近くなっちゃうんで、やめてたんですけども。
でも作ってる最中で、バレリーの文学論っていう本の中にある一節があって、
それ読んだときに、やっぱり箱つけよって思ったんですよ。
それはどんな内容なんですか。
今手元にあるので読んでみていいですか。
ぜひぜひお願いします。
素肌の思想も感動も素肌の人間と同じに弱い。
だから着物を着せる必要がある。
っていう一節があったんですよ。
もう一回読んでいいですか。
めちゃめちゃいいな。
もう一回読んでいいですか。
もう一回お願いします。
素肌の思想も感動も、素肌の人間と同じに弱い。
だから着物を着せる必要がある。
あっかー、着せたくなっちゃったのか。
着せたくなったんですよ。そういうことなんですよ。
あー着物なんだ。
なるほどね。本がない状態って素肌なんですね。
ねー。
あ、箱か。
今回僕の想定ってさ、結構なんだろうこれ。
この箱を抜いた想定って、なんて言ったらいいんだろうねこれね。
なんか、よくわからない感じがあるじゃないですか。
そう?
えーどうなん?なんかね、すごい存在の深みというか、深淵な感じがするので、
これを生というよりかは、やっぱり箱にかぶせることによって。
阿世賀淳の新作と創作過程
箱はとても素朴な、日常的な。
だけど日常の奥に、やっぱり深淵なものがあるっていう。
なるほど。そういう気持ちにやられるんですね、これ。
素朴実はね。
そうなんだー。なるほどなー。
でもそうですね、この外の箱って言うと、
まさに何だろう、ここから数十年経ったらまさに故障のように存在してそうな、
佇まいだなーみたいなことを開いた瞬間にすごく思って。
開いたときにまた全然違う表紙。さっき言ってた素肌。
中に入っていく感じ。すごいしたんですよね。
僕ね、この表紙を見たときに思い出した本があって、ちょっと言っていいですか。
なんですか。
中身というよりかは表紙なんですけど、
ちょっとこれ、タイトル何なんだろう。タイトルを意識したことがない本だ。
天文学と印刷、新たな世界像を求めて図録っていう、天文系の図録集がある。
それの表紙が、色味的にはじゅんさんのこのまにまにの、なんだろうな。
僕これ見た瞬間、宇宙というか夜の空のように見えた。
ちょっと今僕もネットで見ましたけど美しいですよ。
この表紙を思い出して。
もちろんこの図録は、夜空にいろんな天文学系のいろんな機材だったり、
図、絵みたいなものが金色で表示されてるようなもので、
中を開くと、世界中の天文学系の昔の本の紹介が、ずっとひたすらされてるっていう本なんですよ。
これをふと思い出して、じゅんさんのこのまにまにの表紙を開いた瞬間に、一回この図録を見に行ったんです。
いやー嬉しいな。
この図録はね、京都の経文社さんで、たまたまふと見かけて、
なんか表紙いいなーと思って開いたら、
全部数百年前の天文学系の本の中身が紹介されてて、
そんなに詳しくないけどなんかいいなーと思って買っちゃったんですよ。
めちゃくちゃいいですね、これは。
いやー、そのうちの有料版でしたけど、そんなことを表紙から感じましたね。
いやー嬉しい。
ちなみに、このまま見てたらなって思ったんですけど、
じゅんさんが、この刺繍を出そうって思ったのはいつぐらいだったんですか。
1年前だったと思います。
2023年の年末に作った作品を整理してて、
全部印刷してるんですけど、バーって並べてみて。
全部印刷してるんだ。
並べてみたときに、こんだけあったらもしかしたら編めるのかもしれないなーと思って集めてみたら、
もし出すとしたらこれは載せたいなーみたいなものがあったりとかして、
集めてみたら結構な数になったんで、これはちょっとやってみるかと思って。
詩のタイトルの重要性
なるほどね、そっか。じゃあ1年かかって、2,000係でのプロジェクトだったんですね。
中身ができてて、1年何やってたかっていうと想定作るのに1年かかってたというか、造本。
確かに去年それを時々聞いていたってのがすごく思い出します。
この想定の中で、さっき想定の話してくれてましたけど、
じゅんさん的にはこの想定の中で一番苦労したのってどのあたりなんですか。
まず、死ってひとつの作品じゃないですか。すでに。死編ひとつ。
それ単体だけでもすごく余白の強いものなのに、
死周になって、今回27編入ってるんですけど、
27個も集まると、それはそれですごいいろんなものが入ってて、
それを総称してさらにタイトルつけるのって難しいんですよ。
なるほどね。
作品ひとつのタイトルつけるのも難しいのに、死周をこんだけ集めてタイトルつけるのって難しくて。
そりゃそうですよね、確かに。
この集めた27編を一言で表すタイトルと想定っていうのが、
そもそもどういうものが一番適切なんだろうっていうか、それが難しかったですね。
今の聞くとちょっと思い出しましたけど、
去年の夏の手前ぐらいかなとかに、
じゅんさんと死について話してるときに、
タイトルによって死の見方が変わるみたいな、同じ言葉じゃなかった気がしますけど、
それに近しいことを言ってくれてたなって、個人的に記憶していて。
それまで僕は認識したことがあんまりなかったんですけど、
確かにそのタイトルによくも悪くも引っ張られるなーと思ってて。
確かに同じ死の内容だとしても、
違うタイトルついてたら感じ方や受け取り方って本当に違うかもなーってそのとき、
たぶん人生で初めにちょっとふと思った記憶があるんですけど、
確かに刺繍のタイトルもそりゃそうですよね。
百人一首との関わり
そうですね。
それは聞いたことなかったけど、なんでワニワニになったんですか。
刺繍のタイトルつけるときってたぶんだいたい2パターンぐらいある気がしてて、
一つは、これ刺繍だけじゃないんですけど、エッセンシュとかもそうだと思うんですけど、
一つは代表的な核になる作品があって、それがそのタイトルにいくっていうパターンね。
確かに。そうですね。よくありますね。見ますね、それは。
もう一つのパターンが、いくつかあるんだな。
もう一つのパターンは、作品としてはないんだけど、
やっぱり象徴するかのような言葉を与えてるというのは大きなパターンだと思うんですよ。
僕は後者のほうにしたわけなんですけど、悩みましたね。
自分としては、実は僕の中で今まで作ってきた中での最高傑作ってものがあるんですよ、自分の中では。
ああ、そうなんだ。
それがここに入ってるナミウツ受解っていう作品なんですけど、
これが自分としては本当に最高傑作だと思っていて。
そうなんだ。
だからナミウツ受解にしようと思ってた。
ああ、うんうんうん。
そっかそっか、さっき言ってくれてたやつというと電車のほうか。代表的なやつをそのままタイトルにするっていう。
そうそうそうそう。
後者は難しい、そもそも。なんて形容したらいいかが難しくて。
なんだけども、この作品を貫いてるものって何かってなったら、やっぱり間に間になのかなって思ったんです。
どこからその発想が出てきたのかって、いいですか。
僕も読書の間に間に何かつけてて、
じゅんさんぐらい考えたキーは僕はあんまり正直しなきゃいけないんだけど。
同じ場所に結構いる我々が、別に何もそこの相談とか一切してなかったのになぜかそれが出てきてるって、すげえ面白いなって思ってて。
そうですよね。
じゅんさんはそれをどう形容したんですか。
そうですね。
僕、まにまにってまず知ったのが、百人一首で知ったんですけど、
もみじの錦紙のまにまにっていう巣があるんですよね。
ありますよね。
それ以外にも何回か見たんですよ。
それこそ、長田博史さんの詩集の中にも見たことあるし、
上田敏さんの詩の中でも見たし、何回か見て、美しい言葉だなって思ってて。
で、えっと、思ってましたと。
今回、自分の中でこの27編編んだんだけど、結構バラバラな作品を集めた感じがあって。
ああ、そうなんだ。
後半は、お母さんのこととかが結構書かれてあって、
前半は自然のこととか、
あとは本当に無意識の深いところから出てるようなものとかを載せてて。
そう、なんかバラバラなんだけども、
でもたぶん、まにまにっていうのが貫いてるって思えたんですよ。
へー。そうなんだ。
すごいな。
まにまにって、見心のままにっていう感じなのかなと思ってて。
見心のままにね。
そう、見心のままにっていう感じかなと思って。
へー。
いや、すごいな。
僕は結構びっくらこいたんですけどね。
びっくらこいたって言ったのは何でかっていうと、
僕もたぶん最初にまにまにを認識したのは、百人集。
昔、百人集全部記憶しようと努力した時期が、
すごい茶道やってるときにあって。
へー、そうかそうか。
10年ぐらい前じゃないですか。
それをほぼたぶんかなり記憶してた日があったんですけど。
そのときの、まさに神のまにまにっていう、
古今集か。
見たときに、ああ、って思った瞬間があったなっていうのがまず一つあった。
このホットキャストを考えたときに、
どこでどう接続したかわからないんですけど、
去年の春ぐらいかな、始めたときぐらいかな。
実際これホットキャスト遊ぼうとしてるけど何にすんだみたいな。
そう思ったときに、最初僕の中でやってきたのが、
単語でウトウトっていう単語が出てきて。
それ何かって言うと、
よくそろそろ寝そうであるみたいなときにウトウトするみたいに言うじゃないですか。
意味合いだけじゃなくて、沖縄だとお祈りするみたいな言葉で。
正確にウトウトっていうよりはウートウトみたいな感じで、
ちょっと言葉が若干違ったりはするんですけど。
でもウトウトって、結構向こうの妻のおばあちゃんとかのとこに行ったりすると、
ゆうき来たからウトウトしようねみたいな感じで、お祈りするみたいな感じの単語で。
ウトウトとかあるかなって思った瞬間があったんですけど。
ただ、すごいホットキャストのタイトルでお祈りするっていう意味合いを言えるのも若干重いかなって思ったときに、
本に関して何かタイトルにするから、読書の音がつけるかなーみたいな。
やっぱり読書をもっとみんなが楽しめたらなーみたいな気持ちがあったときに、
読書をすごいがっつりやろうとか意識受けようとか、読み切ろうとかじゃなく、
もっと気軽にって思ったときに、何かの人生の時間の間に、何かそれをちょっとでも楽しめる。
それが何かしらその人に対して、一瞬だとしても一瞬の出会いだとしても、影響を与えるよねーみたいなことを思ってたし、
そういったことが表現できたらなーみたいなことを思ったときに、
間に間にみたいな意味合いで、間に間にみたいな感じがあるかな。
そういえば、昔100人誌があったなーみたいな。
なんかさっきのウトウトと近しいところもある気がするし、そこの音の踏み方として。
波打ち受解の朗読
なんか読書の間に間にっていいかもーみたいなことを思ってつけたんですよ。
なんか今のじゅんさんの聞きながら、全く違うところで考えていたけど、
たぶん何かしら近しい考える部分があったのかもなーみたいなことを聞いて、面白くなりました。
そうですね。
へー。
そうそうそう。
いいですね。響きもいいし。
そっかー。聞こうと思ってたんだけど、どうせ聞くんだったらこういうところで聞こうかなと思ってたんですけど、聞いてて嬉しいな。
ちなみに興味が出てしまったんですけど、
じゅんさんのさっき最高傑作って言ってくれていた波打ち受解もですね、
リスナーの皆さんにも紹介できれば、できたら嬉しいなーみたいなことを思ったんですけど、
じゅんさんに読んでもらうことできたりするんですか。
もちろんですよ。
嬉しい。お願いしてもよろしいでしょうか。
わかりました。
ちょっとねー、朗読でどこまで伝わるかわかんないんですけど、
これちょっとねカタカナで書いてる作品だから、
ちょっと朗読でいきましょうかね。
ありがとうございます。
じゃあ読みますね。
波打ち受解。広く深く波打ち受解。
流れ去る時を飲み込み、存在しない記憶を増す。
忘却深まり、影深まり。
空気冷たく、木の幹白く。
宿す魂、雨降る雫。
星月よ、谷の名添えに小さな花々。
一縷の風が、忘れがたみを運びゆく。
今なお続く一筋の旅。
思い起こせよ、涙は忘るな。
つぶらなまなこの生きるあなたよ。
ありがとうございます。
詩の創作プロセス
ありがとうございます。
なんか今の聞きながら感じたことを一瞬話してもいいですか。
もちろんです。
ありがとうございます。
僕この試習最初4のときに、
たぶんここまでで、比較的その手前ぐらいからカタカナの詞になって、
ここでカタカナと漢字の詞になったなーみたいなことを最初思った記憶があるんですよね。
これたぶんね、何回か読み直したというか、目を通し直した気がするんです。
波打つ呪回。
僕の中で何かすごく、昨年末、先月末に読ませてもらっていて一番残っていたのが、
一番最後の生きるあなたを。
あそこが結構今、じゅんさんに朗読してもらったときにも、
あ、そういえばここすごく何回か最後のところを見ていたなーみたいな記憶があって。
それが何なのかちょっと僕はわからないんだけど。
どういえばそうだったわーみたいな。
もしかしたら結構、先月末にここに意識を向けていたことも、
結構僕が今年、これ大切にしようって思ったりしてることあるんですけど、
そこにももしかしたら影響を与えてくれてるかもなって、今初めて思ったかも。
こんなことを今聞きながら思い返しましたね。
へー、そうですか。
ちなみにこういうのを聞いていいのかちょっとわかんないので、
やめろって言ったら全然、やめろって言ってほしいんですけど。
ほら、じゅんさんとしてこれが最高傑作って言ってくれたのって、
読み手であるじゅんさんとしてはどういう気持ちがここにこもっているんですか。
そうですね。なんか、あんまり僕の人とかは入りたくないなと思ってるんで、
そこはちょっと話さないようにしてるんですけれども、
でもなんか、すごい深いところから生まれてきたって感じがあるんですよ。
あー、そうなんだ。
ふんふんふんふん。そうですね。
多分深いところから生まれてきてるものがカタカナになってるんですね。
へー、あーなるほど。
詞の言葉ってやっぱり、普段日常言語で喋ってる言葉と同じ言葉を使ってるんだけれども、
でも日常言語じゃない別の次元の言葉を使っていて、
単的に別の次元の言葉だってことを表現するにはカタカナがよくて、
ちょっと読みにくくなるじゃないですか。
あー、私も確かに。
日本語じゃなくなるような感じがしてるというか。
そうじゃないと、マッチ作れないっていうのもあって。
へー。
それで、僕がこの作品を大事にしてるのは、ものすごくいろんなものを含んでくれてるって感じもあって。
含んでくれてるんだ。
そうですね。
いやー、いいですね。今のじゅんさんの含んでくれてるってのが、
じゅんさんとこの詩の関係性なんだなーみたいなことを聞きながら感じてて。
じゅんさんの中で、もちろん感じられて文字にされているものだと思うけど、
もうじゅんさんのものではなく、
もうすでに別のものというか。
そうですね。
そしてそこに存在してくれているっていう感じ?
そうですね。
今の言葉からすごい感じられたなって。
いやー、ほんとそうですね。
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